2021/2/13, Sat.

 彼が〈契約〉について(協定について)もっている第一のイメージは、ようするに客観的なものである。記号、言語、物語、社会などが契約によって機能しているが、その契約はたいてい隠蔽されている。だから、それを批判する作業とは、道理やアリバイや外観のもつ不都合な点を、つまり社会における〈自然なもの〉すべてを見ぬくということになる。そうして、意味の動きと集団的生活とが基礎をおいている規則的な交換制度を明らかにするのである。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、75; 「契約にたいする曖昧な賛辞(Éloge ambigu du contrat)」)



  • この日は二時から労働だったのに、いつもと変わらない時間に起きてしまったから、あまり猶予がなかった。出勤までのことは特におぼえていない。音読は「記憶」を二〇分ほどしかできていない。
  • 出発したのは一時四〇分。温和な空気で、暑いくらいだった。街道まで出て通りを北に渡ったところでマフラーをはずした。コートとスーツの内の肌に汗ばむ感触があるくらいだったのだ。のちほど、コートのボタンをはずして前を開放することにもなった。風はあったが長く続いても冷たさにまとまらず、涼しさにとどまっている。マスクをつけていたので感じなかったが、草木のにおいが大気に混ざりはじめていてもおかしくなさそうな、ゆるくほどけた空気の質感。
  • 裏通りを行くあいだも肩口や首筋やうなじにずっと温もりが宿りつづける。おりおり、下校する小学生らとすれ違った。「木みたいにでかいうんこ」について話している少年二人がいた。風はここでもいくらかさかるものの、やはり冷気の粒子があらわれず涼しいのみで、線路の向こうでは背の高い草が流れに押され、身を反らして、あかるくさわやかな葉裏の薄緑を見せている。
  • 途中で一軒、ショベルカーのたぐいが出張って解体されている家があった。埃があたりにただよっているのが、光と混ざった空気のかすみのためにわかる。またべつの一軒の脇には家庭菜園的な小区画があり、ネギや、白菜か何か葉物が植わっているが、その端に小さな白梅もたたずんでおり、花が咲いていた。大きめのブーケくらい、との印象をもたらす程度のささやかな低木で、地から生えた照明のように楚々とした姿で、底にかすかな緑をはらんだ白さを灯している。それからちょっと行くと、(……)の枝垂れ桜を遠望した。当然ながらまだ色はない。裸の枝のみが厚く、川面のように女人の長髪のようになだれているが、像がやや煙ってずいぶんとなよやかな様子。
  • 駅のそばまで来ると連れ立って散歩する夫婦やら、コンビニ横で自転車をともなって溜まる女児二人連れやら、バス待ちの手持ち無沙汰そうなひとびとやらが見られる。バス停には制服姿の中学生男女が隣り合っていたが、親密な関係なのか他人なのかわからなかった。駅前ではハイキング姿の中年男性らとすれ違う。
  • 勤務。(……)
  • 五時過ぎには家に着いているつもりだったのだが、なぜかなかなか退勤できない。こちらの働きぶりとしてあまり急がないということもあるだろうが、電話が来たり、なんだかんだとやることがある。それで退勤は五時を過ぎ、しかも電車の待ち時間が相当あって、次のものが六時直前だったので、帰っても七時四五分開始の会議までさしたる時間も残らない。致し方ない。駅に入るとベンチに座ってこの日のことを手帳にメモした。座ったときにはまだ空気は無色透明で、西陽の色ももうないとはいえあかるさが残り、正面に建つ小学校の裏に盛り上がっている丘の、群れなす裸木の枝色がちょっと赤みか紫じみた味をふくんでいるのも見えたくらいだが、メモに切りをつけて顔を上げるとあたりの空間は完全に青さに没しきって黄昏れていたので、色の変化があまりにすばやいなと思った。
  • 帰路は忘れた。帰り着くと会議まで一時間ほどしかない。母親が飯をつくってくれていてもう仕上がる段だったので、会議があるからと言ってはやくもいただいた。食事のあいだのことも忘れた。食べると七時。会議まで三〇分は音読をできるなというわけで、下階の自室にもどると「英語」を読んだ。きっかり三〇分費やし、便所に行ったり隣室にコンピューターを移動させたりしたのち、送られてきていたIDを入力してZOOMにアクセス。兄の部屋の机の上が散らかっていて資料を置きづらかったので、ものを適当にどかしてすっきりさせておいた。
  • 会議は前回と同様、ほぼ(……)さんが喋りつづけて連絡事項や情報を説明・共有するかたち。(……)
  • 話を聞いているあいだはずっと、かたわら脚を揉んでいた。一〇時前に終了。そのまま入浴へ。風呂のなかでの印象は特に残っていない。出てくると一〇時半から日々の書き物。そうして以下の瞬間に遭遇。
