2021/2/21, Sun.

 彼は、独占的な関係(所有欲、嫉妬、いざこざなど)を望んではいなかった。広げられた共同体的(end85)な関係も望んでいなかった。彼が求めていたのは、そのつど特権的になる関係であった。繊細な差異によって特徴づけられる関係であり、類い稀なきめをもった声の抑揚のように、まったく独特な感情的抑揚のような状態になった関係である。そして逆説的なことだが、この特権的な関係をふやしていくのに、彼はいかなる困難も感じなかった。ようするに特権があるだけなのだから。こうして友情の領域が、二重の関係でいっぱいになった(その結果、大いなる時間の浪費となった。友人たちひとりひとりに別々に会わなければならなかったからだ。グループや仲間やパーティーへの抵抗である)。求められていたのは、平等でも無 - 差異でもない複数性なのであった。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、85~86; 「特権的な関係(La relation privilegiée)」)



  • 「平等でも無 - 差異でもない複数性」。
  • はやい時間からわりと良い感じで目覚めていたところが、起床にいたれず結局一一時二〇分。滞在は八時間を越えた。今日は日曜、休日なので、それでもまあ良い。南から寝床に舞い降りてくる陽射しは生き生きとしている。夢をもろもろ見た。ひとつには(……)や(……)やそのほかのひとびともまじえて、旧居を引き払いに行くみたいなものがあった。引き払いに行くというか、すでに引き払ったあとの建物をなぜか訪れるみたいな感じだったかもしれないが、その建物というのがいかにも年季の入った雑居ビルみたいなもので、コンクリートのままの鈍い灰色にかこまれた狭くて暗い通路や階段の記憶が残っていないでもない。それ以前には何か運動会的な夢もあった気がするが、それについては忘れた。
  • 起き上がり、トイレに行ってきてから瞑想。今日は一三分で切り上げてしまった。ひとつには脚があまりうまく嵌まらなかったためであり、もうひとつには花粉が飛びはじめたから鼻水が湧いて静止にとどまるのが難しかったためである。それでもからだの感覚はけっこう悪くなかった。上階へ行き、母親に挨拶。お好み焼きを焼いたと言う。台所でそれを用意したりしていると、(……)の(……)さんについての話があったが、これは面倒臭いのであとで記す。
  • 食事。テレビはニュース。アメリカはコロラド州デンバーで、飛行機のエンジン部分の部品が住宅街に落下したという事件があり、屋外から入ってきた父親は地上に落ちた輪状のパーツの大きさに驚きの声を上げていた。けっこう色々たくさん落ちたらしく、各所に散らばったようで、屋根に穴が空いてしまった家なども映されたが、幸い怪我人はなかったらしい。新聞からは書評欄を見る。入り口では西加奈子がトニ・モリスンのデビュー作を紹介しており、その横、「始まりの一冊」というシリーズには加藤徹という中国の文学や文化の研究者が文を寄せていた。この名前はつい先日にもどこかで見かけたおぼえがあるのだが、それがなんの機会だったかは思い出せない。このひとは京劇を中心に研究してきたらしく、二〇〇一年だったかに出した最初の単著(その前に、嘉藤徹という名義で歴史小説を出したとかいうが)は中公叢書の『京劇』で、サントリー学芸賞を取ったと言う。京劇というものについて何も知らないが、「ペキン・オペラ」と英語では呼ばれる中国の伝統演劇で、日本でいうところの歌舞伎みたいなものであり、西太后から毛沢東まで歴代の統治者にもはまった人間がけっこういるようだ。