2021/4/23, Fri.

 自分に注釈をつけるとは。なんと退屈なことだろう。だからわたしには――遠くから、とても遠くから――現在の時点から、自分を〈ふたたび - 書く〉以外に方法がなかったのだ。つまり、本や、主題や、回想や、テクストに、べつの言表行為をつけくわえることである。わたしが語っているのが、自分の過去についてなのか、現在についてなのかも、まったくわからないというのに。そのようにして、わたしは、書かれた作品のうえに、過去の身体と資料体のうえに、ほとんどふれることなく、一種の〈パッチ - ワーク〉を投げかける。四角い布を縫い合わせて作ったラプソディーふうのカバーを投げかけるのだ。内容を深めるどころか、わたしは表面にとどまっている。なぜなら、今回は「わた(end213)し」(「自己」)にかかわるからであり、深さとは他者に属しているからである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、213~214; 「パッチ - ワーク(Patch-work)」)



  • 今日はわりとはやいうちから覚めていたのだが、結局はしかし一一時に起床。それでも睡眠というか滞在としては六時間四〇分ほどだからわりと良い。いつものごとく、こめかみを揉んだり首筋をほぐしたりした。そうして水場に行ってきてから瞑想。一一時七分くらいにはじめて、ちょうど半くらいまでだったはず。感覚は良い。マジで完全に停まったみたいな短い瞬間があるにはある。何もしていない、という状態と感じられるような。窓外からはウグイスの声がおりおり立ち、風もそれなりにあって、駆け回っている音が聞こえる。上階へ上がっていき、母親に挨拶して、もろもろやって食事。新聞でロシア関連の報。二一日にナワリヌイ釈放をもとめるデモが全国の一〇〇都市だったか、そのくらいでおこなわれたが、規模は一月と比べると格段に小さかったと。事前に参加もしくは抗議の意志をインターネット上で表明した最大四六万人ほどが参加すると見られていてモスクワは一〇万人規模を超えるだろうと推定されていたらしいのだが、当局の発表では六〇〇〇人で、ナワリヌイ側はその一〇倍はいたと言っているものの、それでも事前の想定の半数ほどになる。拘束されたひとの数も、一月のときには全国で一万人以上だったが、今回は全国で一八二〇人、モスクワでは三〇人程度で、政権が弾圧を強めているから抗議側にも手詰まりの感が漂っている模様。写真には、画面右で仕切りというか柵みたいなものを前にして気勢を上げている様子のひとびとと、画面左で柵の向こうにずらりと横にならんでいる治安部隊員もしくは警察みたいな、フルフェイス装備だったと思うのだけれど当局人員が向かい合っている様子が写されてあったが、すこしでも激しい動きを見せたらたぶん即座に取り押さえにかかるだろうなという感じで、ひとびとの側もなんとなく萎縮気味というか、ともあれ叫ぶ以外にやりようはない、みたいな表情のように見える気がした。
  • 母親の分も皿を洗う。布団を干してくれるというので頼む。それから風呂洗い。出て、茶をつくるあいだ、ベランダに出てちょっと屈伸など。今日も快晴で気温は高く、ベランダはいまいっぱいに日なたに覆われており、そのなかで前かがみになって屈伸をくり返していると当然だが常に背中の上に光の重みと熱が乗ってきて、まもなく汗ばんでくる。完全に初夏。茶を持って自室にもどると、ベッドはシーツや下敷きも合わせて剝ぎ取って干しておいてくれたのだけれど、ただ、枕元に置いてある辞書とか古新聞とかメモ用ノートとかがやや散らばっているのは良いとしても、カバーを外してあってやわらかな水色の地の装幀があらわになっている『金井美恵子エッセイ・コレクション[1964 - 2013] 3 小説を読む、ことばを書く』(平凡社、二〇一三年)がベッドの下の床に落ちたまま放置されているのには、マジでぶっ殺すぞと思ったもののまあ仕方がない。それにしても、わざわざ布団を干してくれたこと自体はありがたいが、そのときに他人が毎日読んでいて部屋中に積んでもいる書籍というものを床の上に落としたのを拾いもせずにそのまま去っていくというのは、いったいどういう了見なのか? 想像力のなさと言うべきなのか、そもそもの発想のなさなのか、それとも出勤前の余裕のなさなのか。べつにこちらは紙の書物という事物形態にそこまで愛着があるわけでもないし、愛書家などという人間ではまったくないので、本を多少粗末に扱おうとかまいはしないが、部屋の様子からしてこちらが書物というものを一応それなりに大切に思っているということを、考えてみようとしたり思い至ったりしないのだろうか? だがどうでもよろしい。ものたちを枕元にもどし、茶を飲みながらウェブを見て、その後、書見。金井美恵子。途中、二時前に布団を取りこんだ。屋外は大層あかるく、緑もなめらかに際立ち、あたりには蝶が絶え間なくあらわれては去って、緑の合間を白く揺動している。布団をおのおのちょっと持ち上げては揺すったり、あまりバンバン叩くのはむしろ良くないと聞くので手で撫でるように表面を払ったりして、部屋に持ちこんで寝床を整えた。