2021/2/17, Wed.

 なまの状態とは、食べ物とおなじく、言語にもかかわっている。この(「貴重な」)両義性から、彼は自分の昔からの問題をふたたび取りあげる方法を見出す。〈自然なもの〉という問題である。
 言語活動の場においては、デノテーションは、実際にはサドの性的な言語によってしか実現されることがない(『サド、フーリエロヨラ』を参照)。それ以外では、言語的な人工物にすぎない。したがってデノテーションは、言語活動においては純粋で理想的で信憑性のある〈自然なもの〉という幻想をいだくのに役立つのであり、また食べ物の領域においては、「自然」というやはり純粋なイメージである野菜と肉のなまの状態に相当するのである。だが、食べ物と言葉のこのような純粋状態を(end81)〈維持することはできない〉。なまの状態は、ただちに記号としてみずから取りこまれてしまうからである。なまの言葉とはポルノ的な(愛の悦びをヒステリックに演じる)言葉であるし、なまの食物とは文明社会の食事における神話的な価値か、日本の膳の美的な装飾でしかない。それゆえ、なまの状態は、偽 - 自然という忌むべきカテゴリーへと移行する。そういうわけで、言語のなまの状態と肉のなまの状態にたいする大いなる嫌悪が生じたのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、81~82; 「二つのなまの状態(La double crudité)」)



  • 一〇時半頃に確定的な覚醒を得た。それ以前にも何度か覚めてはいる。顔に太陽光をじりじり浴びながらこめかみと眼窩をマッサージする。そうして一〇時五二分に起き上がった。滞在はほぼ七時間。ベッドにとどまる時間はだいたい七時間から八時間のあいだにおさまるようになってきており、九時間台に入ることはなくなったから、なんだかんだ言って悪くない体質になってきているのではないか。
  • 部屋を出てトイレに行ったが、入っているらしく鍵がかかっていたので、いったん上階のトイレへ。用を足してくると自室に引き返して瞑想。ちょうど一一時から一五分。起き抜けとからだがほぐれているときとでは、やはり呼吸の感覚が違う。起きたばかりだとまだ肉が硬いので、息を流すにも余計に力がいるのがわかる。今日も風が吹いているようで、遠く、おそらく川の上を木々の壁に沿って響くものかと思うが、うなりが聞こえた。快晴ではあるものの、雲もいくらか散発的にある。というのも、寝床にいるあいだ、顔に送られる陽射しがかげる時間がややあったからだ。
  • 上階へ。母親がカレーをつくってくれている。それなので、ジャージに着替えると先に風呂を洗った。窓をすこしあけると流れこんでくる空気の質感が、あきらかに昨日おとといよりも冷たく締まっている。蓋の端のほうがぬるぬるしていたのでまずそれをこすった。そして浴槽を洗うと、マットを漂白したとかいうので最後に水をたくさんかけて流しておく。出ると食事。まもなく父親が帰宅。新たな職場に書類提出かなにかに行っていたようで、スーツ姿だった。新聞からまず、イラク北部のクルド自治区アルビルでミサイルだかロケット弾だかの攻撃があり、米兵が死傷との報を読んだ。親イラン派勢力の仕業と目されているようだ。ブリンケン米国務長官が「激怒している」と述べたらしい。もうひとつ、トルコに亡命しているウイグル人が強制送還などの扱いを受けている可能性、との記事。トルコは以前は中国のウイグル弾圧を批判していたようなのだが、エルドアンが国内のイスラム化をすすめる関係で欧米と対立したり、また「一帯一路」にも参加して中国との貿易額がたしか一〇年くらいで二〇倍になったりして、いまはウイグルのひとびとを容認しなくなってきているらしい。トルコの市民権も持っていた女性が母親の介護か何かで故郷に帰ったときに拘束されても何もしなかったり、テロ疑惑でウイグル人を逮捕したり、ということがあるらしい。だいたいは数か月間拘束したのち、起訴せずに釈放するという。また、去年の一一月だったかいつだったか忘れたが、中国の対ウイグル政策を批判していたウイグル人のひとが銃撃されるという事件もあり、事情通は中国の組織がかかわっているのはまちがいないと見ているらしい。
