2021/6/18, Fri.

 神が世界に浸透し、いっさいのものの原因となり、すべてのものは相互にはたらきかけあい、作用をおよぼしあう。そこからみちびかれる帰結は、よく知られた、ストアの決定論である。(end126)

かれらは、この宇宙がひとつであり、あらゆる存在をみずからのうちに包括し、生命的でロゴス的で知的な自然によって統御されており、それらの存在の統御は永遠的で、ある種の系列と順序とにしたがって生起するものであると主張する。最初のものが、そのあとに生じるものにとって原因となるというしかたで、あらゆるものは相互にむすびあっている。そして宇宙のうちになにが生じる場合でも、それとべつのものがかならずそれに無条件にしたがって、それと因果的にむすびつくようなしかたで生じないことはないし、またあとで生じたもののどれかが、さきに生じたもののどれにもむすびあわされていないかのように結果するしかたで、先行するものから切りはなされていることもない。生じたものからはすべてなにかべつのものが結果し、結果したものは、さきのものを原因として、それとむすびついているというのである。(『断片集』 [アルニム『古ストア派断片集』(H. von Arnim, Stoicorum Veterum Fragmenta, 3 Bde.)] 第二巻、断片九四五)

 自然とそのロゴスはすべてをむすびあわせ、決定している。生起したできごとは、かならずその原因をもち、先行するできごとの結果である。そのできごとそれ自体も、他のできごとの原因となってゆく。因果の必然性が「可能なもの」を無化するわけではない。偶然のすべてを排除するわけでもない。ただ、偶然とは「私たちには知られていない」原因の別名にすぎない(end127)(断片九五九)。「じぶんが自由であると思っているひとびとはあやまっている」。そうした考えが生まれるのは、「かれらがじぶんたちの行動は意識しているけれども、その行動が決定されている原因を知ってはいない」からである。スピノザはそう主張することになるだろう。
 ストアのいう「宿命」(ヘイマルメネー)とは「諸原因の系列、すなわち踏みはずされることのない順序と連鎖」のことである(断片九一七)。自然のロゴス、宿命、神の三者は、この場面ではほぼ同義となる。ひとは、「ゼウスの知性」を逃れることはできない(断片九二九)。その意味で「ストア派は宿命とゼウスが同一であると主張する」(断片九三一)のである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、126~128; 第8章「生と死の技法 今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように ――ストア派の哲学者群像」)



  • 起床は正午過ぎとおそくなってしまった。母親が階上でばたばたしながらだれかにはなしかけているので、山梨に行っていた父親がかえってきたらしいなと知れる。こめかみなどすこし揉んでから一二時一〇分に起き上がり、水場へ行ってうがいほか。黄色い液体を放尿してもどってくるときょうは瞑想をおこなった。ひさしぶりにやったためかながくなって、一二時四九分まで三〇分ほど。めちゃくちゃすっきりした。やはり毎日やらなくては駄目だなとおもった。楽器を弾くまえにチューニングするのとおなじことだ。調律がみだれた状態でいくらがんばったところでおおかた調子外れの演奏にしかならないのとおなじ。
  • 上階へ。父親がソファについており、ワイシャツにスラックスのよそ行きのかっこうだったので、どこか行くのかと訊けば(……)の会合があるらしい。ゴミを整理し、湯呑みと急須をあらい、洗面所で髪を梳かしてからまたうがい。出て父親に、今回はおばあさんのところにはいかなかったかとたずねると、菓子をとどけにいったが会うことはできなかったとかえった。元気なのかと問えば、まあ元気だというからそれならいいけどと受ける。とはいえもはやそうながくはない生だろうから、コロナウイルス騒動がおちついて面会可能になったら顔を見ておきたいのだが。それにつづけて、(……)さんのおばさんが亡くなったらしいという情報がつたえられた。留守電に連絡がはいっていたと。もう九〇行ってたかね、ときくと、行っているだろうと。