2021/2/6, Sat.

 毎週、ある音楽演奏を「フランス・ミュージック」で耳にするのだが、彼にはそれが「愚かしい」ように思われる。そのことから、彼はつぎのように考える。愚かしさとは、固くて割ることのできない核であり、〈根源的なもの〉なのであろう、と。それを〈科学的に〉分解するすべは何もない(愚かしさを科学的に分析することが可能だとしたら、テレビのいっさいは崩壊してしまうことだろう)。愚かしさとは何か。見せ物、美的な虚構、そしておそらくは幻想ではないのか。たぶん、わたしたちはそうした場面のなかに自分を置きたがっているのだろう。それは美しい、それは息苦しい、それは奇妙だ、などというわけだ。だから、愚かしさについては、結局、わたしは次のようにしか言う資格はないだろう。〈それはわたしを魅了する〉、と。魅惑こそが、愚かしさ(もし人がこの名詞を口にしたなら)がわたしに抱かせるにちがいない〈正確な〉感情なのだろう。愚かしさは〈わたしを抱きしめる〉のだ(それは手に負えず、それに打ち勝つものは何もなく、あなたを「熱い手遊び」のなかに引きこんでしまうのである)。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、62; 「愚かしさについて、わたしに権利があるのは……(De la bêtise, je n'ai le droit...)」)



  • 一一時過ぎに覚醒。重い目覚めだった。先夜の疲労が強かったことがわかる。それ以前にも覚醒していた記憶があるが、そのときには意識を定かにできず、カーテンを開けるために手を伸ばすこともできず。一一時時点でようやく幕をひらき、陽を取りこみながらこめかみや眼窩を揉み、ゆっくりだんだんとからだを起動させて、一一時三五分に離床。トイレに行ってきてから瞑想。緊張というほどではないが、心身が、ほんのわずか、締まっているというか、構えを取っているというか、前かがみのようになっているのが感じられる。理想的な武装解除のしなやかさではない。それが今日ものちに労働があるということが念頭にあるから心が余裕を持てていないのか、それとも昨晩に飲んだ茶の作用なのか、それ以外の要因によるものなのか、たんなる恒常性の揺動の範疇なのか不明。外ではカラスが鳴いていた。一六分ほど座って上階へ。
  • 食事は唐揚げと素麺。おじやもあったらしいが素麺だけで十分。自治会館に行っていたらしい父親が帰ってきた。最寄り駅のそばの木が線路にかかっているか何かで深夜に伐ることになっているということで、その話し合いだか手続きだかなんだかに行っていたよう。新聞からは橋本五郎の記事を大雑把に読んだ。福沢諭吉の『福翁自伝』について触れていて、いわく、福沢諭吉は自伝のなかで緒方洪庵適塾で学んでいた時代のことを記しており、適塾ではほぼ昼夜の別なく皆ずっと書物を読んでいて、疲れれば机に突っ伏して寝るか床の間の端の段差みたいなものを枕代わりにして寝ていたから、およそ布団に入ってきちんとした枕に頭をあずけて眠ったことなどなかった、そのくらい熱心に勉強していた、と語っているらしい。多少、話、盛ってんじゃね? という気がするが。それに、べつに布団で寝たからと言って、真摯かつ勤勉な学びができないなどということはない。というか、きちんと布団で寝たほうが心身の健康とコンディションを保つには普通に良いだろう。苅部直が昨年の日本思想関連の著作では最大の収穫だと言っていた松沢弘陽『福澤諭吉の思想的格闘 生と死を超えて』では、このエピソードのすぐ前だかあとだかに慶應義塾の学生に対する苦言というか、勉学に対する熱情の衰退を憂えるような話があるから、この適塾の回想はそうした状況に対する危機感をあらわしたものではないか、当今の慶應義塾生に対して、志を高く持って学問に励むよううながす意図があったのではないか、みたいなことが書かれているらしい。そうだとしたらなんか嫌だなというか、真摯かつ勤勉に学びに励むこと自体はすばらしいことだと思うし、それをうながし呼びかけるのも良いと思うが、自分の若い頃のことをその枕に使うとなると、これはおっさんのやり口じゃないかと思ってしまった。つまり、俺の若い頃はなあ……としたり顔で自慢話を語りつつ、最近の若者は軟弱で努力が足らん、とかなんとか偉そうなことを口にしてはばからないおっさんとあまり変わらないのでは? と思ってしまった。こちらはそういう人間にだけはなりたくない。だが、なってしまうような気もする。
