2021/6/23, Wed.

 せまい意味での古代懐疑論、あるいはピュロン主義について語るならば、その「はじまり」(アルケー)は「平静(アタラクシア)に到達したいという思い」である(セクストス『概要』 [セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』] 第一巻十二節)。懐疑論者の目からすれば、その他の、いわゆる哲学者たちは、スケプシスを中断した独断論者(ドグマティコイ)に映る。探究の中止とは、愛知のいとなみを恣意的に途絶することではないだろうか。積極的な判断のすべてに対して、懐疑主義者(スケプティコイ 探究者)が説く判断中止(エポケー)は、他方、哲学のいとなみを放棄したシニシズムにも見える。ちなみに、キュニコス主義を英訳すると、シニシズムとなるだろう。論点は、哲学に体系をもとめる者と、体系を批判する論者との対立というかたちで、近代まで継続してゆく。問題の原型は、また、ソクラテスの生と思考をなぞって成立した学派、小ソクラテス派(本書、七五頁)にさかのぼる。(end137)両者をつなぐようにニーチェはこう語っていた。「私はすべての体系家たちに不信の念をいだき、かれらから身をさける。体系への意志とは誠実さの欠如なのである」。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、137~138; 第9章「古代の懐疑論 懐疑主義とは、現象と思考を対置する能力である ――メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義」)



  • 一一時まえに覚めて、こめかみなど揉んでから、一一時一〇分ごろ離床。床に降り立つと背伸びをして、水場へ。洗顔にうがいをしてからトイレで膀胱の中身を吐き出し、もどると瞑想。一一時二三分くらいから四〇分まで。起き抜けなのでやはり背がかたくて抵抗をかんじるのだが、しかしそれでもすわっているとじきにかるくなってきて、肌の感覚がまとまり、からだが全体としてひとつながりに統合されてくる。そういう感覚に入る境がある。そうなるとなぜか背のかたさもなくなって、肉体が安定し、動きがすくなくなって停止感が確固とする。一七分はやはりみじかかったというか、それしか経っていないとはおもわず、ほんとうはもうすこしやりたかったかんじだ。そとでは(……)ちゃんの夫妻がなんとかはなしながら、なにかいらないものをかたづけるとか、家を整備するみたいなことをやっていたようだった。天気は曇りだが湿っぽいかんじはさほどなく、風があるわけでもないけれど、ながれをかんじさせずに外気が室内にはいってきている感覚はある。すごく暑いわけではない。
  • 上階へ行き、炒飯やうどんで食事。たしかきのうだったが、原信夫の訃報があったのをおもいだした。その音源はぜんぜん聞いたことがないが。国際面を見ると、エチオピアで選挙がおこなわれて、与党「繁栄党」が圧勝のみこみと。圧勝もなにも、そもそも候補者が与党のひとしかいないみたいなことが書かれていたので。小選挙区が全部で五四七だかあるらしいのだが、北部ティグレ州は中央政府との紛争をつづけているのでそこではおこなわれず。アビー・アハメド首相はエチオピアのいままでの歴史でいちばん良い選挙だみたいなことを言って、公正で民主的な選挙だと強調したらしいが、野党候補者を拘束だか排除だかして欧米から批判されているともあったので、疑問ではある。野党候補者といって、与党繁栄党には全土の民族のうちだいたいが糾合しているようなので、たぶんほぼティグレ側の勢力ということなのではないかとおもうが。繁栄党は二〇一九年に多民族をあつめて中央集権的に糾合的に結成されたのだが、九一年の社会主義政権崩壊以後権力を握っていたティグレ人勢力はそこに合流せず、いままで対立をつづけているというのが紛争の背景らしい。ティグレ州では政府軍による住民への残虐行為が報告されているもよう。
