2021/3/25, Thu.

 ある前衛芸術の方針は、こうである。
 「世界は、まちがいなく蝶つがいが外れてしまっており、激しい運動だけが、すべてを再びかみ合わせることができるのだ。だが、それに役立つ道具のなかには、繊細にあつかう必要のある、小さくて弱い道具があるかもしれない。」(ブレヒト、『真鍮買い』より)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、155; 「繊細な道具(L'instrument subtil)」)



  • 一一時五〇分の起床と遅くなってしまった。たびたびの覚醒をつかめず。今日は白曇りであまり良い天気ではない。遅くなったので瞑想も省いて上階へ。母親に挨拶。郵便局で配達物を届けに来るから上にいてくれと言うが、べつに上にいなくとも出れば良いだろうと返す。部屋の扉を開けっ放しにしておけばインターフォンのベルが聞こえるはずだ。配達物というのはなんなのかわからないが父親宛のもので、昨日全員が不在のあいだに一度来たのを再配達してもらうらしいのだけれど、時間指定をしなかったから、今度から夕方とかにしてもらわないと困るよ、出かける用事があったりするんだから、と言うのを聞くに、帰ってきた父親が電話をかけて再配達を頼んだということなのだろう。母親は銀行と買い物に行く用があるらしかった。こちらは勤務のために五時過ぎには出る。
  • 煮込み素麺などで食事。祖母が胆管癌だという情報。手術はできないからモルヒネなどで軽減治療をすると。ホームにちょうど、そういったことをやったことのある医者がいるらしい。それだともうそこまで長くないだろうから、顔を見に行かねばならんなと口にしたが、いまはコロナウイルスのために面会はできないらしい。新聞からは国際面。昨日の夕刊でも読んだが、イスラエルの選挙の結果。リクードが第一党なのは変わらないが、ネタニヤフ派は五〇議席ほど、対して野党が組んだ反ネタニヤフ派は五五議席ほどで勢力は伯仲していると。連立に入っていなかったなんとかいう右派とその他の中立勢力で一二議席ほどになるので、このひとたちがネタニヤフと組むかどうかが焦点になりそうだと。ただ組閣はたしか大統領が要請するような形式になっていて、だからネタニヤフではなくて勢力的にはそれをわずか上回っている野党側に要請する可能性もあるのだと思う。あとはミャンマーで沈黙のストライキというものがおこなわれていると。要は当局の弾圧を避けて通りには出ないが、かわりに外出せず出勤せずに抗議の意を示すと。スーパーマーケット経営のシティマート・ホールディングスという会社が傘下の全店舗を休業することを決定したとあって、この会社は過去の記事でも似たような動きを伝えられていたが、けっこう大きな企業なのだろうにすげえなと思った。
  • 皿洗いと風呂洗い。緑茶をつくって帰室。ベッド縁でボールを踏みながらコンピューターを前に。Notionを用意。そのあとウェブをいくらか閲覧し、一時半くらいから音読。「記憶」記事。ちょっと読んだあと、この日のことをここまで記していま二時一四分。
  • それから労働に出向くまでのことは忘れた。
  • 五時一五分頃出発。道を行く。左の垣根かもしくはその切れ目から吐き出されるようにして勢いよく鳥があらわれ、目の前を横切って対面の林縁に渡っていくのが二度続き、移った先では草木にまぎれて見えなくなったが固いような地鳴きの声が落ちてくる。わりと余裕のあるような心持ち。足も急がない。坂をゆっくり上がっていると横を抜かしていくものがあり、見れば若者で、茶と金のあいだみたいな髪の毛は箒の先を縛ったようなパーマでややうねり、ズボンが鴇色と言えば良いか、なんとも言いづらい桃褐色みたいな方向の色味だったが、それがずいぶん細くて脚をぴっちりとかたどっており、長さも短くて靴に届かない裾から白い靴下が露出している。男性だと思ったのだが、そういうスタイルを見るに女性的な感じもあるので後ろ姿を追う段階ではなんとも言えず、もしかすると二元論的性境界がさほど確固でないひとなのかなと思った。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤は一一時直前と遅くなった。歩いて帰ることに。コンビニの前のバス停のベンチに寝転がっているひとがいた。ひとというか、ほとんど沈んだような色の布のかたまりにしか見えなかったが、たぶんひとだったはず。