2021/4/15, Thu.

 (……)たとえば、〈新品の/新規の〉の対についてはこうである。「新規」は良いもので、「テクスト」のもつ幸福な動きである。体制的に後退の恐れのあるいかなる社会においても革新は必要なことだ、と歴史的に認められているのだから。だが「新品」は悪いものである。新品の服を着るには格闘しなければならない。しばらく着ていると生じる緩みが新品の服にはないので、首を締めつけるし、からだにうまく合わないのだ。完全には〈新品〉ではないが〈新規〉であるもの、それが芸術やテクストや衣服の理想的な状態なのだろう。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、196; 「新品のもの/新規のもの(Neuf/nouveau)」)



  • 一〇時半過ぎくらいに覚めて、一一時一〇分に離床。天気は良かった。ほぼ雲がなかったのではないか。快晴の光だった。いつもどおり水場に行ってから瞑想。二〇分くらいやったか?
  • 上階に行くと母親がまた天麩羅を揚げていた。またもやホットケーキの素を使ったらしい。それなのでいくらか甘いようなにおいがする。揚がったものは見事なきつね色で、いかにも香ばしそうに映る。米とマイタケなどのスープとその天麩羅で食事。新聞では文化面に何かを見たような記憶があるのだが、と書きながら思い出したが、斎藤環が『エヴァンゲリオン』の最新作、例の完結篇についてみじかくものしていたのだ。特に面白い内容ではなかったが、斎藤環はあのシリーズを庵野秀明監督の自伝的作品というか、彼自身の実存が大いに投影されているものと見なしていると言っており、その点から考えると今回の完結篇は、終末への欲望みたいなものが濃く見受けられた初期と比べると成熟して切りがついたものになっており、そのようにまとまったことを大いに言祝ぎたい、庵野監督はこれからまた、べつの種類のすぐれた作品をたくさんつくってくれるのではないか、と語っていた。『エヴァンゲリオン』が庵野秀明自身の自伝的作品だというのは、昨晩Woolf会で(……)さんも似たようなことを言っていたところではある。こちらはシリーズのどれも見たことがないので、聞きかじりの漠然とした内容しか知らない。
  • あと、アフガニスタン駐留の米軍が完全撤退するという記事が昨日の夕刊に続いて出ていたが、このときはあまり読まなかった。食器と風呂を洗って帰室。茶を飲みつつ、今日はさっそく読書をすることにした。昨日、土田知則の本を読み終わって、次は何にしようかな、金子光晴の自伝を読むか、ショアー関連か、やはり小説かそれとも詩か、石原吉郎の『望郷と海』を再読するか、と色々巡らせていたのだが、ラックの一番上の手前側の塔たちのひとつにあった二葉亭四迷浮雲』をちょっとひらいてみると、やはり明治時代のものなので文章の調子がいまと全然違って面白そうだったので、これを読むことに決めた。それでベッドの縁に腰を下ろし、ゴルフボールを踏みながら書見。数日前から、Notionに貯めている音読用の記事のみならず、普通に読む本なども基本的に声に出してぶつぶつ読むようになっており、そうするとなぜかやはりやる気が出るというか、頭がすっきりするような感じがあるし、声を出して言葉を読むというおこない自体が楽しく気持ちよくなって、どんどん文を読みたくなるのでこれは良い。二葉亭四迷はその後も合わせていま47くらいまで読んだが、冒頭の二葉亭四迷自身の序文と、彼が相談した相手でありこの作品を世に出すにあたって寄与があったらしい坪内逍遥の推薦序文の両方とも、文章のリズム感が当然ながら現代のものとはまるで違うし、いまや失われてちっとも知らない語彙もたくさんあって、それだけでもうかなり面白い。この二つの序文はたぶん、どちらかと言うとまだ漢文の感覚をそこそこ残しているのではないか。本文も似た感じではあるのだが、いわゆる言文一致というやつで、たしかに落語家とか講談師などがいま目の前で物語を話している、というような感じを出そうとしているのが見受けられる。文体=語り口の調子自体もそうだし、ほかにもたとえば、「(……)トある横町へ曲り込んで、角から三軒目の格子戸作りの二階家へ這入る。一所に這入ッて見よう」(10)とか、「ここにチト艶 [なまめ] いた一条のお噺があるが、これを記す前に、チョッピリ孫兵衛の長女お勢の小伝を伺いましょう」(19)、「これからが肝腎要、回を改めて伺いましょう」(23)というような読者への呼びかけに、そのあたりあらわれているだろう。「回を改めて伺いましょう」というのは、この小説の区分けが「第一編」、そしてそのうちの「第~回」という言い方になっているからで、先の23の文言は第二回の締めくくりにあたるのだけれど、そういう語り口に言ってみれば紙芝居的な趣向を感じないでもない。今日はここまで、続きは次回、また聞きに来てね、という感じだ。