2021/2/7, Sun.

 ある時期に、彼は二項対立に夢中になっていた。彼にとって、二項対立はほんとうに愛する対象だったのである。この考えかたもいつかは使い尽くされてしまうはずだ、とはどうしても思えなかった。〈ひとつの相違点だけから〉すべてを言うことができる、というのが、彼に一種の喜びや、持続する驚きを生じさせていたのである。
 知的なことがらは、愛のことがらに似ている。二項対立において彼の気に入っていたのは、ひとつの型だった。のちになって彼は、価値観の対立のなかにも同じ型を見いだすことになった。(彼において)記号学を遠ざからせたにちがいないもの、それは何よりも悦楽の原理であった。二項対立を捨て去った記号学など、彼にはもはやほとんど関係がないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、62~63; 「ある考えかたへの愛(L'amour d'une idée)」)



  • 一〇時台に覚醒し、こめかみを指圧したりゴロゴロしたりしながらしばらくからだを和らげ、一一時ちょうどに離床。だんだんと陽射しが肌にじりじりいいはじめ、快楽的な気候に近づいてきている。今日は最高気温が一七度になるとか聞いた。トイレに行ってきてから瞑想。良い感じ。心身の力がうまく抜けていたと思う。一一時二五分まで一八分間。
  • 上階へ。ちょうど母親が外から入ってきた。フキノトウを四つ確保したと言う。台所のカウンター上に乗せられたそれを手に取り、鼻を近づけてにおいを嗅いだあと、洗面所で洗顔し、卵を焼くことに。ハムがなかったので焼豚。フライパンで焼いたものを丼の米に乗せ、卓に移って食事。新聞は一、二面に細谷雄一が寄稿。書評欄では松永美穂岩波文庫のナディン・ゴーディマの『ジャンプ』ほかが入っているやつを紹介。アフリカ方面の作家だという漠然とした認識しかなかったが、南アフリカのひとで、アフリカ出身の女性でははじめてノーベル文学賞を取ったひとだと言う。九一年。Wikipediaを見ると、アフリカ出身のノーベル文学賞作家として、ウォーレ・ショインカとナギーブ・マフフーズがならんでいるが、ショインカはちょっと気になっている。なぜ気になっているのかはわからないが。
  • 書評面本欄では、国分良成というひとが岩波新書の『太平天国』を紹介していた。昔、市古宙三という学者の太平天国についての講義を受けたことがあり、当時は太平天国は(おそらくはマルクス・レーニン主義の方面からだと思うが)清朝体制に対する農民たちの反乱として評価する向きが支配的だったけれど、市古教授の語る太平天国は、複雑怪奇な魑魅魍魎の世界だったと冒頭で述べていた。太平天国にはこちらもけっこう興味があって、ゼーバルトが『土星の環』のなかで記述していたのだけれど、洪秀全が自殺したあとを追ってたしか一〇万人だか忘れたが、莫大な数のひとが自死に走ったらしく、本当かどうかわからないが、もし本当だとしたら完膚なきまでに頭のおかしい、とんでもない事件なわけだ。それを措いても全体の犠牲者で数千万人を数えていたはずで、この書評でもたしか「人類史上最悪の内戦」と呼ばれる、と触れられていた。犠牲者数だけで言えばショアーをはるかに凌駕している。それを一国のみでやってしまっているのだから中国ってやはりとんでもない国だなと思うが、太平天国の乱という事件は高校までの日本史では、アヘン戦争南京条約のあとにこういう宗教的反乱がありました、という程度のことしかやらない。しかし本当はたぶんもっと突っこんで調べてみるべき異貌を持った災禍なのだと思う。
  • ゼーバルトの記述の典拠は以下。「十五年弱のうちに、二千万にのぼる人々が命を落とした」、「六月三十日、天王がみずから命を絶った。何十万の徒が、忠義の心からか、あるいは征服者による報復を恐れたのか、天王のあとを追った」とある。ただ、いまWikipediaを見た限りでは、「そしてついに1864年6月1日、洪秀全は栄養失調により病死した。李秀成によれば直接の原因は「甜露」を食べて体を壊したにもかかわらず、薬を服用しなかったためだという。自殺説もあったが、それは湘軍の功績を過大評価させるための意図的なデマだった」と書かれてあり、ゼーバルトの記述とは日付も違うし、どうも最近の研究では自殺ではないということがわかったのかもしれない。文中に「甜露」とあるのは雑草のことで、一八六三年以降、「孤立した天京は食糧事情がすでに逼迫しており、雑草を「甜露」と呼んで食べていたほどであった。首都でありながら、防衛に当たるべき兵士が暴徒化し、誰しもその終焉が近いことを悟らずにいられなかった」というわけらしい。

 (……)十九世紀の後半は、皇帝の権力の儀式化が頂点に達したときであるとともに、その空洞化がもっとも進んだ時代である。階級にしたがって厳密に割りふられた職務が、依然として隅々までこまかく定められた規則にのっとって遂行されていた一方、帝国そのものは、国内外の敵による圧力が高まるなか、崩壊の瀬戸際にあった。一八五〇年代と六〇年代には、キリスト教儒教の双方に影響を受けた救済の運動である<太平天国>が、燎原の火の勢いで拡がり、中国南部のほとんどを制圧した。腹を空かせた農民、阿片戦争のあとお払い箱になった兵士、苦力[クーリー]、水夫、芸人、娼婦など、貧苦にあえぐ気の遠くなるような数の民衆が大挙して、天王を自称する人物、洪秀全のもとに群がりよせた。洪秀全は熱に浮かされたように、栄光に満ちた公正な未来の到来を予見した。みるみる数を増していく聖戦の戦士たちは、広西省から北へ進み、湖南、湖北、安徽の諸省になだれ込んで制圧すると、一八五三年初頭には、壮大な都であった南京の城門に達した。南京は二日間の包囲戦ののちに攻め落とされて、天京と名を改められ、太平天国の運動の首都となった。このとき以来、幸福の期待にあおられた蜂起の波が、たえず新しいうねりとなって広大な国土を浸していった。六万余の城塞が蜂起の軍によって落城していっとき占領され、打ちつづく戦火によって五つの省が焦土と化し、十五年弱のうちに、二千万にのぼる人々が命を落とした。このときの中国における血にまみれた惨事は、疑いもなく想像を絶するものであった。