2021/5/26, Wed.

 ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、おなじひとつのものとして私たちのうちに宿っている。このものが転じて、かのものとなり、かのものが転じて、このものとなるからである」(B八八)。生きている者が死に、眠っている者だけがやがて目ざめ、かつて若かった者のみが老年になる。「上り道と下り道は、ひとつのおなじものである」(B六〇)。見る方向がことなるだけだ。海は育み、殺す。それは魚にいのちをもたらし、人間を殺傷する。だから、「海はもっとも清浄で、(end26)かつもっとも汚されたものである」(B六一)。――「戦いが共通なものであり、常道は戦いであって、いっさいは争いと負い目にしたがって生じることを知らなければならない」とする、有名な箴言(B八〇)もまたおなじ発想の延長上にあるものであろう。ここでも、ある調和と、それに相反するものが語りだされている。ちょうど燃えあがる火が消えさろうとする炎と同一であるような、ことの消息が語られている。せめぎあいこそがロゴスである。「戦いは万物の父であり、王である」(B五三)。まさに、そう語られるとおりなのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、26~27)



  • 一一時半すぎの離床。天気はそこそこのあかるさ。いちど一〇時にさめたのだが、うまくおきられず。からだをおこして上階へ。母親にあいさつしてジャージにきがえ、洗面所でもろもろみづくろい。食事は鮭やきのうの豚汁のあまりなど。父親はタマネギを収穫したらしい。そのうちに屋内にはいってきて、母親は仕事にいく。こちらはものを食べつつ新聞。一面にはイスラエル空爆によって破壊されて瓦礫の積層となったガザ地区のビルの写真。国際面にも関連記事があって、それをよむに、やはり現状をかえることができなかったファタハより強硬手段をとる武闘派ハマスのほうにひとびとの支持がかたむいていると。そうはいってもマジで戦争になればふつうにパレスチナ側に勝ち目はないはず。二七歳の弁護士だというひとは、戦闘だけで平和はおとずれない、抵抗と交渉をバランスよくつづけることが大事だといっていたが、しかしそういう正論がひとびとのこころをつかみ説得できるかというと実にこころもとない。現にひとは殺され、建物は破壊され、その瓦礫のしたにこどもたちが埋められて救出できなかったわけだし。
  • ほか、ベラルーシの件。きのうの夕刊にもあったが、EUは追加制裁をきめて、ベラルーシの飛行機をEU加盟国の領空では飛行させず空港にも立ち入れないようにすること、またEU加盟国の飛行機もベラルーシの領空を飛行しないこと、などをとりきめたもようで、ドイツとかオランダの航空会社はすでにそれにおうじてベラルーシ領空をとうめんのあいだ避けると表明しているらしい。きのうの夕刊にはまた、拘束された反体制派メディア創設者の「自白」動画が国営メディアで放送されて、暴力を煽動したみたいなことを「自白」しているらしいのだけれど、やたらみじかいようだし、顔に傷もみえるとかで、拷問などうけて無理やり「自白」させられているのではないかとうたがわれているらしい。この日の朝刊ではあと、蔡英文の支持がおちているとか、米国でワクチン普及がすすんで感染者数が減っているのは(いま一日三万人とかで、ピーク時の一〇分の一くらいになっているらしい)ドナルド・トランプがワクチン開発を強力にあとおししたからだという言説が共和党からでてきておりドナルド・トランプ自身ももちろんそれにおうじてself-boastingしている、などの記事があったが、まだそんなにちゃんとよんでいない。
  • 食後はテーブル上を拭き、食器をあらってかたづけ、風呂。排水溝のカバーもこすっておいた。でると帰室してコンピューターを準備し、ここまで記述。一時すぎ。きょうは三時すぎにはでる必要。
  • でるまでの時間のことはとくにおぼえていないのだけれど、たぶん書見したはず。あと、出発前、歯をみがくあいだに(……)さんのブログをよんだが、ついに『(……)』が脱稿されたとのことでめでたい。おくってくれるようなのでたのしみ。
