2021/6/19, Sat.

 自然のロゴスと人間の宿命とを同一視することは、一方では、人間についてもその自然本性を重視し、自然と一致して生きることを理想とする倫理的態度とつながっている。生の目的は、ゼノンによれば、「調和して生きること」である。ゼノンの直接の後継者であるクレアンテスがこれを「目的は自然本性に調和しつつ生きることである」と敷衍し、クリュシッポスがさらに「自然本性によっておこることがらの経験にしたがって生きること」と説明したといわれる(『断片集』 [アルニム『古ストア派断片集』(H. von Arnim, Stoicorum Veterum Fragmenta, 3 Bde.)] 第一巻、断片五五二)。――人間的な自然本性を強調することは、他方では、たんなるノモス、諸国家の法を超えることである。ここに、ストア倫理学が後代に対して重大な影響を(end128)およぼした、その自然法思想の根があり、また世界市民(コスモポリテース)の根拠がある。
 「正義は、その名で呼ばれるにふさわしいものであるならば、自然本性にもとづいている」(第三巻、断片三〇九)。したがって、諸国民の習慣、それぞれの国家の法律にさだめられていることがらがすべて正しいと考えるのは、「もっとも愚かな見解」にほかならない(断片三一九)。かりにそうであるならば、かつてソフィストのひとりアンティフォンがすでに説いていたように(本書、六六頁)、ひとは利益のみをもとめて法を破り、かくて正義のすべては失われることだろう(断片三二〇参照)。そればかりではない。「国民の命令、支配者の決定、裁判官の判決によって正しいことがさだめられるなら、強盗することも正しく、姦通することも正しく、遺言状を偽ることも正しいことであったことだろう」(断片三二一)。自然的な本性による法がある。「この法はいっさいの時代を超えて、書かれた法のすべてより以前に、そもそも国家より以前に生まれたものである」(断片三一五)。
 自然の法は、国家を超える。ストア学派の理想は「賢者」(知者)である。賢者はけれども「祖国を捨てる」ことはない(断片三二八)。国政を蔑ろにはしないけれど、それに積極的に参加するわけでもない。セネカがこう言っている。「私はじぶんから安心して、ゼノン、クレアンテス、クリュシッポスにしたがう。かれらのうちだれひとりとして、国政に参加した者はない。とはいえ、国政にひとを送りこまなかった者もない」(第一巻、断片五八八)。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、128~129; 第8章「生と死の技法 今日のこの日が、あたかも最期の日であるかのように ――ストア派の哲学者群像」)



  • 一一時をまわったところで起床。夢の残片。どこかの町に住んでいて、家のすぐそばにある図書館にたびたびあるいてかようなど。家を出てほとんど目のまえあたりにはまた桜の並木があって、それが満開だった。目をむけながらその下をとおり、最寄りの駅に行ったときもあったが、駅もかなりちかかった。
  • きょうは曇り。昨夜から雨が降ったので空気の感触が水っぽく、あかるみの色は見受けられず部屋はいつもより薄暗い。水場へ。階段下にいる父親にあいさつし、洗顔やうがい。用を足してもどると瞑想をおこなった。きょうはみじかく、一七分程度。脚がまだこごっていて、すわっているとちょっと痛くなってきて、いろいろ調整しても良い位置が見つけられないので、そうなるとながくつづけるのがむずかしい。窓外では鳥が何匹も鳴いているが、なかに一羽、とおくにいながら暈をおおいにともなった大きな声を湿り気のおおい大気にひびかせひろげる際立ったものがあった。しばらく鳴いて声が尽きるかとおもいきやそのたびにふたたび一気に高い叫びに転じて周波を放つのを何度も何度もくりかえしており、そのまま永遠につづきそうないきおいだったが、すわっているうちに気づけば外がしずかになっていて、その鳥だけではなくいくらか声が減って隙間がおおく生まれたようだった。
  • 上階へ行き、洗面所で髪を梳かすとともにまたうがいをした。なんだかんだはなすしごとなので、うがいをよくやっておかないと喉がうまくはたらかない。食事は米ときのうの味噌汁やサラダののこり。テレビはあれは『ヒルナンデス』だとおもうが唐揚げ特集みたいな番組をうつしており、これはたぶんきのう放送されたのを録ったものだったようだが、岡田准一がゲストで出て唐揚げを食っていた。その岡田准一の顔を画面左上の小窓に見た瞬間に、やたら格好良い顔だなとおもった。髭をいくらか口の上下に乗せてややワイルド風なのだけれど、顔立ちがとにかくくっきりと、カキンと刻んだようになっていてすげえなとおもった。めちゃくちゃはっきりしていて、あきらかにからだのメンテナンスをしている者のつよく締まった顔、という印象。黙って視線をくりだしているとそういうかんじでちょっと近寄りがたいような雰囲気すらかんじさせないでもないのだが、しゃべれば茶目っ気を発揮しておとぼけ的なふるまいもいくらか見せていた。
