2021/2/14, Sun.

 彼の夢は(うちあけてもよいものだろうか)、ブルジョワ的な生活様式(いくぶんかは現在もあるし――かつてもあった)のいくつかの〈魅力〉(価値観とまでは言わないが)を社会主義社会に移し入れることであろう。それを彼は〈不都合なこと〉と呼んでいる。この夢には、「全体性」という亡霊が妨げとなっている。その亡霊は、ブルジョワ的なことがらが〈十把ひとからげに〉糾弾されることを望んでおり、ブルジョワ的「シニフィアン」がすこしでも漏れ出たりすると、汚染をもたらす流れ(end76)であるかのように罰せられることを望んでいるのだ。

 (変形された)ブルジョワ文化を〈異国趣味のように〉楽しむことはできないものだろうか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、76~77; 「不都合なこと(Le contretemps)」)



  • 一一時五〇分の離床。半頃に覚めて、しばらく瞑目のままに静止して、臥位の瞑想めいたことをやって肌の感覚を均していた。起き上がるとコンピューターをつけ、背伸びをしながら起動を待ち、ソフトを立ち上げておいてから上階へ。晴れの日。最高気温も一七度とかで、前日に天気予報で明日は四月の陽気になるとか言っているのを聞いたおぼえがあるが、そのわりに寝床にいるあいだに浴びた光はそこまで厚くなかったように思う。とはいえ温かいのはまちがいない。
  • 両親は出かけているようだったが、焼きそばを食っているとじきに帰ってきた。新聞は一面に前夜の地震の報。まだ情報が全然なかったらしく、ほぼ各地の震度が列挙されているのみだった。国際面からはミャンマーで抗議活動が引き続いているとの報を読む。「サイバーセキュリティ法」みたいな、お決まりのインターネット統制策がやはりこの国でも取られるらしく、それに対する反発もあると。アジアだと中国がむろん筆頭で、タイもComputer Crime Actというのを何年か前につくっており、悪名高いと聞いたことがある。ほかにもやっている国はあるだろう。テレビのニュースはもちろん地震について伝えており、そちらもいくらかながめた。怪我人が百何人だったか出たようだが、死者はいまのところ確認されていないようだった。専門家が言うには、今回の地震は一〇年前の東日本大震災における地震活動の余震の範疇と考えられるというので、マジで? と思った。新幹線はいくらか運転休止した様子。
  • 皿と風呂を洗う。風呂桶はなぜだかわからないが、念入りによくこすっておいた。緑茶を持って下階に帰るとNotionを準備し、さっさと音読をしたいところだが先に脚をほぐす気になった。それでけっこう長く、三時までだらだらしてしまう。その後、Thelonious Monk『Solo Monk』をバックにして、一時間、「英語」を読んだ。ストレッチをしながら音読する。マッサージをしながらだと手指が動くので集中の妨げになるが、ストレッチだと筋を伸ばした姿勢でとまりながら読めば良いので、あまり邪魔にならない。音読をしながらできる柔軟姿勢のたぐいを探りたい。あとはやはり単純に、目の前の言葉になるべく注意を向けること。
  • 手の爪が伸びてきていてその固さが鬱陶しかったので、Monkのピアノが流れるなか、ベッドの上で爪を切った。それから、なんとなくギターに流れる。隣室から取ってきて例によって似非ブルース。ただ、今日はあまりうまく行かず。ギターを弾くことを没入的に志向すれば良いのか、自分の全体的な身体もしくは存在感覚のほうを見れば良いのかわからず、半端になって指と思考がうまく動かなかった、という感じ。やはり指の動きに集中したほうがたぶん良いのだろう。ただ、あまり没入すると姿勢が乱れて疲れるのだが。終盤はなんとなく適当にコードを鳴らしていて、それでコード進行をひとつつくった。開放弦のテンションを色々はらんだ曖昧な雰囲気のやつ。Oasisの"Wonderwall"にちょっと似ているかもしれない。以下にメモしておく。コード表記を同定するのが面倒臭いので、タブのかたちで。