  • 出発は三時すぎ。往路はあるいた。暑い。このころにはふつうに陽射しがあって、日なたがひろくひらいており、ベストすがたでも汗をかく。家のすぐそばに生えた一本のカエデのしたにベンチがあって、こちらが玄関をでたときそこに年かさの夫婦がこしかけていたのだが、まもなく立ってあるきだした。坂道にはいったそのふたりは右手、川のほうをみやりながら足を止め気味にしてなんとかはなしており、こちらもそのあとから坂道にはいっておなじように川のほうをみやる。景観のかんじがいぜんとすこしちがうようにおもわれるのは、川のてまえの道で家がこわされたところに草の緑色がひろがっているからで、なかに一本なにかの木もたっており、それもいかにも青々とよそおっている。夫婦の横をぬかしていった。こちらが他人をおいぬかすことができるのはだいぶめずらしい。あるくのがかなりおそいので。こちらにいわせればひとびとみんななぜあんなにはやくあるくのかわからないのだが。坂をぬけるあたりで頭上や周囲に樹々がなくなるからまた陽射しがさえぎられようもなく降ってきて、そうするとかなり暑く、これだとそろそろ熱中症が発生してもおかしくないなという陽気。街道へ。北側にわたってあるいていくと、途中で今日も工事をおこなっていた。たぶん水道管工事のつづきだろう。場所はすこし東にうつっていたが。整理員の仕事をへらしてやろうとおもって、そのてまえで裏におれる。この地点でおれるのはそうとうにひさしぶりというか、ほとんどはじめてではないかとおもうほどにひさしぶりで、かんがえてみればなぜだかわからないがいつもひとつおぼえに老人ホームのある角で裏におれているのだが、べつにいつもそうしなければならない理由などなにひとつない。どこでおれたってよいのだ。この細道をまえにとおったのがいつなのかまったくわからないのだけれど、あたりのかんじが記憶とやはりちがっていて、とくに、裏道にはいったあと、西方向に、つまりそちらから街道をあるいてきた方角にもどるような細道があったはずなのだが、なくなっていた。たしかこどものころに、(……)といっしょになんどかその道をあるいたおぼえがあるのだが。というのは彼の祖父母の家がそちらのほうにあったので。記憶との照合ができるわけもないが、あたらしくできたような家もいくつかあって、だから区画が整理されたというか、多少土地のつかいかたが変わったのだろう。(……)公園ではこどもらがあそびまわるにぎやかな声がたっており、道のほうにも男子も女子もなんにんか飛び出してきて、鬼ごっこだろうか、小学校五、六年くらいのこどもたちが威勢よく走りまわっており、そのうごきはすばやい。とおりすぎるときにのぞいてみると、けっこうな人数があつまっていた。
  • 空はいまはわりと晴れており、水色のほうがおおくなってあらわにうつり、雲もそこそこのこっているが、それは乗ったり貼られたり浮かんだりしているというよりは、空を泉としてそのなかからにじみでた乳といったかんじの淡い付加にすぎない。暑いが、風もけっこうあったのではなかったか。そう、あったのだ。というのは、裏道をいっていると、前方の路上になにやら白いものがころがっているのがみえたのだ。猫か? とおもった。いつもの白猫か? と。しかしうごきがないし、目がわるいのであまりよくもみえず、つぎに、これはものがあるのではなくて、道路にかかれた標識かなにかの白線がもりあがってみえているのではないか、とおもった。しかしそれにしても、おなじみちをなんどもとおっているのに、なぜ今日にかぎってそんなふうにみえたのか? といぶかりながらすすんでいると、だいぶちかくならないとわからなかったが、やはりなにか白いものが道のまんなかにころがっていて、じきに、ケースというか、バケツではなくてどちらかといえば四角いかたちだけれど、バケツ的な用途の道具だとわかった。みればそこの家の脇にもうひとつおなじようなものがあるので、おそらくゴミをいれたりするのにつかうのがつよい風によって飛ばされて道にころがりでたものらしいと判じられた(今日は水曜日で不燃ゴミなどの日なので、あたりの家のまえにはゴミをだすのにつかったらしい容器がだいたいどこにも置かれてあった)。うしろからきた車が器用に路肩に寄って、道の中央にあるそれをよけてとおっていくので、こちらがとおりすぎざまにひろいあげて当該の家のところにもどしておいた。そのころには雲がさきほどよりもおおくなって、陽がかげっており、そうするとそこそこすずしいというか、わりとすごしやすい空気の体感ではある。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時前退勤。この日はつかれたかんじもあったのであるかず、電車に乗って帰った。帰路の印象はとくだんにない。
