2021/3/29, Mon.

 〈わたしは好きではない〉――白いスピッツパンタロンをはいた女、ゼラニウムの花、いちご、チェンバロジョアン・ミロ、同語反復、アニメーション映画、アルトゥール・ルービンシュタイン、別荘、午後の時間、エリック・サティバルトーク、ヴィヴァルディ、電話をすること、少年少女合唱団、ショパンの協奏曲、ブルゴーニュのブランル[訳注178: 「ブランル」とは、十五―十七世紀の民族舞踏であり、輪になり手をつないで踊るものである。]、ルネサンス期のダンス音楽、オルガン、M - A・シャルパンティエ、そのトランペットとティンパニー、政治的 - 性的なことがら、言い争うこと、イニシアチブをとること、何かにこだわること、自然発生性、知らない人たちとすごす夜のパーティー、など。
 〈わたしは好きだ、好きではない〉。そんなことは、誰にとっても何の重要性もない。そんなことは、一見して無意味だ。とはいえ、それらすべては〈わたしの身体はあなたの身体と同じではない〉ということを意味している。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、171; 「わたしは好きだ、好きではない(J'aime, je n'aime pas)」)



  • 一〇時半に覚醒。カーテンを開けると陽射しが強くてじりじりくる。こめかみを揉んだり腹や腰を揉んだりしてから、一一時をまわったところで離床。水場へ。顔を洗い、用を足して、うがいもしておく。そうしてもどり、瞑想。一一時一七分から三四分まで座った。心身に特段の変容もなく落ち着いている。終えると肩と首をたくさんまわしてほぐしておき、上階へ。父親は出かけていたようだが、こちらが洗面所で髪を整えているあいだに帰ってきた。食事は鶏釜飯や唐揚げの残りなど。新聞にはミャンマーの続報。昨日の一面では二七日の死者が九一人と知らされていたはずだが、「ミャンマー・ナウ」によるとすくなくとも一一四人を数えると。治安部隊はデモ参加者のみならず、無関係の市民や子どもも標的にしたと言い、一三歳くらいの女子が自宅で銃撃されて死亡した例もあるらしい。国軍は少数民族勢力にも弾圧をくわえていて、カレン民族同盟という組織の勢力地域には国軍の戦闘機二機が爆撃をおこない、二〇〇〇人だったか三〇〇〇人だったかが隣国タイに逃れたと言う。各国からはむろん非難の声が上がっていて、ブリンケン米国務長官Twitterに軍による虐殺だと投稿し、アントニオ・グテーレス国連事務総長も甚だしい人権侵害を犯した者はかならずその責任を問われなければならないみたいなことを言い、日本も茂木敏充外相が、抗議デモの弾圧や被拘束者の不当な扱い、情報統制など、国軍の市民に対する振舞いは彼らが発表した民主主義の尊重という声明と矛盾している、民主的な体制への可能な限り早期の復帰を求める、みたいな談話を発したという。
  • あとはサヘル地域についての記事。ここもイスラーム過激派が台頭してかなり政情不安らしい。マリでは人口二〇〇〇万人だかのうちの四五パーセントが貧困にあり、食料を得られない人間も相当いるようだ。昨年、政府に対する市民の不満が爆発して大規模な抗議運動が展開されたといい、それを受けて軍がクーデターを敢行し、八月に軍事色の強い新政府ができたらしいのだが、状況は変わっていないとの声が聞かれるようだ。イスラーム過激派も地域に浸透しており、彼らは特定の民族と結びついて共同体に入りこむことで積年の民族対立の再燃を引き起こしかねない。一部の地域では連中によってISISみたいな統治がおこなわれているらしく、つまり水を運んでいる女性がヴェールをかぶっていなかったからと暴力を振るう、みたいなことだ。ただマリ政府関係者によれば、実際のところ、誰が過激派で誰が市民なのかを見分けることは不可能だとのことで、事柄の軍事的な解決はもはや見えず、したがって武装組織側と和平交渉をして社会に統合するしかない、という感じになっているらしい。
  • 食後、皿と風呂を洗う。風呂場では洗濯機に水を汲みこむためのポンプの先端部分がぬるぬる汚れていたので、それも擦っておいた。そうして帰室。今日は相当に暖かい。最高気温が二五度とかあったか? Notionを準備して、LINEに返信しておくと、今日のことを書き出してここまでで一時。今日は五時から労働。
