2021/4/10, Sat.

 〈卑俗さ〉とは慎みぶかさを侵害することだと仮定するならば、エクリチュールは卑俗になる恐れがたえずあるのだ。わたしたちの(現在の)エクリチュールは、(すこしばかり)何かを伝えること(解釈や分析に身をさらすこと)を望むなら、やはりレトリック的になってしまい、そうなるのをやめられない言語空間において展開されることになる。したがってエクリチュールは、〈言述の効果〉を想定しているのである。だがそうした効果のいくつかが少しでも強制されたりすると、エクリチュールは卑俗なものとなってしまう。いわば、エクリチュールがその〈踊り子のふくらはぎ〉を見せるたびに、そうなってしまうのだ(この断章のタイトルそのものが〈卑俗〉である)。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、187; 「踊り子のふくらはぎ(Le mollet de la danseuse)」)



  • 一一時に覚醒。だいたいいつもどおりのペースだ。今日も寝床のなかでこめかみや背中などを揉みほぐす。けっこう時間を使って、一一時四〇分頃に起き上がったはず。水場に行ってきてから瞑想。一一時五〇分から一二時八分まで。何もせず、肌の感覚を感じ続けることがわりあいうまくできた。今日の天気良くて、覚めたときに寝床から見えた空も雲なく青かった。風がときおり走って家をちょっと揺らす音も聞こえるが、草が擦れ合う響きはなぜか立たない。
  • 上階へ行き、例によってハムエッグを米に乗せて食事。新聞にはエンタメ欄に小曽根真の来歴があった。父親の小曽根実というひともジャズのオルガン奏者だったらしい。それで息子の小曽根真は五歳でピアノを習いはじめたが、教則本が退屈すぎると言ってすぐにレッスンを放棄し、独学で修練していく。七歳頃にはなんかもう音楽の仕事みたいなことをしていたらしいし、一二歳でジャズオーケストラに入っている。そうではないか、一二歳でOscar Petersonの来日公演を聞いて衝撃を受け、自分もジャズピアニストになると決意したという話だった。そのあとで親交のあったなんとかいうひとのオーケストラに入ったと。その後米国に留学してバークリーで学び、卒業後は帰ってオーケストラに復帰しようと思っていたのだが、バークリーの教師でもあったGary Burtonがマコトは残るべきだと言ってビザ獲得などに奔走してくれ、またQuicy Jonesなんかにも注目されて作品を出すことになったと。
  • ほか、国際面。EU大統領のミシェルなんとかいうひとと、欧州委員会委員長のウルズラ・フォンデアライエンがトルコでエルドアンとの会談に臨んだのだが、会談の場にフォンデアライエンの椅子が用意されておらず、女性差別だと反発が起こっていると。公開された動画を見ると、フォンデアライエンは二人のほうを見てあきらかに戸惑った顔を見せたあと、近くのソファに座ったらしい。トルコは先ごろ、女性差別撤廃を目指す国際条約みたいなやつから脱退しているとのこと。
  • 皿と風呂を洗う。風呂場から窓を開けて見た外は、道の上に陽射しの色が一面に敷かれていて朗らかそうだ。それから茶を持って帰室。起きたとき、(……)くんから、今日の日経に保坂和志の文章が載っていたとメールが来ていた。こちらからすると当たり前のことだろうが、最近まで「あやふやさ」がまったく許されない環境に身を置いていたので、心が洗われるようだったとの言。画像が貼られていたのだが、ガラケーだとズームや位置移動に手間がかかってうまく読めないので、gmailのほうに送り直してくれと頼んでおいた。
  • 「英語」を音読。トイレを挟んで「記憶」も。便所に上がった際に新しく米を磨ごうと思ったところ、父親がもうやってくれたらしくセットされていた。洗濯物を入れておく。ベランダの陽射しの面積は小さくなっているものの、入れば温かい。ただ、風はそれなりに勢いがある。日向のなかですこしだけ屈伸などをした。林のほうから嘔吐するかのようなカラスの声がしきりに響き、鳥の影が眼下の草木の上を流れ渡っていく。
