2021/4/21, Wed.

 「ある夜、バーの長いすでうつらうつらしていると……」。つまりこれは、タンジールのその「ナイトクラブ」で、わたしがしていたことである。わたしはそこですこし眠っていたのだ。さて、つまらない都市社会学によると、ナイトクラブとは覚醒と行動の場だということになっている(話すこと、コミュニケーションすること、出会うことなどが重要だというわけだ)。だが、ここでは反対に、ナイトクラブとは半 - 不在の場なのである。その空間に身体が不在だということではなく、それどころか客たちの身体はきわめて近いし、そのことが重要にもなっている。だがそれらの身体は無名で、かすかに動くだけであり、わたしを無為で無責任で流動的な状態のままにしておいてくれる。みんなが(end211)そこにいるが、誰もわたしに何も求めたりしないという、二つの利点をわたしは手にしているのだ。すなわち、ナイトクラブでは、他者の身体はけっして(市民の、心理的な、社会的な、などの)個人に変わることはない。その身体は、近くを歩いてみせるが、話しかけることはしない。したがってナイトクラブは、わたしの器官のために特別に処方された薬のように、わたしが文の仕事をする場になることができるのだ。わたしは夢想はしない。文章を作るのだ。会話によって耳を傾けられる身体ではなく、ただ見つめられる身体こそが、〈話しかけ〉(接触)の機能をになっており、自分の言葉の産出と、その産出が糧とする流動的な欲望とのあいだで、メッセージではなく覚醒の関係をたもっている。結局、ナイトクラブとは〈中性の〉場である。第三項というユートピアであり、〈語ること/黙っていること〉という純粋すぎる対関係からは遠いところへ漂流することなのである。

 列車のなかでは、さまざまな考えが浮かぶ。人がわたしのまわりを行き来して、通り過ぎる身体が促進剤のように作用するのである。飛行機のなかでは、まったく逆だ。わたしは動かず、席に押しこめられており、何も見えない。わたしの身体は、したがって知性は、死んでしまっている。わたしにあたえられているのは、託児所のゆりかごのあいだを冷淡な母親のように歩き回るスチュワーデスの外見はよいけれど不在である身体だけだ。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、211~212; 「通り過ぎてゆく身体(Les corps qui passent)」)



  • 一一時頃覚醒。快晴。気温も高く、もう五月以降、初夏の陽気で、布団の下のからだが多少汗ばんでいた。いつものようにしばらく寝床で過ごしてから、一一時三五分に離床した。水場やトイレに行き、もどって瞑想。死を思う。現在の自分の存在を見ると、それにともなって反転的にと言うか、現在の持続の終わりとしての死を思うことが多い。ある程度の時間、道を歩いているときもだいたいそうなる。格好良く言えば、死を観照する。観照したからどうということもそれ以上ないが。ただそのうち死ぬんだなあということを思うだけ。老いも多少思う。まだそんなに顕在化してはいないものの、日々着実に老いているわけだ、と。死よりも老いのほうが怖いとか嫌だということが、ひとによってはあるのではないか。
  • 正午ちょうどまで座って上階へ。大根の葉の軸など入れたカレーだと言う。よそって食事。新聞の社会面に、大学入試共通テストで記述式や英語の民間試験導入は見送る見込み、という報があった。ちゃんと読んではいないが。この件のもろもろはいったいなんだったのか? こちらとしては、塾で高校生を教えるときに記述式対策をしなくて良くなるだろうからべつに良いが。ただ実際のところ、高校生の段階までで教育の場で文を書く時間はすくなすぎるとは思う。それで大学に行けば急に毎学期レポートを書かされるということになるわけだから、そりゃあクソみたいなレポートしか書けないに決まっている。ほか、昨晩の夕刊でも見たが、ジョージ・フロイドを死に至らしめたデレク・ショービンの公判が終わって判決が出るとの報があり、それを読んでいると、ちょうどテレビのニュースで判決が出たと伝えられた。有罪にはなったらしいが、量刑は不明。第二級殺人と第三級殺人と過失致死の三つで起訴されたらしいが、そのそれぞれについての詳しい判断も不明。ただ一応これで、激しい抗議運動の勃発は回避された、だろうか? バイデンは判決を受けて急遽演説したとのこと。ほか、ドイツで与党の首相候補が決まって緑の党女性候補と一騎打ちとか、EUが安保方面で対中姿勢を強めているとかの記事があったが、それらはまだ読んでいない。
