2021/4/27, Tue.

 きわめてささいなものであろうと、いかなる事実にたいしても質問をくわえたくなる、という常に変わらぬ(むなしい)情熱がある。〈どうして〉という子どもの質問ではなく、意味をたずねる古代(end226)ギリシア人の質問である。いかなる事物も意味に身をふるわせているかのように、〈それはどういう意味か〉とたずねるのだ。どうしても、事実を観念に、描写に、解釈に変えねばならないのである。ようするに、事実にたいして、〈それとは違う別の名称〉を見つける必要があるのだ。この癖は、つまらない事実にたいしても特別扱いすることはない。たとえば、わたしは田舎にいるときは庭で小便をするのが好きだが、田舎以外ではそうではないと認める――あわててそう認める――とする。すると、すぐに〈それが何を意味しているか〉を知りたくなる。もっとも単純な事実でも何かを意味しているのだとするこの執着は、社会的には悪癖をもった人間であることを示している。〈名称の連鎖を切り離してはならない、言語の鎖を解いてはならない〉のである。過剰に名称をあたえることは、つねに嘲笑されるのだ(ジュルダン氏や、ブヴァールとペキュシェなど)。
 (無意味であることが価値となっている〈アナムネーズ〉以外は、本書においてさえも、何も意味をもたせることなく報告されているものはまったくない。事実を非 - 意味生成の状態にしておくことはできないのだ。いかなる現実の断章からも、ひとつの教訓や意味を引き出すのが、寓話の動きというものである。だが、それとは反対の本を着想することもできる。たくさんの「小さなできごと」を報告するが、そこから一行たりとも意味を引き出すことはぜったいに自分に禁じるという本だ。それはまさしく〈俳句〉の本であろう。)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、226~227; 「「それはどういう意味か」(《Qu'est-ce que ça veut dire?》)」)



  • 「ハンカチに孤独を秘めてたたかいをうたう聖女の祝福に死ね」という一首を作成。
  • なぜかわからないがけっこうはやく覚めて、一〇時半過ぎには離床できた。今日は休みなので瞑想も充分おこなう。
  • 食事を取りながら新聞。ロシアでナワリヌイ派の団体が暫定活動禁止を課せられたとあった。検察が裁判所に要請して審査をするとか。ほか、イスラエルではワクチン接種がすすんでマスク着用義務化が解除されて、国民のなかにはコロナウイルスはもはや過去のことであり我々は解放されたなどという楽観論も聞かれると。そんなに簡単に行かないだろうと思うが。ただワクチンはもうそろそろ国民の半数くらいが二度目の接種を終えるとかあったか。七割が接種すれば集団免疫を獲得できるのではないかと言われているらしい。ただしファイザー製は効力が半年くらいらしいし、インドで新たな変異ウイルスが見つかってもいるようなので、予断はできないだろう。そのインドでは件の変異型が流行していて、いまは一日で三五万人が新たに感染しているらしい。日本はいまたしか一日三〇〇〇人くらいだと思うから、人数だけで見るとまあ一〇〇倍くらいか。総人口のほうはだいたい一〇倍くらいだと思うので、日本と比べると感染割合はかなり高そう。あと、『ノマドランド』という映画がアカデミー賞を取るか何かしたらしいのだが、その三九歳の女性監督が中国出身のひとで、過去に中国政府は嘘ばかり言っているみたいな発言をしていたようで、おそらくそれで中国ではこの受賞が無視され、全然報じられていない、という話があった。
  • 部屋にもどってLINEを確認。(……)
  • それでようやく二時くらいから横になって書見。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。二時半過ぎくらいで、この日は曇天気味であまり陽がなかったので、干されていた布団を取りこんだ。自分のものと、両親のものもそちらの寝室に入れておく。そうして自身の寝床を整えて、そこに転がって書見を続ける。「都市の肖像」シリーズからモスクワについての文章を読みすすめるのだが、つまらなくはないがとりたてて印象に残る部分が多いわけでもない。なんというか、モスクワを外から俯瞰的に見て考察し、述べているような文章で、ベンヤミン自身もしくは話者がそのなかで過ごした具体的な時間のことがほぼ出てこない。体験的エピソードなどがなく、それ自体は書かず、そこから得られたらしい知見とか分析とか都市の特徴とかを記すだけ、という感じ。したがって、作者ベンヤミンもしくは語り手がその都市とどのように交流したのかがわからず、都市のなかにおける彼の姿が見えず、遊歩者の感じがあまりないので、そのあたりがいまいち味気なく感じられるのかもしれない。風景的なものもないではないのだが、それを見て感得している主体の姿がなく、具体的な時空ではなくて、モスクワとはこういうものである、というような一般的な紹介や考察や報告の記述になっているので、身体的なニュアンスや彩りがないというか。あまり「身体的」とか「肉体的」とか、文章にかんして使いたくないのだが。
  • dbClifford『Recyclable』を久しぶりに流して歌をうたったのがこの日だったような気がする。かなり好きなアルバムで、洒落たポップスとして相当質が高いと思うのだが、もはや誰も話題にしない。発売当時にシングルカットされた"Simple Things"と"Don't Wanna"がちょっと知られたくらいだろう。この二曲も良いが、やはりシングルだけあってわかりやすくキャッチー。ほかの曲にはもっとジャズ風味だったりするものもあって、そちらのほうも面白いし良い。
