2021/6/15, Tue.

 現存するアリストテレスの著作の大部分は、リュケイオンにおける講義ノートであると考えられている。紀元前一世紀に講義録が再発見されたとき、それを編纂した当時のリュケイオンの学頭、アンドロニコスが、アリストテレス自身は「第一哲学」と呼んでいたものにかかわるノート群を「自然にかかわる [タ・ピュシカ] 」著作群のあと(メタ)に置いた。「形而上学 [タ・メタ・タ・ピュシカ] 」という名称は、この偶然に由来し、やがては自然学を超える [メタ] ものという意味をもつことになる。
 いくつかの層からなるといわれる講義ノートにおいてアリストテレスが目ざしていたのは、「存在としての存在(ト・オン・ヘー・オン)を研究し、また存在に自体的にぞくするものどもを研究するひとつの学(エピステーメー)」である(『形而上学』第四巻第一章)。それは、存在者の「第一の原理や原因を探究する学」(同、第一巻第二章)として、アリストテレスにとっては同時にまた、「実体」(ウーシア)とはなにかを探しもとめるこころみにほかならない。
 「存在(ト・オン)は多様な意味で語られる」(第四巻第二章)。その多様な語られかたを整理する『カテゴリー論』によれば、実体にも二種あり、そのうち第一の実体と呼ばれるものは「このひと」とか「この馬」とかいわれるもの、つまりは個物である。第二実体と呼ばれうるのは、(end112)これに対して、そうした個物がぞくする種(エイドス)や類(ゲノス)、ひと一般あるいは馬一般といった意味での「ひと」あるいは「馬」である(第五章)。『形而上学』では、むしろすぐれて実体とみなすべきものは、形相(エイドス)であると考えられることになる。個物、「ここにあるこのもの」(ト・デ・ティ)は、かならずなにかとして語られる [﹅10] かぎりで、ロゴスにおいては形相こそが「先なるもの」(ト・プロテロン)なのである(第七巻第三章ほか)。
 いっさいの運動や変化においては、可能的なものが現実的なものへと転化する。そのかぎりでは、現実態にある形相は、可能態にあるものにとって、その目標であり「目的」(テロス)にほかならない。「動かすものはつねになんらかの形相をふくんでおり」、その形相が運動の原理となり、原因となる(『自然学』第三巻第二章)。アリストテレスは、そして、すべての存在者とその運動が目ざしているものを「純粋形相」と呼び、また神と名ざしている。アリストテレスにおいて形而上学は、かくして、「神学」(テオロギケー)となって、不動で、永遠な神的存在を論じる第一哲学となる(『形而上学』第六巻第一章、第十一巻第八章)。アリストテレスにとって、神とは「第一の動者」であり、しかも「不動の動者」なのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、112~113; 第7章「自然のロゴス すべての人間は、生まれつき知ることを欲する ――アリストテレス」)



  • 一〇時半ごろに覚めて、一一時をまわって離床。いつものように各所を揉んでから起床した。水場に行ってよくうがいをしてきてから瞑想をする。一一時一五分から三四分まで。
  • 上階へ行き、ハーフパンツにきがえて、洗面所で髪を梳かす。髪もいいかげんに切らないと鬱陶しいのだけれど、なぜか美容室に電話をかけようという気が起こらない。食事は白米にジャガイモとワカメの味噌汁、コーンのソテーに昨夜のスンドゥブのあまりをちょっと。朝刊の一面にはイスラエル政権交代がつたえられていたとおもうが、そこに載っている情報は昨晩に夕刊で読んだものとほぼ変わらないようだったのでスルー。国際面にあったネタニヤフ政権の光と影みたいな記事のほうを読んだ。とくに対パレスチナ関係と対イラン関係で強硬姿勢をつらぬいたので中東地域が不安定化したいっぽうで、IT企業などをそだてておおきな経済成長を果たしたと。二〇一〇年から一九年だったか、一〇年で国民ひとりあたりの総生産が四〇パーセント以上上がったとあった。ネタニヤフはもともと九六年に、九三年のオスロ合意に反発する右派の声を糾合するようなかたちで、当時のイスラエル史上最年少で首相に就き、そのあと断続的に通算一五年つとめたもよう。