2021/7/6, Tue.

 メロヴィング朝末期、フランク王国キリスト教文化は衰微し、修道院の世俗化もすすんでいた。父王ピピンの意志を承けて、カール大帝は、政治的にも文化的にも、キリスト教国家の再建をめざす。「正しく生きることによって神に嘉せられようと欲する者たちは、正しく話すことによっても、神に嘉せられることを怠ってはならない」(「学問振興にかんする書簡」)。そうしるした大帝の要請で、アーヘン宮廷学校の校長となったアルクイヌスは、その著に『文法学』もあり、文法学、修辞学、弁証論、算術、幾何学、音楽、天文学という、いわゆる七自由学芸の基盤を整備して、またその哲学的な基礎を探究した。
 大帝の死後、王国は分裂を重ね、政治的にはふたたび解体してゆくけれども、文化的な面ではカール大帝の意志は受けつがれてゆく。大帝は、当時の文化先進地域であった、イタリア、スペインなどのヨーロッパ各地からすぐれた人材を招聘した。じっさいアルクイヌスは、海峡を隔てたイギリスから招かれている。大帝の末孫、カール二世(禿頭王)は、八四三年のヴェルダン条約以後、西フランク王国の国王であったが、パリにあったその宮廷には、アイルランド出身のエリウゲナ(ヨハネス・スコトゥス)が教えていた。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、203; 第13章「神性への道程 神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる ――偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス」)



  • 一一時に意識をさだかにして、一一時二二分に離床。天気はあいかわらずの真っ白な曇りである。いつもどおり、水場に行ってきてから瞑想。一八分ほど。いぜんだったら二〇分かかっていたような状態にもっとみじかい時間でいたることができるし、停止感もより安定的になっていて、質がけっこう変わってきた気がする。やはり、ただすわる、というありかたをめざしたい。道元が、坐禅の心得として、すべてを仏にゆだねて、みたいなことを言っているらしいのだけれど、それがじっさいむずかしい。仏にゆだねてというのは、つまり自己の意図とか人為とかを排しておのれを無化しながらただそこにある、ということだとおもうが。瞑想という時を、そこに生じるすべてを肯定する時間にしたい。~~してはいけない、というような否定的な思惑や、その否定そのものが駄目なのだというメタ否定をも肯定するというか、それとして受け入れて承認する場というか。積極的に肯定するのではなくて、ひとまず受容する。そういうことが、ただすわる、にちかいのではないかという気がするのだが。それにしても、学校で習う鎌倉仏教の説明としては、法然とか親鸞とか念仏系の流派が仏のすくいにすがる他力で、禅宗はみずから修行して悟りにいたろうとする自力の宗派だ、と言われるとおもうのだけれど、すべてを仏にゆだねて、とか言っているあたり、すくなくとも道元はむしろ他力の徹底にいたろうとした人間なのではないか。自己本位からの脱出という志向はたぶんどちらにも共通しているのではないか。
  • 上階へ。母親は健康診断に行って帰ってきたところだった。パンを買ってきてくれたので、それを主食として食事を取る。健診は不整脈がどうとか心不全とか書かれていたような気がする、と言って、母親は不安そうなようすだった。テレビのニュースは熱海の続報をつたえ、新聞をひらけば国際面にはウイグルの記事。きのう読んだ一年前の日記のなかにも同種の記事が触れられていたが、七月五日は二〇〇九年にウルムチ大暴動が起こった日なので、そこから一二年ということで現況が報じられていた。一九五四年に漢族主体で設立された「新疆生産建設兵団」という組織が開拓開墾や国境防衛に従事して新疆地区の発展や同化に邁進してきたらしく、漢族がつくった石河子というまちではいま兵団の歴史をふりかえって功績をたたえる展覧会がひらかれているらしい。新疆ウイグル自治区の人口は二六〇〇万だか二八〇〇万だかそのくらいで、そのうち漢族とウイグル族はいま双方ともだいたい一一〇〇万人くらいで、ほぼ変わらない数になっているという。ぜんぜん知らなかったのだが共産党ウイグル族にたいする優遇措置というのを多少もうけているようで、たとえば大学入試での加点などがあるというのだが、漢族のひとりの声として、優遇措置もあって経済発展もしたのになにが不満なのかわからない、というクソみたいな言が載せられていた。また、両親が兵団の一員だったという五〇歳代の男性も、ウルムチ暴動には海外のテロ組織もかかわっていたとおもう、ウイグル族は危険なので再教育は必要だ、と絶望的な言い分を述べていた。