  • 食器を片づけ、風呂洗い。(……)さんが来ていた。出勤する母親に缶コーヒーをもらったらしく、何か機械を使って作業中の父親を呼び止めて礼を言っているのが窓の外に聞こえる。出るとカルピスをつくって帰室。今日はWoolf会。昨日、(……)くんが新しいひとを三人招いていたので、たぶん今日から参加するはず。皆聴講と言っているが。Notionを準備して、ウェブをちょっと見ると今日のことを記述。一時一一分。労働のために三時には出なければならない。面倒臭い。
  • 金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)を読む。大岡昇平の『成城だより』という日記が面白いらしい。「七十歳を越えた年齢の、日本の、というより世界の、と言ってもいいかもしれませんが、小説家として、まったく例外的と言っていいのではないかと思われる、知的好奇心と読書欲と創作欲にあふれた日記」だと言う。ドゥルーズも読んでいたらしいし、なんでも少女漫画すら読んでいたようだ。大岡昇平は一九〇九年生まれで、中原中也小林秀雄と友人だったわけだが、その世代の人間が少女漫画を、少女漫画と言っても色々あるだろうしいまのそれとも違うかもしれないが、しかし読んでいたというのはたしかにすごい。大江健三郎ノーベル文学賞を取ったときにも、大岡昇平井伏鱒二安部公房が生きていたら彼らが取っていたでしょう、と言ったらしいから、すごい作家なのだろうが、まだ一冊も読んだことがない。
  • 二時四〇分くらいまで読んで上階へ。絹の豆腐を一パックだけ食べる。そうしてすぐもどり、歯磨きをして着替え。するともう三時くらいだったので出発へ。今日はかなりあたたかいのでコートは不要。上に行き、トイレで排便してから外に出た。父親が家の横で何か作業しているが、こちらを向かないし声を飛ばすのも面倒臭いので黙って道を歩いていく。日なたがとてもあたたかい。あれは柚子ではないのか、柑橘類の木にヒヨドリが来てまたすぐに飛び去っていく。坂に入って右手、川のほうを見ると、川の手前に生えた低めの樹々の茂みが、黄緑やら臙脂っぽい赤やらどれもあかるい色なのだが、それらがいま風を受けて縦横無尽に、しかしそこまで激しさの印象は与えずに、風音もなかったと思うのでしずかにうごめいており、それは肉のうごめきを思わせるようである種エロティックにすら見えるその一方でまたグロテスクとも思える感覚もふくんでいるようでもあり、いずれにせよその動きと色彩の具体性はすごかった。坂を上っていく。合間、鳥の音やら周囲の草木が風に触れられる音やらがこまかく、絶えず、まあ言ってみれば鈴の音のきらめきのように立つ。出口付近になると日なたがまたあらわになるが、そのなかに入ると普通にかなり暑い。しかもそこで(……)くんから来たメールのことを思い出して、返信を忘れないように手帳にメモしておこうと立ち止まって書きつけたので、熱が身に溜まって余計に暑かった。
