2021/6/6, Sun.

 イデアという語は、「見る」という意味の動詞、イデインに由来する。イデアとは、だから文字どおりには「見られるもの」であり、もののすがたやかたちのことである。だがプラトンの語るイデアは、目で見られるものではない。もののすがたや、かたちにかかわるにしても、見られるものではない。すがたやかたちそれ自体 [﹅4] は、見られるものではないからである。(end79)
 コインをさまざまな方向から観察してみる。かたちがいろいろと変化する。それではコインそのもののかたち [﹅3] とは、どのようなものだろうか。真円が、そうだろうか。だが真円は、たんに真上から見られたすがたであるにすぎない。無数に可能な視点の、そのひとつから見られたかたちにすぎないのである。かりにコインそのもの [﹅4] のかたちが存在するとすれば、それを記述するのは、楕円のすべてがそこからみちびかれる一箇の方程式であることだろう。かたちは目で辿られる。だがコインそれ自体 [﹅4] のかたち(モルフェー)は、目には見えない [﹅4] 。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、79~80)



  • 一一時台に起床。水場へ行ってきてからもどり、今日は瞑想せず、しばらくだらだらしながらふくらはぎを膝でほぐす。(……)
  • それで一二時をすぎて上階へ。食事は天麩羅ののこりなど。テレビは『のど自慢』。新聞の書評面の入り口では、阿部公彦レイモンド・カーヴァーの『大聖堂』を紹介していた。カーヴァーの小説は地味で激しい展開はまったくないが、ものごとの非常に微妙な機微をすくいあげてあつかっており、『大聖堂』はある夫婦が妻の友人の盲目の男性を自宅にまねくはなしで、この男性と妻はむかし仲が良かったようなので夫としてはおもしろくないし、視覚障害者にたいする接し方もわからずさいしょはぎこちない関係になってしまうのだが、ほんのちょっとしたきっかけで状況が変わっていく、それを描いてみせるさまが見事だと。さいごではテレビに映った大聖堂を見ることができない男性は、夫に絵に描いてくれないかとたのみ、その絵のうえに手を乗せて見えないものをかんじとろうとする、みたいな展開になるらしく、この紹介だけきくとクソおもしろそうだとおもう。カーヴァーはそうとうむかし、たぶん読み書きをはじめて文学にふれだすまえだったのではないかとおもうが、『頼むから静かにしてくれ』だったかを読んだことがある。「でぶ」というみじかいやつが冒頭にはいった本だった。とうじはやはりわからず、あまりおもしろいとはおもわなかったはずで、なんか変なはなしだなあ、くらいにかんじたおぼえがある。
  • 今日の天気はくもり。新聞からはもうひとつ、ロシア特派員だか支局長だかのみじかいエッセイ風の記事をよんだ。「メモリアル」といって、ソ連時代の抑圧の歴史とか、そこで人権のために活動したひとびとの記録をのこしてつたえようという団体があるらしいのだが、その団体がアンドレイ・サハロフ特別展をひらいたものの、場所がまったく目立たないような狭いアパートの一室だかで、プーチンのもとではこういう展示をおおっぴらにやることもできないと。サハロフというひとは七五年だかにノーベル平和賞をもらった物理学者で、サハロフ賞というものもあったはず。ハンナ・アーレントが受賞していなかったか? 記憶違いかもしれないが。プーチンは外国から資金提供されたり、外国の影響を受けている団体をスパイ組織として指定できる法律をつくったらしく、この「メモリアル」もそれでスパイ組織認定されているとのこと。
  • 食後は食器洗いと風呂洗い。茶を持って帰室。(……)
  • (……)ちゃんの家にこどもの友人らがきているのか、にぎやかな声がきこえていた。それで五時過ぎ。あがって、アイロンかけをする。テレビは『笑点』。ロッチがコントをやっていた。まあまあ。眼鏡をかけていて髪がながくもじゃもじゃしているほうのひとについて、母親は、なんかあのひと、ふつうにいたらちょっとキモいよね、と言っていた。わざわざそれを口に出さなくていいとおもうのだが。
