2021/6/2, Wed.

 デモクリトスについて現存する断片のほとんどは、じつは倫理にかかわる箴言あるいは断章である。「笑うひと」と呼ばれた、デモクリトスがもとめたものは、「快活さ」(エウテュミア)であったといわれるけれど、それはただの「快楽」(ヘドネー)ではない(前掲『列伝』 [ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』(Diogenes Laertios, Vitae philosophorum)、第十巻] 四五節)。勇敢さとは、敵に打ちかつことであるばかりでなく、快楽に対して勝利することである(断片B二一四)。「すべての快楽を、ではなく、麗しいことにおける快楽をえらばなければならない」(B二〇七)。エピクロスが説いた倫理が、いわゆる享楽主義者(エピキュリアン)のそれと遥かに遠く隔たって、「こころの平静」(アタラクシア)をもとめる教説であったのと同様に、デモクリトスの倫理的箴言も、高邁な道徳と呼ばれてよいものに満ちている。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、54)



  • 一〇時一五分ごろに目をさました。そのまえにもさめたときがあったとおもうが。夢をみた記憶があるのだが、なんだったか、内容をおもいだせない。(……)さんがでてきたような気がするが。意識をとりもどすと、こめかみやら肩のまわりやらをもんだり、首筋をのばしたりして、一〇時四〇分に離床した。今日も滞在はほぼ七時間ちょうど。これをもうすこしへらせればなあとはおもうが、七時間と六時間ではやはりだいぶからだの感覚がちがうもので、こちらの心身の、すくなくともいまの適正はこのくらいなのだろう。今日は瞑想もせず、すぐに上階へ。洗面所で顔をあらったり髪をとかしたり、トイレで用をたしたり、また水場にもどってうがいをしたり。天気は曇りである。ハムエッグでは芸がないし、卵もないようだったので、肉を焼くかとおもった。あまりかわらないが。冷凍に廉価な豚肉のこまぎれがあったので、それをフライパンで焼いて米にのせた。食べながら新聞。大坂なおみがうつ症状にさいなまれていることを明かして全仏棄権を発表、というのはきのうの夕刊でもみたことだ。国際面には今次のあらそいで停戦はなったけれど、東エルサレムで住民同士の対立がのこりくすぶっている、との記事。それはもうずっといぜんからのことだろう。イスラエル側が入植するわけだが、ユダヤ人の家はここはわれわれにあたえられた神の土地だとか、おなじみの宗教的スローガンをしるした横断幕をかかげ、パレスチナ人もそれに対抗して、われわれがこの土地からでていくことはない、みたいな幕をかかげているらしい。パレスチナ側の家には、表札に書かれた家族のなまえがぬりつぶされたり、鍵穴に粘着液をながして塞ぐいやがらせがおこなわれたりしていると。ユダヤ人入植者はオスマン帝国時代の一九二二年の権利書を根拠に土地の所有権を主張しているらしいのだけれど、さすがに無理筋ではないか? 滅亡した国家だし。しかしそれがたしか裁判でみとめられているのだったか、パレスチナ側のひとが何人か控訴して審議中、とかかれていたとおもう。また、神殿の丘まわりでの抗議のときだとおもうが、一六歳の少女にゴム弾だか撃った警官への捜査を保留するみたいな発表もあったと。だからとうぜんパレスチナ側は憤慨する。
  • 皿をあらっていると母親がバタバタはいってきて、(……)ちゃんの妹から連絡があって映画とランチにいきませんかって、という。すきにすればよい。それで洗濯物を入れてくれというので了承。つかったフライパンに水をそそいで沸騰させ、キッチンペーパーで汚れをぬぐっておいてから、風呂洗いへ。すむとでて、自室から湯呑みと急須をもってきてあらっておき、カルピスを一杯つくって帰室。Notionを準備してここまで今日のことをしるした。一一時四五分。
