2021/6/12, Sat.

 自然という語は、第一義的には「生長するものの生長」そのもののことをさす(『形而上学』第五巻第四章)。運動の原理としての自然は、アンティフォンの例に見るとおり、まずは素材であることである。けれども、木製の寝台から、ふたたび芽が出て、それがもういちど樹となる(end104)とすれば、木のかたち(エイドス)もまた運動の原理にほかならない。制作物もそのかぎりでは同様であろう。「ある意味で、事物がそれから生成し、生成したその事物に内在しているそれ〔質料〕が原因であるといわれる。たとえば銅像においては青銅が、銀杯においては銀がそれであり、またそれらを包摂する類〔金属〕も銅像や銀杯の原因である」。「しかし、ほかの意味では、事物の形相(エイドス)または範型(パラデイグマ)が原因であると言われる。これは、その事物がなんであるか〔本質〕(ト・ティ・エーン・エイナイ)をあらわすロゴスなのである」(『自然学』第二巻第三章)。――素材が質料として生成を規定する(質料因)。だが他方、そのものが「そもそもなんであるか」もまた生成をさだめ、その原因となる(形相因)。もののエイドスこそが、自然の「ロゴス」である。これに生成の第一のはじまりをくわえ(始動因)、またそのおわりを数えあげれば(目的因)、有名な四原因の説となるだろう(同)。「人間が人間を生む」場合には、父親が形相因であり、始動因となる。目的因は、やがて人間となるその子であることになるはずである(『形而上学』第十二巻第四章)。
 自然とは存在者の運動の始源である。自然はまた実体(ウーシア)、つまり存在者を当の存在者としている原理にほかならない、とアリストテレスはいう。だが質料は、それだけでは真に在るもの、実体となりえない。ただの質料はそれ自体で存在することも、「これ」として指示することもできない。だから、「質料がすなわち実体であるとすることは、不可能なのである」(end105)(第七巻第三章)。自然は、それがどれほど莫大なものであれ、あるいは不断にすがたを変じてゆくものであっても、つねにかたちとともに与えられる。カントの例を挙げるならば、一望のもとにとらえがたい冬の連山も、嵐に逆巻く夏の海も、かたちを破壊することにおいて、なおかたちでありつづける。形相をはなれて、自然を考えることはできない。けれどもまた、形相を質料とは無縁で、外的なものとみなすことも、不可能であるはずである。
 木が自然に材木となり、材木が自然にしたがって寝台となることはない。一方、材木は樹木の木理にしたがって切りだされ、ひとはまた植物の繁栄力を利用し制御して、農耕をいとなむ。材木のうちには、柱に向くものもあり、また寝台として利用するのに適切なものがある。植物のたねがそもそも芽吹く可能性をはらんでいないなら、それを播いて収穫することは現実にも不可能である。質料とは、形相を可能性においてふくむものであり、「可能態」(デュナミス)にあるものである。質料の可能的に宿す形相が実現されたありかたは、これに対して「現実態」(エネルゲイア)と呼ばれてよいだろう。たねは可能態にある存在者であり、みのった麦の穂は、その可能性が現実化され、現実態においてある存在者なのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、104~106; 第7章「自然のロゴス すべての人間は、生まれつき知ることを欲する ――アリストテレス」)



  • 一〇時ごろに覚醒し、いつもどおり各所を揉んで、一〇時三八分に離床。曇り気味だがベッド上に陽の色もあるにはある。またひさしぶりに夢を見て、きょうも(……)が出てきたようなおぼえがあるが、こまかいことはわすれた。水場へ行って、よくうがいをしてきてから瞑想。一〇時五二分から一一時九分まで。そとで鳥たちが盛んに鳴きしきり、都会の雑踏のように声たちが交錯しているなかに、ウグイスやヒヨドリがやはりめだってあかるくぬけてくる。
  • 上階へいくと居間は無人。家中にひとがいないことを、寝床の時点でむろん察知していた。両親はふたりそろって買い物に出かけたらしい。寿司を買ってくるとメモ書きにあったので、それなら待とうかなとおもい、髪を梳かして風呂をあらったのみで下階にかえった。コンピューターを用意してLINEをひらくと、(……)がきょう誕生日らしくみなに祝われていたので、じぶんもかんたんな祝福をおくっておく。ウェブをながめて時をすごし、トイレに立ったのを機になんとなくギターを弾こうという気になって、隣室にはいった。ひさしぶりに楽器に触れたが、ぜんぜんうまく弾けない。しっくりくるかんじがちっともない。瞑想をしているときみたいな不動性において弾きたいのだが。やはり曲という枠組みをもうけずにブルースのスリーコードでてきとうにアドリブしているだけだから駄目なのか? 姿勢もあいかわらず、適したものがみつからない。