  • アイロンかけをすませると部屋に帰り、きのうの記事をほんのすこしだけ書き足して投稿。そして、日記の一部だけまたnoteにあげてみるかという気になったので、登録した。私生活の詳細ではなく、天気か風景の記述だけ投稿するアカウントにするかと。まえにはてなブログでもやっていたことだが。六月がはじまったばかりなのでどうせなら六月のさいしょからにするかというわけで一日をよみかえしたが、この日は特にまとまった天気の文がなかったので、二日から。休日は外に出ないのでそういうたぐいの記述はない。今回は毎日あげなくてもよいとおもっているので、それらしい文が書けた日だけでよい。noteもコメントを書けないように設定できるとおもっていたのだが、そうできるのはpro版だけのようで、投稿時にコメント欄閉鎖を選択できなかったので残念。プロフィールには「きょうのてんきなど。」としるしておいた。
  • そのあとだったかそのまえだったかわすれたが、瞑想をおこなった。かなり充実した印象。なんというか、時間が密集的に凝縮して、途切れ目が生まれない。窓外ではもう暮れ方なのに鳥がたくさん、かしましく鳴いている。なにもせずにじっとすわっていればじきに、なんというか心身内部がかるくなめらかになってきて、空洞のような質感になる。かなり座ったつもりでいたのだが、ところが目をひらくとやはり二〇分も経っていなくて、マジかとおもった。三〇分座ったつもりだったのだが。あと、この日はおりおりに、両手を組んで腕を後方や前方にのばしたり、背伸びをしたり、上体を左右にひねったままそのへんをつかんでとまったり、ストレッチ的なことをやる時間をおおくとったのだけれど、そうするとからだがちがうので、やっぱりこれもやらなければ駄目だなとおもった。マッサージとストレッチはどうやら相補的なものなので、どちらかだけでなくて両方やらないといけない。
  • それで七時ごろに夕食へ。キムチ風味のスープや煮物など。さいしょのうちは、つまり母親が食膳を用意して炬燵テーブルの父親の横につくまでは、テレビはニュースを映しており、ミャンマーでひきつづく苦境や抗議デモをうけて日本に来たサッカーかなにかの選手が、大会の開会式だったか試合のときに、国軍への抗議を意味する三本指を立てる仕草をおこなった、という話題などをつたえていた。この三本指を立てるサインは、たしかもともとタイでやっていたものではなかったか。食事を口にはこんで咀嚼しながら新聞もまた読む。一面から二面にかけてあったジョセフ・ナイの寄稿をまず。米中間対立で怖いのは、双方があいてとおのれのちからを正確に把握せず過小か過大に評価して、それで恐怖感から葛藤がエスカレートすることだというはなし。トゥキュディデスがペロポネソス戦争の原因を、アテネの台頭にたいしてスパルタが恐怖や危機感をおぼえたことに帰しているらしいのだが、ナイは冒頭それを紹介し、現在の米中対立についてもこの見解に沿ってかんがえる識者がいるが、しかし米国と中国は経済的な相互依存が強いので、いまのところはまだ、熱戦はもちろん、冷戦の段階にもいたりはしないだろう、と述べる。そのあと、中国はたしかに相当に拡大してきているが、まださまざまな面で米国が優っている分野もある、という趣旨の説明がつづく。中国は、貿易相手としては米国の人気を上回って、米国を世界最大の貿易相手としている国はいま五七であるのに対して中国は一〇〇を超えているが(例の「一帯一路」の一環で、諸外国への金銭的支援も相当にやっているらしい)、経済規模はまだそれでもアメリカの三分の二くらいだと。また軍事力も、米国のほうが四倍高いという推定もあるという。推定とされていたのは、たぶん中国が正確な防衛費や軍事力のデータを公開していないからだろう。具体的なはなし、いまの中国ではたとえば西太平洋からアメリカを追い出すことは決してできない。さらに文化的なソフトパワーの面ではとうぜんアメリカのほうが優勢だし、学術面でかんがえても、大学の学問的業績ランキングみたいなものの上位には中国ははいっておらず、アメリカの大学が大部分を占めている。そういうわけで、中国の拡張や台頭にせよアメリカの衰退にせよ、米国側はあまり恐れすぎずに冷静に把握して、軽々な行動を取らないようにしなければならない、というようなはなし。危惧されるのは中国側の民族主義的な動向の高まりだとも言っていた。