つってもうちのおばあさん(山梨の祖母ではなく、二〇一四年に八三歳で亡くなった母方の祖母)の妹だから、九〇行ったか行かないかくらいか、とつづいた。玄関に出る父親のあとにつづき、別れてこちらはトイレに入り、排便。出るとハムエッグを焼いて食事にした。ほかきのうのあんかけ風野菜炒めと、インスタントのシジミのスープ。新聞からは、きのうの夕刊でも見たが、香港の蘋果日報の編集長など五人が国家安全維持法違反で逮捕されたという報を読んだ。羅偉光というひと。ほか、蘋果日報を発行している「ネクスト・デジタル」とかいう会社のCEOなど。七月に中国共産党発足一〇〇年をむかえるのをまえに弾圧をつよめたかたちのようで、警察当局が五〇〇人態勢で社内を立ち入り調査し、はたらいていた社員は食堂に移動させられ、出勤してきたひとも帰宅するか食堂に行くようもとめられたという。印刷会社もふくめて関連会社三社の資産が二億五七〇〇万円くらい凍結され、創業者の黎智英もとうに逮捕されておりその個人資産も五月に凍結されたので、経営は危機的だと。それでも一八日の新聞は通常より四〇万部増やして五〇万部発行すると会社は述べており、また編集発行過程を動画で公開して支持をつのると言い、民主派のあいだでは白紙であっても買って支えようという声が出ていると。しかし今後、フェイクニュース規制法みたいなものが制定されてさらに圧迫がつよめられる可能性もある。というのも、林鄭月娥行政長官が、フェイクニュースのいちばんの被害者は政府当局であるとドナルド・トランプ的な言辞を吐き、諸外国のフェイクニュース法令を研究している、と表明しているらしいからだ。蘋果日報がねらわれているのは中国や香港当局にたいする外国からの制裁をもとめる内容の記事を載せていたからで、これが国家安全維持法に違法行為として規定された、外国勢力と結託して国にたいして不利益なおこないをしたり転覆を図るという内容にあてはまると。
  • あともうひとつ、一一月にニューヨーク市長選がひかえており二二日に民主党の候補を決める予備選がおこなわれるらしいが、それが混戦になっているという記事。記事に載せられていた候補者は四人で、警察官だった黒人のひとが支持率二四パーセントでいちおうトップに立っているようだが、ほかとそれほど差はなく、みとおせないもよう。もうひとりめだっているのが市の衛生局長みたいな役職だった女性のひとで、コロナウイルス時の貧窮家庭への支援などで支持をあつめ、New York Timesなどが支持表明したことで知名度が高まったらしい。あともうひとりやはり女性のひとと、昨年の大統領選でも民主党の候補者として名をつらねていたアンドリュー・ヤン。彼はそのときと同様、ベーシック・インカムの導入を主張しており、たしか最困窮家庭五〇万世帯に年間で二〇〇〇ドルの給付をとなえているとあったか。ニューヨーク市ではワクチンの接種がすすんでコロナウイルスはいちおう沈静化しつつあるらしく、世論調査では市の最優先課題としていちばんにあがったのが犯罪対策や公共の安全の確保、つぎが経済の再開とビジネスだったという。じっさいコロナウイルス騒動で治安はだいぶ悪化したようで、今年の発砲事件は今月の一三日までで七二一件をかぞえており、それは前年同期比で六一パーセント増の数字であり、またいうまでもなくアジア系のひとびとにたいするヘイトクライムも多く起こっている。
  • 食器を洗って風呂も洗い、茶をつくる。部屋にかえって携帯を見ると(……)からメールがはいっていたので、LINEをのぞいて返信。(……)が七月二二日から二四日の日程で東京に帰ってくるというのだが、七月後半は毎日出勤することになるはずなので休みをもらわなければならない。それでその場ですぐに職場にメールをおくっておいた。それから茶を味わいつつきょうのことをここまで記述するともう二時四〇分だから、やはり起きるのが遅かった。とはいえきょうの労働は遅く、出るのは七時なので猶予はあるが。
  • Fennesz『Venice』をながし、ベッドにころがって、三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)を読みすすめた。四時まえまでで195から224まで。異国の兵の骸骨の歯列をムカデがなぞることで三日月型の笑みが彷彿されてその亡骸がじつは異彩の大隊長のものであることがわかるという一幕の記述が良かった。あと、小僧の病とフランチスカの父の病が対応しているのは病状の経過の説明におなじことばがもちいられていることからしてあきらかなのだが、それがどういう読み解きにつながるのかはとくにわからない。
