2021/3/27, Sat.

 彼は一九六三年ごろには(『批評をめぐる試み』のラ・ブリュイエール論では)、〈隠喩/換喩〉という対に夢中になっている(とはいえ彼は、一九五〇年にG[訳注168: 「G」とは、言語学者のA・J・グレマス(一九一七―九二)のことである。一九五〇年にバルトはアレクサンドリア大学でフランス語講師として教えており、当時グレマスは助教授としてフランス語史を教えていた。]と話したときから、その対についてはすでに知っていたのであるが)。水脈占い師の棒のように、概念は、対になったときにとりわけエクリチュールの可能性を〈引きだす〉ものである。概念は言う。ここに何かを言う力が眠っている、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、161; 「エクリチュールの機械(La machine de l'écriture)」)



  • 一一時二〇分頃の離床。時間は確認しなかったがそのくらい。昨日外出してさすがに疲れたようで、三時前に床に就いたがその時間なので、滞在は八時間半ほど。水場に行ってきてうがいなど。喉にひっかかりの感覚。昨日の夜もそうだったが、最近薬によってほぼ抑えられていた花粉症の症状がまた出てきている。四月も近くて飛散の量が増えているのか、単純に昨日山のほうに行ったためか、あるいは種類が変わってきているのか。部屋にもどると短く瞑想した。からだの感覚は座る前からすでにだいぶ軽く、まとまっている。ストレッチをしたり足裏や脹脛を揉んだりしているためであることは疑いなく、一年前に比べるとほとんど別物と言っても良いくらいの肉体感覚になっていると思う。一一時三四分から四六分まで。
  • 上階へ。冷蔵庫に入っていたトマトソースの炒め物みたいなやつを電子レンジに入れ、炊飯器に残った最後の米を椀に乗せて小鍋を使い釜に水をそそいでいると両親が帰宅。買い物のついでに埼玉の(……)の桜を見てきたとか。頭がおかしくなった時期の三月末くらいだったと思うが、こちらも母親と行ったことがある。食事。新聞からは国際面の、トルコがウイグル族にかんして対中批判をひかえて歩調を合わせているという記事。トルコはもともとイスラームの国であり、レジェップ・タイイップ・エルドアンが治世者になって以来(このひとも長くて、たしか大統領と首相を両方ともやっていたと思うのだけれど、こちらが大学二年生くらいのときにも当時触れはじめていた英文記事で統治者として名が出てきていた記憶があるので、すくなくとももう一〇年以上にはなる)建国時の政教分離原則をかえりみずに宗教方面に傾斜している。ウイグルのひとびとも基本的にはムスリムだと思うので、トルコはもともと中国を逃れてきた新疆ウイグル自治区のひとたちを亡命者として受け入れたり、中国共産党を批判したりしていたようなのだが、いまは経済と交易(と現在の状況ではコロナウイルスのワクチン)を重視して中国批判をさしひかえていると。今回王毅外相がトルコに来たところ、エルドアンは、トルコは対中関係を非常に重要視しており、中国に対するいかなるテロにも反対するみたいなことを明言したらしい。これはもちろん、ウイグルのひとびとはテロリストもしくは分離主義者であり、新疆ウイグル自治区に対する中国の政策はテロリズムから国を守るための安全保障策だという中国共産党の言い分を支持したものである。チャブシオールという外相のほうは、王毅が中国を支持してほしいとか言ったのに対し、トルコの複雑な立場や考えを伝えた、と述べるにとどめたらしいが。やっぱり経済を、金とものの流れや量を握ったやつが一番強くなってしまうんだな、と思う。もともと七〇年代くらいからのアメリカおよび国際社会の主要国の目論見としては、中国を市場経済のなかに取りこんで貿易関係を構築し、相互依存を強めることで無茶をできないようにしようという頭があったのだと思うのだけれど、いま現在、それを見事に逆手に取られているというか、中国が予想外に、あまりにも大規模に発展してしまったためにむしろほかの国が中国に依存してしまって、経済的利益の損失をおそれるがために政治面で強い影響をあたえることができない、という状況が明確にある。