  • 食事を終えると母親の分も食器を洗う。母親は勤務。こちらもそうだが、あとで米を新しく磨ぎ、サラダに卵を混ぜておかなければならない。緑茶を用意して帰室。コンピューターを持ってベッド縁に腰掛け、さっそくボールを踏みながらNotionを準備し、そのまま足裏を刺激しつつウェブを見た。一時間。ちょっと長くしすぎた感。一時二五分から昨日のことを書き足して仕上げ、投稿し、次いで今日のこともここまで記して二時二〇分。わりと悪くない感覚ではある。現在に集中もしくは密着するというのがどういうことなのか、体感として以前よりもわかりつつある。
  • それから「記憶」を音読。英語が続き、日本語がないゾーンだ。もろもろのウェブ記事からの引用。一時間読むと、三時二〇分に至った。柔軟もしくは調身へ。たしか最初に、ベッドに足先を乗せて脚の裏の筋を伸ばしたはず。それか、両腕を天に向けて伸ばしながら左右にからだを傾けたりひねったりして、脇腹や腰や背骨のまわりを和らげたと思う。これも有効なので、おりにふれてやったほうが良い。また、柔軟をするときは音楽をかけず、自分のからだの感覚に傾注するようにしたほうが良いなということも再確認した。それでいつもの四種をおこなう。これにかんしても、最初からあまりぐいぐい伸ばそうとせず、軽い負担をかけた状態で静止し、筋がだんだんと、おのずから柔らかくなっていくのを待つのが大事だということを思い出した。要するに、これもポーズを取ったかたちでの瞑想としてやるということ。実際、ヨガってたぶんもともとそういうものだったのだろう。
  • 四時まで調身すると上階に行って食事。昨日つくった炒め物が残っていたのでそれをおかずに米を少量食う。米は炊飯器に残った最後のあまりだったので、食後、新しく磨いでおき、シーチキンを混ぜたサラダにもゆで卵とマヨネーズを足してかき混ぜておいた。そうして帰室。歯磨きのかたわら、ひどく久しぶりで過去の日記の読み返しをした。過去日記の読み返し兼検閲もさっさとやっていかないとまずい。この日も職場からメールがあり、見れば他の地域で講師のSNSを生徒が相互フォローで見られるようになっており、問題になったとかいう話があったのだ。まったく面倒臭くて鬱陶しい世の中だが、個人情報に最大限配慮した検閲を施していかないと、もっと面倒臭いことになりかねない。さしあたりは昨年中の記事だ。昨年の途中までは勤務中のことも名前を伏せながらではあるものの公開していたのだが、読むひとが読めば書き手がこちらだとわかるはずで、バレたらたぶん普通にクビになるだろう。べつにクビになったって構わないが、面倒臭いことは避けたいし、かけなくても良い迷惑を他人にかけないに越したことはないだろう。
  • 一年前の記事を読み返すとともに検閲。コロナウイルスにかんしては、「新聞の一面に目を落とすと、東京都内の医師が一人、新型肺炎に掛かっているのが発覚したと報じられていた。多分もう結構広がっているのではないかという気もする。これから続々と感染者が増えていくのではないか」、「中国は湖北省にいる在留邦人を帰国させるためのチャーター機第五便も、出発しただか到着しただかという報道もあった」、「テレビのニュースは無論新型肺炎関連の事柄を伝えており、都内の屋形船で催された新年会に参加した人々の感染が続々と発覚している、狭い密閉空間内でウイルスが伝染したのだろうとのことだった」とのこと。あと、「原初にて猿の交わした愛こそが今いる俺の悲劇の起源」という一首をつくっている。ありきたりな発想で特に凝ってもいないが、なぜか意外と悪くない。
  • 2020/1/3, Fri.も。「テレビはニュース。先ほどからTwitter上でセンセーショナルに伝えられていたが、米軍の攻撃によってイラン革命防衛隊の司令官が殺害されたと」。