そういう、みずからが語る物語に対して語り手が距離を取って自律しており、あれこれ言及したり評論したりしてつかの間姿をあらわすメタ的手法というのは珍しくはないのだが、二葉亭四迷のここでの紙芝居的な演出に近いものは、たとえば現代の漫画雑誌で毎話コマの外に記されているコメント、編集部なのか作者なのか主体がわからないがなんか感想じみたことを述べたり次回の内容をすこしだけ紹介したりするあれのようなかたちで残っているのではないか。それはともかく、「伺う」というのは「聞く」の謙譲語だから、話者が聞き手である読者の立場にみずから同一化しにいくような言い方で、つまり自分も話を語りながらひとりの聞き手としてみなさんと一緒に物語を聞いていますよという含みが出るので、より読者を対象化しつつ巻きこむような言葉遣いだなと思ったのだが、これは検索してみると、「《「御機嫌をうかがう」の意から》寄席などで、客に話をする。また、一般に、大ぜいの人に説明をする」という用法があることが判明した。だからやはり、語彙からしても落語や話芸のそれになっているわけだ。
  • 内容としては若い男の下級官吏がやっかいになっている叔父の娘に惚れて嫁にもらおうとするのだけれど時あたかも都合悪く役所をクビになってしまってさてどうするか、というあたりまでがいまのところ。全体的に話芸の気味というか、諧謔味というか、これがいわゆる戯作、というやつの雰囲気なのか、語り手が人物をちょっと戯画化しながらユーモラスに話す感じがあって、冒頭の役所から帰る男たちの描写にすでにそれはふくまれている。二葉亭四迷はたしかツルゲーネフを読んで翻訳し、日本の文学にもあちらのやり方を取り入れようとしたとか聞いたおぼえがあるが、うだつの上がらない冴えない平役人をちょっと滑稽に扱っているあたりはたしかにロシアの、ゴーゴリなんかを思わせないでもない。ところで主人公内海文三は先に書いたとおり、叔父の娘だから従妹にあたるお勢という女性と仲良くしていて、互いに互いの好情をわかっていながらも決定的な恋愛関係もしくは夫婦関係に入る手前のぬるま湯のなかでいちゃいちゃしている、みたいなところがあるのだけれど、これライトノベルやんと思った。べつにライトノベルに限らないのだが、漫画とか大衆小説の方面とかでよくあるやつじゃん、と思って、やり口としてはかなり流通的になっている。ある夏の夜に家内がみんな出かけているなかでお勢の部屋で二人きりになるところがあるのだけれど、文三は話しているうちに自分の感情を抑えきれなくなって、もうすこしで告白しそうになるというか、ほぼもう思いを言ってしまっているような言葉を発するのだが、そこでお勢は、「アラ月が……まるで竹の中から出るようですよ、ちょっと御覧なさいヨ」(29)と出し抜けに言って風景のほうに視点を移すのだけれど、これライトノベル方面でよくあってネタにされてる、聞こえないふりをするやつじゃん、と思った。そこから記述は庭の描写に移行し、さらにお勢の姿を横からながめる文三の視線に移るのだけれど、「暫らく文三がシケジケと眺めているト、やがて凄味のある半面 [よこがお] が次第々々に此方へ捻れて……パッチリとした涼しい眼がジロリと動き出して……見とれていた眼とピッタリ出逢う」(29~30)などという動きの推移がそのあとにあって、このスローモーション的な演出も、なんと言えば良いのか、いかにも、という感じがして、ちょっと映画みたいな雰囲気もある気がするが、それで流通的なやり方になっているぞ、と思ったのだ。そのあとまた文三が思いを伝える寸前まで行きながらもひとが帰ってきてそこで打ち切りとなるのも、よく見るやつだ。こういう一夜がありつつも二人の関係はやはり決定的な踏みこみにいたらず、お勢のほうは相手が恋情に屈託しているのをどうも知りながらわからないふりをして、「アノー昨夕 [ゆうべ] は貴君どうなすったの」(31)などと言い、「やいのやいのと責め立てて、終 [つい] には「仰しゃらぬとくすぐりますヨ」とまで迫ッた」(31)りもして、実際にからだを触れ合ってもいるようで「じゃらくらが高じてどやぐやと成ッた」(32)りもしているのだけれど、こいつら何いちゃついてんねん、とまあこういう感じで、お勢はいまでいうところの小悪魔的な女子というのか、からかい好きな女性らしく、それに堅物の文三が焦らされ振り回されてうだうだする、みたいな調子で、だから日本の小説って一三〇年前からおなじことをやっているのか、と思った。まあこういうのはべつに日本に限らず、もっと昔からあるのだろうが。また、物語と人物関係としてはそんな様子だけれど、おりおり風景などの描写もけっこう仔細に書かれていて、それはわりと良い。だがこちらがいまのところ一番面白かったのは、先に触れた場面の直前、文三がお勢の部屋に招き入れられて話をしているところで、文三としてはお勢に恋しているわけだけれど、彼女とあまり仲良くしていると叔母などになんだかんだ言われ噂されるからそれは嫌で、だから彼女の部屋に入るのにも躊躇して、「お這入なさいな」(24)と言われてようやく、まだもごもごしながらも踏み入るというはっきりしないありさまで、そこでお勢は、母からはそんなに仲が良いなら結婚してしまえとからかわれる、でも私は「西洋主義」(26)で嫁に行くつもりはなし、こんなことを言ってる女は友だち連中のなかでも自分だけだし、心細いけれど、でもあなたが「親友」(27)になってくれたからよほど心強いです、みたいなことを語る。