東浩紀が『ゲンロン0』のなかでそういう国家関係を、下品な比喩だとみずからことわりながら、頭では関係を切りたがっているのだけれど、身体的快楽にはまってしまって別れることができない恋人みたいなものだ、というようなことを述べているらしい。しかし『ゲンロン0』はまだ読んでいない。ただ一方で、いわゆる民主主義的、自由主義的価値観も中国内に、見えないところで、ある程度は根づきはじめているのではないか? とも思う。天安門事件はその大きなあらわれのひとつだったのだろうし、ここ数年の香港と台湾の状況もしかり、そして若い世代には共産党をよく思わないひともそこそこいるようだから。そういう気配を察知して反動をことさらに強化しているというのが習近平が主席になってからの状況ではないのか。
  • 飯を食っていると母親がうどんを茹でてきて、というのも米がなくなったからだが、うどんはいいとこちらは言っていたのだけれど竹ザルに盛られて食卓に置かれたそれを見るとつやつやとなめらかな白さでうまそうだったので、やはりいただくことにした。そうして少々食べ、皿洗いと風呂洗い。ポットに水を足しておいて自室へもどる。Notionを用意し、職場にメールの返信を送っておき、茶をついでくると飲みながら今日のことをここまで記述。今日もまた昨日に続いて「(……)」の三人と集まることになっている。今日は(……)の家。音楽室で"(……)"のアコギを録る予定。本当はいくらかでも練習したいのだが、その猶予はあまりない。出向く時間はこちらの好きになっている。三時か四時くらいに向かうか。
  • 音読をした。「英語」。合間にストレッチを少々やりつつ、二時一〇分まで三〇分。そのまま体操および柔軟に。腰回りを良く動かしてやわらげておく。小沢健二『LIFE』をBGMにした。合蹠などもこなす。そうして三時前にいたると電車の時間を調べた。(……)まで歩くつもりだったので、何分があるかとYahoo! 路線で検索すると、四時二〇分発、(……)に五時前到着のものがあったので、それで行くとLINEに連絡をしておいた。
  • そうしてギターをいくらか練習しておくことに。Bやサビなど、各所に分けてくり返しループし、多少弾きこんでおく。やはり弾きこんでおかないと録音などできるはずがない。目をつぶっていてもまるであやまたず弾けなければ駄目だ。Bmから7~9フレットポジションのEmに移るときなど、移動距離がそこそこあるのでけっこうミスる。半音ずれたところに着地してしまったりする。くり返し弾いて手指の動かし方を確認し、なじませる。姿勢がちょっと変わるだけで距離感がずれるので困る。弾いているうちに左手の指先がだんだん痛くなってきた。そういえばストレッチの前だったかあとだったかに爪を切ったのだ。録音をひかえているというのに愚策だったかもしれないが、切らなければ切らないで邪魔臭くて弾きづらい。もうふだんあまり弾いていないので、指先がやわになっているのは致し方ないことだろう。このくらいかなと切って目をひらくと三時二〇分だったのでちょうど良い。
  • 身支度。GLOBAL WORKのカラフルなシャツに、ズボンは昨日とおなじもの。それにBANANA REPUBLICの薄青いジャケットを羽織ることに。ズボンとほぼおなじ色合いなので、似非セットアップみたいな感じになる。マフラーをケースにおさめたギターのネックの下に丸めて突っこんでおく。そうして上階へ。すると母親がバウムクーヘンを持っていったらという。先日墓参に来た(……)さんにいただいたものである。七個入り。コンビニで何か買っていくつもりだったが、これで良いかというわけでもらい、洗面所で寝癖を抑えてから出発。
  • 寒くはない。林のなかのほうに甘い煙のような色の桜が咲いているのが見える。三時四三分くらいだった。余裕だなと思ってゆるゆる歩く。一段下の花壇に柚子か何か柑橘類の実がたくさん落ちて転がっており、めちゃくちゃ大人数でペタンクをやったあとみたいになっている。なかには黒ずんでいるものもあった。坂に入ると右方、眼下に川を望んでひらけたほうで、樹から鳥が盛んに声を立てている。たぶんヒヨドリだろうか。左の斜面から伸びて張り出した頭上の木々からも音が降ってくるのだが、風に触れられて葉枝が鳴っているのか鳥の気配なのかわからない。杉の茶色くなった葉が道の両側におびただしく落ちており、砕けて路面に粉をまぶしていた。
