2021/7/5, Mon.

 アリストテレスによれば、「善とは万物が希求するものである」(『ニコマコス倫理学』第一巻第一章)。つまり「存在するすべてのものは善さへと向かう」。かくして、「存在するものは善いものである Ea quae sunt bona sunt」。存在するものは、分有によってなにかの性質、偶有性を獲得する。たとえば、白さに与ることで白いものとなる。おなじように、存在者が善さを分有することで善いものであるなら、それは実体によって善であるのではない。ところがこのことは、存在するすべてのものが善さへと向かうことと矛盾する。したがって、存在者が善いものであるのは分有によるのではない。――他方、存在者が、かりに「実体によって」善いものであるとすれば、存在するものがそれ自体によって善であることになるだろう。これは存在者を「善そのもの」つまり「神」と見なすことである(「デ・ヘブドマディブス」証明部分)。
 問題を解決するために、もうひとつの公理を想起しておく必要がある。すなわち、「複合的なものすべてにとって、存在とそのもの自身とはべつのものである aliud est esse, aliud ipsum est」(公理八)。単純なもの、それ自体が一であるものにとっては、この両者がひとしい(公理七)。それ自身が一であるものは、またそれ自体が善なるもの、善そのものであり、「第一の善」で(end196)ある。だから、とボエティウスは言う(証明部分)。

単純でないもの〔複合的なもの〕たちは、ひたすら善であるそのものが、それらが存在することを意志しなかったなら、まったく存在することすらできなかった。だから、それらの存在が、善なるものの意志から流れでたものであるからこそ、それらは善いものであるといわれる。というのも、第一の善はそれが存在することのゆえに、それがまさにそのものであることにおいて善くあるけれども、第二の善は、そのものの存在自体が善であるその当のものから流れでたがゆえに、それもまた善いものであるからである。

存在者はすべて「第一の善」「善そのもの」から流れでた(defluxit)ものである。第一の善であるものは、また単純なものであって、そのものにおいてそれが存在することと、それが善であることとはひとしい。そのような「存在そのもの」である「神」から流出することで、存在者はすべて善いものとなる。――説かれているのは、たんなるプロティノス型の流出(本書、一六一頁)ではない。存在者は「善なるものの意志から a boni voluntate」流れである、と説かれているからである。ただの流出 [﹅2] ではなく、神による創造 [﹅2] こそが主張されている。存在するものは、すべて、それが被造物、神が創造したものであることで、善なるものなのである。(end197)
 存在するものは「それがそのものであることにおいて in eo quod sint」善なるものである。とはいえ、個々の「もの [レス] 」は「その存在自体」において善であるわけではない。「ものの存在自体が、第一の存在、つまり善から流れでたものとして以外には存在しえないからこそ、ものの存在自体が善なのである」(「デ・ヘブドマディブス」証明部分)。善なる神による創造だけが、存在者の存在が善であることの根拠となる。
 存在者の存在(esse)はここでなお、在ること(existentia)と、在りよう(essentia)の両義性をもち、証明は、その両義性と、id quod estが有するふたつの意味に依存している。けれども、神が善そのものであり、第一の善であって、「いっさいの善のなかでも最高の善であり、他のあらゆる善を包含する善である」(『哲学の慰め』第三巻第二章)というプラトン的/プロティノス的な前提は、アウグスティヌスボエティウスの諸著書を経て、中世キリスト教哲学の総体が共有することになる。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、196~198; 第12章「一、善、永遠 存在することと存在するものとはことなる ――ボエティウス」)



