世界をめぐる経験はさまざまな文体によって語りだされ、経験にかかわる思考は多様な表現によって紡ぎだされる。ヘラクレイトスはたとえば、神託ふうの箴言で世界に現前するロゴスをかたどっていた。箴言、つまりアフォリズムはアポ・ホリスモスに由来し、ホリスモスとは限界を設定することである。箴言という形式はもともと、世界を原初的に切りわけることで、そのロゴスをあらわにする、すぐれて哲学的な文体であったといってよい。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、30)
- 正午ちかくになって起床。天気はくもりだが、それほど暗くはなかったはず。気温もわりと高いようではあった。水場へ。洗顔やうがいや用足し。髪の毛がながくなってきたので、ぐしゃぐしゃである。あがると母親は仕事にでるところ。洗面所にはいってあたまに水と整髪スプレーをふりかけ、櫛つきのドライヤーでてきとうにおちつかせる。それから食事。天麩羅ののこりだったか? そうではない、ハムエッグを焼いたのだった。それを米にのせ、汁物としてはきのうのスンドゥブのあまり。卓へ。母親がつけっぱなしにしていったテレビを消し、新聞をみながら食べるが、すぐに食べ終えてしまったので記事の内実はほとんどよめず。米国がエジプトと会談し、パレスチナへの支援を表明というはなしがあった。ガザには五五〇万ドル(六億円)を支援、国連パレスチナ難民救済事業機関には三三〇〇万ドル(三六億円)、というあたりまでしかこのときはよまなかった。その後夕食時につづきをよんだが、米国は二六日だったかにすでに2億五五〇〇万ドルだから二六〇億円ほどをガザの復興にたいして援助すると発表していたらしく、それに上乗せしたかたちだという。米国としてはパレスチナ自治政府の主流派というかいまや主流派ではなくなっているのではないかという気もするが、いちおう非戦派であるはずのファタハに支援をおこない、ハマスの影響力をそぎたいという目論見があるようなのだけれど、マハムード・アッバス議長は五月に予定されていた選挙も延期して求心力の低下がはなはだしいということだし、ガザ地区はかんぜんにハマスが実効支配して住民らもだいたいそちらを支持しているようなので、そううまくはいかないだろう。これは夕刊だったとおもうが、国連が今回の紛争を調査するためイスラエルとガザにはいるというはなしもあった。国連人権理事会だったかで決定され、イスラームの国々を代表して提案したのはパキスタンだという。ハマスの無差別なロケット弾攻撃はかんぜんに国際人道法・人権法違反だが、イスラエルの空爆も戦争犯罪に該当するおそれがあるとのこと。ネタニヤフはとうぜん反発。パレスチナ自治政府はむろん歓迎。
- 食後、洗い物を始末し、風呂もあらうと緑茶をつくって帰還。そして下。
- いま一時二〇分。緑茶をのみおえたあと、一年前の日記をよんでいる。いままで日記のよみかえしおよびブログの検閲をするときは、ブログの編集ページでよみかえしながらやっていたのだけれど、かんがえてみればEvernoteにあってまだNotionに移行していない日記記事をうつしていく必要もあるわけで、だからEvernoteページにおいてよみかえしながらあらためて検閲ポイントにチェックをつけていき、それにもとづいてブログを修正するとともによみおえた記事はまるごとコピーしてNotionにうつしておく、というやりかたがよいだろうとおもった。
- いま二時半すぎ。この一年前の五月二八日は(……)さんと通話しており、そのはなしもながいし、そのほかにもいろいろ引用をしていてやたらながく、ぜんぶ読んだわけでないがよみかえすのも検閲をほどこすのもたいへんで、おまえいい加減にしろよマジでとおもった。たぶん、引用もあわせると全体で五万字くらいいっているのではないか? とはいえ、けっこうおもしろいはなしもある。まとめて下に。
ほか、"A Case of You"について。Diana Krallが『Live In Paris』の一一曲目でJoni Mitchellの"A Case of You"を歌っているのだが、そのなかの"I could drink a case of you"という一節が風呂場で脳内にリフレインされ、そこで初めてこの曲の歌詞を意識するに至り、なるほどこの歌は相手を酒か何かに喩えた曲だったんだなといまさら気づいたのだ。で、あなたならばケースいっぱいの量でも飲み干すことができるというわけだけれど、この表現ってなんか、意外と珍しくね? と思った。恋人を酒に喩える比喩はもちろんひどくありふれたもので、恋情の陶酔をアルコールによる酩酊と重ね合わせて捉える思考は一般的修辞法としてこの世に広く流通していると思うが、「あなたに酔ってしまう」ではなくて、「あなたを飲んでしまう」という具体的な行為のレベルにまで入っていく言い方はあまり見かけないような気がしたのだ。まあたぶんこちらが知らないだけでたくさんあるのだとは思うけれど、それでも何となく、「飲む」よりも「食べる」のほうがよく見られるようなイメージを持っている。去年だったか一昨年だったか『きみの膵臓を食べたい』とかいう小説がよく売れていたようで、読んでいないからもちろんわからないが、それもたぶんこの系列に属する物語なのではないか。