2021/5/4, Tue.

 それは、知的な「移動」(「スポーツ」)のようなものだ。言語の凝固や、ねばり気、ステレオタイプ症状のあるところへ彼は徹底的に向かってゆく。注意ぶかい料理女のように忙しく立ち働き、言語活動にねばりが出ていないか、〈焦げついて〉いないか、と気をくばる。こうした動きはまったく形式的なものであるが、作品の進展と後退とを説明している。それは言語についての純然たる短期戦術であって、〈空に向けて〉、いっさいの長期戦略的な領域の外で展開される。ただ危険なのは、ステレオタイプは歴史的、政治的に移動するので、それがどこへ向かおうと、付いて行かなければならないことである。だがもし、ステレオタイプが〈左翼へ移った〉ら、どうすればよいのか。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、246; 「ダガ反対ニ(Sed contra)」)



  • 一〇時すぎにいちど覚めたのだが、それは携帯がふるえたからである。ふだん、携帯はサイレントマナーにしていて、つまりメールなどがきてもバイブレーションも起こらないようにしてあるのだけれど、先日(……)と会ったときにふつうのマナーモードにしたのがそのままだったのだ。メールは(……)さんで、先日もうしでた生徒面談の手伝いの件であり、手伝ってほしい生徒と日時が記されてあったが、それにしたがうと八日の土曜日がふたつの会議もあわせて朝から晩までマジで一日中はたらく予定になってしまって、なかなか容赦がない。しかし翌日は日曜日だし、一日くらいは受け入れてがんばろう。
  • そこで起きられればよかったのだが、窓にちかいほうの枕もとにおりている陽射しをもとめて顔をうごかし、じっとしていると、またねむってしまって結局正午前の離床となった。部屋を出て、洗面所で顔をあらったりうがいをしたり。上階へ行くと母親が開口一番、なんか洟がでるよね、という。たしかに昨晩くらいからそんな感じがしないでもなかったので曖昧な肯定をかえす。喉も、というが、こちらは喉には問題がない。母親は数日前、声が嗄れて、まだ喉がちょっとおかしいようなのだが、時勢柄当然コロナウイルスではないかとうたがわれるわけで、食事中にコロナウイルスにかかったんじゃないの、とむけると、医者にいったほうがいいかなというが、このちかくだとPCR検査をどこでうけられるのかがわからない。コロナウイルスの初期症状としてはいぜんしらべた際には咳がおおくて鼻水などはあまりないという話だった気がするが、ひとによって多様でもあるのでじっさいわからない。あと発熱だが、母親はいまのところ熱はないようす。
  • 食事はカップ蕎麦を煮込んだものや、きのうのスンドゥブのあまりなど。新聞に基礎からわかるウイグルという面があってそれをよもうとしたのだが、母親が、ものをどんどん片づけたいけどぜんぜん片づけられないといういつもながらの話をしてくるのでよめない。父親がずっとまえに買ってそのまま放置している焼酎などうるかすてるかしたいというので、勝手に売っちゃだめでしょ、とうける。ひとが大切にしてるもんなんだから、というが、大切にしてないよ、わすれてるよ、とかえる。それでもむろん、本人と話して許可をとってからでないとだめである。母親は生前整理をしなければならないという強迫観念にとりつかれており、ものが増えることをきらい、ものを捨てたいとばかりおもっているようなのだが、こちらはとくだんそうではないし、父親もべつにそうではないだろう。俺の本がしらないうちに捨てられてたら、マジでぶっ殺すから、といちおう釘を差しておいた。冗談じゃなくてマジでぶっ殺すから、とつづけて強調しておいたが、まあじっさいには殺害にまではいたらないだろうとおもう。ただ殺意と強烈な怒りはもちろんかんじるだろうし、そのようなことが万が一起こったらすぐさま絶縁して、その後一生涯、顔も見ないし言葉もかわさないしなにもかかわらなくなることはまちがいないだろうが。片づけにかんしては、毎日すこしずつ、ひとつだけゴミ袋にいれる習慣にすればいいじゃん、ひとつがすくなければ一箇所だけ、とか、そうすれば一年後はそこそこきれいになってるでしょ、とありきたりなことをいっておくが、だれもなかなかそれができないものだ。
