2021/4/26, Mon.

 主観的に言って、「政治的なこと」とは、倦怠そして/または悦楽をたえず生じさせる源だと思う。しかも、それは〈実際には〉(つまり政治にかかわる人の傲慢さにもかかわらず、という意味であるが)、どこまでも多義的な空間であり、終わりのない解釈にめぐまれた場所なのである(もし解釈が(end219 / 220は図版)じゅうぶんに体系的であるなら、いつまでもけっして否定されることはないであろう)。この二点を確認すると、「政治的なこと」とは、純粋な〈テクスト的なもの〉に属すると結論づけられるだろう。すなわち、それは「テクスト」が常軌を逸して激化した形式であり、その氾濫ぶりと見せかけとによって、わたしたちの現在の「テクスト」理解をおそらくは超えているであろう驚くべき形式なのである。そしてサドがもっとも純粋なテクストを生みだしたことを考えると、わたしは次のように理解できると思う。「政治的なこと」は、サド文学的なテクストだと思うと好ましいが、サディズムのテクストだと思うと好ましくない、と。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、219~221; 「政治的なテクスト(Le texte politique)」)



  • またも一一時半。いつもどおりではあるが、昨日は四時前に床についたからやや長い。はやくに覚めてはいるのだが、例によって寝起きの感じが悪くて起きられない。鼻水が出るような感じもあるし。寝間着を脱いで肌着だけで寝ているからだろうか。気温が高くなってきたのでそうしているのだが。瞑想は今日もサボって上階に行き、炒飯や豆腐の味噌汁で食事。実に朗らかに晴れてはいるものの、上体が肌着だけだと室内はやや寒い感じもあるので、ジャージの上着を自室から持ってきた。新聞は国際面。昨日の夜にBBCでも見かけたが、バイデンがアルメニア人虐殺をジェノサイドと明言したと。トルコは当然反発する。ただ一応、バイデンは事前にエルドアンと電話会談か何かしたときに、ジェノサイドという文言を用いる意向を伝えていたらしい。アルメニアはむろん歓迎しているが、ナゴルノ・カラバフを争うアゼルバイジャンはトルコ系のひとが多いらしく、エルドアンとの電話で「歴史的な誤り」だとか言ったとのこと。ついでにその下に、バイデンの発言を歓迎したアルメニアの首相が辞任したという小さな報があったのでそれも読んだ。二四日にバイデンの発言を歓迎し、翌二五日に辞任した模様。というのは、二〇二三年だかに予定されていた議会選を六月に前倒しして実施するにあたって、憲法がそういう規定になっているのだという。それだけでなく、ナゴルノ・カラバフ関連で辞任をもとめる声が高まっていたようだが。あとは欧州で環境政党が支持を増やしているという記事。ドイツでは九月にメルケルの後継が決まるようだが、緑の党のアンネなんとかなんとかみたいなひとが出馬して与党候補と争うことになっており、その緑の党はドイツでは支持率がいま二三パーセントくらいで、与党キリスト教民主・社会同盟と一ポイントしか違わないところまで来ていると。主に都市部のひとびとの環境意識が高いということもあるだろうが、また、コロナウイルスでの政権への不満の受け皿になっているようだ。周辺各国でも緑の党もしくは環境系政党はだいたい一〇パーセントくらいの支持率だか議席だかを得ており、とりわけベルギーが高かったはず。
  • 食後、天気があまりにも良かったので先に陽を浴びながら体操しようと思ってベランダに。空気があかるすぎてあたりの風景のかたちと色彩があまりに明晰で、明視感がめちゃくちゃすごかった。初夏ってこんなにあかるかったかと。物々がどれもくっきりと空間に、ほとんど刻印されたような鮮やかさ。日なたに浸かりきって屈伸や開脚をくり返す。屈伸を丁寧にじっくりやるのがやはり良いなと思った。すぐに動くのではなく、脚を折ったらそのままじっと止まって、伸ばしてもそこでまたじっと止まる、というのをくり返してやっているとこごりがかなりなくなる。母親が、風がすごいからもう入れちゃうと言って洗濯物を取りこみ、足拭きだけは出したままにしていった。風はたしかにときおり盛って吹き荒れるが、だからといって重さも冷たさもない。