  • 西空から来たる陽射しはまだまだまぶしい。ツツジがいたるところで咲いている。街道沿いの家も色々花を咲かせているものが多く、色彩あざやかで、いまそこから渡ってきた対岸の庭木の、丸っこいように整えられた梢の枝葉の隙間には空の色がくまなく染みこみ、まさしく水色と言うほかない色で喉をうるおす清涼な感覚を思わせもするのだが、あまり濃くはなく、雲はないけれどやさしげにやわらいでいる青が頭上どこまでも続いているなかに、月ももう下側をすっぱり切り取られた半分だけの姿でかすかにあらわれている。陽射しはやはり暑いほどで、風が吹いてもやわらかいばかりで、言ってみれば薄布団につつまれているような感じになるので、それもあって眠くなるような温もりと穏和さであり、光のなかでただ何もせずにいたいな、労働行くの面倒臭え、こんな日に働くというのは人間として生理学的に誤っているのだが、と思った。街道の途中で水道管の工事か何かしていた。歩行者用通路を、そのときは一応多少は歩をはやめながら歩きつつ、仕切りで囲まれているなかを見れば、道路の途中に四角い穴、坑と呼ぶべき感じの綺麗に切り取られたような穴がひらいており、ひとつは放置されていたがもうひとつのまわりにひとが集まって何か線のようなものを入れて計測作業をしているようで、一方進むとトラックが二台連続で停まっているのだがその荷台に山盛りに載った土砂のたぐいは色が違って、ひとつがたぶんアスファルトの部分で、もうひとつはその下の砂、ということだったのではないか。
  • 公園ではその現場の作業員のひとりなのかわからないが、作業着を身につけた男性がひとりだけでベンチに座って携帯を見ており、公園内にある遊具のうち、格子状に棒を組み合わせて球体をかたちづくっているあれ、ぐるぐるまわしたのにつかまって自分もまわりながら遊ぶやつがあると思うが、あれの赤やら黄色やらのペンキの強い色彩が、光を浴びてさらにつやめき際立っていた。老人ホームの角にある桜はもう完全に終わり、頭上は大きめの葉ばかりになって、地にも花びらは掃除されたようでひとつも見られない。裏通りに折れながら、春爛漫というほかない陽気だなと思った。一軒の庭にあるサルスベリの、伐られた太枝の先端に盛り上がっている瘤から、茶と緑の混ざったような色の新芽がいくつも伸びはじめている。
  • あたりを見ればどこもかしこも視線があかるい緑にぶつかり、あるいはほかの花々も鮮明な色をたたえて、空間と世界全体があざやかさに支配されてしまった気味で、言ってみれば死後の楽園を思わせかねないような、熱を帯びた明快さであり、通るひともあまりおらずあたりはしずかだから、そのなかをただひとりでゆっくり歩くのは最高だなと思った。精神安定剤をキメたときの落ち着きを思い出させる心地よさ。歩調は相当遅かったはず。全然急ぐというか、力を入れて歩く気にならなかったので。(……)を渡ったあたりで老いた男女に抜かされた。横にならぶのではなく、女性が三歩分くらい先行してそのあとを男性がついていくのだが、このひとたちは一見すると格好もどちらもキャップ様の帽子をかぶっていて似ているし、夫婦に見えるが、言葉を交わすそぶりもないし関係のないひとなのだろうか、どちらなのだろうかと思った。それで彼らに遅れてのろのろ行きながらときおり見やっていたのだが、距離はずっとおなじままで近づきも離れもしなかったものの、文化センター前まで来て女性が話しかける様子が見られたので、やはり夫婦だったのだとわかった。女性は折れてどこか表通りのほうに行き、男性は文化センター前に立っていたが、まもなく植込みの段に腰掛けて座って待ちはじめた。その前を過ぎてすすむと前方から女児がひとり歩いてきて、黄色い帽子をかぶっていて幼稚園児かともあとで思えたがたぶん小学一年生だったのではないか。よく見なかったのでランドセルを背負っていたかわからないが。その子の歩き方がそんなにはやいわけでないがまっすぐきちんと、ちょっとせかせかした感じで踏まれるもので、歩き方というのもやはり社会とか環境によって規制され形成されているのがよくわかるなと思った。子どもがはじめて立ち上がって歩き出したときはともかくとしても、その後はやはり親に手を引かれるときの感じとか、まわりのペースに合わせなければならなかったりとか、大人たちの歩き方に巻きこまれておのずとそういう風に削られ、つくりととのえられていくのだろう。子どもが自分で、こういう歩き方をしようと主体的に選ぶわけもないし。本当はあんな風に歩く必要などどこにもないはずなのだが。