一八六四年の夏の盛り、皇帝軍による七年間の攻囲のすえに、南京は落城した。防衛の軍はすでに備蓄も底をつき、運動当初は手でつかめそうに思われた現世の楽園をつくる夢もとうに潰えていた。空腹と麻薬によって朦朧となった人々は、最後の時を迎えつつあった。六月三十日、天王がみずから命を絶った。何十万の徒が、忠義の心からか、あるいは征服者による報復を恐れたのか、天王のあとを追った。剣や短刀を用いる者、焼身する者、縊れる者、家々の鋸壁や屋根から飛び降りる者など、人々は考え得るありとあらゆる仕方でおのが身を滅ぼした。われとわが身を生き埋めにした者も少なからずいたという。太平天国の大量自殺は、歴史上ほとんど類を見ない。七月十九日朝、皇帝の軍が入城してみると、命のある人間はひとりとして見あたらず、蠅の群れたかる音ばかりがあたりに高かった。終わりなき太平天国の王は、側溝にうつぶせに横たわり――と北京に送られた特電にはある――、膨れあがったその体は、罰あたりにも彼がつねづね纏っていた、皇帝の黄色をし龍をかたどった刺繍入りの絹の長袍によって、からくも崩れるのをまぬかれていた。
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、135~136)

  • 食事を終えると皿洗いおよび風呂洗い。排水溝カバーの毛も取り、ブラシで擦って、よくわからない夾雑物も排除しておく。出ると母親が天麩羅を揚げてくれと言うので途中まで担った。サツマイモやヤーコン。野菜を油に落としていき、揚がるのを待つあいだは左右に開脚して脚や肩をほぐす。最中、(……)さんが何かの用で来たらしかったが、訊けば引っ越しすると言っているとか。母親が言うには、あそこの組は仲もあんまり良くないし、地元にいると役も頼まれたりして嫌なんじゃない、会でもなんかあんまり馴染めないみたいだし、というような話だった。
  • 天麩羅を途中で受け渡すと帰室。昨日買ったマンゴーカップを食いながらNotionを用意した。これはゼリーだと思って買ったのだけれど、そうではなくて普通にカップのなかにカットされた果物が汁に浸かっている品だった。上のほうにひとつ、実がやたら詰まったようなというか、妙に固めでボソボソしているような一片があって、これがあと全部続くようだったらきついぞと思ったのだが、残りはもっと柔らかく、甘くみずみずしいフルーツ片だったので普通に食べられた。ただ、そうだとしても、こちらはマンゴーはとりたてて好きではない。めちゃくちゃうまいとは思わない。しかし(……)さんがグレープフルーツのほうを選んだので仕方がないのだ。
  • それからここまで記述すると一時一〇分。今夜は八時半から読書会。
  • 二月五日金曜日の文章をすこしだけ書き足して仕上げると、新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹』(鳥影社、二〇一〇年)を読んでいる。三時前まで。その後、「英語」を音読。
  • この日のうち、読書会以外の時間のことはもうあまり記憶にないので、そこまで飛ぶ。八時半過ぎから隣室に移動してZOOMで通話。(……)くんと(……)さん。本当は(……)さんも来るはずだったのだが、最後まであらわれず。翌日判明したところでは、眠ってしまっていたらしい。
  • 課題書はハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨』の下巻である。最初、(……)くんが飯を食っているあいだに(……)さんがここが面白かったというのを何点か挙げていたが、正式にはじまると、とりあえず例によって、おおまかな感想をひとりずつ言っていこうという流れになった。それで(……)くんから発言したが、彼は延々と続く鯨についての記述に飽きてしまったと言う。気持ちはわかる。一向に物語がすすまず、煩雑とも思える鯨や捕鯨の詳細についての語りがこの小説の大半を占めているのだ。英米文学の必読古典として名高いけれど、この本を読んだとかいうひとは、絶対全部きちんと読んでないでしょと思いましたとのこと。ただ、黒人少年ピップが狂うときの心象的な描写はすばらしく印象に残り、ここに出会っただけでも読んで良かったと。だから(……)くんの感想は、1. 飽きた、2. これが古典とされているのが不思議、3. ピップの心象描写がめっちゃ良かった、という三点にほぼ要約されるということだった。
  • 次にこちら。こちらも、読んでいるあいだ、こいつマジで全然物語にしようとしないなと思いながら読みすすめていたと話した。枠組みとしては普通に物語的に厚みを持たせることは容易なはずである。エイハブや主要船員の来歴を描いたり、もっと心理に入ったり、エイハブが白鯨に遭遇して脚を奪われた事件のことを詳細に語るなどすれば、けっこう起伏は生まれるだろう。ところがメルヴィルもしくはイシュメールは、とにかく鯨や捕鯨捕鯨船のことについて延々と滔々と語りつづける。それが構成のうち大部分を占めている。この作品は大きくは三つのパートに分けられると思う。ひとつは序盤、イシュメールの一人称の語りで、彼自身の物語としてはじまり、単線的にすすんでいく部分。二つ目が船に乗って海に出て以降、白鯨遭遇までの日々で、このパートが作品中の大きな割合を占める。ここの内容は、おそらく順序や配置としてそこまで緊密に統御されてはいないように思う。というか、一応なんとなくの進行感はあるわけだが――白鯨と出会うに至る海域まで航海は続いており、途中、多少の出来事が起こったり、他船と遭遇したりもするので――おおむね拡散的で、雑多な事柄を次から次へとできるかぎり寄せ集めたようなやり方になっている。ここは多少それ以外の要素(船員たち同士の関係や、エイハブの人物像、海の描写など)もふくまれてはいるものの、全体としてはイシュメールのいわゆる「鯨学」の試みであり、鯨および捕鯨にまつわる「知」を集積した百科事典のような、脱中心的・非構築的なあり方をだいたいにおいてしていると言って良いと思う。物語というよりは、ドキュメンタリー的なパートというか。