  • 室内にもどって風呂洗い。漂白されてあったバケツや洗面器をジャージャー流す。浴槽もこすると出て、茶を用意して帰室。LINEを確認し、Notionを準備し、茶を飲んだあと、一時半くらいから久しぶりに「英語」を音読した。「英語」および「記憶」記事の音読も日々やりたい。最近はベッドで本を読むことばかりでやっていなかったが、なんとなくやはり一日の活動の最初に英語を音読したほうが良いような気がする。頭が冴えるような気がする。今日はゆっくり力を抜いて読めたのも良い。とにかく疲れないように、楽に何でもやりたい。そのあとベッドで二時くらいからヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)を読みはじめたが、これもゆっくりと落ち着いて読めた。昨日読んだときはどうも急ぎすぎて、雑になってしまったような気がする。いま「都市の肖像」のパートに入っていて、冒頭はナポリなのだが、街路と家のなかの相互浸透が見られる、みたいなことが書かれてあって、これはサルトルが日記で書いていたこととだいたいおなじではないか。サルトルが触れていたのもたしかナポリだった気がするのだが。もしかするとべつのイタリアの都市だったかもしれないが。サルトルはそこで、この街は外の通りと家の内の区別がはっきりしておらず、それはヒトデが胃をからだのなかから吐き出しているさまを思わせる、みたいな、そういう比喩を使っていたはずだ。あとでEvernoteを検索して該当箇所の書抜きを引いておくつもり。
  • 三時過ぎまで。足拭きを入れるのを忘れていたので急いで取りこみに行き、便所で小用してから室に帰ると、昨日のこと、そしてまた今日のことをここまで記述。四時八分。日記の前か読書後かに多少からだを温めた。ダンベルを久々に持って、腕もすこしだけほぐした。
  • サルトルのやつは、日記ではなくて書簡だった。

 (……)ただ、それらの部屋が生あたたかく、薄暗く、強く匂うので、そして街路が眼の前にじつに涼しく、しかも同一平面上にあるので、街路が人々を引き寄せる。で、彼らは屋外[そと]に出る、節約心から電灯をつけないですますために、涼をとるために、そしてまたぼくの考えではおそらく人間中心主義から、他の人々と一緒にひしめき合うのを感じたいために。彼らは椅子やテーブルを路地に持ち出す、でなければ彼らの部屋の戸口と路地に跨った位置に置く。半ば屋内、半ば屋外のこの中間地帯で、彼らはその生活の主要な行為を行なうのだ。そういうわけで、もう屋内[なか]も屋外[そと]もなく、街路は彼らの部屋の延長となり、彼らは彼らの肉体の匂いと彼らの家具とで街路を満たす(end83)のだ。また彼らの身に起こる私的な事柄でも満たす。したがって想像してもらいたいが、ナポリの街路では、われわれは通りすがりに、無数の人々が屋外に坐って、フランス人なら人目を避けて行なうようなすべてのことをせっせと行なっているのを見るわけだ。そして彼らの背後の暗い奥まった処に彼らの調度品全部、彼らの箪笥、彼らのテーブル、彼らのベッド、それから彼らの好む小装飾品や家族の写真などをぼんやりと見分けることができる。屋外は屋内と有機的につながっているので、それはいつもぼくに、少し血のしみ出た粘膜が体外に出て無数のこまごました懐胎作用を行なっているかのような印象をあたえる。親愛なるヤロスラウ、ぼくは自然科学課目[P・C・N]修了試験の受験勉強をしていたとき、次のことを読んだ。ひとで[﹅3]は或る場合には《その胃を裏返し[デヴァジネ]にして露出する》、つまり胃を外に出し、体外で消化をはじめる、と。これを読んでぼくはひどい嫌悪感をもよおした。