  • 駅前に出てロータリーを行くに向かいのマンションの上方側壁に太陽の白さが水をびしゃっとぶっかけられたように固まっていた。裏口から職場に入るので路地に入ると、前方に停まった車の横に家族連れ三人がおり、子どもが、たぶん女児だったと思うのだけれど、しばらく父親の股間に顔を近づけてまさぐるようにしたあと、パンツひらいた、とか言いながら車に乗っていって、母親がパンツをひらいたらまずいとかなんとか笑っていたが、ズボンの前のチャックを開けようとしてふざけていたものらしい。職場の裏の扉の前に来るとそこは建物の細い隙間で、ビルに絞られて勢いを増した風が通路に沿って吹き、こちらのからだを過ぎていく。
  • 勤務中のこと、またその他もろもろは忘れたので、Woolf会に飛ぶ。その本篇のことも割愛し、この日目新しかったこととしては上にも記したとおり、新たな参加者が二人あったこと。(……)
  • おのおの自己紹介をしたわけだが、紹介したい自己など特に持ち合わせていない。こちらは、いま三一歳で、大学を出てから文学などというものにかぶれてしまい、毎日文を読み文を書きたいがために実家に置いてもらいながらいまだにフリーターをやっている身分だと述べた。(……)さんは自己紹介のあいだに、今日のご飯はセブンイレブンのペペロンチーノでしたと言って、それについて(……)くんがあとで、うまいな、すごいな、と漏らしていた。自己紹介で何を言えば良いのかいつもわからなくて、自分のことを語りすぎてもなんだし、そこで何について言うかがそもそもそのひとを表すことになると思うのだけれど、そこで今日のご飯は、と言うのはなかなかできない、(……)さんならではだ、というような評価だった。(……)さんは、自分は自己紹介の途中で話がどんどん逸れていって気づくと語りまくっていて、はっとしていけないいけないと思うことが多い、と言った。このときも実際、(……)さんとは先日デモの場で会って、というところから、入管法改正の件について話がなされたのだが、これはしかし有益な脱線だったように思う。彼女の話によれば入管法改正案が衆院を通過したかするからしいのだが、この情報はこちらは全然知らなかった。すくなくとも我が家が取っている読売新聞ではまったく報じられていなかったと思う。政治面をいつもあまりきちんと見ず、国際面ばかり見ているので見落としているかもしれないが。それで、改正案(抗議者たちは「改正」ではなくて「改悪」だと訴えているのだが)が成立すると強制送還がいままでよりも容易になるらしく、(……)さんによればそこで少年法のほうともかかわりが生まれてくるらしい。時あたかもミャンマーがあんな状況だし、難民希望の人間はこれからたくさん増えるだろうし、すでにかなりたくさん申請はなされているだろう。東日本入国管理センター、すなわち牛久入管をはじめとして、各地の入管施設における収容者に対する劣悪な振舞いや扱いにかんしてはつとに語られているところである。
  • あとおぼえているのは就活の話。この会にいるこちらと(……)くんと(……)さんの三人の男性は皆就活をまったくしたことがないというつわものどもなのだが、女性たちは経験しており、彼女らが口を揃えて言及したのが、就活用メイクセミナーみたいなやつの存在だった。就活の時期になるとまずそれがあるのだと言う。強制参加ではないというか、一応フケることは可能なのだろうが、基本的には全員参加みたいな名目らしい。それで面接のときなど、相手にとって印象の良いような化粧の仕方を学ぶ、ということなのだと思うが、実に面倒臭そうだしそんなの勝手にさせろやという話で、(……)さんはたしか結局院に進むことに決めたと言っていたと思うが、一時就活もやったらしく、そのとき女性用のスーツを着て、なんかぴっちりしていてからだの線も出るしなんでこんなの着ないといけないんだろうという不満もしくは疑問を抱いたと言っていた。こちらもあの、女性はヒールを履かないといけないみたいなクソどうでも良い服装観念はさっさと撲滅するべきだと思う。
  • ほかのことは忘却。