  • ほか、エチオピアでティグレ族側が停戦の条件を発表したと。なんとかいう(アムハラだったか?)隣の州の民兵と隣国エリトリアの兵がティグレ州内から退去すること、アビー・アハメドによって犯された住民への残虐行為を調査すること、それとあとひとつなにかあったとおもうが、中央政府側が受け入れる目算はひくいようだ。ただ、政治的交渉や対話のきっかけにはなるかもしれないと。ティグレ側は発表に先立って、七〇〇〇名の政府軍捕虜を住民の面前で収容所へと連行するさまを見せつけたと言い、あつまった住民らが手をあげて騒いでいるすがたが写真におさめられてあった。
  • 食器と風呂をあらって帰室し、きのう買ってきたコーラを飲みながらきょうのことをしるすと、いま一時半を越えている。
  • それから七月三日のことを記述。さいごのほうをいくらか足して、投稿。それで二時過ぎくらいだったか。ベッドにたおれて書見をはじめた。レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)。BGMに『川本真琴』をながしたが、#2の"愛の才能"は歌詞も浮気がにおわされていて若者の性愛の色が濃く、わりとエロい内容がやや毒々しい音と調和しているのだけれど、サビをこのメロディとリズムにしたのはなかなかだなとおもった。それまでのながれから来てうまくあざやかにはまっている気がする。『川本真琴』が終わったあとはくるり『ワルツを踊れ』。四時くらいまで読んだ。労働者階級のひとびとが身体に刻印するタトゥーが、彼らが言語ではかたれない感情や愛などを表現している、という趣旨の章なのだけれど、タトゥーという文化もおもしろそうだ。とちゅうで著者の姪の、指輪などをたくさんつけた両手を写した写真があって、その指輪のそれぞれに個人的な記憶や思い出がまつわっているのだが、俺もなんか指輪のたぐいをよそおいたいなとおもった。アクセサリーをすこしばかり身につけたい欲求が生じてきている。
  • 書見後、書抜き。まず三日の記事にレス・バックの本からのメモをするのをわすれていたのでそれをやり、それから熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)。きょうはひさしぶりに三箇所できて良い。Amazon MusicTalking Heads『Remain In Light (Deluxe Version)』をながした。このあいだ(……)くんに紹介されてすこしだけ耳にしたが、冒頭の"Born Under Pressure"がたしかに良い。とちゅうで電子音的な奇矯なソロがはいっているけれど、これはWikipediaを見るとこのアルバムにはAdrian BelewがRoland guitar synthesiserで参加しているとあるから、たぶんそれなのではないか。四曲目の"Once In A Lifetime"というのは、『アメリカン・ユートピア』のトレイラー映像でやられていた曲だ。
  • 五時でうえへ。アイロン掛け。たぶん(……)さんからだとおもうが、ズッキーニの花をひとつだけもらったとかで、天麩羅にするのがいちばんおいしいというから天麩羅をやると母親。面倒臭がっていたが。こちらは黙々とシャツ類を処理する。南窓を見通したかんじではいまは雨はやんでおり、空は鈍い青がところどころ忍びこんだ白さに覆われている。風や空気のながれはない。停滞しており、蒸し暑い。シャツやほかの衣服は八枚か九枚くらいあったはずで、六時までかかった。とちゅう、母親がトイレに行きたいというのでフライパンのまえにうつって唐揚げの番をした時間もあったが。しばらくおさまっていたのだが、ここ数日、ガスコンロがまた頻繁にピーピーいうようになっていて、いよいよこわれてしまうかもしれない。
  • 腹が減っていたが、米がまだ炊けていなかったので、いったん帰室してきょうのことをここまで加筆。
  • そのあとはそんなに目立ったこともなかったとおもう。休日の生活は基本的に家のなかにいてあまりうごきがないので、やはりその日のうちにしるさないとわすれてしまう。けっこうがんばったかんじののこった日ではあった。日記は四日までしあげて投稿したし、『耳を傾ける技術』のメモも五日分まででき、それにくわえて書抜きも三箇所やったし。日付が変わったあたりから、金井美恵子「切りぬき美術館 新 スクラップ・ギャラリー」を第9回から11回まで三つ読みもした。三島由紀夫が市ヶ谷で死んだとき、金井姉妹の家には山田宏一が泊まりに来ていたと言い、金井美恵子は当時二三歳くらいだが、そんなにはやくから親交があったんだなとおもった。笠井叡から電話がかかってきて事件を知ったらしいが、金井は当時もいまも三島事件そのものには興味がなくたいした印象は受けなかったようで、事件当時の記憶はあまりないらしい。
