2021/6/27, Sun.

 懐疑論はまず、感覚への懐疑からはじまる。アカデメイア派は、真の表象と偽の表象というストアの区別を疑い(本書、一四一頁)、セクストスがつたえる「方式」の多くは感覚への判断中止をふくんでいる(同、一四三頁以下)。感覚が欺かれうるかぎり、世界は「そう見えるのとは別様でありうる posse aliud esse ac videtur」。が、そのように説くことは、およそ見られ、感覚されるものの全体を「世界」と呼ぶことを禁じるものではない。たとえ「私」が眠っていようと、あるいは狂気に陥っていようと、まさにそのように見えているものが「世界」なのである(『アカデメイア派論駁』第三巻第十一章)。感覚に欺かれていようと、いまそのように感覚される [﹅5] 世界は存在し、世界を感覚する [﹅4] 私もまた存在する。そればかりではない。もし欺かれるなら、欺かれる「私」はすくなくとも確実に存在するのである。後年の著作から引いておく。

私たちは存在し、私たちの存在を知り、そのように存在し、知っていることを愛している(Nam et sumus et nos esse novimus et id esse ac nosse diligimus)。いま述べた、三つのことがらにおいては、真なるものに似た、どのような虚偽も、私たちを惑わすことがない。私たちがこれら三つのことがらに触れるのは、外界に在るものの場合にはそうであるように、なんらかの身体的な感覚によってではないからである。私たちはたとえば見ることで色を、聞くことで音を、嗅ぐことによって匂いを、味わうことによって味を、触れることで固いものと柔らかなものを知る。私たちはまた、そうした感覚的なものについては、それらに類似していながら物体的なものではない像をもち、その像を思考によって思いめぐらし、記憶で保持し、またそうした像によってそれらのもの自体を欲求するように刺激もされるのである。私が存在し、私がそれを知り、愛していることは、私にとってもっとも確実である。そこには表象や、表象によって想像された像の、ひとを欺く戯れが介在しないからである。これらの真なるものにかんしては、「きみが欺かれていれば、どうか?」というアカデメイア派のひとびとの反論も私は恐れない。私が欺かれるなら私は存在するからで(end173)ある。存在しない者は、欺かれることもありえない。だから、私が欺かれるのなら、私は存在するのである(sum, si fallor)。(『神の国』第十一巻第二六章)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、172~174; 第11章「神という真理 きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る ――アウグスティヌス」)