知とは一方で階層的体系を成すものでもあるが、ここではあまり上下の積層というやり方でなく、本当に雑駁にひとつの物事を取っては引き寄せ、取っては引き寄せ、ということをくり返していたような気がする。海に出てから作品がそういう拡散的な様態に変わるのは、内容面・テーマ面では海という場所と相応しているのではないかとこちらは言った。海という場所に、あらかじめ敷かれた、目に見えるような明確な道はなく、そこは単線を成さない領域である。したがって語りも直線的にすすむことをやめ、うねり揺れながらはるかにひろがっていく水のようにひたすらに拡散していくのではないか。そして、海もしくは捕鯨船はイシュメールにとっては知と学びの場である。彼はどこかで、捕鯨船だか海だかが自分にとってのハーバード大学でありイェール大学だと言っていたし、鯨や海から得られた知見を、相当に強引かつ奇妙な理路によって人間社会のほうに一般化してみせる。彼にとって「知」とは、体系的階層を成すというよりは、並列的にひろく散乱しながらゆるい連関を持って平面的かつネットワーク的に(テクスト的に?)響き合っているようなものなのではないか。そのように考えられるとすれば、そのことはこの作品の冒頭からすでに予告されているとも言えるのかもしれない。なぜなら、「鯨という語の語源」に続いて『白鯨』の一番はじめに据えられているのは、「鯨という語を含む名文抄」であり、それは言うまでもなく、直接的には関連のないさまざまな文書や著作から、「鯨」について触れているという一点のみを基準として抜き出され、寄せ集められた、至極断片的な引用の集合だからである。つまり、海に出て以降の語りのあり方と、イシュメールによる「鯨学」および「知」の提示のやり口が、作品冒頭のここではやくも先取りされていることになる。同時にここで思い出されるのは、この小説のなかに「ピラミッド」についての言及がわりと頻繁に見られたことで、たしか全篇で六回か七回くらい、「ピラミッド」という語が出てきていたはずだ。ピラミッドとは言うまでもなく、ヒエラルキー的な階層構造の典型をあらわす言葉である。すなわち、イシュメールの語り方やその「知」のとらえ方・提示の仕方と真っ向から対立する構造的形象である。だからと言ってその対立がどのように関係しているのか、そこにおいて何かが見えてくるのか不明だが、そのあたり、なんらかの読み解きがもしかしたら可能なのかもしれない。
  • 三つのパートの話にもどると、最後のパートはもちろん終盤、ピークオッド号と白鯨との戦いである。ここは言わば、劇である。展開としても非常にドラマティックで、人物の台詞も見事に鋭く、実に力強く切れてくるし、エイハブもイシュメールもみずから、これは「劇」なのだ、自分は「劇」の登場人物なのだという比喩的認識をおりおり口にしている。メルヴィルシェイクスピアを愛好していたらしいが(そして、ナサニエル・ホーソーンのことを現代のシェイクスピアとして非常に尊敬していたらしいが、この会の途中にWikipediaを覗いたところ、そのホーソーンも、『白鯨』の冗長さにはうんざりしていた、と書かれてあったから笑う)、『白鯨』の終盤には、『マクベス』の影響が見られるように思われた。というか、単に二度、こちらが『マクベス』を連想したというだけなのだが、その一度目は、スターバックが船長室で眠っているエイハブを殺そうかと逡巡しながらも結局行動に移さなかったところである。すなわち、「123 マスケット銃」の章であり、ページで言うと下巻の514から518のあたりである。ここは正直、かなり良かった。とりわけ518ページ、場面の終わりにある記述が良い。眠っているエイハブは夢のなかでも白鯨を追い、鯨と闘争しているようなのだが、その寝言を受けての文。「老人の苦悶の眠りの奥から、迸り出てきた声音だった。夢は啞者、夢は口を利くことができぬ。その長い無音の夢に今スターバックの呟きが声を付与したかのようだった。扉板に向けてなおも水平に構えられた銃身が酔漢の腕のように小刻みに震えつづけていた。スターバックは天使と格闘していたのだろうか」(ハーマン・メルヴィル千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)、518)。モチーフとしては、眠りにある船長=王の弑逆へと誘われる部下という構図で、そのあたり『マクベス』と一応似てはいるものの、しかし相違点もたくさんあり、単なるこちらの連想にすぎないと言っても差し支えない。相違点としては、まず、マクベスが王を殺害するのは魔女の「予言」を与えられてのことだが、スターバックにおいて魔女の「予言」に相応するものはたぶんなかったと思う。次に、マクベスがダンカン(という名前だったよな?)王を殺すのは(妻にそそのかされて)地位と権力をもとめるからだが(そのあたり論議の余地もありそうだが、表面的にはそう見えるようになっているだろう)、スターバックがエイハブを殺すか否か迷うのは、船員たちや自身の命を考えて、破滅を防ぐという観点からのものである。最後に、『マクベス』においてそもそもマクベスがダンカンの寝床のかたわらに立つという場面や、殺害自体の描写はなかったはずだ。行くときと、帰ってきたときが場面になっていただけで、行為そのものの場面は存在しなかったと記憶している。だから、このひとつ目の連想箇所は、実のところそれほど『マクベス』に似てはいない。しかし二つ目の連想点、すなわち、とても起こりそうにない死の予言、逆説的に不死の予言と思われるもの、というモチーフは、あきらかに『マクベス』を踏まえていると判断してしまって良いだろうと思う。『白鯨』においてエイハブは、みずからボートの漕ぎ手としてどこかから連れてきたゾロアスター教徒フェダラーから、「二台の棺置台をちゃんと海のうえに見届けたうえ」(481)でなければ死なない、また、「麻索しか旦那を殺せるものはない」(482)という死の条件の予言を受ける。それをまともに信じてエイハブは、白鯨に遭遇したあとも、「棺だとか棺置台とかはこのおれには全く無縁のこと。――おれを殺戮できるものは一つ、ただ麻索だけなのだ!」(633)と哄笑するのだが、結局は予言どおりに条件を満たして海に死んでいくわけである。