  • 帰宅後、ベッドでやすみつつ(……)さんのブログ。最新。(……)さんのはなしがでてきたのでひさしぶりに(……)さんのブログを検索してみてみたのだが、さかのぼっていくらかよんでみると、いまの日本語作家でぜったいよむひとはいるかとひとにきかれたとき、その場ではいないとこたえたけれどかんがえてみれば(……)さんと友方=Hさんと間瀬さんの作品はあたらしいものがでればかならずよむ、とあったので、この友方=Hさんというひとは何者なのかと検索するとふつうにそのひとのホームページがでてきたのでメモしておいた。なんというかむかしながらのホームページというかんじで、BBSなんかも設置されてあって、こちらが中学生とかそのくらいのころのインターネットにはこういうホームページをつくって一次であれ二次であれ創作文を載せているひとがたくさんいたなあとなつかしくなってしまった。つまりWEB小説サイトだ。こちらがいますぐおもいだすのは『冷笑主義』という小説で、尊大不遜なキャラクターの吸血鬼が主人公の中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジーもので、この吸血鬼はもともと法王庁の戦士であり、だから吸血鬼など闇の勢力をたおす側でしかもそのなかでもトップクラスにつよいひとだったのだが、どういう経緯でかはわすれたがみずからが吸血鬼になってしまい、とうぜんバチカンと敵対してあちらからは刺客とかがくるのだけれど、やたらつよいから意に介さず、吸血鬼化したからおいそれと死ぬこともなくたぶん老化もせず、おもしろいこともあまりないからたわむれのようにしてたたかったり各地にでむいたりして無為な日々をすごしている、みたいな趣向だったはず。作中、インノケンティウス何世だかわからないがたぶんいちばん有名なインノケンティウスがでてきたりして、おそらくこちらはこの小説ではじめてインノケンティウスという法王の名をしった。この作品はいま検索すると、「小説家になろう」に載っているのがでてくる。さきの友方=Hというひとのホームページにはこれもむかしなつかしきリンク欄があり、中学生とうじのこちらはこういうリンクページをたどっていろいろWEB小説をのぞいていたわけだけれど(リンクバナーなんていうものもひとつの文化としてあった)、ここに間瀬純子というひとのホームページ(閉鎖済)も載っているので、たぶんこのひとがうえで名のでていた間瀬さんだろう。このひとは怪奇方面の作家らしい。
  • (……)さんのブログ記事には(……)さんの近況も載っており、なんでも銀座の懐石屋にうつってけっこうな地位についたというからすごい。やはり手に職がある人間はつよいというか、料理の腕一本あればどこでもやっていけるというのはすごいなとおもった。飯をつくる仕事の需要がない場所などまずないだろうし。その腕をみにつけるにはたいへんな習練が必要だっただろうし、(……)さんのばあい、わりとパワハラ的な職場環境だったらしいからそちらの点でもたいへんだっただろうが。
  • その後のことで印象深いこともとくにのこっていない。いくらか日記をかいて本を読んだくらいか。あと、出勤前だったかにBill Evans Trioをきいたのだけれど、"All of You (take 1)"のドラムソロをきくに、Motianってやっぱりずいぶん変だなあとおもった。このドラムソロなんて完全にヘタウマのたぐいで、リズム的にかなりファジーで前後にずれているところもおおいのだけれど、ところがそれでいてMotian自身のなかでながれがきちんと通っているのはあきらかときこえ、内的統一性もしくは一貫性が確保されている。ファジーであっても、それがミスにきこえたり、みちゆきがよどんだりはしていないということだ。そして、ソロがおわってバッキングにもどればファジーさはなくなって、きちんと刻まれる。バッキング時の装飾もけっこうほかにはないようなかたちがみられるのだけれど、リズム的にあいまいだったりということはとりたててないはず。まあバッキングでリズムがファジーだったらなかなか演奏なりたたないだろうが。しかし晩年のMotianはそれでやってしまっているようなところもある。六四年のTony Williamsなんかはけっこう流動的に加速減速していたとおもうが、そういうはなしともすこしちがう気がする。ともあれ、Paul Motianは六一年ですでにPaul Motianだというのがやはりおもしろい。