2021/6/4, Fri.

 ソフィストとは知者であった。ソフィストの知は、時代のなかで力とむすびつく。かれらの言論における卓越が、権力を生んだのである。ソフィストは、その意味で有能な人間であり、有用な人物であった。けれども、有用さそのものはいったいなんのためにあるのだろう。そのように問いかけつづける者があったなら、その者は、どのような時代でも余計者として疎まれ、最後には憎まれることだろう。ソクラテスというひとが、おそらくはだれよりもそうであった。(end66)瀆神の罪(アセベイア)とは、ソクラテスをアナクサゴラスと混同した濡れ衣にすぎない。
 プラトンの描くソクラテスは、あるときパイドロスと散歩に出て、プラタナスの木陰でひとときの休息をとった。ソクラテスは、プラタナスを誉め、アグノスの樹を称え、泉に感嘆して、吹きすぎる風に感謝する。夏の盛りを告げる蟬たちの声、草の柔らかさ、そのひとつひとつを賞賛するソクラテスに驚きあきれて、その場所に案内した、パイドロスは言う。

驚いたひとだな、まったく。あなたのほうは、これまた申し分もなく風変わりなひとだとわかります。ほんとうにいまおっしゃったとおり、あなたは案内人に連れられ歩いている余所者みたいで、この土地の人間にも見えないのですから。(『パイドロス』二三〇c―d)

 ソクラテスは「申し分もなく」変わった人間(アトポータトス)だった。アテナイには場所をもたない(アトポス)異邦人、「余所者」(クセノス)であるかのように、アテナイのひとびとに問いかけつづけたのである。余所者であり、現実的には余計者であって、ソフィスト的な有能さの対極にある人間であったとも思われる。その顔も、言うことも「シビレエイ」にそっくりだと論敵からは言われ(『メノン』八〇a)、アテナイが眠りこまないために神が贈った「虻」であると、じぶんではいう(『ソクラテスの弁明』三〇d―e)。クサンティッペが悪妻であったのでは、(end67)たぶんない。ソクラテスが好色かつ酒好きな道楽者で、無能のひとだったのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、67~68)



  • さいしょにさめたとき、一一時半ごろにみえて、ながく寝てしまったとおもったのだが、意識がはっきりしてからよくみてみると一〇時台だったのでわるくない。こめかみをもんだり、腹をもんだりしてから一一時ちょうどに離床。天気はくもりで、きょうは雨になるらしい。このときもすでに降っていたのかもしれない。そうだとして、雨音が立つほどの降りではなかったが。コンピューターを点けておき、水場にいってきてから瞑想。やはり毎日停止する時間をとらなければだめだ。きょうは雨天だからか、鳥の声がすくないよう。ヒヨドリが一匹きわだっているが、ピヨピヨと張られるその声も、水気がはらまれたような質感になっている気がする。また、あれは川の音なのか遠い雨の音なのか、川に雨がおちるひびきなのか風の音なのかわからないが、空間の奥になんらかのあいまいなひびきがかかってもいる。風はときおりはしってきて家をゆらしたり、あたりの草木をざわめかせたりして、その葉擦れの音もやはり水っぽいような気がしないでもない。けっこう座ったつもりでいたが、目をあけると二〇分しか経っていなかった。体感では三〇分くらい経ったつもりだったのだが。足がしびれたので、ちょっと待ってから上階へ。
  • 麻婆豆腐などで食事。母親はまもなく勤務へ。新聞からはイスラエルの件を。やはりヤミナはリクードよりも強硬だという情報がでていた。なにしろ、西岸の入植者たちを支持基盤にしているという。とうぜん、二国家共存案も支持していない。その党首が半期であれ首相をやろうというのだから、むしろリクードのときよりパレスチナの苦境は深まるのではないか。そういうひとびととアラブ政党が連立しようというのだから、そうそううまくつづきはしないだろう。そもそもこの連立が本当に成るかもまだ不透明である。今回の野合はようするに反ネタニヤフで一致しただけのことであって、ネタニヤフを退陣させて、あとはコロナウイルスなど喫緊のことがらに対応するくらいしか大義がないわけで、だからコロナウイルスがおちついたらもうおわるんじゃないだろうか。そしてイスラエルは全世界でいちばんはやくワクチンが普及した国で、国民のあいだにはもう楽観ムードがただよっているらしく、ところによってはもうふつうにマスクをはずして平常にもどったみたいな場所もあるようなのだ。