有名な作劇術だが、『マクベス』においても、魔女が生み出した幻影によって、「女が生んだものなどにマクベスを倒す力はない」(小田島雄志訳、白水uブックス、一九八三年、115)、「マクベスはけっして滅びはせぬ、かのバーナムの森の樹が/ダンシネーンの丘に立つ彼に向かってくるまでは」(116)と宣告されたマクベスは、それを真っ向から信じて、「恐れるものはない」(153)と(しかし、むしろ自分に言い聞かせるかのごとく)口にしているけれど、最終的には自分が予言にだまされたことを知りながら戦いに死んでいく。このモチーフの類似性はあきらかに、メルヴィルが『マクベス』を模倣したものと考えて良いだろう。ただ、その二つの展開、予言の成就までの流れのつくり方と、それを受けての両人物の発言や行動は、(小説と戯曲なので形式的前提がだいぶ違うとは言え)本当はこまかく比較してみるべきなのだろうし、すでにやっている研究者がいるに違いない。
  • 感想にもどると、上記のように、『白鯨』は、1. 船に乗るまで(まっすぐ進行するイシュメール自身の物語)、2. 航海(拡散的な「知」の集積)、3. 白鯨との戦い(ピークオッド号とその船員たちが演じる悲劇)という三部に大きくは分けられると思われる。そして、これら三つのパートのあいだは、とりたてて注意深く、なめらかな整地を施されながらつながっているという感じは見受けられない。したがって、各部のあいだの調和もしくは有機的連関が薄く、作品構成としてややいびつでちぐはぐになっているという評価を下す向きがあったとしても、なんら不思議ではないと思う。こちらとしてはやはり最後の白鯨との戦いとそれに向かうまでの前兆が非常に劇的で単純に面白かったし、台詞もすばらしいものが多いとともに、合間にはさまる描写(たとえば白鯨が水中から飛び出したときの水飛沫の変化など)も具体的で力の入ったものになっており、やはりここで動きの描写をおりおりに差し入れ、意味と表象を躍動させることができるのが小説というものだなという満足感を得たもので、この作品が「『嵐が丘』、『リア王』とともに英語で書かれた三大悲劇の一つとも称される」(上巻、635、訳者解説より)とかいうのも、主にはこの最後の悲劇的パートの効力によるものなのではないかと思うのだけれど、ただ作品中の記述的割合としては二番目の「知」のパートが圧倒的に大きいわけで、このうんざりするほどに冗漫で雑多で執念的な「鯨学」の試みの意味や役割をこそ考えなければ、『白鯨』を理解する上では片手落ちということになってしまうのではないか。
  • (……)さんの総合的な感想は、だいたいこちらと(……)くんが言ったこととおなじということで、その後はこの箇所がいいとか気になるとかいう話が主になった。その途中で、悲劇性の話題が出て、それが一応この作品のテーマとしては根幹にかかわる部分だろうという話になった。『白鯨』とギリシア悲劇との違いみたいなことなのだが、ギリシア悲劇においては、といってギリシア悲劇としてこちらが知っているものなど『オイディプス王』しかないわけだけれど、基本的に人間は神の定めた運命に縛られていて、そこから逃れることはできないという認識が通底している、という理解が通念的にあると思う。(……)くんも応じて、タイトルは忘れたが何かの作品で、家族同士が殺し合うだかなんだかして悲惨なことになっても、運命だからどうしようもない、仕方ないよねみたいなことを言っているのを読んだおぼえがあると言っていた。で、すくなくとも『オイディプス王』においては、オイディプス本人だけがその自分の運命を知らず、無知のままにまさしく操られてみずからを追いこむようにして破滅へと転落していく、という作劇術が取られていたはずだ。それに対して『白鯨』では、エイハブは自分が運命に縛られ、操られ、破滅へと駆り立てられていることを明確に認識している。いまきちんとおぼえていないがそういう発言はおりおりあったはずだし、上にも触れたように、彼は自分の生もしくは現実を「劇」のメタファーでとらえてもいる。彼は自分が避けようもなく破滅し死んでいくということを明晰に知っているのだが、それでもその運命にあらがい、敢然と白鯨を倒そうとする、というのがこの作品の悲劇的要素の主線になっているのはおそらくまちがいのないところだろう。かなり教科書的な整理だが、第一段階としてはそういう理解がなされるはず。スターバックはおりおりエイハブの目論見を止めようとし、ときに対立し、上記のように殺すか否かと迷うところまで行き、最後のほうでも論議を交わし、それでいながら二人のあいだには奇妙な信頼と親愛のようなものが発生してくるのだけれど、彼は運命の強制力を認識していないのだろう、という理解になった。彼はまだ選択の余地があると、人間主体の判断でもって撤退を選ぶことができると思っている。しかしエイハブは、自分に決定権がないことを完全に理解しており、みずからが死ぬことをおそらく知っていながら、その上で白鯨に挑むという覚悟と決意を動揺させることがない。したがってこの作品は、もっとも大まかに言って、人が運命に抵抗して「神殺し」を目論みながらそれを果たせず敗北し、挫折し、海に沈んで散っていく物語だと言えるだろうが、白鯨を神と同一視するこのような理解は、しかしかなり通り一遍で退屈なものでもある。白鯨がエイハブらにとって、なんらかの超越性としてあらわれているのは確かだろうとは思うが。そこで疑問として挙がるのは、まず、エイハブが(そしておそらくイシュメールも)それに逆らえないと知悉しているこの「運命」なる超越性は、どのようにしてこの作品に導入されているのかということである。実のところ、この「運命」とはなんなのか、それがこの小説のなかに侵入して人々や出来事を統御する契機とはなんだったのかということ。二つ目に、エイハブは本当に「運命」に対して逡巡し立ち迷ったり、それを疑ったりすることがなかっただろうか、ということ。まったく疑わなかったのだとしたら、エイハブがみずからの「運命」にそこまで確信を持てたのはなぜなのか、という点である。つまりはエイハブが「運命」にかんして持っている認識をもうすこし詳細に調べなければならないということで、そこで超越的必然性と人間的主体性がどこまで区分けされており、どこから境目のない融合体となっているのか、ということが肝心なポイントのひとつだと思うが、それを読むには再読を待たなければならない。次はできれば原文で読んでみたい。