お勢はかぶれやすい気質で、隣家の娘が儒者の子で学問をものしていたのを真似て塾に行っていた時期があり、ただ肝心の学問は半端におさめたくらいで終わったようなのだが、この時点ではそこから退塾して帰ってきているわけだ。文三は「親友」関係では満足できないだろうから、あなたと「親友の交際は到底出来ない」(27)と受け、あなたは私をよくわかっていると言うが実際にはわかっていない、「私には……親より……大切な者があります……」(27)と恋情をほのめかす。それにお勢も、「親より大切な者は私にも有りますワ」(27)とこたえて、そして誰かと問われたのに断言するのが、なんと「真理」なのだ。「人じゃアないの、アノ真理」(28)と言っているのだ。ここはちょっとびっくりしたというか、唐突に出てきた大きな概念の大仰さに滑稽味をおぼえながらも、ここで、明治時代の女性に「真理」などと言わせるのか、と印象深かった。まあ、こいつ何言ってんねん、という感じではあるし、男性がこう口にしたとしても大しておどろきはなく、むしろ中二病的な臭みが出るというか、大仰さが半端に終わってわざとらしいことになる可能性が大いにあると思うのだけれど、明治時代に書かれた小説のなかで女性の人物がこう口にすると、大仰さが突き抜けて臭みとかが追いつけないところまで行っている、という感じがする。実際のところ、歴史社会を想定するに、この時期(『浮雲』第一編は一八八七年に発表されている)の女性でこんなことを言うひとはほぼまったくいなかったはずで、だから当時の読者は、いやいやこんな女現実にはおらんやろ、という受け止め方をしたのではないか。相当に奇矯な女性像として受け取られたのではないかと想像されて、そのあたりもだから、ライトノベルとか漫画とかでやたら突飛な言動をする女性キャラが、現実にはそんな風に振る舞う女性はほぼいないにもかかわらず、なぜかキャラクターとして可愛く描かれ、一定数の読者の心をつかんでいるのと似たようなことになっていたのかもしれない。作者自身も当然、こうした女性が突飛で奇矯だということは理解していたようで、だから第二回のタイトルは「風変りな恋の初峯入 上」となっているし、第三回になると「余程風変りな恋の初峯入 下」と、わざわざ「余程」をつけたして強調しているから、その点読むひとに対してことわっているわけだ。
  • あと印象に残っていることとしては、45ページで、お勢がいつまでもお転婆でわがまま娘で嫁に行こうとしないことを叔母が愚痴る台詞があるのだが、そのなかに、「マア呆れかえるじゃアないかネー文さん、何処の国にお前、尼じゃアあるまいし、亭主 [ていし] 持たずに一生暮すもんが有る者 [もん] カネ」とあって、この時代だと一八歳にもなれば女性は結婚するのが一般的らしく、「何歳 [いくつ] になるとお思いだ、十八じゃアないか。十八にも成ッてサ、好頃 [いいころ] 嫁にでも往こうという身でいながら、なんぼなんだッて余 [あんま] り勘弁がなさすぎらア」とも叔母は言っている。結婚にかんするこういう規範的観念は、この時代に比べるとだいぶゆるくなったとはいえいまの日本社会でもまだまだ勢力を振るっているわけだけれど、思ったのは、『浮雲』の叔母はこう言うけれど、「亭主持たずに一生暮す」女性は、明治にだって江戸にだって、圧倒的少数者ではあっただろうが、現実にいたはずだ、いなかったわけがない、ということで、ところがそういう人間のことは、おそらく文学にも描きこまれていないだろうし、歴史記録にもほぼ残っていないのではないか、ということだ。そういうひとの生や考えを記した文書があるなら読んでみたいなと思っただけのことだが、明治時代に日本ではじめてだか三番目だかに医者になった、みたいな女性の伝記がたしかわりと最近出ていたはず。ググってみるとまず荻野吟子(荻野ぎん)というひとが出てきて、このひとが一応、公式には、「近代日本における最初の女性の医師」とされているらしい。また、「男装の女医」として高橋瑞子というひとも出てきて、こちらがどこかで知ったのはこのひとである。田中ひかる『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』という本が去年の七月に出ているし。たぶん新聞の書評欄かどこかでこの本が紹介されているのを見かけたのだろう。あとついでに、妾のなんとか、という、武士の家の娘の自伝みたいなやつが岩波文庫に入っていたのも思い出したが、これは福田英子『妾の半生涯』という本だった。青空文庫にもある。
