2021/5/14, Fri.

 しかしながら、〈身体のレベルでは〉、彼の頭がこんがらがることはけっしてない。それは不幸なことだ。ぼんやりして、頭が混乱し、いつもとは違った状態になったことがまったくない。いつも意識(end267)があるのだ。麻薬を用いることはありえないけれど、しかし麻薬の状態を夢見たりする。酩酊状態になりうること(すぐに気分が悪くなるのではなく)を夢見ているのである。昔、外科手術のときに、人生ですくなくとも一度、〈意識喪失〉になるのだと期待したことがあったが、全身麻酔ではなかったので、そうはならなかった。毎朝、目覚めたとき、すこし頭がくらくらするが、頭の中はしっかりしている(ときおり、心配ごとをかかえたまま眠ってしまうと、目覚めたばかりのときはそれが消えていることがあった。奇跡的に意味が失われた、真っ白な時間だ。だが、すぐに心配ごとが猛禽のようにわたしに襲いかかってくる。そして、〈昨日そうであった自分〉とまったくおなじ自分をふたたび見出すのである)。

 ときおり彼は、自分の頭のなかや、仕事のなか、他人のなかにある、この言語活動全体を休ませたいものだと思う。言語自体が、人間の身体における疲れた手足であるかのように思われるのだ。もし、言語活動の疲れをいやすために休息できていたなら、危機や、影響、高揚、心の傷、理性などといったものに休暇をあたえて、全身で休むことができるのに、と思う。彼には、言語活動が、疲れきった老婦人のすがた(荒れた手をした昔の家政婦のような)に見える。いわゆる〈引退〉をしたあとに、ほっとため息をついている老婦人である…。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、267~268; 「頭がこんがらがって(Ma tête s'embrouille)」)