  • 一応上のような教科書的整理をしてみるに、やはりいわゆる近代以降の、「神」という観念の権威や影響力がだんだん衰えてきて、人間の主体というものが高らかに誇らかに謳われるにいたった一九世紀なる時代に書かれた小説だという印象をこちらも得たし、(……)くんと(……)さんの二人も得たようだった。それで言えば、作中にはニーチェを先取りしているような思考や記述がときどき見られたし、全体を通してもニーチェ感は終始ずっと強いというのがニーチェが大好きな(……)くんの評価だ。(……)さんは、一九世紀末あたりに書かれた文章を読むとよく見られるあの人間存在の全能感みたいなものはなんなんでしょうねと漏らしたが、そういう、いわゆる啓蒙思想を延長した先にある自律的人間主体の讃歌をさらに推しすすめていったその果てに世界が出会ったのが、ナチスドイツがもたらした破滅的惨禍だったわけで、そのことを考えると暗澹とせざるをえない。なぜそうなったのか、というのはきわめて重要な問いで、それについて考え研究しているひともすでに無数にいるはずだ。(……)くんも、神は死んだと言うけれど、なぜ神は死んだ、になったんでしょうね、具体的にいつからそうなったんでしょうね、という疑問を漏らして色々考えだした。こちらとしては、やはり超越性との関係のあり方が変わってきたのだろうなという気が漠然としていた。超越性というのはひらたく言って、自分よりもはるかに大きいもの、人間を越えた物事ということだ。それが「神」から「科学」に変わったというのがよく言われる話で、(……)くんもこのとき触れていたが、そのとき超越性に対する畏怖が失われたというのがこちらのなんとなくの印象で、「神」に対しては一応維持されていたと思われる畏怖は、「科学」においては希薄化し、一部のひとは除くにしても、そこで人間が「科学」と取り結びはじめた関係というのは、大方はおそらく自分たちの利益に役立つ「道具」としての認識なのではないか。つまり、まさしく「技術」ということか? 「道具」として統御し、自分の手中において活用できるものをもはや超越などとは呼べないはずだから、これは超越性というもの自体が失墜したと言っているのと変わらないのだろうが。だから、おなじ点にもどってしまうけれど、やはり、「自分よりもはるかに大きいもの」に対する認識とそれとのあいだに結ばれる関係の契機が相当程度希薄化し、拡散したというのが、すくなくとも西洋的文脈で見たときの一般的動向だろう。マックス・ヴェーバーなんかが言っているらしい「脱魔術化(disenchantment)」というのはそういうことなのだろうし、要するに(「宗教」ではなくて)「宗教性」の価値が大幅に低減したという、非常にありふれた解にひとまずはいたる。そして変わらず、なぜそうなったのか、その具体的なプロセスはどういうことなのか、という問いが中身を知られないままに残る。それを知るにはものの本を読むしかない。
  • まあ資本主義と科学とニヒリズムとが主要な動因だろうというのはよく聞く話からして予想がつくが、問題はその詳細だ。現代における超越性への契機というのは、だいたいのところ、「スピリチュアル」という形容で呼ばれるような非明晰主義の方面へと回収されてしまっているだろう。つまり、宗教性ももはや避けがたく俗化しており、世俗性のひとつのカテゴリとして延命せざるをえない。
  • その他、雑談。(……)くんは最近、アリ・アスターという監督のホラー映画を見たといい、これがすごいものだったと述べた。怖いこと自体もそうだが、全篇を通してその怖さの演出が巧みで、本人の言によれば「詩的」なのだということだ。彼がこのとき触れていたのは『ヘレディタリー/継承』という作品で、今世紀最高のホラー映画のひとつなどと大絶賛されている作品のようだったが、とにかく怖いし、物語の展開としても最後は絶対に誰にも予想できないような終わり方になっていると言う。死んだ祖母からその家族に「何か」が継承されていき、その「何か」を継承すると死んでしまう、という結構になっているらしいのだけれど、話を聞く限り、こちらとしてはホラー要素よりも物語の作法のほうに興味がいだかれた。つまり、なんか小説にしたら面白そうだなと思った、ということだ。そもそもこちらはホラー映画というものをいままでの生でたぶん一度も見たことがないと思う。もとより映画をまるで見つけない身だし、恐怖感情を消費し享楽する趣味もないので。見たら普通にめちゃくちゃ怖がってことによると恐怖のためにパニック障害的発作を招くのではないかという気もするし、一方で普通に平気な顔で見そうな気もする。ただ(……)くんいわく、『ヘレディタリー』は怖いのもそうだけれど、それとはべつでグロテスクというか、ええ……それはやめてよ……みたいな部分もあるらしく、彼が例として挙げたものとしては、パーティーか何かで過呼吸みたいになった妹を兄が車に乗せて飛ばして帰っていたところ、外気を吸おうとして窓から顔を出した妹の頭が電柱に高速で激突し、そのまま頭部がまるごと取れて転がっていくさまが緻密に追って映される場面があるということだった。それはたしかにショックを受けそう。
  • アリ・アスターはもう一作、『ミッドサマー』という作品もつくっており、その場でWikipediaを見たところ、これは北欧のある村に文化人類学だかなんだかを学んでいる大学生だか大学院生だかが、仲間とともにフィールド・ワーク的な感じで訪問にいったところ、その村はキリスト教以前の異教の風習を奉じているカルト的共同体で人身御供の儀式をおこなっており、命の危険を感じた学生らは逃げようとするがしかし……みたいな話らしい。これについてもこちらはやはり、映画というよりも、なんか小説にしたら面白そうじゃね? という関心の持ち方を取ってしまう。枠組みとしてはむしろありふれたものと言うべきかもしれないが。佐藤亜紀の『吸血鬼』なんかをちょっと思い出しもする。設定としてべつに似てはいなかったと思うけれど。