  • 204にある、「山道の入り口に到着したところでジープとその見張り役だけをその場に残して歩き出した一同の、先頭には彼と小僧が立ちそのあとを追う格好で明るい髪色の男と二世の男が続くという、これはこれでひとつの隊列であった」という一文のかたちはなんだかめずらしいような気がした。「……の、……という、……であった」という読点まえの落とし方が。「一同の、……これはこれで……」だけを取ってみれば、あまり一般的ではないとはいえ(……)さんがよくつかう得意技ではあるのだが、挿入の一節が「……という」で落とされているのは輪をかけてほかに見ない言い方のような気がした。
  • BGMはThe Five Corners Quintet『Hot Corner』に移行。いわゆるクラブジャズのたぐいはぬるいとおもっていた時期もあるのだが、これはこれでご機嫌な調子で気持ちよく、ぜんぜん悪くない。Ricky-Tick Recordsの音源をもうすこし掘りたい気はする。四時まえまで読んで、トイレに立ってからもどって日記へ。
  • きょうのぶんを書き足し、一六日と一七日をてきとうにさっさとかたづけて、それでいまは四時四七分。七時まえの電車で労働にむかう。
  • 「空襲の記憶はかなき短夜に加速するのは鳥のはばたき」という一首をつくった。
  • 柔軟をすこしだけしてから上階へ。父親は帰宅しており、アイロンかけをはじめようとしたところでなかにはいってきた。ワイシャツと、母親のあれはカットソーというのかそれともチュニックといえばよいのかわからないが、上体に着る薄手の服を処理し、台所へ。味噌汁だけつくっていこうとおもっていた。冷蔵庫をのぞけば大根があるのでそれをつかうことに。もう多少やわらかくなっているような古いものが一部、それにまだビニールが開封されていないカット大根もあって、後者をつかいたいところだったがやはり古いものをかたづけておかねばと前者を切る。千切りまではいかない細切りにして沸騰させた湯に投入。出汁やシイタケの粉など入れて煮ているあいだに、昨晩のスープのわずかな余りと、ハムとマヨネーズがはさまったちいさなパンの四つセットになった品のうちのひとつをレンジであたためて立ったまま食った。父親によれば、(……)さんの通夜と葬式は日曜月曜に決まったらしい。こちらも出たほうが良いものか、コロナウイルスの時勢でもあるし少人数に絞るとなれば微妙なところだが、じぶんじしんはどちらでも良い。ただ、月曜は労働があるので出るにしても通夜だけにするのが無難か。
  • 大根を煮込んで色が透き通ってきたところでひとつふたつ取って食ってみると良さそうだったので、火をとめて味噌を溶かす。それからまた火をつけ、ネギをおろしてくわえれば完成。アイロンをかけたワイシャツをともなって下階にもどると歯磨きをした。あいま、(……)さんのブログの最新記事を読む。冒頭の引用で國分功一郎ハンナ・アーレントのいう「孤独」について触れているが、このはなしは『責任と判断』のなかにはいっているながめの論述のなかで展開されていたはず。たしか「孤独」と「寂しさ」(訳語はちがった気がするが)と、あとひとつ「孤立」という三区分になっていたのではなかったか。そのなかで「孤独」というのは「ひとりでありながらふたり」である状態、つまりじぶんじしんとともにいるという状態として定義されていたようなおぼえがある。國分功一郎も、「孤独とは私が自分自身と一緒にいることです」と言っている。「孤立」のほうはたしかもうすこし社会的な観点の意味合いがふくまれる概念だった気がされて、社会的交渉からの隔離みたいな印象がのこっている。ローマのカトーだかなんだか哲人的な政治家が、別荘に引っこんでこういう「孤立」の状態でしごとをしたとかなんとか、あるいはしごともせずに安楽な状態で隠遁していたとかなんとか、そういうはなしが引かれていたような。だから、「孤立」というのは思考や思索もせずに休んで活動的生から退却している状態として言われていたのだろうか?