  • テレビは『メレンゲの気持ち』。「ラランド」という男女のお笑い芸人が出演している。上智大学の同級生らしい。女性のほうは勤勉で芸人以外にも仕事をして稼いでいるらしいのだが、男性のほうは自他ともに認める「ぐうたら男」で、とにかく何もやりたくないという性分で、寝ればなかなか起きないし、遅刻や無断欠席もよくあると言う。上智大学も一度退学して再入学してまたやめたので、結局六年かけても学歴としては高卒のままだと言っていた。家がそこそこ金持ちらしく、実家に住んでいるのか肩代わりしてもらっているのかわからないが家賃も払っていないらしい。こちらも身分としてはこのひととさほど変わらないが、このひとはただ、LINE Payか何かでファンのひとから金をもらい、要するにカンパしてもらって(あとはプロデューサーなどから金を借りたりもしているらしいが)食いつないでいるようで、すげえなと思った。そんなにだらだら生きていながら、金を払ってこのひとの怠惰を助けてあげようというファンがつくのだから、大したものだ。長嶋一茂が、要するにすねかじってるってことでしょ、俺とおなじじゃんと笑いつつ、すねはね、かじってるだけじゃ駄目、なくさないと、と言っていた。
  • 皿洗いと風呂洗いを済ませると帰室。Notionを準備してから、ボールを踏みつつ書見をはじめた。新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹』(鳥影社、二〇一〇年)。クソ面白い。最高にすばらしい。この世でもっともこちらが好きな作家。愚かしい言い分ではあるが、あらゆる文章の書き手のなかで、一番親愛を感じる。そもそも「親愛」などと言ってしまうようなものを感じるのはヴァルザー以外にたぶんほぼいない。馬鹿げたことだが、感動してわりと泣いてしまう。ヴァルザーの小説の人間ほど、たんなる紙にすぎずたんなる文字にすぎずたかだか言語にすぎないと感じさせる人物はほかにないのだけれど、それでいて同時に、そこになんらかの確かな感触が生じ、ほぼ通底していると、これほどまでに感じさせる小説はほかにない。そのなんらかの確かな感触をなんと言えば良いのか、わからない。通常のリアリズムとは逆行するようなかたちでの、あるいはそこからはなれたかたちでの「リアリティ」と言えば良いのか、いくらか神秘主義的に「生命」と言えば良いのか、「真実性」とでも言えば良いのか。ヴァルザーの人物は、いわゆるリアリズム的評価基準からすると、まるで「リアル」ではない。かと言って、それに敢えて背を向け、反抗しようとしているとも思われない。『タンナー兄弟姉妹』が刊行されているのは一九〇七年で、この時期にはまだ、表象的リアリズムから離れようという動向は、すくなくとも小説の分野ではそんなに明確には出てきていなかったと思うし、ヴァルザー本人は普通にそれまでのリアリズム的小説の枠組みのなかで書いているつもりだったと推測するし、そこを方法論的に大きく疑う、という発想はなかったのではないか。しかし実際書かれたものは、通念的リアリズム、つまりいまも主には小説作品の主流となっている様相とは、あきらかにべつの方向を向いたものになっている。しかしだからと言って、言語のみだ、と、とにかく言語で行こう、などという発想はまるでふくまれていない。思潮的に見ても、この頃にそれをやっているのはたぶんまだ詩人のみだと推測され、小説分野でそれが出てくるにはおそらくはヴァージニア・ウルフジェイムズ・ジョイスを待たなければならないはず。ヴァルザーの小説はなんというか、「まがい物」という言葉がぴったり来るような気がする。登場人物は、言ってみれば「人形」である。ところが、その「まがい物」と「人形」が、「まがい物」のままで、この上なく、何かの質とニュアンスを獲得するにいたっている。「まがい物」であることの誠実さと誇りを、誇示することなく、ひそやかに、謙虚に、しかし手放そうとせず、常に保ち、湛えている。それが最高度に感動的である。そこにあるなんらかの質およびニュアンスをもし「生命」と言えるのだとしたら、先日も引いたビューヒナー『レンツ』のなかの言葉がぴったりと相応することになる。いわく、「……つくられたものが生命を持っているという感じは、美醜の判断の上に立つものであり、芸術的な事柄における唯一の基準である……」(飯吉光夫編・訳『パウル・ツェラン詩文集』(白水社、二〇一二年)、110; 「子午線 ゲオルク・ビューヒナー賞受賞の際の講演」)。この言葉を尺度として採用し、それにしたがうならば、ヴァルザーの小説は完璧に真正な意味での「芸術」だということになる。ただし、そこにおける「生命」とは、リアリズム的な判断基準で考える「深み」とか「実質」のようなものではまったくなく、それとはべつの何かである。
  • (……)
  • 仰向けにもなりつつ、二時半前まで書見。そのまま今日のことを記しはじめて、ここまで書くと三時半過ぎ。続いて四日の文章をわずかに書き足して投稿。
