2021/4/17, Sat.

 (……)社会論理学的な分析(一九六二年)のなかに、まるで匂いのある夢のように次の文を入れることには、快感のようなものがありはしないだろうか。「野生のサクランボ、シナモン、バニラ、シェリー酒、カナダの茶、ラベンダー、バナナ」[訳注216: 「社会学と社会理論――クロード・レヴィ=ストロースの近著二冊について」、『記号学の冒険』、六一ページ。]。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、201; 「言述のなかに事物がやってくること(Passge des objets dans le discours)」)



  • 一〇時二〇分頃に覚醒。こめかみや眼窩、腹、腰や背骨周りなどを揉んで、一一時前に起き上がった。水場に行ってきて瞑想。今日は雨降りだが、瞑想の間に雨音を聞いたおぼえはあまりない。ウグイスの鳴き声は何度か、薄く伝わってきた。瞑想はまあ悪くない。止まることができている。意識の状態の変化、意識が丸みを帯びて均されてくるというか、その移行をより如実に感得するようになってきた。たぶんまだ一五分くらいしか経っていないなと思いながらみじかく終えることにして目をひらいたが、実際一三分ほどだった。
  • 上階へ。無人。父親は外にいるようだったが。ハムエッグを焼いて食事。新聞からエンタメ欄で小曽根真の話。一九八四年に世界デビューしたあと、Gary Burtonのグループなどで活動。Burtonは文字通り恩師で、お前はうまく話すことはできるけれど聴くことができない、他者のプレイの表面的なところを聞いてただそれに合わせたフレーズを組み立てるんじゃなくて、真意をつかまないと駄目だ、と教えられたと言う。まだ若い頃とはいえ、小曽根真のレベルでそんなことを言われるなんて、ニューヨークとはどれだけ化け物がそろっている土地なんだと思う。小曽根自身しかし、八〇年代あたりの自分は端的に言っておごっていたと述懐しており、なまじ幼少期からピアノを弾いていて技術も経験もあったものだから練習もろくにしなかったし、やっぱり俺はすごいんだなと天狗になっていた、と言っていた。八九年に帰国し、その後、九〇年代にもまた渡米。ビッグバンドのNo Name Horsesはもともと伊藤君子のバックとして集まったグループだったというが、いざやってみるとあまりにすばらしい音を出すので、これだけで終わるのはもったいなさすぎるとメンバーたちとも合意し、続けることに決定したと。いまも活動継続しているらしい。No Name Horsesは大学に入ったあたりで二枚ほど聞いたと思うが、ちゃんと聞いてはいないので何もおぼえていない。エリック・ミヤシロがいた気がするくらい。たしかセカンドとサードを聞いたのではなかったか。
  • ほか、気になる記事は色々あるがひとまず終えて、皿を洗い、そのまま風呂も。帰室。Notionを準備したのち、茶をこしらえてきて、飲みながら昨年の日記を読み返す。茶をこしらえるあいだ、茶葉がエキスを出すのを待ちつつ、南窓のそばに寄って外をちょっとながめた。雨降りで、けっこうな厚さで降っており、空中は白く煙っている。風景は全体としてあかるい緑色の割合が多くなってきている。見ていると、眼下、(……)さんの家の角を曲がってあらわれた者があって、スーツ姿の男性で、息子かと思ったが傘を差しながら片手に何か定規みたいなものを持っておりそれを家屋の下端にあてたりしているようだったので、たぶん業者ではないか。ここの家の主だった(……)さんというひとはもう夫婦ともども亡くなっていて普段は誰もいないのだが、息子か娘かわからないが子の代のひとが売りに出すか何かで業者に頼み、それで調査に来たというところではないか。
  • 2020/4/16, Thu. を読み返し。夜歩きに出ている。まあ特に面白くはないが悪くもない、いつもながらの描写。

夕食後に歩きに出た。雨降りのあとで、ざらざらと微細な陥没を無数に帯びたアスファルトの表面は全部濡れきって、より黒々と深く沈みこみ、同時に街灯の純白光もその上でより明るく踊り、つややかに反射される。雨は闇をより闇らしく、光をさらに光らしく、各々強く増幅させて、顕著な対比を拵える。夜気は結構冷ややかだったが、煮込んだ蕎麦を食べてきて身体が内から温んでいたので、涼しさはむしろ心地良いほど、実際、吐息も白く濁るくらいの気温だけれど、肌に寒さは感じなかった。雨後なので、空は当然薄墨に曇って隙なく閉ざされているものの、あまり暗いとは見えずむしろ明るめなようで、黒漆色の夜の影にのっぺり同一化した林の樹々と空との境も、あやふやに入り混じろうとはしていない。

