2021/2/24, Wed.

 〈切り離す〉ことは、古典芸術におけるきわめて重要な行為である。画家は、線や影を「切り離し」、必要におうじて拡大したり、逆さにしたりして、作品をつくりだしてゆく。たとえ作品が単調(end90)だったり、無意味だったり、そのままのもの(デュシャンのオブジェや、単色の表面)だったりしても、人がどう望もうと、つねに物理的な背景(壁や通り)の外へと出てゆくので、必然的に作品として認められることになる。その点で芸術は、社会学や、文献学、政治学などの対極にあるのだ。それらの学問は、自分が識別したものをたえず〈組み入れ〉つづける(よりよく組み入れるためにのみ、識別をする)からである。したがって、芸術はけっしてパラノイア的になることはなく、つねに倒錯的でフェティシズム的となるであろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、90~91; 「切り離すこと(Détacher)」)



  • とにかく顔の奥が痛んで、うまく眠れなかった。多少、まどろみに入りはしたようだったが、きちんと入眠できないまま、仰向けになって正面を向くか右向きがいいか左かと姿勢を試してみたものの、結局どの向きだろうと痛みはさほど変わらない。それでこのままでは辛いし駄目だなと携帯を見ると五時だった。仕方ないから数年前に買ったものではあるがたしか薬が残っていたはずだからそれを飲もうと決断し、起き上がって明かりを点した。机の周りを調べても見当たらなかったので、たしか廊下のボックスに片づけた記憶があるとそちらを見れば「アレグラFX」の箱が発見され、洗面所に行って一粒を飲み、もどって布団にもぐりこんだ。効いているのかいないのかしばらくよくわからないような感じだったが、全体としては徐々に効いてきたようで、痛みもすこしはマシになり、なんとか眠れたようである。
  • それで最終的に一一時起床。快晴。鼻のなかがひりつくように乾いており、顔の奥の痛みも完全になくなってはいなかったものの、だいぶ回復して平常の感覚に近くなっていた。とはいえ瞑想をする気にはならなかったので、そのまま上階に行き、母親に挨拶。数年前の薬を飲んだが意外と大丈夫そうだと報告しておく。食事にはハムエッグを焼いた。そのほかけんちん汁的な野菜のスープ。新聞からはミャンマーの報。ミン・アウン・フライン国軍総司令官が、死者が四人におさえられているのは他国と比べると非常にすくない、我々は最大限に抑制的な対応を取っていると述べたとのこと。そんなことを言っても、抗議者たちの怒りの火に油をそそぐようなものではないかと思うが。あとシリア内戦下で強制的に拉致されたひとが一〇万人くらいいるとの報告。アサド政権によるものが一番多く、八万以上を数え、そのほかISISや各反体制派による誘拐もある。電気ショックや暴行による拷問にかけられてそのまま殺されたひともすくなくない様子。そういう醜悪な出来事がこの世に存在しているという事実は、新聞の紙面に記された文字情報としておりおり目にするわけだけれど、その文字の向こう側で実際に起こった事態の手触りをほんのわずかばかりでも想像しようとしてみると、あかるい陽射しに満ち満ちているこの二月のしずけさとか、目の前で母親がものを食いながらなんとか言っている様子とか、自分の生と生活自体が何かそぐわないもののように感じられないでもない。
  • 食器を洗ったあと、またちょっと鼻の奥が嫌な感じだったのでいったん自室にもどり、「アレグラFX」を一錠口に入れてきて、服用してから風呂を洗った。その後、うがいもしておいて居間をあとにし、帰室。コンピューターでNotionを準備。まだ本調子でなかったためかコンピューターをベッドに持ちこんでだらだらしてしまい、二時に至ったが、そのあいだに顔のなかの痛みはなくなったし、鼻水くしゃみも完全に消えたわけではないとはいえほぼ出なくなり、相当に楽になった。また、ベッドで脹脛マッサージをしているあいだは、ゴルフボールを背と寝台のあいだにはさんでついでに背面をぐりぐりほぐすのがやはり良いなと再確認した。