  • 起床は例によって正午直前になった。その一時間まえには覚めていたのだが、まぶたがうまくひらかず、混迷にとどまってのち、ようやく起上。水場に行ってきてから瞑想をおこなった。一二時三分だったか、そのくらいからちょうど二〇分ほど。まあ悪くはない。そこそこの停止感。そとでは男児の声がひびいており、風の音はない。
  • 上階へ。髪を梳かし、食事。牛肉の佃煮などをおかずにして白米を食べる。きょうは曇り空の日なのだが、暗いほうにかなり寄ったよどんだ曇天で、昼日中の一二時にもかかわらず台所が薄暗くて明かりをつけなければ皿のなかみもあまりよく見えない。新聞から、中国共産党創立一〇〇年をまえにした連載記事を読んだ。中国政府はウイグルチベットで市街区の強引な再開発をすすめており、建て替えられた家に「共産党に感謝します」みたいな紙を貼らせていると。いちおう生活水準や衛生環境が向上したのは事実のようで、きれいに生まれ変わるのは良いことだというウイグル人の作業員の声もあったが。ただまちなかには監視カメラが多数設置されているから、それをおもんぱかって記者への率直な証言もろくろくできないような環境である。中国共産党は一九二一年の七月に上海で創設されたものだが、そのとうじは民族自決原則をかかげていたらしい。というのは、そのころはまだ共産党は中国内でもとうぜんごく小さな一勢力にすぎないから、漢族いがいの民族とも連帯してちからをひろげる必要があったからだと。しかしかんがえると、一九二一年に結成されて、それから、二八年ごろにはもうはじまっていたのだったかそれとも三〇年代にはいってからだったかわすれたが、一〇年そこらで国民政府と内戦をはじめているわけで、それをおもうと勢力の拡大ぶりがすごい。
  • テレビの『のど自慢』ではJUDY AND MARYの"Over Drive"をうたったひとがいて、『のど自慢』でJUDY AND MARYが、しかも"Over Drive"がとりあげられるのはめずらしいのではないかとおもった。"そばかす"ならたくさんうたわれるだろうが。なつかしく聞いた、とはいってもべつにむかし、JUDY AND MARYをとりたてて聞いた身ではないし、リアルタイムで知ってきたものでもないが。高校時代に(……)というクラスメイトがいて、彼女はガールズバンドを組んでShakalabbitsをやったりしていたのだけれど、彼女の歌い方がいかにもJUDY AND MARY的なというかYUKI的なかんじだった。ああいう、なんと形容したら良いのかわからないけれど、ああいうかんじの声と歌い方のガールズロックの系譜というのがたぶんあるのだろう。Shakalabbitsもまさしくそういう路線だったはず。
  • 洗い物をして部屋にかえると茶を飲みながら、金井美恵子「切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー」を読んだ。「第6回 文芸雑誌「海」の表紙①」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2016/06/post-7.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2016/06/post-7.html))から、第8回の③まで。加納光於とか中西夏之とかいうなまえを知る。加納光於というひとの版画は、画像検索してちょっとだけ見たかんじでは良さそうだった。その後、二時過ぎくらいからだったか、書見をはじめた。いつもどおりベッドにて臥位になり、BGMは"Over Drive"を耳にしたので聞くかとなって、JUDY AND MARYの『MIRACLE DIVING』。音源を持っていなかったのでAmazon Musicで。このアルバムのさいごの、"帰れない二人"というやつが良かった。とにかくアコギの伴奏で歌をうたうかだれかにうたってもらう、ということをやりたい。
  • 218から241まで読んだあと、たちあがり、部屋を出て洗面所へ。うがいをするとともにトイレにはいって小便を捨てた。ついでに便器を掃除しておく。上部の水受けというのか、蛇口(といってよいのか?)から細く吐き出された水が落ちていく穴を中央に据えたくぼんだ領域があるけれど、あそこに埃が溜まっているのが、先般からちょっと気になっていたので。もどるとデスクのまえに立って、蓮實重彦夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)からメモを取った。きのうの記事の分と、下のそれ。BGMはひきつづきJUDY AND MARYの、こちらは音源を持っている『THE POWER SOURCE』にした。質は良い。もうすこしちゃんと聞いてみたい気は起こる。
  • そのあとここまで記して五時まえ。