反ネタニヤフで野党が一致できたのは、今回の主要参加者がけっこうみんな過去にネタニヤフから攻撃されたという事情があるようで、スキャンダラスな情報を撒いたりして政敵を徹底的にやりこめるネタニヤフの手法が一種復讐をまねいた、みたいなところがあるらしい。ヤミナのベネット党首も過去にネタニヤフ政権の防衛大臣だったらしいのだけれど、妻がユダヤ教の戒律をまもっていないみたいな情報をばら撒かれたことがあったようだ。ラームというのはアラブ政党で、四議席持っており、アラブ系だとほかにアラブ統一会派とかいう勢力が今回の件でどちらにも属さず中立をたもっているようなのだが(たしか六議席だったか?)、ラームは、アラブ系のひとびと、すなわちパレスチナ人の生活環境をよくするには、ユダヤ勢力と取り引きするしかないということで連立参加を決断したらしく、西岸地域(だったとおもうが)のパレスチナ人の環境改善とかインフラ整備とかにたいして日本円にして一兆何千億円だったか、けっこうな額の支援をおこなう、という取り決めになっているようで、しかしこれはヤミナにしてみれば絶対に是認できないことのはず。
  • 天安門事件にかんする記事もあったはずだがよんでいない。食事をおえるとかたづけ。このころには雨がはじまっていた。しかしまだ音のたたない、染み入るような降り。風はなかなかふえていて、精霊の叫びのような音をときに立てていたし、風呂をあらいにいったときも、窓は二センチくらいしかあいていないのにそこから涼気がするすると、なめらかにすばやくながれこんできた。茶を用意して帰室。Notionを準備し、一服しながらウェブをまわると、この日のことをつづった。いま一時一〇分。きょうの労働は夜。七時まえの電車で行くだろう。明日は朝からなので、かえったら夜ふかしせずにはやめに寝ることになるはず。
  • いま五時半。書見をしたのが四時か三時半くらいまでだったか? 雨がはしった時間があって、ピーク時はそこそこ音がおおかったのだが、いま現在はやんでいて、カラスやら鳥たちがよく鳴いている。ピエール・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』(人文書院、一九九五年)を読了し、その後、アントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(白水社、一九七七年)をよむことにして、さっそくよみはじめ、20ページかそのくらいまでよんで中断し、日記をかたづけにかかった。それで五月三一日からきのうのぶんまで一気にしあげて、溜まっていたしごとを解消することができたのでよかった。
  • 出勤前にものを食べるため、上階へ。夜は餃子でいいかと母親が言っていたので焼いておこうとおもったのだが、冷凍庫をさぐっても餃子がないし、ほかに調理して一品にできそうなめだった品もない。味噌汁はのこっており、サラダも多少あるので、餃子を焼けばいちおう膳としての体裁はととのうとおもったのだが。エネルギー補給のためにはカップ麺でも食えばよいかとおもっていたところ、冷凍庫に、先日母親が(……)ちゃんの妹さんからもらったチーズ入りのパンが保存されてあったので、それをいただくことに。レンジで一分強、加熱。ほか、キュウリを切って味噌をつけて食うことにして、小さな包丁で切り分け、皿に乗せて味噌を添える。キュウリという野菜は水いがいにほとんどなにもふくまれていないかんじがじつに好ましい。それで二皿をもって帰室し、(……)さんのブログをよみながら食事をとった。その時点でちょうど六時ごろ。それから歯をみがいたあと、瞑想。生の真実を再確認してしまったのだが、やはり瞑想の時間をなるべくとったほうがよい。あきらかに心身はおちつくし、気力もたもたれ、意識は明晰になって時間が多少減速される。瞑想をしているあいだがそうだというのではなく、その後の一日の時間の感触がそうなるのだ。このときは、窓外で、(……)ちゃんの家の女子が母親をあいてにはなしている声がきこえてきた。家のなかにいて、ことによるともう飯を食っているような雰囲気だったので、窓か扉があいていたのだろう。なにやら友だちと喧嘩でもしたのか、母親が、なんとかちゃんの家はなんとかちゃんの家でやりかたがあって、うちはうちでやりかたがあるから、でも、友だちとして言わなきゃならないことは言ったほうがいいよ、みたいな調子で、いさめるようなことを言っていた。一五分ほどすわったはず。いちおう体感にしたがって、そろそろいいかなとおもったら姿勢を解くことにしているのだが、一五分か、というかんじ。数字でみるとやはりみじかいようにかんじる。