周恩来はもともと京劇の女形をやっていたひとで、梅蘭芳という女形役者の劇団がはじめて海外公演をするとき、日本に送りこんで文化的アピールをしかけたとか。近代中国の知識人、清末から辛亥革命を通ってきたようなインテリ連中には、京劇は中国の後進性を体現するものとして不評だったらしいのだけれど、日本では芥川龍之介がその脚本に斬新な文学性を見出して、胡適に京劇改革を助言したとかいうし、与謝野晶子梅蘭芳の劇団にはまっていたらしい。芥川龍之介胡適ってつながりあったんか、と思った。
  • トニ・モリスンのデビュー作というのは、『青い眼が欲しい』というやつだった。加藤徹の『京劇』は二〇〇一年ではなくて二〇〇四年。
  • 書評欄本面に入ると、いよいよ中島隆博が本を紹介している。クリストフ・ゴダールみたいな名前のひとの、仏教、ダーウィン、なんとか、みたいな書。人文書院。日本の近代宗教思想のなかに進化論がどのように受容され、消化されたか、というような内容らしい。もともと、キリスト教的下地がない日本にはダーウィンやスペンサー流の進化論は抵抗なく受け容れられてひろまっていったという粗雑な通説があるらしいのだが、それがまったく誤りだということがこの本を読むとよくわかるとのこと。左側のページの上では、苅部直保坂和志の『猫が来なくなった』だったか、そういうタイトルの本を紹介していた。ここで保坂和志の「私」は、猫の行動を人間の比喩として書くことを私はやめたと宣言しており、猫を理解可能なものとしてとらえようとすることを放棄したらしいのだが、それによって逆説的に、猫とひとのあいだに共存的・共有的なコミュニケーションが成り立っていることを描いている、というような評価。
  • 中島隆博が紹介していたのは、クリントンゴダール/碧海寿広訳『ダーウィン、仏教、神 近代日本の進化論と宗教』だった。この訳者のひとの解説も読み応えがあると中島は言っていた。Amazonの紹介によれば、著者は一九七六年オランダ生まれ。いまは東北大学にいるらしい。「著書に「日蓮主義と日本主義との衝突―日中戦争期における東亜連盟運動」、石井公成監修、近藤俊太郎、名和達宣編『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館)、“Nichirenism, Utopianism, and Modernity: Rethinking Ishiwara Kanji’s East-Asia League Movement,” Japanese Journal for Religious Studies, 42/2、など」とあるが、めちゃくちゃ重要そうなテーマではないか?
  • 食器を洗うと風呂場に行き、浴槽をこする。排水溝のカバーに溜まった毛も取り除いておく。出ると洗面所でうがい。そうして緑茶を用意して自分の部屋に帰還。Notionで昨日の日課記録を完成させ、今日の記事も作成すると、そのままこの文章を書きはじめ、ここまで綴ったところでいまは一時半を越えている。天気は非常に良く、穏やかながらとてもあかるい光が空気全体に染み渡っており、最高気温はたしか二一度くらいまで上がるとかいうからもう春の気候である。花粉はたしかに飛んでいる。くしゃみの回数が増えたし、鼻もおりおりムズムズくすぐったく、目も先ほどはちょっと痒かった。
  • 今日はウェブ記事を読むことに。Evernoteにログインし、「あとで読む」というノートに手当たり次第にメモされた膨大なURLのなかから、一番下のほうにあった晶文社のサイトのものを適当に選ぶ。それが以下。