  • 一〇時四〇分ごろに覚醒。なかなか気温のたかいようなはだざわり。布団の下で汗ばむほどではなかったが。こめかみや眼窩、腹などをもんだり、あたまを左右にごろごろやったりしてから、一一時一八分に離床。おきたばかりのときは、翌日にある午前中からの会議のことをおもって面倒くさいきもち、きがひけるような、倦怠感のような、生そのものから逃げたいようなかんじがあったが、その後じきになくなった。だいいち、午前中から(……)にでむかなければならないとはいえ、一一時から一四時くらいまででおわるようだし、たいした労でもない。水場にいってきてから瞑想。一一時二六分から四四分まで。よろしい。風はあまりなさそう。曇りによった天気でひかりもつやなく淡いのが大気にいくらかまざっているだけだったようだが、空気の感触はわりとさわやか。そとでは(……)ちゃんのこどもがたびたび変声前の甲高さでおおきな声をあげているのだが、今日は金曜なのに学校は休みなのだろうか。緊急事態宣言をうけて分散登校みたいなかたちがとられているのだろうか。輪郭にごくうすい余白をともなったその声が空間のなかにひびき、そのまわりでは鳥の声もいくつもたえまなくはじけつづけている。
  • ゴミ箱と、財布からとりだした一万円をもって上階へ。母親にあいさつして札一枚をわたしておき、ゴミを台所のものとあわせる。一万円はいちおう食費なりなんなりにつかってほしいということで、毎月一五日が給料日なので一四日まできて収支に余裕があったらおさめればよいだろう。余裕のおおきさによってはもっとおさめてもよい。もともとあまりでかけない人間だし、最近はコロナウイルスもあって勤務以外にでかけることはほぼないから、収支はまず黒字にはなる。食事は前日の炒めものや汁物ののこり。新聞をみると、イスラエルパレスチナの件があるのでよむ。イスラエルはガザに侵攻して地上戦をおこなうことも視野にいれているようで、境界付近に地上部隊を派遣していると。のちによんだBBCの記事では七〇〇〇人の兵力とあった。マジで侵攻されたらパレスチナ側にはどうにもならないはずで、ハマスはどこかでひかなければならないはずだが。この記事にはいまのところパレスチナ側の死者は八〇人ほどとかいてあったきがするが、BBCのほうでは一〇〇人以上とあり、読売の記事には第二次インティファーダ以来最大の対立との言もあった。空爆はつづいており、バイデンがネタニヤフにたいして、イスラエルの自国および自国民をまもる安全保障上の権利をゆるぎなく支持する(一方で可能なかぎり早急に平穏を回復するようもとめる)みたいなことをいったので、イスラエルとしてはそれで米国から攻撃のお墨付きをえたということになるわけだ。
  • あと、きのうの夕刊でもよんだが、ウイグルをめぐって開催されたオンラインのイベントの件。米国が主導したようで、米欧はとうぜん中国を非難し、中国はもちろん米国が中国の影響力をそぐためにふたしかな情報を政治的に利用している、みたいなことをいう。夕刊によれば中国はこのイベントに参加しないよう各国にもとめたらしく、脅迫的なかんじのメッセージすらあったとか。また、「奔流デジタル」の、「動揺する民主主義」の番外編として、三人の識者の言が載っていた。ひとりは前エストニア大統領のトーマスなんとかというひと。もうひとりはハーバード大学社会心理学名誉教授のショシャナなんとかいうひとで、三人目はデューク大学社会学教授のなんとかいう男性。エストニアソ連崩壊後デジタル整備を積極的にすすめてきたらしく、サイバー戦争というか情報空間を舞台にした国家間の安全保障的葛藤というのも、二〇〇七年にエストニアとロシアのあいだでおこったのが本格的な端緒だとこの前大統領は認識しているようだった。彼いわく、個々人は自分のデータにたいする所有権をもたなければならない、したがって、だれが自分のデータを閲覧したのかを知ることができなければならないし、データの種類によって閲覧できるひとできないひとをさだめなければならない、と。医者は健康データをみられるが、警察官は健康データはみられない、というふうに。エストニアはたぶんじっさいにそういう制度をつくっているということだとおもうのだが。またデューク大学のひとによれば、いわゆる「エコーチェンバー効果」がよくかたられるところだけれど、Twitter上で被験者に政治的に対立する意見を閲覧させてそのなかにさらすという実験がおこなわれたことがあるらしく、その結果、被験者は対立する意見を受容するどころか、反対に、それを自分にとって有害なものとかんじてアイデンティティをまもるためにむしろ自分の立場に固執した、という事態になったらしい。わりと、まあそりゃそうだよね、というかんじがあるが。SNS上で積極的に意見やかんがえを発信するのは極端な立場のひとたちがおおく、穏健なひとびとは対立陣営からだけでなく自分といちおうおなじ側にいるはずのひとからも批判をうけるのをきらって沈黙するから、なおさら分断が先鋭化する、ともこのひとはのべていた。ほか、クラレンス・トーマスという米最高裁の保守派判事が大手SNS企業への規制のあり方を検討するよう、最近意見書をだしたらしい。SNS上での情報発信によってさまざまな不都合がおこっているのはまぎれもない現実で、それを規制する裁量が事実上完全に民間企業にゆだねられているというのが目下ひとつのおおきな問題で、ここをどうするのかというのが一方の問いとしてあり、ただ他方、そもそも規制は言論の自由の観点からするとのぞましくないのではないかという意見もむろんあって、規制をするのかしないのか、するとしてもどのくらいするのか、どのようなかたちでするのか、という問いもある。どうすればよいのか、こちらなどには解はまったくわからない。
  • 食器をあらってかたづけ、それから風呂もあらう。今日はわりと心身がおちついており、一刻一刻が比較的明晰にみえるようなかんじがある。でると茶をつくって下階にかえり、Notionを準備して、茶をのみながらひととき。これも茶をのむ時間をはさまずに、部屋にもどったらさっさと活動しはじめたほうがよいのかもしれないというきもするが。ともあれそのあと、きのうのつづきで岡和田晃「北海道文学集中ゼミ~知られざる「北海道文学」を読んでみよう!~: 「北海道文学」の誕生とタコ部屋労働(4)~羽志主水「監獄部屋」」(2018/9/30)(https://shimirubon.jp/columns/1691800(https://shimirubon.jp/columns/1691800))をよんだ。

