ヘラクレイトスとおなじ時代クセノファネスが、おなじ [﹅3] 、ひとつの [﹅4] ものについて語っていた。それはまず、ホメロスやヘシオドスにみとめられる、伝統的な神のイメージを批判することをつうじてである。「人間たちは神々が〔じぶんたちと同様に〕生まれたものであり、じぶんたちとおなじ、衣装と声と、すがたをもっていると思っている」(断片B十四)。だが、もし動物たちも人間のような手をもち、ひとびとがそうしているように、おのおのの神のすがたを絵に描い(end27)たとするならば、「馬たちは馬に似た神々のすがたを、牛たちは牛に似た神々のすがたを描き、それぞれ、じぶんたちのすがたとおなじようなからだをつくることだろう」(B十五)。じじつ「エチオピア人たちは、じぶんたちの神々が平たい鼻で、色が黒いと主張し、トラキア人たちは、じぶんたちの神々の目は青く、髪が赤いと主張している」(B十六)のだ。
神が存在するなら、それはただひとつの、おなじものでなければならないはずである。初期キリスト教の教父、アレクサンドリアのクレメンスが、その思考に言及していた(B二三)。コロポンのひと、クセノファネスは、神が一者であり、非物体的なものであることを説きつつ、こう主張している。
唯一なる神は、神々と人間どものうちでもっとも偉大であり、
そのすがたにおいても思考にあっても、死すべき者たちとすこしも似ていない。クセノファネスによれば、神は、「つねにおなじところにとどまって、すこしも動かない」(B二六)。この思考は、たしかにエレア学派のそれとつうじるものであるだろう。現在では、両者のあいだに直接の影響関係はみとめられていない。けれども古代以来の学統譜は一致して、パルメニデスをクセノファネスの弟子と位置づけているのである。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、27~28)
- この日は出勤まえに日記をしるすことをおこたり、深夜に前日分をしあげたのみにとどまったので、もう記憶がうすい昼間のことはかいつまんでしるす。天気は雨降りだった。起きたときからすでにそこそこの降りだったのではないか。新聞の朝刊からは、George Floydが殺されてから一年をむかえたが、アメリカの黒人差別はまだまだ根深い、というような記事をよんだ。その内容ももはやあまりおぼえていないが、警察改革にたいする賛否両論がある、みたいなはなしだったきがする。記事の脇に識者のコメントがふたりぶんあって、一方はふつうに賛成、一方は警察の予算をへらして治安維持力を低下させることで、かえって黒人にたいする犯罪が抑止できなくなる可能性もある、みたいなことをいっていたはず。Black Lives Matter運動にかんしては、白人のひとびともおおく参加したのが過去のムーヴメントと決定的にちがう点だ、という言もあった。しかし世論調査にもとづくかぎり、黒人のひとびとの状況がよくなったとこたえる人間のわりあいはすくないと。
- もうひとつはウクライナのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が、飛行機強制着陸および反体制派メディア創設者拘束の件で制裁的な対応をとったEUにたいし、断固反発している、という記事。人間としての常識や倫理を超えている、みたいなことを言ったらしく、ちょっとわらってしまった。ウクライナ側がそれをいうのかと。
- 出勤まえはだいたい書見。『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)。ベッドでよんでいると窓外でなにやらガンガン打音がしはじめて、なにをやっているのかわからなかったのだが、壁自体か、壁からかなりちかいところでなにかをたたいているようで、確認しなかったがたぶん父親が雨降りにもかかわらずやっていたとおもうのだけれど、クソうるせえなと少々不快になったが我慢した。いやがらせかとおもったくらいだ。興が削がれたというかその音のなかで書見をする気分でもなかったので、いちど立ってトイレにいったところ、音はなくなり、上階で母親が父親になにかはなしかけているようすでもあったのでなかにはいったのだろうが、しかしそとにでる気配もなかにはいるときの気配も感知されなかったのだが。だれかほかのひとがやっていたのかともおもったが、まさかそんな人間もいないだろうし。それにしてもなにを、またなぜ、たたいていたのかわからない。なにかの器具をとりつけるかつくるかしていたのだろうか? だとして、なぜわざわざ雨が降っているなかでやったのか?