  • トイレに行ってきてからようやく活動に取りかかり、まず今日のことをここまで記して二時半過ぎ。
  • それから前日のことも短めに書き足して完成させ、ブログに投稿した。三時である。Thelonious Monk『Solo Monk』を流して、「記憶」記事を音読。バーバラ・ジョンソン『批評的差異』の記述。昨日は花粉のせいで喉もおかしくなり、声が潰れたようになっていたが、もう問題はない。椅子に座ったまま、手首と指を曲げて伸ばしたり、脚も足首を持って引っ張るようにして伸ばしながら文を読む。三時半前ではやめに切ると柔軟。いつものように脚を中心に各所を和らげる。ベッドの上に足先を乗せて伸ばす技をいつもより長くやった。三〇分、からだを調えて、四時ちょうどで切り。
  • エネルギーを補給するため、上階へ。先にタオルをたたんでおく。それからオーブントースターに入っていた鱈子を小皿に取ってレンジで熱し、白米を椀に盛ると、持って自室に引き返す。今日はけっこう寒い日で、廊下の床の感触などだいぶ冷たい。ダウンジャケットを着ていなかったので、部屋について食べ物を置くとまず羽織り、トイレに行った。膀胱を軽くしてもどってくると食事。食べながら(……)さんのブログを読むことにした。一応日々覗いてはいるものの、きちんと読んだ最新の日付は二〇二〇年八月二二日で、だからその次の二三日からとなるわけだが、意味のわからない遅れぶりである。鱈子をこまかくちぎっておかずにしながら白米をからだに取りこむあいだ、二日分を読んだ。八月二四日はRCサクセションの話題。きちんと聞いたことがまだ一度もない。
  • 食器を洗うためにまた上に行った。食器乾燥機のなかのものを片づけたが、乾いておらず水気が残っているものも多かったので何枚かは残しておき、自分の使ったものを洗うと追加でおさめておく。ボタンを押しても動かなかったのでカウンターの向こう側に回ると、電源が抜けていた。接続して稼働させておき、下階にもどる。
  • 食事を取ったためなのか、なぜかまた鼻水がやや湧いてきていたので、「アレグラFX」を服用し、そして歯磨き。口内を掃除しながら、To The Lighthouseの今日の箇所を確認した。William Bankesが湾から家のほうにもどるところ。途中で花を摘んでいるキャムに遭遇して、乳母みたいなひとがBankesさんにお花をあげたら、と言うのだが、女児は嫌がって、拳を握りこみ地団駄を踏みながら強く拒否する、という箇所がある。そこの文章が例によって間接話法で書かれているのだが、"She would not 'give a flower to the gentleman' as the nursemaid told her. No! no! no! she would not!"となっていて、なんやねんこの書き方、こんなことできるんか、と思った。
  • 口をゆすいでくると四時半過ぎ。三〇分ほど猶予があるが、もう着替えてしまうことに。それでスーツ姿に変わり、なんだか眠いような感じがあったので、残りの時間で瞑想することにした。ちょっと休んで意識を回復させようと思ったのだ。まだジャケットは着ず、ベスト姿の上にダウンジャケットを羽織って、四時三八分から座った。やはり眠い。上体が前後にぐらついてくる。「アレグラFX」は眠くなりにくいと謳われてはいるが、おそらくその作用なのだろう。まっすぐ座っていられないので、一二分で切ることになった。その後いらないプリント類を整理し、五分だけ今日のことを書き足しておいて、五時になったところで部屋を出た。
  • 居間に着くとコートを羽織り、カーテンを閉める。トイレに行って排便したあと、マフラーとマスクをつけて外へ。家屋の際に葉っぱが少々散っている。道の先からは女性がひとり歩いてきて、(……)さんかとちょっと思ったが違うようだった。ポストに寄って夕刊を取り、一面を見ると、上部のハイライトのなかに色川武大の晩年の日記とかいう文字が見られたので、あとで読もうと思った。新聞をなかに入れておいて出発。
