2021/3/19, Fri.

 こうした文彩には、もうひとつ別のものがある。〈贋造術〉だ(贋造術とは、筆跡学の専門家たちの特殊用語で、筆跡を模倣することである)。わたしの言述には、対になった概念がたくさん含まれている(デノテーションコノテーション、読みうる/書きうる、作家/著述家など)。これらの対置は人為的なものだ。概念的な方法や、分類することの強みを、学問から借りてきているのである。言葉づかいを盗用しているわけだが、しかしそれを完全に適用させるつもりはない。これはデノテーションで、あれはコノテーションだとか、この人は作家で、あの人は著述家だ、などと言うことは不可能なのだ。対置関係が〈刻印されている〉(貨幣が刻印されるように)のだが、その関係を〈尊重〉しようとは思わない。では、対置関係は何の役に立つのか。ただ単に〈何かを言う〉ことに、である。ひとつの意味を生みだし、つぎにそれを漂流させうるためには、パラディグム的選択を設定することが必要なのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、130; 「贋造術(Forgeries)」)



  • 一応目を開けつつも、だらだら寝過ごして一二時。起き上がって水場へ。用を足したりうがいをしたりする。母親はちょうど出勤していったようだった。もどると瞑想。たしか一二時一四分から三七分までだったはず。なぜか今日は呼吸がしやすかった。起きてから肩をたくさん回したためか? 座っている最中、外で、たぶん(……)さんの宅でやっている何か機械作業の音がやんだときがあって、そうすると無人の家内にも室外からも何の物音もひとの気配も風の響きも立たず、マジで無音というか動きが何もないというか、瞑目の外の空間が丸ごと空白と化したかのような感じだった。あとでベランダに出たときなど風の流れはないではなかったのだけれど、さほど強くもないし、このときは家に触れたり窓を揺らしたりする気配も聞き取れなかった。からだの姿勢は、左右のバランスはわりと良いのだけれど、前後が難しく、気づくとなぜか上体が後ろに引き気味になっていることが多い。
  • 上階へ。着替えて食事。炒飯と前夜の味噌汁。白菜のもの。新聞を見ながら食べる。日本芸術院の賞に千住博。六人受賞者がいたはずだが、文芸方面はなかった。その他、香港関連とミャンマー。香港から英国に逃れたひとの証言など。国家安全維持法施行以後は身の回りでも当局への密告が相次ぎ、身の危険をおぼえるとともに人間を信じられなくなったと。それで英国に渡って、市民権取得を申請しているが、取材にも匿名でこたえ、通話に顔を出すことも断ったと。香港に残っている家族や友人らに危険がおよぶといけないからと。英国は香港から逃れてきたひと用に特別のビザを設けていて、それで五年間滞在できるらしく、さらに一年過ごせば市民権を得る資格が持てるとか。記事中に「さらに一年」と書かれてあったはずだが、これは五年プラス一年ということではなくて、滞在資格とはべつで、ということだったのかもしれない。つまり、「また」にあたる用法だったのかもしれない。不明。しかし、一年過ごしただけで市民権をあたえてもらえるというのははやすぎるか? そのあたり全然知らん。
  • ミャンマーでは民間の新聞がことごとく停止して、主要報道社が国営紙だけになったと。当局から発行権を停止させられた会社もあれば、いわゆる不服従運動の一環で記者が大量にやめて立ち行かなくなった会社もあるらしい。インターネットも、たしかすくなくともヤンゴンではほぼ遮断されていると書かれてあったと思うし、情報統制が加速していて、いよいよなんというか戦時国家みたいになってきている。
  • 食後はいつもどおり食器と風呂を洗って始末する。緑茶を用意して帰室。Notionを準備し、ボールを踏みながら一服して、そのままベッドになだれこんでだらだらし続けた。だらだらするときは堂々と、自信を持ってだらだらするべきである。泥棒のようにこそこそちまちま萎縮しながらなまけるのではなくて、堂々と陽のもとの大道を行くがごとくなまければ良い。三時半くらいまで横になって、それから起き上がると音読。「英語」を読む。101番から。BGMはBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』。"Mr. Tambourine Man"に達したところで読むのをやめて椅子を下り、歌をうたいつつストレッチをした。「英語」記事はひとまず134番まで。合蹠など久しぶりにやったがやはり筋は毎日伸ばしたい。
  • 五時前まで柔軟をして、上階へ。まず米を磨ぐ。炊飯器にセットしておくと、次に餃子。味の素のやつ。フライパンに乗せて炙っておき、そのあいだにネギとゴボウを切って味噌汁を支度。餃子はこちらでほとんど手を加えることなく完成した。本当にほぼずっと放置していただけ。ある程度焼けたところで蓋を取り、さらに焼いて、羽根の部分が焦茶色になっていたのでフライパンを持って揺すってみると、見事に餃子全体がひとまとまりになって底から剝がれたので、フライ返しも使わずにそのまま手首を振ってひっくり返しただけ。味噌汁を煮ているあいだに洗濯物をたたんでおき、二種類の味噌を溶かして味つけをすると終了。あとあれだ、茹でてあったほうれん草を絞って切ったのだった。終えて郵便類を取りに玄関を出るとちょうど父親の車が来たところだったので、手を上げて挨拶しておく。もどると下階に下ってギターをいじった。まあまあ。相変わらずちゃんと曲をやる気にならず、適当に弾いているだけ。適当に弾いていると当然ミスる。ミスらず適当に弾けるようになりたい。一連の流れのなかで、楽しく弾けている感じがするときもあるというか、思いついた方向にうまく一致して弾ける時間もあるにはある。ただ長くは続かない。