 2017年04月30日から2017年06月11日まで、千代田区の、「アーツ千代田 333メインギャラリー」で、「佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』」が開催されました。板に木炭で植物を描いた作品はおよそ100メートルに及び、展示の方法も類を見ないものでした。そして、今も佐藤さんはこの続きをたんたんと描き続けています。展覧会を一区切りとしたわけではなく、展覧会から何かが始まってしまったということです。本連載は、佐藤さんの展覧会を起点に、文化人類学者の中村寛さんに疑問を投げかけていただき、「絵を描くこと」や「絵を見ること」「人はどうして芸術的なものを欲してしまうのか」など、世界についての様々な疑問について、語っていただく場といたします。

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 インド生まれの文学者、アミタヴ・ゴーシュが2016年の著作『Great Derangement』のなかで、今世紀最大の問題として環境破壊と気候変動とをあげたうえで、SFやエッセイの形式以外で、この問題を正面から取り上げた文学作品がほとんどないことを指摘します。アートも文学もこの問題に取り組まず、その結果、文化表現の重要な役割のひとつである、迫りくる見えにくい問題への知覚や認識を促す役割を担わず、気候変動は思考不可能なものになりつつある。海面上昇の末に住める土地が減り、生命圏の在り方が劇的に変更を迫られたあとに生存者がいるならば、「自覚的であること」に大きな価値を置いてきたはずの20、21世紀のアートや文学などの表現を見渡して、「大混迷(大狂気)」の時代と振り返るだろう――そう述べるのです。

 読みながら、なるほどと思いつつも、でも、宮沢賢治の文学はどうだろうか、賢治の詩や物語は、人間でない存在、眼に見えない存在を、言語表現のうちにエージェントとして立ち上げなおすことに成功したのではないのだろうか、と思ったのでした。あるいは、宮崎駿のアニメはどうだろうか。『となりのトトロ』の世界は、賢治の世界観の継承ではないのだろうか。人間だけに意識があるのではないことを、説明するのでも、分析するのでも、説得するのでもなく、ただ、そのようにある世界として、描写してみせたのではないのだろうか。そんなことを思ったのです。

 この十年間ほど人類学は、非人間の存在を記述のうちに再生しようとすることに躍起になっています。物との関係があらためて注目されたり、アニミズムが再考されたり、科学技術との切り結びのなかで「自然」の概念の解体が唱えられたり、存在論的転回と呼ばれる一連の流れのなかで、人の織り成す意味世界からだけではなく、人間種の生成変化を捉えようとする動きなのだと理解しています。あるいは、そのような理解もまた、僕が人間中心主義から抜けられないから出てくるのかもしれませんが…。

 二つ目の問いについて、「そこで生えている」植物たちは、「見た」ものがもとになっています。なにを見ているかと言えば外観です。内面のことはわかりません。科学的な方法によって植物の内面を知ろうとすることは今後かなり進むだろうと思います。けれどもわたしはそのような意味での方法論を持ち合わせませんし、今後も持たないでしょう。ですから、外観を眺めて、見たまんまのつもりでただ描いてみているだけで、それがすべてということになります。とはいえ、そもそも見たまんまに描くことなんかできないわけですが。

 日本に西洋画が入って来て、もっと人間を正確に描けるようにならなければと、芸術大学には解剖学の研究室までできました。しかし解剖して描くというのは、いったいどういう種類の理解の仕方なのでしょう。そのことと人間の内面の問題が浮上していた時期が重なっているのは興味深いところです。それが近代ということなのでしょうか。

 植物の外観を正確に描こうとする流れは、洋の東西を問わずあります。博物学であったり、花鳥風月であったり。でもわたしが今やっていることはそうしたものの流れとあまり関係していないと思います。もっと近視眼的というか、表面を撫でるように見ているだけなのです。かと言って、イームズ夫妻によるパワーズ・オブ・テンのように細部の細部にまで迫る意志もありません。引いて引いて宇宙を描き切るような意志も。

 木を見て森を見ずというか、木から木へ、草から草へ、とただ彷徨っているだけとも言えます。最近は地面も多く描いているので、ミミズくらい出て来てもよさそうなものですが、まだ木や草、岩や地面、水面に留まっています。わたしが植物をわかりたい気持ちというのは、何て言うんでしょう、優しい気持ちとかではないのです。動物であることから逃げ出したいような。動物以外の生態に属したいというか、植物でもなくなって、鉱物になって、物質ですらなくなったらいい。その途上のような感じなのです。

 そんなことは求めなくとも、あるがままの存在としてはすでにそうであるに違いないのですが。

 宮沢賢治の世界観は凄いとわたしも思います。「人間でない存在、眼に見えない存在を、言語表現のうちにエージェントとして立ち上げなおすことに成功した」というのは、まったくそのとおりじゃないでしょうか。「あとはしんとした青い羊歯ばかり/そしてそれが人間の石炭紀であったと/どこかの透明な地質学者が記録するであらう」(「詩ノート『政治家』」)といった情景描写にはひどく魅かれるものがあります。