  • 今日は寒い。ここのところの温暖さからすると格段に冷えた空気になっている。林の外側で上下に長く垂れ幕を成している竹の葉の群れが、さやさや音を立てながら緩慢にうねっている。場所によって色味が違うのが見て取れた。青さを強くはらんで締まっているものと、黄色をちょっとかぶせられたような軽い緑のところとがある。陽の当たり具合か年齢による差異だろう。
  • 通りはしずかで、人影も、家のなかから伝わってくる気配もない。公団前まで来ると南に向かって空がひろがるのでだいたいいつもそこで彼方をながめ見やる。今日は雲が多くてひろくを覆っているものの、さほど厚いものではなく、切れ目も多くて水色が諸所に覗いているのでそう暗いとも感じられない。ただ、光の薄さと、空および雲の色に冷えの印象は強まる。雲はどこも基本は灰色をなしているのだが、全体にうっすらと青味がふくまれているようでもあり、また陽の色がかろうじてほのめいているところもあるのだけれど、混入によってそこはかえって濁ったような色調になってしまっている。それらが境の見分けづらい微妙なつながり方で柔らかいパッチワークを形成している。
  • 坂の入り口付近の木叢のなかから、ヒヨドリの激しい叫びが聞こえていた。入ってすぐの左側には、サザンカなのか寒椿なのかいまだにわからないのだが、赤い花をつけて濃緑の葉を固くしている木があり、しかし花はもうおとろえて生彩を失っている。数歩すすんだ先では、路肩の落ち葉の上に死んでいる花もいくつかあった。時間に猶予があるので、ゆっくり一歩ずつ踏んで上っていく。
  • 最寄り駅に着いて階段を上る。空は大方雲が占めているのだが、北西の下端ではそれが途切れて避難所が生まれており、そこにもうほとんど退いて艶もないものの西陽の色が宿っているのを背景に、近間の木が黒影と化しながらも錆びた緑の手触りもわずかに残しつつ揺らいでいる。ホームに入ってベンチに就くと手帳にメモ書きしたが、そのあいだも風が流れて寒かった。電車に乗ると着席。向かいに若い女性が四人くらいならんでおり、過去の生徒がいるのではないかと反射的に疑ってしまう。おそらく違うようだった。目を閉じているあいだ耳に入ってくる彼女らの会話は、途切れ目がなく、受け答えのテンポもはやくて、するすると流れている。
  • 到着すると降りずにまたメモ。乗客が増えて発車間近になったところで降車。駅を抜けて職場へ。(……)
  • (……)八時過ぎで退勤。駅に入り、ホームに行くとまだ電車が来ていなかったので、寒風の流れるなか、ベンチでメモを取る。まもなく入線してきたので乗車。発車まで引き続きメモ書きし、出発すると手帳をジャケットの隠しに入れて瞑目。
  • 帰路の記憶はとりたててないと思う。寒かったことは確かだ。しかしそのわりに急ごうという気にはならなかった。帰って休息。この日は水曜日なのでWoolf会。(……)
  • 九時過ぎで読み終え、そのあと熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)を書抜き。くわえてこの日のことを少々記述し、九時半過ぎで上階へ。Woolf会の日はやはり入浴を後回しにすることに。会の前に食事も風呂も済ませるとなると、どうしてもゆっくり浸かれないので。風呂はとにかくのびのびと、時間をかけて入りたい性分である。それで母親に先に入ってくれるよう頼み、食事。焼き魚など。新聞で読んだことは忘れた。食事を終えて皿を洗うとちょうど一〇時。Woolf会は本当は一〇時からなのだけれど、こちらは一〇時半からでと頼んであった。べつにもうログインしたって良いのだが、頼んだとおりに行くかというわけで、またこの日の記事を書き足して、一〇時半が近くなったところで隣室に移り、ZOOMにアクセス。