  • 食事をおえるころ、電話がかかってきて、これは(……)さんだった。母親がさきほどかけておいたそのおりかえし。こちらは立ってふたりぶんの食器を洗い、それからベランダに出て日なたのなかで体操。布団カバーが柵にとりつけられ竿にも干されてあって、そうすると三方がそれにかこまれるから、そのなかで屈伸してしゃがむと外からこちらの姿が見えなくなるし当然こちらからもそのときは外の様子が見えなくなるわけで、そうするとなにか子どもがかくれんぼをしているようなイメージが立つ。空はまったき青さではなくて雲が全体にほんの淡いものの混ざりこんでいる色合いで、光も純粋透明にいたらずいくらか弱められてはいるようなのだが、それでも初夏の暑さで背にのってくると重みがあるし、たぶんこれも三方を布でかこまれていたから余計に熱がたまったのではないか。
  • なかにはいると電話はまだつづいていた。こちらは風呂をあらう。あらうあいだも、母親が(……)さんを相手に、父親の愚痴をいったり、毎日神さまにおいのりしてるのよと、さっさとまたはたらきにでてくれるようねがっていると話しているのがきこえてくる。今日は山梨に行って泊まってくるっていうから、多少のびのびできる、と。母親はまた、「終わったひと」にはなってほしくない、ということも日々のなかでたびたび口にしていて、この「終わったひと」というのはたしか内館牧子の小説の名前で、テレビドラマか映画になって舘ひろしが主演していたおぼえがあるのだが、それがやはり定年でしごとをひけてのちの男性が家にいて周囲からうとまれるみたいな話だったはず。まあそういうことはじっさいおおいだろう。いまはとくにコロナウイルスの事情もあるし。それにしても、母親からすると、父親が畑をやったり(……)のしごとをやったりなんだりしているのは、あまりたいしたこととはうつらず、なにもやっていないのとあまり変わらず、父親はもうほぼ「終わったひと」だということになるらしい。しかしそれをいったらこちらなどいつまでたっても定職に従事していないし金もぜんぜんかせいでいないわけだから、最初からすでに終わっているし、終わるどころかまだはじまってすらいないことになるではないか。もちろん、こちらとしては、はじまりたくも終わりたくもないが。肩書きなんぞくそくらえだ。一生もちたくない。生活のための職が便宜的な肩書きになるのはよいし、むしろそれは妙に軽快なこのましさすらあるが、それ以外の、いわば真正な肩書きをもつとかんがえただけで嫌悪感が立つ。むかしは、作品をつくることでも文で金をえることでも世評をえていることでもなく、日々ことばと文を書きつづけるということだけが作家というものの存在規定だとかんがえて、自分はそういう意味での作家であるといっていたこともあったが、いまはまったくそうはおもわない。どのような意味であれ、「作家」になりたいとも、「作家」ということばをおくられたいともおもわない。その他どのような名詞であれおなじ。
  • 風呂をあらって、茶を用意して帰室。コンピューターを寄せると、バッテリーの機能が低下しているみたいな表示が出ていて、ひんぱんに一〇〇パーセントまで充電すると損耗しますみたいなことが書かれてあり、これはデスクからベッド縁にうつるときにいつも電源ケーブルをはずしてスツール椅子の上にのせているのでそうなるのだろうが、このスツール椅子は縁がややもりあがっているかたちのもので、そのなかにコンピューターがすっぽりはまるようなかんじだから電源ケーブルを側面の穴にさしこむ隙間すらない。それで、隣室の椅子とかえるかとおもっていちど両方の椅子をはこんで交換したのだが、そうするとこの椅子は背もたれがあって座部はただの楕円だからケーブルをさすことはできるものの、どうも高さが足りず、それ以上高くすることもできず、ちょっとそれでがんばってみようとおもってしばらくやっていたのだが、結局姿勢が前傾的になってやりづらいので、あきらめてもとのスツールにもどすことにした。バッテリーには犠牲になってもらおう。どうもほかにちょうどよい高さの台とか椅子とかがない。それで椅子をまたかかえてはこんで交換し、それから以下の読み返し。