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 三つ目の問い、「そこで生えている」というタイトルについて。2014年の「トランスアーツ東京」というアートイベントに参加することになり、校舎ビルが取り壊されて地下空間だけ残った東京電機大学の跡地が会場だったのですが、そこでなにをするかという話になったときに、いつものことでまずは周囲をうろうろとしてみたのです。そこで出会ったというか、目に入ってきた植物を壁に描き始めた。それを見た人から「なにを描いているんですか?」と訊かれて思わず出た言葉です。

 「止まることなく、止められぬまま、生い茂り、増殖し、生成変化をつづける植物」の姿は絵に描いたりしなくとも、そのようなものとしてあるわけです。しかし「そのようなものとしてある」という認識の重要さは、意味や情報としてあるわけではないように思うのです。

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 わたしたち自身、一種の自然物であるはずです。と同時に、そこから疎外された存在であることもたしかです。その媒介というのか、往復というのか、そういうところに、ある手応えを感じます。このあと自分がどうなるのか、正直まだわからないのです。描き続けるであろうということ以外。

 長谷川等伯の松林図であれ、横山大観の生々流転であれ、何らかの要請があったのだと考えていいと思います。安土桃山時代でも明治時代でもない現在、絵は「自己表現」として描かれるものであるということになっています。しかし「自己表現」とはそもそも何のことを言っているのでしょう。

 今という時代に、「自己表現」としてではなく、またビジネスとしてでもなく、なお描くことを止めないとするならば、それはどのような行為として継続できるのか。腕を組んで考えていても仕方ありませんから、描き続けるなかで探るしかありません。

 昨年、年金改革をめぐる議論が活発に行われた。そんな中、社会保障の全体像をめぐる議論が不足しているとし、社会保障の基本的な方向をまず考えていくことが先決ではないかと提言した方がおられた。千葉大学法経学部教授・広井良典氏である。言われてみれば確かにそうかもしれない。年金問題だけを切り離して論じようとすること自体そもそもおかしいというわけだ。
 広井氏によれば、議論の前提として、日本の社会保障の規模は先進諸国の中でアメリカと並んで最も低い水準にあるという事実確認がまず必要だという。そして、日本がこうした低い社会保障給付でやってこれたのは、かいつまんで言えば、「カイシャ」や家族が「見えない社会保障」としての機能を果たしてきたこと、公共事業が「職の提供を通じて」事実上生活保障を代替する役割を担ってきたこと、この二つが効いていたからだというのである。しかし、低成長が構造化し、また「カイシャ」や家族の流動化が進行する中では、「共同体」に依存するこれまでのやり方は成り立たなくなり、公的な社会保障の再編成や強化がきわめて重要な課題となってくるという。そうした状況では、医療・福祉重点型の社会保障にこそ軸足を置くべきではないかと主張する。その理由は、医療や福祉は、リスクの予測が困難でかつその個人差が大きいからだ。こうした分野は、公的な保障をしっかり行うことが求められる。これに対して、年金は老後の生活費の保障である。「いのち」の値段がつけにくいのが、医療や福祉の分野であり、だからこそむしろ公的な保障を強化すべきだという論理である。そして、人生にとっての終盤より、その前半にこそ社会保障が重要である。なぜならば、機会の平等と社会保障はセットにして初めて有効性をもちうるからだという。