  • 222: 「あるいはまた、あたりにたちこめていた濃い水滴の層は、それをくぐりぬけようとする漱石的「存在」を別の世界 [﹅4] へと導きはせず、まさしく水の世界、水滴の支配する領土のさなかに宙吊りにしていたのだというべきかも知れぬ。さらには、「殆んど霧を欺く位」の雨の奥側には新たな世界など隠されてはおらず、ただ「霧を欺く」雨の変奏のみが深さも知らずに戯れあっていたとでもすべきであろうか」
  • 239: 「とすれば、あまたの漱石的「存在」が雨と呼ばれる厚い水滴の層をくぐりぬけたはてに出合うべきものは、ときに那美さんと呼ばれ、あるいは清子、あるいは嫂と呼ばれもする具体的な一人の女性ではなく、そうした水の女たちが体現する垂直の力学圏というか、縦に働く磁場そのものだということになろう。雨の奥にあるかと見えた未知の世界、そこで他者との遭遇が可能であるかにみえた新たな領域とは、雨の雫そのものの生きる垂直の運動性にほかならない」
  • 240: 「女たちが現在へと誘うとき、彼らはきまって過去か未来へと逃れ、運動そのものを回避してその軌跡や予測図と戯れる。だが、それには充分な理由がある。というのも、現在として生きられる運動はきまって死への契機をはらんでいるからだ。縦の世界、垂直に働く磁力に身をさらすことは、とりもなおさず生の条件の放棄につながっているからである。水滴の厚い層をくぐりぬけること、そして溜った水の表面に視線を落すこと、それは未来と記憶とを同時に失うという代償なしには実現しえない身振りだ」
  • 日記をつづって時計を見ると、四時五〇分だった。瞑想をする気になったので、ベッド上の枕に尻を乗せて目を閉じる。けっきょくなにもしない時間というのがいちばんおちつくものである。止まってじぶんのからだの感覚や外界の音や空気の感触を受け止めている時間というのが。瞑想を習慣化してきた実感として、現代の平常的な人間のありかたは、たぶんじぶんのからだの感覚を密に意識したり感知したりすることがあまりないのだとおもう。ハイデガー風にいえば身体を忘却しているということになるか、それこそがまさしく古語で言うところの「あくがれ」の状態であると言いたい。天気は変わらずよどんで暗い曇りがつづいていたが、雨はこのときは生じておらず、風というほどのものもなくて、しずかな五時の大気のなかにヒヨドリが木から飛び立ったらしく鳴きを散らして、移動しながら声をボタンとして空間に縫いつけていくようなかんじだった。
  • 上階へ。アイロン掛けをおこなう。シャツ二枚をさっさと処理し、階段のとちゅうにはこんで掛けておいて、台所へ。母親が天麩羅をはじめたところだったので受け持つ。さいしょはシソを揚げていたので母親がトイレに行くあいだにそれを管理し、そのままゴボウ、ニンジン、タマネギ、ソーセージと揚げていった。衣になぜかウコンを入れたらしく、ボウルにはいった粘着質の液体は黄色い。揚げているあいだはその場で一瞬ごとに生滅する蜂の巣のようなこまかい泡をながめたり、目を閉じて音を聞いたりしていたが、天麩羅を揚げる音というのも材料にのこった水気のぐあいとかで油の弾けるひびきの軌跡がけっこう変わって、意外と曲線的でそこそこおもしろい。仕上げると六時。まだ食べず、下階にもどってきのうの記事をかたづけて投稿し、ここまで書き足せばいま六時四〇分にいたった。空腹。
  • それで食事に行った。さきほど揚げた天麩羅をおかずにして白米をからだに取りこむ。そのほかキュウリやトマトをシーチキンで和えたサラダや、あとナスの、煮浸しまではいかない、辛子をわずか混ぜた和え物のたぐい。天麩羅だとやっぱり麺が食べたいという母親が蕎麦をゆでてくれたので、それもいただく。小諸そばだと言っていたとおもう。弾力があってうまい蕎麦だった。
  • 食事中はいつもどおり新聞を読む。食べているさいちゅうには、三面の、バイデンとアフガニスタンのガニ大統領および和平調整委員会みたいな組織の長であるアブドラ・アブドラというひとが会談したという報を見た。米軍が撤退したあともアメリカはアフガニスタンにたいして各方面の「永続的な」支援をおこなう、とバイデンは明言しているのだが、しかしタリバンをおさえられるかどうか。この記事に載っていたところでは、いまタリバンアフガニスタン全土の三〇パーセントだかそのくらいを掌握しており、たいして政府が権力を確立させているのは一五パーセントとかその程度で、のこりの土地はあらそわれているらしい。アメリカが撤退を確定的に表明した四月五月あたりからタリバンは活動をつよめていて、それいらい米国の呼びかけやはたらきかけにもおうじなくなったというから、たぶんマジでふつうに政権を奪還するつもりだろう。そこまで行かないとしても、掌握地域を増やしておけば、仮に和平がなったとしてもとうぜん中央政治にたいして影響力を及ぼしたり、口を出したり、参入したりできるだろうし、ばあいによっては分離独立とか自治区みたいなことにもなりかねないのではないか。