公営住宅の公園の桜を下から見上げつつ過ぎる。花はもう消えて替わりに葉が湧き、枝先など既に結構広く育って、赤子の手のひらよりも大きいだろう。そのなかに、あれは萼なのかそれとも花柄というやつなのか、毎年見かけていながら未だに知らないのだが、落花のあとに残った切片の渋紅色が点じられていて、それを見ながら歩む足もと、道の端には、華やぎの残滓で、白い花弁がいくらか撒かれて濡れていた。

  • 管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』(左右社、二〇一三年)のなかで連詩を読んで、「なるほど詩というものはこんな感じで作れば良いのか、ということが何故か何となくわかったような気がした」と言う。「詰まるところ、一行と一行を繋げていく行為なのだ」、と。それで、この管のエッセイ中から、「夜がはじまるとともに、全員が姿を消したのだ」という一節を借りて冒頭に据えるかたちで詩をつくりはじめている。この詩篇はごくたまにいじりながらいまも進行中である。端緒からもう一年も経ってしまったわけだが、ごくたまにしかいじっていないので、実質あてた時間はかなりすくない。
  • 2020/4/17, Fri. も。「新型コロナウイルスのせいでLee Konitzが亡くなったらしい。このウイルスは、優れたジャズプレイヤーたちの命をどんどん奪っていっている。Wallace Roney、Ellis Marsalis、川崎燎。John Pizzarelliの父親であるBucky Pizzarelliも亡くなったという話だ」と。ただ、川崎燎は死因が公表されていなかったような気がするが。また、「詩に心が向いていたので、管啓次郎の次に天沢退二郎入沢康夫・宮沢清六編『宮沢賢治全集Ⅰ』(ちくま文庫、一九八六年)を読みだした。詩集全体のタイトルにもなっている「春と修羅」が大層素晴らしくてびっくりした。ほとんど完璧と言っても良い」とのこと。
  • それから今日のことを記したのち、書見。二葉亭四迷浮雲』(新潮文庫、一九五一年/一九九八年改版)。内海文三というこの小説の主人公にあたる男性はどうもうじうじしがちで、屈託がなくなるということがなく、ああ思ったかと思えばすぐこう思い、しかしまた考え直してもとの思いにもどって、いったいどちらが正しいのか皆目わからない……という悩めるひとに特有の分裂にとらわれて身動きできなくなるさまなど、けっこう良く書かれていると思う。いま120ページあたりまですすんでいてここはもう第二編の範囲なのだが、このあたりに来ると文三と相思相愛だったはずの(すくなくとも文三にはそう思われていたはずの)お勢も彼に冷淡になり、役所で文三の同僚だった本田昇のほうへとなびくような様子が見えてきている。それに文三は嫉妬をして本田にも怒りお勢にも怒り、他者のみならずままならぬ己の身にも怒り、という感じで感情を乱されてばかりいる。この本田という男は世渡り上手な人間で、役所でも課長にうまく取り入って文三がクビにされた人員整理はもちろん逃れ、官等もそこそこ上って月に三五円の収入を得ており、無職で口下手でむっつりしている文三とはいかにも対照的な軽薄漢として描かれている。文三は正直一途の人間でだから役所でも不条理な課長に媚びを売ることができず、その堅物なところはしかし周囲の人間からは好ましく受け取られるどころか、お高くとまった理想主義者の痩我慢と見なされ、とりわけ叔母からの迫害は手厳しい。何しろ叔父叔母の家に居候している身で、郷里の老母も行く末が心配だからそろそろ嫁ももらって一家を成した上で東京に呼び寄せようと思っていたところに免職になってしまったわけなので。いくら正直で学ができてもそれが飯の種にならなけりゃあしょうがなし、というわけで、いつの世も金と利便と労働に好かれない人種に対する風当たりは厳しいものだなあと、こちらも身分にせよ性分にせよどちらかと言えば文三寄りだから身につまされるところもないでない。なかなか世知辛くまた切ないような物語展開になってきたが、文三は嫉妬もあってか本田昇を大層嫌っていて、「犬畜生」にも劣るとかおりおり書かれ、その罵言というかこき下ろしぶりはちょっと面白いのだけれど、でもそこまでクズみたいな人間かなあという疑問も少々おぼえる。