  • 四時四六分まで日記を読み返し、それから支度。スーツに着替え、荷物を用意して予定を確認すると上へ。コートを羽織り、灰色のマフラーも首に巻いて、コートの襟の内側に包むようにしておくと出発。風が激しく荒れている夕時だった。林の高みで木々が乱暴に揺らされて大きな鳴りを落としている。道にはデイサービスの車が停まっていて、ちょうど(……)さんが補助の女性にともなわれながら降りてきたので、こんにちはと挨拶をした。そうしてすすんでいく。とにかく風が強いのでかなり寒いが、ただそのわりに、ぶち当たってくる空気があまり重くないというか、鋭く刺してくるほどの冷気ではなく、けっこうすぐに滑って通り抜けていくような感じを持った。空は淡い晴れ。南のほうには青と紫と茜色が複雑に混ざってごった返した雲の地帯がいくらかあった。坂を上るあいだも風は狂う。木々に囲まれているはずなのに、なぜか下の道よりも苛烈なくらいで、杉の枝葉が緑をとどめたものも茶色く香ばしいように焼けきったものも合わせてあたりにたくさん散らかっている。駅の階段にかかると西空の下端にまた雲がひとつ湧いていたが、今日は地上の風のわりに南に流れていくスピードはそれほどでもない。ホームに入るとベンチに就いて一、二分待ったが、そのあいだも暴虐的な強風につつまれてからだが冷える。
  • 電車に乗ると瞑目して体熱を回復。着くと降りて駅を抜けた。駅前には中学生くらいの男子の一団がおり、彼らが何か、ヒップホップだったか電子音楽だったか忘れたが、なんかクラブ風味の音楽を流していて、この田舎の駅前でそういうイケイケな音を発している子どもらを見るのはめずらしいなと思った。職場に行って勤務。
  • (……)号令をやることになったが、まだやはりけっこう緊張する。以前に比べると度合いは小さいし、声を出すのが辛くなるほどではないが、からだの芯が絞られるような引っかかりは感じる。やはりとにかく人前に出て複数人の目にさらされるというのが苦手らしい。
  • (……)
  • 八時一三分くらいに退勤。駅に入り、ちょうど来た電車に乗車。遅れているらしかったが、むしろ瞑目して休む時間を余分に取れるからありがたいくらいだ。HPを回復させながら待ち、降りると夜空は晴れているらしく、細い月の切れこみが北のほうに見える。帰路も馬鹿げたくらいに風は荒れていた。それで相当寒く、今冬一の寒さではないかと思うほどだが、しかしそれは風のせいで、空気が停まっていればそこまでではなかっただろう。坂に入ったあたりでは執拗に、愚かしいまでに、厚い流れが駆けまわって木々が無理やり騒がされていたが、なかほどまで来るとしずかになった。それでもやはり、すこしでも空気が動けば途端に顔に白いような冷たさの擦過が生まれるくらいには気温は低い。
  • 帰宅するともろもろ済ませて自室に帰り、服を着替えて休息へ。休息しながら(……)くんからもらった彼の小説を読んだ。PDFで六ページほどの短いものだったので、一気に読んでしまった。感想は別途書いて送るつもりなので、ここには述べない。それで九時半過ぎで上階へ。食事。カレーの残りなど。父親はタブレットか何かで自分ひとりの世界に入りこんで、ぶつぶつ言ったりなんだり反応している。酒を飲んだらしい。(……)
  • それから入浴へ。一〇時半からWoolf会で、すでに一〇時一五分くらいだったのでゆっくり浸かっている暇はなかった。(……)
  • (……)
  • 風呂を出ると下階にもどって兄の部屋に移動してWoolf会。すでに(……)くん・(……)さん・(……)さん・(……)さんの姿があり、(……)さんものちほどやってきた。こちらが入ったときには、『文學界』の月評で評する側の文言がいくらか削除された、という件の話がされていたようだ。いま検索してみると、この、削除されたと訴えている書き手というのは荒木優太で、このひとは在野の研究者もしくは批評家としてここ数年だんだん知名度が上がってきているという印象があり、エリック・ホッファーを絡めて大学や組織に属さずに研究活動のたぐいを頑張ることについての本も出していたはずだ。しかしいまのところ、この件にかんして詳しく読んだり、経緯を調べたりしようというほどの興味はこちらにはない。その話はすぐに終わり、まもなくTo The Lighthouseを読むことがはじまった。今日の担当は(……)さん。今回はWilliam Bankesが湾に臨んで遠くの砂丘をながめながらRamsayとの友情のことを考えている段落の後半。"After that, Ramsay had married."から、段落の終わりの"among the sandhills"まで。