今回の政権交代は、たしか二〇〇九年以来、一二年ぶりとあったか。二三年八月まで新政権の首相をつとめる予定の、ヤミナのナフタリ・ベネット党首は米国生まれの両親がイスラエルに移住したのちに生まれたひとで、二〇〇六年のレバノンとのたたかいでは予備役かなにかで従軍、そのあとは米国にわたって詐欺対策のソフトウェアを開発する会社をもうけて財産を築き、金はそうとう持っているらしい。イスラエル一裕福な政治家といわれることもあり、じしんも、ビジネス経験のないほかの政治家とはちがうとたびたびアピールするらしい。イスラエルにもどったあと政治家に転身し、最初はネタニヤフの側近、その後ヤミナの前身にあたる「ユダヤの家」とかいう政党をたちあげて、リクードとの連立に参加してきた。パレスチナにたいしてはネタニヤフよりも強硬だといわれているらしいのだが、今回の政権ではいちおう合意を尊重してさいしょのうちは入植拡大などには出ないだろうと。もしそうしたらアラブ政党が即座に反発して、彼らが離脱すれば政権は即座に崩壊するので(イスラエル議会の定数は一二〇だが、今次の連立政権は合わせて六二議席でかろうじて過半数を握っているだけなので)まあそれはそうだろう。
  • 文化面には、英語学習において会話重視の風潮がしばらくつづいてきたなか、文法や読解力の重要性にあらためてフォーカスした本がいろいろ出て売れているというはなしがあった。中公新書で『英語の読み方』というやつと『英語独習法』とかいうのが出て売れているらしいし、あと、柴田元幸も『英文精読教室』というやつをシリーズで出している。これはWoolf会でもいちど話題に出たが、あつかわれている英米小説のラインナップがなかなかよさそうなかんじだった。阿部公彦も似たような本を出したもようで、この記事にも、いまのような危機的な時代だからこそ、物語を読むことは生に資する、物語では葛藤に直面して明確な解決が見つからないその状況に向き合わなければならないので、そういうちからをやしなうことができる、みたいなことを述べていた。
  • (……)
  • 食器と風呂をあらって帰室。コンピューターを用意し、Notionできょうの記事をつくり、きょうはまず(……)さんのブログを読んだ。(……)さんがやばそうで、いちおうパニック障害と鬱症状を経験してきた身としてなにかをつたえてあげたい気はしたのだが、そうおもってみても(……)さんが直面した言語の無意味化にこちらもおちいらざるをえない。パニック障害はともかくとしても、鬱症状のときはほんとうにじぶんじしんはなにもしていないというか、改善したいとおもって多少の方策をためしはしたけれど、それらはとくに効果はなく、毎日おおくの時間をベッド上でやすみながら薬をいろいろ変えているうちになぜかわからないがよくなってきたというだけで、だからほぼ運によるものという感覚になってしまう。とうじはネット掲示板離人症のスレとか、自殺方法のスレとかをよくながめていて、一時期は冬になったら練炭で死のうとマジでおもっていたので、けっこう失敗しないやりかたとか、どの練炭がいいかとかをしらべ、どうやって両親にバレないようにそれを買うかとか、どこでやるかとかをかんがえたりしていた。ヘリウムを一気に吸って自殺するというやりかたもあったはずで、それをうまくやるための装置のつくりかたとかも紹介されていた。で、それまでいろいろ発言していたひとが、敢行すると言ってそのあとぱったり来なくなると、もちろん真相は知れないものの、ああ、ついにやったんだな、とみんなは理解して、冥福を祈ったり、勇気をたたえたりとおもいおもいの反応を寄せる、というながれがときどきあった。離人症とか精神疾患方面のスレでも、もう一〇年二〇年何十年も改善していないというひとの言はけっこう見られて、それを見れば、俺もそういう生になるのかなととうぜんおもったし、いちおういま回復して今後もたぶん平気そうなのは、単純に運が良かったということばしか出てこない。じぶんのちからとか、じぶんのおこないによってたすかった、死や苦しみに抵抗したとかたたかったとか、そういう感覚がまったくない。他者によってたすけられたとはいろいろな意味で言えるとおもうが。それにしてもあの掲示板はほんとうに、あまりにもありがちすぎるいいかただけれど、この世界の暗部があらわれているというかんじだった。