  • 六時過ぎで食事へ。父親は風呂。食べ物をそれぞれ支度して摂取。夕刊を見る。ウクライナチェルノブイリ世界遺産にするよう申請していると。四月二六日で三五年だという。事故では原発の四号機が爆発して放射性物質が撒き散らされ、周辺三〇キロ圏内はいまも居住禁止になっているらしい。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがたしかチェルノブイリにかんする本を書いていなかったか? 以前も記したけれど、ノーベル賞がジャーナリストの仕事に対して文学賞をあたえたというのは、マジで良い選択だったんではないかという気が年々強まっている。ノーベル文学賞としては、たぶんそれまでほぼなかったんではないか。ピューリッツァー賞とかはなんとなくそういう方面をよく取り上げているイメージがあるけれど。
  • ほか、英国アストラゼネカ製のワクチンの調査が終わり、EUの薬事当局組織が、血栓とワクチンの関連は認められなかったと発表したらしい。オーストリアだったかオーストラリアのほうだったか忘れたが、アストラゼネカ製ワクチンを接種したあと血栓ができて死亡したという例があったらしく、それでヨーロッパの国々は接種を一時停止していたと言う。今回の発表を受けて再開されると。めちゃくちゃレアなケースで血栓とワクチンのあいだに因果が認められる可能性があるので引き続き調査をすすめるとのことだったが、そういう事態はまず起こらないし普通には問題ないという話のようだ。
  • また、一面には、米中の外交高官がアラスカ州アンカレジで会談したと。米国が人権問題とか南シナ海での活動とかについて口をはさんだところ、中国は内政干渉だと返すといういつもながらのやりとり。米側はブリンケン国務長官とジェイク・サリバン大統領補佐官で、中国側は楊潔篪 [ヤン・ジェチー] と王毅外相。楊潔篪共産党政治局員みたいな肩書きだった気がするが忘れた。中国側は一応、米国と中国の利害は重なる部分が多く、コロナウイルスと世界経済の回復と気候変動などの大きな問題では互いに協力できるとも発言した模様。
  • 食器を洗っていると父親が風呂から出て、料理に使った器具などもまとめて洗い乾燥機におさめてから便所に行くと、母親の車が駐車場に入ってきたのが見えた。それで出ると居間で待っておかえりと挨拶し、急須と湯呑みを取ってきて茶を用意。(……)
  • 茶を持って帰室すると今日のことをここまで記して七時四六分。
  • それから、心身の輪郭がちょっと乱れている感じがあったので、ヨガで言うところの死者のポーズ的に(それはまた、自律訓練法とほとんどおなじことである)じっと寝そべって休むかと思った。ついでに、音楽を聞くことにした。聞くというか、普通に寝そべっていると眠ってしまうような気がしたので、一応音楽を耳に入れて多少意識を保ち、眠ってもすぐに起きられるようにしておくか、と。それでBob Dylanの一九七五年のライブ盤の最後に入っている"Knockin' On Heaven's Door"を流して仰向けになった。案の定、さっそく意識が曖昧に液状化したようで、特に印象が残っていない。そのあと、Ambrose Akinmusire『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard』から二曲流したのだが、これも同様。ただ、心身を休めるにはこれは良い方法だ。
  • そうして九時前から入浴。風呂のなかで、「焼煙と踊るわたしのこころには屈託さえも恩寵の音」という一首が形成。数日前からあらわれていたのを仕上げたかたち。もうひとつ新たに思いついたが、これはまだまとまりきっていない。
  • 入浴後、自室にもどると、ウェブをちょっと見たあとしばらくThomas Graham, "Yukio Mishima: The strange tale of Japan’s infamous novelist", BBC(2020/11/25)(https://www.bbc.com/culture/article/20201124-yukio-mishima-the-strange-tale-of-japans-infamous-novelist(https://www.bbc.com/culture/article/20201124-yukio-mishima-the-strange-tale-of-japans-infamous-novelist))を読んだ。ベッドでボールを踏んで足裏をやわらかくしながら。途中まで。そのあと、また音楽を聞きながら仰向けになって休むことにしたのだが、なぜかQueenの『Live At Wembley '86』を聞こうという気になっていたのでそれを流した。ベッドで休みながら音楽を聞くというのは良いかもしれない。音楽をちゃんと聞こうとなると、どうしても鑑賞みたいな姿勢になるというか、椅子に座ってきちんと聞くみたいな態度になってしまい、そうするとなかなかそういう姿勢に移る気が起こらなくなってしまうので、楽に聞けるのが良い。