  • 途中でthe pulp had gone out of their friendshipという言い方があり、このpulpをどう訳すかは難しいですね、と話し合われた。辞書を見ると、「果肉」とか「髄」という意味があるらしい。だからエッセンス的なイメージで、なおかつどろどろとしているような、液体に近いニュアンスなのだろうと。岩波文庫は「気が抜けたような味気ないものに変わってしまった」と訳している。味気なくなったというのは、「果肉」から連想されるようなみずみずしさがなくなったという点を踏まえているのだろう。
  • あとはめちゃくちゃ難解というほどのところはないと思うが、there is構文でthereとwasのあいだに長い挿入を入れ、後半もうしろから修飾を足す最後の文など、記述のリズム、情報の提示の順序がやっぱりうまいですね、などと話された。こちらとしては、この段落もしくは場面において、みずみずしいものと乾いたもしくは硬いものとがかわるがわる出てきて対比的になっているように見えるのが気になった。まずもって目の前にひろがっている湾と、その先に望まれる砂丘がおそらくその対比の基礎ではないか。ほか、pulpはみずみずしいもので、二人の友情からはそれが抜けて干からびるように形骸化してしまったわけだし、イメージにおいても、peatのなかに横たわっているa young manのlipsはfreshだとされている。
  • 今回はけっこうはやばやと本篇が終わり、次回以降の担当を決めたあと(こちらは次の次、The Ramsays were not rich, からAndrew brainsまでとなった)、『イギリス名詩選』へ。今回は(……)さんが詩を選ぶ番だった。それで彼女は予習をし、個人的に訳しても来たらしい。ところがその詩というのが九五番のSiegfried Sassoon, "Everyone Sang"で、これは以前(……)さんが選んですでに読んだものである。(……)さんはそのときの会には欠席していたのだ。それでこれもうやりましたよとなったのだけれど、これが良い詩なので、せっかくだしもう一度読もうと決まった。以下に全文を引く。

Everyone suddenly burst out singing;
And I was filled with such delight
As prisoned birds must find in freedom,
Winging wildly across the white
Orchards and dark-green fields; on - on - and out of sight.

Everyone's voice was suddenly lifted;
And beauty came like the setting sun:
My heart was shaken with tears; and horror
Drifted away ... O, but Everyone
Was a bird; and the song was wordless; the singing will never be done.

  • 上に引いたのは、いちいち打ちこんで写すのが面倒臭かったのでPoetry Foundationからコピーしてきた詩句だが、『イギリス名詩選』と比べるとこまかいところの符号の打ち方など多少の相違があるので、そちらの版も示しておく。

Everyone suddenly burst out singing ;
And I was filled with such delight
As prisoned birds must find in freedom
Winging wildly across the white
Orchards and dark-green fields ; on ; on ; and out of sight.

Everyone's voice was suddenly lifted,
And beauty came like the setting sun.
My heart was shaken with tears ; and horror
Drifted away . . . O but every one
Was a bird ; and the song was wordless ; the singing will never be done.