ところが、いまその記憶が甦ってきて、何千という家族が彼らの胃を(そして腸さえも)裏返しにして露出するナポリの路地の内臓器官的猥雑さと大らかさを強烈にぼくに感じさせたのだった。理解してもらえるだろうか、すべては屋外にあるが、それでいてすべては屋内と隣接し、接合し、有機的につながっているのだ。屋内、つまり貝殻の内部と。言い換れば、屋外で起こることに意味をあたえるのは、背後にある薄暗い洞窟――獣が夕方になると厚い木の鎧戸の背後に眠りに戻る洞窟――なのだ。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』(人文書院、一九八五年)、83~84; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

     *

 (……)ナポリにはぼくたちがイタリアのどこでも見なかったものがある、トリノでも、ミラノでも、ヴェネツィアでも、フィレンツェでも、ローマでも見なかったもの、つまり露台[バルコニー]だ。ここでは二階以上の階の扉窓にはどれも専用の露台が附属していて、それらはまるで劇場の小さなボックス席のように街路の上に張り出し、明るい緑色のペンキで塗られた鉄格子の柵がついている。そしてこれらの露台はパリやルワンのとは非常に異なっている、つまりそれらは飾りでもなければ贅沢品でもなく、呼吸のための器官なのだ。それらは室内の生あたたかさから逃がれ、少し屋外[そと]で生きることを可能にしてくれる。いってみれば、それらは二階あるいは三階に引き上げられた街路の小断片のようなものだ。そして事実、それらはほとんど一日中そこの居住者によって占められ、彼らは街頭のナポリ人が行なうことを二階あるいは三階で行なうわけだ。ある者は食べ、ある者は眠り、ある者は街頭の情景をぼんやり眺めている。そして交流[コミュニケーション]はバルコニーから街路へと直接に行なわれ、部屋に一度入り、階段を通るという必要がない。居住者は紐でむすばれた小さな籠を街路におろす。すると街頭の人々は場合に応じて籠を空にするか、満たすかし、バルコニーの男はそれをゆっくりと引(end89)き上げる。バルコニーはただ単に宙に浮いた街路なのだ。
 (89~90; オルガ・コサキエヴィッツ宛; 1936年夏)

  • その後、炒飯の残りを食った。そうして出勤の支度。紺色のスーツ。出る前に「記憶」を二項目だけ読んだはず。五時過ぎに上がっていくと父親は台所で菜っ葉を処理していた。そういえば、炒飯に使った食器を片づけにいったときか、あるいは炒飯を用意したそのときだったかもしれないが、米を新たに磨いでおき、タオルもたたんでおいたはず。五時過ぎに上がったこのときも肌着類など追加でたたんでおき、そうして余裕を持って出発。
  • 悠々とした感じで行く。今日はたぶん帰路はコートがなければそこそこ寒いだろうなと思っていたのだが、着る気にはならずベストとジャケットの姿で、この往路はしかしさほどの冷たさはない。電線の途中に何かの鳥が一匹とまっていて、あかるい空を背景に動物性を失って影と化した姿が取りつけられた部品のようでもあるし木の葉が一枚、なぜかそこに、端のほうから線に貼りついてしまったようでもあった。青々と茂っている斜面の草木とその向こうの空を見上げながら行く。(……)さんが家の前で車に乗りこんでいたので挨拶を放ったが、相手はガラスのなかで気づかなかったのでさらに視線を送り、気づいたところで会釈をした。北側の空は落日を混ぜてほぼ白くつやめいている。坂道に入って上昇。風があったはず。それがおさまってからしばらく、葉か実か何かこまかなものが木の間で落ちてまわりと触れ合う小さな音が散発的に生まれる。左の斜面の下に覗く沢の一部が純白のつるつるした金属のように固くなっていて、先日もおなじ風景を見たのだが、そこだけややひらいてうまく樹冠から逃れるような場所になっているのだろう、西陽を抱いた空を写し取って燃焼している。