「デ・ヘブドマディブス」と通称される、ボエティウスの小論をとり上げてみよう。正確にいうなら、『デ・ヘブドマディブス』(「七について」という意)と題する、失われたボエティウス自身の著作があり、その疑問点を挙げた助祭ヨハネスに応えて書かれた書簡が、この小論文であるけれども、論じられている問題は「諸実体は実体的には善ではないのに、いかにしてその本質において善であるか」である。論稿は、まずいくつかの公理を挙げ、論証をすすめてゆく体裁を採っている。公理二は、つぎのようなものである。
存在と存在するものとはことなっている。というのも、存在そのものは、いまだ存在していないけれども、存在するものは、存在の形相を受容するときに存在し、存立するからである。
ハイデガーは、存在と存在者とはことなると主張する。存在するものは存在し、存在は存在(end192)しない [﹅5] からである。よく知られている、存在と存在者との存在論的差異の主張である。「存在と存在するものとはことなっている Diversum est esse et id quod est」という、ボエティウスの主張を、ハイデガーの主要提題とおなじものと考えることができるだろうか。ボエティウスの所論を、もうすこし辿ってみよう。
「存在そのものは、いまだ存在していない」とは、どういうことだろうか。公理三前半は、つぎのように語る。「存在するものは、なにか或るものを分有すること(participare)ができるけれども、存在そのものはなにものも分有することはできない」。或るものは存在を分有することで「存在する」。そのようにして、或るもの(aliquid)が存在するとき、はじめてなにかを「分有する」ことが可能となる(同・後半)。
ボエティウスは、ここで二重の分有を、つまり存在の [﹅3] 分有(公理一にいう「存在の形相 essendi forma」の分有)と、なにか或る形相の [﹅3] 分有を考えている。だから、「存在するものは、すべて、存在するために、それが存在であるものを分有するが、他方で、或るものであるためにべつのものを分有する」ことになる(公理六前半)。「それが存在であるもの」とは、「存在」あるいは「存在そのもの ipsum esse」にほかならない。この存在としての存在、存在すること自体は「いまだ存在していない」。存在自身は、存在を分有するもの、存在するもの、存在者とおなじしかたで「存在する」わけではないからだ。――ここにはたしかに差異がある。それ(end193)はしかし、存在論的(ontologisch)な差異というよりも、存在 - 神 - 論的(onto-theo-logisch)な差異、神学的差異である。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、192~194; 第12章「一、善、永遠 存在することと存在するものとはことなる ――ボエティウス」)
- この日曜は一二時から美容室を予約してあったので(きのう、職場をあけてひとりだったときに電話したのだ)、そのために一〇時四〇分に起きた。あまり時間がなかったので瞑想は省いたはず。
- 一二時まえに家を発って、傘を差してあるいていく。家の東側にある林のなかの坂を上っておもてに行くわけだが、坂道のとちゅうにやたらでかいミミズが一匹、からだをながく伸ばして緩慢に這っていた。のぼっていくととちゅうから竹の葉が足もと一帯を埋め尽くすようになり、すべて黄土色か山吹っぽい色に変わっていて、水を吸って饐えながら一体となっているのでそれらすべてで道の皮みたいなかんじで、ところどころでは絵の具が盛り上がったゴッホの絵の表面みたいに蓄積がやや突出している。おもてに出るとわたって店へ。
- 老婆の先客がひとり。しかしすぐに通される。洗髪台に寝て髪を洗ってもらうわけだが、なぜか(……)さんの洗い方が今回はふだんより念入りだった。さきの老婆が終わるところだったので、たぶん時間調整か? 鏡のまえにうつるとどうするかときかれるので、いつもどおりみじかく、でも多少洒落っ気をのこしたい、職場で新人がけっこう入ってきているので、舐められないようにしたい、と冗談を言った。しかしけっきょく、最終的にできあがったあたまはいつもどおりのただの短髪である。整髪料をつけてながせばまあそこそこ、といったかんじだが、良い整髪料をいまは持っていない。