  • 入ったときは何か(……)くんが憤慨していたのだが、聞けば、上野千鶴子の『情報生産者になる』とかいう本のなかにあった記述が気に入らないとのことで、LINEに画像が貼られてあったのを読んでみたところ、「ノイズ」をたくさん取り入れることでみずからの持っている自明性を疑うことを推奨する、みたいな文脈のなかで、外国に留学したりして異文化に身を投じるのでは「コスト」がかかりすぎると言うのなら、自分とは違う生い立ちのひとや、障害を持ったひとと積極的に付き合うようにすれば良い、というようなことが書かれてあり、この「コスト」という単語と障害者の例の組み合わせが(……)くんの激怒ポイントのようだった。つまり、障害を持ったひととかかわるようにすれば、留学などよりもお手軽に、金や労力をかけずに「ノイズ」(というのは「他者」と言っているのとほぼおなじことだと思うが)に触れることができる、と言っているように読める、ということだ。本当にそのように読めるのか、前後をもうすこし詳しく見てみないと確言できないような気はしたが、そもそも、なんでこれは「ノイズ」を取り入れたり自明性を疑ったりするみたいな話になってるんですか、とたずねてみたところ、タイトルどおり「情報生産者」になるためには、みずから問いを持ってそれについて発信していくためには、みたいな文脈らしく、それだとなんか逆のような気もしますけどね、とこちらは言った。つまり、自分自身の問いを見つけて「情報生産者」になるために他者とかかわるというよりも、他者と接触することで違和や「ノイズ」がおのずから発生し、それが自分の問いや考えたいこと、のっぴきならない主題になる、というものではないかと。「情報生産者」になることが目的や欲望として先立つというのは、こちらにはあまりよくわからないし、「情報生産者」というのがどういう存在なのかもこまかくはよくわからない。新書のようだったし、たとえば研究の世界に属していて、おのずからというより無理矢理にでも固有の問いや主題を見つけなければならない大学院生とかに対して、こういう風にしたらいいという心得やアドバイスをあたえるたぐいの本かなとも思ったのだが。いずれにしても(……)くんとしては、そのように自分の目的のために人間を手段として用いることをうながすような記述が看過できなかった、という感じだったようだ。それにはわりと同意する。が、自分にもそういうところがないとは言えない。あとは「コスト」という言葉選びがとにかく危ういというわけだろう。たしかに「コスト」という語は、基本的にはそれ自体で、すでに目的先行的な意味合いをはらんでいる語ではないかと思う。
  • その話に切りがついたあと、本篇へ。この日の担当は(……)さん。William BankesとLily Briscoeが湾をながめて、家にもどりはじめるその直前の一段落。本文は以下。

He was anxious for the sake of this friendship and perhaps too in order to clear himself in his own mind from the imputation of having dried and shrunk — for Ramsay lived in a welter of children, whereas Bankes was childless and a widower — he was anxious that Lily Briscoe should not disparage Ramsay (a great man in his own way) yet should understand how things stood between them. Begun long years ago, their friendship had petered out on a Westmorland road, where the hen spread her wings before her chicks; after which Ramsay had married, and their paths lying different ways, there had been, certainly for no one's fault, some tendency, when they met, to repeat.