  • 口をゆすぎにいくと階上から換気扇の音となにかを焼いているひびきが聞こえたので、父親がアジかズッキーニか焼いてくれたらしい。夜はこれをやれば良いと母親の書き置きにあったのだ。部屋にもどってここまで書き足せば六時一三分。
  • それから肌を拭くためにまた上階へ。父親がやはり台所に立って洗い物をしている。肌着を脱いで上半身をさらし、制汗剤シートを皮膚のうえにすべらせたあと、ゴミを捨てて父親に、(……)さんの葬式、俺はどうしたらいいかねとたずねると、うーん、そうだなあ、という反応があり、コロナウイルスで……とつづくので、少人数にしぼりたいでしょうや、あちらとしては、と差しこむと、同意がかえって、いいんじゃねえかなあ、と出るので、いいかね、と落とした。こちらとしてはどちらでも良いし、顔くらい見ておきたい気はするのだが。のちほど帰宅後に母親がまた話題に出して、その際父親は、あした(……)ちゃんに聞いてみるかと言っていたが、あちらだって来てくれとも来るなともはっきり言いづらいだろうし、まあ欠席で良いのではないか。母親によれば、通夜の日は三時半くらいから納棺で、そこから六時まで待っていないといけないらしいし。待つのは得意技だが、それだけ時間があるなら家で過ごしたいという気持ちも立つ。
  • 出発まえにまた瞑想をした。みじかめに、一〇分足らず。そとでは男児の声が立っている。すわっているうちに飛行機が空を行く音がはじまって、飛行機が上空を航行し大気を押しのけてうねらせるあのひびきというのは、まさしく空が水になったかのようにいかにもおよいでいるというかんじがして、それがかなたの高みからつたわってくるとなぜかなんとなく慕わしいようなこころが起こる。下の家で扉か窓をあけはなっているらしく、女子のけたたましい笑い声があけすけに立った。イヤァハ、ハ、ハ、ハ! みたいな発音で、後半が高いのだが、そのあたりの音質はヒヨドリが声を張るときのそれとけっこう似ている。
  • その後、きがえて出発。台所の父親にあいさつして玄関を抜ける。天気は曇り。雲が全体に薄くかるくきれいに塗りのばされて隙間のなくなったような曇り空で、色はおおかた白でそこに薄青い影がところどころ混じっているだけなので重さはなく、平面的でむこうのみえないガラスのようなかんじ。瞑想を二度もしたためにあゆみは鷹揚で楽。坂道もいそがず一歩をゆったりと、苦労なしのように気楽に踏んでのぼる。(……)さんがきょうもいた。道前方の脇で林がガサガサ鳴っているのを見ていると出てきて、ひくい石段を慎重に下り、箒をともなって息をついていたので、通る際にそのうしろすがたにこんにちはとかけたが、こちらのひくくてちいさな声ではとどくはずもない。しかしそれでも気配をおぼえたらしく過ぎるあたりでふりかえったので、こんにちはとまたつぶやきながら礼をしておく。あいては息をちょっと切らしながらおかえんなさい、とかえして、きょうはそれ以上やりとりせずに先をすすんだ。おかえりなさいと言われてわかったのだが、彼がこちらのことをいつも水道局の人間かとおもっているのは、じぶんが学習塾でアルバイトしているしがない講師だということを知らず、ふつうに朝からはたらいていて、出くわす時間には帰路を取っていると認識しているからなのだ。そりゃあそうだ。そして坂下付近にははたらく場所などその施設しかないので、必然的にそこのひとかなというあたまになるわけだ。あの施設じたいも、そこではたらいているひとなど見たことがないし、ちかくに行く機会もないし、いままだ稼働しているのか不明だが。
  • 最寄り駅につくとベンチにすわって手帳にメモ。しかしすぐに電車が来る。きりあげて乗り、着席して瞑目。しばらくやすんで、着くと降り、職場へ。駅を抜けるころには空と大気がけっこう青くなっていたが、七時のわりには褪せたような、あまり青みが濃くなくて白の印象がつよい色合い。