  • (……)くんが語るには、アリ・アスターは、我々が自明視している文化とか慣習とか価値観とか認識とかと、そこからはずれた、おぞましいとしか思えない人間や世界のあり方をぶつけ、説得力を持って展開させるのがうまく、それによって我々の世界のほうもドグマ的に形成されたものにすぎないという相対化作用をもたらし、むしろあちらのほうが正しいのではないかという、自分の足もとが脆弱に崩れていくかのような恐怖を見る者に生じさせるのが非常に巧みだということだった。そういう意味でのすぐれたホラー作品だということだろう。
  • アリ・アスターの話を端緒に、恐怖という感情の不思議さについて色々と話された。なんでひとって恐怖を感じるんでしょうね? 恐怖ってなんなんでしょうね? しかもそれをわざわざもとめたりもするわけで、いわゆる「怖いもの見たさ」っていったいなんなんでしょうね? というようなことだ。生物学的にはおそらく危険察知のような機能として発達したもののはずなのだけれど、しかしあきらかに危険ではない物事にまで恐怖を感じるということは、ひとにはいくらでもある。パニック障害など脳科学的にはそのあたりの機能が狂った状態だということになるはずで、電車のなかに危険や不安や恐怖を惹起するものや情報など客観的には何一つないにもかかわらず、パニック障害患者はきわめて強力なその種の感情を絶えずおぼえている。それはこちらが身をもって知っていることである。しかもその心的作用はホラー映画を見て享受するときのように、ある種のカタルシスを得たり楽しんだりできるたぐいのものではなく、アリストテレスの唱えた心理的機能などそこにはまるで起こらず、あとにはただ疲弊だけが残される。(……)くんや(……)さんはこのとき、日本人形は怖いと話していたが、日本人形もそれ自体にはとりたてて危険な要素はないにもかかわらず、薄気味悪いとか怖いと感じるひとはいくらでもいるだろう。そのあたり先行的に与えられた怪談の知識や印象が、すなわち生まれる前から存在していたフィクションがかかわっている可能性も大いにあるだろうが、日本人形に限らず、恐怖という情や恐怖の対象も、生理的器質的にのみならず、気づかないうちに文化的に後天的に形成されて、みずからとの継ぎ目がわからないほどに主体と同化してしまった部分がかなりあるのだろうと話された。そういう意味で、恐怖というのはすごくドグマ的だと思います、というのが(……)くんの言だ。ドグマという概念はピエール・ルジャンドルが用いているものである。
  • 怖いものはあるかとか、幽霊のたぐいは怖いかとか質問をされた。子どもの頃は普通に怖かったし、テレビでありふれた怪談番組など見ていてもやはりかなり怖かった。我が家のまわりはどこに行くにも基本的には林というか木々の道を通らなければならず、夕刻以降は当然暗いので、子どもの頃は夜道を帰ってくるのは普通に怖かった。小学生の頃は自宅の前の林のなかを毎日通って行き帰りしていたわけだが、暗くなってからそこをひとりで下りてくるのはいつも怖かったおぼえがある。だから毎度駆け足で急いでいたし、なにかのときに祖母に教えてもらった呪文みたいなものを心のなかで何度も唱えながら通っていた。ただそれは、幽霊的なものが怖いということのほかにもうひとつ、蛇が怖いという心もあったように思うのだが。と言って蛇など実際にはほとんど遭遇したことはない。年に一度あるかないかというくらいだったのではないか。
  • 怪談で言うと、小学校四年生くらいの頃だった気がするが、図書館でそのたぐいの本を借りてけっこう読んでいた時期もあったのを思い出した。なぜそういうものに興味を持ち、あまつさえ借りて読みさえしたのか、まったくわからない。記憶に残っているのは、有名な話だと思うが、雪山で遭難した四人が命からがら山小屋にたどりつき、じっとしていては凍死してしまうから動いてからだを温めて乗り切ろうということで、真っ暗闇のなかでもまちがいなく動けるように、おのおの部屋の角に位置取り、壁に沿って走っていった先の角にいる者の肩に触れて交替しながら順番に走っていこう、という趣向のもの。当然、四人だと実際には数がひとり足りず、誰かが二辺分走らなければならないはずなのだが、夜通し全員一辺ずつ走り続け、朝になってからその矛盾に気づき、招かれざるひとりがふくまれていたことが判明するというやつ。たしかすでに死んだひとりが一隊のなかにはいて、その死体を部屋の真ん中に置いて囲むようにして走っていたはずが、まさかそのひとりが参加していたのか……みたいな話だったと思う。あと、これは後年、インターネットに触れるようになってそこで目にしたのだったと思うけれど、「くねくね」の話はかなり怖かった記憶がある。遠くの風景を見ているとなんかくねくねしているなにかがいて、それをずっと見ていると気が狂ってしまうだったか、あるいは目をつけられて追いかけられるだったか、そんな話だったはず。あれは漫画とかで視覚化しないほうがおそらく良く、言語で読んだほうが得体の知れない感じがよく出るはず。はじめて読んだ当時はかなり恐ろしく感じたおぼえがある。
  • そのうちに(……)くんが、恐怖はドグマ的っていう点で、食と似ていると思うんですよね、と言い出した。そこから話は食べ物のほうに流れていったのだけれど、(……)くんがこの見解を披露してからちょっとあとに(……)さんが、さっき、(……)さんでしたっけ、(……)さんが、恐怖と食はどっちもドグマ的で似ているって言ってましたけど、と立ち戻ったときがあり、それを聞きながらこちらは、(……)くんの洞察が俺のものになってしまったぞと思ってちょっと笑い、発言が切れたタイミングでそのように言ってまた笑ったのだけれど、(……)くんは(……)くんでやはり心中笑っていたらしい。しかも(……)くんは先日こちらのブログを読んで、こちらが(……)と通話したときに、『白鯨』のエイハブがアブラハムから来ているという彼の勘違いをなぜか訂正せずにそのまま放置しておいたという記述があったことを思い出したらしく、あ、(……)さん、きっとこれも訂正しないんだろうな、それでそのことをまた日記に書くんだろうなと思い、それで余計に笑えてきたらしかった。笑いの拠って来たる場所が複層的にすぎる! この複雑さそのものがまたひとつ笑える。しかし予想とは違ってこちらはこのときはきちんと訂正をしておいたわけだけれど、それについては、やっぱり他人の知見を剽窃しちゃいけないですからねと言っておいた。
