『ソフィスト』のプラトンは、虚偽や誤謬が、「在るものども」(タ・オンタ)と反対のことがらを語るものであるから、現に誤謬と虚偽とがある [﹅2] 以上は、あらぬ [﹅3] もの、なんらかの意味で「非存在が存在する」、つまり無(メー・オン)がある [﹅2] ことをみとめなければならないと論じていた(二四〇d―二四一a)。在るものは、他のさまざまなものもある [﹅2] のに応じてあらぬ [﹅3] 。或るものは、それら他なるものではない [﹅2] からである。したがって、あらぬ [﹅3] は「ではない」を意味し、差異を定立するものとなる。非存在、無とは、いっさいのある [﹅2] ものに絡みついている、「ことなりの本性」(二五八d―e)なのである。「エレアからの客人」はここで、パルメニデスの禁止に背いて、「父親殺し」(二四一d)の大罪を犯したことになる。それは、しかし新たな禁令の公布でもあった。プラトンは「ひとがそれを反駁できないかぎりでは」、これとはべつのしかたで無について騙ることはゆるされない、と宣言しているからである(二五九a)。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、55)
- 一一時半すぎの起床となり、少々遅い。天気は曇り。上階へ。食事はきのうの牛肉ののこり。新聞はイスラエルの組閣をつたえており、夕刊でもおなじ件がでていたのでここにまとめて書いてしまうが、野党八党で連立と。ネタニヤフ派が五二議席、野党連合は六二になるみこみ。リクードは三〇議席で、野党のなかではイェシュ・アティドがたしか一七でいちばんおおいのだが、今回の連立には極右としるされてあったヤミナと「我が家イスラエル」がふくまれており、右派と左派の同床異夢というか呉越同舟というか、ごちゃごちゃしたごった煮なので、これつづくのかなあとおもう。しかもそこに「ラーム」というアラブ政党もはいっている。アラブ系政党が内閣にくわわるのはイスラエル史上はじめてのことらしい。連立内ではヤミナのベネットという党首が半期首相をつとめて、そのあとイェシュ・アティドの党首にかわるという合意ができているらしく、パレスチナにたいする姿勢ではリクードもたいがいだが、「極右」といわれているからにはヤミナも「我が家イスラエル」もたぶんその点ではリクードとかわらないか、もっと強硬なのだろうから、パレスチナにとってよいことにはたぶんならないだろう。連立協議がまとまって合意にたっし、大統領のほうに通知されたのは、組閣期限のわずか三〇分まえだったとか。しかしこの連立はまだ確定したわけではなく、一週間後だったか、国会で議決されて決まるというので、そのあいだにネタニヤフは右派と交渉してとりくずしにかかる。じっさい、左右どちらからも、イデオロギー的へだたりがおおきすぎると疑問をなげる議員がでているらしい。
- 食後はいつもどおりの行動。帰室して茶を飲み、以下。
- いま一時まえ。一年前の日記をよみかえしている。「道へ出れば風はさほど流れず空気は停まりがちで、六月からクールビズが許されたので今日はベストもはおらずネクタイもつけなかったが、それでも普通に蒸し暑い」とあって、六月にはいってさっそく、はやいな、とおもった。今年はまだベストも脱いでいないし、ネクタイもつけている。
- 「(……)そこを過ぎて階段通路に入れば、見上げた空の雲蓋のなかに太陽が、わずかばかり赤味を帯びた姿で、あるいは漂白された橙色のおもむきで、ぼんやり溶けて映っている。ホームに下りてベンチに座るとここでは風が横向きに、すなわち東西方向にいくらか吹いてそこそこ涼しく、その風に乗って惑わされたように蝶が一匹、白く飛んでくる」という描写がなかなかわるくない。「おもむき」をひらがなにひらいたのはこの時期のじぶんとしてはたぶんまだめずらしいとおもうが、正解だろう。蝶の白さを形容詞として蝶自身に付加したかたちでしめすのではなくて副詞にまわしたのも、じぶんはあまりやらないようなきがするが、よいではないか。
- 職場に(……)さんがきており、はじめて顔をあわせている。彼女は先日の会議のさいに、ZOOMの画面越しだがすがたが確認され、がんばっているようなのでよかった。(……)先生とも初顔合わせ。彼女はまだはいって一年しか経っていなかったのか。
