2021/6/8, Tue.

 感覚に与えられているもののうちで、或るものと完全にひとしい他のものは、ひとつとして(end86)ありえない。また、感覚がとらえる世界にあっては、いっさいが移ろって変化してゆくかぎり、変わらないもの、みずからとひとしくありつづけるなにものもない。完全なひとしさ [﹅4] をひとが目にしたことは一度もない以上、ひとしさ [﹅4] ということばを、感覚をつうじて経験的に理解することは不可能であったはずなのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、86~87)



  • いちど九時半だかそのくらいにめざめたはず。しかし起きられず、一〇時半ごろにもういちど覚醒して、いつもどおりこめかみを揉んだり腰を揉んだり、腕を伸ばしたりなどしてから一一時に離床。クソ暑い。カーテンもたっぷりとひかりをはらんでいて、晴天らしい。水場へ。顔を洗い、口をゆすいで水を飲むと、うがい。用も足してもどり、瞑想をする。あからさまに気温がたかくてクソ暑いので、枕のうえに尻を乗せてあぐらをかきながらじっとしているだけで、しだいに背中に汗が生じてくるのがかんじられる。一五分ほどすわって上階へ。母親はテレビをみており、料理番組で、梅の酢漬けかなにかをつくる趣向だった。テーブル上には果実酒用のなんらかの液体のパックや砂糖が置かれてあり、台所にいけば採られた梅の実が桶にたくさん入れられてあったので、母親もどうも梅酒などをつくるつもりらしい。あと、赤いシソの葉がなぜか大量にあった。どこに生えているのか知らないが、これも採ってきたのだろう。洗面所で髪をとかし、食事は炒飯とキャベツの炒めもの。レンジであたためて卓へはこぶと、新聞をひらきながら食事をはじめた。一面の下部には今日は国書刊行会水声社の広告。後者のなかに、ボルヘスが激賞したとかいうカサーレスの作品があった。大西亮訳。なかのページからは、政府の有識者会議で皇位継承や女性・女系天皇について専門家らへのききとりがおこなわれているという記事をよむ。ヒアリング対象の「専門家」としてなぜか綿矢りさの名があり、綿矢りさ天皇制ほかについての「専門家」などではまったくないだろうとおもったのだが、国民や女性目線の意見をとりいれたいみたいな文言も記事中にみられたので、たぶんそういうことで選ばれたのだろう。意見を述べる専門家は二一名で、うち八名が女性。保守派はむろん女性天皇女系天皇も許容しないが、だいたいのところ、女性天皇は過去にも例があるから容認とし、女系については慎重な姿勢をしめす、という趨勢のようす。継承に関連して、戦後に皇籍を離脱した元皇族を養子縁組できるようにするべきだとか、女性宮家の創設は将来の女性・女系天皇につながりかねない、というはなしが出たらしい。
  • もうひとつ、一面に、ソウル中央地裁が元徴用工や遺族らの賠償請求をしりぞけたという記事があったのでそれも。二〇一八年に大法院すなわち最高裁で、日韓請求権協定によっても個人レベルでの賠償請求の権利は失われないという判決がくだされており、それにのっとって日本企業にたいするてつづきがすすんでいるところだが、今回の裁判は、原告八五人が日本企業一六社にたいしてひとり一〇〇〇万円弱の賠償をもとめたもの。中央地裁の判断はとうぜん大法院のそれとは逆行するもので、一九六五年の日韓請求権協定において、両国ともあいての政府や国民にたいして、賠償に関連していかなる主張もできない、みたいな文言がふくまれているらしく、それを重視したものだということだった。また、地裁判決は国際的観点からの影響にも言及しており、つまり日本政府が国際司法裁判所にうったえる可能性を想定し、もしそこで韓国が敗訴することになったら韓国司法の信頼性は致命的なまでにそこなわれる、という政治的考量も述べているという。ただ、原告側は控訴する予定のようなので、判決は覆される可能性もある。
  • テレビはそのうちに気象予報にいたる。今日、東京は三〇度を超えるまでに上がっており、今年はじめての真夏日だという。夕方から夜にかけて局地的に雷雨になるかもしれないとのこと。食器を洗うと風呂場に行って浴槽もこすり、はやばやと自室に帰った。コンピューターおよびNotionを準備して、今日のことをさっそく書きはじめる。文をしるしている途中、目を閉じながら首を曲げて伸ばしているときに、やっぱりnoteやめようと唐突におもったので、すぐさま退会しておいた。二日か三日くらいしか登録していなかった。先日に登録したときは、なぜかまたやろうかなという気分になっていたのだが、きょうはやっぱり面倒臭いし、やってもしょうがねえなというこころになったのだ。やはりじぶんの場所はひとつでよい。きょうのことをここまでしるせばいまは一二時五〇分。労働のために三時ぴったりには出なければならない。徒歩ならもうすこし遅くてもよいのだが、さすがにこの暑気とあかるさのなかを歩いていく気には、きょうはならない。電車を取る。しかしそうするとはやすぎて、時間がかなりあまるのだが、待つのは得意である。きょうの勤務は最後までなので、帰宅はまた一〇時半か一一時くらいにはなるだろうから、そうするとあまりなにをやる時間もない。疲労も濃いだろうし。
  • それからきのうの日記をすすめたが、一時をまわったあたりで切りとした。外出前に脚をほぐしたかったためである。そういうわけでベッドにうつってあおむけになり、三宅誰男『双生』をよむ。ややねむいような、あたまが晴れきっていないような感覚があった。おりおり本を置いてやすみ、胎児のポーズなどをやったりただ瞑目でとまったりしてリフレッシュする。
  • 二時ごろからにわかにくもってきていた。しかし空気にこもった熱はそのままで溜まって散っておらず、なおかつ雨の気配もある。出勤まえには台所で、立ったままちいさな豆腐をひとつだけ食べた。
  • 出るまえに「ことば」の1番の石原吉郎の文を音読するが、たぶんこれはもうほぼ暗唱できるとおもう。そろそろつぎにいってもよい。
  • 出るころにはやはりもう雨が来ていた。しかし最寄り駅につくころにははやくもやんでいる。のち、勤務中にも盛った時期があり、そのときには雷の音も鳴っていた。(……)さんの自転車が雨ざらしになってしまったので、スリッパ履きのまま外に出て軒下にはこんであげたが、そのみじかい時間でもそこそこ濡れてシャツにおおきな粒の染みができる。
  • (……)についたのが三時過ぎで、この日は職場を開ける役目だったのだが、すぐに行くとさすがにはやすぎるのでベンチについて手帳にすこしメモ書きしたりしていた。「停電の夜を惜しんで笑むきみを盗み聞きするその脈拍を」という一首を作成。こちらのすわっているまわりをハクセキレイがちょこちょこうごきまわっており、その足のはこびの、いかにも小鳥らしいすばやさこまかさといったらなく、ながくあるくときはほとんど回転しているように見える。ハクセキレイなどと呼ばれているわりに、けっこうからだに黒の色のわりあいがおおい。じきに女子高生の一団がやってきてわいわいしていたので、それを機にたちあがって職場へ。というか、ふつうに職場にもうはやく行ってしまって、なかでメモするなり目を閉じて休んでいるなりすればよかったのではないか。べつにはやく開けたってバレないわけだし。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • それで退勤は一〇時半ごろ。電車で帰り、夜は三宅誰男『双生』をよみすすめたり、日記を書いたり。