  • 勤務である。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • そんなかんじではなし、一〇時半すぎに退勤。電車で帰る。帰路、(……)さんの宅の横の梅の木が実を落として多数路上に配しており、木下闇の底に転がったそれらがしかしななめに走る電灯の侵入を受けて、おのおのその下面から影を生やして地にみじかく伸ばしていた。
  • 帰ると手洗いやうがいをして部屋にもどり、服をきがえて休身。夕食にいくまえにまた瞑想をした。二〇分くらいだったか? そこまではやらなかったかもしれない。このとき、下の家がやはり窓や扉をあけているようで声が聞こえていたのだが、そこでなにか悶着が起こっている気配があった。だれかがそとでなにかをたたきつけているような、破壊しようとしているかのような打音が聞こえはじめて、それに追いついて止めるひとの声もはじまり、男性が、あれが(……)ちゃんかもしれないが、どうした、ほら、どうした、となだめていたのだけれど、不思議と打音の主の声がまったく聞こえなかった。たぶん子どもがなにか癇癪を起こして怒りの行為に走り、たとえば自転車を投げるとかしていたのではないかと推測するのだけれど、そのわりに子どもがギャアギャアいう声とか叫ぶ声とかがまったくなく、音も、(……)ちゃんの男児はまだ小学生だったはずなのだけれど、そのわりに大きくて重かったので疑問ではある。いずれにせよ行為主はなだめられて家のなかにはいったらしく、扉が閉まる音が聞こえて、ひとの声がつたわってこなくなった。子どもが泣く声がそのあとちょっとしてから聞こえてはきたが、これはその家のものだったのか、ちかくのべつの家から出たものだったのかわからない。
  • 夕食はアジとズッキーニ、白米にみずからこしらえた味噌汁、あと母親が出勤前につくっていったマカロニサラダ。夕刊をひらくと、イスラエルがまたガザに空爆したという報が載っていた。一七日夜。一六日だかにもいちどあって、停戦後は二度目。これはエルサレムユダヤ勢力の極右の連中が一九六七年の東エルサレム占領を記念するとともにパレスチナ人の排斥をとなえる行進をおこなったのにたいしてハマス風船爆弾とやらをイスラエルにむけておくりこんで火災が起こったことへの報復攻撃。行進はもともと五月に予定されていたがイスラエルハマスの衝突によって延期された、と過去の記事に書かれていたおぼえがある。例によってハマスの拠点的な場所をねらっているとイスラエルは言っているようで、一六日だかのときには被害者は出ていないとあり、たぶん今回も人的被害は出ていないのではないか。
  • テレビは『リコカツ』というドラマをうつしており、瑛太北川景子がいちど離婚しながらもすったもんだあって最愛のパートナーにもどるみたいな内容で、このドラマを見るたび母親は、瑛太かっこいいな、この役をやってまえよりもっと格好良くなった、と言っている。エンディングの歌が、なんといえばよいのか、韓国のアイドルがうたっていそうなと言ってただしいのか、R&B風味をほんのすこし混ぜて吐息のおおめな、エモーショナルとでもいわれそうな男性ボーカルのそれだったのだが、これは米津玄師だった。低音部の声のひびきかたとかはそんなにわるくはない。曲も、こちらはとくに好きではないし、ドラマの音声のためにあまりよく聞こえもしなかったが、メジャーのJ-POP寄りではあるにしても完全にそれに嵌まりきったものではなくて多少工夫がされているような気がした。
  • そのあと母親が番組をうつして、こちらはものを食いつつ朝刊にもどって連合の神津里季生会長が共産党が政権をになっているようすは想像できないと言って連立に否定的な見方をしめしている記事を読んでいたのだが、テレビのほうからジャズの音が聞こえてきておもわず反応してしまい、たびたび視線をうつす。草刈正雄が寸劇的なものをやったあとに蕎麦が紹介されている番組だったのだが、いちど男性ボーカルがながれて、聞けば"It's Only A Paper Moon"である。これMel Tormeじゃねえかな、とおもった。声がそれらしい気がしたのだけれど、ただ、こちらは『At The Crescendo』のライブ音源しか知らないのだが、あれと比べるとメロディのかたちやことばの発音がかなり違ったので、べつのひとかなともおもわれた。