たしかに軽薄で、自分の能力を鼻にかけていて、他者を見下すところはあり、上役に媚びるのはうまいのだろうが、まあせいぜいその程度で、道徳的にひどく悪辣かというとそこまでではないように思うので、文三の軽蔑は過剰に見えないでもない。そもそも文三にしてからが正直者で地味だが高潔な人間として語られるのだけれど、具体的にそれを示すエピソードが出てこず、物語の現在ではうじうじ悩んでばかりいるので、あまり廉潔さに説得力が出てこない。役所の課長の「不条理」にしたって物語のはじまりですでに文三は免職されており、その「不条理」がどんなものだったのか、役所内で本田が課長にどう取り入っているのか、文三はそこでどう動いたのかあるいは動かなかったのか、どのような出来事があったのか、そういったことが挿話としては回想されないので、よくわからないのだ。この小説は明治になってまもなく、新旧の思想や価値観が入れ替わったり衝突したりする頃の世相を題材にしているもので、旧世代の考え方を代表しているのは文三の叔母お政であり、新世代のひとびととしては文三、本田の男性側とお勢という女性がいる。文三はむろん、旧世代側のお政からはやれこれいびられるわけだけれど、くわえて新世代のなかでもあまりうまくやっていけず、世渡りと金稼ぎのうまい本田のような人物がやはり勢力を持って栄光をつかみ、女性もそちらへ流れていく、という結構にいまのところなっていて、なんとも哀しい話だ。文三としてはだから八方塞がりというか、味方がいないみたいな状況になってしまっているのだが、ただわかりやすい主人公と悪者の対立としての枠組みで行くなら、本田に悪役としての器量がいまひとつ足りないような気もする。とはいえそうすると定型に寄りすぎるきらいはむろんある。先日も綴ったとおり、この作品はおりおりでわりと流通的なやり口をしてはいるのでそっちに振っても良いような気もするのだが、ただまあ本田ひとりを悪役として際立たせないほうが、文三が世相や状況全体に包囲されるという感じが出て良いのかもしれない。べつに二葉亭だって勧善懲悪をやりたかったわけではないだろうし。
  • あと、先日書き忘れたのだけれど、序盤のお勢はみずからが一応学をつけたことを鼻にかけて、母親などを、「真個 [ほんと] に教育のないという者は仕様のないもんですネー」(26)などとたびたび言っているのだけれど、こちらはこれが笑える。最後が必ず「ネー」で終わるのが笑える。
  • 書見後、「英語」を音読。それで二時半くらいだったはず。あるいはもうすこしはやかったか。今日は五時過ぎには出勤。日記を書かねばならないが、でも音楽でも聞こうかなという気になって、Bill Evans Trio, "Gloria's Step (take 1; interrupted)", "Alice In Wonderland (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#2, 3)を聞いた。ベッド縁に腰掛けてヘッドフォンをつけて。この音源を久しぶりに聞いたが、やはり三者の音の交通の仕方はほかにないもので、言ってみればかなり抽象度が高いように思う。完全に抽象画までは行かないものの、印象派後期というか、印象派のなかでも過激なほうのやり方というか。とりわけ"Alice In Wonderland (take1 )"のほうを聴くに、よくこれで崩れないな、音楽が壊れないな、と。思ったのだけれど、Bill Evans Trioはそれまでのピアノトリオと比べて一体感や結合、ひとつになろうとする力が高まったのではなくて、むしろ弱まり、ゆるくなり、拡散しているように聞こえる。結合点と接触面が、それまでのトリオよりもはるかに微細に繊細になり、きわめて複数化し、いつどこでも触れ合えるしまたいつどこでも離れていくことができる、というような様相をしているように聞こえる。かっちり固まってひとつに合わさるのではなくて、流動的に絶えず変容を続けながら、無数の経路もしくは穴を通して気体が混ざるように不定形に絡み合う、ということ。だからそれまでのトリオとはまったく別種の統合性を開発したということで、それは言ってみれば全体主義的な求心性から民主主義的な自律的平等と無限の複数化へ、というような感じだろう。そういう意味でBill Evans Trioの音楽は自由を象徴しまた体現していると言っても良いかもしれないが、この様相はやはり、あきらかにフリージャズに向かっていた時代の感性が生み出したものなのだ。