  • 全体的に『イギリス名詩選』の表記のほうがこちらは好きだ。とりわけ、”O but every one"はこうでなければ駄目だろうとすら思う。ここは"Everyone"と一語にせず、わざわざ分割したほうが圧倒的に良いと思う。
  • Siegfried Sassoonというひとについては何も知らないが、註による背景情報としては、第一次世界大戦後の「戦争詩人」だと言われており、この詩も終戦をむかえたときのことを歌っていると言う。正直に言って、クソ良い詩だと思う。特に、"Everyone's voice was suddenly lifted, / And beauty came like the setting sun."の二行と、"O but every one/Was a bird"の部分。高まる歌声のなかで、美が、やって来たのだ、落日のように! そしてそのとき、誰もが、鳥だったのだ! 完全にすばらしい。暗唱できるようになりたい。
  • その後は雑談。(……)
  • (……)いずれにしてもそこから小説とはなんぞや、みたいなことについてちょっと語られて、こちらも多少発言したが、大したことは言っていない。ただその流れのなかで(……)さんに、エッセイと小説の違いってなんなんでしょうと問われ、それは難しい問題で、古井由吉なんてどっちなのかわからないですからね、でもまあ基本的にはやっぱり、物語があるかどうかじゃないですか、とかなんとか内容のないことをこたえていると、(……)さんがくわわって、こちらよりも良い回答をしてくれた。彼女が今回実際に小説を書いてみて感じたことには、エッセイよりも小説のほうが自己を消したり、自分をより良く相対化したり、自分から離れていけるという感じがあったようだ。エッセイとして文章を書くと、どうしても自分自身から離れていけず、自己相対化をして冷たい分析を自身に向けても、どう、わたしってこんな風に自分を突き放して見れるの、という気取りみたいなものを自分で感じてしまうと言う。わかる話だ。露悪的な告白としての気味が出てきてしまうわけだろう。こちらも日々の書き物をはじめて三年目くらいまではそういった自意識のニュアンスを、(……)さんがいつか言っていた表現を借りれば親の仇のごとく憎んでおり、色々と苦慮したり苛立ったりしていた。そういうわけで(……)さんとしては、エッセイよりも小説のほうがかなり自由に書けるという感覚があったらしい。もしそこに自己を投影するにしても、気取りとしての冷たさを突き抜けて、ユーモラスな突き放しにまで行ける、と。こういう話はたしかにわりと納得が行くもので、エッセイだとどうしても、文章の語り手、もしくはそれを語る「声」が作者のものとして見なされてしまうし、書き手の意識としてもそこが大部分一致してしまうのではないかと思うが、小説においては、作者と語り手もしくは語りの「声」は一致しない(ことによると決して一致しないのかもしれず、そのあいだの距離や齟齬や空隙や摩擦によって生かされているのが小説という言語形式なのかもしれない)。自己の生活に最大限忠実ないわゆる私小説だとしても、そうだろう。作者はそこで必ず、語り手として語らなければならない。語り手としての存在を、語り口とその「声」をつくり上げなければならない(加工し、仮構しなければならない)というのがエッセイなどと比較したときの小説のポイントなのではないか。
  • それにしても、(……)くんもやたらそういう風に持ち上げてくれるのだけれど、この会合において、こちらが小説とか文学とかいうものについてよく知っている、たくさん読んできているし、よく理解している造詣の深い人物である、みたいな立場になってしまっているのは、どうもあまりよろしくない。第一、色々偉そうなことは言っているけれど、こちらは小説作品を自分で書いたことはまったくないのだ。短い断片をほんの少し書いたことがあるだけだ。
  • その他、文芸における同人誌文化について。(……)そこでの議論が壮絶というか、誰もみなヒートアップして罵倒をぶん投げ合うみたいな激しさで、泣きながら出ていくひとなどもいたと言う。しかもそのあと、ちょっと経つともどってくるらしいのだが。同人誌と言ってもけっこう真面目にというか、かなりガチでやっている方面で、講評の場はそんな感じだし、掲載する文章にしても皆の投票で決め、さらになぜこの作品が掲載されるに値するのかという理由の説明および講評会のポイントを絞った要約まで付されているというつくり方だったらしい。そういう、ガチガチに真剣に戦い合うような同人誌的文化が(……)さんはけっこう好きだったらしく、いまはもうそういうのが衰退してしまった感じですよね、あれを復活させないといけないと思うんですけど、と言っていた。句会とかにはまだそういうのが残ってるんじゃないですかね、とこちらは受けた。以前、(……)さんから句会の様子を聞いたときの話が、ちょっとそういう殺伐とした雰囲気だったような気がするのだ。