  • 一〇時ごろに覚めて、なかなか起き上がれず、さいしょのうちはまぶたもあまりひらかないし動くのもむずかしかったのだけれど、だんだんこめかみを揉んだりしはじめて、五〇分になって離床した。水場に行ってきてから瞑想。きちんと停止する時間をつくるのがやはり重要である。雨はあいかわらずふりそそいでおり、音響がそとの空間いっぱいにひろがっていて、鳥の声もそのなかに埋もれている。もうすこし座りたい感はあったが、起き抜けだと脚がかたくてそんなにつづけられない。それでも二〇分強、やっていたはず。
  • 上階へ。髪を切ったので梳かす必要がない。食事は米があたらしく炊かれてあったので、ハムエッグを焼いた。そのほかキュウリのサラダを少量と、肉豆腐みたいな料理を少々。新聞をひらき、都議選の結果を確認した。残り四議席くらいのこした時点で、自民党が三二で都民ファーストが三一だったか? 共産党は一八で立憲民主党が一三だったはず。この二党はともに現在の数からけっこう議席を伸ばしていたので、まあいわゆるリベラル層にとっては悪くはない結果なのではないか。(……)
  • 国際面にはドナルド・トランプがフロリダで演説して支持者が熱狂、という記事があった。二〇二四年の大統領選挙への出馬をもとめる声がおおいようだ。もしくは、フロリダ州知事のロンなんとかというひとがトランプの側近的なかんじで彼に同調しつづけてきた人間なので、大統領選挙にはこの知事を出してトランプはサポートするのが良い、という向きもあるよう。ポスト・トランプ、もしくはトランプ・チルドレンというところか。ドナルド・トランプのような人間が、そんなふうに大御所的なあつかいになってしまうのだ。紹介されていた支持者の声を見るに、やはり民主党は罪深い政党だとか、選挙は盗まれたとか、トランプはまっすぐな政治家だとか、そういった文言が読まれる。トランプ支持者は一一月からずっと選挙が「盗まれた」と言っているわけだけれど、盗まれたと言うからには、それはまず所有されていなければならないはずである。しかし、いったいだれが公的制度としての選挙を所有していたというのか? もっぱらじぶんたちのものだったとでも、彼らはおもっているのだろうか? それか、国もしくは公共によって所有されていたそれが、公平さを欠いて不当に独占的に奪われた、というかんじなのか。
  • テレビのニュースは熱海の土石流の続報など。皿を風呂をあらったあとに上空からの映像をちょっとながめたが、黒い土砂が破壊された家々のあいだを埋め尽くすようにしてひろく積もってあたりを占領している。土石流がとおってきた軌跡の一部にはまだ水がのこってながれているところもあり、細い川のようになっていたが、そこはたぶんもとは道路かなにかだったはずで、川がもとからあったわけではないとおもう。
  • 茶をつくって帰室。(……)そのあときょうのことをここまで記し、いまは一時。
  • 出勤まえはおおむね書見。ストレッチもたしかした。食事はくたくたに煮込んで汁がなくなったような素麺があったのでそれを食べた。
  • いま五時まえ。外出まえにも瞑想をもういちどできた。瞑想をやるとやはり心身の面でかなり余裕が生まれるというか、時間が多少減速したようなかんじになるので、余裕をもって行動できる。やる気もわりとととのうので、あまりだらだら逸れずにじぶんが真にやりたいことにむかうことができる。
  • 出発したときもじゅうぶん猶予があった。ポストから夕刊や郵便物を取って玄関内に入れておき、道へ。このころには雨は止んでおり、空の地が露出することはないもののうっすらとした青さもやや差しこまれてあかるい夕べの曇天だった。南の山の上端も、きのうおとといは空に巻かれて烟っていたが、この日は靄がなくてきちんと分離している。道のうえに微風が絶えず、やわらかにするするとながれつづけてすずしくここちよい。(……)さんの家の横の林に生えているなにかしらの柑橘類の実が路上に落ちてつぶされており、消化途中で吐き出された吐瀉物か、ぐずぐずに分解された黄色い紙のようになっていた。公営住宅まえまで来ると、前方で(……)さんがガードレールに寄ってしゃがみこみ、ちょっと草を取っているのが見える。ちかづくとあいさつをかけ、ちょっと会話。ガードレールの下には低い植木というか草というかが生えならんでいるのだが、(……)さんがそれを手入れしているらしい。さすがにすべてではなく、自宅のむかいの一部だけだろうが。放っておくとすぐ伸びちゃってね、さいきんだと二日くらい経てばもうこんなに伸びますよ、とのこと。ガードレールは公営住宅の敷地との境にあり、その後背をまもるようにしてフェンスもあるのだけれど、そこにも草が生えて絡んだりしていたところをそれも取ったという。たしかにここは時季によって草が伸びていて、さまざまに背丈のちがうものたちが横にずっとならんでつづいているのを見かけるが、いまはフェンスがきれいになっていたので、なかが見えるようになりましたねと受ける。しかし九〇を越えた老人がそんなにできるものともおもえないので、業者がはいるかあるいは道に面している家の隣人がやるかして、手伝ってもらったのではないだろうか。じっさい、しばらくまえにもうすこし我が家寄りのあたりを刈っているひとも見かけたし。