  • 書見後、音読。「英語」。書見中から音楽を流していたのは、Diana Krall『Live In Paris』。というのは"Fly Me To The Moon"が入っているからで、昨晩と今日の新聞でエヴァンゲリオンの話を見聞きし、たしかエヴァンゲリオンの主題歌のひとつが"Fly Me To The Moon"だったはずで、そのことがなんとなく頭にあったのだろう、このアルバムの"Fly Me To The Moon"が思い起こされていたからである。"Fly Me To The Moon"は非常に有名なジャズスタンダードだが、意外とこちらはこれをやっている音源を知らず、Diana Krallのこれしかすぐ連想されるものはない。たしかRoy Haynesが五〇年代か六〇年代に出したアルバムの演奏が有名だったのではないかと思うが。
  • 音読したのちまた『浮雲』を読んだのだったか。五時で上階。あとそう、起きたときに(……)からメールが来ていて、今月は二二日以降が時間があるから、もしよかったらまたZOOMで通話でもどうかとあったので、のちほど、三〇日ではどうかと返しておいた。上階に行くとアイロン掛け。シャツなどを処理。母親は炬燵テーブルに入って携帯を見ていたはず。天麩羅があるからあとは米を炊いてサラダをつくれば良いと。くわえて麻婆豆腐をやるかと言うと、そうしようと。中村屋の辛いという麻婆豆腐があったのだ。先日も食ったのだが、それは辛くないほうで、残っているのは「辛さ痺れる」とかいう形容がついている品。アイロン掛けを終えると台所に行き、米を磨いでセット。そして大根や人参をスライスして、簡単に生サラダをこしらえておく。麻婆豆腐は母親に任せることにしてはやばやと階を下りると、ここでどうしたのだったか。先ほどではなくてここで『浮雲』を読んだのだったか、先ほどはムージルの書抜きをしたのだったか、それともここで書抜きをしたのだったか、よくおぼえていない。ともかくこの日、ムージル古井由吉訳『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫、一九八七年)の書抜きをした。ひとまず三箇所。いま零時四一分で、できればまたもうすこしやりたいが。飯に行ったのはもうけっこう七時に近かったはず。
  • 食事。テレビはコロナウイルスの話題。愛知県の大村秀章知事は、もう第四波に入った、という認識を表明していた。変異型の勢力が拡大してきているようで、東京でも五月初めには八割が変異型ウイルスの感染になるだろうという予測があるらしい。新聞は米軍のアフガン撤退の話題。バイデンが演説で正式に表明し、治安状況がどうなろうと完全に撤退すると明言したと。しかし正直、やばいんじゃないか? という気がする。朝刊にもどって国際面の記事を読んだのだけれど、タリバンは和解に応じておらず、一三日も二三人だか政府の人間を殺したと言うし、ドローンを導入して戦力を高めているらしい。実質もう国内の半分くらいをまた支配下におさめているのではないか、という情報もあるようで、各地に言わば「関所」を設けて徴税しており、その金で資金は昨年より六割増えたとメンバーのひとりが証言していて、そういう金は中央に送られて軍備増強に使われると言う。四月二四日から五月四日までトルコで各国を交えた和平会議がひらかれることになっているらしいが、タリバンは、外国軍が撤退しない限り参加することはないと言っており、いまや二五〇〇人にまで縮小している米軍が撤退をはじめるのは五月からで、同時多発テロ事件から二〇年を期す九月一一日までに完了させるという計画らしいから、タリバンが和解協議に応じるとしてもそのあとになる。タリバンとしては、たぶんもうマジで政権を奪還する気だろう。タリバン側がその気で攻撃を仕掛けてきたら、政府も応戦しないわけにはいかない。したがって、内戦になる。内戦になれば国土は傷つき、人心は乱れ、地域情勢は甚だしく不安定化する。そこにたとえばイスラーム過激派の付け入る余地は大いに生まれる。また、米軍が撤退してプレゼンスを弱めれば、ロシアがそのあとを埋めるかのように介入してくる可能性は普通にあるのではないか。八〇年代にもたしかソ連はアフガン戦争をやっていたはずだし。まあこのあたりの歴史をちっとも知らないので、どういう目的でやったのかわからないが。米国は一応、外交的な努力やかかわりは続けると言っているので、内戦になったら武器供与などなんらかのかたちで影響を及ぼしはするだろう。そこにロシアおよび中国が出張ってくれば、またぞろ代理戦争の様相になる。そして、もし仮にタリバンが内戦に勝利して政権に復帰するとなった場合、九・一一からはじまってこの二〇年の米国のアフガニスタンへの介入は一体何だったのか? という疑念と不信と徒労感がかならず生まれる。そうすると米国の権威とか、各国や中東地域の米国への信頼というものは、いまでもそうなりつつあるだろうが、かなり衰弱する。となれば必然的に、中露の影響力と求心力が高まっていく、と、素人考えでもこういう予想が立つわけだ。だから、記事に紹介されていたアフガニスタンの専門家は、米軍はいま撤退するべきではなく、タリバンを掃討しなければならない、と言っていた。米軍はもともと、オバマ政権のときからだんだん撤退する方針になっていたとは思うが、それを決定的にしたのはこれもまたやはりドナルド・トランプで、どうも彼が昨年の二月にタリバンと合意して、撤退するということを正式に定めたらしいのだ。そしてその決定の動機となったのは、例のAmerica Firstという自国(というか自己)中心的な無関心および非介入主義なわけだろう。