  • 苦しみをまぎらわせることとしてこちらがやっていたのは、ネット上の違法アップロードサイトで『HUNTER×HUNTER』のアニメを毎日ずっと見ていたことくらい。こちらのばあい感情とか人間的感覚のぶぶんがまるで消失したので、なにをやってもなにということもなく、ただベッドで寝ていてもそれはそれで橋から飛び降りることをかんがえるばかりで良くないので、一時期はアニメを見ていた。見ていておもしろいということもあまりなかったのだが、とにかく時間をやり過ごすというか、なんとか時間を過ぎさせる、というかんじ。いちおう物語を目にしていれば、そこそこそれに入ることはできたので。あとは、音楽も駄目だったのだけれど、なぜかSUNNY DAY SERVICEの『MUGEN』だけはながしていても苦にならず、聞くだけは聞けたので、それをながしてベッドにあおむけになりながら聞くということは後半よくやっていた。
  • 鬱症状におちいると、未来は完全に消滅する。この先、ということが端的になくなる。いま現在苦しみに囚われてどうにもならないその状態がすべてとなり、もし未来があるとしたらその苦しみがずっとつづく、という予測としてしかありえない。そこから抜け出すということは不可能におもわれ、想像できず、別世界のことがらになる。その永遠の苦として固化された現在をどうにかして一日ごとにやり過ごすことがそのまま生となる。
  • きょうのことをしるしたあと、三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)を読んだ。136から138の荼毘の記述が良かった。石原吉郎プリーモ・レーヴィをおもいだす。「無名性にとどまるどころか、たとえそれが一時的な見間違いでしかないとはいえ、種の垣根を越えるほどの還元を遂げてしまった死を前にして彼がそのときおぼえたのは、人間であることにつきまとうあの激しい恥辱であった」という一文が138にあるが、この「人間であることにつきまとうあの激しい恥辱」ということばを読んだとき、プリーモ・レーヴィが『休戦』の冒頭でかたっている、アウシュヴィッツを解放することになるソ連兵がかれらのまえにあらわれたときの記述をおもいおこさずにはいられなかった。下がその一段落である。

 彼らはあいさつもせず、笑いもしなかった。彼らは憐れみ以外に、訳の分からないためらいにも押しつぶされているようだった。それが彼らの口をつぐませ、目を陰うつな(end15)光景に釘付けにしていた。それは私たちがよく知っていたのと同じ恥辱感だった。選別の後に、そして非道な行為を見たり、体験するたびに、私たちが落ち込んだ、あの恥辱感だった。それはドイツ人が知らない恥辱感だった。正しいものが、他人の犯した罪を前にして感じる恥辱感で、その存在自体が良心を責めさいなんだ。世界の事物の秩序の中にそれが取り返しのつかない形で持ち込まれ、自分の善意はほとんど無に等しく、世界の秩序を守るのに何の役にも立たなかった、という考えが良心を苦しめたのだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『休戦』岩波文庫(赤717-1)、二〇一〇年、15~16)

  • 出勤まえに上階にいってなにかしらのものを食べているときに、むかいにいた母親が、靴がもうあれじゃ剝げてるじゃん、やめたほうがいいんじゃないの、ということを言ってきて、それはまえからおりにふれて言われていることである。革靴の先端が左右両方ともすこし剝げているのだ。そんなに雑なあるきかたをしているつもりもないのだが、なぜかいつの間にかそういう状態になっていた。新調したいとはおもうものの、町に出るのが面倒臭くて先延ばしにしているのだが、母親は恥ずかしくないの、と訊いてくるので、あたらしくしたいとはおもうが恥ずかしいとはおもわないとこたえた。電車のなかとかで、すわるとよく見えるじゃん、まえのひとの靴、とつづけるのに、そうだがとくに知らない人間に見られるだけだし職場に行けば靴は脱ぐのでべつに、と回答する。そういうやりとりをしながら、内心、靴の先がちょっと剝げているくらいで恥ずかしいなどということばを口にするその狭量さこそ恥を知れとおもっていた。