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 まず、政治哲学における潮流と「いのち」の関係について。広井氏はこれまでの政治哲学、政治的立場に関する理解に混乱があったとして、それを次のように整理する。アメリカの場合、日本で紹介されているように「保守vsリベラル」という対立軸がある。実質的には前者が共和党で後者が民主党。右か左かという見方をすれば、右--保守--共和党、左--リベラル--民主党という対応関係になる。ところが、ヨーロッパの場合は、保守vsリベラルという関係をこの図式で捉えると間違ってしまう。ヨーロッパの場合は、保守主義リベラリズム自由主義)に対立する社会民主主義という対立軸になっているからだ。右/左という図式で言い直すと、右がキリスト教民主同盟や保守党に代表されるリベラリズムないし保守主義、左が社会民主党労働党に代表される社会民主主義という布置関係になる。アメリカとヨーロッパのこの政治的立場の最も重要な相違点は、リベラリズムの位置付けが全く逆になることだ。しかも、その意味も異なる。リベラリズムは、文字どおり、自立した個人、あるいは個人の自由な活動に価値を置くという考え方で、市場経済とストレートに結び付く。まさにアメリカに代表されるように、すべてに値段をつけ、すべてを市場の中に引きずり込んでいくものというのが、ヨーロッパにおけるリベラリズムの理解である。この枠組みの中では「いのち」といえども当然値段がつくという立場になる。アメリカにおいては、こうしたリベラリズムの思想は、保守主義と対立するものと捉えられている。伝統的価値を重んじたり、小さな政府を主張する保守主義に対して、アメリカでは平等志向をもち大きな政府を主張する立場がリベラリズムである。ところが、ヨーロッパでは、リベラリズム保守主義と同じ右の位置にある。小さな政府を主張し市場主義を打ち出すのがリベラリズムであり、それは大きな政府や社会の平等を志向する社会民主主義と対立するのである。
 「日本は経済も政治もアカデミズムも圧倒的にアメリカの影響が強」く、「リベラルという言葉もアメリカの用法をそのまま鵜呑みにして使われてしまう。アメリカで言われるリベラルは本来の意味の自由主義ではない。むしろ積極的に社会保障をやって平等を実現しようとするような姿を含んでいる」。保守主義の方がかえって市場主義的傾向をもっているように見えるという。「ヨーロッパでは逆に、リベラリズムは右。なぜこの違いが生じるかというと、そのさらに左に社会民主主義があるから。社会保障や平等という価値を実現しようとするのは社会民主主義。基本的に、社会民主主義は高福祉・高負担の大きな政府を目指し、反対に自由主義は低福祉・低負担の小さな政府を指向するという図式」になると広井氏は言う。
 広井氏は、「いのち」に値段をつける市場主義と「いのち」を市場主義から守る立場としての社会民主主義という新たな対立軸を置いたうえで、「自由主義の自立した個人という存在をいったん経由」させて、「もう一度コミュニティ的なもの、あるいは自然とのかかわりを回復」させようと提案する。これを「離陸と着陸」という言葉で表現する。

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 自然のスピリチュアリティを回復させようというのは、リベラリズムにおける「いのち」の市場化、その現代社会への浸透という文脈からみると、きわめてユニークな提言といえる。とくにその根拠を「原・神道的」世界観に求めようとするところに、広井氏の考えのオリジナリティが感じれる。ここで注目したいのは、日本人の死生観に関連させて、このA「原・神道的」な層を他の二つ、すなわちB「仏教的」な層とC「唯物論的」な層と分けていることだ。たとえば神道の影響力の強い社会、仏教の影響力の強い社会、近代社会と仮に三つの社会層を想定すると、一般的な考えでは神道、仏教的な社会と近代社会の間に境界線を引くと思われる。アジアの思想かヨーロッパの思想かどちらにその基礎を置くかという違いでもあるが、歴史的な受容の時期と比較しても、この分類はある程度の妥当性をもつ。しかし、広井氏は、こうした従来の考えとは違って、BとCを一緒にして、むしろAとBCの間に境界線を引く。その理由はこうだ。死のイメージが、Aでは具象的なのに対して、Bではそれは抽象的なものになり、さらにCでは、無として理解されるようになる。あるいは、生死の関係で見ると、Aでは生と死が連続的で一体性をもっていたのに対して、Bでは(並列的に)二極化し、Cに至っては、生は有に、死は無に解消されてしまう。具体的でフィジカルな「生」に対して、「死」は抽象的、理念的な無として捉えるのが近代の死生観である。その背景には自然との連続性を絶ち切る、反自然の考えが横たわっているというのである。
 広井氏が最近提唱する「定常型社会」の根底にあるのは、ここでいう自然との連続性の回復であり、それを自然のスピリチュアリティと表現したのである。したがって、最初に述べた政治哲学との関わりでいうと、それはリベラリズムとの対立を意味する。リベラリズム=市場主義に対抗する形で保守主義社会民主主義エコロジズムが共同戦線を形成しつつあるという広井氏の現状認識を認めたうえで、その構図にあてはめると、自然との連続性を希求する「定常型社会」は、アメリカニズムからの脱却、さらにいうと反アメリカ主義に基づく新たな世界観だということになる。そして、この中心に置かれコンセプトが、生命、あるいは「いのち」というものなのだ。