  • 両親がなかなか帰ってこないので、腹も減ったしもう食べてしまおうと階を上がって、きのうのケンタッキーフライドチキンのあまりと同社のカップ入りコールスローサラダ、あと魚肉ソーセージを用意して食った。同時に新聞記事を読む。例によって国際面である。周庭がきょう釈放されるという報があった。二〇一九年六月の集会にからんで無許可集会を煽動したとかいう罪状で、昨年末だかに禁錮一〇月を課せられていたのだが、受刑態度が良いとかで刑期の短縮がみとめられたもようという。二〇一九年六月の集会にまつわる刑は公安条例違反を根拠としたものだったとおもうのだが、そろそろ施行されて一年になろうとしている国家安全維持法違反のほうは、先日の記事にも触れたとおり、やはりまだ起訴されていないと書かれてあった。香港ではまた、映画作品の検閲規定があたらしくなり、国家の安全を害するおこないに共感し、また支持とか推奨とか煽動とかするような表現があるとみとめられた映画は上映できなくなるという。中国本土とおなじような検閲環境になるということだろう。
  • ほか、韓国で保守系の最大野党「国民の力」の党首に、李俊錫という三六歳の若手が就任したと。もとベンチャー企業経営者で、韓国にはおそらく根強いのだろう長幼の序を破壊したと話題になっており、三六歳だと同国では大統領選の被選挙権はまだないらしいのだが、それでも民衆からの人気は圧倒的で、この党首のもとで「国民の力」は来年にひかえた大統領選で文在寅を打倒することをめざすと。ベンチャー企業経営者の経歴にふさわしくとやはりいうべきか、固定観念を打破することで国を変革するといさましくとなえており、保守勢力もみずから改革しなければならないと意味論的には撞着語法ともみえる言辞をあやつって、たとえば実力本位システムの導入を提唱し、大統領選の候補だったか国会議員だったかわすれたのだがなにかしらの公職にかんしては資格試験をもうけてコンピューターの運用能力とか資料の作成能力とかを問うとか、行政府の広報官についても同様に試験で決めるとか言っており、だから二〇歳代の大学生が記者会見し、党のメッセージをつたえることになるかもしれない、とアピールしているらしい。二〇代三〇代の会社員でエクセルをつかえないひとなどまずいないのだから、国会議員だってそうでなければならない、ということも言っているようだ。
  • ものを食べ終えて台所で皿を洗いはじめたところで両親が帰宅した。いま食べたところだと言い、寿司は夜にまわすことに。買い物袋にはいった豆腐などの品々を冷蔵庫に入れておき、それから茶をこしらえて帰室。つくったものを飲みながらきょうのことをここまでしるすと一時半をまわったところである。
  • それからベッド縁にこしかけたままきのうのことを記述。書きぶりがまた、ていねいとまではいかないにしても、ゆったりとして一歩一歩を踏むようなものになってきている。ここさいきんはわりとてきとうにざっざっとすばやく指をうごかすかんじだったのだが。いまくらいのおちつきならまだいいが、これでまたもっとこだわるようになってくるとたいへんなのでそれは避けたい。ちからを抜いてゆるやかにしずかに書けているのは良いことだが。二時台後半でずっとすわったままでいた脚がこごってきたのをかんじたので、トイレに立ったのを機にいちどベッドにころがり、肉をほぐした。かたわら(……)さんのブログを読む。六月一〇日分と、一月一八日一九日。それで下半身がけっこうほぐれたので、打鍵にもどり、きのうの記事をしあげて投稿するといまは四時半まえ。ベッドにころがるまえに母親が干しておいた布団をベランダからとりこんだのだった。きょうもきのうよりはましとはいえ気温はわりあいに高く、すわって文字を打っているだけでも汗をかんじるが、天気としては陽射しはそうおおくはなく、ベランダに出たときもあかるい曇りのやわらかい大気だった。父親の布団も両親の寝室に入れておいた。
  • いくらかストレッチ。ベッド上で、合蹠や前屈など。それから歯をみがくあいだに、津野海太郎「最後の読書: 01 読みながら消えてゆく」(2017/5/8)(https://kangaeruhito.jp/article/477(https://kangaeruhito.jp/article/477))を読んだ。黒川創が家族で「SURE」という編集グループをやっていて、鶴見俊輔が晩年につけていた「もうろく帖」というノート全二三巻の抜粋を出版したらしい。そこにしるされたことばを題材におもいをめぐらせたエッセイというおもむきの文章で、この『最後の読書』は今年か去年かおととしかわすれたが読売文学賞をとっている。