  • 麻婆豆腐はめちゃくちゃ辛かった。口のなかがヒリヒリして、米の熱が痛いのでなかなか食えず、一口ごとに水を飲み、それでも痛いのでサラダを食ってお茶を濁し、みたいな感じでなんとか食いすすめたようなありさま。辛いものが好きなひとは、あのヒリヒリする刺激をどうやって克服しているのか? 口内の皮膚と粘膜がやたら強いのか? それともあのヒリヒリする刺激をむしろ快感として楽しんでいるのか? 身体的な痛みを快楽に変換する力能をそなえたマゾッホのともがらなのか? ちっともわからない。普通に美味いは美味いのだけれど、とにかくヒリヒリして耐えられず、米を口に入れてもろくに噛まないで飲みこまなければならないような具合だった。
  • そういうわけでやっとのことで食べ、食器を片づけて緑茶とともに自室へ。ここで「記憶」の音読をしたのだったか? それとも先の時間だったか。いや、ここでは日記の読み返しをしたのだから、音読はたぶん食前だったはず。そうだ、音読中にその場で、以下の部分を書きつけておいたのを忘れていた。

外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている。そしてもしも、きみの本性が変わりゆくものであることを見いだすなら、きみ自身を超えてゆきなさい。しかし憶えておくがよい、きみがじぶんを超えてゆくとき、きみは理性的なたましいをも超えてゆくことを。だから、理性の光そのものが点火されるところへ向かってゆきなさい。〔中略〕きみが真理それ自身ではないことを告白しなさい。真理は、自己自身を探しもとめないけれども、きみは探しもとめることで真理に達するからである。
 (アウグスティヌス『真の宗教』、三九/七二節; 熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、178より)

  • 去年の日記の読み返し。四月一〇日に、後藤明生『挟み撃ち』の感想にたぐえて、おとといくらいに書いたのとおなじことを言っている。書き抜きたいと思う箇所があれば、書物はもうそれで良いんじゃね? という話。なんか批評的な読み、格好の良い考察みたいなものをしてみたいなと思ってそういう方向に多少向かってみるものの、テクストをきちんと仔細に読むのが面倒臭くなって単純な好事家的快楽にもどる、という動きを定期的にくり返しているようだ。

後藤明生『挾み撃ち【デラックス解説板】』(つかだま書房、二〇一九年)、本篇は読み終えて、残っているのは諸氏の解説である。脱線に次ぐ脱線と言うか、そもそも本線と脱線の別が設けられていないような感じの小説で、七三年の作品なので当時は多分かなり「前衛的」と言うか、新奇なものとして受け取られた――あるいは受け取られ損ねた――のではないかという気もするが、今読んでみると、物語の攪乱の仕方はむしろわりとわかりやすいようにも思う。まあこの種の作品としては、おそらく古典と言ってしまっても良いのだろう。無論面白いは面白いけれど、物凄く惹きつけられるとか、滅茶苦茶に興奮するとか、多大な衝撃を受けて動揺するとか、そこまでのインパクトをこの身に引き寄せることはできなかった。これは言うまでもなく語りの小説である。あとは構造的攪乱と言うか、まさしく〈はぐらかし〉の小説だろう。こちらはもしかすると、性分としてそういうタイプの作品にはそこまで強烈に魅惑されない人間なのかもしれない。やはりどちらかと言えばどうしても描写ばかりに目を向ける近視眼的な好事家になってしまうと言うか、もう少し広く言えば、自分のなかにある類型とは何かしら違った言葉遣いや語彙の選択、文の形や流れ方などを求めているだけなのかもしれない(そういう意味では、先般読んだ三島由紀夫の「中世」なんか、自分の馴染んでいる言葉遣いとはまったく違う種類の言語で書かれていて、今まで触れる機会のなかった物珍しい語などにもたくさん遭遇したので、その点では面白かった。それまで知らなかった言葉を知るということには、もうそれだけで一つの確かな面白さがあるものだ)。要はやはり、書抜きをしたくなるような(〈官能的〉な)細部を豊富に具えている作品にばかり惹かれるのではないかということで、まあ一応ここで、体系性/断片性の二元論を仮に導入してみるとすれば、自分はどう足搔いても断片志向の人間なのかなとも思うものだが、だからまあ、物語の展開や総合的な構成などの面では古色蒼然としたような作品であっても、個々の箇所で言語表現がみずみずしく煌めいていれば、多分気に入ることができるのではないか。