  • 坂の出口付近からは下の道の一軒のそばに立ったモクレンが見えて、いま満開の頃合いで、紫まじりのピンクというかピンクまじりの紫というか、そういう色で旺盛に咲き満ちている。(……)さんの宅の横の下り斜面には、何か白いものを枝先につけた低木が一本あった。花というより綿のような感触と見えたのだが、あれはなんなのか。こちらの目が悪いためか? 表通りに向かう道に沿ったガードレールの足もと、支柱と土台の接合部の隙間には草が生え、したたかに顔を出しており、薄緑の雑草が主だがなかにひとつタンポポが咲いていた。
  • 街道へ。空は全体に雲まじりで淡いカバーをかけられたようになっているが、太陽を押しとどめるほどの濁りではなく、背後から薄陽が流れて目の前の地面にギターを背負ったこちらの影がうっすら浮かび上がり、一歩につれてケースの上端が首のうしろで左右に揺らぐのが映っている。このくらいの天気で良かったかもしれないなと思った。快晴で楽器を背負って歩いていてはだいぶ暑かったはず。
  • 大気にはときおり花のにおいが混ざっていた。街道沿いの公園の桜はよく咲いており、その下で子どもたちがブランコを漕いでいる。歩きながら右を見やれば通りを越えた先、表から横にひらいた細道を通して中学校校庭の桜も充実しているのが覗く。四月ももう目前でそれらしい景色だが、あまりそんな季節感も顕著におぼえない。それなりに歳を重ねて時間の質感が摩耗してきているのか? 最近は昼も夜もあまり変わらないし。薄紅色を見やりながら、子どもの頃に桜に注目した記憶がないなと思った。桜のみならず、植物全般に興味を持った体験というのが思い当たらない。生まれたときからずっと自然豊かと称されるこの町で生きているわけだが、それを明確に風景としてながめる視線を持ったはじめての経験は、一七歳の頃だったはず。はじめての経験と言って特に何かの出来事があったわけではないが、たしかそのあたりで、あれもやはり裏通りから丘を見てではなかったかと思うのだけれど、自然の美しさみたいなものを自覚的に意識したことがあったのだ。それまではちっとも目に留めていなかったと思う。林に入って遊んだりというのは小学生の頃はわりとあっただろうし、小学校六年間はずっと家の前の林のなかを上り下りして駅まで行っていたので、触れ合いは多かったはずだが、その頃は自然がまだ対象化されたものではなかった。
  • 道中、ウグイスを聞いたはず。そう、裏道の途中、そこそこひろい空き地があり、その向こうの、つまり表通りにすぐ近いほうに桜があってこの時期はいつも雲のような花色をたなびかせているのだが、そのあたりに差しかかったときに乾いた大気に朗々と声が響き渡って、ずいぶんふくよかに、はっきりとよく響くなと思ったのだ。今年のウグイスの初音を聞いたのは、この三日か四日くらい前のことだったはず。
  • あとのことは忘れた。駅に着くと電車へ。この日は休まずにメモ書きをした。(……)まで。充分にメモを取るには時間が足りない。降りると昨日と同様ホームをたどり、階段を上って改札を抜ける。左へ折れて(……)へ。のろのろ行き、改札を通るとたしかトイレに寄ったのだったか? ホームに降りると端のほうに行き、乗車前に自販機を見てWelch'sの葡萄ジュースを買った。電車に乗り、それをケースのポケットにおさめておき、またメモ。とはいえ一駅だけなのですぐに時が尽きる。降りたところで(……)に電話をかけた。出なかったが、即座に折り返されてくる。駅に着いたというと(……)くんがコーヒーを買いたいからついでに迎えに来てくれると言うので了解し、駅を出たところにいるわと言い残して切断。ホームをだらだら行き、上がって改札を抜け、階段を下りてまた下り、駅舎を出たところで見回すと(……)家のほうからやってくる(……)くんの姿が見えたので待ち受ける。近づくと二人ともなぜか声を出して挨拶せず、ただうなずき合うばかりの謎のコミュニケーションを交わしてコンビニへ。