2021/4/2, Fri.

 彼の〈思想〉は、現代性と、さらには前衛と呼ばれるもの(テーマ、歴史、性、言語)となんらかの関係をもっている。だが彼は、自分の思想に抵抗している。彼の「自己」、つまり理性的な凝固物が、たえず抵抗するのだ。この本は、一連の思想によって作られているように見えるが、しかし彼の思想の本ではない。「自己」の本であり、自分自身の思想への抵抗の本である。〈後退的な〉(後ろへ下がり、おそらくは距離をとって見ている)本なのである。

 ここにあるすべては、小説のひとりの登場人物によって――むしろ何人かの登場人物によって――語られている、とみなされねばならない。というのは、想像界とは小説の避けがたい素材であるし、自分自身について語る人がさまよいこむ階段状の迷路であるからだ。想像界はいくつもの仮面(〈ペルソナ〉)をつけており、それらの仮面は舞台の奥行きにおうじて段階的に置かれている(しかしながら後ろには〈だれもいない〉)。この本は、選択しているのではなく、循環によって作用しているのであり、素朴な想像界と批判的な発作とがときどき起こるなかで進んでいるのだ。だがそれらの発作そのものは、反響による効果でしかない。(自己)批判ほど純粋な想像界はないからである。したがって、この本の実体は、結局は完全に小説的である。エッセーの言述のなかに第三人称が闖入しているが、その第三人称はいかなる虚構の人物も指していないのだから、ジャンルを再編する必要がある(end176)ことを示している。つまり、エッセーは自分が〈ほとんど〉小説であることを認めているのだ。固有名詞の登場しない小説である、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、176~177; 「「自己」の本(Le livre du Moi)」)



  • 一一時半頃にいたって定かな覚醒を得た。その一時間くらい前にも覚めていたはずだが、けっこう疲れがあったようで起き上がれず。七時間強の睡眠となった。こめかみや喉や腹回りを揉みほぐして、一一時五〇分に離床。「アレグラFX」を一錠指先につかみ持って水場へ。階段下の室でコンピューターを前にしている父親に挨拶。アレグラFXを飲み、顔を洗ってうがいもする。それからトイレに入って長々と放尿して自室に帰還。瞑想である。一二時二分から二〇分まで座った。よろしい感じ。座っているあいだ、いまさらのことではあるが、この精神とか意識とかがあるのってやっぱりちょっとおかしいというか意味がわからんなと思った。精神とか思考とか観念とかいうものは、頭のなかに一応あるとみなされるわけだけれど、物質的な実体をともなわず、もちろん目に見えないし触れることもできないし感覚器で感知することもできないわけである。自分のそれはなぜか認識することはできるものの、他人の頭のなかのそれにかんしては、人間は誰もそれに触れることはできない。この精神や表象というのはいったいどこにあるんだろうな、と思った。物質的な基盤としては一応脳がそれだということになるのだろうが、脳がそのままイコール精神だというわけではむろんないはず。人間がひとりひとりそれぞれ精神を持っているという事実が、この世に目に見えないがたしかに存在しているものの領域があるということの、証明になってしまっているではないかと思った。だから、たとえば幽霊とか、あるいは精霊みたいな、感覚器でとらえることは基本的にできないがそこにあるような存在が世界の裏側にいたとしても、おかしくないような気もしてくる。プラトンがいうイデアというのも、ひろく考えればそういう発想の一種だろう。原理的に自分にしか認識されない精神のはたらきと、目をつぶって直面していると、ひとが独我論的なことを考えるのもわりとわかるような気がしてくる。
  • 上階へ。ジャージに着替えて屈伸。それから洗面所で髪を整え、食事。カキフライと先日揚げた天麩羅の余りが冷蔵庫にあったのでそれを温め、ほか、即席の味噌汁と米。新聞を見ながら食べる。(……)の感染増加はなし。国際面には引き続きミャンマーの話題。国軍が、少数民族勢力が抵抗をやめない限りは戦闘を続ける、という方針を明言したと。正確には、今月末までの停戦を申し出たらしいのだが、少数民族側が政府の統治を脅かす場合は除く、みたいな、正確な文言を忘れたけれどそういう感じのことを言ったらしく、だから上のような意味になるわけだ。カレン民族同盟の地域には空爆がおこなわれているという。昨晩BBCで瞥見したアウン・サン・スー・チーの新たな訴追も触れられていた。official secrets actは、国家機密法だったか、国務機密法だったか、なんかそんな感じの言葉に訳されていたと思う。国連安保理ミャンマーの状況について国軍に対して非難声明を出す予定のようだが、中国が、本国に持ち帰って話し合わないと、と言ったのでまだ出せていないと。制裁にかんしても米欧は乗り気だが、中露は消極的といういつもながらの構図だ。
  • 香港にかんしては、逮捕されていた民主派のひとびとに刑がくだったと。蘋果日報の黎智英とか、民主派の重鎮で元民主党当主だという李柱銘というひとや、天安門事件追悼集会を毎年主催していた団体のリーダーである李卓人など。最高刑は懲役五年だったらしい。罪状は、昨年だか一昨年だったかの七月だかに、ヴィクトリア公園内での集会しか許可されていなかったのに、その範囲を越えて通りに出てデモをおこなったから、という感じのようだ。逃亡犯条例のときか? この件にかんしては、国家安全維持法違反、ということではたぶんないのだよな。中国と言えども、さすがに遡行はできないのだろうから。国家安全維持法が施行されたのは去年の六月三〇日なので。
  • 食事を終えて、片づけをする。テレビはNHK連続テレビ小説を映している時間。すなわち、一時直前である。このときは陽射しがちょっと出てきていたが、今日は基本的に曇りの気味が強い。皿を洗い、風呂も洗って、緑茶を用意して帰室。Notionを準備して、一服しながらウェブをちょっと見ると、昨晩書き上げていた三月二七日の記事を投稿した。名前をいちいち検閲するのに時間がかかる。そうして今日のことを書きはじめた。途中、便意が満ちたので、トイレに行くついでに上階に上がって洗濯物を取りこむ。やはり天気はぱっとせず、タオルも多少の湿りが残っている感じ。父親はソファで休んでいる。トイレに行って腸のなかをいくらか軽くするともどり、ここまで記すと二時二一分をむかえている。今日も労働。五時頃に出なければならない。最近ずいぶんだらだらしていたが、今日はすみやかにやることに取り組めていて良いのではないか。やはり瞑想すると心身がまとまるから、怠け心が抑制されて活動に向かいやすくなるような気がする。
  • 四時四一分から五三分まで瞑想。少々眠い。
  • 行き帰りは忘れた。行きは電車で、帰りは歩いたはず。(……)
  • (……)