- よみかえしをおえたのち、ベッドにころがって書見へ。ピエール・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』(人文書院、一九九五年)。七〇年代から八〇年代あたりにかけてフランスで活発化した歴史修正主義の動向が知られてよいのだが、あまり訳がよくないのがおしい。ピエール・ヴィダル=ナケはもともと古代ギリシア史が専門らしいのだが、政治的方面の活動もいろいろしたようで、フーコーといっしょに「監獄情報グループ」をたちあげたひとりのようだ。フランスにおける歴史修正主義の主要人物のひとりとして、ロベール・フォリソン(Robert Faurisson)という学者がいたようで、おどろくべきことに、ノーム・チョムスキーが彼の本に序文を寄せていたらしく、ヴィダル=ナケはその件もとりあげてチョムスキーを非難している。
- さいきんよくCarole King『Music』をBGMにながしていて、このアルバムでは#2の"It's Going To Take Some Time"とさいごの"Back To California"が好きなのだが、とくに後者は好ましく、けっきょくこういう古き良き時代のロックンロール的な香りの音楽はだいたいどれも好きなのかもしれない。この曲をきいているとThe Beatlesの"Get Back"がおもいおこされるのだけれど、書見後に爪を切っているあいだにつづけてながしてみたところ、やはりわりと似ているようにおもう。歌のあいだにギターソロやピアノソロがはさまれる構成もそうだし、歌詞も、The Beatlesのほうでは"get back to where you once belonged"と歌われるわけだが、Carole Kingは"so won't you carry back to California"とか、"let me be where I belong"といっているし。まあそこだけだし、とくにめずらしい表現ではないのだろうが。それにしてもCarole Kingはこういう曲でもじぶんのペースをたもっているなあとおもう。つまり、ロックンロール調でありながらも、歌がじつに、気の抜けたようなトーンだというか、暢気というか、たいていこういう曲ならそれにあわせて声を張ったりなんだりするのではないかとおもうが、まるでそうしていない。それがかえって、レイドバック、というのか、そういうかんじがかもされてよい。これだったらたとえば『Tapestry』の"(You Make Me Feel) Natural Woman"ほか、いろいろな曲のほうが、がんばってちからをこめて歌っている感があるだろう。
- 『記憶の暗殺者たち』は200をこえたあたりまで。註をのぞけば240あたりで本篇は終了なので、もう終盤。
- いま四時まえ。かきぬき。Cal Tjader Quartet『Jazz At The Blackhawk』をながしているのだが、#3の"I'll Remember April"が、まえからすごいとおもっていたがやはりすばらしく、ここでのCal Tjaderの闊達さと流麗さは(たとえば『Miles Davis And The Modern Jazz Giants』の"The Man I Love"における)Milt Jacksonにもまったく負けていないとおもう。めちゃくちゃ乗れる。おもわず指をとめてしまう。ピアノもよい。
- 五時で上階へ。アイロンかけをさっそくはじめる。父親は山梨にいっており、泊まってくるという。じゃあ楽じゃん、と母親にいって、麻婆豆腐でいいんではないかとつげた。それでアイロンかけをするが、その間母親は外にでてなにかしていたもよう。天気はかわらずくもりのまま。シャツをつぎつぎに処理していく。おえると台所にはいって、まず小松菜をゆでる。フライパンに湯をわかし、もうひとつのフライパンはややよごれているようにみえたので、そちらにも湯をわかす。一方で菜っ葉をゆで、もういっぽうはキッチンペーパーで拭く。小松菜があがると麻婆豆腐へ。そのころには母親も屋内に。ほんとうはひき肉を具とする品だが、ひき肉はないし、いまゆでた小松菜の軸のぶぶんと、シイタケと、ニンジンをほんのすこし具とすることに。肉は冷凍のこまぎれ。それらを炒め、麻婆豆腐の素もしくはソースをパウチからしぼりだしてからめ、豆腐も手のひらのうえできりわけてくわえると、外にいっていた母親が取ってきたニラをさいごに入れて、それでしばらく熱して完成。