いずれにしても、言うまでもなくこの修辞においては「愛」の究極形態を表現する一手法としての「取り込み - 合一」のテーマが志向されているわけだけれど、"I could drink a case of you"にあってはそれが双方向的な合一 - 融合と言うよりは、取りこみ/取りこまれる関係として描かれている点がちょっと気にならないでもない。もともとJoni Mitchellが作った曲なので、一応この曲の"I"を女性と仮定して捉え、なおかつ相手は男性として、ひとまず異性愛の関係を想定したいのだが、そうするとここには女性の主体性に基づいた能動的行為によって相手の男性を自らのうちに飲みこみ、消化し、同一化してしまうという、ある種の大きくて強い(と言って良いのかわからないものの)女性像、女性としての優位性が表明されているとも言えるような気がしており、例えばそこでは交尾の最中に雌が雄を食べてしまうというカマキリのイメージなども容易に召喚されて接続されうるだろう。そのように捉えられるとすれば、Joni Mitchellがこの曲を作りまた発表したのが何年なのか知らないけれど、たぶん七〇年代かなという気がするので、やっぱりこれは例えば公民権運動やいわゆるアイデンティティ・ポリティクスの類を、いまだ通過はしていないにしても、少なくともその勃興に接しまたその渦中にある時代の音楽ということなのかなあとか思ったわけだ。ただ以上思ったことはあくまで"I could drink a case of you"の一フレーズのみから考えたことなので、曲全体の歌詞を読むとこういう捉え方が成り立たなくなる可能性はもちろんある。
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コロナウイルス関連では、これは実際に話されたのはもっと後半のことだったと思うが、(……)さんとしては台湾や韓国の処置を無批判に称賛する向きが思いのほかに多いのが気にかかったとのことだった。この二国は今次の騒動においてたしかにわりと迅速な対応に成功したようなのだけれど、(……)さんによればそれは主には監視技術などを駆使した情報管理路線の方策だったらしく、しかし日本のインターネットなどを見ているといわゆるリベラルを標榜している人であっても、そのような権力に対する権利の明け渡しをやや無批判に肯定している声が多く観察されて、(……)さんはその点に懸念と危機感を覚えたと言う。たしかに、私権が制限されるとしてもそれはあくまで緊急事態における一時的な措置だという点は留保されるべき要素だし、また当該国の政府が例えば中国共産党のようにあからさまに強権的ではなく、一定程度「信用できる」という捉え方も可能で、実際彼の国の人々からは、我々は我が国の政府を信用している、市民的権利を一時的に譲渡したとしても彼らがそれを悪用しないということを信じている、というような主張も聞かれたようだ。さらに同時に、もちろん人命が掛かっている問題でもあるので、権利と命とどちらを取るのかと迫られればなかなかクリティカルな反論はしづらく、ほとんど沈黙するほかはない。だがそれらの点をすべて考慮するとしても、緊急時であるとは言っても警戒と吟味とを不在のままにトップダウン的な自由や権利の制限を手放しで称賛するというのはやはりどうなのか、と(……)さんは違和感を述べた。例えば欧米諸国でもいわゆる「ロックダウン」の措置が取られているわけだけれど、ドイツではアンゲラ・メルケル首相がその決定を下す際に、自分はほかならぬ東ドイツ出身だから、自由や権利というものが制限されるということがどういうことを意味するのか、それをよく理解している、だがそれでもなお、現在はそうした措置を断行しなければならない事態なのだという明晰なスピーチを国民に対して行ったらしく、そのように言われればまだしも納得できると言うか、あ、これは仕方がないなという気持ちにもなる、と(……)さんが話すのに、それは何かすごくメルケルっぽいですね、「欧州の良心」っていう感じがすごくありますねとこちらは受けた。そのような、国民と他国家に対するまさしく「丁寧な説明」、正しくこまやかな配慮の手続きがあるならまだ理解し、容認することができるというのは正当な視点だと思われ、ヨーロッパの政治家のうちで良識を具えた方面の人々がやはり優れているように思うのは、このように基本的ではあっても大事な点で行動を怠らず、自分たちはこの欧州という世界がいままで守ってきた伝統的な価値や理念というものをこれからもできる限り守り続けていくつもりだ、ということを折に触れて明確に宣言するからではないだろうか。そうした振舞いを見る限り、彼らは「リベラル」と言うよりも、むしろ言葉の正しい意味での「保守」を実行しているのでは? とすらこちらは思うけれど、このような国民と他国家に対する「丁寧な説明」がきちんと実践されているかどうかで例えばヘイトクライムの発生を防げるかどうか、少なくともそれを減らせるかどうかという点に確実に影響があるということを考えると、政治家という役職を務めるにあたってはやはり、大きな問題に対して大きな決定を下す際の判断力というものももちろん大事だが、具体的な個々の場面でどのような言葉と振舞いを示すかという観点からして洗練された繊細さがそれに劣らず重要になってくるものだなあと思う。