  • 食事を終えたあたりでテレビは沖縄県でおこなわれている戦没者追悼式典をつたえはじめた。父親はきょうも草刈りにかりだされており、昼でいったんかえってきてまた玄関で飯を食っていた。その食器もあわせて洗い、風呂も洗って出てくると、テレビは式典の映像中継になっていて、茶を用意しながらそれをすこしながめた。玉城デニー知事が「平和宣言」というものを読んでいたのだが、声色がやや平板におもわれ、ことばのはやさも、早口というほどではないが、もうすこしゆっくり読んで重々しさを出せば良いのにとおもった。あと、視線もだいたい手もとに落としたままで、あまり目をあげて参列者のほうを見ないし。いまの日本の政治家はだいたいみんなそうだとおもう。まずもってみんなことばがはやい。口調が。
  • 茶を持って帰室し、(……)きょうのことをさっさっとここまで書けば一時半。
  • 77にあったつぎの記述は、まるで『双生』について言われたもののようではないか? とおもった。

 (……)それは数えきれないほどの鏡が無方向に揺れ動き、尽きざる反映によって戯れあう表層的な環境である。そこでは比喩や象徴をたぐりよせながら隠された意味の露呈に立ち会おうとする思考の運動が、そのつど視点を見失って宙に漂いだしてしまう。あらゆる文学がそうだといってよかろうが、漱石的「作品」は解釈 [﹅2] の対象とはなりがたいのだ。それじしんがすでに反復的な環境としてある「作品」は、何にもまして模倣 [﹅2] の対象なのである。模倣といっても、そこにあらかじめ描かれている意味へと自分を同調させることが求められるわけではない。無限の反映によって活気づけられる表層的な戯れの場にあって、無方向な拡散ぶりが一瞬ごとに描きあげる意義深い細部同士の共鳴現象と、あるとき自分自身がぴたりと共鳴することを期待しながら、反映する光の不断の交錯ぶりを凝視することがここでいう模倣 [﹅2] なのである。それには、表面に揺れ動く影の推移を固定しようと望んではならない。それをどこまでも繁茂させ、たえず変容する複雑な網状組織に仕立てあげること。そして一瞬ごとに変化するその網の目の模様が、あるとき自分自身の顔の輪郭と一致する瞬間を待つことである。それには、自分自身をも拡散させ、不断の変容をうけいれねばならない。「作品」とは、この変容を強いる残酷な場にほかならない。

  • 83: 「帰納や演繹への安易な凭れかかりを自分に禁じながら、永遠に遅延するかと見える報告を待つことの重みにたえ、言葉を言葉として蘇生させる試み、それが読むということなのだ」
  • 91: 「依頼の撤回は、漱石的媒介劇にあっては、依頼の至上形態として、無言のうちに代行権を相手に委託するこの上なく図々しい振舞いだというべきものなのだ。女性の「美しい弱点」につけ入るまいとして漱石的存在たちが一歩後退するとき、実は、彼等はその「美しい弱点」そのものにつけ入ることになるのである」
  • 97~98: 「伝記的事実の穿鑿は、それなりに一つの意味を持っていようし、ことによったらありえたかも知れぬ嫂との関係の罪の記憶が、(end97)ここでの作者の筆を駆っていたことも全くないとは断定しがたい」
  • この日の往路は母親に送ってもらった。電車で行くとちょうど良い時刻のものがなく、はやすぎるか余裕がないかになってしまうので。鍵開けでなければ、余裕のない時刻に行っても良いのだが、この日は室長不在でこちらが代行だったので、やはりいくらかはやめに行っておきたかった。それで車に乗せてもらった。とちゅうで郵便局のまえにとまり、「セシール」という衣服の通販サイトに返品するという包みをおりたたんでポストにつっこみ、それから職場へ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 勤務中から雨が盛っていた。職場を出た一〇時ごろにも、弱まってはいたものの降りつづけていて、放置されてある傘を借りていけばよかったのだが、なんとなくいいやとおもってはらい、駅へ。ベンチにすわって瞑目のなかに休む。