  • 音読を終えると二時半か三時くらいだったか。読みながら腰とか背とかをまた揉んだ。よろしい。そのあとはベッドにコンピューターを持ちこんでだらけてしまった。カップ麺でエネルギーを補給し、歯磨きしたあとここまで記述。いまは五時二〇分。今日は職場の会議で、六時前の電車で行くのでもう猶予はない。会議は一応一〇時頃までとなっているが、なんだかんだでまた遅くなるだろう。主要なポジションにもなってしまったし、会議中にいくらかの事柄について喋って説明をしてほしいとも言われている。本当はイニシアティヴを取る立場に立ちたくないのだが。
  • スーツに着替えた。それでもう上へ。最近は手ぶら。バッグを持たず、財布をジャケット外側のポケットに、携帯は右胸の隠し、手帳は左胸のほうに入れて出勤し、働いている。荷物を手に持たなくて良いというのは楽だ。とりわけ最近は気候も良くて歩くようになったので、そのときにバッグがあるかないかで自由度が違う。上階に行くと帰宅済みの母親に挨拶。またもや天麩羅を揚げていた。しかも天麩羅粉がなかったのでホットケーキの素で揚げたとか。皿に上がっていたものの色はこんがりときれいでなかなかうまそうだったが。髪の毛を直したり(ベッドでだらけて枕に頭を乗せていると、知らぬ間に後頭部の毛が浮かび上がっていることが多く、最近の母親はそれを「ウッドストックみたいになっている」と言う。ウッドストックというのは、スヌーピー、というか『ピーナッツ』か、あれに出てくる例の黄色い鳥の名前らしい。一九六九年の伝説的なウッドストックフェスティヴァルのことではなかった)うがいをしたりしてから余裕を持って出発。人間においてもっとも大事なのは余裕である。
  • 郵便は特になかった。玄関口をちょっと開けた母親に、ない、と告げておいて道を行く。わりと軽い心身の感じ。力が抜けている様子。それでゆったりと歩いていく。(……)さんの家の脇、ハナダイコンの群れているところで、紫色の小花にハチが一匹寄ってブンブン音を立てていた。ミツバチではない。からだの大方が黒いもので、小さめだったがあれもクマバチなのか? こちらがゆっくりと通り過ぎるとき、一瞬花を離れてこちらのほうにすこし出てきたのでちょっとビビったが、またすぐにもどったので問題なかった。
  • (……)さんが家から出てきた。距離があるうちに行ってらっしゃい、と声を放ってくる。近づいて挨拶すると、日が長くなったねえ、と。相手はここ最近いつもその格好だが、土作業をするような飾り気のない服装で、小さな帽子をつけている。実際、段の上、家の至近の草木などをいじっているのを今週はよく見かけている。帰りは何時くらいになるかと訊かれるので、けっこう遅いこともあって、まあ今日は一一時くらいでしょうね、と言うと、驚きの反応が帰り、それじゃあ昼間に寝るようでしょう、と来るので肯定する。まさしくそうだ。別れて坂に入り、余裕があるので一歩一歩楽に上っていった。
  • 駅へ。階段を行く。西空の際に残照の糊。ホームに向かって下りているとき、すぐ背後を来ているひとの気配を感じていたが、下り立ってこちらを抜かしていくのを見ると、(……)さんだった。塾の生徒。あちらも普通にこちらと認識しているだろう。後ろ姿とはいえ。まだおのずから挨拶を交わすほどの親密度を稼げてはいない。彼女は先のほうに行き、こちらはベンチに腰掛けて無為状態へ。残照の色や、線路周辺の草の緑などを見ていた。じきにそれもやめて目を閉じ、風の感触と鳥の声が感覚器に入ってくるにまかせる。