ファミリーマート。(……)くんはレジでカップを買ってコーヒーをつくっていた。彼によればファミマだとよくシナモンなどのトッピングが一緒に置いてあると言うが、この店にはなかった様子。こちらは何も買わず、それで退店して道を歩き、(……)家へ。途中、Chick Coreaの死去が話題に出た。こちらのブログを検索しても引っかからなかったのでまだ知らないんではないかと(……)と話していたと言うが、Chick Coreaの訃報はこちらも新聞で認知しており、ただたしかに日記に書くのは忘れたような気がする。七〇歳くらいだったか? と思っていま検索したら八〇歳だった。四一年生まれだがこの世代のジャズ奏者ももう残り少ないだろう。Keith Jarrettだって脳梗塞だったか何かでもう指が動かないというし、そろそろやばいんではないか。Chick Coreaはこちらはきちんと聞いたことは正直あまりなく、一番聞いたのはたぶんAkoustic Bandの一枚目だと思う。しかしそれでも聞いたと言ってもさほどではない。あとBobby McFerrinとやっている『Play』もけっこう聞いた。Bobby McFerrinは頭がおかしい。(……)くんは上原ひろみとデュエットしているのがすごいと話を出し、こちらも、それはたしかに良い評判を聞いている、たしかライブ盤出してたよねと受ける。
  • (……)の駅付近はいかにも住宅地という感じで、さほど大きくはない、どれもあまり差が見受けられないような、つつましやかなマイホームといった調子の小綺麗な家がいくつもならんで構成された一帯がある。マジで兄弟とか一族みたいに似通っており、外壁の筋目や色合いにもわずかな違いがあるばかり、それなので(……)の家に行くのに何本目を折れるのだったか、などいつもわりと忘れてしまう。このときは(……)くんに伴われていたので迷わず着き、彼がベルを鳴らすと(……)が戸を開けてあらわれた。おかえりなさいませご主人さまとかなんとかメイドの真似事をしてくるので、帰ったぞと横柄に受けると、お上がりやがれご主人さま、などと途端に口調が粗雑になった。(……)はいま上階でボーカルをレコーディングしていると言う。上がるとまず洗面所で手を洗い、それから居間で待つことに。(……)くんとならんでソファに着き、(……)は床に。彼はともひ『ゆうやけトリップ』という漫画の一巻を持っており、読みはじめていた。いかにもセンチメンタルな雰囲気および色合いの、綺麗な表紙の漫画で、百合ものらしい。(……)は最近、百合漫画にやたらはまっている。この漫画は「宵の坂町」というもう名前からして黄昏れている町の心霊スポットを少女二人がめぐる、みたいな感じらしく、(……)はコマに書かれている文字や台詞をなぜかすべて音読しはじめたのだが、キャラクターの演じ分けが意外とできていて笑った。ソフトかインターフェースの設定がうまくいかないとかで(……)が下りてきて(……)が駆り出されていったあいだにちょっとなかを見たが、輪郭が曖昧で水彩画みたいな感触になっているあたり、panpanyaを思い出して、panpanyaっていうやつとちょっと似ているかもしれないと口にして(……)くんにスマートフォンで検索してもらったのだけれど、べつに似てはいなかった。(……)はほかにも二冊、コミックを買って持っており、いま検索に頼ってそれを同定しておくと、ひとつは缶乃『合格のための! やさしい三角関係入門』というやつ。もうひとつは、これとおなじ出版社だったが、なんだったかなと思い出せなかったが、『三角関係入門』のAmazonの関連商品に出てきていて容易に見つかった。あらた伊里『雨でも晴れでも』というやつである。どちらも百合漫画らしく、またどちらも二巻だったはず。『雨でも晴れでも』を見てこちらは、Come Rain or Come Shineじゃんと口にしたが、表紙に記されていた英語表記はCome rain or shineだったはず。(……)くんには話が通じる。つまり、ジャズスタンダードの曲名で、たぶん一般には「降っても晴れても」と訳されている。Bill Evans Trioが『Portrait In Jazz』の冒頭でやっているのがおそらくこの世で一番有名だと思う。