- アイロンかけと料理をすませてもどってくると、Carole Kingをもっているもの以外にもきいてみるかとおもい、Amazon Musicにアクセスして、とりあえずライブ盤をと『In Concert』をながした。一九九四年の音源だが、冒頭の"Hard Rock Cafe"からして、八〇年代を通過したあと、というかんじがする。もっとも、この曲じたいは七七年のものらしいが。Wikipediaでパーソネルを確認すると、おどろくべきことにリードギターとしてSlashのなまえがあり、SlashってあのSlashだよな? とうたがわしかったのだけれど、Carole KingのグループでSlashが弾いているさまをかんがえるとわりと意味がわからない。髪型は似ているけれど。ほか、ベースとして、John Humphreyというなまえもあるのだが、このひとも九八年以来Scott Hendersonのトリオにいるらしくて、Carole KingとSlashとScott Hendersonまわりのひとがいっしょというのもだいぶ意味がわからない。Slashは#7 "Hold Out For Love"と、#14 "Locomotion"で弾いているらしく、いまちょうど前者のソロがながれているが、これたしかにSlashだわ、というかんじ。微妙な音程を駆使したチョーキングのブルージーな粘っこさとクロマチックをふくめたレガートを部分的にすばやくからめてくるやりくちが。
- "Chains"をやっていて、The Beatlesのカバーじゃんとおもったのだが、もともとこれはKingの曲なのだ。ほか、"Locomotion"もそうなのは知らなかった。
- 音楽をながしつつストレッチをほんのかるくてきとうにやり、そのあと八時半くらいまでうえにいかなかったのだが、なにをやっていたのか。Nicolas C. DiDonato, "Religion the opiate of the poor?"(2013/2/5)(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/02/religion-the-opiate-of-the-poor/(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/02/religion-the-opiate-of-the-poor/))をここでよんだはず。マルクスが、宗教は民衆のアヘンだという有名なことばをのこしているわけだが、それがもしかしたら研究的にも妥当かもしれない、というはなし。つまり、経済的格差のおおきな社会のほうがひとびとが宗教的になりやすいということが調査でいちおうデータ的にしめされたようなのだが、それは困窮層だけでなく、富裕層もそうらしく、じっさいのところ、貧者は宗教によって現世的価値を絶対とみなさずに精神的なことがらの価値をみとめてなぐさめをえて、富者のほうもみずから宗教にコミットし、投資したりしてその勢力を拡大させることで、経済的再配分への強い要求をある種中和したり阻害したりしているのではないか、みたいなはなしだったとおもう。
- あと、きょうは「ことば」と「知識」を音読したが、これはここだったか、それか五時になるまえだったかもしれない。先日、斎藤兆史『英語達人塾』という新書をよみ、そのなかに素読とか暗唱のはなしがでてきたのに影響されて、俺も音読をそういうふうにするかな、とおもったのだったが、そうしてあらたにもうけたのが「ことば」というカテゴリである。端的な題名だが、これはようするに名文集、なんども読みまくっておのれの血肉としたいような、すばらしいとおもう文章をあつめるノートになる。したがって、だいたいは文学作品からのことばになるだろう。ほかはせいぜい哲学くらいではないか。そしてもうひとつ、「知識」というカテゴリもつくった。