それはむろん、政治家に限ったことではない。政治家という職業においてはとりわけその重要性が高いとしても、これはそれ以外の人間すべてに通ずる話だとこちらは考えており、巨大なシステムや構造に対する透徹した視線とともに、そのような構造のなかで発生する各瞬間においてどのような言動を実行するか、そのきわめて微細な一つの言葉と一つの身振りに人間が現れ、そこにおいてこそ人間が問われると思うのだけれど、ドナルド・トランプを筆頭に挙げるとして、例えばロドリゴ・ドゥテルテ、ジャイール・ボルソナーロ、オルバーン・ヴィクトル、安倍晋三といった人々がその生においてこのような主題について反省的な思考を巡らせたことがほとんどないのは明白ではないだろうか。習近平はと言えば、こうしたことに当然気づいていながらも、それを狡猾に、あまり良くない方向に濫用しているような印象を受ける。
話を戻すと、例えばメルケルのようなアピールがきちんと介在するのだったら私権制限的な強硬措置もまだしも受け入れることができるだろうが、原理論としてそれを留保なく受容し、甚大な規模ではあるとしてもたった一つの事件を機にいままで受け継がれてきた理念を嬉々としてなげうってしまう、そういう姿勢が一部界隈で思いのほかに多く見られたという印象を受けて、(……)さんは危機感を抱いたということだ。台湾や韓国におけるコロナウイルス対策の実態についてはこちらは何の情報も得ていないのだけれど、それが(……)さんの述べる通り、テクノロジーを活用しながら国民を広く監視し、それでもって市民生活を制限するといういくらか圧迫的なやり方だったとすると、それはもちろん、大きな部分では中国に回収されてしまうわけですよねとこちらは応じた。つまりこの現代世界には、中華人民共和国にまざまざと具現化されているような技術独裁主義と言うか、テクノロジーと結合した強権体制と、それに対して欧米に代表される……まあ……古き良き(というこの言葉を口にしたとき、(……)さんも同じ語を発しかけて、まったく同じこと言おうとしてたわ、と笑った)……民主主義の理念を守っていこうという国々がある、もちろん例えばドナルド・トランプのような人間はいるし、またこの「古き良き民主主義」自体、色々と問題があっていくつもの点で欺瞞的なものだったとしても、それでも一応その価値を守っていこうという国々、そういう対立がどうしてもあるわけですよね、そのなかで韓国や台湾の措置を無条件的に支持するというのは、結局、中国路線に正当性を与えてしまうことになるじゃないですか、そうすると何でしたっけ、あのニック・ランドとかが好きな、いわゆる中華未来主義、あれになってしまいますよねと述べると(……)さんも、そうそう、そうやねん、そっちの方向に行っちゃうよねと同意を返した。
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話を少し戻して、(……)さんが言っていた比喩を重ね合わせていくと最終的には機械になっていくというイメージに触れると、これについてこちらはまだあまり実感的に理解できていないのだが、次のようなことなのだろうかとひとまず考えた。ある記述とある記述が表面的な外観としては異なっていても、意味合いとしてはテーマ的に通じるということはもちろんいくらでもある。ただそれらの個々の記述は、具体的な記述として違いがある以上、比喩的意味としても完全に同一の状態には還元されないはずである。つまり、当然の話だが個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで、その比喩もしくは意味の形は完璧に一致するということはない。とすれば、それらを織り重ねていくと、そこには明確な形態には分類されえない不定形の星雲図のようなものがだんだんと形成されていくはずではないか。アメーバのようなイメージで捉えてもいるのだけれど、この織り重ねは単に平面的な領域の広がりには終わらず立体方向に展開していくものでもあると思われ、すなわちそこには複数の層が生じることになる。そのような平面 - 水平方向と立体 - 垂直方向の二領域において、個々の要素であり部品である具体的な記述が対応させられ結びつけられていくことによって、いつしか得体の知れない特異な構造の機械にも似た建造物が姿を現すに至る、とたぶんそんな感じなのではないか。これを言い換えれば(……)さんは意味の迷宮を建築しているということであり、すると続けて思い当たるのは当然、彼の文体自体が「迷宮的」と称されることで――そもそも『亜人』とか『囀りとつまずき』などの文体を「迷宮的」という形容で最初に言い表したのは、たしかほかでもないこちらではなかったかという気がするのだが――つまり彼は表層に現出しているそれ自体迷宮的な文体のなかにさらに複雑怪奇な経路を張りめぐらせることでより一層迷宮的な意味の建造物を構築しているということになるわけで、とすれば三宅誰男という作家の一特性として〈建築家〉であるということがもしかしたら言えるのかもしれないが、ただ重要なのはおそらくこの建築物が、例えば序列とかヒエラルキーとかいったわかりやすい系列構造を持っているのではなくて、(迷宮であるからには当然のことだけれど)まさしく奇怪な機械としての不定形の容貌に収まるという点、少なくともそれが目指されているという点だろうと思われ、それは現実の建造物としては例えばフランスの郵便配達夫シュヴァルが拵えた宮殿のような、シュールレアリスム的と言っても良いような形態を成しているのではないだろうか。