  • 二回出てきているanxiousのニュアンスについて長く話し合われた。anxiousには心配である、気がかりであるという意味と、切望するという意味の二種類が大きくあって、この冒頭の文ではどちらなのか? ということだ。最初こちらは、気がかりだというニュアンスで考えていたのだけれど、友情のために気がかり、というのはなんだかよくわからない。tooのあと、in order to以下とのつながりのほうはわりとわかるのだけれど。それで話しているうちに気づいたのだが、この最初の文ではanxiousの向かう対象はまだ示されていないのだと思った。つまり、he was anxious that Lily Briscoe(……)のthat以下が省略されていて、というかまだ提示されておらず、anxiousであることの理由だけが述べられているのだなと思い、こちらとしてはそれで納得した。BankesはLily Briscoeが、Ramsayのことを誤解したり、軽んじたり、不愉快なひとだと思ったりしないようanxiousである(何しろ二人が湾に来る前のところで、Ramsayはテニスンの勇ましい詩を大きな声で朗誦しながら庭をずんずん闊歩して突然あらわれ、去っていくのだから)。ということはこのanxiousは、切望、とも言えるし、気がかり、とも言える。いずれにしても、どうかBriscoeさんには、Ramsayのことを誤解しないでほしいんです、というようなニュアンスだ。そう考えるとfor the sake of this friendshipの部分も納得が行く。ここでBankesはRamsayに対する自分の親愛がまだ失われていないことを自覚した直後なのだけれど、彼との友情を守るために、Ramsayを誤解させず、あれは偉大な男なのだということを正しく理解してもらいたい、ということだ。そのあと、in order to clear himself以下はどういう論理なのか、つまり、Lily BriscoeにRamsayのことを正しく理解してもらうことが、なぜ自分は年老いて干からびた子のない男やもめだという(おそらく主にはみずからでつくりだしている)非難(imputation)から逃れることになるのか、という点はややわからないが、たぶん、Briscoeに対してRamsayのことをあれこれ評することで、自分はRamsayとまだ対等に付き合える人間だとおのれに言い聞かせることができる、というようなことではないかと推測する。ちなみにwidowerの語も話題になって、widowすなわち未亡人の男版というわけだけれど、「男やもめ」という言い方でしかほぼ聞いた記憶がない「やもめ」という語は、諸説あるようだがひとつには「家を守る女」が原義もしくはもともとの表記らしい。その場で(……)くんや(……)さんが調べてそう述べたのだ。クソ納得した。それの男版ということは、「やもお」というような言い方になりそうなものだと思ったところ、実際それもあるらしかった。しかしいまでは「男やもめ」が一般的だろう。さらについでに言っておくならば、widowは動詞で女性を夫と死別させる、という意味があるようだ。widowerということは、もともとwidowするひと、ということではないかと思ったのだけれど、もしそうだとしたら、ある女性を夫と死別させるひと、がどうしてみずから妻を失った寡夫になるのかはよくわからない。
  • 本当は今日は二段落やる予定で、(……)さんもその分訳してきていたのだが、なんとなく一段落で良いのでは? という雰囲気がただよい、次回の担当だったこちらが、(……)さんに訊かれて、まあ再来週になったほうが助かるは助かりますけどね、と言ったことで、それじゃあ今日は一段落にしましょうと決まった。それから『イギリス名詩選』。今日は(……)くんが選択。William Blakeの"Infant Joy"。短く、簡潔で、まあなんということもない詩篇ではある。生まれたばかりの赤ん坊とその親もしくは詩人が会話して、Joyという名を子にあたえながらSweet joy befall thee!と祈る、あるいはうたう、という内容。テクストのみから考えると、この対話相手が母親かどうかは、たぶん確定できないはず。普通に父親の可能性もあるし、註で触れられているとおり、詩人自身が(自分の子かどうかは措いて)赤ん坊に語りかけている設定、とも取れる。