岡和田 『常紋トンネル』 [小池喜孝『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』] の恐ろしいところは実話だったというところがすごいわけですよ。北見はやはり苛烈なところだったというのが伺えますね。『常紋トンネル』の112ページ113ページにタコ部屋の歴史区分というのがあります。1890年から1946年には消滅しています。これはGHQの命令で解散させられたということになっているわけです。

長岡 GHQの影響だったんですね。

岡和田 1925年から28年というのはだいたい再編成期と沈静期という、タコ部屋が社会問題になって命令が出ていた時期ということなんですよね。こういうふうな歴史区分というのがあります。ちょっと戻っていただいて32、33ページでは常紋トンネルの生き埋めを目撃した人というのがいたわけですね。
 タコ部屋っていうのは使えなくなったら生きているのも死んでいるのもトロッコに入れて、トロッコごと投げて捨てるというのが書いてあります。生きているタコでも弱いものはトロッコに積まれた、反抗もできないというようなことが書いているわけです。

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 在日朝鮮人の人が実際に強制連行で朝鮮人狩りに北海道であって、そして寝込みを襲われてタコ部屋に入れられるっていうのがあったわけですね。
朝鮮人のタコには精錬はやらせず、監視の目の届く露天掘りと坑内の仕事をやらせた。そして坑内から出た水銀の猛毒を含んだ蒸気で歯をやられ、内臓を蝕まれて廃人になるため、坑内作業には朝鮮人中国人を添えさせたわけですね。こういう記憶がやっぱり朝鮮人墓地が心霊スポットとなるような、なんというか悪いことをしたという集合的無意識に繋がっているんじゃないかと思われます。
 去年出た、石純姫『朝鮮人アイヌ民族の歴史的つながり』というとてもいい本があります。ここではタコ部屋のような強制労働から逃げ出してきた在日朝鮮人アイヌ民族がかくまったという実例が各地で報告されていて、これはサハリンでもあります。樺太にもいっぱいタコ部屋があったので。ここでは、人間と思えぬ虐待や酷使、国による強制連行、強制労働をした朝鮮人アイヌコミュニティが受け入れたという事例がいろいろ語られます。
 一方『常紋トンネル』では、けっこう地元の人達が隠れているタコを見つけて突き出すという例がかなり語られるんですね。要は見た目が汚らしいし、突き出すと報酬ももらえたんでしょう。ただアイヌ民族の人が突き出したという例はひとつも見たことがないですね。
 あったらひとつくらい聞かれてると思うんですけど、語られるのゼロなんで、実際マイノリティとして共感するところは多分にあったんじゃないかと思われます。
 それでもう少し話を戻すと、タコ部屋の棒頭というのは沼田流人の小説では平気で人を殺すサイコホラーの怪人のように描かれていて、『常紋トンネル』では棒頭に勇気をつけさせるために、わざと人の肉が混じったやつを食わせたということも語られていて、実際にあったみたいですけど、そういうこともしていたということです。
 タコ部屋暮らしで管理側、棒頭の側の生き残りというのが当時いたわけですね。山口さん、1907年。ネットでは名前は伏せられていますが、ここで実際に郷土を掘る会の人がタコ部屋の生き証人として呼んだら、「タコは金で買った奴隷ですよ、奴隷に人権なんてないですよ。そんな甘い時代じゃないんだ」ということで、タコ部屋の棒頭を正当化し始めたというすごい例なんです。
 逃走者が出ると人夫を飯場に閉じ込めて、幹部が一斉に捕まえて出勤する。「何しろタコほどいいものはない。女を抱いて酒飲んで三百円の前借りでタコ部屋に入る。そこのタコ部屋が悪ければ逃げると。逃げてるんだからね、そしてまた中島遊郭に行くんだろう」と。
 それは前借りだから、まぁあほだから自業自得だって話ですよ。捕まえて逃げて帰ってくれば優秀な幹部になるので、積極的に捕まえに行くわけです。タコが死んだ場合は逃走届を一枚警察に出せば良い。だから逃走率というのは死んだ率が多分かなり入っているんですね。