いままで「英語」いがいには「記憶」というノートでおぼえておきたいことをまとめて、一項目二回のペースでよみかえしていたのだが、このなかに知識としてあたまにいれておきたいことと、名文や気に入った表現などがいっしょになっていたので、それをわけたしだいだ。そして読み方も、こちらも一項目二回ですすんでいくのではなくて、素読的というか、回数をきめずになんどもよんで、その文章に書いてある情報が充分あたまにはいったなとおもったらつぎにいく、というかたちにすることに。やはりおぼえたいことをひとつひとつきちんとおぼえていくのがよいだろう。その点、音読というのは楽である。たいしてなにもかんがえなくても、ともかくも口をうごかして、声にだしてなんどもよんでいれば勝手にあたまにはいるのだから。極端なはなし、一〇〇回とか五〇〇回とかよめば、一言一句の暗唱は無理でも、そこに書いてある内容じたいは、おおかただれでも記憶できるだろう。そして、「英語」ノートは放棄することに。放棄するといって削除するわけではないが、これも面倒くさくなってきたというか飽きてきたなというかんじがあるので。英文記事をよんでわからない単語がでてきたら、その都度前後をふくめてコピペしておき、一項目二回ずつ音読して語彙を身につけてきたわけだが、よんでいるとちゅうにそうやってコピペして単語の発音やら意味をメモって、とするのがいがいとやはり面倒臭いので、もうけっこう英文をよめるようにもなってきたし、メモはせずに、しらべながらもどんどんよんでいけばよいのでは、とおもったのだ。で、英文の音読は、「知識」とか「ことば」のほうでできればよいだろうと。だから、わからない単語をメモることはせず、たんじゅんに記憶すべき知識やすばらしい表現があったときだけコピペし、それらを素読するかたちで英文をとりいれていけばよいだろうと。それで「知識」のほうはさっそく、さいきんよんだBBCの記事、すなわち、ウクライナのバビ・ヤールの谷にシナゴーグが開設されたという文をたしておき、それをきょうよんだ。あとは「記憶」記事をさいどまえから確認していって、順次足そうとおもっているのだが、「記憶」ノートのいちばんさいしょが新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』なので、そのかきぬきをEvernoteで(Notionにはうつしていないので)よみかえして、まずはその本からおぼえたいことを抜いていこうと。
- 夕食時は夕刊でイスラエルの件を。それから朝刊にもどってよもうとしたところ、テレビはなぜか『ロシアゴスキー』をかけていたのだが、そこにスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがでてきたのでそちらをみた。いつだかわからないが日本にきて、福島で被災したひとびとのはなしをきいていたらしい。知らなかった。そのあと東京でスピーチしたり、大学生らとはなしたり。アレクシエーヴィチは『チェルノブイリの祈り』という書をだしており、それが紹介されると母親はチェルノブイリというなまえに反応して、彼女がこの固有名詞を原発事故とむすびつけて理解したのはまだ数か月まえのことであり、兄夫婦からきたメッセージでチェルノブイリについてのテレビドラマをみました、みたいなものがあって、たぶんそこではじめて知ったのだとおもうが、それに反応して母親は、おなじかんじだったのかなとかなんとかつぶやいたところ、つづけてはなしだしたアレクシエーヴィチがまさしくその言を肯定するように、福島でみたことはわたしがチェルノブイリでみたこととまったくおなじでした、と断言し、建物の破壊とか、被災者の絶望とか、いくつか例をあげたのだけれど、正直このふたつの原発にかかわる事件について性急な、かつ断言的な同一化には慎重であるべきだとおもうものの、じぶんが『チェルノブイリの祈り』をだしたときに大げさすぎるとか、人間は危険な技術であれコントロールできるとか批判されたものだが、日本という先進的な文明国でおなじことがくりかえされてしまったのです、というアレクシエーヴィチの言にはわりと説得力はある。あと、アレクシエーヴィチがベラルーシの作家といわれて、あれ、そうだったか、とおもい、それでじぶんがウクライナと勘違いしていたことにきづいた。ルカシェンコによって反体制派が弾圧されていて、大統領選挙に立候補した女性やらそのほかの抗議者が外国にのがれた国をいつのまにかウクライナとおもっていたのだが、ベラルーシだった。日記も検索してみると、案の定、ルカシェンコが飛行機を強制着陸させて反体制派メディアの創設者を拘束した先月の件で、ウクライナとかいているところがいくつかある。面倒臭いのでなおさないが。
