2021/4/20, Tue.

 彼の仕事は反歴史的ではない(すくなくともそう願っている)が、いつも頑固に反生成的である。なぜなら「起源」とは、「自然」(「ピュシス」)の危険なかたちだからである。「ドクサ」は、打算的(end207)な悪用によって「起源」と「真実」とをいっしょに「押しつぶし」て、どちらも便利な回転ドアから出たり入ったりさせながら、ただひとつのことを証明しようとする。人文科学とは、あらゆることがらの〈エティモン〉(起源と真実)を研究する〈起源的な〉ものではないのか、と。
 「起源」の裏をかくために、彼はまず「自然」の文化水準を徹底的に上げてゆく。自然のものなど何もなく、どこにもなく、歴史的なものしかないようにするのだ。つぎに、(いかなる文化も言語活動にすぎないと、バンヴェニストとともに確信しているので)、熱い手遊びのように次から次へと重ねられた(生み出されたのではない)言述の無限の動きのなかに、その文化をもどしてやるのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、207~208; 「起源からの離脱(La défection des origines)」)



  • 上の引用について。反生成的であることと、「起源」とが関係するのは、生成を認めるとその端緒としての「起源」をまた認めなくてはならなくなるからではないか。パルメニデス的汎存在論においては、世界にあるのは「ある」という存在の全一性のみで、「ある」はいまもあるし過去にもあったしこれから先もあり続けるので、物事が終わるということはない、したがって生成変化もない、なぜなら生成があるということはある状態が終わるということだからだ、という話になっていたはず。だから生成変化を認めるということは、物事にはじまりと終わりがあるということを前提するのとおなじことだろう。バルトは上で世間的な通念たる「ドクサ」によって「起源」が「真実」と一緒くたにされて「自然」化されてしまう、と書いているが、すくなくとも第一段階においては忘却されている「起源」を突き止めることこそが「自然」とされていた事柄を歴史化して、言わば神話を解体する行為だったはずである。現在の社会や世界で当たり前のこととしてまかり通っている問題含みの常識が、いつどこではじまりどのように形成されたのかを探究することで、それがまったく当たり前のことではなかったということを、すなわちどのような時代どのような場所でも通用する普遍的な「自然=真実」などではなく、歴史的にかたちづくられた物事の特殊な一様態であることをあきらかにする、ということ。たとえばフーコーがやったのはたぶんそういう仕事だったはずだし、バルト自身もそういうことはたくさんやっているだろう(上で彼自身が、「「起源」の裏をかくために、彼はまず「自然」の文化水準を徹底的に上げてゆく。自然のものなど何もなく、どこにもなく、歴史的なものしかないようにするのだ」と言っているのがその段階にあたるだろう)。ただこの時期のバルトは、「起源」を突き止めることこそが「真実」を発見することだという発想そのものに、まあ我慢ならなくなってきていたのか、飽きてきたのかわからんが、ともかく今度はそれが「ドクサ」として固まっているのを感じていたということだろう。べつにこの時期に至らずとも、最初からそういうことは感じていて、それを承知でいわゆる神話解体的なことをやっていたのではないかという気もするが。フーコーはバルトとあまり仲が良くなかったということをどこかで聞いたようなおぼえがあって、バルトがコレージュ・ド・フランスの教授になるときにもフーコーは反対していたとか、正確な記憶ではないのであやしいが、なんかそんなようなことを聞いた気がするのだが、もしかすると「起源」に対するスタンスの違いがそのあたりの一要因だったりするのだろうか。と言って、フーコーが単純に「起源」と「真実」を同一視していたとも思えないが。
  • 目覚めたのは一一時一〇分くらいだったか。今日も快晴。そこそこ疲労感と濁りがあった。労働はさほど大変でもなかったのだが。各所を揉んで時を過ごし、一一時四〇分だか五〇分だったかに起床。瞑想は今日はサボった。上階へ行くと米がもうほぼないからうどんか蕎麦か、とか言う。それかパンか、と言うので珍しく食パンを焼いて食うことに。トイレに行ったり水を飲んだりうがいをしたり髪を梳かしたりしてから食事。新聞の国際面にはタクシン政権発足から二〇年ということで、タクシン後に首相を経験した二人が短く知見を述べていた。タイの歴史をちっとも知らないのだが、タクシンは二〇〇一年に政権に就き、生活が苦しい農民層向けに低額医療保険制度などを打ち出してポピュリズム的人気を得たと言う。それまでタイではわりと富裕でなければなかなか病院で治療を受けられないみたいな状況があったようで、そこをたしか日本円で一〇〇円かそこらで診療を受けられるような制度を整えたらしく、それは良いのではないか。ただ人気を得たあと汚職や不正蓄財に走った結果、不正に目をつぶってタクシンを支持する勢力と反対する勢力とで国が分裂し、そこに軍が介入してクーデターで政権を握った、というところからの流れが結局いまも続いているということのようだ。だからタクシン政権期に現在の混乱のみなもとがある、と片方のひとは述べていた。いまは学生などの若い層と比較的年嵩だと思われる既得権益層との対立がたぶん主なのだと思うが、そしてそれはタクシン期への評価という以上に軍および王室に対するスタンスで分かれているのではないかと思うのだが、だから現在の分裂とタクシン政権への評価がより正確にどのように結びついているのか、そのあたりはまだ知らない。つまりおのおのの勢力がタクシンをどう思っているのかというのは。