- はなしは犬が亡くなって、コロナウイルスの時勢もかさなってどうも弱気になってしまったとか、夫もそうでさいきんは年を食って妙に弱気になっていて頼ってくる、とかそんなこと。それにひきかえて、婆さんたちは元気だね、半分はなしに来てるようなもんだよ、という。ひとと会うことも気後れされるような時勢だから、一人暮らしの老人など、やはりはなしのあいてがほしいだろう。ワクチンのことも話題に出て、美容師のおばさん(いまだになまえがわからない)は接種するのをためらっているという。やっぱりまだはじまったばかりで安全性がわからないし、何人も死んでるから、と。こちらはそのあたりぜんぜんいままで気にかけておらず、情報もちっとも知らなくて、まあふつうに受けようかなというくらいの、漠然とぽけーっとしたかんじでいたのだが、こののちに通話した(……)くんも、一定数はかならず死ぬことになるのでまよいますね、と言っていた。長期的に見て影響がどうなのかというのは、たしかにまだわからない。
- 一時間ほどでしあげてもらい、会計のときにカードを見ると、前回が一月で半年くらい来ていなかったことになるのでおどろいた。そりゃあれだけもさもさになるわけだ。ようやくさっぱりできましたと笑い、礼を言って退出。来た道をもどって坂道を下りていくと、周囲の草木の緑がやたらと色濃く映った。降り続く雨を吸って色を深めてかがやいた、というわけではおそらくなく、行きでは足もとの竹の葉を見ていたので目につかなかっただけだろう。家のまえまで来ると、なんだかもうすこし脚をうごかしたいような気がしたので、ちかくの自販機まで行ってジュースでも買ってくるかと決めて、ゆるゆるあるいた。葡萄ジュースとオレンジジュースの二本を買い、片手に一本ずつ持ち、傘を不安定にささえながら帰る。片道五分もないとおもうが、足の肉と筋をうごかしてあるくという行為にはそれそのものの快楽がたしかにある。
- 帰ってLINEを見ると、きょうが(……)の誕生日だと言うので、アメリカの独立記念日とおなじじゃないかと言ってメッセージをおくっておいた。そのあとはけっこう眠ってしまったはず。なぜかこの日もやたらと眠かったのだ。どれくらい眠ったかとか、家事はどうだったかとかはおぼえていない。たぶんアイロン掛けはやった気がするのだが。七時から(……)くんと通話することになっていた。それで食事を取ったあともどると、洗い物をしているのでもうすこし待ってくれとあったので、急がずと返信してもう隣室にうつり、アコギをいじって時をすごした。七時半くらいから通話。David ByrneとSpike Leeの『アメリカン・ユートピア』がめちゃくちゃすばらしいということをこのあいだから聞いているわけだが、のちほど、(……)の映画館でもやっていることが判明したので、来週の日曜日すなわち一一日にいっしょに行くことになった。まあ(……)くらいなら母親も気にしないだろう。あと、今月後半には(……)でもやるらしく、それは音響がかなり良いシステムを用意して二〇くらいのタイトルをながす一環のようだ。あとで(……)くんが呼んで(……)さんもやってきたので、一一日は彼もくわえて三人で行くことに。
- David ByrneってBrian Enoとやってるくらいの印象しかなくて、そっちのほうってぜんぜん聞いたことがないんですけどTalking Headsのひとだったんですね、とはなす。Talking Headsも聞いたことがないと言うと、(……)くんは、え、とおどろきめいた反応を示し、聞いたほうがいいっすよと言って、『Remain In Light』がおすすめだと紹介してくれた。画面共有で冒頭の"Born Under Punches (The Heat Goes On)"をすこし聞かせてくれたのだけれど、なるほどこれはたしかに、というかんじ。