  • 別れて坂に折れ、のぼっていく。沢の音はきのうよりはおとろえていたものの、まだいくらかごうごういっている。その水からたちのぼってくるのか、そういうわけではないだろうか、風がここでもながれつづけ、肌に涼気を吸わせて、それが坂道の出口までずっとつづき、浴びていると、何万年まえだか何億年まえだか知らないが、人間がこの世にあらわれるはるかいぜん、すくなくとも大気の組成がいまと似たようなものになって以来、世界のいたるところでおなじような風が、ときには吹いたりときには吹かなかったりして、いまもおなじように吹いたり吹かなかったりしているわけで、それこそがこの世界と星の堅固な一貫性であり、それはひとつのすくいだとおもった。
  • 電車に乗って移動し、職場に行って勤務。(……)
  • (……)
  • 帰路はひさしぶりに徒歩を取ったが、いざあるいてみるとなかなかに疲れる。勤務のあとということもあるし。だらだらあるいているので四〇分くらいかかっているとおもうが、それだけあるけばやはり脚が相応に疲れ、からだも全体として疲労する。とちゅうの自販機でジュースをふたつ買う。カルピスソーダとコーラ。空はあいかわらず雲がかりだがいくらか隙間も生まれたようで、車もとおらぬしずかな街道から南をあおげば暗い青がやや混ざってほつれている空が多島海めいていたものの、しかしその黒染めの海の領分に星のすがたはひとつもうかがえなかった。裏にはいっていき、家のまぢかで坂が尽きれば、近所の家々のなかや川向こうの闇に浮かぶ街路灯はちいさくまばらながらに黄色くきわだち、うがたれたようなくりぬかれたような空間に縫いつけられたようなかんじだった。
  • 帰宅後は休み、零時ごろ飯へ。都議選の結果をあらためて見て、多少分析。一議席しかない地域で自民党が勝っているというところは二つか三つくらいしかなかったし、複数の議席の選挙区でも自民が一位というところがすくなかったとおもうので、自民党の衰退ぶりがあらわになっていると言えるのではないか。とはいえ、一位と二位の票差は基本的にはどこでも小さめだったが。差が大きかったのは(八〇〇〇票から一万五〇〇〇くらいの規模)、世田谷、八王子、あと府中だったか、たしかそのあたり。こまかくおぼえていないが、八王子では公明党の候補が一位で、これは、とくに典拠がないのだけれど、八王子市というのは創価学会の勢力がつよいのではないか。(……)も八王子出身でいまも住まっているし。府中だかはたしか無所属の候補が一位で、小金井市も一議席を無所属が取っていたような気がする。無所属で勝てるってよくわからんのだが、今回当選した無所属の候補はたぶんどれも現職だったとおもうので、もう実績と地盤と支持が確立しているということなのだろう。あと、「ネット」という表記の候補者がひとりだけどこかで当選していて、このネットというのはなんなのか知らなかったのだが、「生活者ネットワーク」という団体のようだ。北多摩第二選挙区(国分寺市および国立市)で当選。立憲民主党が唯一の議席を、あるいは複数でも一位で取っていたのがたしか三鷹市武蔵野市小平市あたりで、立川市も一位ではなかったとおもうがはいっていたはずなので、このあたりの、立川~武蔵野あたりの中央線沿線、都心からややはなれた郊外地域はリベラル層がつよい風土なのかもしれない。
  • いま午前二時ちょうど。風呂から出てきて、菓子を食い茶を飲みながら一年前の日記を読んだ。2020/7/6, Mon. ははじめてWoolf会が開催された日だったらしい。ほか、ニュースや都知事選についてが下。「珍しく国際面にウイグル関連の報が出ていた」とあるあたり、このころはまだ紙の新聞ではウイグルのニュースはそんなに頻繁に報じられていなかったようだ。じぶんが見落としていただけかもしれないが、やはりアメリカが中国を批判するようになってから、ということはすなわち、おおむねバイデンが当選し就任してからよく伝えられるようになったのだろう。