- アレクシエーヴィチのあと、録画されていた『ロシアゴスキー』がもうひとつながされたが、それがモスクワ川をクルーズする会で、これわれわれがモスクワにいったときに乗ったのとおなじではないか、となった。船に乗る場所がウクライナ・ホテルのそばといわれていたが、まさしくそうだったとおもうし、船の外観や、舳先というか先端のほうで屋外にでたときのカメラの映像をみてみても、たぶんおなじ種類の船だったとおもう。われわれが利用したのとおなじサービスだろう。三〇〇人がのれるとかいわれていて、そんなに乗れるくらいのひろさだったかな、というのはちょっとふたしかだが。船ではテーブルをかこんでスプライトをのみながら、兄とゴーゴリやらマヤコフスキーやらのはなしをちょっとしたはず。
- 食後、入浴。暑いが、湯のなかで多少停まる。あいまにでてからだに冷水をあびながら。髭もそった。髪も切りたいのだが、電話するのが面倒くさくてわすれてしまう。でてくると、おとといの帰路に買った炭酸のオレンジジュースをもって部屋へもどり、氷を入れたコップにそそいでのみながら、Mark Edmundson, "Defender of the Faith?"(2007/9/9)(https://www.nytimes.com/2007/09/09/magazine/09wwln-lede-t.html(https://www.nytimes.com/2007/09/09/magazine/09wwln-lede-t.html))をよんだのがこのときだったか? たぶんそう。フロイトが晩年の『モーゼと一神教』でとなえた論もしくは説の紹介というかんじの記事で、いわく、そこで彼はモーゼはじつはユダヤ人ではなくてエジプト人だったという胡乱げな説をとなえているらしいのだが、本題はそちらではなく、ユダヤ教が神を図像化不能な目に見えない存在として理解するよう規定したことで、ユダヤ人たちは多民族と比較して抽象的な思考の能力を向上させることになり、じぶんの精神をみつめる高度な自己把握能力や内面性を獲得して、それによって数学とか法学とか芸術とかもろもろの分野ですぐれたちからを発揮した、みたいなことをいっているらしい。この後者のはなしはたしかにどこかできいたことがある。じっさいのところどうだかわかりゃしないが、この記事の筆者は、反宗教の立場を一貫してとおしてきたフロイトも、晩年にいたって、無神論者でありながらも同時にこのようなかたちで宗教の価値というものを発見した、彼は無神論を標榜していながらも、同時にひとびとにひろく影響をあたえて社会を変革する預言者としてのモーゼにインスピレーションをえてきたことはあきらかである、ニーチェも同様に、キリスト教をめちゃくちゃに批判しながらも、しかしイエス・キリストひとりにかんしては高く評価し、むしろ共感をいだいていた、ショーペンハウアーもその点類似している、というようなことをのべていた。
- その後いくらかなまけたのち、さらにConnor Wood, "Why the Templeton Foundation Is a Darn Good Thing"(2013/5/17)(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/05/why-the-templeton-foundation-is-a-darn-good-thing/(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/05/why-the-templeton-foundation-is-a-darn-good-thing/))もよんだ。そうしてきょうのことをつづるといまは二時をまわったところ。あと五月三〇日の記事もどこかで完成させたのだ。三一日、一日、二日もできるだけすすめたいが。