坂を出るとその西陽が駅の階段通路の果てに浮いているのだが、先日までよりもあきらかに位置が高く、まぶしく、色味も濃いなと思われた。数日でそんなに変わるかと思うが、確かに日が長くなっているらしい。そのまぶしさを顔に浴びて目を細めながら階段を行き、ホームに入るとベンチには若い男女がいて、なんかすこし大事なことでも話しているような雰囲気で、その横に入るのに気が引けたので先のほうに行った。このあいだから丘の一番手前側の林の緑のなかに青いような色がかなりたくさん見えるのだが、あれはたぶんフジなのだろう。目が悪いのでよくわからないが、街道沿いの家で咲いているのもこのあいだ見たし。
  • 乗車。扉際で瞑目して待つ。降りて職場へ。駅を出ると裏通りの向こうの東の空が青一色、手前のマンションとかそのさらに前の空間とかは薄陽に包まれて、そのなかを鳥が舞うのがマンションの壁に映る影と一緒に見えるが、遠目には小さいし、動きも通り一遍でないし、鳥なのか虫なのか迷うような様子。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)一〇時頃退勤。徒歩で帰った。やはり徒歩だ。夕方に、夜は寒いだろうと思っていたとおりけっこう肌寒く、何か温かいものを飲んで助けにしようかなと思って自販機の前に何度か止まってはみるのだが、しかし買う気にならず、まあ良いと払って空の腹を抱えて夜道を行った。道中はだいたい(……)くんと話したことを反芻していたり、仕事のことを考えたりしていたので、あまり五感の印象が残っていない。もうだいぶ大きい月が出ており、夜空は青かった。白猫はおらず。該当の家の前で止まってちょっとかがみ、車の下をのぞくようなそぶりを取ってみたのだが。だいたいそこの車の下にいることが多いのだが、今日は気温も低めだったし家のなかにいたのかもしれない。
  • 帰宅すると休息。食事に行ったのは一一時半を越えていたはず。焼いた豚肉などをおかずに米を食った。あと豆腐とエンドウ豆の味噌汁。テレビは『珈琲をいかがですか』だったか、『珈琲いかがでしょう』だったか忘れたが、先日も一度目にしたドラマで、中村倫也といったはずだが主演のあのひとの雰囲気はわりと好みだ。新聞は朝刊から、読売新聞社主催のICTなんとかみたいなシンポジウム的イベントの報告を見た。シンポジウムと言っても今回はむろん、大方オンラインで参加されたようだが。落合陽一が基調講演をやり、そのあとパネルディスカッションがネットを通じてなされた模様。吉藤オリィというひとが参加していて、本名は吉藤健太朗というらしいが、このひとは早稲田大学在学中に「Orihime」という分身型ロボットなるものを開発したと書かれてあって、どういうものなのかと思ったところ、寝たきりの状態とかで家から出られないようなひとが自分の分身として遠隔操作で動かせるロボットらしく、どういう外観とかどういう仕組なのかとかこまかいことはわからんのだが、これを使って働いているひともすでに何人かいるらしい。すごい。まわりから見て操作者の顔が映るモニターなどがロボットに設けられているのかわからんが、操作者はもちろんロボットの周囲の様子を見られるはずで、自宅のモニターとかにたぶん映るわけだろう。操作も、操作者がからだを動かすとそれが反映されるのか、それとももうすこし間接的なやり方なのかわからないが、これがさらにめちゃくちゃ応用されて、脳波とか視線とかで動かせるようになれば、難病でからだが全然動かせないようなひとでもより社会参加できる可能性がひろがるのではないか。
  • 入浴後は日記を書いたり書抜きをしたり。風呂のなかでなぜかStevie Wonderの"Love's In Need of Love Today"がめちゃくちゃ頭のなかに流れていたので、Stevie Wonder『Songs In The Key of Life』を流した。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)をすこしだけすすめて四時一五分に就床。