とは言えそれはおそらく充分に正確なイメージではなく、と言うのはシュヴァルの宮殿は外観からしてたぶんわりと変な感じなのだろうと思うのだけれど、(……)さんの小説はけっこう普通に物語としても読めるようになっているからである。まあ文体的に取っつきにくいということはあるかもしれないが、表面上、物語としての結構はきちんと確保されている。だから(……)さんの作品を建築物に喩えるとすれば、外から見ると比較的普通と言うか、単純に格好良く壮麗でそんなに突飛なものには見えないのだけれど、いざなかに入ってみると実は機械的な迷宮のようになっていると、そういうことになるのではないか。で、この迷宮にはおそらく入口と出口が、すなわち始まりと終わりがない。もしくは、それはどこにでもある。どこからでも入れるしどこからでも出られるということで、なおかつその迷宮内部は常に機械的に駆動し続けており、人がそのなかに入るたびに前回と比べて様相や経路が変異しているみたいな、実際にそれが実現されているのかどうかはわからないが企図としてはそういうものが目指されているのではないか。そして人が迷宮に入ったときに取るべきふさわしい振舞いというのは、言うまでもなくそのなかをたださまようということである。『亜人』冒頭の言葉を借りれば、この迷宮には「こぞってこちらのあとをつけるうすぎたない追いはぎども」(9)が至るところに潜んでいるわけだが、そこに足を踏み入れた者はこの盗賊たちに襲われてひとつところに囚われてしまうのを避けるため、彼らの追跡から逃げ惑いつづけなければならない。
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古井由吉が書いた最初期の作としては「先導獣の話」というのが一つあり、これはたしか同人時代のものだということだったが、それはもうその時点でまんまムージルだと(……)さんは評した。この点は過去にも何度か聞いてきたことでこちらもさっさとこの篇を読みたいのだけれど、それを受けて至極適当に見取り図を考えてみたところでは、古井由吉の発展段階としてまず最初にムージルがある。次に一応は物語に従事してみるというフェイズがあり、そこでは民俗学的な知見なども取り入れているのでそれは言わば神話的な試みと言うか、神話のような方向にひらいていくという取り組みを一時試みていたのではないかと思ったのだが、そのあと八〇年代後半か九〇年代あたりから、自ら神話的物語をこしらえるのではなくて過去の説話・民話・神話といった文化の古層的なテクストを引用し、それを素材や媒介としながら言葉を招き寄せて書き継ぎ書き継ぎするやり方を始めたと、そんな風に変容していったのではないか。まああまり実に即した整理ではないけれど思いつきでそういうことを述べたのだが、古いテクストを引用するというのは二〇一〇年以降の近頃の作品でもよくやっていたと思う。ただ、そのままの引用と言うよりはパラフレーズして文脈を拡張するみたいなやり方だった気がするので、「引用」という語は事態をあまり正確に言い表してはいないかもしれないけれど、上の整理を述べたときにこちらの念頭にあったのは、現代日本語文学の最高峰として名高い例の『仮往生伝試文』のことだったのだ。この作品をこちらはまだ読んでいないのだけれど、聞きかじりによるとあれはまさしく往生伝を色々と引用して、それを足がかりに発展させて書いたものなんでしょう? と訊いたところが、(……)さんもまだ読んだことがないらしい。この小説についてはもちろんさまざまなところでやたらやばいやばいと言われているのだが、こちらが覚えているのはまだ文学に触れはじめてまもない頃に読んだ高橋源一郎と柴田元幸の対談本のなかで、たぶん高橋のほうだったはずだが古井さんは『仮往生伝試文』で一度天上に、雲の彼方に行ってしまったと思っていたら、そのあとそこから地上に戻ってきたんですよね、みたいな評し方をしていたことで、だからおそらくこれを一つの境にして、『白髪の唄』のような言わば私小説換骨奪胎路線に入っていったということなのではないか。それに当たっては、当時は首のほうだか目のほうの時期だか忘れたが(たぶん首か?)、身体を壊して病院に入ったのも結構大きかったみたいやねと(……)さんは言った。古井当人がそんなことを言っているのに触れた覚えがあるらしいのだが、そこに加えてやっぱり、空襲の記憶というものが絡んでくるんでしょうかね、とこちらは応じた。肉体の危機に触発されて幼時の切迫した危機の記憶が呼び寄せられて蘇ってくる、とそんなことがもしかするとあったのだろうか。
