2021/2/23, Tue.

 (……)彼は、冷静になって態度をはっきりさせている身体のねじれ(不機嫌な顔)をそっけなさによって示していたのではない。そうではなく、発する言葉がなくて、その失語状態の脅威にあらがっているという、主体のひどい失敗状況を示していたのだ。これは、はじめに述べた、過度に教養のある声とは逆に、〈レトリックのない〉(だが優し(end89)さがないわけではない)声であった。こうした声すべてにたいして、ふさわしい隠喩を生みだすべきなのであろう。いちど知ったら永久にあなたの頭から離れないような隠喩を。だが、わたしには見つけられない。文化によってわたしが思いつく言葉と、わたしの耳に一瞬よみがえるあの奇妙な存在(それはたんなる音だろうか)とのあいだには、それほどまでに大きな断絶があるのだ。
 隠喩を見つけられない原因は、つぎのことから来ているのだろう。すなわち、声はつねに〈すでに〉死んでいるのであり、そのことを必死に否認して、声を生きたものと称しているということだ。このどうしようもない喪失にたいして、わたしたちは〈声の抑揚〉という名をあたえている。声の抑揚とは、つねに過ぎ去って、口をつぐんだ状態における声である。
 したがって、〈描写〉とは何であるかを理解せねばならない。描写とは、対象が生きていると信じる、あるいはそう望むふりをしながら、対象が死を免れないことを言い表そうと必死になっているのである(逆転による幻想だ)。「生きているようにする」とは、「死んでいるのを見る」という意味なのだから。形容詞はその幻想の道具である。形容詞が何を言おうとも、描写するというその性質だけで、死を思わせてしまうのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、89~90; 「彼の声(Sa voix)」)