  • あと、夕食後に茶を用意していたあいだだろうか、それか食事を取りに上がったときだったかわすれたが、ニュースで菅義偉首相がオリンピックに出場する日本選手団の壮行会かなにかにむけておくったメッセージビデオがながれたのだけれど、それを見るに、見事に最大公約数的な通り一遍の文言におさまっている点とか声と語調の平板さや無味乾燥ぶりは措くとしても、視線がまったくぶれないのが奇妙におもわれた。ずっと一点を見つめつづけて眼球がすこしもうごいていないように見えたのだが。カンペを読むにしてももうすこし目がうごきそうなものだし、カンペがないとしても、人間、ふつうはいくらか視線をはずしたり、目を下に落としたりしそうなものだが、ほんとうに終始ぴたりと停止しているように見えたので、映像が目のところだけ編集加工されているのかな? とおもったくらいだ。しかし、そんな編集をしたとして意図がわからないが。そういう作法なのだろうか。なにか視線を固定するための対象が用意されてあって、ずっとそこを見つめながらしゃべっているのだろうか。
  • レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
  • 138~139: 「特にフェミニズムや反人種主義の政治的プロジェクトを掲げるラディカルな社会学の中には、次のような衝動を明らかに抱いている流派もある。それは、市民としての権利を剥奪された人々が、自分自身で語るべきだという期待、そして欲望である。本書の初めに指摘したように、これは社会学にとって切実な課題であるのだが、しかし最終的には偽りの希望である。というのも、その考え自体が、調査対象者の声が与え返されるような相互関係のあり方を前提としているからである。例(end138)えば、社会学的インタビューは巧みなコミュニケーションの語彙を優先的に拾い上げるが、それは多くが階級的バイアスのかかったものである」
  • 139: 「こうした意味で、労働者階級の人々は言語以外の手段によって自分たち自身を表現しているのである」
  • 140: 「彼 [メルロ=ポンティ] は感覚的な理解の発達の重要性を主張し、「私たちは身体を通じてこの世界に存在する」ことを強調する [註32] 。そして主体と客体を区別するかわりに、相互関係、あるいは交差配列 [キアスム] を重要視するのである。彼にとって「まなざし」は距離、すなわち見るものと見られるものの隔たりを生み出すものではない。むしろそれは一つの関係を生み出す。まなざしは潜在的に双方向的な、メルロ=ポンティの言葉では「可逆的な」存在に開かれているのである」: 註32: Maurice Merleau-Ponty, The Phenomenology of Perception (London: Routledge & Kegan Paul, 1962), p. 206. (邦訳=モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』中島盛夫訳、法政大学出版局、二〇〇九年)
  • 147: 「サッカーのグラウンドがいかに神聖な芝地となるかについては多くが語られてきた [註40] 。サッカーファンの中には、この「土地への信仰 [註41] 」を文字通りに捉え、ピッチ上で結婚したり、ゴールマウスに遺灰を撒いてくれと頼んだりするものもいる。ロンドン南部や他の場所でもそうした約束を叶えるために夜中にこっそりと――しばしば違法に――グラウンドに立ち入り、非公認の葬式が執り行われるのである」: 註40: John Bale, Landscapes of Modern Sport (Leicester: Leicester University Press, 1994). / 註41: Yi-Fu Tuan, 'Geopiety', in David Lowenthal and Martyn Bowden (eds), Geographies of the Mind: Essays in Historical Geosophy in Honor of john Kirtland Wright (New York: Oxford University Press, 1975).