そのあとさらに書見を続ける。金井美恵子は「偏愛」する作家として、マーク・トウェインを上げていた。フォークナーはその重要性は理解しつつもあまり読み返す気にはならないが、トウェインのほうはなにしろおかしいから二、三年に一度は読み返す気になると。なかでも、『ミシシッピ河上の生活』というのが「集大成とも言うべき一冊」(419)として挙げられていて、これはいかにも雑多な内容を取り集めた、「自伝的要素を含めた回想的な紀行文」(418)なのだという。面白そうである。昨日書いたとおり、こちらも性分としてそうなのだけれど、金井美恵子中上健次についても、本人は怒るに違いないと言いながらも、「中上健次の最高傑作は『紀州 木の国・根の国物語』ではないかと思います」(398)と言っているし、昨日触れたように武田百合子東海林さだおの日記やエッセイを称賛しているから、いわゆるフィクション的な、まあ言ってみればおおよそ壮大なタイプの物語より、エッセイ的なもののほうがもしかしたら個人的性分として好みなのではないか。ドストエフスキーよりゴーゴリ、フォークナーよりトウェイン、とも言っているし。あと、金井美恵子というとよくその毒舌ぶりというか皮肉ぶりが言われることが多いように思うし、こちらも数少なくほかに触れてきた彼女の文章でそういうものを多少見ても来たのだけれど、このエッセイ・コレクションにおさめられた文章はあまりそういう要素が強いわけでもなかった気がすると、批判はむろんしているけれどそれはまだ多少それ用の構えがあるというか、つまりきちんと毒づいていると、思い返してみるとそういう感触があったのだが、ただ最後の「Ⅳ 単行本未収録批評、その他」のパートにある「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」というやつは、いきなり一気に毒舌の気味が濃くなって、そのときの皮肉ぶりけなしぶりがやはりかなり面白くて笑える。これは新聞の歌壇俳壇や広告に見られる文章や評言などを引いて、まあまだ最初のほうまでしか読んでいないのだけれど予測するにそれらの俗流ぶりというか閉鎖型小規模共同体的感情性へのもたれかかりをひたすら批判するタイプのものではないかと思うのだけれど、たとえば、逝去した河野裕子という歌人永田和宏の連れ合いだったらしい)について称賛する大辻隆弘というひとの「熱狂的な」(426)文章を引いたあとに、「歌人というのは、とりあえず言語感覚が秀れている(たとえば、共同体の底辺を支えている、居住する市名の後に名前が載っている投稿歌の作者たちに比較すれば?)はずでもあろうが、このわずか八百字ほどの月評には、本のタイトルと特集に使用されている「河野裕子」の二回を含めてフルネームで六回、「河野」が三回使われていて、名前だけで三十字も使っているのである。一字プラスすれば三十一文字で短歌だが、散文としてこの文字づかいは拙い」(428)とけなしているところなど面白かった。「一字プラスすれば三十一文字で短歌だが」の出現に笑ってしまった。この文章はもともと「KAWADE 道の手帖 深沢七郎」二〇一二年五月に収録されたものを「大幅加筆」したものらしく、この巻のなかでこれほど最近の、最近と言ってももう一〇年ほど前だが、しかし二〇一〇年代に書かれた金井美恵子の文章はたぶんほかになかった気がするのだが(二〇〇〇年代のものはいくつかあった)、この頃になってくると金井美恵子の書きぶりというのは、なんと言えばよいのかその毒舌皮肉もかなりこなれてくるというか、文体としてもしかするとわりと適当にさらさら書いているのかな? みたいな感触になってくるから、毒舌ぶりも余計にそれに調和して輝き、言ってみれば「放談」みたいな感じが強くなっているように感じる。文体はやたら息の長いことが多くて、これ以前にもすでにそうだったのだけれどそれがさらに顕著になり、修飾がやたら厚いのだがしかしそれはきちんと綺麗に、凝縮され格好良く整えられた修飾というものでなく、なんというか、文をわざわざ切ってひとつずつ順を追ってちゃんと書くの面倒臭えし、ここに情報を一気に乗せて圧縮しちまおうみたいな、思いついたことや思い出した情報をそのまま全部修飾として乗せるみたいな雰囲気が感じられる。本人がどういう感じで書いたのかはもちろんわからないが、そんな調子で修飾情報は長いし一文も長いしで、また、あきらかに破格というか部分の対応がきちんとしていないみたいなこともあるし、だからわりと適当に、こんな文章はそんなに頑張って力を入れて書く価値もない、みたいな感じで書いているのかなという印象も受けるし、けっこう読みづらいからある種悪文と言っても良いのかもしれないが、それはそれで面白くはある。小説作品でも、金井美恵子で読んだ小説はいままで『カストロの尻』だけなのだけれど、やたら長いし括弧も使って頻繁に挿入を設ける文体だったからだいぶ読みづらかった記憶がある。ただあの文体の感触はもちろんエッセイのそれとはまた別物だし、エッセイよりはるかに力が入っていたと思うが。