ただ訳文は母親として訳されており、そのあたり(……)さんなどは、先入見的なものをたぶん感じたのだろう、疑問視していたようだ。ただ(……)くんが貼ってくれたブレイク本人のものだという挿画を見るに、赤く巨大な花の、円状にひらいている花弁のその底に赤子を抱いた母親と、もうひとり、天使か何かよくわからない羽を持った存在がいる、という図になっているので、これを合わせて考えるならば一応対話相手は母親、もしくはこのよくわからない存在、ということになるだろう。(……)たしかに図像としては聖母的な表現なのかもしれないが、ただ相当にゆがめられているというか、何しろこの天使だかなんだかよくわからない存在の背に生えている羽が、斑点をひとつ付されたもので、要するに蝶のそれを思わせるようなものなのだ。だから羽と書くよりも、翅と表記するほうが良いような感じ。舞台が花だから虫がイメージされたのだろうか? わからないが、そのあたり通常のキリスト教的な表現からは逸脱したものになっているのではないのだろうか。(……)くんは、どっちかって言うとニンフですよね、と言った。たしかにそうで、だからいわゆる異教的要素ということになるのかもしれない。
  • 詩も読んだあとは雑談。順序は正確でないが、主にアカデミズムにおける知の権威性、みたいな話があった。(……)が話題に上がったのだけれど、その前に(……)さんの話があったのではなかったか。ということはすなわち、(……)さんと(……)くんの大学時代のことが先だったということだ。二人が(……)に在籍していたあいだの、「(……)」のメンバーのひとびとのことが語られたのだけれど、これはこちらが直接知らない内輪の人間の話だし、書くかどうかはのちのちの気分で決めよう。書いたとしても個人が特定できそうな話なので、ブログに上げるときには検閲する。大学時代の話から、(……)さんが、ジェンダーとかフェミニズムみたいな講義も一応取っていたけれど、この会で色々話を聞いていると、全然さわりしかやってなかったんだなとわかる、みたいなことを言って、そこから(……)に話が流れた。(……)そこから(……)さんが(……)について思い出したことを語った。彼が(……)に通っていた時代、(……)が講義をしに来たことがあったのだけれど、宗教学概論みたいな一般的な内容の講義でフローベールの名前を出して、みなさん当然ご存知ですよね? これくらいは知っていないと、みたいな言動をはたらいたと言うのだ。まあたしかに文学を読んだりやったりしようと志す人間だったら、フローベールは名前くらいは知っていてしかるべき固有名詞だとは思うが、宗教学の、おそらくは一年生向けかなにかの概説的講義でそんな風にマウントを取られてもなあ、という気はする。(……)それでこの、「ご存知のように」「周知のように」的なレトリックの是非や功罪について、また知的職業者の権威的な振舞いについてなど、話された。批評家とか学者とかはこの「周知のように」「みなさんご存知のように」という言い方をよくするもので、(……)くんが挙げた例で言えば、フーコーの講義録を読んでみても、いやそんなの知るわけねえしということも含めて、この枕詞を多用していると言う。これは実際、まさしく「枕詞」なのであって、周知でないようなことにかんしてもそういう風に言って導入したり、聞き手もしくは読み手の関心をつかんだり、もしくはこのくらいのことは知っておけという圧迫をかけたりする技術なわけだ。だからそんなに真正面からクソ真面目に受け取る必要はないことも多いと思うのだけれど、それがやはり門外漢というか、そういう話法に慣れていないひと、たとえば(……)さんが挙げた例のように、これから学問というものに触れていこうというような大学生などにとっては、嫌味でうざったく感じられることは往々にしてあるだろう。それが行き過ぎるとパワハラみたいになってくるわけだけれど、ただ一方で、大学とか研究の場に限って言えばそういう権威性の教育的効果というのもたしかにあるにはあるのだろうとも思う。(……)くんがそのあたりを話していたけれど、学問をやる、ものを学ぶとなったら、この分野では最低限これは知っていなくては話にならない、というラインは実際あるわけだ。学生たちに発破をかけるというか、その尻を叩いて煽るというような目論見を持って権威性を発揮する教師もいるかもしれず、それがうまく機能することもないではない。