2021/4/16, Fri.

 「中性」とは、能動性と受動性の中間なのではない。むしろ、往復運動であり、善悪とは無関係の揺れ動きであり、ようするに、二律背反の反対のものだと言ってもいいだろう。価値(「情熱」の領域から生じるもの)として、「中性」は、社会的実践によって教条主義的な二律背反を一掃し、非現実化してゆく力に相当するのであろう(『ラシーヌ論』で引用したマルクスのことば。「社会主観主義と客観主義、唯心論と唯物論、能動性と受動性といった二律背反がその二律背反的性質を失うのは、社会的存在においてのみである……」)。

 「中性」のさまざまなかたち。たとえば、いかなる文学的演劇性もまぬがれた白いエクリチュール(end196)――アダム的言語[訳註207: バルトの言う「アダム的言語」とは、バベルの塔によって言語が分裂する以前の言語、または言語の分裂を乗り越えたのちのユートピア的言語である。]――心地よい無意味さ――なめらかなこと――空虚なことや縫い目のないこと――「散文」(ミシュレのえがいた政治的カテゴリー)――つつましさ――「個人」が不在であること、あるいは消え去ってはいないにしても、せめて見分けがつかないこと――〈イマーゴ〉[訳注208→77: 「イマーゴ」とは精神分析用語であり、他人を把握する見方を方向づける無意識的人物原型をいう。]の不在――判断や決着の中断――転位――「[平静をよそおって]ひとつの態度をとる」のを拒否すること(いかなる態度も拒否すること)――繊細さの原則――漂流――悦楽。つまり、誇示や支配や威嚇を巧みにかわしたり、裏をかいたり、取るに足りないものにしたりすることすべてである。

 「自然」はいけない。はじめのうちは、すべての活動が〈擬 - 「ピュシス」〉(ドクサ、自然なもの、など)と〈反 - 「ピュシス」〉(わたしの個人的なユートピアのすべて)との闘いになっている。前者は憎むべきで、後者は望ましい、というわけだ。しかし、のちには、そのような闘い自体があまりにも演劇的なもののように彼には思えてくる。そこで、「中性」の擁護(欲求)によって、闘いはひそかに押しやられ、遠ざけられることになる。したがって「中性」とは、意味的かつ闘争的な対立関係における第三項――零度――といったものではない。それは〈言語活動の限りない連鎖のべつの段階における〉新たなパラディグムの第二項なのだ。そのパラディグムにおいては、暴力(闘争、勝利、演劇性、傲慢)は充満した項となる。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、196~197; 「中性(Le neutre)」)



  • この日は当日に多少なりとも書いておくのを忘れてしまって、出勤前までのことはあまりおぼえていない。わりとだらだらしつつ、「英語」と二葉亭四迷浮雲』は読んだはず。出勤時に一気に飛ぼう。五時過ぎにコートを着て出た。天気は曇りで、日中は雨もいくらかあったのだったか? 忘れたが、このときは降りはなかった。日としては風がけっこう強く、家内で皿洗いをしていたときなど、(……)さんの家の鯉のぼりがすべてそろって横にまっすぐ浮かび上がって意気揚々と泳いでいるのが見えて、それでようやく四、五匹ではなくて全部で六体いることがわかったのだが、この出勤路では風はそこまでなかったはず。道の右側の斜面の草のなかには紫や白や黄色や赤と色々花が咲いて賑わい、彩られている。鳥の声も多くあった。坂を上りながら瞑想の時間をやはり増やしたほうが良いなということと、しかるべき物事に対する感謝と謙虚さを忘れたら人間やはり終わりだなということを思っていた。上って最寄り駅の桜は遅れたものが一本あるがそれももう若緑色が半分ほどを占めている。ホームに移ってベンチにつき、手帳にメモ書きをしてから瞑目。横には年嵩の男性がひとりあり、こちらが書きつけをしているあいだにもうひとり来て、知り合いだったらしくろくに挨拶もしないままになんとか交わしていた。微風と鳥の声を聞きながら待つ。丘のほうでなにか音が立って最初は雨戸を閉める響きだと思ったのだけれど、そのわりにどうも続くし、種としてはトタン板を鳴らしているような感じだったので何をやっているのかよくわからない。
  • 電車に乗って職場へ。駅を抜けると駅前のイチョウの街路樹も緑色の小さな葉を装いはじめている。(……)
  • (……)
  • 授業後、片づけや共有などをして皆には先に帰ってもらい、こちらもなんとか一〇時までに終わらせることができた。退勤。徒歩。風の流れがある。歩きはじめてまもなく、顔に触れるものを感じたので、傘も持ってこなかったしまずいかなと思いつつ空気の質感に皮膚感覚を凝らしてみるに、そんなにすぐ盛りはしないのでは? と思われたがあてにならない。文化センター裏まで来ると線路の向こうの林の樹々が絶えず鳴りを立てているので、うーん、やっぱりまずいかなと思ったがいまさらもどる気もなし、降ったらしょうがねえと決めてゆっくり行った。路程の中盤まではそれで良し散るものがあると言って路上に灰色が点じられるでもなく街灯の光をかけられてつやめくものが見えるでもなく、問題なかったが、じきににわかに周囲の屋根屋根を打つ音がはじまって身に触れる粒も大きくなったので、さすがにいくらか脚をはやめたものの、どうせまだ一五分くらいあるわけだしそれだけ歩けば急ごうがゆっくり行こうが変わらんだろうとあきらめて、天の気分にゆだねることにしてペースをもどし、すると裏道を出るあたりではもう止んでいたので良かった。その後もゆったりぶらぶら行って帰る。最後の坂の下端で川の音が左方眼下の暗闇から伝わってくるのが心地良かった。水音というよりも巨大な送風機が絶えず稼働しているような、言ってみれば抽象的な風音のたぐいに聞こえ、その川にも通じているはずだが右手の林中の小水路で落ちる流れが立てるこれはいかにも水らしい響きと比べると余計に抽象度が高く聞こえる。
  • 帰宅。一一時前。休息して一一時四〇分頃食事へ。ジェンダーレス男子なんとか、みたいなドラマがテレビには映されていたが、母親はソファで寝入ってしまってせっかく録画したはずのそれを見られていない。夕刊で何かしらの記事を読んだはずだが、全然おぼえていない。食後、皿洗いに立った頃には『結婚できない男』がやっており、これはなぜか最近また再放送されているらしいのを母親が録ったのだが、これは昔やっていたやつの再放送だと言っても母親はなぜかなかなか信じない。いま流れた場面は全部見たことがある、とこちらは言ったのだが、しかしこちらがこのドラマを見たのはいったいいつのことなのか。昔からそんなにテレビドラマを見つける人種でなかったのだけれど。もともと二〇〇六年に夜一〇時にやっていたらしいので、当時のこちらは高校生、一〇時だから食卓で見たわけでもなさそうだ。大学生の頃だったか、昼間に再放送されているドラマをちょっと見ていた時期があったと思うのだけれど、そのあいだに見たものか。『相棒』が好きで、一時期三時か四時から再放送しているのを毎日のように見ていたことがあったのだが、あれは何の時期だったのか。パニック障害で休学していた頃だったのだろうか?
  • 入浴後は緑茶を飲んだりして一服したのち、日記を書かねばと思ったのだが疲労が強かったのでちょっと休んでからにしようと、ベッドに仰向いて死者のごとく停止したのだけれど、完全に眠りはしなかったもののなぜか疲労感がけっこう重くてなかなか回復できず、ようやく起きればもう三時五一分に達していたのでここからやってもしょうがないなというわけで、そのまま明かりを落として寝に入った。