しかしその後のトランペットソロの、ミュートつきの高音のひびきかたが『At The Crescendo』のそれとおなじなので、やはりMel Tormeか? ともおもわれてよくわからない。そのあとはなんだかわからないがRed Garland的な品の良いかんじのピアノトリオ。落語家みたいなかっこうをした蕎麦通らしき爺さんが店にはいって蕎麦をすするのだけれど、とりあげてながく垂れ下がっている蕎麦を、マジでその下端のほうしか器に入れず、大部分はつゆにまったくつけないまま啜って食っているので、通人はやはりそうなのかとおもった。つゆでなくて麺の風味をたのしむものなのだろう。いわく、蕎麦は喉越しがうまいもので、あまり噛まない、噛んでいるとまずくなってしまうから、とのこと。BGMはあと、ピアノトリオの"Cleopatra's Dream"と"I Remember Clifford"が判別された。前者はたぶんBud Powellのオリジナル音源ではなかった気がする。Bud Powellだったらもっとガシガシやってぐあっと走る気がしたのだが、ただあのアルバムはおとなしめだったような気もしてわからん。"I Remember Clifford"もオリジナルをきちんと聞いたことがないのでそれだったのかわからん。そもそも初演がいつのどれなのか知らない。トランペットはLee Morganっぽいような気はしたが。
  • そのあと草刈正雄の寸劇がはさまれて、今度は島根県出雲に舞台がうつり、出雲蕎麦というものが紹介されるのだが、このときはBGMがアコギをさわやかにかき鳴らすものなど、牧歌的なかんじに移行した。出雲蕎麦に撃たれたというわりと若い世代の男性が出ていたが、いわく、ほんとうにそれまで食べた蕎麦とはまるで別物で、いままでじぶんが食べていた蕎麦はなんだったんだろうと衝撃を受けるほどのものだったという。そんなに言われれば食ってみたい。じぶんに味がわかるとはおもえないが。このひともやはり、麺を噛んだときに鼻腔にかんじられる風味がいちばんたまらない、と言っていた。
  • あと新聞の夕刊からは音楽情報をふたつ見た。Amazon Musicがプロデューサーをえらびそのひとにまかせて音楽をつくってもらい独占配信するという企画をはじめたらしく、さいしょにえらばれたのがDJ兼電子音楽家のSeihoというひとだという。ぜんぜん知らないのだが、いろいろなひとをまねいてつくったらしく、ceroのなまえがあったのでちょっと気になった。もうひとつは、The Offspringが九年ぶりに新作を出したという報。The Offspringはほぼ聞いたことがないし、黎明期のパンクにせよそのあとのメロコアとかに移行していったものにせよ同様なのだが、なぜか気になった。高校時代に一曲だけそこそこ聞いた曲があったはずだが、曲名すらおぼえていない。いま検索したところでは、これは"All I Want"だ。The Offspringの新作は『Let The Bad Times Roll』というやつで、このバンドはいつもそうらしいのだけれど、政治的メッセージがつよいものになっているという。アメリカの状況をうたっているわけだが、いわく、反米や反体制を標榜しているわけでは決してなく、米国人として米国の先人たちが築いてきた価値や思想は信じているのだが、問題はそれを動かす人間のモラルや私利私欲であり、そこを批判しているつもりだ、とのこと。ボーカルのひとがこの九年のあいだに分子生物学の博士号を取ったとかいうので、インテリなのだろう。
  • 食後は食器を台所にはこび、乾燥機のなかのものを出して戸棚に整理してから洗い、すますと入浴。風呂のなかでも静止して休息をおおく取る。出てきて帰室すると一時半だったが、即座に日記をつづる意欲があった。それできょうのことをいろいろしるせばいまは三時まえ。勤務中のこと以外はもうほぼ書いたので勤勉である。
  • その後はだらだらして、何時に寝たのか正確におぼえていないのだが、もう明けた時刻ではあった。