背後とかちかくでがさがさいう音がしたり、ツナマヨネーズのサンドウィッチ的なにおいとか、なんらかの食物の香らしきものがつたわってきたりするので、帰路のとちゅう、駅のベンチで食事をかんたんにすませてしまうという横着者がけっこういるようだ。電車が去ったあとの線路のうえを風がながれて空間がさざ波とゆらぐような気配が聞こえてその直後、雨がふたたび高まりだして、屋根を打つひびきが繁く高くなり、これはしまったなとおもったのだが、最寄りにつくまでまだすこしあるし、濡れるも濡れないも運否天賦と無頓着にはらった。そうしてじっさい最寄り駅におりたったころにもやはりまだ降っており、しかし土砂降りというほどでないし粒もたいしておおきくはないしこれくらいならどうとでもなるなとおもっていたのが、ホームを行くうちにはやくも屋根をたたく音が厚く推移し、通路を出るころにはまた盛りだしていて、運が悪かったけれど雨に濡れるくらいでガタガタいうことでもないと躊躇せずに降りのなかに踏み出して、濡らされながらもたいしていそがず坂をくだった。頭上に木蓋があるのでその下をとおれば多少攻撃がやわらぐようではあるのだが、ただ梢にいったんとらえられて溜まった水が落ちてくるから一撃が通常よりもおおきくて、正直あまり変わりはしない。下の道にはいったころにも降りは変わっておらず、髪をかきあげうしろにながしてオールバックにしながら帰路を行った。じぶんの身と服が濡れるのはあまりどうともおもわないが、バッグが濡れるのはなんだかもったいない気がされた。
  • かえると蓮實重彦を読みつつ休み、食事。立花隆の訃報。昼にすでにニュースで見かけており、この翌日の朝刊でもあらためて読んだ。ニュースで見かけたときに、母親が、知ってる、と聞いてきたので、まあなまえくらいは、とこたえた程度の認識だが、『田中角栄研究』というのが調査報道の草分け的なものだったらしい。「知の巨人」などとおおげさな呼称をあたえられているとおり、記事の文章もコメントを寄せているひとびともみな、とにかく知的好奇心が旺盛で興味と著作の分野が幅広かったと称賛しており、たしかにコメントも、政治学者やノンフィクション作家や山中伸弥野口聡一といった顔ぶれ。もともと東大の仏文科卒で文藝春秋にはいったあと本を読めず精神が頽廃しているからとかいって二年でやめ、そこから東大の哲学科にはいりなおして、そこは中退したらしいがライターとしてしごとをはじめて、『田中角栄研究』で時の首相が退陣に追いこまれて脚光を浴びたと。ただ本人は、哲学科にはいったくらいだからやはりそうなのだろう、人間とはなにかみたいな根本的な問いにずっと駆動されてきたとか言っていたらしく、だから『田中角栄研究』はそんなに労力をかけてまでやるべきしごとではなかったみたいなことを後年もらしていたらしいが、首相までつとめた政治家ひとりを研究することが「人間とはなにか」という一般的問いに資することがないわけがあるまい。とかく哲学だの思想だのやる人間は普遍にはしってばかりで具体と形而下をおとしめないがしろにするから信用できない、と、これは八割くらいは冗談だが。著作はほか、宇宙方面のものとか、分子生物学のものとか、臨死体験にかんするものとか、とにかくいろいろあるらしい。三万冊読んで一〇〇冊の本を書いたとか、なにかある分野について一冊書くときはその分野だけで五〇〇冊読んだとかいわれているらしい。
  • 風呂のなかでは、ひとがなにかを所有するなどということはほんとうはありえないのだろうということなどをかんがえめぐらせていたが、面倒臭いのであまり詳述はしない。けっきょく人間、なにかを持ってなどいないし、なにか持っているものがあるとしたら、じぶんの身とたましいと声とことばくらいのものしかないとおもうが、それらだってひとが主体的に所有しているわけでないことは誰もが知っている。ひとがおのれをはなれたなにかのものを所有しているなどという事態は、ふつうに幻想であり、気のせいである。おもうに人間など本質的には一片の存在性にすぎないもので、存在者ですらない、と言いたい。じぶん、などというものは、ここにある、ということいがいなにも意味しない。