母親がこちらにうえのような質問をよこしたということは、もしそういうボロいような靴を履いている人間を目にしたら、母親はあのひと恥ずかしくないのかな、とおもっているということだろう。身だしなみは大切なことだが、他人に外観上ちょっと十全でないところがあったくらいで、そのひとに恥を押しつけ付与してみせるその神経が狭隘におもわれて気に入らなかった。へんなはなしというか、それも傲慢なはなしではあるが、こちらじしんがそういう評価の対象になったということではなく、母親の精神がそういうありかたをしているそのことじたいに反感をおぼえた。いいかげんにルース・ベネディクトの日本文化論の世界から脱出してこいとおもう。だいいちこちらはそんなに立派に生きている人間でもないのだから、多少見た目がみすぼらしかったとして身分相応だし、じっさい革靴だってべつにボロボロできたならしいというわけではない。
  • 勤務時のことでおぼえているのは、(……)
  • (……)
  • 夕食時、いつものようにものを食べながら新聞を読んだ。夕刊。三面の下部に、あれはたしか東北地方にまつわる作品とか作家とかを紹介するシリーズだったとおもうが、魯迅の『藤野先生』という小説およびそこで書かれている藤野厳九郎という教師について記された記事があったのでそれを読んだ。魯迅東北大学、当時はまだその前身だったようだが、医者をこころざしてそこにまなんでいた時期があり、そのとき解剖学の授業をおこなっていたのがこの藤野厳九郎だったという。魯迅の日本語能力を心配した彼は魯迅を呼び出し、あなたはわたしの授業を筆記できますかと訊いてノートの提出をもとめた。返却されたそれには文法的なまちがいから誤記や書き落としまで、詳細な添削がなされていたというのが魯迅の述べているエピソードらしい。それを機にふたりの交流がはじまったが、魯迅は「幻灯事件」といって、日露戦争でロシア側の中国人スパイだったひとが処刑されながらもそれを見物している中国人たちがまったくなんの表情も浮かべずにけろりとしている、という映像を幻灯で見、それで中国人は肉体の変革よりも精神の変革をしなければならないとかんがえて医学から文学にこころざしを変え、東北大学も退学して国に帰り、両者の付き合いはなくなって魯迅は死ぬまで恩師に会うことはなかったという。それでも居室の壁にずっと肖像写真を貼っていたというから、だいぶ恩をかんじていたのではないか。
  • ほか、「日本史アップデート」。このコラムはいぜんはむかしの定説がさいきんの研究だとこういうふうに変わってきています、という趣向のシリーズだったのだけれど、それだとおそらくもうネタが尽きてきたようで、ちかごろはけっこうニッチなテーマをとりあげてポイントを解説するかたちになっている。この日は南朝の実態について。はじめて知ったのだが、後醍醐が吉野にのがれたあと南朝はずっと吉野にあったのではなく、おなじ奈良のべつのところとか、大阪とかに拠点を転々とうつしていたという。くわえて一時的ではあるものの四度にわたって京都奪還を果たしてもおり、そのさいしょは足利尊氏が弟とあらそって幕府が割れたさいにみずからすすんで南朝天皇に降伏したというから、一年くらいしかつづかなかったようだけれど、そうだったのかとおもった。南朝の史料はすくなくて長慶天皇というひとなど即位退位の正確な年月すらわかっていないありさまらしいのだが、新葉和歌集といって南朝の貴族らの和歌をあつめた歌集をしらべたところでは、けっこう人材もいて北朝と同様宮廷行事などもおこなって朝廷としての組織と体裁がととのっていたのではないかとかんがえられるとのこと。さらにおどろいたのは、一三九二年だったかそのへんで足利義満によって南朝北朝とふたたびひとつになるわけだけれど、その後も南朝の残党が何回か反乱を起こしているということで、一四〇〇年代にはいってもう応仁の乱がせまってくる一四四三年だかに内裏から神器を奪った反逆事件があり、さらにその残党が一四五七年までたおされず神器を保持していたらしいから、一四年間も三種の神器が朝廷から奪われていたわけで、これはかなりのことじゃないのか? とおもった。