  • 150: 「愛は名前を与えられ、その愛は身体の上に現れる。しかしこうした愛情は巧みに言語化されることはない。それは記述されるのではなく遂行されるのである」
  • 152: 「マイケル・ヤングは日々の生活に真摯に耳を傾ける非常に優れた大衆的知識人であった。社会学の古典である『ロンドン東部における家族と親類関係』の共著者(ピーター・ウィルモットとの)であった彼はオープン・ユニバーシティの設立者であるが、それに先立つ一九四五年に戦後のイギリス福祉国家体制の礎となる労働党の歴史的マニフェスト『未来に立ち向かおう』を著したことで知られる」
  • 347: 註49: Toby Young, 'Action Man', The Guardian, G2, 16 January 2002, p. 3. / 註50: Michael Young, 'Christmas Day Remembrance', The Independent, Tuesday 27 December 1988, p. 15.
  • 154: 「『階級とジェンダーの形成』において、ベバリー・スケッグスは身体及び身体的傾向がいかに社会階級の特徴を表すかを論じている。彼女の研究に登場する女性たちは、自己の改善の手段として身体に焦点を当てる。回答者の一人ジュリーが述べるように、「身体だけが本当に自分のものだといえる唯一のもの」だというのだ [註51] 。こうした女性たちにとって「ありのままでいること」は、自分たちの置かれている階級や社会的な移動性の欠如、女性に課せられる制約といった様々な拘束に服従することを意味するのである」: 註51: Beverley Skeggs, Formations of Class and Gender (London: Sage Publications, 1997), p. 83.
  • 154: 「階級を上昇できるという空しい約束にしがみつくことが、健康な食事をとること、スリムな体型を保つこと、運動をすることを意味するようになっているのだ。スケッグスの結論はこうである。「脂肪が指し示す労働者階級の身体は、"改善"の希望をあきらめた身体である」」
  • 159: 「彼らが所有するものはほとんど何もなかったが、それでも「自由労働」といえば彼らが自分たちの身体を自分のものにしていることを指していた。階級とヴィクトリア朝のタトゥーについて研究したジェームズ・ブラッドリーは次のように論じている。「タトゥーはジュエリーや他の所有物の代用となった。それは感情を表現する手段であり、また身体と自己と他者の間に愛情を生み出す手段であった [註58] 」」: 註58: James Bradley, 'Body Commodifieation? Class and Tattoos in Victorian Britain', in Jane Caplan (ed.), Written on the Body: the Tattoo in European and American History (London: Reaktion Books, 2000).
  • 161: 「記憶が社会的に生き残るとき、それは必ずしも意識的に保持される必要はない [註62] 。むしろ記憶は感情の構造を提供しうるし、その当事者でさえはっきりとは捉えづらいものであり続ける」: 註62: Paul Connerton, How Societies Remember (Cambridge: Cambridge University Press, 1989). (邦訳=ポール・コナトン『社会はいかに記憶するか――個人と社会の関係』芦刈美紀子訳、新曜社、二〇一一年)
  • 167~168: 「厳格な方法論者と優秀な解釈学者にとってはショックなことかもしれないが、私はインタビュー(end167)が一種の精神的な訓練だといえると思う。それは自己の忘却を通じて、日常的な生活環境の中で他者を見るあり方を真に転換することを目指すものである。相手を受け入れようとするその性質――聞き手は回答者の問題を自分自身のものと考え、回答者のそれぞれが固有に持つ必要性においてその人々を受け入れ理解する――は、一種の学問的な愛なのである…… [註72] 」: 註72: Pierre Bourdieu, 'Understanding', in Pierre Bourdieu et al. (eds), The Weight of the World: Social Suffering in Contemporary Society (Cambridge: Polity Press, 1999), p. 614.
  • 169: 「実際のところ、私たちが自分の身体を所有しているのではなく、身体こそ私たちを所有しているのだ。身体についてただ明らかなのは、それが私たちを失望させるということ、結局それは私たちの意思に屈することはないということである。こうした意味で、これらの実践がはっきりと照らし出すのは、身体と自己をめぐる西洋的な概念、そしてそれが抱く永続性という幻想の不可能性である。そしてそれが求める制御の自律性もまた不可能なのだ [註73] 」: 註73: Sue Benson, 'Inscriptions of the Self: Reflections on Tattooing and Piercing in Contemporary Euro-America', in Jane Caplan (ed.), Written on the Body: the Tattoo in European and American History (London: Reaktion Books, 2000), p. 25.