(……)くんいわく、この作品はDavid ByrneがFela Kutiのアフロビートに影響を受けてそれを取り入れた作らしく、Rolling Stone誌が八〇年代のすごいアルバムみたいなランキングのなかでトップに挙げているという。『Remain In Light』はまさしく八〇年の発表で、八〇年でこれかー、というかんじを受けないでもない。しかも、Talking Headsはアメリカのバンドなのだ。音を聞くかぎりでは完全にイギリスのそれなのだけれど(しかしなぜそうおもうのかわからないのだが)、David Byrneじしんはもともとスコットランド生まれだったという。彼はめちゃくちゃ本を読んでいて、なにごとにも勉強熱心で誠実なひとがららしい。(……)
- 音楽だと、(……)さんもあいかわらずトラックを毎日つくっていて、いまもう八五くらいになっているというからすごい。これも画面共有でいくらか聞かせてもらったが、いろんな音源を切り貼りしてサンプリングしてこしらえたものなのだけれど、どれも質がよくてすごい。しかも毎日かならず一個あげているらしいので。(……)くんも、彼と、あといちおうこちらも見習って、さいきんはInstagramに毎日短文の翻訳をあげているという。それで読もうとおもったらInstagramは登録しないと画像を選択して詳細を見られないので、あとで登録しておいた。(……)
- 音楽だとあと、(……)くんの友人である(……)というひとがつくったという曲も聞かせてもらったが、これも質がたかくてすごい。(……)
- (……)
- (……)さんとひさしぶりに邂逅したので、さいきんどうですかときいてみると、DMM英会話をはなれてNative Campというサービスにうつって英語をガンガンやっているという。月額七〇〇〇円とかでいつでも何度でも会話し放題らしい。ただ、定額の範囲で受けられるのはそのとき空いていてマッチアップできる講師のみで、指名をするとなるとまた料金がかかるらしいが。(……)さんはこの日、歯医者に行って親知らずを抜いてきたらしい。施術者が女性で、たぶんちからが足りなかったようで、麻酔をかけたあと抜くまでめちゃくちゃ苦戦していて、三〇分くらいかかったので気の毒だった、と言っていた。僕の歯がよほど頑丈に根付いていたみたいで、というのには笑う。(……)くんが親知らずを抜いた(……)にあるという医院はその点やたらはやく、ガッ! グググ……パキッ、みたいなかんじでほんとうに二分くらいしかかからなかったという。しかもぜんぜん痛くないというからすごい。(……)
- 通話は一〇時ごろに終わったのだったか? (……)さんが、ぼくはそろそろコンビニに行って飯を買ってきますと言い出したので、終了した。その後、こちらは風呂。
- 入浴のあいだに三首作成。
夏風の川面におどるひかりにて子らは戸惑う銀の音階
透明をもとめてのがす日々よ憂し歌をうたえば濁声ばかり
ひとはいま傷と愚行の占領地ちかき遠きの見分けもならず
- いま零時半すぎ。瞑想をした。あらためて、止まる時間が重要だと実感。そのとき基準になるのは圧倒的に主観的感覚で、何分間やったとか数量的時間分割はほぼ無意味だ。それは外形的なものでしかない。とはいいながらもはじまりと終わりに時計を見たのだけれど、零時五分から三〇分過ぎまですわっていたことになる。二五分そこそこだが、それをかんがえるに、一気に一時間くらいすわることもあるだろう禅宗の坊さんたちはやはりすごいなと。たしか南直哉がどこかに書いていたのだったとおもうが、彼がまなんだ曹洞禅では座禅はながくて一時間までと区切られていて、一時間経つと立ち上がって堂をぐるぐるまわってあるき、脚をほぐして血流をよくしてからまた座禅する、みたいなかんじだったらしい。永平寺では一日八時間くらい座禅しているとかどこかで聞いたようなおぼえもある。いまのじぶんのレベルだと、二〇分は余裕で、三〇分もやろうとおもえば行けるとおもうが、そこで満足しないでそれからさらに三〇分すわるとかんがえると、これはとおいはなしだ。