  • 乗車。座りたかったが席があまり空いておらず、扉際へ。立ったまま瞑目して待つ。着くと降りてホームを行き、駅を抜ける。職場へ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)一〇時四〇分頃に退出。徒歩で帰る。そこそこの肌寒さ。あまり空も周りも見なかった。文化センター裏を通ったとき、線路の向こうでガサガサ草の音が立っていて、そこにある家のひとが何かしていたのか、それとも動物が林縁まで来てうろついていたのか不明。(……)を越えた先、ちょっと行ったところの古めの、木造で軒があるような一軒で、門口の内側にもたれ、通りにちょっと顔を出すようにして煙草を吸っているひとがいた。暗くて顔も見えないが、そのすぐ前をこちらはゆっくり歩き過ぎていく。家のなかでは吸えないのだろう。時代としても、そういうひとももうだいぶすくなくなったはず。肩身が狭いのではないか。白猫は今日は見当たらなかった。夜だから家々の庭木の花や葉の色もあきらかならないが、ハナミズキなど咲いている様子。空はわりと澄んで星が照っていたと思う。
  • 帰宅。父親は(……)に行っていてまだ帰らないと言う。帰室し、少々休息。(……)さんのブログを一日分読んだ。そうして零時前に夕食へ。天麩羅など。父親が酔って帰宅。(……)も大変だねこんな遅くまで、と母親は言い、会食とかが一番感染のリスクが高いって言われてるのに、と口にするが、帰ってくるやいなやそういう嫌味めいたことをわざわざ言わなくたって良いだろう。酒に酔っているときの父親は感情の箍がやたらゆるいから、ちょっとうるさいことを言われただけでもすぐ気色ばんで鬱陶しいことになる。さいわいこのときはそうはならなかったけれど、母親は、自分の言動がそういう父親の反応を誘発するということを、理解しているのかいないのか、理解していたとしても特に気にしていないのか、ともかくわざわざそういう事態を招くようなことを口にする。父親が酒を飲みに行こうが母親がそれを嫌がって文句を言おうが、二人が言い争いをしようがどうでもよろしい。仮に父親なり母親なりが出先でコロナウイルスに感染してきて、それがこちらにもうつって苦しんだり死ぬことになったとしてもどうでもよろしい。そうなったとしてべつに恨むつもりもないし、こんな状況では誰がいつ感染して死んだっておかしくないのだから、誰が悪いだのお前が持ちこんできただのあげつらうのはまったく無意味でくだらぬことだ。最低限気をつけながら、好きに酒を飲みに行くなり遊びに行くなりすれば良い。ただこちらが飯を食っている横でなんだかんだとうるさく騒ぐのは勘弁してもらいたい。ウイルスで死ぬことよりもそちらのほうがこちらにとってはよほど不快だ。ひとがひとりで飯を食っている横でしずかにできない人間は例外なく馬鹿である。このときはさいわいそうはならなかったが。
  • 夕刊にはアリババが独占禁止法違反で三〇〇〇億円規模の罰金を課されたという記事があった。もともとジャック・マーは昨年の一〇月だかに中国当局を批判するような発言をしているらしく、目をつけられているのだろう。この罰金はアリババの昨年だかの売上高の四パーセントにあたるとあったはず。ということは、一年の売上高は、日本円にすると七兆五〇〇〇億円くらいとなるだろう。ところでジャック・マーは中国名だと馬雲というらしく、なんかやたら格好良い名前だなと思った。三国志の武将にでもいそうな名前だし、モンゴルの大平原の上に果てなくひろがりつづける悠久の青空みたいなイメージを喚起させもする。熊野純彦の『西洋哲学史 古代から中世へ』のなかで、マルクス・アウレリウス・アントニヌスについて書いたところで、「戦雲」という語が出てくるのだが(マルクス・アウレリウス帝はおそらく生来の性分にはそぐわず、即位以来大半をローマを離れた戦雲のもとで過ごすことになる、みたいな記述)、それを連想させる。
  • 父親が風呂に入っていたので、こちらは茶を用意して帰室。職場の甘味配分でこちらのものになったドーナツを食う。一時くらいになると風呂へ。今日はあまり静止せず、肩や背や首などをよく揉んだ。出ると二時ほどだったはず。帰路、駅前の自販機で二八〇ミリのコーラのボトルを買っていたのだが、それを飲みながら今日のことを記述。やはり忘れてしまう前におぼえていることを書きたいものだ。そのほうが当然面白いし、すっきりするような感覚がある。四時三九分に消灯、就寝。