財布にあまり金が入っていないことを思い出したので、明日は出かける用もあるしとコンビニで金をおろすことに。入店して手を消毒し、ATMで五万円をおろす。それから明日のために除菌シートでも買っておこうかなと思って棚を見たが、レジで人間とやりとりをするのが億劫だったのでやめて退店。暗い裏道に入ってゆっくり歩いていく。大気は寒いというほどではない。コートを着てマフラーをつけていればなんの問題もないが、ただ流れて顔に当たってくるものはあり、それは多少冷たくて、マスクをつけていても息を吸えば鼻のなかにその冷感が入ってくるので、息がこもって邪魔臭いもののマスクを取る気にならない。文化センター裏まで来ると、前から二人、声や気配からして年嵩らしき男が連れ立ってやってきて、固定資産税がどうとか何か金の話をしていた。道のおりおりに花の香りがひそんでいるのが、夜で、しかもマスクをしていてもわかる。(……)坂に出たところで振り仰げば、高層階の窓が黄色く灯ったマンションの上にひらいた夜空が青く、渡りながら首を動かして見やるに西も東もやたらと青く満ちていて、夕刻に職場の入り口に立ったときには西空に雲が多数湧いて軍勢のようになりつつも夕焼けがそれを呑みこみ席巻して、澄んだとも言えず濁ったとも言えず、薄青い翳を混ぜて大禍時らしいような赤さを呈しているのを見たが、いまは雲はすっかり去ってしまったようで、まさしくコバルトブルーと言われるだろう夜時の深い青さが頭上のどこにもひろがった上で星と月とが遊んでいる。月は直上付近で、思いのほかに大きく丸かった。
  • 裏通りの中途で道の前方に猫らしき影が横切るのを見て例の白猫か? と思ったが、直後に右手の家屋を越えた林の木から、何やら奇矯な、鈍く潰れながら泡立ったような鳥の声が立ち、姿が見えるはずもないのにそちらを見やっているうちに影は消え、そこまで行って見回してみても猫の姿はなく、気配も感じられない。塀の隙間に入ったのかと思ってさらに行けばまた前方を横切る影があって、それは先ほどとおなじものなのか、あるいはべつの猫なのか、そもそも猫ではなくて狸か何かのたぐいかもしれないが、そこに行ってみても影が横切った先には線路脇に街灯も覆いきれない駐車場がひろがっているのみで、暗がりがそこここを支配しているから動物の姿はやはりうかがわれない。道にひとけはなく、ときおりテレビの音が壁内から漏れてくるくらいで立つものもなく、路上にあるのは静寂と沈黙のみだがそのような固い言葉を使うよりも、しずけさと簡明に言ったほうがやはりしっくりくるなと思いながら表に曲がった。久しぶりに夜道を長く歩いたが、非常に自由な心身の感覚があって、とても落ち着くものだった。自由とは、ひとりであるということである。ひとりであるというのは個であるということだ。この上なく個であるという感じがしていた。表道は小公園に接していてそこには桜の木がならび、毎年春にはこれが雲のように咲くのを見ているが今年は徒歩を怠けていたので見たのはこの日がはじめてで、しかし夜なので白さもあきらかならず暗い宙のなかに青いような影として浮かぶのみ、そこからちょっと行けば爆発的に咲き伸びて白を振り乱したユキヤナギが電灯をそそがれて黄色いようになっていた。外をゆっくり歩くのはやはりすごく良いなと思った。何が良いと言って先にも思ったように個としてほぼ完全に自由であるということで、夜はとりわけこの田舎町ならひともいないし、車は風を切って地を擦りながら通るもののなかの人間の性質など伝わってこないからそれは単なる動く物体だし、空間に人間的な意味のにおいがきわめて希薄で、まわりに基本的にはものしかないというのがとても良い。そしてそれらのものたちは、こちらと何の関係もないわけである。それらはただそこにあり、こちらもただここにいるという、たったそれだけの偶発的なかかわり方でしか関係していない。そのような事物たちが自分の周囲をすべて占めて、こちらの心身をつつみこんでくるようなのが非常に心地良かった。昼間に歩くのもそれはそれで良いが、日中はひとの気配が濃いのでものたちもそれにいくらかは染められてしまう、しかし夜になるとものが単なるものとしての様相をよりあらわに取り戻し、そこに特段の意味が生じるわけではないが、むしろその余計な意味を吐かない即物性でもってそこにしずかに存在しているだけだというのがありがたく親しみ深い。