  • 食後、食器と風呂を洗う。いつもどおり。茶をつくって帰室。そういえば、今日は(……)ちゃんの四歳の誕生日なので、ビデオレターを送ってほしいと(……)さんが言ってきたという話があった。六時間ほど違うはずだから、夕方くらいでいいんではないかと思っていたところが、夜にやると言う。ビデオレターと母親が言うから動画を撮って喋る様子を送るものだと思っていたのだが、たぶん普通にビデオ通話をして祝うということだろう。
  • 書見。昨日に続き、『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)。ボールを踏んだり、ベッドに転がって脚をほぐしたりしつつ。吉田健一岡本かの子に興味をいだいた。吉田健一については、彼の文章はただ文章と呼ぶほかなく、評論とか随筆とか小説とか色々な一般的なカテゴリーに沿って分けてみても仕方がない、と言われていたので。岡本かの子にかんしては、修飾過剰で形容が豊かな絢爛な文体、みたいなことが書かれてあったので。なんだかんだ言ってそういう膨張的というか、ゴテゴテしていたり、むやみに装飾した豪華な文章みたいなものにはわりと惹かれる性分だ。岡本かの子の場合、それが当時は直感的な、即座の反発を招いたことが多かったらしいのだが。反発や嫌悪を示すにせよ、賛同したり称賛したりするにせよ、そういう即時的な感情的反応を引き起こすその度合の激しさは、ほかの作家にはなかなかないのではないか、みたいなことが記されてあった。ただ金井美恵子としてはどちらの側も半端な文体論にとどまっていて、それはあまり益のあるものではないと思っていたようで、例によってわりとテーマ的な、モチーフ的な読み方をしている模様。やはり詩から出発したひとということだろうか、そういう論のやり方が多いような印象。天沢退二郎について書いたやつだったか、おなじテーマの認められる部分の引用を列挙しつつ、ほとんど目立ったパラフレーズもせずに本文の言葉をくり返しながらわずかに解説や自分の印象をつけくわえる、ほぼそれだけ、みたいな感じのものもあったと思う。
  • 82からはじまって143まで。中断したのは三時過ぎくらいだったか? BGMとしてRobert Glasper Experiment『Black Radio』を流していたのだが、なんだかんだ言っても良いアルバムである。サウンドの質感が良い。ドラムのやり口なんかもおりおり面白い。Lalah Hathawayが歌った"Cherish The Day"のはじまりなんかも良い。そのあと、ストレッチ。ストレッチというかなんか頭が堅くてなかがこごっているような、内側にしこりか虫が埋まっているような感じだったので、休もうと思ったのだが、瞑想をする気にはならなかったのでかわりにストレッチ的にからだを伸ばしつつ静止した。それであらためて立ち返ったのだが、やはりあまり肉を伸ばそうとせず、負荷をそこまでかけない状態でじっと静止するのが良い。だからストレッチが主というよりも、止まるほうが主というか。ポーズを取った瞑想という感じで、からだが伸びてやわらぐのは副産物みたいな。合蹠して前についた手に頭を乗せて支えて目をつぶっているとマジですっきりする。まずはこのやり方で肉体のベースをつくってかつ向上させていきたい。
  • その後、四時くらいから書抜き。小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』(未來社、二〇〇六年)。Robert Glasper Experiment『Black Radio 2』を流しながらやり、四時四〇分くらいで切ってベッド縁に移ってここまで記述。するといま五時一七分。
  • ほかのことは忘れた。ビデオレターを夜に撮ったことくらい。仏間で撮ったのだが、撮ったものを見てみると、こちらの声がなんだか、なんと言えばよいのか、声だけでなく全体的な雰囲気として未熟さがにじみ出ているような様子で、この日は外に出ていなかったので、すなわちひとと話す時間もなかったので、そうすると声も低くなるしテンションも低くなりがちなのだが、そういう調子で全然朗らかでなく、もうすこしハキハキ喋れば良かったなと思った。如才なさが全然なかった。堂々としていない。声色が、映像とかで外部録音されるとやはり自分が普段聞いている自分の声と全然違うから、俺こんな声なのかよと思ってちょっと気持ち悪く感じたのだが、声色としてはどうも(……)の(……)に似ているように思われた。(……)は大方あっけらかんとしている(……)家のなかで唯一翳のあるような雰囲気を含み持っている人間で、と言っても野球部だったし基礎的には騒ぐことが好きなほうの人種でもあるだろうが、ただ一方で妙に理屈っぽかったり表情などに陰影があったりして、彼が高校生だか大学生になったあたりからこちらはちょっとこちらに似ているなと思っていたのだけれど、今回逆に、撮影された自分の姿を見てあちらに似ているという印象を持った。