この漫画は全寮制の学校を舞台にしているらしく、裏表紙の紹介文を見ながら(……)くんが、全寮制の高校って日本にあるのかなみたいな疑問を漏らしたので、なんかどっかあったよとこちらは受けて、かの名高いPL学園は? と適当に名を挙げた。全寮制ではべつにないのか? 野球部だけか? そもそもPL学園普通科はあるのか? まったく知らないが、桑田真澄とか誰かがPL学園時代のことを語っているのをちょっと目にしたことがあって、たしかそこで寮生活のことが触れられていたはず。先輩よりもはやく起きて飯をつくらねばならないとか、先輩の汚れた服を洗わなければならないとか、いじめとか、そういうクソみたいな話だ。あと、なんか奈良かどっかにある僧侶になるための学校がたしか全寮制だったよ、とこちらは言ったが、これもテレビで以前ちょっと見かけただけなので記憶が定かでない。そこからちょっと間を置いたあと、奈良ってさ、鹿がいるじゃん、神の遣いの、町中をうろついてるわけだよね、で、観光客が捨てていったビニール袋を食っちゃって、そうすると死ぬことがあるのよ、そこで鹿が食っても大丈夫な袋が開発されたらしい、とGuardianで以前読んだ知識を紹介する。この記事(https://www.theguardian.com/environment/2020/oct/21/japan-bags-nara-deer-eat-plastic-deaths(https://www.theguardian.com/environment/2020/oct/21/japan-bags-nara-deer-eat-plastic-deaths))で知ったもの。牛乳のカートンと、鹿せんべいの素材でつくったらしいと記憶を掘り起こして言い、カートンって消化できんのか? という疑問が(……)から出たが、記事中確かに"The bags are made with recycled pulp from milk cartons and rice bran, one of the main ingredients of the shika senbei savoury crackers fed to them by tourists."という記述がある。rice branすなわち米糠を混ぜることで消化できる繊維になっているのか。ついでに連想的に思い出して、鹿と言えば、うちのそばの林に鹿がいるらしいんだよねと話した。母親が前に激写したことがあるし、林の上に塾の生徒が住んでんだけど、なんか夜、鳴き声が聞こえるとか言うから、どうも棲みついてるらしい、と。こちらはまだ実物を見たことがないし、そう大きな林でもないのでいつもそこにいるとも思えないのだが、たまに来ているのは間違いないはず。なぜわざわざそこまで来たのかわからないが。やはり餌がないのか? いつ来たんだろうな、と自問を口に出す。道路があるから、昼間に来たらさすがに目につくはずなんだけど、と。したがって、夜、ひとがいないあいだに、線路の向こうの森から道路を越えてやって来ているのだろう。そこに水はあるのと(……)くんが訊いたが、たしかに水路があるにはあるのだ。意外と居心地が良いのだろうか。
  • そのうちに今度は(……)くんが呼ばれていく時間があり、そのあいだに(……)に、最近面白い漫画あったかと訊くと、『兄の嫁と暮らしています』というものが挙がった。これはこちらも名を聞いたことがある。これもまた、百合なのかはわからないが、義姉と義妹関係の話らしい。もうひとつ、『コミック百合姫』で連載しているらしいのだけれど、まにお『きたない君がいちばんかわいい』というやつが(……)はもっとも好きだと言った。はじめの頃から、そんなにコアではないがSM的な要素があり、それが最近強まってきていてなおかつエロも入ってきて、その退廃的な感じがとても良いとのこと。