先の対談では古井由吉の作術についても多少言及されており、例えばある人が他人を殺したのか殺していないのか、最終的に作品として形になった文章ではよくわからない風に書かれているのだけれど、そういうとき古井自身は殺したほうの路線と殺さなかったほうの路線と両方を想定して書いていくらしく、ところが進めていくうちに結局はそのどちらも取らない方向に行ってしまうのだみたいなことを語っており、そのあたりを読んで古井由吉の書き方ってこういう感じなんだな、というのがわりとよく理解できたと(……)さんは話した。つまり、作品を、言語を統御しようと、できるかぎりコントロールして構築しようと、一応はそれを目論みながら書き進めていくのだけれど、肝心なところでは作品そのものあるいは言語の発揮する論理に従い身をゆだねて導かれると、そういう感じなんだなという具合で理解したのだと思う。古井の文章というのは大概誰でも感じるはずだと思うけれどとても端正に切り詰まっていて、日本語の使い手としてはほぼ類例を見られないほどに整っているわけである。一日に書いてせいぜい三枚だったという話だし、推敲もめちゃくちゃに重ねてことさらに文章を削ぎ落とし切り詰めていくということもどこかで語っていた覚えがあるのだが、しかしもしかするとそういう言葉の道筋の精緻な整地というのは、むしろそれを突き詰めていった先で破綻を招き入れるために、ほとんど行き詰まりに至ったところではじめて出現する破れ目を呼び寄せるために導入された方法論なのではないか、とそんなことも想像される。それと同時に「招魂」などという言葉も想起されるもので、「招魂」というのは古井がときどき使っていた語で八〇年代あたりに二回ほどエッセイ集のタイトルにも用いていたと思うのだが、そこで差し招かれる「魂」というのはあるいは、ここで言うところの作品や言語固有の論理として人間主体の意識を超出していく破綻と結びつけて考えることもできるのではないか。そして、破れ目とは何かと何かのあいだに生じるもの、もしくはそれを生み出すものであるわけだから、したがってそれは換言すれば〈あわい〉である。
ところで、古井由吉と松浦寿輝が交わした往復書簡をまとめた著作は『色と空のあわいで』と題されている。(……)さんとの会話ではこの本のことも話題に出て、こちらがこれを読んだのももう相当に昔だが、このなかで古井が「空を切る」という言い方をしていた、と彼に報告したのだった。「空を切る」身振り、そしてそのあとに残る空隙のようなものこそが作家の腕の見せどころじゃないか、みたいなことをたしかこの本に付属していた対談のなかで古井は語っており、それに対して松浦寿輝が、愚かな質問ですがとか言って似非蓮實重彦風に断りながらも、それじゃあいままでの作品のなかでその「空を切る」身振りに一番成功したのはどれですかと訊いたのに、それは『山躁賦』ですねと古井は即座に断言していた。そういう記憶を思い出して話したのだけれど、だから『山躁賦』も彼にとってわりとターニング・ポイント的な作品だったのではないか。しかしこちらは魯鈍なことにこの小説もまだ読めていない。入手してはあるのだけれど。『色と空のあわいで』は(……)さんも長年探しているのだが古本屋で見かけたことも全然ないと言う。こちらがこの本を図書館で借りて読んだのは読み書きを始めてまだ一年半しか経っていない二〇一四年九月の時点である。したがって、記録を見返してみてもわずか三箇所しか書抜きをしていないのだが、いま読み返せばこの本もきっととても面白いだろうと思う。その三箇所をすべて下に引いておく。
松浦 さっき言語が主で私が従というお話を伺ったんですが、ひょっとしたら「私」そのものも言語でできているものなのかもしれないという考え方はどうでしょうか。「私」がまずあってそれを言語で表現するっていうのが普通、人が言葉の表現というものを考えるうえでの自然な成り行きですが、ひょっとしたら、「私」というもの自体、芯の芯まで言語に侵されており、ひょっとしたら言語そのものが「私」なのではないのか、ということを実は古井さんの私小説的な作品を読ませていただいているときでも感じることがあるんです。つまり物質としての言葉を一つ一つ彫り込むようにして書いていらっしゃる現場では、言葉のこぶこぶそのものが一種、古井さんの存在そのものになってしまっているんじゃないのかなあという。
古井 言語を先行させたとさっき言いましたけど、もう少し厳密にいうと言語上の私的な体験を言語上でない私の体験よりも先行させたということなんです。そうしてきた人間はどうしても考えますね、このこぶの中に自分の存在があるんじゃないか、ひょっとすると自分ばかりじゃなくて親の存在まであるんじゃないかとまで。とにかく信念としてはそうしてやってきました。しかしあなたもよくお書きになってるように、言語というのは一つの表現の完成に差しかかると復讐のごとく欺瞞をやる。この体験の繰り返しです。言語に関しては表現そのものが表現ではないんじゃないか、表現したときにこぼれ落ちるものがしょせん表現じゃないか。絞りに絞って空を切るときの一つの勢いとか運動、それにかけるよりほかないんだね。ところが空を切るときの力動を出すにはかなりきっしり詰めていかなきゃならない。詰めるだけで力尽きた小説もありましてね。僕の場合、それが大半じゃないかと思うんだけど。空を切る動きまで見せてないんじゃないかと。