新聞の話題は色々あるが、珍しく国際面にウイグル関連の報が出ていた。ウイグル自治区の抗議デモと警官隊との大規模な衝突から五日で一一年、とあったか? 中国共産党のやり口は収容から強制労働へと移りつつあるようで、ウイグルの人々が働かされている工場の寮の入口には「諸民族は一つの家族として団結しよう」みたいな標語を掲げた絵があるらしいのだけれど、これ、大日本帝国が濫用したレトリックそのままやんけと思った。都知事選の結果も出ており小池百合子がぶっちぎりで再当選なのだがむろん重要な点はそこではなく、桜井誠が五番目で、立花孝志が六番目だという事実のほうだろう。開票率が六割だったか八割だったか忘れたがその時点のデータで桜井誠は一三万票を得ていて、ということは我が(……)に住んでいる人が全員桜井誠に入れたくらいの規模で支持を得ているわけで、そう考えるとマジでやばいなと思う。

  • ほか、(……)さんのブログからの引用では以下があらためて興味深い。一年前のじぶんはその語を出してはいないが、「ある行為とか操作が別の行為や操作を次から次へと連続的に生起させていくこと」というのは、一時期のバルトに言わせれば「テクスト」を読むときの動態そのものだろう。そういう意味の拡散と散逸と永遠の漂流がなりたつ場が「テクスト」だというのがバルトのかんがえだったはず。そうかんがえると、(……)さんの『双生』はまさしくこのバルト的な意味での「テクスト」だということになる気がするが、ただこの「テクスト」理解も典拠があやしいというかうろ覚えのそれでしかないので、そのうち読み直してどこにそう書いてあったかを見つけておかなければならない。

 他方、ガタリにとって過程は終わりなきものである。ガタリは、過程に痴呆化という最終状態を想定する精神医学の見解とは反対に、「ある行為とか操作が別の行為や操作を次から次へと連続的に生起させていくこと」、すなわち決して平衡状態にならない散逸構造をとるもの、という意味を過程に与えている(Guattari, 2009, p.296/267頁)。つまり、ガタリにとっての過程は、安定した状態ができるかと思えばすぐさまそこからの切断がなされ、過程そのものを不断に更新していくような終わりなき運動なのである。そして、ガタリらが「神経症と精神病の鑑別診断」を強調するラカン派を攻撃したのは、ヤスパース統合失調症圏にのみ想定していたこの過程を、人間が普遍的にもつ可能性としての「過程としてのスキゾフレニー」「脱領土化の純粋なスキゾフレニー的過程」として捉えるためでもあった。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』p.403-404)

  • レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
  • 115: 「ビッキー・ベルは、所属とはパフォーマティブなものだという。つまり、愛着はある特定の文脈の中で繰り返し展開される行為や儀礼を通じて形成されるという [註24] 。そうした行為を通じて、個々の場所は都市の織物の中に編み込まれ、都市空間におけるそれぞれの意味を生み出すのである。キャロライン・ノウルズは次のように指摘している。「人種は空間の社会的織物の中で生み出される。したがって空間の分析は、人種を存在させる社会実践の形としてその人種の文法を明らかにする [註25] 」」: 註24: Vikki Bell (ed.), Performativity and Belonging (London: Sage, 1999) / 註25: Caroline Knowles, Race and Social Analysis (London: Sage, 2003), p. 105.
  • 116: 「「図書館の中には人がいるから安心できる」と彼女は書いている。図書館を選ぶのは全てのベンガル系少女たちに共通していて、彼女たちにとって図書館は少年たちによる嫌がらせもなく、親や親類たちによる監視もない安心できる場所なのだ」
  • 116: 「図書館に行くのは良いことだとして大人からも認められるが、実は図書館それ自体は彼女たちにとって自由の空間となったのである」
  • 116: 「ロンドンにおいて公立図書館は自分を伸ばす場所であり、彼女たちがそれを用いるとき、そこには社会的流動性や「品位」をめぐる欲望への敏感な洞察が、あるいはより正確にいうならば、大人の権威と同年代の圧力に対する個人的な反抗が含まれていた」
  • 119:

 (……)白人少年とアジア系少年のグループ間の喧嘩が怖かったことはあるかと尋ねると、彼女たちは「いいえ。だって彼らは私たちのこと知っているから」と答えた。この少女たちは暴力をよしとしなかったが、同時に自分たちは顔見知りだという地域的な認識のコードによって危害を加えられないと感じてもいた。ここでもまた、白人であることの複雑性が明らかとなった。この「白人の少女」たちは人種差別に反対だったが、別のレベルではその白人性によって守られたのである。彼女たちはアイル・オブ・ドッグズに所属するものとして認められ、認識されていた。そして、その包摂と排除の条件や変数に賛成しようがしまいが、白人のテリトリーに投げ込まれていたのである。この事例では、白人性、社会階級、ジェンダーが交差しながら、危険や現実のリスクのレベルを算出する暗黙の変数群を生み出していた。都市の織物に縫い込まれる愛着は、文脈や時期に依存している。すなわち、同じ物理的な構造であっても、非常に異なる文化的・象徴的な関係性や文化的地図を持ちうるのである。(……)