  • そういえば途中、帰宅した(……)のお兄さんが入ってきた。お邪魔しておりますと挨拶。この前日に(……)が話していたところでは、お兄さんは最近、川沿いだかを散歩して写真を撮ることがあるとのことで、それは実に良い趣味だ。このときはたしか何かしら買ってきたような荷物を持っていた。彼は荷物を床に置いて一度出ていくと、(……)から事情というか状況を聞いたようで、もどってくると荷物を持って自室に去っていったのだが、その際にこちらが会釈をおくると向こうも頭をちょっと動かして、(……)くんがその微妙なコミュニケーションに対して笑みを漏らしていた。そうしてじきに我々も上階へ。音楽室に入る。こちらは位置が固まるとさっそくアコギを取り出して適当にAやEのブルースをやったり、"(……)"を少々練習したり。(……)が新調したオーディオインターフェースだかプリアンプだかのたぐいを持ってきており、それをつないで録音を試していたわけだが、ボーカル音声が妙に小さく録れてしまって波形も全然上下に伸びずひかえめになる、みたいな話だったと思う。録音や機材にかんしてはこちらは何もわからないので関せずギターを弾きつづける。最終的にどう落ち着いたのかは忘れた。そのうちに出番がやって来たので、キーボード用の背もたれがない、細長いタイプの椅子に就き、マイクの位置をセッティングしてもらう。前回録った音源は低音が出すぎてボンボンいうような響きが多く、ストローク感がなくて調整がしづらいというのが(……)の言だったが、これはたぶん、単純にマイクをギター本体、サウンドホールに近づけすぎたということだったのではないかと思う。今回は(……)が検索したサイトを参考に、12フレットの位置から三〇センチほど離した位置にマイクをセッティング。高さも、三弦と四弦のあいだになるくらいとかあったのでそれに従う。そうして試してみてから、ひとまずいったん全部通して録音。(……)はこのときすでにカレーの用意をしに行っていたのだったか? あるいは最初の一回のときはまだいたかもしれない。いざ録音をするとなるとやはりそこそこ緊張して、プレイがまったく固くなるし、指も頭もスムーズに動かなくなる。そういうわけでミスも多く散々なテイクになったが、そもそも昨日確認して今日録ろうというのだから、質など確保できるはずがない。きちんと練習して、弾きこんでこないとそれは駄目に決まっている。コードチェンジすらまだ間違える段階だ。しかしそう考えるとプロのスタジオミュージシャンはやはりすごいなと思う。限られた時間内で求められた仕事を確実にこなさなければならないわけだから。
  • たしかもう一度通しで録ったのではなかったか。この二度目からは(……)くんがシステムを担当してくれた。つまりコンピューターを操作して再生や録音や切り貼りなどをやってくれた。それで通したものを聞き、ある程度の範囲で弾き直していった。質はこの際しょうがないというわけで、高品質の演奏はもとめず、最低限許せるという基準で考えてゆるく落としていき、カレーが用意される頃までにバッキングは終了した。演奏はともかく、音質のほうは今回のほうがよほど良くてミックスもしやすそうだという言が(……)から出たので、ひとまずその点だけでも良かっただろう。音楽室内は狭くて食器を置いたり四人が囲めるようなスペースがないので、室の外、階段上の空間で食べることに。カレーはキーマカレーで、(……)の母親がつくってくれたらしい。キーマカレーってもっとドロドロしてるやつだと思ってたと(……)が言ったのを機に、キーマとはなんなのかと疑問が出て、その場で検索がなされたところ、ヒンドゥスタニー語でひき肉という意味らしく、何のひねりもないそのままのネーミングである。つまり固有名詞ではなく、おそらくは一般名詞なわけだ。ひき肉が入っていればなんでもキーマカレーになるわけである。関連事項として、「ドライカレー」がわりと日本独自の発展形式らしいみたいな情報があった。ドライカレーは種類が幅広く、カレーピラフ的な、米に粉やスパイスをまぶしただけのものもそう言われるし、もうすこし液体的で粘りがあり、ナンと一緒に食うようなものもそう言われることがある。ナンの写真が映ったところに、これはなんですか? なんなんですか? と問いを差しこみ、はい、なんです、とこたえるという定番のくだらないやりとりを交わしたりもした。食事中、ほかにも他愛ないような話題がひとつかふたつくらいあったと思うのだけれど、忘れてしまった。