  • 2020/5/4, Mon.の読み返し。この日は父親が母親のことをたびたびクソババアだとかなんとか呼んで幼稚かつ不快な言辞をはたらいていたことにたいしてこちらがキレて、つかみあいの悶着が起こった日なのだが、家庭内の醜態をさらすようでみっともないので、そのあたりは全篇にわたって検閲することに。「この主張は、こちらが考えるところでは糞尿以下の代物であり、正しく反吐を吐きつけてやるべき悪質な論法、一年間に腹のなかで分泌生産される胃液のすべてを吐きかけて溶かしてやるか、さもなければ端的に小便を頭からぶっかけてやりたいような肥溜め未満の言い訳で、下劣拙劣卑劣低劣陋劣愚劣といった具合に、この世のあらゆる劣悪性を一列に編み合わせてこしらえたどす黒い経帷子くらいに烈々と劣等な汚穢の類であって、それが父親のお好みなのならばその衣装を身につけたままどこへなりとさっさと旅立ってもらってもこちらは一向に構いはしないのだが、大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流しただけでなく、その美名でもって自身の醜悪極まりない行いを包み隠して上っ面だけ綺麗に飾り立てようとしているわけだから、そんなに粉飾が好きなら会社の経理でも担当して粉飾決算を活用しながら金の横領でもしていれば良いんじゃないだろうかと思う」などと、ながながと力をこめてレトリカルに罵倒していて、それはちょっとおもしろい。「大体において「愛」などというこの世界で最も抽象的な観念の一つを恥ずかしげもなく実に堂々と、まるで牛の涎みたいに口からでろでろ垂れ流」す、という比喩はちょっと良い。これほど修辞的にことばをこらして罵倒しているのは、この時期シェイクスピアを読んでいて、すぐれた文学者はみなそうだがシェイクスピアも罵倒がうまくておもしろかったので、それに多少影響されたところもたぶんあるだろう。ほか、「このような、とても簡単で至極順当な他者の心情に気づく程度の基本的な自己相対化の能力も持ち合わせずに、いままでよく他人の怒りを買って殺されることもなくこの世を生き延びてこられたものだなあ、とほとんど呆れるまでに驚愕せざるを得ないところだ」とか。あきらかなことだが、このときのこちらは、めずらしくマジでめちゃくちゃ怒っている。「もしそれがどうしても理解できないのだとすれば、父親の顔表面に二つ空いているのは瞳の置き場所ではなく、残念ながら障子の破れ目と同程度の機能しか持たない空っぽの隙間、蛆虫の住処にでもしてやったほうが役に立つ単なる穴ぼこだということになるだろう」とか。「ところが現実に生きているこちらの父親は、当人の言うところでは紛れもなく自分の「愛」の対象であるはずの母親に対して、あられもなく「ババア」「クソババア」と口にしてやまず、相手の言うことをたいして聞こうともせずに荒っぽい口調で大きな声を出して黙らせるというような、小学生の餓鬼大将も顔負けの幼稚極まりない振舞いに耽っているわけなので、それに対してごく控えめに苦言を呈するならば、まるで打ち上げ花火みたいに愉快にふざけ散らかすのはおやめになったほうがよろしいのでは? ということになるだろうし、もう少し率直に言うならば、いますぐこの世界から消えろという一言に尽きるだろう」ともあるが、そのとおり、こんなにことばをついやさなくとも、死ねクソ馬鹿が、とひとこと言えばそれですむ話なのだが。ほか、「以上述べてきたことはこちらにとってはとてもわかりやすく、理解するためにさほどの思弁的努力は必要としない種類の明白な意見だと思われるのだが、もし父親がそのような物事の道理も理解できず、また極めて残念なことに行為においてそれをわきまえることができないのだとしたら、とっとと頭をかち割って、そのなかの腐った脳味噌を海に流して魚の餌にしてやる代わりにウニの身でもたらふく突っこんでおくのが良いんじゃないだろうか」とか、「だから、「理性」的思考能力を有効に具えているはずの近代的主体としてはまだおしめも外していないようなよちよち歩きの赤ん坊ほどの段階にいるにもかかわらず、悪しき通俗ポストモダン風にクールな似非相対主義を気取って言い逃れを試みるのはやめてほしいし、そういう態度は少なくとも、まずはおむつを外して自らトイレで用を足せるようになってから取るべきではないだろうか」とか、「もう少し平たく言い直せば、父親が心のなかで母親のことを例えば「クソババア」とか、あるいは萎びて衰えたしわくちゃのババア(というような意味のことを父親は実際に口にしたことがあるのだが)とか思う瞬間があるとして、それ自体は別に構わないし、心中で両親が互いのことをどう思っていようがそんなことはこちらにとってはどうでも良い。ただ、それを具体的な行動に反映させて目に見える形で表出し、相手を蔑み見下して馬鹿にするような振舞いはやめるべきだ、仮にも人族の一個体として理性の能力をひとしずくでも具えて生まれてきたつもりなら、その程度の恥じらいは持ち、その程度の自制は働かせたほうが良いだろうと言っているに過ぎない」とか。