まあそういうやり口はもう古いんじゃない? いまそれをやってもあまりうまく行かない気がするし、偉そうで嫌なやつだと思われるだけなんじゃない? というのが率直な印象ではあるけれど、たとえば(……)くんのように反骨心旺盛なひとに対しては、けっこううまくはたらく。彼は大学時代にジャズ研みたいなところに行ったとき、ジャズソウルだかジャジーヒップホップみたいなやつが好きで……と言ったところ、先輩から、それってたとえば何? と訊かれ、nujabesとかMadlibとか……と名前を出したところ、あからさまに煽られたらしく、nujabesとかMadlibとか、そんなんでジャズソウルとか言ってんの? D'Angeloは知ってる? ロバグラは? などと高飛車に当たられたと言う。実に鬱陶しい先輩だと思うし、まずRobert Glasperをロバグラと略すのではなくてきちんとRobert Glasperと言えと思うが、当時そのあたりをまだ知らなかった(……)くんは、クソが、見てろよ、ぶっ殺してやる、と思い、すぐにTSUTAYAに行って挙がった名前を全部借りて聞いたらしい。これは(……)くんがサイヤ人的戦闘民族なのでそういう風になったわけだが、たぶんそれは稀有な例ではないだろうか。ただ学問の世界っていまも昔もけっこうそういうところはあるのだと想像され、(……)くんがこのとき言っていた言葉で言えば、職人の親方と弟子みたいな、要するに「徒弟制度」的なコミュニティの閉鎖的側面はまあたぶん普通にあるのだろうと思う。なんだかんだ言っても知の闘争が旨で、どちらが頭がいいか、ものを知っているか、すばらしい思考を生み出せるかというのを競争する世界なわけだから。それはともかく、知の面における権威的な振舞いの是非という話題にもどると、まあその場の状況と言い方やタイミングによるという退屈な落とし所になってしまうわけだけれど、こちらがこの話のときに思い出したのは、高校時代の倫理の先生のことで、(……)先生という名前だったそのひとはなぜかいつも白衣を身にまとっており、やや特殊な雰囲気を醸し出しているほうのひとだった。彼が授業中に、そのへんの高校生がもちろん知っているはずもないようなことについて、まさしく「みなさんご存知だと思いますけれど」、みたいな言い方をしていたのだ。いまから思い返してみると、こちらが人生ではじめてこの修辞法に触れたのが、たぶんこの倫理の授業だったと思う。で、そういうレトリックは、しかし偉ぶったものとして響くことなく、この先生の特有の言葉遣いとして、ことによるとちょっとユーモラスな、面白い言い方のようにして受け容れられていた。クラスメイトとそれについて少々話した記憶があるのだ。まあどれだけひろく受け容れられていたかはわからないが、こちら自身は悪印象をまったく持っていなかったし、ほかの生徒たちからの人気も、めちゃくちゃ高いわけではないが、なんか面白いし、良いひと、というあたりに落ち着いていたように思う。実際、彼は偉そうなところはまるでない良い先生で、からだも線が細かったが人格としても飄々とした感じの雰囲気のひとだった。授業中にわりと余談をすることがあって、それが面白いと多くの者が言っていた記憶がある。彼は東京大学出身だという噂があったのだけれど、もしかしたら本当にそうだったのかもしれない。同級生の(……)は卒業後、たぶん身の振り方というか人生の行き先みたいなことに悩んだのだと思うが、このひとに相談に行って、その助言を受けてニュージーランドに留学に行ったと話していた。
  • 権威性というか、知をインストールさせる言動にしても、このことは知っておいたほうが良いと思います、とはっきり言うならともかく、こんなことも知らないの? 的な馬鹿にするようなニュアンスになってくると、やはりいかにも圧迫的で偉そうな印象になって、他人に興味を持たせたり知の営みのなかに導いたりするよりは、敬遠させてしまう、引かせてしまうということにどうしたってなるだろう。(……)さんもこのとき言っていたけれど、そういう風に、これを知っていなければ仲間ではない、仲間に入れてやらない、みたいな言動は嫌いだと。彼がそう言うということは、大学においてそういう言動をたくさん体験してきたということなのだと思う。