  • その他のことは忘れた。たしかこの日だったと思うのだが、労働からの帰路に元生徒の(……)さんに会った。徒歩で帰っていて、駅前を折れた裏通りを行き突き当たりを横に曲がったところで、こちらがこれから入る裏道の続きから出てきた二人があって、一見してギャルだった。彼女らはなんとか話しながら表の方向へ折れ、こちらは彼女らの後ろで裏通りを進もうとしたのだが、二人の一方がこちらに気づき、ひとがいると思っていなかったようで、うわ、とびっくりした声を発していた。それでちょっと決まりが悪かったのだろう、紛らすように笑って街道に向かおうとしたギャルは、しかし足を止め、あれ? と疑問の声を続けてこちらをじっと見ている。こちらも立ち止まって見返し、え、とつぶやくと、塾の先生ですよね? と質問が来たので、そうです、と答え、どなた? と訊いた。すると、(……)ですとあったので、(……)? と間髪入れず聞き返せば、それで正解だった。このとき即座にフルネームを、しかも正しく漢字表記で(珍しい字面なので印象に残っていたのだろうが)思い出したこちらの想起の迅速さには自分でも驚かされたが、聞けば彼女が通っていたのはちょうど一年くらい前までだというから、まだ近い時期の子だ。二〇二〇年初に高校受験をしたわけだから、通っていた期間としては主には二〇一九年中になる。たしかに(……)さんが教室長だった頃の生徒だからそうなのだろうが、まだそれしか経っていないのか、という感が強かった。もっと昔の生徒のように感じられたのだ。(……)さんは、金だか茶だかよくわからないが夜道でも目に立つあかるい色の髪になっており、いかにもギャルという感じの雰囲気だったが、中三のときもわりとそちら寄りではあった。それでちょっとその場で立ち話をしたのだが、高校はもう辞めて働き出すのだと言う。もう働くの? すごいね、と言わざるを得なかった。水商売系のキャッチだとか言っていて、よくわからないが高校はもともとあまり行っておらず、「こっちにもいなかったし」とか漏らしていたので、都心のほうにでも行って夜の世界に踏みこんでいたのだろうか? たかだか一六歳くらいでしかないのだろうに大したものだ。しかしそんなにはやく働かなければならないとは、やはり家庭に金がないとか、そういう事情なのだろうか。あるいは単純に、勉強についていけないとか、勉強したくないとかいうことかもしれない。中三のときも学業はからきしという感じだったし。ただ、祖母のことを話すことが多くて、ギャル風ではあるが心根の優しいような子だという印象を持っていた。いまは(……)の桜を撮ってこようと思って行ったら、暗くてめちゃくちゃ怖かったので引き返してきたところだと言う。室長が変わったことを告げると知ってると言い、この子に聞いたと連れ合いの黒髪マスクの少女を指したので、誰かと思えばこれが(……)さんだった。全然気づかなかった。マスクもしていたし、夜道で暗いし、こちらの目も悪いし、距離も多少あったので。(……)さんは今年度の生徒で、受験を終えてこのあいだの二月までで辞めた子である。
  • それでしばらく話して別れ、黙々と夜道を歩いたのだが、そのあいだ、なんだかはかないような、むなしいような気分が差していて、これはやはり時の過ぎざまが目に見えたからなのだろうなと思った。このあいだまで中三の生徒だった女子が、ギャルに育って、もう働くなどと言っているのを受けて、時間が一気に過ぎたような感覚になったのだろう。なんというか、当たり前のことだが、彼女もまた生きているんだなあ、という感じだ。今回ここで遭遇したのはまさしく奇遇というほかなく、職場での仕事の片づけ方がちょっと違って、この位置を通るのがあと二〇秒も遅ければたぶん彼女たちとこちらは邂逅することなく互いに気づかなかったと思う。偶然というものが面白いのは、自分の見えないところで確かに世界がまわっているということ、営みが営まれているということを実感させてくれることだ。それは他者の生に対する想像力であり、自分などというものはどこまで行っても所詮は自分でしかなく、自分がいまとまったく違う人間になったとしても、あるいはいまの自分ではなかったとしても、それもまたたかだか自分自身でしかない。つまり人間が持てるのは最終的にはこの自分としての、一人称の視点と意識でしかなく、ひとはそれを逃れられず、自分ではなく他者であるという自己消失は不可能だし、自分でありながら同時に他者であるという二重視点もまあ大方は無理だろう。それはごくごく当然の事実にすぎないのだけれど、まったくもって退屈なことであり、その退屈さと、他者の見ているものを見たいという情熱とが、文学とか物語とかをこの世に生み出すにいたった要因のすくなくともひとつではあるのだと思う。
  • 「自分ではなく他者であるという自己消失」とか「自分でありながら同時に他者であるという二重視点」はしかし、夢のなかではもしかしたら実現していることがあるかもしれない。