BGMで流すと大して意識に入ってこないが、きちんと聞こうとすると大変なので、そのあいだくらいの感じで、心身を休めながら耳を傾けるというのは良い。眠ってしまう恐れはもちろんあって、先ほどの一度目は実際半分くらい眠っていたわけだが、べつにそれならそれでも良いし、一度寝ればもう眠らなくなるだろう。で、Queenのこのライブ盤は相当久しぶりに聞いた。Queenは高校の頃けっこうはまっていて何度もくり返し聞いていたので、次に何の曲が来るのかどういう始まり方なのかが自動的に先取りで再生される。Freddie Mercury亡きQueenがPaul Rodgersをボーカルに迎えてやったライブ盤もあって、あれがこちらが高校生だったあいだか大学生になった頃だったはずだから、二〇〇八年くらいではないか? Paul Rodgersという人間はやたら歌がうまくて、正直ボイスコントロールと安定性でいったらFreddie Mercuryより上だなと当時から思っていたのだけれど、Mercuryの大仰さと荒っぽさはむろんRodgersにはない。『Live At Wembley '86』を今回聞いてみても、Mercuryのシャウト的な声の張り方の密度と勢いは良い。"In The Lap of the Gods"の"so funny"のところとか、"A Kind of Magic"の諸所とか、"Under Pressure"の最初とか。Roger Taylerの高音コーラスもやはりすごくて、"A Kind of Magic"の"will soon be gone"のところとか、主旋律に対してこの高さでつけて普通に出すの? という感じ。あと久しぶりに聞くとBrian MayもなんかすごくBrian Mayだなという感じがあって、粘りを帯びた音色でちょっとビブラートをかけたチョーキングが出た瞬間からもうそうだし、そのあとハンマリングとプリングを絡めながらペンタトニック+αみたいな音使いで下降するフレーズが来るとこれめっちゃBrian Mayだわと思う。一枚目の八曲目の"Another One Bites The Dust"まで聞いたのだが、その前の"Under Pressure"が良かった。最後の、スタジオ盤だとDavid Bowieが担当しているパートで、"give love, give love"のくり返しの下からゆっくりしずかに浮かび上がってくるあそこが好きで、今日聞いて普通に感動してしまった。そのあとデスクにもどってYouTubeでこの音源の動画を見たのだけれど、Freddie Mercuryの動きは動画で見るとクソダサくて笑ってしまう。だが彼はこれで良い。ついでに、Freddie Mercury追悼コンサートでGeorge Michaelがやった"Somebody To Love"の映像も見た。この音源はQueenにはまっていた頃はめちゃくちゃすごい、神がかっていると思って何度も見たが、今日再見してみるとそこまでの驚きはない。当時は全然気にならなかったけれど、まずもってGeorge Michaelの声と発音と歌い方はMercuryに比べるとかなりまろやかで、変な言い方だが「坊っちゃん」というような感じがあり、これはやはり、ロックというよりはポップスの人間だということなのだろうか? ついでに一九八一年のMontrealでの"Somebody To Love"も見てみたが、ここでのMercuryの歌唱は良くて、(とりわけ序盤の)フェイクにブルースもしくはソウル的な気味が含まれていて好みだし、荒いところはあるものの音がすばやく上がるところのぐいっと伸びる感じとかすごい。ただ動きはやはり笑う。スタッフにマイクを渡されてピアノの前から立ち上がったあとにステージを歩き回るときの動き方とか、普通にダサいと思うのだけれど、機敏すぎるので笑ってしまう。
  • この日はあと、書き物を前日一八日まで仕上げて投稿した。仕上げたと言ってもたいがいもう記憶が去っていたので、たくさん書いたのは読書会のあった一四日くらいで、あとは書き足すこともすくなかったが。それでブログに投稿。投稿作業をしているあいだは、(……)くんがLINEの「(……)」グループに紹介していたヒップホップのYouTube音源をひとつずつ再生していたのだけれど、舐達麻がかなり良かった。「OUTLAW/BADSAIKUSH"舐達麻"Feat.KENNY-G"prod.GREEN ASSASSIN DOLLAR (official video)」(https://www.youtube.com/watch?v=aQDaBCGuI3Y(https://www.youtube.com/watch?v=aQDaBCGuI3Y))というやつ。舐達麻は良いと以前から(……)くんに聞いていたし、(……)さんもブログでときどき触れていて、たしか去年の個人的音楽一〇選みたいなやつにも入れていたような気がするのだが、これはたしかに良い。ラップの声が低めであまり派手派手しくやろうとしないのがまず良いし、一音一音の粒立ちがきれいでリズムもきちんと固まっているから、声と言葉が詰めこまれているのがむしろ気持ち良い。
  • 四時前からベッドに移行してムージル古井由吉訳『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫、一九八七年)を読んだものの、眠気が闖入してきて大して読めず。四時半ぴったりに消灯して意識を捨てた。