  • Elizabeth Shepherd『Rewind』をヘッドフォンで聞きながら昨日のことを記述している途中、スツール椅子に乗っている尻のほうから振動を感じはじめ、手を伸ばすまでもなくすぐ取れるそばに積んである本たちも存在の位相がぶれるようにしてじりじり揺れはじめたので、地震と知れた。知れてからも意に介さず、姿勢を変えずにいたのだけれど、しかし思いのほかに長く続き、微妙ながらだんだんと揺れの度合いが増してきたので、音楽を止めてヘッドフォンを外し、打鍵の指も止めて様子をうかがった。それでいながらスツール椅子を降りず、なんら対処を取ろうとせず、ただなぜか電気ストーブを消したのみで姿勢も変えずに揺れのなかでその感覚を注視して、さかるか収まるか見極めていたのだが、無事、次第にしずまりはじめた。揺れを感じなくなるまでじっと静止していた。一一時九分だった。近年体験したことがないくらいに長い揺れだった。それで、自分の部屋の本が崩れなかったのだからべつに問題はないだろうとわかってはいたが、一応上階の様子を見に行くことにして部屋を出て、階段を上がると、母親は風呂に入っているようで姿がなく、仏間に父親がいたので大丈夫かと声をかけ、ずいぶん長かったなと続けると同意が返った。こちらは洗面所のほうに行き、父親はソファに就いてテレビを点ける。鍵のかかっている引き戸越しに声をかけると母親はすでに風呂を出ていて、地震があっただろうと言うと、気づいたが洗濯機がガタガタいっているせいだと思っていたと返った。それで引き返してソファの横に立ち、あの感じからして東京では四くらいかと思いながらテレビの速報を確認すると、震源福島県沖、マグニチュードは七. 一で、近いところでは震度は六強とあった。東日本大震災から一〇年の節目をまもなくむかえるという言葉を諸所で目にしていた、このタイミングで起こるのかと思った。当然ながら、色々と課題問題はまだまだあるだろうと推測されるとはいえ曲がりなりにもすすんできたはずの復興を台無しにするようにして被害が重なることになりはしないかという暗い予測と懸念を思うが、津波の心配はないと繰り返されていたので、その点はひとまず安堵できるようだった。およそ誰もがいだくような、あまりにもありふれた感慨だと言わざるをえないが、まるで一〇年前の出来事を我々に思い出させるかのようではないか、その出来事が終わっていないこと、本質的に終わりなどしないということを忘れさせまいとするかのようではないか、という思考がおのずと浮かぶのを避けえなかった。父親は前かがみになってソファに就きながら、被害がないといいけどなあ、とかなんとか、絶え間なく色々と言葉を漏らしつづけていた。東京は予想通り、震度四だった。しばらく黙ってニュース画面を注視したあと、我々は(という一人称がおのずから浮かんできてしまったのだが)この瞬間を記録しておかなければならないなというわけで自室にもどり、一二日の文章を中断して先にこの段落だけ書いた。一一時四〇分になっている。
  • 古井由吉は遺稿の最後に、たしかそれまでの文章から段落を替え一行を開けて、自分たちがどこにいるのか知るということは、先祖たちがこうむってきた厄災の影をおのれのうちに宿すことではないのか、というような一文の言葉を書きつけていた。
  • その後はわりとだらだらしてしまったが、深夜になって一二日の記事は仕上げた。三時半からBBCで見つけた音読についての記事を読みだしたものの、眠くなったので四時で切り、就寝。また夜更かしが深くなっているので、消灯をはやめていきたい。

For much of history, reading was a fairly noisy activity. On clay tablets written in ancient Iraq and Syria some 4,000 years ago, the commonly used words for “to read” literally meant “to cry out” or “to listen”. “I am sending a very urgent message,” says one letter from this period. “Listen to this tablet. If it is appropriate, have the king listen to it.”

Only occasionally, a different technique was mentioned: to “see” a tablet – to read it silently.