E― 0 0 0 0

B― 0 2 3 2

G― 2 2 2 2

D― 0 0 0 0

A― 2 0 × 2

E― 0 × 3 ×



E― 3 0 0 0

B― 3 3 2 0

G― 0 0 2 1

D― 2 2 2 2

A― 3 1 × 0

E― × × 3 ×

  • 一応、上記の二つでAパートBパートのつもり。ただBパートはあまり固まっていないというか、わりとかりそめ。とりわけ三つ目はこれで良いかわからず、Esus4の案もある。Aパートはもうこれで確定のつもり。二弦で単純な往復をするまわりにもろもろの和音が靄のように寄り添うという趣向のもので、こういうやり口はロックやポップスのギターではよくある。つまり、sus2・普通のメジャーコード・sus4の範囲でトップノートを色々動かす手法をちょっと応用したような感じだ。昔、中学生だったか高校生だった頃に、Joe Satrianiのギター教本を持っていたことがあって、たしかそのなかでU2のThe Edgeがこういう手法で歯切れ良くカッティングをするのが得意だとして類似フレーズが紹介されていたおぼえがある。その教本はたしか、当時普及しはじめてまもなかったインターネットを利用し、Yahoo!オークションで買ったものだったはずだ。ちなみに、こちらが最初に所有した安物のストラトキャスターYahoo!オークションで買った一万円台の粗悪品だった。Joe Satrianiの教本のなかではもうひとつ、メトロノームを一分間に60のテンポで鳴らして、一拍に一音、コードもスケールも考慮せずに指と頭のおもむくままにどれかの音を弾く、という、メソッドが紹介されていたのをおぼえている。かならず一拍に一音でなければならない。僕はこれをやるときいつも、音楽の本質みたいなものに触れるような気持ちになる、というようなコメントが添えられていたのもおぼえている。
  • ギターをいじって五時を越えると上階へ。手を洗い、茹でられてあった小松菜を絞って切り分けたあと、米を磨ぐ。蛇口から吐き出され落ちていく流水がまだまだ冷たく、右手の内側で骨の芯まで痛みが響く。そうして、ジャガイモと焼豚のたぐいを炒めてくれと言うので、ジャガイモの皮を剝き、薄めにスライスしたあと小鍋でさっと湯搔いた。湯搔いているあいだに焼豚も切っておき、ジャガイモをザルにあげるとソテーへ。フライパンに引いたオリーブオイルにローズマリーを散らし、芋を投入すると蓋をかぶせながら弱火で焼く。合間はストレッチをして待ちつつ、ときおり蓋を取ってフライパンを振る。そうして芋に香ばしいような焼き目がつき、火が通って内側もわりとゆるくほぐれたと思われたところで、焼豚を加え、胡椒や塩や味の素など振って、フライパンを揺らしながら強火でいくらか煽って完成。焼きそばの残りがあったのでそのまま食事へ。
  • 料理中だったかすでに終えて食膳を用意している最中だったか、配達が来て、玄関からもどってきた母親が言うにはこちら宛だという。その手にはレターパックがあったのだが、心当たりがないのでいったい何かと思っていると(……)、と送り主の在所が述べられたので、(……)くんかと思った。バレンタインデーじゃないの、と続くので、それで(……)くんのほうではなくて(……)が菓子を送ってくれたのだと知れた。クッキーの詰め合わせだった。
  • それから食事。テレビは『バンキシャ!』。地震の報が流されるので、主にそちらを見る。福島県だったと思うが、土砂崩れが起こって道路が七〇メートルにわたって土で覆われたところがあるらしく、その復旧作業が続けられていると。映される町のなかでは、外壁が崩れたり屋根の瓦が剝がれたりしている家が見られ、家屋自体が無事でも棚から本などが撒き散らされたり冷蔵庫が口を開けながら倒れたりという様子もあり、さすがに震度六となればそういう被害は避けられないのだろう。一部運休になっている東北新幹線が全線開通を回復するには、一〇日間くらいかかる見通しだと言う。新聞からは一面の、ファイザー製ワクチンが今日正式に承認されるという報を読んだ。医療従事者への接種は一七日からはじまる見込みとあったか。海外の、四万人だかを対象とした接種データに比べて日本人を対象としたデータは一六〇人分くらいしかないらしいのだが、追跡調査をして実効性や作用を調べていくと。
  • 食事を終えると食器を洗い、茶を用意して帰室。LINEをひらいて菓子の礼を送っておく。ついでに"(……)"の最新版が上がっていたので聞き、さっそく食べはじめた菓子のものと合わせて感想を述べておく。菓子は「赤い帽子」というもので、四種類のクッキーを揃えた四角い缶。販売者は株式会社「赤い帽子」とそのままで、渋谷区にあるらしいが、製造所は「ちぼり甲府」および「ちぼり韮崎」の二つで、どちらも山梨県の住所を持っている。それから今日のことを先に、頭からここまで記した。八時を回っている。
  • 「記憶」を音読。一時間。九時二〇分まで。それで入浴しようかと上階に行くと母親の姿がないので先に入られたよう。炬燵でイヤフォンをつけていた父親(ということはスマートフォンか何かでテレビを見ていたのだろうが、一方で通常のテレビも同時についていたような気がする)に、入ってる、と訊くと肯定が返るので自室に引き返し、前日の記述をはじめた。まだ一言も書いていなかったが、手帳にメモを取ってあったのでそれを参考に記憶を文字に変換していく。一〇時半まで綴ったところで中断して風呂へ。
  • 湯のなかでは瞑想じみて静止する時間を長く取った。それはやはり良い。最近瞑想をできていなかったが、やはりきちんと時間を取るべきだなと思った。入浴中もだいたいそういう時間にしたい。それでけっこう長く入ってしまい、出ると一一時半だった。部屋にもどり、歯磨きしてちょっと休んだら書き物などしようと思っていたところが、ベッドに転がったのが運の尽きでずいぶんだらだらしてしまった。あっという間に午前二時である。そこから昨日の記事をすこしだけ足して完成させ、これを投稿するとともに二〇二〇年七月一二日の記事も投稿。昨年中には下書きみたいな記録だけしておいてあとで正式に書こうと思いながら書けず仕舞いに終わった日がいくつもあって、そういう日はもう下書きのままで投稿することにしたのだが、ずっと忘れていてその穴埋めが一向にすすんでいない。ブログに最新記事を投稿するついでに過去の記事も一記事ずつ上げるようにできたら良いのではないか。
  • それで二時半過ぎ。消灯もはやめていかなければいけないし、なるべくはやくコンピューターを落としてデスクをはなれたほうが良いと思いながらも、書抜きも日々やっていかないといつまで経っても片づかないというわけで、熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)の記述を写した。一箇所だけなので一五分で終わり、するとコンピューターをシャットダウンしてベッドへ。新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹』(鳥影社、二〇一〇年)を読む。はじめは縁に腰掛けていたのだが、じきに臥位になり、すると眠気が降りてきて目と意識の動きが危うくなったので、三時半過ぎで消灯・就寝した。