  • 鶴見俊輔のノートからひかれている短文に、「○しばらく人間になれて/おもしろかった。」とあって、べつにじぶんは輪廻転生を信奉しているわけではないが、このことばはわるくない。
  • さいごのメモ書きのあとには以下の付記があるという。

〔二〇一一年一〇月二七日、脳梗塞。言語の機能を失う。受信は可能、発信は不可能、という状態。発語はできない。読めるが、書けない。以後、長期の入院、リハビリ病院への転院を経て、翌年四月に退院、帰宅を果たす。読書は、かわらず続ける。
 二〇一五年五月一四日、転んで骨折。入院、転院を経て、七月二〇日、肺炎のため死去。享年九三。〕

  • 津野海太郎もふれているが、「言語の機能を失」い、はなすことも書くこともできなくなったそのあとも三年いじょう、「読書は、かわらず続け」たという事実は印象深い。
  • 鶴見俊輔の「モーレツな雑書多読少年」ぶりについてはしたのとおり。

 鶴見の読書史はかれが3歳のとき、宮尾しげをのマンガ『団子串助漫遊記』を熱中して読んだことにはじまる。小学生のころは平均して1日4冊、授業をサボり、古本屋で立ち読みして、マンガや大衆小説を中心に1万冊以上の本を読んだのだとか。そこには『評判講談全集』『鞍馬天狗 角兵衛獅子』『相撲番付表』『苦心の学友』『小公女』『巌窟王』などのほか、丘浅次郎『進化論講話』や西村真次『人類学汎論』といった学術書、さらには『荘子』や『プルターク英雄伝』などの古典までが混じっていたという。

  • 「いくばくかの誇張があるかもしれない。でも、たとえそうだったとしても、当時、かれが日本一のモーレツな雑書多読少年だったことはまちがいなかろう」と津野は評している。やっぱりなんでも選り好みせずに読まねばなあとおもった。数や量をおおく読むことそのものを目的にするのは阿呆くさいが、まえからしるしているとおり、軽薄な無節操性にこちらはいっしゅの憧憬があるようなので(英語でいうと、あまり良いことばではないのだろうが、promiscuous=「誰とでも寝る」)。
  • 文中にはまた、堀江敏幸の「途切れたままの雰囲気を保つこと」というエッセイがひかれてもおり、これは串田孫一の「ドン・キホーテと老人」というエッセイにふれながら「学ぶという営み」についてかたっているものらしいが、引用文中の、「到達点ではなく通過点を重ねてこの世から消えるような、そういう勉強の仕方を身につけた方々が、たしかに存在する」というぶぶんはなかなかよい。もちろん、「到達点ではなく通過点を重ねてこの世から消える」ということばで、こういう言い分はどうしたってじぶんの性分に合ってしまう。
  • 五時で上階へ。アイロンかけをおこなう。やたらと処理すべきシャツがおおかった。夕刻の窓にうつる空は青さをしずく単位ではらみながらも白くなべてひろがり、といって季節がいまだからまだまだ暗くはなく鳥の声もこどもの声も散っており、"Mr. Tambourine Man"のメロディを気まぐれにくちびるで吹きだすとしずかでやわらかな大気はおもいのほかに振動の輪郭をあらわにかたどって、朗々とはいいすぎだがまるで鳥鳴のようにはっきり浮かべてのびやかにひびかせる。アイロンをかけるときはスプレー容器に水をいれてそれを霧吹きのように吹いてから器具を布に乗せてのばしていくのだが、しゅっしゅっとやっていると、肌には感触がないのに網戸になった正面の南窓からよわいながれが忍んできているらしく、容器のそとに解放されたおさない水の群粒子らがほんのすこしだけこちらのほうに押しもどされてから消えていく。高熱の面をあてられた布地から瞬間熱された水気が蒸発してのぼってくるようで、作業をすすめているうちにからだがあつくなって汗を帯びた。いくつものシャツ類をかたづけおえると、もう腹が減ったので食事をとることに。ちいさなパックのちらし寿司にチキンののこり、汁物はシジミの即席スープである。野菜がなかったので、キュウリを一本切りわけて乗せた皿に味噌を添えた。そうして夕刊を見ながらものを食らう。社会面に、「特定屋」もしくは「復讐屋」の話題。SNSアカウントなどを分析してひとの素性をつきとめる業者または個人がインターネット上で商売をしていて、ストーカーに利用されたりしているとのはなし。まったくもって面倒な世になったものだ。こちらもさっさと過去の記事を検閲しておかないと、なにかの拍子に特定されて恥をかいてしまう。文化面には坂口恭平が『躁鬱大学』という新著を出したと。その横には三浦哲郎の生誕九〇年を期して神奈川県近代文学館で展示がなされているとの紹介。井伏鱒二が恩師だったらしい。あと、先ほどの記事でもなまえをみた黒川創が、四〇歳代の文章をまとめた本を出したとかいう報もあった。