  • ウェブ記事は三時前まで。ベッドでごろごろしながら読んでいた。それから調身。柔軟瞑想方式がやはり良い。合蹠したまま止まっているとなかば眠くなるくらい意識がリラックスするし、からだも相当すっきりする。あまりやりすぎると筋をいためるので注意しなければならないが。柔軟を終えたあとはギターを弾いた。いつものように似非ブルースをやったり、適当に思いつくままに弾いたりする。相変わらず、ギターを左脚に乗せれば良いのか右脚に乗せれば良いのかがわからない。また、弾きぶりとしても、本当はもうすこししずかに傾注するような感じで弾きたかったのだが、集中を試みるとかえって固くなり流れないような感じがあって困る。気を抜いて適当にやっているとむしろうまく行ったりする。
  • 五時前まで音に遊び、それから「記憶」をすこしだけ音読すると上階へ。すでに母親が食事の支度を済ませてくれていた。天麩羅。お好み焼きや汁物も残っている。それでアイロン掛けに。ワイシャツやエプロンやハンカチをひとつひとつ、霧吹きで水をかけながら丁寧に処理していく。途中でもう暗くなってきたので母親が明かりをつけたが、するとそれまで窓外の水っぽい、沼のような青さを映していた白ワイシャツが、一瞬にしてわずかにクリームがかったような白さに変わった。
  • 六時前にアイロン掛けは終了。ほうれん草のみ絞って切り分けておき、いったん自室へ。ふたたび柔軟をすこしおこなって、六時半前に食事に行った。新聞からミャンマー関連の記事を読んだはず。デモ隊に向けて警官隊が発砲し、二人が死亡ということだったはずだ。当局はゴム弾や催涙ガスを使用していると言っており、実弾は上空に向けた威嚇射撃のときのみ許可されているらしいのだが、実際には一部で抗議者を狙って水平射撃がおこなわれている模様とのこと。九日に撃たれた女性が先日亡くなったばかりで、今回のデモはおそらくそれを受けてのものだったはずだが、そこでもまたひとが死んだわけだから、状況と感情の過激化は避けられないように思われる。
  • ほかにも記事を読んだ気がするのだが、なんだったか忘れてしまった。ジョー・バイデンが、二次大戦中に米国が日系人を強制収容した件について、米国史上もっとも恥ずべき歴史のひとつだと言い、フランクリン・ルーズベルトが出した大統領令の発令から七九年を機に、再度政府として公式の謝罪表明を考えている、という話があったのを思い出した。八八年だったか、ロナルド・レーガンのときに米国政府は一度公式に謝罪しているらしい。七九年という半端な数字だから本来あまり節目にはならない気がするのだけれど、これはたぶん、ウイグルのひとびとなどに対する中国の状況を受けて牽制するというか、我々はきちんと負の歴史と向き合っているという姿勢を示して、あなたたちはどうなんだと問いかけるような意図が多少含まれているのではないか。素人考えなのでわからんが。それにそうしたとして、中国共産党は聞き入れるような相手ではない。ただ、人権問題にかんして中国を批判するにあたって、自国の過去の振舞いをきちんと糺しておくことで足場を固め、批判の説得力を損なわないようにするという思惑はたぶんあるだろう。
  • 夕食後、七時一五分から一九日の記事を綴っている。八時に完成。投稿ののちふたたび「記憶」の音読をはじめたものの、あまり気分が乗らず、二〇分少々で打ち切り、九時を回ったところで風呂に行くつもりだったので、それまでに余った時間で二〇日のことをすこし記した。
  • 入浴中は例によって半 - 瞑想。出てきてのち、一一時前からまた書き物に入っているのだが、それまでに何をやっていたのか不明。風呂には遅くとも九時二〇分くらいには入りはじめていたはずで、こちらは一時間くらい長風呂することもざらにあるが、そうだとしても三〇分ほどは余ったはず。ともかく二〇日の記事に取り組み、二時間を一気に費やして(二時間以上中断することなく文を書き続けたのは、かなり久しぶりのことではないか)完成させることができた。
