2021/6/5, Sat.

私のほうが、この男よりは知恵がある(ソフォーテロス)。この男も私も、おそらく善美のことがらはなにも知らないらしいけれど、この男は知らないのになにか知っているように思っている。私は知らないので、そのとおり知らないと思っている。(『弁明』二一d)

 伝統的には、「無知の知」と呼ばれてきたことがらである。プラトン研究者たちが指摘するように、けれども、この言いかたはソクラテスの真意を、おそらくは枉 [ま] げてしまうものだろう。ソクラテスは「知らないと思って [﹅3] いる」と語ったのであって、「知らないことを知って [﹅3] いる」と言ったのではない。プラトンもまたそうつたえてはいない。プラトンはむしろべつの対話篇(end69)で、「知らないことがらについては、知らないと知ることが可能であるか」という問いを立て(『カルミデス』一六七b)、否定的に答えている。視覚が色彩を感覚するものであるなら、視覚についての視覚とは、なんについての感覚でありうるだろうか。ほかならぬ視覚でありながら、色を見ずに、たんにさまざまな視覚そのものを見る視覚などありえない。知の知は、たやすく難問(アポリア)を抱えこむ。無知の知も同様である。「知らないので、そのとおりに知らないと思っている」という、プラトンがつたえるソクラテスの発言は、なにか特別な自己知 [﹅] の主張ではないように思われる。「知ある無知 docta ignorantia」を説く者とソクラテスをかさねあわせることは、クザーヌスそのひとの発言にもかかわらず、不可能なのである。
 この件は、そうとうに決定的な、ことの消息とかかわっているものだろう。無知の知という知のかたちをみとめるならば、ソクラテスはやはり「知者」(ソフォス)であることになるからだ。知者であるのは、たとえばプロタゴラスであって、それを自称する者たちこそがソフィストであった。ソクラテスは知者ではない [﹅2] 。あくまで「知を愛し、もとめる者」(フィロ・ソフォス)である。この一点で、同時代人の目にはソフィストそのものと映っていたであろうソクラテスが、ソフィストから区別される。ソクラテスソフィストではない。だから [﹅3] 、ソフォス(知者 [﹅2])でもない。フィロソフォス(哲学者 [﹅3])なのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、69~70)



  • 六時にアラームをうけてつつがなく覚醒。むしろそのまえにもいちどさめていた記憶がある。いったん寝床にもどるとこめかみをもんだりふくらはぎをほぐしたりしたが、二度寝におちいることなく、六時一五分すぎに無事離床できた。洗面所へ。母親もおきており、トイレにはいっている。顔をあらったりうがいをしたり水を飲んだりして部屋にもどり、瞑想。Queenの"Don't Stop Me Now"があたまのなかにながれていた。それをきいたり、浮かんでくる歌詞の意味をあらためて確認したり。窓外には鳥声がむろんある。基本的にヒヨドリがピヨピヨ鳴くのがベースで、それにカラスが二匹くらい、そう大きくもなく、まだねむたいような漫然とした声音でざらつきをさしこみ、ウグイスがときおり錐揉み状に、もしくは花火みたいにひゅるひゅるやっているのだが、さらにもう一種、ほかの鳥声のなかにあってじぶんのペースをくずさずにほぼ一定の間隔で鳴くやつがいる。なんの鳥かしれず、鳴き声のかんじも言語化しづらいのだが(鳥の声はだいたいどれも言語化しづらいが)、鳥というより夏の夜に鳴いている虫の鈍い羽音をおもわせるようでもある。
  • 目をひらくと二〇分少々経っていて、六時四三分。上階へ。洗面所で髪をとかす。母親は今日、四時までらしい。こちらはたぶん三時すぎくらいに家に帰り着くのではないか。昼飯は職場で食わず、帰ったらカップ麺を食うと言っておく。焼き豚があるというのでそれを卵と焼いて、米にのせて食事。炊飯器の米はなくなった。ほか、キュウリに味噌を添えたものと、インスタントの味噌汁。新聞を外に取りにいくのが面倒臭いので、ニュースをみる。ワクチン接種について、六五歳以上で一回目の接種をおえたのが一八パーセントほど、二回目までおえているひとだとその一〇分の一で一. 七パーセントくらいらしい。すすみはおそい印象。二一日から職場や大学でも接種できるようにする目標とのこと。東京はきのうの新規感染者が四〇〇何十人とかで、いっときにくらべれば減っているが、なかなか数百人規模を脱せないなというかんじで、都のほうでもなかなか数値が下がらず高い水準で推移している、という認識を発しているもよう。沖縄でも感染拡大しているようで、役所の局長が、このままだと医療崩壊におちいるその瀬戸際の危機にいる、みたいな発表をしたらしい。いわゆる「コロナ疲れ」をかんじるかという調査にたいしてかんじるとこたえるひとがおおいというデータも出ていたが、こちらは「コロナ疲れ」というほどのことはとくにかんじない。コロナウイルスだろうがなんだろうが基本的に生活がかわらないので。