  • で、恐怖と食がどちらもドグマ的だという話なのだけれど、(……)くんが挙げた例としては、たとえばセミって、絶対食えないじゃないですか、食べる気にならないですよね、なんか夏にはそのへんにたくさんいるし、でも、エビって、見た目はセミとあんま変わらないっていうか、殻ついてるし、足もたくさんあるし、エビが自分の部屋の壁とかにいたらかなり気持ち悪いと思うんですよ、しかも身だってプリプリしてますよね、あれだって、基本的にプリプリしてる生き物って気持ち悪いんですよ、イモムシとかそうでしょ、プリプリうねうねしてて、絶対嫌でしょ、食べたくないでしょ、でもエビは、うわ~~めっちゃプリプリしてる~~うまそう~~とかいってみんな喜んで食うわけですよ、というわけで、これには最初から最後まで完全に納得しかなかった。発言の途中途中で、「たしかに」「たしかに」をくり返すことしかできなかったくらいだ。そこから、考えてみたらこれっておかしいぞ? という食べ物をひたすら挙げていくような時間が長く続いたのだけれど、その結果わかったのは、だいたいの食べ物はあらためて考えてみるとおかしい、ということだった。ウニだとか納豆だとかいうのはもっとも挙がりやすく、わかりやすい例である。こちらが言ったのは、先日日記にも書いたのだけれど胡麻で、胡麻油を使っているときに思ったのだけれど、胡麻から油が取れるという事実を発見した人間のその発見の理路がまるでわからないわけだ。そもそもまず自生している胡麻に目をつけて食べはじめたやつの行動原理もあまりよくわからない。めちゃくちゃたくさんの草が生えているなかで、なぜわざわざあんなに小さな種子に注目して食べる習慣を築いたというのか? やはりそれだけ生存環境が苛烈だったということなのか? 草のほうを食べるならまだしも、極小の粒である。おそらくは誰かがあるとき、この粒に注目してなんとなく食ってみたら、まあべつに腹は大してふくれないけどなんかちょっといけるな、ということになり、たぶん仲間にもそれを知らせるわけだろう。で、最初はおそらく採集が主たる方法になり、あの小さな粒をめちゃくちゃたくさん集めておいて、ちょっと口寂しいときにポリポリ食っているわけだろう。そのうちに誰かが、すりつぶしてみたほうがなんかうまくね? ということに気づくわけだ。そこからどれだけ経って、またどういうプロセスで気づいたのかもわからないし、実際に胡麻がどういう行程で加工されるのかも知らないのだけれど、誰かがまた、これは油にできるぞということを発見するわけだ。食文化およびそれにかかわる技術の発展というものは端的に言ってものすごく、日本で言えば驚くべきなのは大豆だろう。大豆とは、物質的な存在としては豆である。そして、具体的な行程をやはりよく知らないのだが、大豆は豆腐になる。原料物質としての豆と、豆腐とのあいだには、外観上、何の共通性もない。誰がいったい、事前知識のない状態で、豆が豆腐になるということを想定できるというのか? 豆は豆腐になる。これはほとんど錬金術的と言っても良いほどの変化ではないか? 驚くなかれ、豆はまた醤油にもなる。そして豆はまた味噌にもなる。すくなくとも食の領域に限って言えば、日本という文化圏のアイデンティティのうち大きな部分は豆によって形成されている。いったい誰がどのようにして、豆が豆腐になったり醤油になったり味噌になったりできるということを突き止めたというのか? おそらくひとりが単独で発見したわけではないのだと思うが、彼らの気づきと思考の道筋がまったく推測できない。
  • そういったもろもろが話し合われるうちに、そもそも米がおかしくないですかという声が上がった。胡麻とおなじような話なのだけれど、なぜわざわざあんなに小さな粒で、しかも籾殻をひとつひとつ取り除いていかなければならないような植物を選んで育てはじめたのか? 粒を収穫するよりも、その下の葉っぱを煮て食ったほうがよほどはやくはないか? したがって、農耕がそもそもおかしい。農耕という発想自体も人類史において革命的なものだったことは疑いないが、その農耕の対象として米を選択したこともかなりおかしい。しかもそのうちに、その米を炊くというプロセスを開発するわけだ。こう考えると食文化ってすげえなと思わざるを得ない。調理の原初的なかたちとはおそらくまずは焼くこと、次に煮ることだっただろう。だから火を飼い馴らし扱うことができるようになったのは神話に語られるとおり人間生活上の最大の革命のひとつだっただろうが、土器を発明してものを煮ることができるようになったことも相当大きかったはずだ。たぶん、人類が煮ることをおぼえてからしばらくは、とりあえず食えそうなものは手当たり次第なんでも煮てみるという実験と試行錯誤の段階があったのではないか。そもそも米の発見にしても、このとき覗いたWikipediaによれば、最古の米栽培の遺跡としていまのところ見つかっているのは中国にある一五〇〇〇年ほど前の遺構だとかあったはずで、また(……)くんによれば、人類種とみなされるものが誕生して以来数百万年の時間が経っているという話だから、数百万年間ものあいだずっと獣を狩ったり木の実を採ったりして生と種を存続させていた我らが祖先たちは、最新の一万年だか二万年だかにいたってようやく米や小麦に遭遇し、農耕という技術を見出し、我々は植物というものをみずからの手で育てて維持することができるぞ、という事実を発見するわけである。で、そこからさらに、それまでの数百万年を考慮すれば指数関数的な加速度でもってさまざまな調理・加工の技術と文化を発展させ、上記のようにその発端はまるで想像も推測もできないようなものばかりなわけで、こう考えてくると食の歴史ってクソ面白いし、人間ってすげえなと言わざるをえないし、食という営みは人類の試行錯誤の莫大な蓄積が惜しみなくそそぎこまれた叡智の結晶ではないかと思った。もうすこし食べ物や食べることに興味を持とうと思う。