  • 四時頃に母親が部屋に来て笑いながらやろう、とか言うだけで去っていくので何かと思ったが、先ほど、植木鉢などを片づけたいと言われていたのだ。それでサンダル履きで外へ。父親が帰ってきており、家の前に車が停まっていた。南側に行って、母親とともにゴミを整理。古くなって汚れている植木鉢を、そのあたりにあったシャベルを打ちつけて破壊し、ゴミ袋に入れていく。面倒臭かったので軍手をつけてこなかったのだが、するとシャベルを鉢に上から突き下ろすときの衝撃が素手に伝わって、けっこう痛い。豆ができるのではないかと思ったが、大丈夫だった。手のひらをよく揉んでおいて良かった。母親のほうはいらないホースを切ったりなど。こちらはひたすら鉢を破壊し、ゴミ袋のスペースがなくなってきたのでさらにこまかい破片にするのだが、意外となかなか割れなくて骨が折れる。なかにひとつ、弾力のある素材でできているものもあって、それは大変だった。
  • 終えてなかへ。もう五時くらいだったのではないか。何をしたのかおぼえていない。
  • 六時前。ブログに記事を投稿する。BGMとしてLINEのグループで紹介されている音楽を聞いてみようと思って、(……)さんが直近に投稿していたURLからアクセスしたのだが、それはBlacksmoke "What Goes Around Comes Around"というやつで、これ自体も全然悪くなくて、ああこういうのだよなあと思ったのだけれど、そのあとタブを閉じようというところで自動的にはじまった次の音源が一聴あまりにもメロウで良く、なんやねんこれと思って見てみると「[1981] Fuse One – Silk [Full Album]」(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ(https://www.youtube.com/watch?v=9y63MnA7pMQ))だったのだけれど、動画情報として記されてあるパーソネルを見れば、Stanley Clarke、Eric Gale、Ronnie Fosterの名があって、こんな音源あったのかと思った。全然知らなかった。まあフュージョンというかスムースジャズというか、そのあいだくらいな感じだろうが、プロデューサーはCTICreed TaylorでエンジニアがRudy Van Gelder。スムースジャズってべつにそんなに好きではないというか、むしろ昔はぬるいと思って敬遠していた口だし、フュージョンも、色々あるけれどそんなに好んではおらず、どちらかと言うとやはりアコースティックジャズのほうが好きな身なのだけれど、しかしこれはわりと良いのではないか。
  • Dee Dee Bridgewater『Live At Yoshi's』を流した。良いライブ。バックが良い。"What A Little Moonlight"をLINEのグループに貼っておく。また、のち、上でフュージョン的なやつを聞いてGeorge Bensonのことを思い出し、久しぶりに聞いてみるかと思ってAmazonで検索し、『Breezin'』を念頭に置いてはいたのだが一方で『Cookbook』のことが思い出されて、これはたしかこちらがこのアルバムの存在を知った頃、というのはたしか高校から大学に上がるくらいの時期だった気がするのだけれど、小沼ようすけ教則本を買ったところそのなかに小沼が選ぶ名盤みたいなコーナーがあって、たしかそこで紹介されていて知ったようなおぼえがあるのだけれど、その頃は廃盤で再発もされていないしレアだけれどすごい名盤で、みたいな評判だったような気がするのだけれど、いまやそんなことは関係ない時代となった。聞いてみればたしかにいかにもファンキーで、正統派だった頃のBensonが弾きまくっていて、冒頭曲などたしかにすごかった。小沼の教則本はいまだに部屋にあるので、いま見てみたところ、たしかに『Cookbook』が左ページの一番最初に取り上げられている。そちら側に紹介されているギタリスト四人は、BensonにGrant GreenWes MontgomeryにRobben Ford。Robben Fordだけ年代としても音楽としてもやや毛色が違うか。ただ紹介されている作品はRobben Ford自身のリーダー作ではなく、Rickie Lee Jonesの『Pop Pop』というやつで、ここでFordはガットギターで歌伴をしているらしいのだがそれがうまいと。右ページは一六枚のアルバムが紹介されており、だいたいもう知っているが、珍しいのを記しておくと、O'Donel Levy『Simba』というのがまずちっとも知らない。レアグルーヴ系のものらしい。P-VINEから出ている。あと、Emily Remler『Firefly』というのも知らない。三二歳で夭折してしまったらしい。あとはBeckの『Loser』があって、Beck自体は多少聞いたことがあるが、このアルバムは知らない。Jill Scottの『Who Is Jill Scott?』というのも知らない。Jill Scott自体も、名前だけで聞いたことはないはず。
  • この日はあと日記をすすめて、前日分まで完成、投稿。