松浦 ミーハー的な興味でお伺いすると、空を切る運動がいちばん鮮やかに定着できたとご自分で思っていらっしゃるのは……。
古井 『山躁賦』ですね。あのときはむちゃくちゃに振り回したんだね。振り回しただけでもけっこう迫力は出たと思いますけど。それでも肝心なところで見事に空を切ったという自負はあります。その後あれほどうまく行かないんですよね。ずいぶん辛抱してきて、ようやくこの前の『仮往生伝試文』とか『楽天記』に至ってどうにかまた。私小説的なものに傾くというのは、私小説的なレアリティに仮に沿って自分を苦しめて、文章も苦しめる。だけどあの行き方はしょせん私小説としても節目ごとに空を切るわけです。きわめて穏やかにね。だけど随分しなやかに空を切るとこまで行ったかなという気はします。
松浦 『槿』はいかがですか。
古井 『槿』は、まあ一応小説らしい結構を備えた小説への、今後やるかどうかわからないけど、今のところでは最後のご奉公になってると思います。まずいなあ、こういうこと言っちゃ(笑)。
松浦 こういう機会ですから。
古井 それ以後は、私小説的な形へ行ってるでしょう。私にとっては、私小説的な形へ行くのはむしろ小説の解体なんです。
松浦 よくわかります。
古井 もう一度、小説という厚みも影も味もあるレアリティから離れて、あからさまな言語の矛盾につきたいという。その欲求から私小説的な形をあえてとっている。すると、すぐ追い詰められるんですよ。
(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』講談社、2007年、82~84; 「「私」と「言語」の間で」; 「ルプレザンタシオン」1992年春をもとに改稿、『小説家の帰還 古井由吉対談集』に収録)*
古井 ホーフマンスタールの詩でしたか、人生のことどもがいかにはかなく取りとめないかということをうたってきて、最後にそれでも「夜」という言葉を口にすれば、そのひとことから深い思いと哀しみが滴る、あたかも洞[うつ]ろな蜂房から蜜が滴るようにと……散文的に説明すれば、要するに現実の厚みがおのずと集まってくる。それと同じように、日本文学には「体験」というひとことがあったんですよね。これは時代によってさまざまだから、たとえば漱石の場合、葛西善蔵の場合それから太宰の場合、それぞれ違うと思うんだけど、それぞれなりに「体験」という一言[いちごん]の詩の下に何かが凝縮する。ところが言語が解体したばかりじゃない。体験というものを分析的に見る習性がいつからかついたんですよ。体験というのはひとまず擬似的なもんだというぐらいに思わないと人間横着になる、と。
ところがまた体験というものを擬似的な、あるいは更に後の認識の試みを許すものだというふうにとると、小説はとても成り立ち難いんです。小説というのは現在今を書いてもそれがあたかも過去であるかのごとく書かなきゃいけない。現在形を使っても単純過去じゃなきゃいけないんですよ。例えば小説に厚みを加えるには、どこで誰が何をしたとか、何を考えたとか、そういうこともさることながら、その時に空はどうだったか、どんな風が吹いていたとか、どんな音が立ったとか……つまり小説に厚みを加えるのに一番いいのはお天気のことです。だけど、お天気のことを本当に現在今のこととしてとらえようとしたら表現は果てしなくなるわけですよね。雨と一言でも言えないし、晴れと一言でも言えない。まして小春日和とか、それから寒の入りの珍しくあったかい日なんて、これは全部、じつは単純過去なんですよ。大勢の人間たちの見てきた過去なんです。これを私、「生前の目」って言うんですけどね(笑)。生きながらの生前。この過去、死者たちの民主主義ですか……無数の死者たちの生前の目、あるいは無数の死者たちのことを思うときに生者も分かち持つ生前の目、これが小説の現在だと思うんです。それできちんと振る舞えるかどうかの問題です。振る舞えれば苦労はないんです。
現在を過去の精神でとらえないときに現在とは何かという問いが露呈してしまうわけです。そのときに言語は解体せざるを得ないんです。しかし解体のぞろっぺえも嫌でしょう。どこで解体そのものをつかめるかと考える。そのときに、現在を過去の精神でとらえていく私小説が僕にはいちばん面白かった。なるほどすぐれた私小説というものは、現在を過去の目で見るという限定の中で、安定した深みのある表現をつくり出して、それが魅力ではあるんだけど、だんだん年をかけて読んでいくと、破綻の部分にいちばん魅力がある。
松浦 つまり作家がやろうとして失敗したことという……。
古井 これはもう文章に、もろに出てくるんです。現在を過去の目で見ると文章が安定する。過不足のないような文章が続くわけです。これはなかなか深みと現実感、いわゆるレアリティを与えるのだけど、すぐれた私小説は時として訳のわからない一行がはさまる。僕はむしろこれに惹かれました。訳のわからない一行を出すためにこういうことを書いてるんじゃないかと。
(86~88)*