  • 邦訳されてあるローベルト・ヴァルザーの文章はたぶんほぼ読んだのだが、Amazonで検索して、関連本をすべて入手しておくことにした。それで検索してみると、新本史斉若林恵の研究本が新たに出ていたのでカートに入れ、飯吉光夫が編集して訳した本も、図書館で借りて読んだことはあるが手もとに置いておきたいのでカートに。飯吉光夫がヴァルザーを訳した仕事はふたつあって、新しいほうはみすず書房の「大人の本棚」シリーズだったか、あれに入っているやつだったはずだが、微妙に改訳したようで、すこしだけ訳文が違っていたはず。古いほうの本にはまた、ヴァルザーについて書いたスイスのなんとかいう作家の文章もふくまれていたはずだ。したがって両方とも持っておく必要がある。
  • それから調身。やはり合蹠・前屈・胎児・コブラの四つが基本だろう。あとは(主に左右方向の)開脚。三〇分からだを温めると食事を取るために上へ。居間は無人。おじやの残りを丼に盛って電子レンジで温め、待つあいだは左右に開脚して腿や股関節や肩を和らげる。三個一パックの小さな絹豆腐も同様に熱し、ネギと鰹節と麺つゆと生姜をかけ、それら二つを自室に持ち帰る。食べながら今度は英語で書かれたヴァルザー関連の本をAmazonで検索したのだが、ちょっと見た感じでは研究書とかの類はやはりほぼない様子。論として触れている本はたぶんたくさんあるのだと思うが。ベンヤミンソンタグアガンベンもおのおの論じていたはず。ただ、Carl Seeligの"Walks With Walser"の英訳版が見つかった。これはずっと読みたいと思っていたもので、以前調べたときには英訳はまだ出ていなかったはずで、はやく誰か訳してくれと思っていたのだが、ついに実現したのだ。すばらしい。このAnne Postenというひとはきわめて価値のある仕事をした。あと、いわゆる「ミクログラム」もしくはMicroscriptも一冊にまとめて英訳されているようだったので、それもカートに入れておいた。しかしまだカートに入れておくだけで注文はしない。
  • 今日のことをすこしだけ書き足して五時を回ると、上階へ。六時には出る必要があったが、その前にアイロン掛けをしておこうと思ったのだ。それで居間に行き、シャツやズボンを処理すると五時半を過ぎた。音読をしたかったのだがもういくらも時間がないので今日はあきらめ、下階にもどると歯磨きや着替えをして出勤の準備を整えた。それで一〇分ほど余ったので、今日二度目の瞑想をすることに。本当はやはり、起床後と、日中か夜にもう一度時間を取れるのが良いような気がしている。いまはもう瞑想と言っても何か力を入れてやっているわけではなく、ほとんど眠りの代理というか、起きながら眠っているようなものである。このときもなんだか眠かったので、スーツ姿で枕の上に座りながら目を閉じて、ねみい……ねみい……と思いながら意識をゆるめていた。それでそろそろ一〇分経ったかなと思って目をあけると、六分しか経っていなかった。
  • 出発。マイナンバーカード申請書とかいうものがポストに来ていた。それを、玄関に出てきた母親に渡して道へ。この宵はさほど寒くなかった気がする。からだにまるで力を入れず、たらたらゆっくり歩いた。はたらくのクソ面倒臭えな、という感じがあった。ベッドでじっと眠っていたい気分。それでねみいねみいと思いながら暗い坂道を上っていく。この時刻になると坂の視界は狭い。頭上や周囲は基本的に木々に覆われて黒いし、そうでなくても空はもう暗いし、くわえて実際には電灯の照射が視界の上辺を白くなめていて、その黒さ暗さも見えにくいので、普通に歩いていると視覚的空間がかなり狭い。
  • 電車に乗って職場へ。職場へ向かうあいだも着いてからも心身の感じがなかなか労働用にならず、クソ面倒臭えなという気分の残滓をとどめたまま、いわゆるエンジンがかからない、というような状態だった。社会的な、ひとのあいだに立ち入るときのモードにすぐに移行しなかった。(……)
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  • 帰路の記憶はとりたててない。その後もいつもどおり。David Robson, "How too much mindfulness can spike anxiety", BBC(2021/2/4, Thu.)(https://www.bbc.com/worklife/article/20210202-how-mindfulness-can-blunt-your-feelings-and-spike-anxiety(https://www.bbc.com/worklife/article/20210202-how-mindfulness-can-blunt-your-feelings-and-spike-anxiety))を深夜に読んだ。"