2021/5/31, Mon.

 カントはゼノンの論点の一部に真理をみとめている。カントによれば、世界は有限でも無限でもないからである。ものごとはすべて世界のうちに位置をもち、世界内部の場所に存在する。もし場所が世界のうちにあるとすれば、それは世界のどこかに存在することだろう。けれども、場所を収容する場所を考えると、無限後退におちいってしまう(ゼノン、断片B五)。おなじように、いっさいの事物は世界のうちにある。だが、世界そのものは、どこにも見いだされない。世界は全体であって、全体は部分との比較を絶している。事物は部分であるから、事物に当てはまる述語を世界そのものに適用することはできない。世界が有限であるか無限であるかは、(end37)アンチノミーをかたちづくることだろう。けれども、世界それ自体は有限でも無限でもない。ゼノンの議論は、かくて、カントの「弁証論 Dialektik」にも影を落とす。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、37~38)



  • 起床時、瞑想をした。うまく停止できたらしい。きちんと停まることができると、死体になったかのようなかんじをおぼえる。このときはそれくらいの不動性をつかのま達成したもよう。風ははじめのうちはなかったのだが、じきにうまれて、とおくから大蛇が這ってくるような音のながれが草木のうえをつたわってきた。
  • 食事はカレー。小笠原諸島航空自衛隊の移動警備隊を配備するという報を新聞でよんだ。移動式レーダーをそなえて、安全保障上のトラブルを警戒するわけだが、それはやはり中国の活発化をうけてのものらしい。沖縄本島宮古島のあいだを遼寧がぬける回数が近年ふえており、太平洋のほうにも進出してくるのではないかというわけで。日本国内には二〇何箇所とかだったかわすれたが、設置式のレーダーが配備されていて警戒にあたっているらしいが、小笠原方面はないようで、そのうちに地元と交渉して自衛隊を駐留させるみこみ、みたいなことも書かれてあった気がする。あと、IHIアイダホ州原発開発へ投資して、日揮なんとかいう会社もおなじく投資している、という記事もあったのだが、IHIにせよ日揮なんとかにせよまったくしらないなまえですこしの知識もないので、なぜこの記事をよんだのかじぶんでもよくわからない。
  • メモによればさいしょは晴れていたがじきに空が白くなってきて、しかしその後またいくらか水色が湧いてきたとのこと。風もよく吹いていたらしい。メモもあまり取っていないしこの日のことはもうおおかたわすれてしまった(いまは六月四日の午後四時)。三日の記事に書いたが、「ことば」という音読カテゴリをあらたにつくり、それでこの日はじめてそれをよんだ。「記憶」記事をよみかえして抜粋したかんじなので、さいしょは石原吉郎の文章。「肉親へあてた手紙」のなかにはいっている、ひとはどのような場合でも一方的な被害者であるはずはなく、被害者であるとどうじに容易に加害者に転じうる危険に瞬間ごとにさらされている、とのべているぶぶんだ。べつに一言一句暗唱できる必要はないが、それでもやはりいってみれば肉体化したいというわけで、くりかえしよんだ。くりかえしよんでいるうちに読み方がおのずとゆっくりになってきて、なんとなく意味のリズムがわかってくる。また、ときおり、それまで意識していなかったことばが、あ、ここはこういうことばだったのか、とうかびあがるようにとらえられて、その意味の射程があたまのなかにあらたに生じることがあり、素読の効果ってこういうことなんだろうなとおもった。
  • 労働ほかもおもいだせないし、無理におもいだすのも面倒臭いのではぶく。手帳のとぼしいメモからおもいだすに、往路は風がつよく、玄関の戸からでた瞬間、林が激しい風によってかきまわされて音響を降らせており、ほとんどくまなく一面揺れて、道をいくあいだも振動とひびきとが横にながく、途切れ目なくつづいているものだから、巨龍に支配されているみたいな比喩でイメージ化したおぼえがある。大蛇にせよ龍にせよ、じぶんは風のおとをそういうふうにイメージしがち。
  • あと(……)さんの家の横に生えている梅の木がちかづくと、路上から蝶が一匹たって、梅の木の枝先にうかびあがっていったのだが、したをとおりながらみあげれば葉っぱのなかにたしかに、葉の色とほぼかわらない淡い緑のすがたがみられ、けっこうおおきくて、葉が二枚ふえたようなかんじだったのだが、あれは蝶だったのか、もしかすると蛾のたぐいだったのか? 色も、地からたったときにすでに緑だったような気がするのだが、もしかすると白いものに葉の色が透けてうつっていたとか、そういうことだったのか? そんな現象がありうるのかしらないが。
  • あとは駅で、西の空に、雨色じみた雲が後光をせおっているのをみたくらいのこと。このときは水色がみえながらも雲もおおかった記憶がある。といって暗くはなかったはず。
  • あと、(……)とでくわしたのがたぶんこの日の帰路ではなかったか。過去の生徒で、裏通りをあるいているとうしろからやってきた自転車が減速しながらふりむいてきて、すぐにわかった。というのも、数日前に、職場の入り口にたっていたときにも彼がまえをとおったときがあって、そのときに目をあわせていたので。そこでなまえをおもいだしていたので、このときもすぐに(……)、とよびかけ、(……)、とフルネームすら提示してやると、あいてはよくおぼえているなとおもったようだった。この男子が塾をやめてから会うのはこれがはじめてではなく、過去にも何度かでくわしているので、容易に記憶している。むしろあちらがこちらのなまえをおぼえているかあやしい。とはいえこのときは、塾でのバイトに興味があるような口ぶりだったのでさそっておき、そばの公園にいってしばらくはなした。(……)の(……)。一浪していまは大学二年。英語がけっこうすきで、英語をおしえるということに多少興味をもっていたらしい。いまは(……)の「(……)」という居酒屋でバイトをしているのだが、コロナウイルスで仕事を減らされており、店自体もやばそうだしべつのバイトもやるかとまよっているところらしい。おまえがきたらうれしいしたのしそう、といってすすめておいたが、確定的な決意がないようだったのでどうなるか不明。いちおうそのうち電話がくるかも、と、職場のノートにはこの翌日にしるしておいたが。雨がはじまったのを機にわかれたのだが、(……)はわざわざそばの家にかえっていらない傘をもってきてくれた。べつにこちらは濡れてもよかったのだが。もし彼がバイトすることになったら、そのときにかえしてくれればよいとのこと。そのビニール傘をさしてゆっくり帰宅。