  • 食器をあらって帰室。コンピューターを点けてNotionを準備し、さっそくここまでつづった。じつに勤勉。いまは七時半をすぎたところ。母親が出るときに同乗させてもらう予定で、八時二五分に出発するらしい。きょうの勤務はテスト監督で、九時からなのでどうにかなるだろう。監督といってもだいたいタイマーを管理してはじまりと終わりを画すのと、とちゅうでたまにあと何分です、というくらいのものだし、きょう受けにくる生徒もすくなさそうなので、楽なしごとだ。あいまにやることがたいしてなさそうだから、コンピューターをもっていってきのうの日記を書けばよかろうとかんがえている。ついに職場で内職ができるくらいのポジションにいたった。
  • 「知識」の1番と4、5番を音読したのがきがえたあとだったか否かわからないが、出発までにそれをやった。たぶんきがえたあとだった。先に歯をみがいてベストすがたになり、八時一〇分あたりまでよんだところで余裕をもってうえにあがったはず。便所にいって腹をかるくする時間もほしかったので。それで排便したあと、もう風呂をあらってしまい、そうして出発。きのう職場から借りてきた傘をもって家のまえへ。天気はくもり。また雨になる予感がないでもなかった。道の脇に立って母親が車を出すのを待ち、助手席に乗って出発。さすがにいくらかねむいようだった。睡眠としては四時間も取っていないのでとうぜんのこと。ラジオからはなにか女性ボーカルがながれていて、Nightwishか? などとおもったのだがそんなはずがないだろう。そもそもNightwishをきいたことなどほとんどないし。だが、そういう、ゴシックメタルといえばよいのか、それを連想させるような、ゴシックメタルからメタルをとったようなかんじの曲調と歌い方の音楽だった。職場のすぐそばでおろしてもらったのだが、このとき雨がはじまっていた。面倒臭いので傘はひらかず、すぐそこの裏口にいって開錠。なかにはいって勤務へ。
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  • (……)退勤。三時半ごろだった。さすがに疲労感。なにしろねむりがすくないし、駅内の通路をいきながら計算すると、八時半ごろから三時半までだから七時間も職場にとどまっていたわけで、あきらかに働きすぎだなとおもった。ホームに移り、ベンチについて瞑目しながら休む。そこそこ眠気めいたものが兆す。意識を失いはしないものの、多少あたまが前後に揺れるかんじはある。電車内でも同様に休んで、最寄り駅につくと降り、暑いのでマスクを顎のほうにずらして呼吸のための穴を露出させ、帰路につく。坂道をくだると、十字路からみて右方の先にある近間の家で木を切っているようなかんじの音が立っていた。家までの道をいくあいだ、あらためてまわりをみればどこもじつに色濃く充実した緑に満たされていて、道に沿って林がつづいているわけだけれど、その青々とした緑色の斉一性のなかにあるほかの色といって、柑橘類の実の黄色と、あと正面奥で林縁に混ざっている竹の葉の、いくらか黄みの混ざって褪せたような中間色くらいしかない。正面にひかえている林壁もあらためてみあげればずいぶん高くかんじられ、道をいくあいだ風がおりおりながれて暮れ方にむかう初夏の気が曇天ながらさわやかだったが、自宅のまえまで来るとまた風が走って、それが林のてっぺんをゆらしゆらし葉擦れをしゃらしゃらおとしてきて耳と肌によい。