  • 「月光とにらめっこするおれたちは夜がくるまでマスクを取れぬ」という一首をなぜかつくった。
  • そのあと、きがえて出勤路へ。雨がまた降りそうな天気ではあったが、傘はもたずに道へ。時刻は七時まえなのだが、みあげる空にはまだ青さがなく、偏差なく延べられた空白のうえに薄い煙色の雲が染みつくようにしてたくさんかかっているのみ。左に目をふって、東の果てのほうをみると低みでは多少の青が生まれはじめていないこともないが。坂道をのぼっていき、最寄り駅のホームにはいったころにはしかし、空は少々青く染まってきていた。ベンチについて電車を待ち、来ると乗って、瞑目。(……)でおりてホームをいけば、ここではすでに七時もまわって、空の青さは急激に深まり、おうじて雲も、じっさいにはその厚さが変わったわけではないだろうが暗さのなかで沸き返るような質感の影となり、どす黒いという色の言い方があるけれど、それにならって「どす青い」とでも言いたいような天の青さだった。
  • 駅をでて職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 退出は一〇時半まえ。駅にはいって、ベンチへ。客はほぼいない。ホーム上を駅職員が行き来しているのみ。目を閉ざしてやすんでいると、まもなく電車が来たので乗り、ひきつづき瞑目に安らう。最寄り駅につくと降りて、傘をひらく。職場を出るときに雨がそこそこ降っていたので、傘立てに放置されているビニール傘をひとつ借りてきたのだった。それで雨を防ぎながら急がずあるいて駅を抜け、夜道をたどって帰宅。父親の車がまだなかったので、今日も山梨に泊まってくるらしいと知れた。
  • 家にはいると手とマスクをアルコール消毒し、さらに洗面所で手洗いうがいもする。餃子なかったじゃん、と母親にいうと、そうだね、と。自室におりて服を脱ぎ、書見。アントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(白水社、一九七七年)のつづき。この作品はふつうにローマ皇帝やローマ史を題材にした小説だとおもっていたのだが、そういうわけでもなく、小説的な場面描写がごくみじかくあったりもするにはするが、どちらかというとひろい意味でのエッセイにはいるものなのかもしれない。アルトーがじぶんでいろいろ文献をしらべて、ヘリオガバルスという皇帝やその周辺について考察したことを、詩的もしくは形而上学的なよくわからん記述をはさみながら披瀝していく、みたいなかんじか。だから、いま30くらいまでよんだのだけれど、古代の文献から引かれたらしい記述とかもおりおりはさまれている。多少の伝記的な推移とか人物紹介とかもないではないが、物語的な進行感にせよ描写的な言語の駆動にせよいまのところはまだ薄く、舞台や歴史や周辺事情や文化を紹介・説明して地ならしをしているようなかんじ。
  • 帰宅後、書見をしてから食事にあがっていくと、一一時半まえだったのだが、テレビで『ボヘミアン・ラプソディ』がかかっていた。もう終盤らしく、あれはたぶんWembleyのライブを模したものか、Freddie Mercury役のひとがそれらしい、つまりその時期らしい風貌をしていたが、曲は"Hammer To Fall"の最中。この映画は主役がそっくりで、歌も本物みたいで、という評判だったとおもうのだけれど、たしかに、バンド全員じっさいに演奏してその音をつかっているのだとおもうが、違和感はないし、Mercury役のひとも似ているし歌はうまい。近距離でうつるとやはりみんなすこしずつちがうのだけれど、いちばん似ていたのはたぶんJohn Deacon役ではないか。Brian Mayは遠くから見るかぎりではほぼ完全にBrian Mayだった。Mercury役のひとも、顔はともかくとしても、動きは完全にMercuryそのもの。"We Are The Champions"が演奏されるのにあわせて口ずさみながら皿をすこしずつはこんで食事を用意し、食べはじめるころには映画も終わってエンドロールになったのだが、そこでながれるのは"Don't Stop Me Now"であり(イントロのゆっくりとした部分は、歌の一節一節のあいだに原曲にはない空白がすこしはさまって、区切られながらすすむかんじになっていた)、これをエンディングにもってこられると映画本篇をみていないのにそれだけでもわりと感動的であり、うたわざるをえない。