はじめからたかだかその程度のものだとおのれをよく知りわきまえていればそんなに迷妄に苦しむこともなく生きていけるだろうが、ただその存在性じたいもまたひとつの枷であり呪いであるという事態があるわけで、ほんとうはそれしかないのだとおもうのだけれど、ひとは生きて時を過ごすうちに欲望なり義務なり使命なり権利なり心理なり関係なり、非常に多種多様な枷と呪いを、ときにはみずからの手によって、またときには他者から差し向けられて受け取り、みずからの存在に付加しつづけていき、それはまるで原初の呪いを直視しないよう、それを呪いの氾濫のなかにまぎらせかくし、中和してもはや見分けがつかないようにしたいかのようだ。まあ呪いといって、ときにはそれなりにたのしく、ここちよくなじむことのできる呪いではあるが。
  • 風呂からあがって髪を乾かし洗面所から出ると、時刻は零時半かそのくらいで、居間は天井の電灯はもう落とされ食卓のうえに吊るされたオレンジ色のあかりだけが灯って壁と宙に影のおおい空間となっているのだが、そのあかりのもとで卓についた母親は、メルカリで売れたらしい小さなバッグ、というかバッグとも言えないような小袋のたぐいをおりたたんで、代金をさほどかけずに送れるサイズの荷物にしようとこころみている。眼鏡を顔に載せたそのすがたを瞥見して、老いがくるのだなあとおもった。まさしく雪が降るようにして時が降り、雨が世をひたすようにして老いがこの身をひたしていき、積もった時はそのさきで、だれもをどこかへと連れていってくれる。
  • いま一時五分。茶を飲みつつ、2020/6/23, Tue.を読んだ。「六月二三日という日付はちょうど六〇年前に(すなわち一九六〇年に)いわゆる改定安保条約が発効された日であり、同時に二〇一六年においては英国でEU離脱を問う国民投票が行われた日付でもあるのだが、なんと(……)さんの誕生日でもあるらしい」とある。また、(……)さんが自殺したという報がとどいている。それを受けて「実存の危機」についておもったことを以下のようにつづっている。言われていることはいまでもおおむねただしいとおもうのだが、生の虚無感に対処するためにはやはりおのれとむきあって対話をつづけるべきであると、そちらのほうを優位化している感触があきらかにあって、そういう倫理的なマッチョ感にいまでは完全には一致できない。もちろんそうしなければ本質的な解決にならないというのはそうだとはおもうのだけれど、べつに、ときに虚無につかまりながらも完全にとらえられることだけはなんとか避けつつ、だましだまし生きていければそれでいいんじゃないの? といまはおもう。

それまでずっと大きな問題はなかったのに老年に至ってはじめて精神の調子を崩し、疾患に陥るという人が世にはいて、(……)さんもそうだし、歳を取ってからノイローゼ的な症状に悩まされ二〇一八年三月に最終的に自殺してしまった(……)さんもそうだった。それにはたとえば仕事を引退したことで生きがいや人生の目的を見失ったとか、社会や他人との繋がりを欠いたことで孤独と虚しさを強く感じるようになったとか、色々な要因が考えられるだろうが、(……)さんのときにも思ったけれどいわゆる「実存の危機」という事態はそもそもどのような年齢の人にも訪れうるものなのだ。若い頃にそれを経験せず、悩む暇もなく一生懸命に働いたりがむしゃらに子どもを育てたりしてきた人ほど、老年に近づきものを考える余裕が生まれてからそれにぶち当たるということがやはり多いのではないか。それまでは己の人生を駆動させる大きな流れに必死にしがみついて何とかそれなりにやってきたけれど、長年月の果てに自分の立っている地点とその周りを見回すことができるくらいの余裕が得られたときに、ようやく来し方を振り返って、これで本当に良かったのだろうか、自分の人生ってなんだったのだろう、そしてこれからどうすれば良いのだろうかという空虚な疑念に捕らえられるということがあるのではないか。これに行き当たってその存在に気づいてしまうと人は苦しい。