  • 一〇時半頃に意識が形成された。今日も快晴で、陽射しがだいぶじりじりしている。こめかみなどを揉みながら起床するための力を待ち、一〇時五〇分に布団をめくってからだを起こした。寝る前に脱いでいた寝間着を身につけ、コンピューターを点けておき、水場へ。顔を洗ってうがいもいくらかすると、便所に入って黄色い尿を放ち、部屋にもどって瞑想。枕の上に尻を置き、肩を少々回してから静止を試みる。だが、喉の奥に鼻水なのかなんなのかわからない液体が湧いてきて、飲みこんだり鼻をすすったりしなければならず、瞑想が難しい。気温は昨日のほうが高かったはずだが(二一度とか言って、五月初旬の陽気だということだった)、花粉の作用は今日があきらかに今季一で、くしゃみもよく出るし目も痒い。瞑想の困難さもいままでにないほどだったが、だましだまし一応一八分座り、一一時を越えて上階に行った。
  • 父親は掃除の仕事、母親は買い物。ジャージに着替えて食事。マカロニパスタというのか、そんな品が大皿にあったのでそこから少々取り分けていただく。ほか、昨日つくった味噌汁の余りと、白米に冷凍の炭火焼き鳥。新聞を読みながら食っていると母親が帰宅した。新聞からはミャンマーの報をまた読んだ。クーデター以後最大規模のストライキがおこなわれたということで、一〇〇万人以上が参加したとか言われているらしい。ヤンゴンの小売店飲食店は多くが営業を停止し、スーパーを経営する、たぶんわりと大手だと思われる企業などもくわわったというからすごい。ストライキ参加者は当然、そのまま多くが抗議デモにも参加するわけである。しかし国軍としては徹底的な取り締まりの姿勢を崩していない。いまのところ全土で六四〇人が拘束されている様子。
  • それを読んで食事を終えると食器を洗う。母親は(……)に行ってきたとか言った。(……)ちゃんという友人に連絡してみたら本人は行けないが妹なら行けるよということで、その妹さんと会ってきたと。しかし、いままで面識がなかったのではないかと思うのだが? 「恐ろしいような風」だと母親は言った。たしかに瞑想中にも、大気の圧力が家に寄せてあたりの草がざわざわ響きを立ち上げるのを聞いたが、恐ろしいというほどでもないだろう。皿洗いのあとはいつもどおり風呂も洗い、そうして居間をあとにする。緑茶はいったん禁止。くしゃみをするとまだほぐれていない腰のあたりに衝撃が波及して、うまく散らずに固まるのが困る。
  • Notionを準備すると今日のことをさっそく書き出した。途中、トイレに立って排便し、ついでにまたうがいもくり返しやって来て、ここまで記すと一二時四五分になっている。おとといの休日に思ったのだが、なんとなく川に行きたい。というか、せっかくすぐ近くに川があるのに、いままでその存在をないがしろにしすぎではなかったか? と思った。その価値と効力と豊かさにちっとも目を向けてこなかったのではないかと。春めいてあかるく温暖な昼日中に川に行き、まっさらな光につつまれながら流れをながめ、水音を浴びるのは大変にすばらしいことではないのか? 休みの日はかならずそうする習慣をつくりたいくらいだ。しかし書き物もしたいし、ほかのこともしたい。家を出て歩いたり川に行ったりすると、それだけで書くことが格段に増えるのがわかっているので躊躇するようなところがある。阿呆らしい話だが。
  • とりあえず、音読をおこなうことにした。「英語」。498番まで行って一周したので、1にもどる。最初のうちは語彙を頭に入れられれば良いと思っていただけなので、一項目ごとの引用が短くて楽である。最近は語彙を習得するだけでなく英語に馴染み身体化したいと思っているから、とにかく多く読めば読むほどいいだろうという阿呆みたいに単純な考えのもと、引用も基本的には内容として区切りが良い範囲を全部引くし、そうすると最低でも一段落は取ってくることになる。ただ語彙だけを記憶するのでなく、ある程度の厚みを持った話題のまとまりや流れのなかで総合的に身につけたいという感じだ。四〇分弱読んで、44番まで。
  • 一時半。ベッドでの書見へ。新本史斉/F・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集 1 タンナー兄弟姉妹』(鳥影社、二〇一〇年)。やはり書見は寝転がってやるに限る。読書の新たな方法論を思いついた。いま気になったところ引っかかったところをだいたい何でも読書ノートを使ってチェックしながら読んでいるわけだが、そのなかで一定以上の関心を惹いたり、思考が形成されたり、単純に良かったりして日々の記事にも記しておきたいことにかんしては手帳のほうにメモしておくのが良いのではないか。それでのちほど思い出しながら記述する。読書ノートは思考をまとめたり重要そうな箇所を記録しておいたりするのに使い、そのなかで書きたくなったことだけその日の書き物で触れておく、という感じ。というか普通はそういう風に運用するのだと思うが。
  • 二時一六分まで読書をした。花粉もはびこっているし、川まで行くほどの気概は出ず、かわりにベランダで陽を浴びるだけはすることに。それで上階に行くと、母親が図書館だかにまた出かけるとのこと。こちらはガラス戸をくぐって日向のなかに踏み入り、屈伸をしつこいくらいにくり返した。風はたしかに母親の言ったように激しく、あたりの空間はどこも絶え間なくかき回されており、(……)さんの家の魚の幟も威勢良く水平に持ち上がってまっすぐ横向きの姿勢を落とすことなく、からだを大きく張って膨らませながら泳ぎつづけているし、清らかな雪白がもうだいぶまぶしい梅の梢は揺動を止めず、隣家の垣根からはさらさら鳴りが発せられてやむことがない。人間の思惟を超越したひろさの宇宙空間と地球の大気と眼の前の宙を通って降ってくる光はあかるく、前かがみで屈伸をしながら白く発光したベランダの床を見ていると、空気中のかすかな埃が照らされて浮かび上がるものなのか、眼球表面の細胞か何かのうごめきなのか、顕微鏡を覗いたときに見える微生物の集合のようにして、極小点群のこまかなダンスが視界のなかにちらちらと、原初の生命体めく。近間で子どもらの遊ぶ声が聞こえるが、そのさらに遠く、川向こうからサイレンの響きも多く渡ってきて、起床時に瞑想をしたときにもサイレンと通行を求めるようなアナウンスが聞こえていたのだけれど、これは火事があったらしい。しばらく屈伸をしたりあぐらで座って無為に耽ったりしていたが、花粉の効力は顕著で鼻水は湧いてきたし、のちほど夕方くらいからはくしゃみがたびたび連発されて苦しめられた。
  • そうして自室にもどると、ふたたび書き物。前日のこと。この時点ではまだくしゃみ鼻水はそこまでではなかったような気がする。そう、このあとに柔軟をしたときも、からだを止めていることができたわけだから。一時間強綴って四時に近づいたところで中断し、調身した。毎日ストレッチをやることは大事だ。くわえてマッサージまでできればもっと良いのだろうが、なかなかそこまでは難しい。四時台後半からまたちょっと書き物に取り組み、五時を過ぎて上階へ。
  • たしかこのあたりからくしゃみがひどくなった。母親が帰ってきたところだったので、花粉が外から入ってきたのかもしれない。マジでひっきりなしに出て止まらず、トイレに行って放尿するあいだだけはなんとか回避できたが、くしゃみというものはいざ出ればけっこうな衝撃があって、イタイイタイ病で骨が弱くなったひとはくしゃみをしただけで簡単に折れたというけれどむべなるかな、と思った。腰にわりと響く。明日、勤務前か勤務後にコンビニで薬を買う。
  • 煮込みうどんをつくって食うことに。それでつゆを鍋に用意してタマネギを切り、出汁やショウガなども加えて最弱の火でじわじわやっておくあいだに大きい鍋に湯を沸かし、タオルをたたんだりしてから麺を茹でる。ひとり分だけなのでそれほど入れず、一〇分と書かれてあったがすくなめだし煮込むし七分くらいで充分だろうとタイマーを設定し、ときおりかき混ぜながら待った。合間に母親がジャガイモを煮たりするので多少手伝う。そうして麺が茹だると小さなザルに流しこみ、桶にはあけず横着してそのまま流水で洗い、つゆのほうに移した。ちょっと火にかけてから溶いた卵をそそぎ、ネギをおろして完成。さっさと食事をはじめる。うどんとマカロニの余りとなんとかセニョールとかいう小さめのブロッコリーみたいな野菜。食事中もくしゃみはひどく、ものを口に入れて咀嚼しているあいだにも出ようとするのには難儀した。新聞を読んだはずだが、内容を思い出せない。
  • 食後はアイロン掛け。テレビは三鷹にあった中華料理屋「味の彩華」が閉店する最後の日々に密着、みたいな感じで、七〇代の祖父母が数十年続けてきた店の幕引きを家族総出で支える、という、非常にわかりやすく良い話。かたちとしては紋切型そのもので、いかにも平和な世界という感じなのだけれど、店主の男性の様子が良かったというか、口にする言葉自体は良い話の枠組みに典型的にはまりきったものばかりではあるものの、それに無理も衒いも大仰さもなく、かといって卑下や皮肉や萎縮もなく、堂々と地に足ついた声音でもってニュートラルに振る舞っており、そういうさまを見ると、要約すればありがちな物語になる話とその提示ぶりではあるけれど、実際にその物語をいままで何十年か生きてきた人間の実質のようなものが感じられるなと思った。
  • 帰室すると書き物。前日の分。八時まで。たしかこのあたりで普通に体調が悪いくらいの症状になっており、休んだはず。くしゃみもそうだが、とにかく顔の内が痛いというそれに尽きた。九時半過ぎまで休んで入浴へ。風呂のなかでもおなじ。鼻水が垂れてくるから瞑想的な静止もできない。上がってもどると前日の記事を完成させ、この日のことも五〇分弱書き、零時前で切り。また休んだ。額とか顔面が凝り固まっていたのでほぐしたのだが、それは入浴前だった気がする。油断して放っておくと、額とか頭蓋とかはあっという間に固くなっている。その後は特段のこともなし。夜食を食ってだらだらし、体調が悪いのだからさっさと寝れば良かったのだが、寝る前になぜかEric Schmitt, "Under Trump, U.S. Launched 8 Airstrikes Against ISIS in Libya. It Disclosed 4."(2018/3/8)(https://www.nytimes.com/2018/03/08/world/africa/us-airstrikes-isis-libya.html(https://www.nytimes.com/2018/03/08/world/africa/us-airstrikes-isis-libya.html))を読んで、三時三分に消灯した。しかし顔の痛みのためにうまく眠れなかったのはこの翌日の記事の冒頭に記した通りである。記事からの情報は以下。