  • あと一面の、外国から大きな影響力を受けている留学生や日本人研究者にたいしては、軍事転用可能な技術情報の利用を許可制にする方針、という記事をよんだ。もともと外国人にたいしてそういう情報を提供するのはいまも許可制らしいのだが、外国人でも日本で働いていたりすると「居住者」というくくりになり、居住者にたいする提供は問題ないとされているので、そこが抜け道になりかねないということらしく、外国人も日本人もまとめて情報流出の可能性があるばあいは規制すると。外国から大きな影響力を受けているというのをどういう基準で判断・認定するのかがまた難問になりそうだが、中国の例の「千人計画」というやつを警戒しなければならないというわけだろう。
  • 食器を洗って部屋へ。食後だったか食前だったかわすれたが、(……)さんのブログの最新記事をよんだ。冒頭の引用(國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.270-277)からメモしておきたいとおもったのは以下のぶぶん。

 私は、「痛みから始める当事者研究」のなかで、非常に単純化して言えば、退屈になる理由、じっとしていられないということの理由は、過去のトラウマが原因なのではないか、と書きました。
 かつてコナトゥスを乱され、踏みにじられた記憶が大きければ大きいほど、人は簡単にそれを忘れたり慣れたりすることができない。多かれ少なかれ、コナトゥスを乱される記憶は、私たちのなかにたくさんあります。いわば私たちは傷だらけなのです。そして乱された記憶が傷として残る。その疼きを取りたくて人は新たな傷を求めてしまうのでないか。
 私はまた、同じ論文のなかで、さまざまな根拠を挙げながら、過去のトラウマ的な記憶を消すためには、今ここで新たにトラウマになるような傷を自分が自分に与えるのが一番だと述べています。例えば、自傷というかたちで出ることも、依存症のようなアディクションのかたちで出ることもあるかもしれない。いずれにしても、パスカル風に言えば、興奮させるような、覚醒度を上げさせるような何かで過去の痛みの記憶を沈静化させることが合理的である、そんな場面というのがあるかもしれない、と。

     *

 熊谷さんは以前、僕の浪費と消費の区別を、「インプット」と「アウトプット」という言い方で説明してくれました。浪費しているときには、食べながら味わい、その味をインプットできている。ところが、過食の場合は、確かに食べ物を飲み込んではいるんだけれど、そこに起こっていることはインプットというよりアウトプットであり、何かを食物にぶつけている。しかも内臓で起こっていることの受け取りも遮断しているので、自己の状態もモニターできなくなっている。
熊谷 そうなんです。私は自分の過食を思い出しながら、消費と浪費の違いはなんだろうと考えました。例えば、食べ物が目の前にあって、それをちゃんと味わっているときはうまく食べられるわけです。ところが、過食としてむやみに食べているときは、食べ物から情報をまったく受け取っていない感じがする。むしろ、エネルギーを食べ物にぶつけているような感覚があります。食べることがインプットではなく、スポーツするときのようなアウトプット重視の行為になっているときに、食べるのが止まらなくなるのではないか。