多くの人間はおそらく、おりにふれてそうした虚無的な空漠が身に迫るのを感知しつつも、それに目を向けず見えないふりをして騙し騙し、ごまかしながらどうにか折り合いをつけて自分の生を生きていく。そういうやり方でそれなりに満足して生きられればそれはそれで良いだろうが、とはいえもちろんそれはあくまで対症療法でしかないし、こちらがそれに気づきたくなくとも何かのきっかけにその影が大きくそびえ立ってあちらから勝手に迫り、自分を追い詰めてくるということもときに起こる。結局のところこの世界や個々人の生には客観的で確定した根拠などないわけなので、それを根本的に乗り切るためにはいわゆるニヒリズム的苦悩に巻きこまれながらもそれを見つめ続け、考え抜くことで自分なりの確かな意味体系を構築し、それを定かな足場としながら世界と対峙するほかはなく、そういう態度が実現できればおそらくそれを倫理的な生と呼んでも良いのではないかと思うが、しかしその倫理を確立するまでに通過しなければならない苦悩と苦痛に耐えられず精神を病んだりついには死を選んだりする人がいるということは、何も不思議なことではない。人は誰も死ぬまで己と付き合っていかなければならず、この自分という主体と己の存在そのものこそが人を重力的に拘束するもっとも厄介な桎梏なのかもしれないが、そこで人間が取れる選択は大きくはたぶん二種類しかなく、死ぬまで己自身の追走から逃げ続けるか、己と対峙し対話を続けることで齟齬なき一致に近づこうとするかのいずれかだろう。ただ自分自身というのはそんなに足の遅い相手ではないので逃げようとしてもおりおりひどく容易に追いついてくるし、背を向けていたつもりがいつの間にか追い抜かされて回りこまれ、強制的に顔を合わせなければならなくなるということも普通にありうる。とはいえ常に自分と真正面から対峙し続けることもかなり負担になるもので、それこそ精神疾患や自殺に至る危険が大きくなるだろうから、上の二種類の方策を組み合わせつつ、ときには逃げてときには向き合いながらうまい折り合いのつけ方を開発していくというのが現実的なラインだろう。真正面からではなくて、〈斜めから〉対峙するということだ。

  • (……)さんのブログから引いている立木康介の文章では、「私たちの倫理や規範の崩壊は、なによりもまず、微妙な陰影や繊細な論理の上に成り立つ言論が、恥知らずなまでに凡庸で粗悪なレトリックによって威圧されることからはじまるのだ。その意味では、かくも果敢な村上の発言をただの「反原発」の一点に矮小化して伝えた我が国の多くの報道や、やはりその一点のみに賛否を集中させたインターネット上の議論は、村上が批判しているのと同じタイプの言論を垂れ流したにすぎない」というぶぶんが、やはりどうしても目にとまった。
  • あと、(……)さんのブログから引いている幸田文の文章がかなり良かった。「「下町の女には貴賤さまざまに、さらさら流れるものがある」というこの箇所のはじまりからしてすばらしいというか、この冒頭の一文がもっとも良くて、これだけでもう満足できる」と評しているが、あらためて読むとそのあとも良い。

下町の女には貴賤さまざまに、さらさら流れるものがある。それは人物の厚さや知識の深さとは全く別なもので、ゆく水の何にとどまる海苔の味というべき香ばしいものであった。さらりと受けさらりと流す、鋭利な思考と敏活な才智は底深く隠されて、流れをはばむことは万ない。流れることは澄むことであり、透明には安全感があった。下町女のとどこおりなき心を人が蓮葉とも見、冷酷とも見るのは自由だが、流れ去るを見送るほど哀愁深きはない。山の手にくらべて下町が侮り難い面積をもっているのは、彼女等の浅く澄む心、ゆく水にとどまる味に負うとさえ私は感じ入った。 (「姦声」)

  • きのうのことを書いて投稿。その後、『夏目漱石論』からのメモ。その日読んだなかで気になったぶぶんをともかくメモるだけはメモるというのはいぜんもやっていて、しかし箇所がおおくなると面倒臭くてやめてしまったのだが、やはりこれは良いかもしれない。
  • その後は大したこともせず、また本を読んだりなんだりして四時一〇分に消灯。この日は書抜きはできなかった。