  • 帰るとアルコールで手とマスクを消毒し、マスクはすぐに捨て、洗面所で手を洗いうがいをしていると車が帰ってきた音がきこえ、母親にしてははやいから父親かとおもって洗面所からでたあと玄関への戸をあけるとやはりそうだった。出かけるのときくので、いま帰ってきたところだとうけて下階におりる。服を脱ぎ、ほんとうは横になって休んだほうが良かったのだろうが、書き忘れていたけれど最寄り駅でコーラを買っており、コンピューターをまえにしながら二八〇ミリのそれを空っぽの腹に飲んで水気と砂糖を補給したのですぐには横になれない。母親がまもなく帰宅し、寿司を買ってくるかと言っていたとおり買ってきてくれたので、食事はもうそれでよいというわけで、クソ腹が減ったからすぐに食べるといいながらもすぐには食べず、部屋にもどってきのうの記事を書いた。Queenの音楽を就寝前にきいた際のことを綴って仕上げ、投稿。そのあとギターをいじったはず。隣室にはいってしばらく遊んだが、まあ駄目。大した弾きぶりではない。散漫。うまく弾こうなどという不相応な野心はすてたほうがよいのだが、あまりかたなしでも、どうも。楽器にたいしてこころづかいをできていない。愚かさとはそのことだ。いたわりといつくしみをもたないのが愚劣さということだ。
  • そうして食事へ。寿司があったのに母親はくわえて天麩羅を揚げたらしい。ゴーヤが悪くなっていたから、という。父親はなんの役目かしらないが、どこかの会合にいっているようす。ものを食う。イタリアンパセリとかいうものを揚げたといって、どうかときかれたが、目をつぶって味に意識をむけてみても、あまりパセリらしい風味をかんじず、ただの葉っぱというか、むしろただの天麩羅、というかんじだった。菜っ葉というより、天麩羅の味。寿司はむろんうまいが、先日ほどのあざやかさをかんじなかったのは、やはりコーラを飲んでしまったので血糖値が上がっていたためではないか。新聞の朝刊をきょうは読んでいなかったが、みれば天安門事件から三二年で香港では厳戒、との報。七〇〇〇人の警官だか治安員だかが動員されたとあったはず。ヴィクトリア広場は、完全にではなかったかもしれないが、封鎖され、毎年追悼集会を主催していた団体の副代表が、SNS上で、みなに見えるところで個人的に灯をともそうと発したのが、無許可集会の煽動にあたるとして、公安条例違反で逮捕だか拘束だかされたらしい。そういう状況下でも、治安部隊員と対峙して、例の、国家安全維持法違反だと認定されている、我らの時代の革命だ、というスローガンを叫ぶ一団のひとびともあったというし、当局がやはりあたりを監視して通行人が立ち止まらないように管理するなか、キリスト教教会のいくつかでは追悼のミサが挙行されたという。
  • 英文をよんでいるとちゅうから疲労感と眠気が限界にたっしかけていたので、さすがに休もうとベッドに身投げし、しばらく目を閉じてあいまいな仮眠。八時四〇分くらいまで。八時くらいからだったとおもうので、三〇分か四〇分くらいしか意識をおとしていなかったとおもうのだが、それでもだいぶ回復する。風呂は父親が入っていた。母親に先にはいるかどうするかききにいくと、先にはいるというので了承し、こちらは室にもどって書抜きを一箇所。熊野純彦レヴィナス本。Carole King『The Carnegie Hall Concert (1971-06-18)』をバックに。久しぶりにスツール椅子に腰掛けてやったが、書抜きを長時間やるにはやはりそうするしかない。立位でやっていると足が疲れてきてながくできないので。座っていればいるで、背がこごってくるのが難儀なのだが。
  • そのあと臥位になってアントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(白水社、一九七七年)をすこしだけ読み、風呂にいったのがたぶん一一時まえくらいだったか? アルトーのこの本で、いまのところ、書き抜くほどではないがよいとおもった表現は、まず25でユリア・ドムナについて言われている、「地獄よりも高い所へは決して昇らない女」というもの。「ところでドムナ、この女性はディアナでありアルテミスであり、イシュタルであるが、黒い女性的な力をあらわすプロセルピナ [訳註: 冥界の女王] でもある。大地の第三地帯の黒。地獄の化身であり、地獄よりも高い所へは決して昇らない女である」とのこと。もうひとつは、31でバッシアヌスが着ている服の、「叫び出しそうに鮮やかな黄色」という形容。
  • 風呂のなかで、「帰り道を失くした霊をともづれに月を見つめる胸のすくまで」という一首を作成。あと、多少の詩案というか、それらしき口調と内容があたまのなかにながれたが、かたちとして表出するのは面倒臭い。なんか、なぜか、高校生の乾いた無感動な鬱屈みたいな内容だったのだが。
  • かえってくると今日のことをここまで記述し、いまは一時すぎ。
  • そのあとは怠けて、特段のことはない。三時ごろにいたっておきあがり、瞑想をしてから就寝した。瞑想はねむるまえなので、やはりからだが前後にわりとぐらぐらしたおぼえがある。三時四三分ごろに消灯したはずだがあまり記憶がたしかでない。