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渡邊 夏目漱石の「坑夫」っていう話があって、あれもインテリの子が地下に潜っていって坑夫と出会ってっていう話なんですよね。

岡和田 あれも一種のサバルタン(従属的被支配階級)でしょ。私も実際に三年くらい建築現場で肉体労働をしていて、六本木ヒルズが現場だったこともあります。よく労働者の間で、一ヶ月くらい前に足場から二人くらい落ちて死んだみたいな話とか聞きましたね。

渡邊 よくありますね。実際工事現場に入ると上から屋根がバンと落ちてきて、歩いてる奴が怒られるっていうね。僕もそういうのよくやってたので。

岡和田 だから、語られないだけであるんじゃないかと。渡邊さん、プロですからね。

渡邊 西成に行って、立ちんぼして、トラックに乗せられて現場に行って。お弁当は出る。それを楽しみにしてて。まぁトンネル掘ってたんですけど、お弁当が来たっていってばって開けたらご飯があって、コンニャクの炊いたやつだけが入ってる。完全に冷えてるから、それを食べるわけです。朝は電通みたいな人たちが来てですね、「ここの計画はこうなっていて」っていうのを僕らも聞かなきゃならないわけですよ(笑)。

一同 (笑)

岡和田 昔の漫画とか読んでると、そういう日雇いっぽいおっちゃんが日の丸弁当食べてるっていうのは本当にけっこうありました。

渡邊 コンニャクかぁ~……って思いましたね(笑)。

マーク 塩気もない。

渡邊 しょうゆで味付けするんですよ。
 前の晩に泊まった人は朝ごはんを食べていいわけですけど、僕らも平気で朝そこに乗り込んで食べて。見つかったら袋叩きにあうわけですけど、全然平気で食べて。密入国してきた外国語しか喋れない人たちがいて、そこに入り込むんですよね。そうすると誰も話しかけてこないから。で、来いって後ろから棒とかで突かれて、行くんです。その方が楽だったっていうのもあります。

A 95-year-old woman who worked for the commandant of a Nazi concentration camp has been charged in north Germany with aiding and abetting mass murder.

The woman, named in media as Irmgard F and who lives in a care home in Pinneberg near Hamburg, is charged in relation to "more than 10,000 cases".

She was secretary to the SS commandant of Stutthof, a brutal camp near modern-day Gdansk, where about 65,000 prisoners died during World War Two.

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Stutthof was established in 1939 and guards began using gas chambers there in June 1944. Soviet troops liberated it in May 1945, as the war was ending.

About 100,000 inmates were kept at Stutthof in atrocious conditions - many died of disease and starvation, some were gassed and others were given lethal injections.

Many of the victims were Jews; there were also non-Jewish Poles and captured Soviet soldiers.

More than 100 people have been killed in Gaza and seven in Israel since fighting began on Monday.

Meanwhile, Jewish and Israeli-Arab mobs have been fighting within Israel, prompting its president to warn of civil war.

Defence Minister Benny Gantz ordered a "massive reinforcement" of security forces to suppress the internal unrest that has seen more than 400 people arrested.

Police say Israeli Arabs have been responsible for most of the trouble and reject the accusation that they are standing by while gangs of Jewish youths target Arab homes.

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Meanwhile Hamas fired three more volleys amounting to about 55 rockets in total into Israel on Thursday evening. An 87-year-old woman died after falling on her way to a bomb shelter near Ashdod in southern Israel. Other areas including Ashkelon, Beersheba and Yavne were also targeted.

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On Thursday, Israel's military called up 7,000 army reservists and deployed troops and tanks near its border with Gaza. It said a ground offensive into Gaza was one option being considered but a decision had yet to be made.