  • この日のことも、この前日、前々日とおなじく、サボっていたのでだいたいわすれた。勤務後に書こうといつもおもっているのだが、しかし勤務してくると、みじかい時間なのになんだかんだやはり疲れて、文を記す気力がなくなってしまう。といって勤務まえは音読したり書見したりからだをほぐしたりしたい。この日、出勤までは、洗濯物をいれてたたんだり、足拭きを各所に配置したり、豚汁を食べたり、米だけはでるまえに磨いでおいたり。往路は三時台に徒歩でいった。薄陽があって、路上にうっすらとじぶんの影が湧きだすくらいのひかりの量だった。だから、すごく、というわけではないが、そこそこ暑い。坂道をのぼっていくと、道の脇、左の斜面をおおっている林のまえになにかゴミが投棄されていて、ここはときどきゴミが捨てられているところで、それはだいたい空になった弁当の容器だったり、菓子やらなにかのパッケージだったりするのだが、そしてときおり我が父親が公共心からかたづけているようなのだが、このときはたくさんのビニール袋だった。コンビニでもちいられるような薄手のものというより、服屋とかでちいさな品をいれるような、やや固めのビニール袋のたぐい。いろいろな種類があったよう。なぜあれらをわざわざあそこに捨てるのかわからないが。ふつうに自宅で使いようがありそうなものだ。
  • 裏道をあるいているとうしろから自転車の一団がきて、四人いたのだが競技としてやっているタイプの本格的なひとびとで、装いがそれぞれ青、蛍光ペンみたいな緑まじりの黄色、赤、青とカラフルだった。彼らはこちらをおいぬかしていき、するとすぐに(……)坂にかかって、左折して坂道をのぼっていくのだが、最後尾の青いひとがひとり、ちからが足りなかったのか容易にのぼれず、いったん止まってもたつきながら自転車から降り、遅れて追いかけるかたちになっていた。とはいえ、坂まできて左をむくと、ほかのひとたちもけっきょく先のほうで勾配にさからわず降りて押していたが。
  • (……)付近の丘の緑がじつに青々と色濃く、接する空の水色とくっきり対峙していた。裏道がいちど尽きて横にはしった路地にかかると左右に視界がひらき、それで左をむきながらみあげたところ、空は水色を基調としてはいるものの淡い雲もおおくふくんでおり、乳を垂らして混ぜたまま時間が経って浸透したような風合い。駅前のコンビニの脇にみんな自転車をともなった小学生の集団が溜まっていて、わいわいにぎやかにしながら乗り物を駆って発っていった。最後に発ったひとりがスマートフォンで音楽をながしていたようであたりにひびいていたのだが、その音楽がやはりいくらか今風というか、小学生でこんなかんじのやつ聞くんだ、という印象だった。といってべつにこちらの好みではなく、多幸的にあかるいポップスのたぐいで、たぶんなにか男性アイドルの曲では? とおもわれたのだが。もしそうだとしてもBTSなど韓国のそれではなく、日本のものだったとおもう。集団にはまた女子がふたりだけいたようなのだが、彼女らは男子らが発ったあとにものこっていたようなので、その後行動をともにしたのかは不明だし、もしかしたらおなじグループではなかったのかもしれない。かといってべつにまったくの他人というわけでもなく、知ってはいて交流がある、くらいのかんじだったのかもしれない。
  • 勤務中のこともやはり面倒なのではぶく。帰路は電車を取った。けっこう待ち時間があったのだが、ベンチについて、もしくは車内の座席で、だいたい目をつぶって休息しており、そういうのもわるくない。瞑目でじっとしていると、ようするに外でなかば瞑想しているようなものだが、そうしているとしだいに外にいるというかんじが薄くなってくるというか、公的空間で他者にかこまれているという感覚が弱くなってくる。まわりに他人がいるということを認識しなくなって自分ひとりの世界に浸るというわけではなくて、周囲の他者が発する存在感や知覚情報を明晰に意識にとらえてはいるのだけれど、なんというかそれにじぶんが関係しなくなるというか、それに影響されなくなるというか。うまく言い表せないし、言おうとするとどうしてもありがちな言い方になるのだが。公的空間にあって他者のなかにいるというだけで、人間、じぶんで意識せずとも心身がある程度は勝手に緊張しているものだとおもうのだが、それが解除されるというか。
  • 帰路、ふたたび日記を金にしようかというまよいをおぼえ、とりあえずカンパを募る、金にするうんぬんは措いておいて、今後そういう方策を取ることになったときのために、毎日の記事を一部抜粋でnoteに投稿しつづけ、知名度を多少なりともえておいては? とおもったのだが、実行はしていない。なにかにつなげるうんぬんは措いて、とりあえずはてなブログ以外にもまた読んでもらう場所をつくって、すこしばかり文をひろめるか? とおもったのだが。やってもよいのだが、べつにわざわざやるほどでもない、というかんじもある。実行にかたむくほどの強い動機をじぶんのなかにみいだせない。