比喩をふんだんにつかった技巧的な罵倒を読むのはなぜかわからないけれどやたらおもしろい。マジで怒っているので筆致にも冷静さを欠いており、むやみに芝居がかっていて妙にかたく、わざとらしい文調にはなっているものの(つまり父親のおこないに非があるということを徹底的に「論証」しようとするような文章になっているものの)、それだけ緊迫感というか切実さというか、こいつめちゃくちゃ怒り狂ってるなという感じはある。上に引いた種々の罵言のなかに「理性」とか「理解」とか「道理」といって「理」のついたことばがよく出てくるように、こちらがこのときいっている内容は人間的理性をもった存在にふさわしい振舞いをしろという一点に要約され、みずからそのひとを「愛」していると自信をもって断言する相手にたいして高圧的に馬鹿にするような傲慢な言動はあきらかにそのような振舞いではないからやめるべきだということなのだが、そのあたり実にヒューマニズム的な、欧州啓蒙思想以来の近代的主体観念を正統に受け継いでいるな、という感じがする。べつに普通にそれで良いとおもうのだが。ただそういうふうに振る舞えないひともいるし、ひとはいつでもそういうふうに振る舞えるわけではないし、こちら自身完全に一貫してそういうふうに振る舞えるわけではないし、理性、理性、とかまびすしく称揚してきたその声が圧力となって反動的にドナルド・トランプ大統領が誕生してしまったというここ数年の歴史的現実もあるわけだ。
  • 二月二四日の(……)さんのブログから一節引かれている。

オープンダイアローグにおいては、うまく語ることのできない出来事をどうにか語るということの重要性が強調されていた。語りがたい出来事、語り損ねてしまう出来事、とどのつまりはいまだ象徴化されていない現実界の出来事=外傷を、どうにかして語る(象徴化する)こと。これもまた小説に関する言説としてアナロジカルに読み替えることができるが、そのときラカン派とは正反対のアプローチを仕掛けているようにみえる。物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとするラカン派的小説家と、出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとするオープンダイアローグ派的小説家——と書いていて気づいたのだ、オープンダイアローグ理論をアナロジーとして採用するのであれば、ダイアローグに参入する他者の存在に触れないわけにはいかない。この対比はいくらなんでも雑にすぎる。とはいえ、小説家のいとなみというものを考えるにあたって、「物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとする」と態度と、「出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとする」態度は、一見すると正反対のようにみえるが、実際はさほど遠くないのではないか? というかこの両者のせめぎあう運動——それがゆえにそのどちらもが十全に達成されることは決してなく、挫折を余儀なくされ、中途半端な癒着としての失敗に帰結せざるをえない——こそがほかでもない、「物語(全体性-象徴化)とそれにあらがう出来事(断片性-未象徴化)が同居するメディアとしての小説」——その価値はいかにあらたな失敗のフォルムを生み出したかで測られることになる——なのではないか。

  • 2020/1/8, Wed.も読む。このころは頻繁に腰が痛んだようで、ヘルニアではないかといううたがいをもっているが、脹脛と足裏のマッサージやストレッチを習慣化したいま、からだは別物であり、腰が痛むことももはやない。
  • あと、職場からの帰路を(……)くんとともにしている。