  • テレビは『人生の楽園』という番組で、悠々自適みたいな暮らしのひとを紹介するやつであり、母親はこれをよく見て見るたびにうらやましがったり憎まれ口をたたいたりしているのだが、きょうは東京はあきる野市で早期退職して農業などをやっている六四歳の男性が紹介され、それを見た母親はやっぱりみんな年を取るとやりたくなるのかなあと、すこしばかり不満のトーンをふくませながら父親と照らし合わせてもらすのだが、そんなわけがあるまいとおもう。定年退職したからといって農業や畑仕事をやろうという人間など、むしろ少数派ではないのか。まずもってスペースがないだろうし。ほんのちいさな家庭菜園とか、植木や花をそだてるくらいならよくあるかもしれないが。この番組のひともいぜんはガシガシはたらいて、金と利便性を追求する世の趨勢に乗って生きてきたようだが、ブータンを旅行したのを機に自然とともに生きるひとびとの暮らしに感化され、ファストや加速度ではなくてゆっくりをキーワードにいまを生きているらしく、そういうスローライフ的イメージへのあこがれは、義務と労働に疎外され忙殺されることが常態である現代社会、まあひろく行き渡ってはいるだろう。こちらのまわりでも、(……)がよくはなしているが、ほぼテレワークで労働できるIT系のひとなどが越してきて別荘的なかんじで住んでいるという。自然に触れて癒やされて、みたいなのもまあ退屈な幻想図ではあるものの、じっさい土と風と草木に触れて心身がやすらぐということは、人間ある程度まではあるとはおもう。
  • 皿をあらっていると隣の母親がテレビにうつっているそのひとにかんして、でもひとりじゃあさびしいよね、パートナーさがせばいいのに、とかいうのだが、まったくもって余計な世話だ。それもかんがえかただけど、ともつけたしていたが。でも、いるんじゃない? とこちらは受けて、母親も、いるよねえ、けっこう格好いいもん、とおうじたが、表情のやわらかさからしてもいまの生に自足をおぼえて充実しているようだし、おちついていて朗らかな雰囲気のひとで翳があるというかんじもないので、恋人連れ合いうんぬんは措いてもすでに仲の良い隣人はいるのではとおもうし、いまいないとしてもこれからふつうにいっしょになるあいてができるのではないか。
  • こちらも数年前までは、結婚はしないが生をともにおくるパートナー的なあいてはほしい、とおりおり表明していたけれど、いまはもうそういう欲求はなくなった。
  • 夕食をとってもどってきたあと、緑茶で一服しつつ、また肩や背をもみほぐしながら、津野海太郎「最後の読書: 02 わたしはもうじき読めなくなる」(2017/6/5)(https://kangaeruhito.jp/article/482(https://kangaeruhito.jp/article/482))を読んだ。この回は前回ひいてあった幸田文の一文をひろげてはなしを展開しているのだが、なかにひかれている幸田文のことばに「気ぶっせい」という単語があり、なんだこれはとおもった。はじめて知る語彙だったのだが、「気ぶっさい」すなわち「気塞い」の変化したもので、気がふさぐ、気詰まりである、鬱陶しい、くさくさする、というほどの意味らしい。検索すると「東京の方言」ともいわれているので、江戸言葉ということか? 幸田文は「ぞんき」などという語ももちいているけれど、これも津野によれば「「無愛想」を意味する江戸ことば」だという。検索すると、わがままでおもいやりがないこと、不親切、ぶっきらぼう、邪険、などの意が出てきて、里見弴の用例がひかれている。日本語にもまだまだまったく知らないことばがたくさんあっておもしろいものだ。
  • うえまで書き足して八時。
  • そのあとはたいしたことはやらなかった。(……)やはり脚をすみずみまでほぐすのは効果的だ。そのおかげできょう(一三日)も起きた直後から下半身の感覚は良かった。あとは就床するまえにほんのすこしだけ三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)を読んだことくらいしかおぼえていない。