こちらにとってあちらはただ束の間出会って過ぎ去っていくものにすぎない、あちらにとってこちらも同様に、ふとあらわれて通り過ぎていくものにすぎない。それがこちらと事物たちとのあいだに交わされている慎ましやかな親愛のかたちだった。だからゆっくり歩くことはすばらしく、それは原初以来のきわめて単純で良きおこないなのだ。歩行とは自由の行為であり、健康な肉体ときちんとした靴と不愉快でないほどの気候条件が揃っているかぎり、それがすばらしくないときなどこの世に存在しない。まわりに樹木が林立してごつごつと無骨な表皮の幹が映画のようにゆったり流れていく坂を下りながら、あとすこしで家に着いて人間的な意味の空間に帰らなければならないのだと思うと、落胆と倦怠を禁じ得なかった。自宅の周辺の家並みのなかでは、黒闇の海に街灯の明かりが、首から切断されて水上を放浪する花弁のようにたゆたっている。
  • 帰宅したのは一一時半頃。部屋ですこしだけ休んでから食事へ。合間のことは忘れたし、入浴時も同様。翌日が「(……)」の三人との会合で、(……)に一一時半頃着く電車に乗るから、つまり最寄り駅を一〇時半頃発たなければならないから、七時半にアラームを仕掛けたしはやく寝ようと思っていたのだが、結局いつもどおり四時まで起きていた。
  • 47~48: 「愛する人のはるかな心臓がさまよい歩くのを彼女はかすかに耳にした。定めなく、安らぎなく、故郷もなく、境界を越えてたえだえに運ばれてくる、遠くから(end47)星の光と顫えてくる音楽の一片のように、静けさの中へ鳴り響きながらさまよい歩くのを」
  • 51~52: 「またしばらくして、窓の隙間から湿って柔らかな雪の夜の空気が吹きこんで、むきだしの肩を黙ってやさしくなぜた。そのとき、彼女はいかにも遠く哀しく、ちょうど一陣(end51)の風が雨に黒く濡れた野を渡ってくるように、ものを思いはじめた――」: 「一陣の風が雨に黒く濡れた野を渡ってくるように、ものを思いはじめた」
  • 69: 「彼女はあたりを見まわした。広場を囲んで家々が静かにまっすぐに立ち、教会の塔の鐘が時を打った。豊かな高い響きが四方の壁の小窓からほとばしり、降るうちにほどけて、家々の屋根の上をかろやかに越えていった。この鐘の音ははるばると響きながら大地を渡っていくにちがいない、とクラウディネは思いやった。そして戦慄とともに感じた、さまざまな声が世界を渡っていく、と。まるで青銅でできた、鳴りどよめく都市のように、たくさんの塔をもって重々しく、理性とは異なるものが……」: 「戦慄とともに感じた、さまざまな声が世界を渡っていく、と。まるで青銅でできた、鳴りどよめく都市のように」
  • 31: 「彼女の思いのせいか、それともほかの理由からか、浅いくせにしつこく、なにやら目にさからうものがその上をおおい、ミルク色をした気味の悪い薄膜をとおしてものを眺める気持がした。あのせわしない、あまりにも鮮やかな、まるで十本もの肢 [あし] でうごめく賑わいが、いまでは堪えがたいほどに張りつめられていた。その内には侏儒 [こびと] の足どりのようにあまりにも活発なものが、はしゃぎきって、人をからかい、こまかくうごめき流れていたが、それも彼女にとってはやはりもの言わぬ、生気もないものにとどまった」
  • 73~74: 「やがて自身が溶けて流れ出す――何かを叫んでみたいという願望、信じられぬほど奔放な興奮を求める欲望の中へ。何かをしたい、ただそれによって自分を感じとるだけのために際限もなくやってみたいという、根もないままに内から生いでてくる欲求の中へ。この喪失の過程には、あらゆるものを吸いとり、貪り荒らす力がひそみ、あら(end74)ゆる瞬間がまるで野生の、全体から切り離されて無責任になった孤独のように、記憶もなく、うつけた目で世界を見つめている」: 「あらゆる瞬間がまるで野生の、全体から切り離されて無責任になった孤独のように、記憶もなく、うつけた目で世界を見つめている」
  • 79: 「奇妙にも最後の誠実さにまでうちひらいた貞操の中で、この虚無のまわりに、この動揺の、この混沌とした拡散の、この病む魂の静けさのまわりに、なおかつおのれの肉体を、まるで現ならぬ傷口、ひとつに癒着しようとはてしもなく繰りかえされる努力の痛みの中から、むなしく相手を求める傷口の縁と感じとるために」: 「まるで現ならぬ傷口、ひとつに癒着しようとはてしもなく繰りかえされる努力の痛みの中から、むなしく相手を求める傷口の縁」