それは結局のところ、文体至上主義ということなのか? 必ずしもそうではないとも思うのだが、それに近いところはあるのかもしれない。文芸批評や文学理論の類にまあ一応は興味がある一方で、まったく単純素朴に、自らのうちに牙痕的な印象を鮮烈に刻みつけて、記憶に残り続ける――語義矛盾的な比喩表現を使ってみれば、言わば〈ポジティヴなトラウマ〉のように――部分があるかどうかという点が、つまりは文学に限らず書物というものの本義と言うか、賭金なのでは、という気もする。中上健次も、自分は読者のなかにたった一行残すことができたらそれで勝ちだと思っている、みたいなことを言っていたらしい。これは渡部直己が『日本批評大全』を出した時期に、インターネット上のどこかのインタビューで証言していたと思う。

  • 一二日にも同様の話があった。

蓮實重彦を主題論的に分析すると言うか、そこまで行かなくとも彼の文章に出てくる目立ったキーワードを逐一拾い、書抜きをしてずらりと並べ広げるということをやってみようかと考えて、六時過ぎから八時前まで『小説論=批評論』(青土社、一九八八年)を読みながら気になった頁を熱心にメモしていたのだが、夕食後に風呂に浸かっていると、いや、面倒臭いしわざわざそんなことやらなくても良いか、と気が変わった。そもそも自分はテーマ批評が物凄く好きだというわけでもない。蓮實重彦にしても読んでいて、凄いなこんなことよく気づくなとは思うし、作品がその上に成り立っている原理の抽出とか、言語が演じる具体的な運動に即した描写の仕方とか、構造分析をする際の卓越した手並みなどには勿論感銘を受けはするけれど、それでもテーマ批評の類を読んでいてびっくりするほどの知的興奮を得たという体験は、今まで味わってこなかった気がする。それに、自らそれをやりたいというわけでもない。と言うか正確に言えば、きちんとまとまった形で何らかの批評的な文章を書いてみたいという欲求はまったくないではないのだが、そのためにはやはり一定の体系性=物語を構築することが、基本的には必要になってくるはずだろう。ところが自分は、物語を全然書けない。だから、何かそれらしい批評文の類を書いてみたいなあと漠然と思いながらも、結局は極めて原始的な読み方、つまりは個々の細部を取り上げて、何だかわからんけどここ良くね? 凄くね? といった具合で素朴に芸もなく称揚するという態度、至極断片的で、そこから新たな意味=言語の産出へと広がっていかない読み方に、いつだって立ち戻ってしまうわけですね。まあ別にそれで良いと言うか、結局自分にはそういう楽しみ方が向いていると思うし、それこそ蓮實重彦御大だって、川上未映子の『ウィステリアと三人の女たち』を褒め称えた記事(https://www.bookbang.jp/review/article/551726)で、「では、作品に向けられるべき「敬意」とは何か。そこに書かれている言葉を、そっくりそのまま受け入れることだ。言葉を受け入れるというのは、音としては響かぬ声で書かれている言葉を律儀にたどりなおすこと、つまりは暗唱することである。そらんじること、あるいは引用することこそ、批評に先だち、書かれた言葉に向けられた深い敬意の表明にほかならない」と述べているわけだ。かくして、自分の思考と感性の平面に何かしらの意味で一定以上の揺動をもたらし波を走らせた言葉、要は気になった記述や気に入った表現を書き抜き集めておくだけでひとまず良いのではないか、といういつもながらの結論に還帰することになる。そして、そのなかからさらに己のうちに取りこんで血肉として一体化させたい文章に関しては、「記憶」記事に収めておいて、繰り返し読んではなぞるわけである。このような、実に原始的と言うかある種の愚直な振舞い方こそがむしろ、言葉を読むということ、文学を、あるいはそれ以外の書物を味わい礼賛するという行為の、そう言って良いなら「本質」らしきものに何がしか触れているような気もするが、そうした抑制的な断片性を下敷きにしながらも、敢えてそこから更なる言葉の連なりを生み出していこうとするならば、それは批評文と言うよりは随想や随筆のようなもの、つまりはいわゆるエッセイと呼ばれる文章に似てくるのではないかという予感もないではない。