  • 食事を終えて皿を始末し、室にもどってきたあとは、いちぶ取り分けて持ってきた新聞の一面と二面の記事をすべて読んだ。なんとなく、一面に載っている記事くらいは毎日なるべくぜんぶ読んでおいたほうが良いかなとおもったので。一面でもっともおおきくあつかわれていたのは、国際面にもあったが中国共産党創設一〇〇年をまえにした記事で、こちらにはチベットのことが書かれてあった。憲法にしるされているはずの信仰の自由は有名無実化しており、チベット自治区ではダライ・ラマの写真を持つことすら禁じられていて、隠し持っていたひとが見せしめとして当局に摘発されることもあると。また、二〇〇八年にラサで大暴動が起き、その後数年前までは抗議のための焼身自殺があいついでいたのだが、いまではそのあたりも監視されていて、自殺のためにガソリンを買うとすぐに把握されるのだという。だから、私たちには死ぬ自由すらない、というひとりの声が紹介されていた。言語教育ももちろん普通話が主となってチベット語は二の次となり、学校のまえには「普通話を話そう」という横断幕が張られている。共産党としてはとにかく少数民族を漢族に同化させたいのだ。たぶん、分離独立によって国が動揺する可能性を完璧にゼロにしたいのだろう。だから国民をすべて漢族たる中国人というくくりのもとに統一したいわけで、したがって少数民族はいなくなったほうがよい。同化ができないのだったら、滅んだほうがよい。だから、ウイグルの女性に不妊手術を強制する。
  • 東京のコロナウイルス感染者は、二六日が四〇〇人台で、一週間前とくらべると増えており、今週はどの曜日も一週間まえとくらべると増えているので、感染再拡大の兆候が見られ、専門家や政府は病床が逼迫したら四度目の緊急事態宣言も辞さないかまえでいるらしく、また諸国で流行しているデルタ型はイスラエルのような国民の大部分にワクチン接種がおこなわれた国でも感染を起こしているというから、まだまだ事態はかたづかないだろう。デルタ型が流行している国々(インドやスリランカパキスタンなど、アジアのあのあたりの国が主)から来るオリンピック選手にたいしては、渡航前七日間は毎日検査をするよう条件を厳格化し、またその期間と渡航後三日間はおなじ国の選手メンバーやスタッフいがいと接触を持たないことをもとめるという。それをまもらないと、合宿がみとめられなくなるらしい。
  • あと書評面を読んだ。右側のページに載っていた本はどれもおもしろそうだったので、だいたい紹介を読んだ。中兼和津次『毛沢東論 真理は空から降ってくる』、日埜直彦『日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで』、森田真生『計算する生命』、清岡央(聞き手・編)『オリエント古代の探求』。
  • 書抜きをやった。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)。Yuka & Chronoship『DINO ROCKET OXYGEN』というのをBGMに。これはうえの金井美恵子の記事を読んでいたあいだに知った。というのも、加納光於中西夏之の作品が『海』の表紙をかざっていた一時期、レイアウトを担当していたのが田中一光というひとだったらしいのだけれど、このなまえで検索すると、当人のほかにおなじなまえのドラマーが出てきて、そのひとが参加しているのがYuka & Chronoshipなのだ。船越由佳という、シンガーソングライター的なことをやっていた鍵盤とスタジオミュージシャンで組んだらしく、プログレだという。しかもさいしょにフランスでデビューしたというから、日本のバンドでプログレで海外デビューとはおもしろそうではないかとAmazonでながしてみたのだけれど、じっさいなかなか良い。とうぜん演奏はみなうまいし、ギターなど格好良い。
  • 八時二〇分かそのくらいでトイレに立って排便したのだが、それを機に隣室にはいってギターをすこしだけさわった。まあまあ。悪くなく音を追えた感はある。けっこうよく見えるようにはなっている。しかしいいかげん、スリーコードのAブルースにも飽きるので、もうすこし進行にバリエーションを持たせたいが。それで九時まえに上階に行くと、(……)に行っていた父親がかえってきて風呂にはいっているというので、出たら先にはいって良いと母親にゆずってもどり、瞑想をした。網戸にはなっているもののカーテンはもう閉めているのでそとから大した音も聞こえないのだが、風のひびきなのか川のひびきなのか空間のかなたになんらかのひびきがたしかにこもっており、ながれるものなどないけれど涼気の逍遥は肌にかんじられる。
  • それから蓮實重彦夏目漱石論』(講談社文芸文庫、二〇一二年)を読みすすめ、一〇時過ぎで風呂へ。浴槽のそと、洗い場の壁際に黄色いような汚れがちょっと溜まりはじめていたので、こすっておいた。出てきてもどるときょうのことをここまで加筆して、あっという間に零時半。あと、日記を加筆するまえに、去年の記事も読んでおいた。政治家がことばをないがしろにすることをやめないかぎり政治状況は本質的にはたいして変わりはしない、といつもながらの言をとなえている。