- 瞑想のさいに依拠される主観的な感覚というのは、おもには肌である。肌の感覚がどうなっているか、それを見ることが重要だ。身体各所の皮膚をかんじるようにすること。
- そのほかの記憶は特になし。書抜きはどこかでやっているので良い。日記は二日のぶんをこの日に終わらせたようだ。
- ひとつあった。新聞の「あすへの考」に、「難民を助ける会」というNGOの会長である長有紀枝という立教大教授のはなしが出ていたので、部屋にもってきて読んだのだった。日本だと、自然災害の被災者は一点の曇りもないまったき被害者だとみなされて寄付金があつまりやすいが、紛争地域への支援は、たとえば企業などは政治的意図があるとみなされるのを嫌ってあまり資金を出してくれないという。NGOの規模にしても欧米と日本では文字通り桁が違う。手もとにまだ紙面があるのでデータをしるしておくと、「日本のNGOのトップ45団体と米国の20の開発・人道支援団体を比較した調査があります。1団体あたりの年間平均予算は米国の約492億円に対し、日本は6・3億円。平均職員数は米国の665人に対し、日本は23人」とのこと。「難民を助ける会」は七九年に尾崎行雄の三女である相馬雪香がはじめたといい、家柄からして政官界に知り合いがおおかったわけだが、はなしをもちかけるとそれは官のしごとだから民は余計なことをしなくてもよいとあしらわれたらしい。長有紀枝によると、そういうメンタリティはいまだに官界のいちぶにのこっているとかんじることもあるという。さいごのほうで、欧米由来の人権観念による規範の根づきが歴史的にまだ浅い日本が遵守するべき支柱として、緒方貞子がその提唱に尽力した「人間の安全保障」という考え方がありうるのではないかと述べられており、この点ちょっと興味深い。相馬雪香のWikipediaを見ると、彼女は一九一二年生まれだが、尾崎行雄の行状として、「幼少時はまだ女性差別が厳しく、参政権がないために政談演説の会場にも入れない時代であった。しかし父は女性差別など眼中になく、雪香を自分の演説会に同伴して「私の演説で変なところがあれば注意しなさい」と言った」と書かれてあるので、やっぱりすげえなとおもう。たぶん三年くらいまえに講談社学術文庫で尾崎行雄の回想録みたいなやつが出ており、読みたいとおもっていたのだが読めていない。
- レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
- 110~111: 「「ギャングの語り」によって空間が奪回 [リクレイム] される一方で、それは白人の人種主義的地図に含まれる縄張りの制限を受け入れるのである。要するにそれは、都市の人種主義的な連想という拘束服を裏返しにしたアイデンティ(end110)ティなのである。その拘束から逃れてはいないわけだ」
- 111: 「アイデンティティ感覚を呼び起こすこのようなネーミング [「ペッカム・ガール/ボーイズ」、「ゲットー・ガール/ボーイズ」など] は、地域的なプライドの中に起源の神話を書き込むための強力な修辞的技巧である。いったんこうしたレッテルが貼られてしまうと、それを取り外すのは非常に難しい。つまりこのようなアイデンティティは避難場所でもあるが監獄でもあるのだ」
- 113: 「トニー・ブレアにとって白人の人種主義はコミュニティのアンチテーゼだと考えられ、礼儀と尊厳という共通の絆を傷つけるものだとみなされている。アイル・オブ・ドッグズの場合、白人の人種主義はまさにコミュニティという言葉を通じて現れる。つまりそのコミュニティとは、暗黙裡に白人性の概念で意味づけされて、そこでは「礼儀」や「公平性」が重要視されるのだ [註21] 」: 註21: Roger Hewitt's, Routes of Racism (London: Trentham, 1997) and White Backlash and the Politics of Multiculturalism (Cambridge: Cambridge University Press, 2005)を参照。