  • 三時過ぎあたりまで読んで、それから今日のことをここまで記述。今日は昨日と同様、五時過ぎに出勤。明日もそう。二日に一日は休日がほしい。
  • 上階に行き、昨日と同様、冷凍のこま切れ肉を焼いて米に乗せ醤油と味醂をかけただけの簡易なものをこしらえて持ち帰り、(……)さんのブログを見ながら食す。最新の四月二二日分には、一年前の日記から仲正昌樹ドゥルーズガタリ<アンチ・オイディプス>入門講義』の記述が引かれているが、そこにある「死への欲動」についての説明――「「死への欲動」というのは、文字通り、死へと向かっていく欲動ですが、そういう「欲動」を生命体である人間がどうして抱くのか、生命は快楽を求めているのではないか、という疑問がすぐに生じてきますね。フロイトによると、生命を持つということは生命を維持するための緊張を常に強いられることです。現代思想的に言い換えると、生命は常に何かを欠如している状態にあります。だから、有機体はその緊張・興奮を限りなくゼロに近づけ、楽になることを目指します。これは、最終的には無に戻ること、すなわち死です。それが「死への欲動」です」――を読むと、瞑想ってやっぱりこういう意味での、死への欲動のある種の宗教化された代理的実践技術じゃないかという感じがするなと思った。「フロイトによると、生命を持つということは生命を維持するための緊張を常に強いられることです」、「だから、有機体はその緊張・興奮を限りなくゼロに近づけ、楽になることを目指します」というあたりは実感的にかなりよくわかる。「楽になること」、これがまさしくこちらの根本的な望みだし、瞑想もしくは坐禅も、悟りうんぬんは措いておいて、すくなくとも道元によれば「安楽」の法としてたしか言われていたはずだし。そのあとで(……)さんが註しているように、象徴秩序や意味論と関係づけて考えると話はまた多少違ってくるのかもしれないが。
  • ただ、「死」によって「楽になること」ができるという発想もなんかなあ、という気もするが。死んだら「楽」もクソもないのだろうし。だから、「死」によって「楽になること」ができるという発想でいう「楽」というのは、生の「緊張・興奮」とか苦のたぐいがない、なくなるということ、それらの不在であって、なんらかの積極的な「楽」を得るということではないだろう。
  • 食器を片づけにいくと四時半くらいだったと思うのだが、出勤前に麻婆豆腐くらいはつくっておこうというわけでフライパンを洗い、CookDoの麻婆豆腐をこしらえる。ひき肉を炒めてやるタイプのものだったが、ひき肉はないし、かわりというわけでもないがタマネギでも入れるかと思ってそれを小さめに切り、炒めて、豆腐も湯通しすると味が染みこみやすくなって良いとか書かれていたので、湯通しは鍋に水を沸かさなければならないしもう時間がなくて面倒臭いのでやらないがかわりに電子レンジで加熱して、そうしてソースとともにフライパンで熱して絡めて、小ネギを刻んで完成。室に帰って歯磨きや着替えなど。支度が済むと出発へ。
  • コートいらず。今日も南の山や川付近に薄陽の色が乗せられている。空は雲もいくらか淡く混ざっていたと思うが、水色が基調で、直上あたりに月も見えたはず。公営住宅脇の整備されていない、放置されて遊ぶ子どももいない寂れた公園に木が何本かあって、桜のそれではなくその手前に低めの木がいくらかあるのだけれど、その木の葉っぱが、一週間くらい前からそう思っていたけれどずいぶん大きくなって見るからに豊かに茂っていて、緑の装いを厚くしており、ものによっては手のひらの大きさを悠々超えるくらいの面積になっており、それを見るとすげえなというか、このあいだまで裸木だったのにあっという間にこんなに盛るかと思って、いよいよ初夏だなという感がわりと立つ。
  • 坂を上って最寄り駅。ホームでベンチ。昨日と同様、目を閉じて待っていると、視界は西陽の光に浸食されて埋め尽くされ、顔の左側には温もりが、そして右側には風の涼しさが寄せてくる。電車に乗り、ここでも昨日と同様に扉際に立って目を閉じながら待って、着いて降りると今日は当たる相手もわかっているし余裕があるから、ここで(……)くんへのメール返信を済ませてしまおうというわけで、乗客らが出ていったあとから座席につき、ガラケーでポチポチ文字を打った。発車が近くなると出てホームのベンチに移り、完成して送ると歩きだして職場へ。
  • この日のことであとおぼえているのは、帰りの電車内で(……)と会い、例によって帰路をともにして、公営住宅横の寂れきった貧しい公園で一一時まで雑談していたことなのだが、やつの仕事のことを色々聞いてそれなりに興味深かったものの、詳述するのが面倒臭いので省く。(……)が勤めているのは「(……)」という会社だということだけは書いておく。めちゃくちゃ昭和的な体質で年功序列主義というか、(……)が当該事業所に入った時点で歳の近い人間がまったくおらずまわりは全部けっこう歳上の上司で、頻繁に理不尽なことを言われていびられているらしい。