Hindutva is an ideology that states that India is the homeland of the Hindus. According to believers, those who profess other faiths can live in the country only at the sufferance of Hindus.

As a scholar of contemporary Indian politics, I find this proposition to be profoundly disturbing and deeply antithetical to the the central tenets of Hinduism.

The roots of this ideology can, in considerable part, be traced to the growth of Hindu anxieties in colonial India. In 1906, a Muslim political party – the All-India Muslim League – was created. Later, a charismatic politician, Mohammed Ali Jinnah, became its standard-bearer and subsequently the first governor-general of the state of Pakistan following the British partition of India in 1947. Partition led to the division of the former British India into the two independent states of India and Pakistan.

The creation of the All-India Muslim League caused some serious misgivings on the part of some segments of the Hindu population, leading to their political mobilization along religious lines, pitting Hindus against Muslims. In 1921, an organization emerged in northern India called the Hindu Mahasabha.

It brought together people who opposed the secular outlook of the major political party at the time, the Indian National Congress, led by Mahatma Gandhi and others. The Mahasabha’s ideology espoused the education and uplift of Hindus and also the conversion of Muslims to Hinduism.

The ideology has its roots in the ideas of an important but controversial Indian nationalist, Vinayak Damodar Savarkar, who was not only ardently opposed to British rule in India, but advocated violence to end colonial domination and argued that India was the sole preserve of Hindus.

His ideas were fundamentally at odds with the principals of the Indian nationalist movement, Mahatma Gandhi and his disciple Jawaharlal Nehru, who would become the first prime minister of a free India. Gandhi, though deeply religious, had advocated Hindu-Muslim amity. Nehru, a staunch secularist, had supported religious pluralism. He died at the hands of a fanatic, Nathuram Godse, a member of the Hindu Mahasabha, in 1948.

  • 242: 「彼 [漱石] が本能的におびえつつも無意識に接近してしまう危険とは現在として生きられるのっぺら棒な時間であろう。そこでは自分が自分ではありえなくなるだろう無方向の時間。過去と未来とが時間に属するのであるとすれば、もはや時間とは呼びがたい時間」
  • 243: 「おそらく、「作品」と呼ばれるものが怖しいのも、それが永遠 [﹅2] だからではなく、刻々更新される不断の現在として記憶を奪われているからであろう」
  • 243: 「また、『道草』に描かれている島田家での養子生活の記憶には落下のイメージが充ちているが、はじめてつれて行かれた芝居小屋の二階の勾欄の向うに稲荷鮨の弁当を落してしまったり、廊下から小便をしながら眠ってしまって転げ落ちたというできごとなども、とりわけ深い挿話論的な意義があるとは思われない。おそらく、里子に出された幼い漱石自身によって生きられた逸話なのであろう」
  • 248: 「多くの漱石的「存在」とは、この少年健三の成人した姿にほかならない。彼らは、水に惹かれながらも、縦に働く磁力に全身をゆだねることだけはためらっている。漱石的「作品」とは、そのためらいの形象化にほかならない。つまり、もはや時間とは呼べないのっぺら棒な現在をいかに体験するか。あたうる限りその現在に接近しながら、なお現在に支配されきっていない自分を何が正当化しうるかをめぐる試みとして、それは読まれなければならない。その意味で、漱石的「作品」は他者の遭遇をさまざまに変奏しているかにみえて、究極においては他者を徹底して欠いている」
  • 248~249: 「他者なるものが、生そのものにとっては徹底した虚構の概念にほかなら(end248)ぬが故に、漱石的「作品」は他者を廃棄せしめる磁場に自分を位置づけようとするのである。遭遇と呼ばれるものがそうであるように、他者もまた、抒情が捏造する生の回避の口実にすぎない」
  • 249: 「しかし、そこで交わる他人たちとは、過去と現在と未来とを律儀に連続させた抽象空間にしか住まっておらず、遭遇者を、その生の条件の核心にまで導きながら死の契機の前に宙吊りにするような事態には到らないのだ」
  • 249: 「幾つもの日々の出合いの中でとりわけ忘れがたい遭遇を特権化すること。「文学」がながらくこうした遭遇の特権化と戯れながら青春と折合いをつけ、失なわれた青春への抒情的な視覚を保護しつづけてきたことが、「作品」の神話的虚構化に貢献してきた事実に、人はもっと驚かねばならない」
  • 249: 「かりに遭遇なるものがあるとしたら、それはいわゆる遭遇なるものとはいささかも似ておらず、記憶のうちであれこれ距離と重さを計量しながら一つの遭遇を特権化することを人に許すというそんな記憶を廃棄する狂暴なものでなければなるまい。真の遭遇は、比較と距離の測定とを無効にするはずのものなのだ」
  • 250~251: 「無心たろうとすることは、抹殺すべき自己を温存するもののみに可能な生を回避する仕草の一つにす(end250)ぎないのだ。どこでもない時空に生起する「作品」の垂直な運動は、私を離れんとする「私」も私を離れよと招く「他者」をも、ともに虚構として廃棄する力学にほかならない」
  • 254: 「彼に甦ったのは記憶ではなく、自分があらかじめ記憶を喪失していたという意識である。何もがものめずらしい東京の街で美禰子に出逢ったとき、三四郎は、それが「水の女」である現実をあらかじめ忘れてしまっていたのだ」