(……)現代社会の隅々にまで緊密に張り巡らされているネットワークは、どのような質の情報であれ、容易に拡散し増幅させずにはおかない。悪辣なフェイクニュースもあっという間に広まって、まさしく嘘のように滑らかに受け容れられていく。アメリカ大統領選においてドナルド・トランプも、少なくとも一つには、フェイスブックの広告を利用して他陣営を狙い撃ちにしたネガティヴ・キャンペーンを大々的に展開することで勝利したわけだし、二度目の当選に向けて既に多額の資金を費やしはじめている。ネットワークは異質なものをシャットアウトし、同質性を増長・自足させる方向に強く働いており、同質的なネットワーク空間のなかではその実態にかかわらずどんな情報でもやすやすと受け容れられていく――と、ファーガソンがこう述べているのは、いわゆるエコー・チェンバー効果と呼ばれている現象のことだろう。それは民主主義(とはしかし、一体何なのか?)をむしろ損なっている、と彼は言う。現代世界は言わば第二次冷戦のような状況に突入しつつあるところで、それは米国と中国との、ネットワークを主な舞台あるいは武器とした戦いだ。さらに言い換えればこの対立は、自由民主主義とIT全体主義との抗争だとも表現できる。そうした情勢下にあってコロナウイルスの災禍が起こったわけだが、強権的な国家制度を誇る中国が市民の権利を迅速に、つまり強引に制限した結果としてウイルスの抑えこみにどうも成功しつつあるように見えるのに対して、残念ながら遅きに失したと言わざるを得ない米欧においては紛うことなき惨状が拡大し続けている。この騒動の現時点での帰趨を見る限りでは、危機への対応という面からしてIT全体主義が正当性を得ることになってしまうわけである。それによって自由民主主義の理念が退潮するのではないかというのがファーガソンの危惧のようだが、これは正当な、容易に予想されるべき未来図への堅実な懸念だと言えるだろう。確か「中華未来主義」と言ったか、よく覚えていないのだが、ニック・ランド界隈のいわゆる「加速主義」を奉じる人々の周辺では、「加速」の行き着く先にあるテクノロジカル・ユートピアと言うか、資本主義を突き抜けたその向こうに存在するとされる(彼らにとっての)あるべき世界のモデルを、現代中国の飛躍的発展――高度情報技術と結びついた効率的強権体制の実現――に見てそれを称揚する風潮が出現してきていると、そんな話を以前インターネット記事に読んだ覚えがあるけれど、その種の動向が今後さらなる支持を得て、大きな勢力を持つことになるのかもしれない。

  • 四月一三日月曜日の冒頭の引用は古井由吉。やはり文章が締まっているなという感覚。

 立ち停まると俄に夜になった。黒い雲が低く垂れて、細い雨が落ちてきた。それほどのぼった覚えもないのに、駅前の街の灯が足下の遠くに霞んで見える。もう片側を見あげれば、かなり建て込んでいたはずの高台が暗く繁る山に還り、木の間から灯がちらちらと顫えてのぞく。風も渡るようでその山の上のほうからなにやら、何人もの低く笑うとも咽び泣くともつかぬざわめきが伝わり、風の音か耳のせいかと目をやれば、繁みの間に落葉樹の大木が、先端を断たれて捩れた枯枝をわなわなと、天へ摑みかからんばかりに伸べる。その影があたりの暗さの中で白く浮き立ち、すでに火に炙られて立ち枯れた樹の、最後の悶えの、過ぎ去らぬ跡に見えてきた。頭上の雲は黒さにあまり赤味を帯びて感じられ、今日は十万人もの人間が一夜の内に焼き殺された、三月十日だった、と思い出した。
 しかし同じ三月十日でも、あの本所深川方面の大空襲は九日の夜半から十日の未明にかけてのことである。十日のこの時刻には見渡すかぎり無惨な焼跡が、おそらく至るところに遺体を隠したまま、これだけは平生に変わらず、夜へ沈んでいく頃になる。都内の遠い空まで赤く染まったほどの大炎上だったので、今頃は煤煙まじりの雨が降っていたかもしれない。あれ以来、当地の凄惨なありさまは日を追って、私の住まう西南部まで噂となって伝わり、それにつれて人の了見も変わり、隣組一致団結して防空にあたるなどいう考えも失せて、とにかく命あっての物種、危険がすこしでも迫ったら取り敢えず家を捨てて逃げることだとささやきあうようになり、その間に道路端の家屋の取り壊わしもすすみ、五月二十四日の未明に私の住まう一帯も炎上した時には、人の逃げ足もよほど速くなった。しかし私のところでは女子供三人、家に被弾を見るまで防空壕の底にうずくまっていたので、壕を飛び出して坂道を駆け下る時には、両側の家々は火を内にふくんで、白煙の立ちこめる路上には人影も見えず、大通りへ走り抜けたのは、あたりが一斉に炎上する直前の、間一髪の差であったようだ。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、181~182; 「孤帆一片」)

  • 四月一三日では蓮實重彦『小説論=批評論』について触れたついでに、『ユリイカ』の蓮實重彦特集冒頭のインタビューからいくつか引いているのだが、なかに、「これはわたくし自身の当時の違和感でもあるのですが、あのころの批評家たち、すなわち柄谷さんや、ひとつ下の世代の渡部直己さんなんかも、みなさん批評家がいちばん偉いと信じていた。ただ、わたくしはそんなことを信じてはいなかった。あの「近代日本の批評」でも、批評史のようなものはわたくしも論じましたけれども、批評家が小説家よりも偉いと思ったり言ったりしたことは一度もありません。ですが討議のなかでは、たとえば川端康成が非常に低い地位に置かれている。たしかに川端には優れていないところもあるけれども、どれほど下手な作家であっても、やはり批評家よりは偉いはずではないかという気持ちを、わたくしは最後まで捨てきれませんでした」(29)とあって、こう明言しているというその一点をもって、蓮實重彦は一見どれだけ偉そうにしていてもやはり信用できると思う。