one study from 2019 showing that at least 25% of regular meditators have experienced adverse events, from panic attacks and depression to an unsettling sense of “dissociation”."とか、瞑想をすることで感情的に鈍くなり、何も感じなくなったことで苦しむひとの例などが触れられている。こちらも二〇一八年中にはおよそあらゆる感情が消失したと感じられる空無のなかに入ったが、あれは瞑想によるものというよりは、原因はわからないものの、普通に鬱症状的な精神の変調だったと思われる。だからそれは措くとしても、しかしたしかに瞑想中にかえって不安が高まるということは、パニック障害の症状がまだ濃く残っていた時代には往々にしてあった。この記事でも触れられているけれど、良くも悪くも、心身からノイズを除去してもろもろの感覚を高める種類の実践だから、普段は色々なほかの刺激にまぎれて見えにくくなっている不安に、より直接的に直面し、対峙しなければならないという側面はある。というかむしろ、リラックスによってそれを緩和するというよりは、すこしずつでもそれを直視し、触れ、慣れていくということを訓練するのが、こちらにおいて瞑想実践が実際に持った意味合いだったようにも思う。だからある意味ではかなり体育会系というか、苦しみに接しながらも何もせずにただじっとそれを見つめて耐えるという能力が、やはりそれによって鍛えられた。ほかの精神疾患はわからないが、不安障害を快癒するためには、そういう側面はたぶんどうしても多少は必要になると思う。ものすごく矮小化すれば、不安障害の解決法というのは、根本的には、不安に慣れるというただそれだけのことだった。
  • いまの瞑想実践にかんしては、ただ一日のなかで何もしない時間をちょっとつくりたいというくらいのことでしかない。いまのこちらの考えだと、瞑想のコツは、第一に、なるべく動かないということに尽きる気がする。からだを動かさずにじっとしているだけ。そしてもうひとつ、第二に、なるべく動かないという方針を徹底的に完璧に守ろうとしないこと。いくらかのゆるさと余裕を持つこと。コツとしてはだいたいこのふたつに尽きる気がしている。およそあらゆる行為をせず、能動性を完全に停止させることを目指すのが瞑想というものだろうが、能動性を完全に停止させようという能動性がそこに生まれるという再帰的逆説がどうしても持ち上がってくるわけだ。だから、原則を徹底しようとしないという適当さ、気楽さが重要になってくる。単純な話、あまり大きな苦痛とか苦労を我慢してまでやる必要などないのだから、ちょっと気持ちが良くなったら良いという程度のゆるい構えで取り組み、あまり大変だったり苦しかったりするときにはさっさと姿勢を解いてやめれば良いと思う。
  • そういえばこの夜、こちらが帰宅して食事の前にベッドでからだを休めているあいだ、父親がまたうるせえんだよ、とか怒鳴り声もしくは罵声を上げて、階段を下りると寝室に続くドアを乱暴に閉め、大きな音を立てるという場面があった。普通にビビったが、もはや怒りを特に感じなかった。どうもそういうものらしい。酒を飲むとどうしても、感情を抑えられなくなるらしい。こちらが帰宅したときには、居間でテレビドラマ(それがどうも、おそらく、雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』のドラマ版だったように見えたが)を見ながら機嫌良さそうに笑っていたのだが、そこから二〇分かそこらすればもうそれである。とにかく感情の箍がゆるむようで、良い気持ちも悪い気持ちも増幅されるのだろう。幼稚でみっともないとは思うが、どうでもよろしい。かかわりあいになりたくないということに尽きる。
  • 夕食時には、たぶん再放送だったのだと思うが、『業界怪談』という番組が流されていた。母親はみずから流したそれを見ずに、うとうとしているか、タブレットでメルカリを見ていたと思う。この番組はこちらにとっては再現ドラマが完全に余計で、つまらず、業界のひとたちが集まって自分の体験とかあるある話を話し合っているところを編集なしでずっと見せてくれたほうがよほど面白い。このときは建設現場での怪談が取り上げられており、なかのひとりが言うには、台東区なんかはほぼどの現場でも必ず人骨が出ると。人骨が出てくる深さというのも大概決まっており、それはおそらく、空襲や関東大震災で大量の人が死んだことによるのだろうと。そのあたりの層というのは土のなかに煉瓦が混ざっていることも多いのだが、粉々に砕かれた煉瓦のその赤さが血に見えたことがあってびっくりしたと語っていた。そういうものを見ると、本当に、ここで過去にとてつもないことがあったんだなということを感じ取れると。