  • それからベッドに転がって休みながら、新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹』(鳥影社、二〇一〇年)を読む。166から第一〇章がはじまるのだけれど、冒頭からヘドヴィヒの台詞がやたら長く続き、読んでみれば172まで六ページ半、ずっと彼女の発言が、改行もなしにひたすら繰り広げられている。マジで全部括弧のなか。しかもそこで、「手紙はもう出したの?」というジーモンの短い質問がはさまれたあと、ふたたびヘドヴィヒの滔々たる語りが展開され、176まで続き、また一行だけ小休止が置かれたあと再開する、といった感じなので笑う。この一〇章は本当に、ほぼヘドヴィヒがジーモンを相手に喋っているだけ。そのなかで直接話法によるジーモンの台詞は、先の「手紙はもう出したの?」のみ。なんやねんこれ、という感じで笑う。
  • そのヘドヴィヒの語りのなかには逆説的な言明がいくらか含まれているのが見える。たとえば171には、家庭教師の職をもとめてある貴婦人に送った手紙の内容として、「今後ご主人となるあなたのことは、お優しい方というよりも、誇り高く厳しいお方として心に描いております、ずうずうしくも欺こうと思えばやすやす欺けるお方であれば苦痛と幻滅を感じることでしょう」とある。同ページにはほか、「侮辱的でさえなければ冷厳な扱いを望み、寛大な扱いは断念するつもりでおります」とか、自分にとって主人から与えられる「親密さ」は「恩恵などではなく、侮蔑となることでしょう」という言葉もある。173では、「尊敬されるなんていったいどれほどのことでしょう(……)不幸であることだって尊敬されるよりまだましだわ」とも言われている。こういった逆説のたぐい、つまり、通念的に想定されている論理や物事の評価とは反対の、一見突飛とも思える言明を、ヴァルザーはことあるごとに、いたるところで弄しているが、このヘドヴィヒの台詞のなかに特徴的にうかがわれるのは、ある種の奇妙な奉仕心というか、かすかなマゾヒズムを思わせないこともないような、被支配状態への積極的志向らしきものである。173は除いて、主人との望ましい関係について言及した171の発言はすべてそれを示している。こういう性質は弟ジーモンも共有しているところで、たとえば85で、自分はあなたのために喜んで死ぬことができるし、この自分自身があなたに対する「贈り物」なのだとクララに向けて述べるジーモンは、「僕は贈り物となるべく生まれついた人間で、いつも誰かにしっかり結びつけられていて、まる一日歩きまわって僕自身を差し出せる相手が見つからないようなことがあると、ふさいだ気持ちになるのです」と言っているし、148でも、「誰かにぶら下がってしまった挙句その誰かさんを好きになってしまい、もしやその人の好意を失っていやしないかと聞き耳をたててしまう、そんな状態」を、「およそありうる限りの不自由の中でも、もっとも優美な隷属状態」と評していながら、それが「僕はそもそも大好きなのだ」と、「田舎暮らし」と題された妙な小文に綴っている。今日(二月二二日)読んだ箇所ではジーモンは街中で声をかけられた婦人の召使いとして働きはじめているが、そこでも、あまり快適とは思えない従属状態を倒錯的とも見えるよろこびに変換してしまう彼の性向はあきらかである。
  • 二時半まで書見して、そののちは、またちょっと文を書くなり写すなりしようと思っていたところが怠けてしまい、しかもなぜか夜更かしに耽って、就寝を四時二〇分まで遅らせてしまった。