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Three rockets were fired from Lebanon into the sea off the coast of northern Israel, the Israel Defense Forces (IDF) said. No group claimed the attack but several militant groups operate in Lebanon, including Hezbollah, which fought a month-long war with Israel in 2006

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At least 103 Palestinians have been killed since Monday, including 27 children, and more than 580 wounded, the health ministry in Gaza said. Officials in the territory said many civilians had died.

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The fighting between Israel and Hamas was triggered by days of escalating clashes between Palestinians and Israeli police at a holy hilltop compound in East Jerusalem.

The site is revered by both Muslims, who call it the Haram al-Sharif (Noble Sanctuary), and Jews, for whom it is known as the Temple Mount. Hamas demanded Israel remove police from there and the nearby predominantly Arab district of Sheikh Jarrah, where Palestinian families face eviction by Jewish settlers. Hamas launched rockets when its ultimatum went unheeded.

Palestinian anger had already been stoked by weeks of rising tension in East Jerusalem, inflamed by a series of confrontations with police since the start of Ramadan in mid-April.

  • ごろごろしていると母親が部屋にやってきて、一〇〇〇円札五枚あるかという。(……)さんがきて、一万円を両替したいといっているらしい。それでおきあがり、財布をとってはいっている札をすべてだし、一〇〇〇円札をかぞえてみると四枚しかなかったがそれでなんとかなりそうだったので母親にわたす。そのあと寝床にもどって(……)さんのブログの最新一三日分をよむと、休身はしまいにして今日のことをここまで記述した。四時半すぎ。今日は一一日以降の記事をしあげたいところだが。水曜日がWoolf会でながいのでいけるかどうか。まあ適当に、きのむくようにやる。
  • その結果、この日はけっきょく日記はサボってしまい、この日の分、うえまでの部分だけでほかにぜんぜん書かなかったのだが、まあしかたがない。そのかわりというわけでもないが、ウェブ記事はやたらたくさんよんだ。やたらたくさんといってうえにしるしたものと、あと山城むつみ×岡和田晃「歴史の声に動かされ、テクストを掘り下げる」(https://shimirubon.jp/series/410(https://shimirubon.jp/series/410))を全六回分一気によんだというだけだが。このシリーズできになった部分は以下。日記をサボってしまったのもよくはないが、それはまあよいとはらうにしても、本線の書見をできていないのと、あと書抜きをできていないのはなんかいただけない。書き抜きは一日一箇所でもいいのでやっていかないとマジでやばいのだが。音読はけっこうたくさんできていてよいのだが。

山城 どこから喋ればいいかわかりませんが、 [向井豊昭の] 「御料牧場」はその一八七〇年問題と関係があると思う。
 なぜ「御料牧場」に目が止まったかって言うと、日本の土地所有の歴史について調べたことがあったからです。去年幻戯書房から『連続する問題』という本を出したんですが、それは「新潮」にやってたコラムを集めたものなんですけど、集めただけだとまとまりがないかなと思って、そこに書き下ろした補論にも土地のことを書いたんです。

(……)

山城 深い所まで追えなかったんですが、日本林業調査会から出ている『御料林経営の研究』という本を読んだんです。
 御料地っていうのは皇室所有の土地です。それが歴史的にどのようにできて、どのような経緯を辿って現在の国有地国有林に至ったのかが詳しく書かれている。御料地の確保は一八七〇年代後半から動き始めていたらしく一八九〇年、帝国憲法が施行され第一回帝国議会が開かれる前に、つまり議会の承認を受けなくてもいい段階で、宮内省の御料局が「内地」で一五七万町、北海道で二〇〇万町歩の官林、官有山林、官有原野、および鉱山の皇室財産への引き渡しをさっさと済ませたんですね。(……)

(……)