  • 食後は(……)は片づけと洗い物に行ってくれた。あとソロの録音が残っていたので、そちらを優先してくれとのことだったのだ。それで室内にもどり、該当部分をループ再生してもらい、ソロを練習するのだが、指先が痛くなっていたのでどうも自信を持ってよどみなく弾くのが難しく、とりわけ三小節目のCsusのところと、最後のA7でペンタトニック下降をするあたりがどうもうまくはまらない。それでも何度もくり返しやっているうちに、一応流れるようにはなったので、とりあえず録ってみるかと弾き、それが、一部満足いかないところはあったものの意外とうまくいって、(……)くんに聞いてもらっても、これでいいんじゃね? となったので、それを採用することに。そういうわけで仕事は終わった。
  • そのあとは"(……)"のギターを考えるなどしたはず。と言ってこちらはもう仕事を終えた身だし、この曲にかんしてはべつにアコギはなくて良いのでは? とも思っていたので、コード譜を見てそれをたどったり、ブルースをやったり、バウムクーヘンなどを食ったりしていた。(……)がハードロック的な感じのギターを仮に打ちこんだ音源にいまなっているのだけれど、そういう方向性で良いのではないかと思う。最初聞いたとき、天野月子をなぜか思い出しもしたし、こちらのイメージに合う。最後にしかし、アコギを入れるかどうか検討するための材料として、一応弾いておいてくれないかと言うので、コード譜を見ながら通しで適当にジャカジャカやった。最初のうちは普通に弾いていたのだが、後半ではリズムを全部埋めて魂をそそぐがごとく激しく搔き鳴らしたりして遊んだ。それで終了、帰路に就くことに。
  • 片づけをしてこちらと(……)は先に出発。(……)くんのピックケースがないとかでバタバタしていたので、先に行ってくれと言われたので。音楽室を出て階段をくだり、帰ってきた母君に挨拶をしておこうと居間のドアをひらくとしかし、(……)の母親はソファにもたれて眠っていた。そこで引けば良かったのだが、お邪魔しました、ありがとうございましたと声をかけてしまい、それで起こすことになってしまったので、笑いながらすみませんと謝り、玄関を出るときにまた礼の言葉を室内に向けて放っておいた。そうして(……)とならんで駅へ。次にお前が来るときまでに練習しておいて正式なテイクを録りたいなと言っておく。あるいは(……)の持っているものとおなじ機材を(……)家に導入してくれれば、そこで録っても良いわけだ。いずれにしても、もともと正式な録音などを担うつもりはなかったのだが、"(……)"にかんしてはなぜかそういう流れになってしまったし、練習しておかなければならないだろう。
  • 駅舎に入るあたりで二人が追いついてきた。電車までは三分くらいだったはず。改札を抜けてホームに下り、やって来たのに乗車。ホームでこちらが、(……)の実家はどこになったんだっけと訊いたのに対して、(……)だというこたえが帰ってくる。(……)がそれで、「(……)」というマスコットキャラクターがいると言い出し、携帯で画像を検索した。こちらはこのマスコットキャラクターそのものについてはおぼえていなかったが、(……)の実家が引っ越してから最初のZOOMでこの話が出たときに、どういう流れでその話題に行ったのだったかはおぼえていた。(……)が、なんでこのキャラ知ったのか、全然おぼえてないけど、と言ったので、(……)が前に住んでた(……)は梨が名産だったが、(……)にもなんかそういうのあんのかな、となって調べたのだとその文脈を説明する。ZOOMの通話でそういう疑問を持ち出したのはたしかこちら自身だった気がする。すると(……)は、文脈をおぼえてるとは、お主、もしや日記を書いてるなと言ってくるので笑う。そのキャラは全然おぼえてなかったと言うと、私は視覚の印象が強いから、目で見たものは忘れないけど、文脈はおぼえてなかった、と返ってきた。
  • 電車に乗り、(……)で乗り換え。ホームに降り、もう発車間近だったのでおのおのの電車に乗り、扉口で手を挙げて、べつの方向に旅立って流れていくのを互いに見送りながら別れ。帰路のことは忘れたし、帰ったあとのことも忘れたので割愛する。