  • 新聞は国際面。中国で「寝そべり主義」なるものが共感を呼んでいて、党は国の発展の阻害要因になりかねないとして批判しているとの記事。四月にSNS上に投稿された文章がきっかけでひろがったらしく、競争的な社会や親からのプレッシャーにつかれた若者らが、無理してはたらくのではなく家や車を買わないつつましい生活で気楽に生きていくことを称揚したものらしい。中国では一人っ子政策がながくつづいていたから、それで唯一の子にかけられる親からの圧力がつよいという事情があるようだ。たいして党寄りの新聞とかは、奮闘する生こそが良い生だとマッチョ的ヒロイズムを主張してこの動向を批判していると。
  • 中国関連ではもうひとつ、カシミールでの中印の衝突から一年という記事があった。両軍とも最前線からは撤退したということにいちおうなっているものの、じっさいには中国側がインド領域にいくらかのこっているとかで、インドでは反中感情がひろがっており、国民においてもこの一年で中国製品を買い控えたと調査にこたえるひとは四三パーセントだかをかぞえ、また政府も5G開発事業からファーウェイを排除しているという。中国はマジで各方面に喧嘩を売って反中感情の拡散拡大をまねいており、むしろ中国となんの問題もなく仲良くしている国ってどこなのかな? とおもう。ロシアがそうだろうが、なまえをよく聞くような国々のなかではあとはないのではないか。経済的利益を得ていたり、ワクチンを供与してもらったりして中国の勢力圏にとりこまれている国はたくさんあるはずだが、それは仲良くというよりも、マフィアに依存して商売しているみたいなものだろう。いまの中国はマジで喧嘩を売って他国と対立することになんの躊躇もないように見えるので、どうすんのかな? とおもう。
  • 食器を洗い、風呂もいつもどおり擦って洗い、茶をしたてて下階に帰った。コンピューターを準備して、きょうのことをここまで記述すると一時一三分。
  • それからきのうのことを綴った。昨晩の帰宅後にもうけっこうしるしてあって、あとはほぼ勤務中のことを書くのみだったのだけれど、それでも二時半くらいまでかかったのではなかったか。ひさしぶりに一日のことをあまり隙間なくよく書けた感はあるものの、ほんとうはもっと省略的に記録して、そのぶんほかのいとなみに労をあてていったほうがよいのだろうなとはおもう。できるかぎりすべてのことをしるすというこだわりも、もうおおかた解体された。あらゆるこだわりを捨てていきたい。そうして、じぶんのからだとたましいといのちと声とことばだけを連れたかるい生きものとして生きていきたい。人間などだいたいのところ、寝て飯を食ってあるき糞をしてひととはなして歌うだけの生きもので良い。
  • 二時半すぎか三時かわすれたがベッドで三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)を読みだした。三時には達していなかったはず。BGMはJohn Legend『Live From Philadelphia』をひさしぶりに。『双生』は228からはじめて、259まで。とてもおもしろい。比喩がどれもよい。また、229から230にかけての啓示の記述がすばらしかった。『亜人』の蟹のところをおもいおこさせる。『亜人』と同様で、文体や描写やことばえらびもそうだが、物語としてのおもしろさがはっきりとあるなという印象で、ただ表象の物語と意味もしくは象徴の物語が二重化または多重化されて推移しており、意味の物語のみちゆきがあまりよくわからないのだけれど、むしろそれがゆえにというべきなのか、ところどころでちょっとぞくぞくするような、得体のしれない鮮烈さみたいなものをかんじることがある。もう終盤だが、読み終えたらそのままもういちどはじめから読むつもり。それか、『亜人』を先に再読するか。
  • 物語としての魅力があるのはまちがいないとおもうのだけれど、ただ文体は、これはどうしたって、文学だのなんだのを読み慣れたむきでもたぶんだいたいのひとは苦しむだろうな、とはおもう。『亜人』の段階ですでにそうだったわけだし。こちらはもう慣れてふつうに読める。しかし、とりわけ出征あたりまでの、もっとしぼれば片割れの神隠しかフランチスカの登場あたりまでの文章を、すっと乗り越えて通過できるひとはあまりいないのではないか。この序盤で読むものを選別する作品だとは言えるかもしれない。
  • 四時で切り。ストレッチをすこしだけしてから上へ。煮込みうどんのあまりとパンで食事。煮込みうどんはべろべろにやわらかくなっていて、汁を吸って粘るようなかんじだったがうまい。朝刊から、フランスで二〇日と二七日に地域圏および県の議員を選出する統一地方選があるという報を読んだ。マクロンの「共和国前進」はもともとマクロンが地方に基盤をあまり持っていないことにくわえてコロナウイルス対策やテロなどの治安事項で不満をいだかれており、統一地方選における支持率は協力政党とあわせても一三パーセント、それにたいして地方でつよい野党共和党が二七パーセントで、そしてなんとマリーヌ・ルペン率いる「国民連合」(いつだか知らないが、「国民戦線」から改名したらしい)が二六パーセントでならんでいて、いよいよやばいのでは? という気がした。ミシェル・ウェルベックのえがいたシナリオが現実化するのではないだろうな、という。大統領選は来春にひかえている。