  • 飯を食うまえから雨がはじまっていて、食べ終わるころにはだいぶおおきくなる時間があり、空いていた窓からひた走る雨音が家を至近からつつみ取り囲むようにひびいて、こりゃすげえなとおもわず東窓に寄ってカーテンをめくったところ、窓ガラスに室内の明かりと像が反映するそのうえからじぶんの影を乗せて暗い通過域をつくっても外の雨のようすはあまりよく見えなかったものの、ガラス上に白い粘土でつくられたようなヤモリが一匹つかまっていて、顔を寄せているうちにさっさかガラスの下端から消えていった。
  • いま九時半まえ。夕食後で茶を飲みながら、(……)さんのブログを読んでいる。最新の一四日付。さきほどから雨が盛ったりしずまったりといそがしく、いまも降りつづいておりこまかく燃えるような水音が背後の窓外から聞こえていて、空気もむしむしと暑くていかにも梅雨や夏っぽいかんじだ。ブログからは冒頭の引用をメモしておく。

國分(…)前にもお話ししましたが、責任とはresponsibilityであり、応答responseと切り離せません。しかしこれもすでにお話ししたとおり、意志の有無を確認するようにして人に負わせる責任というのは、どう考えても応答ではない。そういう責任の概念を、堕落した責任概念であるともお話しました。
 では、責任をどこから考えるべきか。僕には信仰はありませんが、ずっと「サマリア人の譬」が気になっていました。責任を考えるにあたって、この話こそが重要ではないかと思ったのです。機会があれば該当する聖書のページを読んでみていただけると嬉しいのですが、今ここで、ざっとご説明しましょう。
 身ぐるみ剥がされて瀕死の状態で地面に横たわっている旅人がいた。その横を司祭が通りかかるが何もしない。レビ人も通りかかるが何もしない。ところが三番めにそこを通りかかったサマリア人は旅人を気の毒に思って介抱するだけでなく、宿に連れて行って休ませ、さらには宿代まで支払ったうえで、「これで良くなるまでここに泊めてあげてください」と宿の人に頼む。そんなお話です。非常に人の心を打つお話で、このエピソードを主題にした宗教画もたくさんあります。
 このエピソードでもう一つ重要なのは、この話をイエスが語るのはどういう場面かということです。聖書のなかでイエスは、律法学者から意地悪な質問をたくさん投げかけられますよね。イエスはそれを全部、見事に切り返していくわけですが、この場面では、隣人に関する質問をされます。律法学者は「では、私の隣人とは誰であるのですか?」と聞く。そしてそれに対してイエスがどう答えようが、いつものように揚げ足をとろうと待ち構えているわけです。そこでイエスは善きサマリア人の譬の話をして、最後にこう質問するわけです。「この三人のうち誰が強盗に襲われた人の隣人になったと思うか?」
 このイエスの答えのどこがすごいかというと、律法学者は「隣人とは誰であるか」と聞いたわけです。それに対してイエスは「誰が隣人になったか」と返したわけです。つまりイエスは「人は誰かの隣人であるのではない。人は誰かの隣人になるのだ」と言っているわけです。僕はこれは本当に素晴らしい答えだと思います。
「である」でなくて、「になる」ですね。ここにこそ、ある種の責任をめぐる思想があるのではないか。「になる」というのはもちろん、ドゥルーズで言えば「becoming」(生成変化)です。ドゥルーズは「〜である」ではなく「〜になる」ということが大事だと考えた。僕はイエスはドゥルージアンではないかとすら思う(笑)。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.390-392)

  • いま一一時半をまわっている。風呂から出てくるとテレビに歌番組が映っており、『The Covers』で、細い体躯の女性がいくらかくねくねしたかんじで揺れながら特徴的な声と発音でうたっているのに、これUAだなと判別された。とすると座って顔をうつむかせながらアコギを弾いている茶髪のひとは浅井健一かとこちらも判別されたのは、先日テレビでAJICOがこの番組に出るという前宣伝を目にしていたからだ。曲は"ルビーの指輪"で、もう終わりちかくだったしちゃんと聞いてはいないのだけれど、あまりピンとこなかった。UAのあいまいなフェイクを多用するかんじのスタイルだと、この曲にはあまり嵌まらないような気がしたのだが。