  • 四月一五日冒頭は、収容所経験者の証言。

 マイダネクの規律は軍隊みたいでした。朝の四時か五時に起床させられ、なんだかわからない苦い液体を飲まされ、それから点呼に行かねばなりませんでした。点呼は非常につらいものでした。ドイツ人は、囚人が全員いることを確かめるため、何度も何度も数えなおしました。ときにそれが何時間もかかることがありました。それが終わると「教練」、「訓練」です。重視されたのは、「脱帽!着帽!」といったものでした。SSが来るときは、脱帽して敬意をしめさなければなりません。そんな訓練が、ときには数時間もつづきました。
 マイダネクでは、意味のあるような仕事はそうありません。たとえば一日目には、ひとつの場所から別の場所に土を手押し車で運ばされ、翌日には元の所に戻すみたいな、無意味なことをさせられたのでした。
 食事は飢え死に寸前のかつかつのものでした。朝は粥、昼は蕪のスープと一切れのパン。パンには、マーガリンが二〇グラムぐらいついていました。夜もパンと一皿のスープ、それだけです。
 加えてSSに殴られるかもしれないという恐怖。SSは方々歩き回っていて、仕事をしていないとか、すばやく脱帽しなかったとかいった囚人のナンバーをメモしていきました。そして夜の点呼のときにそのナンバーを読みあげ、よびだされた囚人は一五回、あるいは二五回殴られたのです。どんな小さな過ちでも、囚人はみんなが見ている前で殴られました。収容所の生活は恐ろしくつらく、厳しいものでした。
 わたしがマイダネクにいたのは数カ月でしたが、それは死ぬのを待っているような毎日でした。殴られて死ぬか、飢えて死ぬか、とにかく死を待っていたのです。わたしにとっては、労働も厳しすぎました。土を盛った手押し車をささえるのがやっとだったのですから。
 (花元潔編集・解説/米田周インタビュー『アウシュヴィッツの沈黙』東海大学出版会、二〇〇八年、46~47; ヤクブ・グデンバウムの記憶)

  • 四月一五日は夜歩きに出ていて、そのあいだのことを綴った描写は悪くない。日記の読み返しは四月九日から一五日まで。八時四二分になった。
  • その後、(……)さんのブログを読んだ。直近の記事ひとつと、四月を頭から五日まで。四月五日の「借金」という記事が面白かった。尾崎一雄の文章が引かれている。九時で上がったところ、母親が先に風呂に入ると言うので了承し、もどって読み続け、五日まででいったん切りとし、そのあと今日のことを記述。入浴をはさんでここまで綴ると、もう一時一二分にいたっている。昨日のことも書かねばならないのだが。まあ楽に、気の向くようにやろう。
  • あと忘れていたが、五時に上階に上がる前にBobby Timmons Trio『In Person』から冒頭の"Autumn Leaves"だけを聞いた。Bobby Timmonsと言えばArt BlakeyのJazz Messengersでの印象が一番強くて、つまりこの時期のファンキー&ブルージーなピアニストのなかでもとりわけブルース色が強い演奏をするピアノだという頭があるのだが、この自分のトリオでの"Autumn Leaves"を聞いてみるに、思ったよりも品が良いな、という感じを得た。Red GarlandとかHank Jonesを連想させるような感じ。あまり強く弾かずにけっこうやさしいようなニュアンスになっているし、それでこまかくやるものだからややカクテルピアノ感がおりにないでもなく、そのあたりもRed Garlandを思わせると言えば思わせる。Garlandのほうがもっとなめらかに転がる気がするが。ソロの後半でブロックコードを打ち出すあたりも、やり口としてはGarlandとほぼ同じだろう。コード前までの単音でのソロはけっこうはやく弾いて密につらねる部分が多かったと思うのだが、同型のフレーズをくり返してみせるあたり、同じくらいの長さとかたちの線を何本かつぎつぎと引いてみせるような動きのところで、わりと面白い音使いがあったような気がする。一応、一音強く叩いてそこからブルーノートらしきものを混ぜつつちょっと降りる、みたいな、よくあるブルージーフレーズも出てはくるのだけれど、そんなにそれを推してはおらず、もっとこの"Autumn Leaves"という曲の色合いに添っているような印象。ピアノソロのあとはベース(Ron Carter)と和声をつくりながら一拍一音ずつで上昇していく趣向が挟まっており、イントロもそうだけれどそういうキメをつくるあたり、ほんのすこしだけだがアンサンブル志向があって、ソロ後のそれは室内楽的な感触をかすかに得ないでもない。
  • 結局この日のこのあとは怠けてしまい、取り立てたことはやらなかったはず。