 ホロコーストっていうと、レヴィナスも関連してくるでしょう、確か彼は、本人は入っていないけど、家族が殺されていたよね。奥さんと娘だか、一部を除いては全員殺されていたとの答えが返る。横断歩道を渡りながら、本当にとんでもないことですよ、と。先日も、ホロコーストについての本を読んでいたんだけど、ワルシャワ・ゲットーっていうのがあるでしょう、で、そこのユダヤ人を送りこんで殺害する絶滅収容所があるわけだよね、そうしたら、読んでいたら、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の九割が殺害された、とか書いてあってさ、はあ? と思って、九割って何だよと思ったよ、多分四〇万人くらいはいたと思うんだけど、だからそれが五万人とかになってしまったわけでしょう。そんなことを話しながら、街道沿いを行く。まあでも日本でホロコーストっていうのが一般的に知られるようになったのは、どうやら九〇年代以降らしいね、もっと前から知られていたものかと思っていたけど。まあ、言ってしまえば遠い外国のことですからねえ。そうなんだよな、夏にさ、(……)くんに社会を教えてて、そもそもまず「ホロコースト」っていう言葉自体が出てこないんだよねあのテキストは、まあでもユダヤ人が殺されたみたいなことは書いてあるわけよ、そこでまあこういうことがあって……っていうことをちょっと話したんだけど、そうしたらそれ覚えた方が良いですか、って言われて、そういうことじゃねえんだけどなあ、と思ったよ、お前、六〇〇万人だぞ、と。そういうことではないですね、と(……)くんも同意をする。まあでもどうしても、そういうことになっちゃうんだよね……。下手すると教科書で一行くらいしか書いてなくて、さらっと流して終わりみたいな感じですもんね。俺からすると、俺はかなり関心がある方だから、むしろあれを覚えないでほかに何を覚えるんだっていう感じだけどな。

  • ふつかぶんよみかえすと二時過ぎだったか? そこから今日のことを記述。いま三時半前。
  • そのあとたしか書見したはず。ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション 3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫、一九九七年)。「一九〇〇年頃のベルリンの幼年時代」をすすめる。記憶とイメージが曖昧かつ精妙におりまざった幼年期の、靄がかった空気のむこうにとおくただよう特有のにおやかさ、みたいなものがあるような気がする。そういう意味で、実に正統に文学的と、言いたくなるような仕事、というか。断章のはじまりが格好良いものがある。「願いごとをひとつ、そのまま叶えてくれる妖精が、誰にも存在している。だが、自分の願ったことを思い出せるひとは、ごくわずかしかいない。それで、後年になって自分の人生を振り返ったときに、あの願いごとは叶えられたのだ、と分かるひともごくわずかしかいないのだ」(505; 「冬の朝」)とか、「ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、習練を要する」(492; 「ティーガルテン」)とか。やっぱり、ややアフォリズム的な、一般的な命題みたいなものを定言的にうちだしておいてから話にはいっていくのが格好良いのだろう。
  • 五時をまわってから上階に行ったが、書見後、それまでのあいだになにをしていたのかおもいだせない。上がるまでずっと書見をしていたのだろうか。わすれたが、あがってからはとりあえずアイロン掛け。母親のシャツなど。それから台所にはいって料理。焼豚があるのでそれをタマネギや小松菜などと炒めることに。材料を切るこちらの隣で母親も、豚汁をつくるといってゴボウなどを切るが、調理台の上はせまいのでやりづらい。準備がととのうとフライパンで調理。母親は、仕事ってほんとうに大切なものだってわかるね、やっぱりやりがいがないっていうか、ああー、やったー、っていう感じがないし、もったいないよ、もっと歳がいってたらわかるけどさ、あれだけ能力もあるのに、といつもながらの、父親にはやく再就職してまたはたらきに出てほしいという願望をかたっていた。外に出るのがなんかいやで、誰かに会って、どう? とかお父さんのことをきかれたくない、仕事見つかった? って、そんなに見つからないよねえ、とか、ともいっていた。