古井 今どき文学上のレアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上での説得のポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った「俗」がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学の文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするかの問題でね。
(98)*
あとは『亜人』について。最近こちらがシェイクスピアをたくさん読んだという話から、(……)さんもシェイクスピアは過去に色々と読んで、そのなかでも『ジョン王』だったかのマイナーな歴史劇のなかに「私生児」というキャラクターがいたのを覚えており、作品自体は大したことはなかったけれどその人物がやたら生き生きとした躍動的なイメージをもたらしたのが印象に残っているということが語られたのだが、それでこちらが『亜人』の「私生児」の元ネタってそれだったんですねと訊いたところ、え、『亜人』に「私生児」なんてやつ出てきたっけ? という反応が返った。いませんでしたっけ? 迷宮探索の一行のなかに、なんかナイフ使うやつがいましたよねとか何とかこちらが説明して、それで(……)さんも一転、あ、そう、そうやねん、そうだった、あいつシェイクスピアから取ったんだったと言い、こちらはその逆転ぶりに、いやなんで自分で書いた作品の元ネタ忘れてるんですか、いまのいままで完全に忘れてましたよねとかなり笑ったのだが、しかし後日(……)さんのブログを覗いたところ、『亜人』に登場したのは「私生児」ではなくて「混血児」だったという驚愕の事実が記されており、いや、じゃああのときの(……)さんのまさしく手のひらを返したかのような確信的な断言は一体何だったんだ! とこちらはそこでもまたクソ笑ったのだった。
- さいごのはなしはわらう。このときこちらも記憶ちがいでかんぜんに「私生児」だとおもいこんでいたのだけれど、(……)さん自身もかんぜんにおもいこんでいる調子だった。あと、通話のなかではガタリについてもすこしだけふれられていて、そこをよみかえすと、やはりガタリよまなければなあというきもちがあらたにされた。たしかこのとき(……)さんがいっていたことでは、ドゥルーズとガタリの共作にあたる本も、だいたいガタリがばーっとアイディアをまくしたてて、それをドゥルーズがひろいあげて統合しかたちにしていったのではないか、というはなしだった。この日の日記にも、「とりわけ相当に実践的な活動家だったという点にはかなりの興味を覚える。多様な領域をめちゃくちゃに横断したり多彩な物事を節操なしに取りこんだりする猥雑さに対して、こちらには一種の憧れみたいな志向及び嗜好がある(……)」としるされてあって、これはいまもかわらないのだけれど、やっぱりぜんぜんわけがわからん、みたいなものに惹かれる性向はわりとあるわけだ。それはこちら自身がそれなりに明晰な人間のつもりでいるので(ほんとうにそうかわからないが)、たぶんそれの裏返しで、猥雑だったりごちゃごちゃしていたりするものにあこがれる、ということだとおもうが。まあガタリがじっさいにそういうかんじの作家なのかわからないが。いろいろなものを節操なくとりこむという点にかんしては、バルトもけっこうそういうところはあるとおもうけれど、ただ彼の場合どうしたってそれが猥雑にはならないだろう。まぜてごちゃごちゃにするというより、部分的にうまくつまみあげてじぶんの絵画に色や装飾やかたちとして利用しながらたのしむ、というか。
- そのあとは『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよんだ。「オイディプス王」を通過し、「ピロクテテス」の途中まで。「オイディプス王」はいうまでもなく非常に有名な篇で、こちらは岩波文庫の藤沢令夫訳ももっており、それでかなりむかしにいちどよんだおぼえがあるが、このちくま文庫は高津春繁の訳である。真実があきらかになったあとのオイディプスの嘆きとか呪詛のさけびがなかなかよくて、真に迫った調子とかんじられ、わりと感動し、かきぬこうとおもう箇所がいくらかあった。あと、真実をしらされたオイディプスが宮殿内にはしりさった直後の359でコロスの合唱があるのだが、そこの、「おお、人の子の代々、/はかなきは命。/誰かある、誰かある、/幸を得し者。人みな/幻の幸を得て、/得し後に墜ちゆくのみ。/汝 [な] が定めこそそのためし、/汝 [なれ] が、汝 [なれ] が定めこそ。おお幸うすきオイディプス。/人の子にはことほぐべきものなべてなし」という最初の一連も、内容として大したことをいっているとはおもわれないのだが、なんだかしみじみと感じ入るところがあってよかった。訳文の調子によるところもあるのだろう。「誰かある、誰かある」とか、「汝が、汝が定めこそ」というふうに、くりかえしがつかわれているが、高津春繁のコロスの訳にはこまかい反復がおおめにもちいられている印象。これはたぶん、原文がそうなっているところもあるのかもしれないが、わりと訳者特有の口調なのではないか。わからんが。360にも、「(……)いかなれば、/いかなれば父の畑が、憐れなる人よ、」と行をまたいで反復がある。