山城 (……)その本に書いてあるのは御料林のことなので、北海道の [新冠(にいかっぷ)] 御料牧場のことは書いてないんですが、御料地の事が詳しく書いてあったのが記憶に残っていたので「御料牧場」にピンと来たわけです。
 もともと一八七〇年問題の事を調べなければいけないなと思ったのは、ドストエフスキーをやっていた時です。『悪霊』、『未成年』、それから『カラマーゾフの兄弟』っていうのはこれは一八七〇年代に書かれていて、ドストエフスキーというと、明治と関係ないように思うかもしれないけど、同時代なんですね。
 僕もロシアはロシア、日本は日本と考えていたけれども、一八七〇年代の『悪霊』以後のドストエフスキーは、日本の問題とけっこうシンクロしてい動いているんじゃないかなっていう気がして、それで『連続する問題』の補論で一八七〇年代以降の日本の土地所有の問題をやった。
 近代的な意味で土地を所有するというのは、土地を買うということですが、日本では、土地が売買の対象になるのは一八七二年以降です。それ以前にも、領主が土地を「専有」するといったことは当然あるんですけれど、売買の対象になる事はなかった。土地を購入して私的に所有するということがなかったんです。
 それで一八七〇年代以降の事をちょっと調べる必要があるんじゃないかなと思った。
 最初に「辺境の想像力」というシンポジウムの話がありましたが、日本は、ちょうど御料地の確保や経営とほぼ並行するように、一八七〇年代にまず琉球を領有し、次いで一八九五年に台湾を領有しますね。そして、一九一〇年に朝鮮半島を領有する。
 北海道は植民地でないかのように思われているけど、一八七〇年代以降の北海道の開拓も同じ動きの中にある。
 岡和田さんがやられた〈アイヌ〉をめぐってそれは顕著ですね。
 一九一〇年頃に「帝国」としての日本が出来上がった。僕がこの『小林秀雄とその戦争の時』を書いた際、「ここ」という言葉で念頭にあったのは「内地」です。今は「内地」なんて言わない。言わないけれども「ここ」という言葉で言いたいのは「内地」です。「内地」の対になるのは何なのかと言うと、沖縄と、台湾と、それから朝鮮半島と、そして暗黙のうちに北海道です。これらが「内地」でないものとして「ここ」の周縁にあって、それが「そこ」です。「ここ」と「そこ」っていう関係が出来上がってきたのは一九一〇年頃じゃないかな。
 その動きが一八七〇年代くらいからできてきて、一九一〇年くらいにその体制はほぼできあがった。

     *

岡和田 御料牧場に関しては、地元の文芸誌で今でも研究を続けている人がいらっしゃいますが、開拓使黒田清隆が、もともと深く関わっていたことは忘れてはなりません。
 開発の過程で見逃せないのは、もともと住んでいた〈アイヌ〉を強制移住させたことです。姉去(あねさる)から上貫気別(かみぬきべつ)という所に移住させたわけで、これはネイティヴ・アメリカンにとっての「涙の道」のようなものとして記憶されているほど、過酷なものだったようです。
 だから御料牧場というのは、そういう過程を経てですね、つまりアイヌを北海道旧土人保護法で与えられた山の中の荒れ地に、強制移住させた後、もとの住処だったところの跡地に建てられたものです。
御料牧場の責任者で、〈アイヌ〉と和人の間に立って仕事をした人が浅川義一という方です。浅川義一は地元の名士として知られますが、毀誉褒貶ある人で、浅川は自分で言うように〈アイヌ〉に終生同情的だったと言う人もいれば、彼が〈アイヌ〉を移住させ、その跡地で暮らしたのは信じられないと、悪名を轟かせてもいます。

     *

岡和田 で、自分がその生の状態で歴史に立ち向かうっていうのは、歴史の渦中の中にいるっていう状態では実は幻想で、先行者がどう見たかっていうのも、ある程度の時間をもたなければ捉える事ができないと。
 山城さんの『連続する問題』では、北朝鮮チュチェ思想であるとかですね、あるいはドストエフスキー民族主義的な部分であったり、そういったものについて、そういう知識人として批判しやすい部分をやっつけて満足するのではなく、そのナショナリズムとしての暴力性みたいなものを、「歴史認識」の是非ではなく「歴史に対する生々しい驚き」として理解しなければ先に進めないのだっていうような事をおっしゃっていて。「朝鮮人虐殺八十年」という、衝撃的なタイトルの批評でですが。