  • こういう話は主には民俗学の大きな一分野なのだろうし、他方では考古学にもふくまれてくるのだろうが、民俗学のほうで言えば、河出書房だったかどこだったか出版社を忘れたけれど、「木綿」とか「金」みたいな感じで、人間が文化的にかかわってきた事物を一冊ごとに取り上げたシリーズがあり、けっこう面白そうだなと思っていたのを思い出した。そのシリーズ内に食べ物がふくまれていたかどうかおぼえていないが。黄色っぽい茶色というか薄オレンジというか山吹色というか、そんな感じの色合いの本だったはず。いま検索して突き止めたが、これは「ものと人間の文化史」というシリーズで、法政大学出版局から出ているものだった。すばらしい仕事だと言わざるをえない。ホームページによればいま一八五冊目まで出ており、最新は「柿」。
  • ほかにも話はあったが主なものとして思い出せるのはそのあたり。通話が何時に終わったのだったか忘れたが、そこまで遅くはならなかったはず。次回は三月一四日の日曜日で、課題書はウィリアム・フォークナー/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!』(岩波文庫)の上巻。フォークナーを読むのははじめてだから楽しみ。全集九巻の須山静夫訳『八月の光』も持っているので読みたい。いまWikipediaを覗いたところ、詩も書いてやがる! そうだったのか! また、「1925年、ストーンの勧めでヨーロッパ旅行を思い立つが、その準備のために滞在したニューオーリンズで、シャーウッド・アンダーソンと知り合い親しくなる。彼からの紹介でこの地の雑誌・新聞などに作品を発表し、またこの交友が刺激になって長編小説に着手した」、「1929年、長編第3作にして「ヨクナパトーファ・サーガ」の第1作に当たる『サートリス(英語版)』を刊行した。同年に代表作の一つである『響きと怒り』を完成する。しかし、ここまで作品はほとんど売れず、傑作とされる『響きと怒り』も、当時はごく一部の批評家から賞賛を受けたのみであった」、「以後、中短編とともに、『死の床に横たわりて』(1930年)、『サンクチュアリ』(1931年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)と傑作を発表していくが、当時フランスで紹介されて評価を受けるなどしたものの自国では評判が得られず、生活のために週給500ドルでハリウッド(Hollywood)の台本書きの仕事を始める」、「映画監督ハワード・ホークス(Howard Hawks,1896-1977)と知り合いになり、彼の監督作品『脱出』、『三つ数えろ』などの脚本を手掛けている。そのような状況からの転機となったは、マルカム・カウリーによって1946年に編まれた1巻本の選集『ポータブル・フォークナー』である。この書籍の出版によって、フォークナーは急激に注目され、ほとんどが絶版になっていた著書が次々に復刊、1950年に、ノーベル文学賞(1949年度)の栄誉へと続いていくことになった」とのこと。そうだったのか。ついでに須山静夫のWikipediaも覗いたところ、ハーマン・メルヴィルクラレル 聖地における詩と巡礼』(南雲堂 1999、改訂版2006)の仕事をしている! これは『白鯨』の訳者解説の記憶によれば、メルヴィルパレスチナに行ったときの体験をもとにして書いた長篇詩だったはずで、けっこう気になっていたのだ。この世にはまだまだいくらでも読むものがあるぞ。死んでいる暇はない。
  • そのあとの記憶は特にない。下の記事とヴァルザーを読んだくらいしかしていないと思う。

まず、議会占拠が発生してから数時間にわたってトランプ大統領は何もせず、ホワイトハウスでテレビを見ていたと報じられています。議会が占拠され、上下両院議員は全員がシェルターに緊急避難し、デモ隊が議事堂の周囲を囲むという危機的な状態に対して、何もしなかったのです。

当面は議会警察が対応しつつ、ワシントン市警察(MPDC)が急派されてデモ隊を牽制していましたが、大統領が指示をしないのでFBI(連邦捜査局)やATF(アルコール・タバコ・火器・爆発物取締局)などの連邦レベルの危機管理組織は動きが取れずにいました。それ以前の問題として、デモ隊に対して暴挙を止めよというメッセージすら出していなかったのです。

沈黙を守るトランプに対して、バイデン次期大統領は午後4時に全国中継のテレビで演説を行い、「これは民主主義への挑戦」だとしてデモ隊を激しく非難、同時にトランプに対して「今すぐ、テレビの前に出てきてデモ隊に解散を命じよ」と数度にわたって強く要求をしたのでした。

さすがに沈黙を続けるわけには行かなくなったトランプは、ホワイトハウスの前庭で録画したと思われる動画をツイッターにアップしました。その内容は、デモ隊に対して依然として「この選挙は盗まれた」という虚偽の扇動を続けていたのです。

さらに暴挙の後であるにもかかわらず、デモ隊に向けて「アイ・ラブ・ユー」などと行動を支持するかのような発言を行い、その上で流血を避けるために「静かに帰宅を」促すという中途半端なものでした。つまり現職の大統領が、連邦議会の議事進行を暴力によって妨害したデモ隊に対して、「理解を示した」という前代未聞の状況が生まれたのです。

     *

一方で、デモ隊が解散する前の午後4時半前後から、州兵、FBI、ATFのSWATチームなどようやく連邦の指揮命令系統が動き出して、治安維持部隊が集結を始めました。こちらについては、ニューヨーク・タイムズの伝えるところでは、動かないトランプを横目にマイク・ペンス副大統領が動員命令を出したとされています。

ペンス副大統領は、本来はこの日に行われるはずの選挙結果確認決議の議事進行役ですが、前日に「選挙結果を覆す権力は自分にはない」と言明して、事実上バイデン氏の勝利を認めています。また、デモ隊に対して「法の定めるところにより起訴されるであろう」と厳しく批判するツイートもしています。そして、FBIなどの部隊を動員したというわけです。