そうして映画はおわり、こちらはものをたべながら新聞にいくのだが、テレビはそのあとなんらかの歌番組をうつしていて、そこに緑黄色野菜というバンドが出ており、なまえはきいたことがありながらその音楽はここではじめて垣間見たのだけれど、こういうかんじなんだとおもった。メインストリームのJ-POPの範疇にいる印象だが、それでありながらはしばしに洒落っ気をにおわせるところがあって、このひとたちは中高生に人気だとかいわれていたから、やっぱりさいきんの若いひとたちがやる音楽ってなんか洒落たものがおおいなとおもった。ボーカルのひとが「歌うまお化け」とか呼ばれているらしく、YouTubeだかどこだかでThe First Takeとかいう一発録りシリーズがあるらしいのだけれど、そのなかでいちばんうまいとかいわれているらしい。
  • 新聞からは中国海警局の船が尖閣諸島付近にとどまりつづけており、連続一一一日だったかをかぞえて過去最長の記録とならんだという記事をよんだ。四隻いるらしい。宮古島などの漁師がそのあたりに漁をしにいくのだが、海警局の船は接続水域(沿岸から二四海里の範囲のうち、領海の外)に陣取っていて、漁船の動きをみてそれにあわせるように領海にもはいってきて、二隻つかって漁船をかこむようにするという。接触の恐怖もある、と漁師が証言していた。海上保安庁は中国のこういう動きに対応するために常時一二隻の巡視船を当該地域に専従させているといい、海上保安庁が巡視船を何隻もっていたかわすれたがたしかそんなに多くはないというはなしだった記憶があり、人材もそんなに豊かに育ってはいないといわれていたはずで、つねに一二隻をそちらに配備しなければならないというのはかなり痛手なのではないか? 中国は二月に海警局の権限を増大させる法律を成立させたばかりなのだけれど、さらにもうひとつ、海上権益の拡大を主眼とした国内法をつくりだしているらしく、習近平マジでなにかんがえてんの? というかんじではある。
  • 母親は音楽番組を変更し、瑛太北川景子が離婚してしかしその後もすったもんだするみたいなドラマをうつしていた。キャラにせよ台詞にせよいかにも漫画的で、漫画でよめばそういうものとしてそんなにどうともおもわないだろうが、それがテレビドラマになって、現実の肉体をもっている人間が演じているのをみると、つまり受肉しているもしくはさせられているのを目にすると、とたんに陳腐さとチープさがきわだってくるのはなぜなのか? 食器をあらうと入浴へ。風呂のなかでもそこそこ停まることをこころみる。瞑目でつかっているあいだ、ヴァルザーをパクった小説の案というか、そのなかの一場面があたまのなかで展開されていた。つまり脳内で書いていた、ということになるか。ほんとうに、ただヴァルザーをパクっただけの小説になる予定で、そのなかで主人公が公園にいって偶然でくわした老人とながながと対話するという場面をつくるつもりなのだが、その対話が勝手に想像された、というかんじ。双方詭弁をふんだんに濫用して互いによくわからんことをいいつづける、みたいな調子で、そういうかんじのものだったらじぶんはたぶんけっこう、というかことによるといくらでも、書ける気がする。構成とかもかんがえず、てきとうにおもいつきでいきあたりばったりでやるとおもうのだが、そういうものならじぶんでも書けそう。書き出しの声も、これでいいかどうかはべつとしても、多少きこえてはいる。気持ちがむいたらそのうちやるが、ヴァルザーを真似するだけのものなので、べつにやらなくてもよい。
  • 入浴後は茶をつくって帰室し、それでもう一二時半をすぎていたとおもうのだが、勤勉なことにこの日の日記を記述した。明日が朝からの勤務で、八時すぎには出るようなので、六時には起きたいというわけで、そうすると遅くとも二時には寝ないとさすがにきつい。しかし二時まえまで記述をつづける勤勉ぶり。いそがずおちついて、かつ楽になめらかに書けた感があったが、これはやはり瞑想をして心身がまとまっていたためである。主観的にはあきらかにそう。焦りがなくなるので。二時まえでそろそろ切るかとしまえて、歯をさっとみがいたあと、Queenを何曲かきいた。"Don't Stop Me Now"がききたかったのでまずそれを。『Jazz』にはいっているスタジオ音源。ドラムやベースの音とか、そのややもったりしたかんじのエイトビートに古い時代のロックをかんじる。なんだかんだいってもこの曲の多幸的な、ほとんど唯我独尊的なきらびやかさと、それと同時にイントロとアウトロでちょっとだけほのめく切なさの香りというのはよく、大したものだ。この曲を歌うとすると、"Two hundred degrees, that's why they call me Mr. Fahrenheit"というところが相当言いにくく、この詰め込み方なんやねんというかんじ。英語をそこそこ読んできていまだにわからないことのひとつなのだが、このdegrees, that'sみたいに、zの音とthの音が接して連続するとき、ネイティヴのひとたちはどういうふうに言っているのだろう? あと、monthsみたいなかんじでthの音でおわる単語が複数形になるときの発音のしかたもいまだにわからない。なんか、そういうときはもう「ツ」と言ってしまっていい、みたいな説をむかし聞いて以来そうしているのだが。