  • 労働にむけて家を発ったのは五時四〇分ごろ。雨が多少降りだしていたので傘を持ち、ひらいて道へ。昨晩の帰路に見かけた樹下の梅の実が路上にことごとくつぶされて、緑色だけでなく黄色や橙っぽい色をぐちゃりと粘りつけていたとおもう。(……)さんが庭に出て草取りかなにかしていたので通りすぎざまにこんにちはと声をかけ、雨が降ってますから、気をつけて、と言っておいた。坂道にはいって鷹揚にのぼっていくと、まえから女性がひとり来る。(……)だった。あいさつを交わし、なんか、ちょっと、大人っぽく……なったんじゃない、とむけると、なってないですよとわらう。しかし、高校を卒業して三か月、いぜんよりも姿勢がしゃきっとしているような気がしたし、服装も多少は垢抜けたようだ。テストがあったらしく、成績は良かったという。ただ、楽しい? と訊いても、つかれます、とかえったので、そこですぐ楽しいって出ないのが、とわらった。あまりうまくことばが出ず、アドバイスができなかったので、なにも言えないけど、とかわらったり、てきとうなことを言ったりしたあと、とにかくからだをこわさないように、それだけ気をつけて、楽しくやってくれればいいですと落として別れた。ほんとうはもっとはなしをしたかったが、電車の時間もあったので。
  • つくとほぼ同時に来たのではなかったか。乗って移動し、職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰宅後はGavin Haines, "How Iceland recreated a Viking-age religion"(2019/7/4)(https://www.bbc.com/travel/article/20190602-how-iceland-recreated-a-viking-age-religion(https://www.bbc.com/travel/article/20190602-how-iceland-recreated-a-viking-age-religion))や、金井美恵子「切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー: 第5回 年齢と果実」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2016/04/post-6.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2016/04/post-6.html))や、(……)さんおよび(……)さんのブログを読んだり。夕刊の文化面を読んだ。松家仁之が『泡』という新刊を出したと。鬱屈していてしんどかったじぶんの高校生時代のことをふりかえって書いたものだという。むろん、実体験そのままというわけではないだろうが。なんだったか、都市をはなれて祖母の家だかがある地方に行き、そこのジャズ喫茶でてつだいをするうちにどうのこうの、みたいなあらすじが書かれてあって、直球の青春小説、みたいな謳い文句も記事中にあったとおもう。主人公が緊張すると空気を飲みこんでしまい、それでおならが出る症状になやまされる設定になっているらしいが、これは何年かまえに塾の生徒にもいたし、じぶんじしんの体験としても似たことはある。じぶんのばあいはおならではないが、パニック障害の時期以後けっこうながいあいだ、胃から空気があがってきて苦しいということがよくあって、あれも緊張で空気を飲みこんでいたのかもしれないし、あとは単純に胃が悪かったのだとおもう。茶を常飲していたので、胃液の分泌が盛んになっていたのかもしれない。飲み会などに行ってグレープフルーツジュースとかをたくさん飲んだ帰り道にそういう症状になって、苦しみつつときどき口のなかに溜まる唾を吐きながら夜道をあるいたということがよくあった。
  • もうひとつ、池辺晋一郎の「耳の渚」があったが、今回書かれているのは武満徹のことで、なんと彼は小説を書いていたというのでおどろいた。「骨月」という題で、私家版で二〇〇部しか出していないというが、池辺晋一郎武満徹のアシスタントをしていたおかげで本人からもらって所有しているらしい。武満徹小林康夫中島隆博の共著である『日本を解き放つ』のなかでその文章が引かれていたのを読んだことがあるのみだが、それがけっこう良い文章だったので、小説を書いていたといわれればちょっと興味は湧く。ほかにも美術雑誌に画を載せたりもしていたらしく、だから池辺晋一郎にいわせれば、武満徹はその表現手段が偶然音楽だっただけで、なにかがちょっとちがっていれば画家だったかもしれないし詩人だったかもしれない、という。経歴としてもじっさい、クラシックをやる人間の常道をとおってきてはおらず、子どものころや若いころに傾倒していたのはジャズやシャンソン、あとは映画だったというし、音楽も独学だったと。
  • 四時一五分に就床した。寝るまえに一〇分だけだが瞑想できたのでよかった。