WASHINGTON — The United States military has carried out twice as many airstrikes against Islamic State militants in Libya since President Trump took office as it has publicly acknowledged, raising questions about whether the Pentagon has sought to obscure operations in the strife-torn North African nation.

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Counterterrorism specialists warn that the Islamic State and Al Qaeda also still pose formidable threats in places like Somalia, Yemen and West Africa. On Tuesday, Gen. Thomas D. Waldhauser, the head of the Africa Command, said in congressional testimony that “we are heavily involved in the counterterrorism piece” in Libya.

On its website and in news releases, the Africa Command has acknowledged only four airstrikes in Libya in the last 14 months against the Islamic State, also called ISIS, ISIL or Daesh. All of the attacks have been carried out since September.

But on Thursday, a spokesman for the command, Maj. Karl J. Wiest, said four other previously undisclosed airstrikes had been carried out against Islamic State militants, most recently in January.

Commanders decided to reveal those strikes only if a reporter specifically asked about them, a practice the Pentagon calls “responses to questions,” Major Wiest said via telephone and email from the Africa Command’s headquarters in Stuttgart, Germany. He said journalists, usually tipped off by local reporting in Libya, have called about some but not all of the four strikes.

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To be sure, the number of American airstrikes in Libya since Mr. Trump took office — carried out largely by armed MQ-9 Reaper drones flying from an air base in Sicily — is tiny in comparison to the number of strikes carried out against militants in Yemen (more than 130) or Somalia (more than 40) in the same period.

And it pales in comparison to airstrikes against the Islamic State in Iraq and Syria, where the American-led coalition has bombed on a near-daily basis.

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The additional strikes came to light during testimony that General Waldhauser gave to the House Armed Services Committee. In response to a question, the general said there had been eight strikes against the Islamic State in Libya in the past year — twice the number his command had publicly acknowledged.

In September, the Pentagon persuaded Mr. Trump to approve a limited action against the Islamic State in Libya. American drones struck a training camp there on Sept. 22, killing 17 militants. The militants were shuttling fighters in and out of the country and stockpiling weapons, the command said.

Four days later, another round of American airstrikes rained down 100 miles southeast of Surt, killing several more fighters, the Pentagon said. The command quickly announced those attacks.

But it did not announce a strike on Sept. 29 that killed a small number of Islamic State fighters, about 100 miles southwest of Surt. Or on Oct. 9, when an airstrike killed another small group of militants, this time 250 miles south of Surt. Or on Oct. 18, when an attack killed another small group of fighters in Libya’s Wasdi al Shatii. Or on Jan. 23, when two vehicles were destroyed in strikes near Fuqaha in central Libya.

The command did announce right away two other strikes, on Nov. 17 and Nov. 19, both near Fuqaha.