  • (……)
  • 二時前にこちらは退席。自室にもどったあとは書抜きを少々やり、それから、もう就床までの猶予時間もすくなかったが、なんとなくTo The Lighthouseの翻訳をやりたい気になった。というか、日々の書き物以外に言葉に集中する時間を取りたかったというのが正確なところで、詩か翻訳かだが、昨日は詩をやったし、それなら今日は翻訳をやるかというわけだった。それで二時半から三時過ぎまで三〇分のみ取り組む。ただ、なぜか冒頭から読み直して多少修正するのみでその三〇分が尽きてしまった。こんなことをやっていたらいつまで経っても先にすすめないのだが、仕方がない。下の部分まで。今度から、改稿前を先にコピーペーストしておいて、どこをどう変えたかがわかるように記録しておこうと思う。

 たったこれだけの言葉が、息子にとってははかりしれない喜びをもたらすことになったのだ。まるで、遠足に行けるということはもう間違いなく決まり、幾星霜もと思われるほど楽しみに待ち焦がれていた魅惑の世界が、あと一夜の闇と一日の航海とをくぐり抜けたその先で、手に触れられるのを待っているかのようだった。彼は六歳にしてすでに、ある気持ちを別の気持ちと切り離しておくことができずに、未来のことを見通してはそこに生まれる喜びや悲しみの影を現にいま手もとに収まっているものにまで投げかけずにはいられない、あの偉大なる一族に属していたのだが、その種の人びとにとっては

  • そのあと、本当は書見をしたかったのだが、なんだかもう疲れていて気力がなかったので、訳文を考えながら歯を磨いたあと、そのまま消灯して眠りへ。考えていたのは"since to such people even in earliest childhood any turn in the wheel of sensation has the power to crystallise and transfix the moment upon which its gloom or radiance rests,"の部分で、いまはこれが、「そういう種類の人々にあっては幼年期のもっともはやいうちから、すこしでも感覚が変転すればただそれだけで、陰影や光輝を宿した瞬間が結晶化して刺しとめられてしまうものなので」となっている。しかし、「~にあっては」という言い方はちょっと硬いし、ここは一般的なtoの訳語である「~にとっては」とするかと思ったのだった。しかしそうすると、そのあとの言い方をうまく調整しなければならなくなる。つまり、「~にあっては」という言い方にしていたのは、any turn in the wheel of sensationをそのまま主語として名詞的に訳すのが難しかったからなのだ。しかしこの部分も、せっかくだからwheelのイメージをそのまま反映させたいなと思った。いまは「変転」という言い方でかろうじてturn in the wheelのニュアンスを出しているつもりなのだが、もう「感覚の車輪」などとして、「車輪」という比喩語をはっきり言ってしまいたい。ただ、sensationのニュアンスが掴みづらく、知覚器官による「感覚」もひとつにはあるようだが、それよりもここでは漠然としたなんらかの「感じ」、「幸福感」とかいうときの「感」に近いのではないか。ここではあきらかに、Jamesの気持ち、感情に寄った文脈になっているわけだし。そして、いままで特に気にせずに、its gloom or radianceのitsというのはthe momentの、という理解でいたのだけれど、そうだったらなんでわざわざupon whichなどという言い方をしなければならんの? という疑問もあいまって、このitsは(any turn in the wheel of)sensationを受けている可能性もあるのでは? と思ったのだった。もしそうだとすると、gloomは「陰影」よりももっと心情に寄せた語にしたほうが良いのではないか。gloom or radianceがsensationを受けているというのはちょっと苦しい気もするのだけれど、いずれにしても「陰影」よりももうすこし感情的な方向の表現に変えたほうが良いかもしれない。と、そういうようなことを考えながら歯を磨いていたのだった。