それを確信する。Bill Evans自身はフリーにはそこまで興味をいだいてはいなかったかもしれず、晩年のライブ音源を耳にした限りでは、ピアニストとしては、フリー以前の枠のなかで行けるところまで行く方向を突き詰めたひとりだとたぶん言えるだろう。しかしScott LaFaroはフリー的な演奏を実際にやっていたひとだし、Bill Evans Trioのなかでの動き方にもそういう志向はまちがいなく見て取れる。Paul Motianは相変わらずよくわからないのだけれど、このあとで彼もフリー的なことをやるし、音使いや組み立て方からすればそれまでの伝統からは隔絶しているし、やはりそちらに寄っていると見てひとまず良いだろう。Motianの場合はフリーうんぬんを措いても、彼の特有性として、個人的なスタイルとしてほかから外れている感じがあるのでよくわからないのだが。で、このトリオがもしこのまま進んでいって、EvansがLaFaroなどからフリースタイル方面の知見や感覚を取り入れていたら、たぶんその後のEvansは現実にあったEvansとはけっこう違うものになっていただろうし、おそらくフリーでもない、保守でもない、かといってこの六一年時点のやり方にとどまってもいない、新しいピアノトリオの形態が生み出されていたのだろうな、と思った。だから実際のところ、LaFaroの死によって、ジャズの歴史はいくらか止まったのだと思う。
  • 今日のことをここまで記すと、三時半。
  • 出勤へ飛ぶ。この日は雨降りでもあったし、母親が送っていってくれると言うのでそれに甘えた。道中、車内では(……)(地元の同級生女子)の母親が亡くなったという件を話すなど。白血病だったとか。(……)には弟が二人いて、上は役人をやっているとか母親は言うがさだかでない。ただ、眼鏡をかけてひょろいようなややガリ勉風の外見だった記憶があるので、イメージには合っている。下の弟はそこそこ歳が離れていたはずだが、(……)と言い、その子はもう結婚していて子どもがいるとかいう話だ。たぶん二三歳かそのくらいだろうか?
  • 駅前で降ろしてもらい、職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)退勤。駅に入ってベンチへ。雨降りで歩く気にならなかったので。たしかそこそこ寒かったので、ココアを買って飲んだのではなかったか。そのあとは何もせずに瞑目して待っていたはず。電車が来ても同様。最寄り駅について階段に行くと、前方を見慣れぬ男が上っていて、煙草を吸いながらちょっとよたよたしたような、疲労困憊していてなかなかはやく動けないような、そんな風に見える足取りで、こちらもよほど遅いほうだがそれでも出口付近で追いつくくらいだった。男性は傘を持っていなかったので階段口からすぐ左に折れて屋根のあるところに向かい、こちらはその横から傘をひらいて前に進み、通りを渡る。坂に入りながら振り返って見てみるとちょっとのあいだ雨宿りしていたようだが、じきに雨のなかに踏み出したらしかった。全然見たことのない人間だったが、近くの住人なのだろうか。
  • あとの帰路は忘れた。帰宅後のことも同様。Sarah VaughanJohn Coltraneをどこかで聞いた。どちらも"My Favorite Things"と"Everytime We Say Goodbye"。前者は『After Hours』の、後者は『My Favorite Things』のそれぞれ一曲目と二曲目。Sarah Vaughanはマジで奇跡のように歌がうまい。完全に音楽の神に選ばれているとしか思えない歌い手。"My Favorite Things"だと特に最後の、"when the dog bites"以下、終幕までが完璧。そこは歌詞もわりと好き。"when the dog bites, when the bee stings, when I'm feeling sad....... I simply remember my favorite things, and then I don't feel...... so bad"だったと思う。"Everytime We Say Goodbye"も良い曲で、さすがCole PorterJohn Coltraneのほうはあらためて聞いてみると、ColtraneよりMcCoy Tynerのほうが印象に残る。"