  • 120: 「調査に参加した若者たちは、写真を撮ることによって遠くから危険な場所を記録でき、あるいはこの事例のように、その中に写りこむことによって一時的にこの場所を自分のものにすることができた。リーがこの最も嫌いな場所で、カメラに微笑みながら楽しそうにリラックスして写真に写っているのは印象的である」
  • 120~121: 「ある意味で、この調査は所属のパフォーマンス――この事例ではカメラの前でのポーズである――が生み出される文脈を提供したといえる。その写真は一つの恐怖の歴史とこの場所で怯えた感情とを映し出している。しかし同時に、写真による表象行為それ自体が、存在の主張となっているのだ。(end120)若者である彼女自身が管理し実行した観察という行為によって、彼女は好きではなかったはずの場所への所属を主張できたのである」
  • 125: 「彼女たちがホワイトチャペルやポプラー周辺のベンガル系コミュニティにいるところを見られると、それは大人たちのゴシップの対象になるかもしれなかった。これらの場所は同じ民族の人々が多いために安全が保証されてはいるが、同時に日常的な監視にさらされる場所でもあった。したがって、ベンガル系少女のグループがアイル・オブ・ドッグズの外に出て、「人種差別的な場所」という噂のある地域をぶらつくのも驚くようなことではない。なぜならその地域が白人中心だということは、とりもなおさず、そこに大人たちの詮索の目が届かないということだからである。もし安全だと思われる場所にいても快適でなければ、他の場所で快適さを探すだろう。たとえ人種差別のリスクがある場所に行くことになろうとも」
  • 127: 「フラン・トンキスは次のようにいう。「日常生活のランダムで壊れやすいつながりと断絶、記憶の短絡、行き止まりや私的な冗談。これらは主体を空間へと導くが、まさにその都市のたくさんの地図のようなものである。それは何度も描き直され、乱雑に折り曲げられており、お決まりの手順に委ねられることもあれば、進みながら描かれることもある」。そしてそのような行為によって、常識を裏切るような注目すべき出来事が生み出されることもある。「家から離れたホーム」を作るために「人種差別的な場所」に行った若いベンガル系少女や、公衆電話の番号を「家の窓口」として私たちに伝えた若者たちが行ったのはこうしたことなのだ」: Fran Tonkiss, Space, The City and Social Theory (Cambridge: Polity, 2005), p. 130.
  • 128: 「都市の内部には目に見えない沈黙した街がまだ数多く存在する。それは"まだ見ぬ"空間を与える場所である。アイデンティティや、単一で安定した自己からなる場所ではなく、現代の都市生活という地獄のただなかで、そこへの所属を演じ、主張する空間なのだ。権力と排除という都市の幾何学が与える傷にもかかわらず、若者たちは避難場所と都市風景を通り抜ける道を見出す。そうする中で、ホームは家から離れた場所で作り上げられていくのである」
  • 132: 「労働者階級の生活においてタトゥーは身体を取り戻し美学化する一つの方法である。だが同時に、この刻印は「階級的他者」を表すものでもあり、水兵徴募隊であれ、法制局の役人であれ、今日のブルジョワ階級の道徳主義者であれ、上流社会が見分けてスティグマを貼る対象となったのだ」
  • 135: 「投獄する側の人間たちが囚人たちにタトゥーを彫ったり、烙印を押したりすることはもはやない。今や囚人たち自身が刑務所というスティグマ化された世界の中に入った永遠の印を刻む。タトゥーは権力者たちによって奪われることのない永遠のアイデンティティ表現であり、否定だらけの環境にあって自己の肯定性を表象しているのである。たとえ囚人たちが服を剥ぎ取られ、髪を刈られ、ちっぽけな房に押し込まれ、他の囚人や看守によって傷つけられ血を流すことがあっても、タトゥーは彼らの過去を語り、その絆の強さを示し続けるのである」: Susan A. Phillips, 'Gallo's Body: decoration and Damnation in the Life of a Chicago Gang Member', Ethnography 2, no. 3 (2001): 369-70.より。