  • 汁物は母親にまかせることにしてさがろうとすると、ゴミ袋をはこんでおいてくれというので、サンダル履きで外に出て、先日破壊してかたづけた植木鉢などがはいった袋を、家の脇から取ってきて、玄関の外の水場の横に置いておく。それからちょっと林のほうにいって、沢をながめおろしたり、鳥の声がいくつも響きでてくる木立のまえに立ってみあげながら鳴き声をきいたりした。だいたいヒヨドリとか、そんなに特徴的なものではないが、一匹、特有のリズムをもったものがある。なんの鳥なのかしらないのだが。そうして屋内へ。母親が鍋の火をつけっぱなしのままで外に出ていたので、いちおう彼女がかえってくるまで火の番をして、それから下階へ。なぜかギターを弾く気になっていた。それで兄の部屋にはいってアコギをとりだし、いつもどおりまず適当にAブルースをはじめる。そのあと昨日と同様、"いかれたBABY"の進行でアルペジオをくりかえしたり。それもけっこうながくやったのだが、合間、横道にながれつつも、最終的に、"いかれたBABY"の進行でバッキングをひたすらループする機械となった。アルペジオのときはきづかなかったのだが、それをはじめるとどうもコードの響きがわるかったので、チューニングがちょっとずれているなとおもって調律しなおす。バッキングというのは、拍頭で親指でルートを弾いて、裏でほかの三本をつかって和音をはじくというシンプルなもので、レゲエとかでよくやられてFISHMANSもやっているあのン・チャ、ン・チャ、という裏拍のカッティングを、カッティングではなくてはじくかたちでやるようなものなのだが、これをひたすらずっとくりかえしていた。たぶん三〇分か四〇分くらいやっていたはずで、目を閉じながらやっていたので、そろそろやめようとおもってひらいたときには部屋が真っ暗になっていた。七時二三分くらいにたっしていたはず。おもったのだけれど、まずこういうシンプルきわまりないかたちですばらしい演奏ができなければ、複雑なフレーズをひいたところですばらしい演奏ができるわけがない。まずは単純でなんの変哲もないコードストロークとか、アルペジオとか、最低限の雛型だけでさまになるような実力をみにつけなければならない。このあいだ、(……)と通話したときにも話したのだけれど、耳コピが面倒臭くて、またアコギ一本でやるとなるとアレンジをかんがえるのも面倒臭くて、それで曲を弾き語りたいとおもっていながらいつも似非ブルースにあそぶだけでおわってしまう、でもかんがえてみれば最初からそんなにきちんとかたちをかんがえる必要はなくて、まずはコードだけとってそれをジャカジャカやりながらうたうだけ、くらいのシンプルさでやればよいのだ、と。それでさまにならなければもっとむずかしいことをやってもだいたい無駄なわけだし、そうしてかたちができた上で、さらによいアレンジをおのずからかんがえていけばよいのだ、と。そういうわけで、まずはかんたんなバッキングで気持ちの良いリズムをうみだせなければ話にならないとおもってひたすらにひきつづけた。歌も、最初からのせようとしてもあまりうまくはいかない。ねむりながらでも弾けるくらいに楽器のほうになじんだ結果、おのずから声があたまのなかに浮かんでくる、くらいのかんじでないと。このときのコードはルートは五弦か六弦で、和音部は二弦から四弦でまかなうかたちにして、そうするとたぶんじっさいには高音がたりなくてひろがりがすくなく、本当は一弦をつかうほうがよいのだろうけれど、それもいまはおき、まずはこのもっとも単純なかたちでもって腕を磨こうとおもい、雛型フレーズをさだめるとそれをまったくかえずに反復した。自分としてはけっこう気持ちの良いリズムになる時間があるにはあるのだが。終盤などは、じっさい弾いているのはエイトビートなのだけれど、一六ビートシャッフルの感覚がちょっとでてきたし。"いかれたBABY"は原曲はシャッフルしていなかったとおもうし、していたとしてもほんのすこしだけだとおもうのだが、こちらの感じではわりとスローでシャッフル気味になってしまう。コードの消え方、手が弦上をうごくタイミングとか、あと親指がミュートした弦にあたるときのタイミングとかが、わりと一六ビートシャッフルに適合してきた気がした。ゴーストノートを入れているわけではないのだが。ただながく弾いていると、いつのまにかはやくなってしまう。そもそもメトロノームをつかっていない時点で話にならないといえばそうなのだけれど、メトロノームを置いてきちんとやると練習の感がつよくなりすぎるので、ひとまずはなしでやる気分。この似非レゲエみたいなバッキングでは、こまかなニュアンスとか統一性はともかくとしても、明白にミスみたいなものはあまりうまれないのだが、アルペジオをやるとなると、単純に八分であがっておりるだけのことなのに、右手の指が隣の弦にあたってしまったりしてけっこうミスがあって、じっさいこういうシンプルな基本的なことをずっとやりつづけるというのはかなりむずかしい。ファンクの連中とかはそういう練習をよくやるらしいのだが。コード一発でひたすらカッティングを何時間もつづけて、そういう人間たちだから、なんかスタジオで演奏中に停電になったかなにかで、クリックが一時きこえなくなってもそのまま演奏をつづけていて、電気が復帰してリズムがまたきこえるようになっても寸分違わずもとのビートと一致していた、みたいなエピソードはよくきく。