My Favorite Things"のほうはすくなくとも、この曲はColtraneよりもMcCoy Tynerが、主役とまでは言えないとしても功労者ではないの? という気がした。コードワークが巧みで、和音の色彩でもってこの曲のトーンとその推移を握っているのがピアノのように思われたし。テーマの一周目と二周目でコードの付け方が違っていたはず。二周目はなんだかこちらにはよくわからないが、代理コードか何かなのか、たぶんもとのコードの三度をルートにした展開型みたいな、なんかそういう感じだったのではないか。ソロも単音を長くつらねるというタイプのそれではなく、つまり旋律を歌う種類のものでなく、ドラムとベースがひたすら実直に刻み続けるなかでコードを厚く打ちそれを一定単位で変化させることでだんだん展開していくという、反復的なものになっている。これはこれで成功しているように思われ、下手に歌わず色調の塗り重ねで勝負することで、曲のトーンが際立つし、くり返しと持続のなかにトランスめいた感じがちょっと生じてこないでもない。ソロのあいだに音使いがこまかくなる範囲が一度だけあり、ただそれもアドリブではなくてかたちの定まったフレーズで、どういう風にやっているのかよくわからんのだがなんか速弾きでアルペジオをしながら端正に山型に上昇して下降してくるところなのだけれど、たしかその最初の下降あたりで一音だけあきらかなアヴォイドノートが混ざっていて、あれはたぶんミスったのではないか。それかあえてやったのか。で、Coltraneはこの曲だとソプラノを吹いているわけだが、ソロはなんかちゃんと聞いてみると意外と単調というか、ロングトーンでちょっと震えながら突き上げるように伸ばすのと、例のsheets of sound的なブロウを交互にくり返すという動きにだいたいおさまっているように思ったし、ブロウの回転のかたちも毎度だいたいおなじ感じで、すくなくともすごく嵌まっている、構築的必然性を目指したソロではないと思う。本篇のソロではなくてアウトロだともうすこし動きのバリエーションが増えて、ペダル奏法と言えば良いのか、固定された一音とその他の音をすばやく行き来するフレーズなどもやっているが。あと、ソプラノのトーン自体があまり耳になじまなかったというか、Coltraneはもともとテナーでもかなり音色はトレブリーなほうで、たぶんテナーにしては珍しいくらいに細めというか、あまりふくよかさがなく乾いた質感なのではないか? それはBen Websterまで行かなくとも、Sonny Rollinsあたりと比べれば明白だと思う。かと言って、Lester Young - Stan Getz系列のクールな軽さ、気体と同化しながら舞い踊る羽のような空気感もない。そういうもともとのスタイルがソプラノにも影響するものなのかどうなのかこちらにはわからないが、高音のときなどけっこう耳にざらついてうーん、あんまり気持ちの良い音ではないなあ、と思うときがあった。Quartetのスタイルとしてはもうここでひとつかたちができているのだけれど、Coltrane個人の演奏としては、その後を思うとまだ過渡期だったのではないか。あと、たしかアウトロのブロウのなかに、のちのフリーへの志向の萌芽のようにも思えるわずかなはみ出しをちょっと聞いたはず。"Everytime We Say Goodbye"はべつにColtraneも悪くなかったが、ここでもやはりMcCoy Tynerのソロのほうが印象に残った記憶がある。
  • 一時。書抜きをすることに。iTunesのライブラリを見てSadistic Mika Band『Live In London』など流してみたのだけれど、これはたしか地元の図書館で借りたやつだ。借りて以来たしか一回だけ流した記憶があるが、何ひとつ印象には残っていなかったところ、冒頭は"どんたく"という曲で、曲とボーカルは弱いもののバックの演奏はよくつくられていてうまいなと思った。それでメンツを調べてみると、Sadistic Mika Bandって高中正義高橋幸宏がいたバンドなのだ。全然知らなかった。そりゃあうまいだろう。このライブ音源は一九七六年のものなのだが、当時興隆しはじめていただろうジャズロックフュージョン的な感覚が多少ある。インストも多いし。Jeff Beckが『Blow By Blow』や『Wired』をやったり、Lee RitenourがGentle Thoughtsをやったのがだいたいおなじ頃のはず。そう考えると、耳がはやいというか、そういう動向を取り入れるのがはやい気がする。