たしかにそれは悪い意味でのオタク的な振舞いになってしまうのではないかという気がする。(……)それで、いや、お前だって知らないときあっただろ、と思う、と(……)さんは言うので、クソ正論だと思って大いに笑った。知らないの? というような言い方はやはりきわめて良くないなあ、と思う。とはいえ、そういう言い方を離れては、こちらもわりと権威的というか、自分の知っていることをぺらぺらひけらかすように語るようなところがあるのでは? という気もする。この日々の書き物はむしろ完全にそういうものとして記されているだろう。ブログに上げたあと、読み手がそれを鬱陶しい衒学として受け取るか、興味深い情報として受け取るかはわからないが、まあこれはそういうものとしてこちら自身は許容している。それに連鎖的に思い出した知識などを記しておくと、それによって記憶がより定かになるという効用もある。また、書き言葉で衒学するのと、身体とともに話し言葉と声でもって衒学するのとでは、かなり違ってくるだろう。(……)さんもこのときに言っていたけれど、たとえば蓮實重彦の文章のなかで全然知らない映画監督の名が出てくると、そんなひといるんだと思ってワクワクするけれど、それを講義とかで目の前でやられたらたぶんめちゃくちゃ嫌だろう、と。蓮實重彦はもう権威そのものというか、すくなくとも教育の場では、選良を育成するのだという明確に絞られた目的意識を持って振る舞っていたのだと思うけれど。その講義だかゼミだかはたしか、年間何百本か映画を見ていないとそもそも参加できない、みたいな感じだったらしいし。ただ、そういうところから、たとえば黒沢清が生まれた、ということはあるわけだ。と言ってこちらは黒沢清の作品を見たことがないし、そもそもいまのところは映画自体をまったく見つけない人種だから、その凄さを何一つ体感としては知っていないけれど。ただ、いま『ユリイカ』の蓮實重彦特集をひらいて、黒沢清青山真治万田邦敏というひとが鼎談しているのをちょっと読み返したところ、万田氏によれば、「当時の蓮實さんの授業というのはそのとき街でかかっている映画を見てきて、それを次の週に扱うというものだった」(108)らしく、うーん、これはやっぱり大切なことだよなあと思った。黒沢清いわく、「僕らの世代はまだ著作もほとんどない頃だから、最初に授業で何を言われるかというのは大きいと思う。僕の場合は、たぶんそれが幸運だったと思うんですが、初めにこれを見てこいと言われたのがドン・シーゲルの『ドラブル』(一九七四年、一九七五年日本公開)だったんです。それが全く知らない映画だとか、知っていても見る気のしない、あるいはいかにも教科書に載っていそうな作品だったとしたら少し違ったかもしれないですけど、もともと『ドラブル』は見にいくつもりで前売り券も買っていて、しかも授業でその作品が挙がるとは思わなかったので「うわ、この人すごいことを言うな」と」とのこと。蓮實本人も、巻頭のインタビューで、「いまの例で出された若い読者にわたくしが言うべきことがあるとすれば、「現在の映画を見ろ」ということに尽きます」(21)と断言しており、こちらも映画ではないが文芸にかんしてこういう姿勢を持たなければならないと思ってはいるのだけれど、なかなかそれを実践できない。
  • ほか、終盤は(……)くんが、すごく良いと思う文章を紹介するなど。古井由吉にくわえて、中井久夫が挙がった。中井久夫はまだ一冊も読んだことがないが、もちろん読んでみたいと思っている。こちらは梶井基次郎はいいですよ、すばらしいですよと言っておいた。日本語の書き手でこちらがいままですごいなと思ったのは、古井由吉がやはりどうしても筆頭で、あとは梶井基次郎と(……)さんくらいしかいなくなってしまってどうもなあ、と思う。つまりこれは、それだけこちらが日本文学を読んでいないということなのだ。近代現代古典問わず、海外に比べると読んだ数はかなり少なくて、たとえば芥川など一冊も読んだことがない。川端康成もたぶん『雪国』だけではなかったか? 森鴎外も一冊もない。一応日本語で書いている身だし、もっと日本の書き手からも学ぶことを学んでいかなければなあと思う。
  • (……)
  • それで二時半で退席し、風呂へ。三時過ぎまで入り、出てくるとちょっとウェブを見てから就寝。三時五〇分頃だった。今日は三時頃に消灯しようと思っていたのに、果たせず。