- それで書見のつづき。あと、どこかのタイミングで、というか読書にきりをつけたときだろうが、瞑想をした。けっこうながくできた記憶。たしか二時半くらいだったはずだ。三〇分はいかないくらいすわっていた。やはり基本、なにもしないという不動性がポイントだなとおもった。ようはとりあえずじっとすわっていればいいというだけで、あとはだいたいなんでもよい。あまり頻繁にうごくのはまずいがたまに姿勢をなおしたり顔をかいたりするくらいならよいだろうし、精神面にかんしてはどんな思考がうまれようがものをかんがえなかろうが、現在にとどまれず記憶のなかにあそぼうが周囲の知覚源に意識がむこうが、それらすべてなんでもよい。それでただじっとしているだけ。そうすると心身が勝手に調律される。
- 出勤まえにちいさな豆腐をひとつだけ、あたためてたべた。けっこうな雨降りなので母親がおくっていこうかといってくれるので、甘えることに。じつのところこちらもたのもうかとおもっていた。電車でいくと少々時間が足りないし、徒歩でいくにもわずらわしいくらいの降りだったので。このくらいの雨のなかをあるいていくというのも、それはそれでよいだろうなともおもったが。それで三時半にと依頼し、身支度をすませたあと「英語」をすこしだけ音読。時間ギリギリまで。今日は気温がひくめで、たぶんきのうから一気に一〇度くらいおちていたとおもうのだけれど、それなのでジャケットも着た。
- セロテープがきれたので、おくっていくついでに駅前の「(……)」で買ってほしいとのことだった。それできれたセロテープの芯をジャケットの左ポケットにいれて出発。傘をさして道にでて、すこし横に移動し、路肩で母親が車をだすのをまつ。助手席へ。はいるさいにやや濡れながら。それで走行。車内ではラジオがかかっており、FMヨコハマだったとおもうのだが、土砂降りでもかまわないから、ずぶ濡れでもかまわないから、みたいな歌詞のサビをもったポップスがながれていて、メジャーどころのJ-POPにやや寄る瞬間もかんじられつつも、全体にむかしのシティポップをおもいださせるような雰囲気でわるくなく、伊藤銀次の"こぬか雨"を想起したのだがその曲ではないし、そもそもこの曲は(……)くんが紹介してちょっとながしたのをいちどだけ耳にしたのみなので、よくもおぼえていない。メロディにはききおぼえがあって、なんか有名な曲なのかなとおもいつつも、なんかさいきんの若いひとがやってる日本のバンドって洒落たかんじのやつがおおいからそのへんのグループなのかな、ともおもったが、かえってからおぼろげな歌詞の記憶をたよりに検索してみると、この曲は大江千里の"Rain"というやつだったよう。槇原なんといったか、あのヤクをやってたひととか、秦基博がカバーしているらしく、このときながれていたのはたぶん秦基博だったのではないか。秦基博はたしかひとつまえのNHKの連続テレビ小説の主題歌をうたっていたのもこのひとだったとおもうが、メジャーシーンのJ-POPのなかではそんなにわるくないほうなんではないかというきがする。ほかに、(……)が高校生のころにうたっていたくらいの印象と記憶しかないが。秦基博の"Rain"は新海誠の『言の葉の庭』につかわれたらしい。こちらは新海誠のアニメーション作品をひとつもみたことがないが、それでどこかでふれたのかもしれない。
- 駅前について礼をいっておろしてもらい、傘をひらき、すぐめのまえまでのみじかい距離の雨をふせぎ、軒下で水気をとばす。傘立てに傘をいれて、設置されてあったアルコール液で手を消毒。こんなまちで文房具屋なんかやっていてどうやって生きているのかまるでわからないのだが、じっさい店にはむろんほかに客はない。たぶん学校におろしたりして利益をえているのだとおもうが、それにしても食っていけるとはおもえないのだが。レジカウンターのむこうにいる店員はわりと若めにみえる女性で、むかしのおぼつかない記憶だとおじいさんがたっていたおぼえがあるのだが、娘なのかそれともアルバイトのひとなのか。セロテープをちょっとさがして棚をみやりながらすすむが、みあたらないのできいたほうがはやいとおもってレジのそばまできたときにあいさつをかけ、セロテープを、とつげると、場所にあんないしてくれた。ポケットから芯をだして、おなじおおきさの品をふたつ選択。そうしてカウンターで会計。四四〇円。袋はいいですよといって礼をつげ、買ったものは左ポケットに芯といっしょにいれて退店。この日はバッグをもたず手ぶらできたのだが、左ポケットだけ重くなり、重心的にやや不格好になった。それで職場へむかう。
- 勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)こちらは意外とけっこうよく、というかすぐ笑うタイプなのだ。愛想笑い、といえばそうなのかもしれないけれど、べつに意識したり無理してそうやっているわけではなく、職場にいたり他人とはなしたりしているときは自然とそうなる。べつに技術とか意図とかなく、ただへらへらしているだけだし、場をあたたかくしようとかなごませようとかとくにおもっていないのだけれど、まさかこの俺が、そこにいるだけで空気をほがらかにするような人種になるとはなあ、と我ながらちょっと感慨深い。成長したものだ。大学をでるあたりまでは社交性がほぼなかったのだが。
- そのあとのことはさほど印象深い物事はない。帰路の記憶もほぼなく、あるいている途中で、こうして労働のあとにしずかな夜道をひとりでゆっくりあるいている時間こそが、もっとも自由と安息をかんじる時間なのかもしれない、とまたおもったくらい。深夜、なぜかVan Halen『1984』をきく。いまは亡きEdward Van Halenはロックギターのスタイルとしては確実にひとつの画期を築いたとおもうし、それはライトハンドのみによるものではなく、かなり切れの良いディストーションのトーンにしても、リフなどのこまかく鋭い高速の装飾にしてもそうだとおもうのだけれど、いかんせん曲は弱い。David Lee Rothはいかにも暑苦しいタイプだし、メロディアスな旋律を歌うというタイプではないので、ギターは格好良いのだけれど曲としてはキャッチーな魅力に欠ける、ということはままあるとおもう。Sammy Hagar期になると、彼も彼でボーカルとしては暑苦しいタイプだが、そのメロディ性がカバーされて、けっこうポップな色にかたむく。『1984』は、"Jump"なんか、Lee RothのいるVan Halenとしてそういうポップなことをやってみようとした、というこころみだとおもうけれど、高校のときみずからバンドでカバーしておいてなんだが、いまきいてみるとわりとダサい気もするし、"Panama"にしても冒頭のリフとかバッキングとかは気持ちが良いし均整もとれていてさすがだなとおもうのだけれど、曲としては、サビなんてパーナマ、をくりかえすだけだし、メロディを志向していないことはあきらか。しかし、"Jump"はたしか全米一位になっていたとおもうが、これが大ヒットする八〇年代アメリカとは……? という疑問をおぼえないでもない。けなしていうのではなく、いったいどういう社会だったのか? というのが単純にわからない、という。こんなにメロディなくて、ジャンプ! とかパーナマ、をくりかえしているだけでひろく売れるの? という。むしろそういう標語的なワンフレーズの反復のほうがつよいのか?