しかしいまざっとよみかえしてみても、夜によんだおなじ高津訳の「コロノスのオイディプス」の範囲をみかえしてみても、ほかに類例がぱっとみつからないので、べつにおおくもちいられているわけではなかったのかもしれない。あとわりとどうでもよいことだが、高津春繁は「さあ、すみやかに館の内に連れ行けえ」(369; クレオン)とか、「この者たちがわたしと同じ不幸に陥ることがないように、してくれえ」(372; オイディプス)とかいうふうに、命令形に「え」を付加することがおおい。むろんふつうの「~してくれ」のかたちもつかわれていて、このあたりのつかいわけがどういう基準なのかわからないが。うえのふたつの例はそれぞれ命令と懇願だから、「え」をつけたほうが権威的なかんじとか感情性とかがよりうまれる気はするが、ほかに、「聞かせえ」みたいなかんじで、はなしをきかせてくれ、ということをいうさいにもつかわれていたとおもう(これはたしか「コロノスのオイディプス」のほうだったきがするが)。それは「聞かせよ」としたほうがはまるようなきがしたのだが。まあべつにどちらでもよいのだが。
- ストレッチを少々。小沢健二をながしつつ。そのあとひさしぶりにギター。ずいぶんひさしぶりで、爪も切ったばかりだったので、あとで左手の中指だったか薬指だったかが痛くなったくらいだ。例によってブルースのまねごとをてきとうにやるのが主。いっこうに曲を弾きださない。五時半くらいまであそんでからうえにいき、野菜炒めだけつくっておくことに。父親は山梨にいっていてたぶん泊まってくるだろうからそんなにいらないだろうと。タマネギ、キャベツ、ニンジンをきりわけて、豚肉も切って炒める。さきに肉を焼き、肉の色がかわりきらないあたりで野菜もいれて、そのあとはなるべく強火で加熱する。味つけは塩とコショウと味の素。はやばやと完成させると、そのあとアイロンかけ。シャツ類。霧吹きというかもともとたぶん整髪スプレーかなにかがはいっていたとおもわれる細長い容器で水を吹きかけながらアイロンをかけていくのだが、アイロンをシャツにのせてゆっくりすべらせると、布地のうえに散ったいたいけな水滴たちが蒸発していく音がたち、それは砂がやさしく掃かれるひびきのようでもあるし、まだ手つかずの雪が靴で踏まれる音のようでもある。シャツの生地や箇所によっては音がたたないこともある。時刻は六時ちかく、窓外では近所のこどもらの声がたっており、なんとかちゃん、あそんでくれてありがとうございました! とか、冗談か演技的な儀礼のようにしていいあっているのがきこえる。窓からさしこむ暮れ方の空気は淡く青く染まっていて、シャツのうえにかかるとなおさら青いが、くわえて背後の食卓に吊るされている橙色灯をつけたので、こちらの影もシャツのうえにひろくうまれていくらかうごき、そのなかがいちばん青く濃く、その領域のさかいをこえたとなりは電灯のオレンジが青さとまざってなんともいいづらいあいまいな果物のような色合いをのせている。
- アイロンかけをおえるとそのまま食事にはいったはず。夕刊をもってきてチェックしたが、ぜんぜんおもいだせない。くっていると母親が帰宅した。野菜炒めはのちほど好評をもらった。食事をおえてかたづけをして帰還すると、また書見。ギリシア悲劇をよみすすめ、さいごの「コロノスのオイディプス」にはいって、この日は498まですすんでだからもうあと五〇ページほどになった。443の最後に、ここはまだ「ピロクテテス」のなかだが、「オデュッセウス倉皇と退場」というト書きがあって、倉皇ってなんやねん、こんなことばはじめてきいたわとおもって検索すると、あわてふためくことだという。「蒼惶」とも書くらしい。ネット上の辞書の例文は幸田露伴の「運命」という小説をとりあげており、芥川の文などもでてくる。彼はこの語をたくさんつかっているもよう。そのあたりの作家はけっこうつかっているようで、「そそくさ」とよませることもおおいようだ。「コトバンク」をみるかぎりでは、初出はおそらく一五一八年ごろの『翰林葫蘆集』という書物らしいが、これがどういう書物なのかとうぜんまったくしらない。いわゆる五山文学の詩文集のようだ。漢詩や漢文もよめるようになりてえんだけどなあ。
- (……)
- 日記を記述。風呂にいったのは一一時ごろだったか? 排水溝で髪の毛などをうけとる網状のカバーを掃除し、髪の毛をとって袋にいれておくとともにブラシでこすってもおき、また、そのカバーをとりつける排水溝のまわりや、あれはなんといえばよいのか、溝のなかにさしこまれて一体化する、両側がひらいた円筒形の部品的なもの(上にくるほうの縁はいくらか周囲にひろがるようになっており、おそらくゴミなどが下水道へとスムーズにながれこみやすいようにするためのものなのではないか)もこすってあらっておいた。この部品をこするあいだは下水道特有のあの悪臭がほのかに発生していたのだが、洗剤をかけててきとうにゴシゴシやっていると、じきになくなった。毎日風呂にはいるときにこういう具合で、ほんのすこしずつついでに掃除をしておけばおのずとあたりがきれいにたもたれるのだ。ただ、休日はともかく、労働のあった日にそういう気力が湧くかというとなかなかむずかしいきもするが。
- そのほかはまた日記をしるしたり書見したりしたくらいで、とくだんのことはないはず。