  • 八時二〇分ごろから音読。Carole King『Music』をながした。「ことば」で1番の石原吉郎の文をあいかわらず読み、そのあと「知識」のほう。順番はまっすぐでなかったが、1から6まで触れることになった。「知識」のほうはそんなに何度も何度も読まなくとも、その記述にふくまれた枢要な情報はとうぜんインストールできる。いままでは一項目につき二回と決めてすすめ、きちんと記憶することをかんがえず触れたときにあらためておもいだせばいいやとおもってやっていたが、おぼえるまで反復して読むやりかたに変えてみると、こういう方法のほうがこちらに向いていたような気がする。大学受験の勉強のときもそうだったのだ。どんどんすすんでいって周回するのではなく、範囲をみじかめに区切ってなるべくきちんとおぼえながらいく、というやりかただった。英語の単語は『システム英単語』をつかっていたが、ページのうえにやった日付をメモして、一週間経ったらもういちど学習する、みたいなかんじで、触れる間隔を管理していたくらいだ。いまおもえば、あのときから何度も口に出して読んで力技でたたきこむ、というやりかたを習得していれば、もっと楽だった気がする。
  • 九時で切って部屋を抜け、トイレで柔らかめの糞を腸から追い出したのち、入浴へ。暑い。気温が高いということもあるが、音読のさいちゅうにダンベルを持っていたからだろう。さいきんはマッサージのほうに傾斜していて音読中も各所の肉を揉んでいることがおおかったが、やはりダンベルを持つのもよい。風呂のなかではたわしでからだをていねいによくこすった。かなり念入りにやったといえる。それなので肌がそうとうにすっきりした。出るとカルピスを一杯つくり、裸の上半身に黒い肌着をかけ、片手にはコップを持って階段をくだり、寝室にさがっている母親に風呂を出たことを知らせにいった。部屋はおおかた暗くなっており、母親はややうとうとして休んでいたようだ。はいるまえから気配を聞きつけて、出た? ときいてくるので、肯定し、お先に、と言ってじぶんの部屋に移動する。LINEをのぞくと(……)が、今日の九時くらいから通話できるかと呼びかけていたが、時間もすぎていたし、今日は欠席させてもらうことに。(……)それからきょうのことを冒頭からここまでしるすと、いまちょうど日付が変わるところにいたっている。書いているうちとちゅうから指のうごきがおちついてきて、だいぶゆっくり書く感覚になったのだが、そういうふうに、これくらいのスピード感でつづったのはひさしぶりのこととおもう。
  • 預言者がくれたこの世の真理など昼寝のなかでわすれてしまえ」という一首をつくった。
  • 「祭壇の火にたくされた妄想を来世のきみにはこぶ盗賊」という一首もつくった。
  • アントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』(白水社、一九七七年)をよみながら休息。ヘリオガバルスまわりの事項の推移と、町や神殿の説明がかわるがわるかたられるのだが、あいかわらずなにをしたいのか、なにをかたりたいのかあまりよくわからないようなかんじ。わりあいとしてはむしろ後者のほうがおおいようで、神殿の祭儀や内部の事物についてなどややくわしくかたられるのだが、それが物語的主軸と有機的にむすびついているかというと、そうともみえない。いちおう背景をなしているのはそうなのだろうが、語り方が無造作というか、一行あけをはさんで断章的にすすんでいくのだけれど、それらをうまく統一的につなげてひとつの世界を表象しようというよりは、説明するような文章。だからやはりエッセイ的というか、物語の語り手としての語りというより、書き手としての語り方という印象。アルトーの関心は、いまのところでは、ヘリオガバルスよりも、むしろ神殿まわりのことがらとか、太陽神信仰の原理とか、それとむすびついているようだが、シリアやローマという世界における性的秩序などにより濃くむけられているようにみえる。たぶん、ヘリオガバルス当人やその事績をかたろうというよりは、ヘリオガバルスをとおしてなにかをみようとしている作品なのではないか。
  • 52のさいしょにある、「戦争が去ったあとには詩が立還ってくる」というフレーズがちょっとよかった。あと59の二行目に「宇宙車輪」という語がでてくるが、これはなんなのか。はじめてみる語の結合の気がするが。「まわすと宇宙車輪の響きを発しながら放射状の地下道を通りぬける蝶番の軋み」という一節のなか。ここは太陽神にささげられる「日に四度の聖餐」についての記述のいちぶ。
  • 書見は一時をまわったあたりまでだったか。なので、わりとみじかい。そんなにすすんではいない。(……)