  • 食事へ。新聞のウイグルの面を、途中までだが読んだ。「新疆」というのは、あたらしい領域、という意味らしい。むかしから中国王朝はトルコ系民族が住まうこの西域を西方面との交易の窓口としてきたわけだが、一八八四年だかに清朝が新疆区的なものを正式に設置したとかあったか? いまの新疆ウイグル自治区がもうけられたのはたしか中華人民共和国ができてからすぐ、戦後まもなくのこととあったはずで、当時は漢人の割合が、三割だか四割だかわすれたけれどそのくらいだったところが、近年では七割くらいになっていると。例の労働教育施設、強制収容所みたいなものに入れられたひとの証言がのっていた。このひとはトルコかカザフスタンだか外国にすんでいたのだが、一時実家にかえったさいに理由不明のまま拘束され、収容所に入れられて、そこではイスラームの信仰やウイグル語の使用は禁止されており、標準中国語をまなびつかうように強制され、違反すれば当然虐待的な仕打ちがあたえられ、このひとと同室だった二〇代の男性ふたりは施設内で亡くなったという。このひとはカザフスタンにいた妻が同国の外務省や国連にはたらきかけてくれて、施設について口外しないことを条件に釈放されたと。その後、アメリカメディアの取材を受けたところ、故郷の実家にいる親や家族も収容されて、父親は施設内で亡くなったとあったとおもう。このひとにオンラインで話をきいた記者もウイグル自治区をおとずれた際の自身の体験を記しており、空港でおりると四人の警察官がまちうけていて、身分証を確認するとそのあとずっと尾行してきて、写真をとればカメラを奪われてデータを消されるし、住民に話をきこうとしても、みんな警察官がそばにいることがわかると口をつぐんでしまう、とのことだった。
  • 食後、帰室すると、音読をしたのだったか。九時すぎで入浴へ。出ると一〇時。風呂のなかで、そういえばOasisのスコアを持っていたはずだから、まずそれでコードをみてジャカジャカ弾き語りしようかなとおもった。『(What's The Story) Morning Glory?』はけっこう好きだし。それで出てくると、ひさしぶりにこのアルバムをながしながら熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書抜きをしたのだけれど、冒頭の"Hello"とか好きである。いちばん好きなのは最後の"Champagne Supernova"なのだが。Oasisってべつに複雑だったり小難しいようなことは特段やっていないとおもうのだけれど、なぜかよい。格好良い、というかんじではないが、気持ちの良い音楽になっている。
  • そのあと、日記をはじめた。五月二日分をひたすらすすめて、下記したとおり四時間くらい書いていたもよう。
  • いま二時半すぎで、五月二日のながい記事がしあがったのだが、たぶん一〇時半くらいからはじめたとおもうので、四時間くらいぶっつづけでずっと書いていたのではないか。ずいぶん書いたものだ。あまりそんなかんじもしないが。めちゃくちゃがんばった、という感じも。
  • 名前をいちいち検閲して手間をかけながら投稿したのち、大雑把に読み返すと一箇所だけ名前がもれていたところがあって、あぶないあぶないと検閲しなおしたが、これもなかなか面倒でリスキーなやり方ではある。投稿後にもれがないか、人名だけは検索して確認するようにしたほうがよいかもしれない。そのあとはなぜか最近の記事を読み返してしまい、それで結局四時にいたって、コンピューターをおとしたあと手帳にメモ書き。最近、その日の反省とか、よかったこととか、印象にのこったこととか、やりたいことやリマインドなどを手帳に日ごとに書きつける習慣になぜかなって、いぜんも多少はやっていたのだが、これはけっこうよいかもしれない。コンピューターでキーボードでうつより、やはり手で紙にかいたほうが時間がかかるから印象にのこるし、すぐみかえすこともできる。手帳をひらいたときにほかの日の記述がおのずと目にはいって、そうだったとおもいだすこともある。メモ書きしたのち、四時二二分だったかに消灯。いまの時期だともうこのころにはうす青いあかるさがさしはじめているので、もうすこし就床をはやめたい。