  • 『Live Killers』のディスク二の冒頭の"Don't Stop Me Now"もきく。ライブなのでスタジオ版よりとうぜん粗い。この曲の途中にはだいたいドラムのリズムだけになったうえで"don't stop me, don't stop me"とくりかえされる間奏部があるが、ライブだとそれがスタジオ版よりもながくなっていて、ギターも多少コードで装飾をつけており、やろうとおもえばここからお得意のロックンロールメドレーとかにいけるな、とおもった。それでそのつぎに、『Live At Wembley '86』のディスク二の序盤にはいっているそのメドレー、すなわち、"(You're So Square) Baby I Don't Care"、"Hello Mary Lou (Goodbye Heart)"、"Tutti Frutti"をきいた。これがおどろくほどによい。このときはたしかバンドがみんなステージの前の方に来て、ほぼBrian Mayのアコギだけをバックにしてみんなでうたう、みたいな趣向だったような気がするのだけれど、そういうひどくシンプルなやりかたのときにこそやはりバンドの地の力というものがありありとあらわれるもので、ギターと歌とコーラスだけでこんなによくなるかと、八六年当時のQueenというグループの円熟がきわだっているようなきがした。ここでのBrian Mayのアコギの音はあらためてきいてみると変で、これガットギターなのかな、このまえでバラードをアコギだけの伴奏でやってるし、そのながれのままなのか、ガットギターでこういう曲をジャカジャカやるっていうのもあんまりないだろうし、とかおもったのだが、一方でガットの音かというとちがうような気もされ、よくわからなかったのだが、いま検索してみたところ、これは一二弦ギターなのだ。あれが一二弦ギターの音だったのか。と書いたところで、いや、俺がみたのは"Love of My Life"の映像だから、"Baby I Don't Care"の時点ではギター変わってるんではないかとおもって検索しなおすと、やはりそうで、ここではふつうにペグが六個のギターをつかっているし、ヘッドのかたちからしてもやはりこれはガットだろう。ナイロン弦のガットでロックンロールをガシガシやるって、あまりやらないのでは? とおもうのだが。だがそれはそれとして演奏と歌はよく、こういうのができれば俺ももうそれだけで満足なんだけどなあとおもった。けっきょく、こういうむかしながらのロックンロールとか、ブルースの色合いをまだ濃くとどめた時代のロックが好きな人間なのだ。メドレーのさいごまできて、"Tutti Frutti"の終盤では、Mercuryが観客と掛け合いしているあいだにほかのメンバーはずいぶんすばやくバンドセットにもどり、Roger Taylorがスネアの連打で切りこんできてBrian Mayもエレキにもどり、尋常のバンドサウンドになるのだけれど、文句なしに格好良く、乗れる。ドラムもおりおりのフィルインはスネアを三連符でひたすら連続させるだけなのにやたら格好良いし、Brian Mayのソロもじつに伝統的な、ペンタトニックを駆け回るロックギターの格好良さ。あまりにも大げさで馬鹿げたいいかただが、西暦二〇二一年のわれわれがいまや失ってしまったものがここにはあるな、とおもった。じっさい、こういう音をいまマジで真面目にやろうというひとびとはあまりいないのではないか? やっても売れないだろうし。海外にはまだわりといるかもしれないが、日本でこれで勝負しようというバンドはないだろう。
  • さいごにディスク二の冒頭にもどって"Love of My Life"をきき、それで終了。コンピューターをおとして瞑想。二〇分ほどすわって、二時半すぎに消灯した。いつもより時間がはやいので眠気はさほどなく、いましばらく起きていたようだが、じきに就眠。寝床のなかで、多少の詩句めいたフレーズをいじりまわしていた。