2021/7/7, Wed.

 フランク王国に生まれ、のちにサン=ドニ(フランス語で聖ディオニシオス)修道院の院長ともなった、アルクイヌスの弟子のひとり、ヒルドゥイヌスが、ギリシア人修道士の協力を得て偽ディオニシオス文書の翻訳をこころみている。のちにカール二世の需 [もと] めに応じたエリウゲナが、おなじ文書を新たに訳しなおしたとも、ヒルドゥイヌスの訳を校訂したともいわれる。
 エリウゲナは、文書の註解も著している。グレゴリオスの翻訳と註解、また、当時ようやく知られるようになったボエティウスの註釈にも手を染めたけれども、エリウゲナはなにより、招聘されたパリの地で、中世期最初の巨大な哲学体系を完成させた。『ペリフュセオン(自然について)』という一書がそれにほかならない。
 教師と弟子との対話という体裁を採ったその著作の冒頭でエリウゲナは、すべてのものは、(end207)「存在するものと存在しないもの」に分割され、その両者を包括する一般的な名称はギリシア語でフュシス(ピュシス)、ラテン語では natura であると書いている。『ペリフュセオン』は、まず、プラトン的な意味での「分割法」からはじまるわけである。「自然」をエリウゲナは、以下のように区分する。エリウゲナの主著にかんしては古来、「自然の分割について」という通称がおこなわれていたけれども、その名称の由来ともなる部分である。

自然を分割すると、四つの差異によって、四つの種に分割することができると思われる。その最初の種は創造し創造されないもの、第二の種は創造され創造するもの、第三の種は創造され創造しないもの、第四の種は創造せず創造されないものである。この四つの種のうちふたつの種は、相互に対立している。つまり第三の種は第一の種と、第四の種は第二の種と対立する。けれども、第四の種は、それが存在することがありえない不可能なことがらに属しているのである。(『ペリフュセオン』第一巻第一章)

 第一の種、つまり「創造し創造されない creat et non creatur」ものとは、「すべてのものの原因」である神であって、第二の種「創造され創造する creatur et creat」ものは、神の知性のうちにあるいっさいの原型、つまりプラトン的なイデアであり、「始原的な諸原因」である。(end208)第三の「創造され創造しない creatur et non creat」ものとは、「時間と場所において生成することで認識される」もの、すなわち被造物の世界にほかならない(同)。
 第四の種、つまり「創造せず創造されない nec creat nec creatur」ものとは、ふたたび神のことである。創造せず創造されないこの「不可能な」自然へといっさいは回帰する。「すべての運動の終局は、そのはじまりである」。したがってまた、「全世界のおわり自身が、全世界のもとめているはじまりである。それがふたたび見いだされるとき全世界はおわるであろうが、それは、その実体が消滅することによってではなく、そこから発出したじぶんの諸根拠へと、還帰することによって ut in suas rationes, ex quibus profectus est, revertatur」なのである(第五巻第三章)。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、207~209; 第13章「神性への道程 神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる ――偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス」)



  • 一〇時すぎに覚め、例によって時間をかけて復活。こめかみと眼窩をよく揉んでおいた。窓外は曇ってはいるのだけれど、ひかりの感触が雲を淡く抜けてくるのも見られて、ひさしぶりにベッド上にカーテンの影とそれに接した白さが生まれている。一一時まえになって離床し、洗面所へ。顔をよく洗う。昨晩髭とともに顔を剃ったので、わりと肌がきれいでみずみずしい気がする。用を足してもどってくると瞑想。すわっているあいだも、左腕にひかりの弱い温みが寄ってくるのがかんじられる。沢の音はもう薄くなっており、盛んな鳥の声と混ざって聞きわけがつきにくいくらいだ。
  • 上階へ行き、うがいをして炒飯で食事。あときのうの天麩羅のあまり。新聞の文化面に大谷翔平のはなしが出ていて瞥見したが、スポーツライターみたいなひとが、大谷はインタビューをしてもストイックさがぜんぜんないのが良い、日本には『巨人の星』いらいのスポ根魂みたいなものがあって、イチローなんかも求道者タイプだったけれど、大谷はそういうかんじがなく、ほんとうに好きなことをこころから楽しんでやっているというさわやかさがある、みたいなことを書いていた。メジャーに行くとなったときも、失敗が不安じゃないかとたずねると、失敗してもべつに良いとおもっている、ただじぶんがメジャーが好きで、あちらの野球に興味があるので、とこたえたらしく、それで、成功とか失敗とかそういうものとはまったくべつの判断基準を持っていて、じぶんがほんとうにわくわくする方向にすすんでいるだけなんだな、とおもったとのこと。
  • ほか、国際面。ヨルダンのシリア難民キャンプでワクチン接種がおこなわれていると。難民キャンプの環境はもちろんウイルス感染にたいして脆弱で、水も一日に四時間くらいしか出ないらしいから手を洗うこともなかなかできない。砂漠地帯にあるので気温は四〇度を越える。衛生環境もそうだし、コロナウイルスのせいで働きにいっていた店がつぶれたり休業したりして、貧困におちいった難民も多数いるという。
  • あと、イギリスがロックダウンを解除すると。デルタ型が蔓延していていまも一日二万人くらい感染者が出ているのだが、死者はおおくて二〇人くらいだから重症者の爆発的増加は避けられるだろうと見込んで、国民の閉塞感を緩和するほうを取ったと。ジョンソンは、感染対策は国民ひとりひとりの判断にゆだねると言って、マスク着用とかイベント開催の規制とかもなくなるらしいのだが、もちろん、まずいのでは? という声もある。イギリスはもう国民の八割が一回目のワクチン接種をすませて、六割は二回目もすませているとか。しかし、おなじページにちいさな記事で、ファイザーのワクチンだとデルタ型にたいしては感染抑制力が三割くらい下がるという報告もあったので、まだまだつづくはず。全世界でもっともはやくワクチンの普及に成功して余裕をぶっこいていたイスラエルでもまた感染が増えているらしいし。
  • 勤務にむかう母親の食器もまとめて洗い、風呂も擦ってながし、カルピスを一杯つくって部屋に帰った。きょうはひさしぶりに暑い。薄いものの陽の感触があるから大気に熱がこもっており、すわってコンピューターをまえにしているだけでもだいぶ暑い。そういうわけで、書見のときにはエアコンをつけた。まずはNotionを準備し、ウェブをまわって、一時くらいからベッドにころがってレス・バック『耳を傾ける技術』を読む。BGMは中村佳穂『AINOU』。
  • 書見中は足でもって脚をマッサージしているわけだが、いつもよりはやく脚全体がほぐれたので、一時四〇分くらいでおきあがってストレッチもした。よろしい。やはりストレッチもなるべく毎日やったほうがよい。それからきょうのことを記述して二時半。
  • そのまま五日の記事も完成させた。三時ごろに上階へ。炒飯と味噌汁のあまりで食事を取る。簡素な二品なのですぐに済んで、食器をかたづけると階段を下り、歯ブラシを口につっこみながら帰室。(……)さんのブログを読みつつ歯を磨いた。歯磨き後もあわせて、最新の七月四日から一日まで。口をゆすいでくるとブログを読みつつ首のうしろをしばらく揉みほぐし、そうしてきがえて出発へ。
  • 充分に時間的余裕を持ってあがった。洗面所であたまに整髪料を多少つけたが、弱いやつなのでたいして変わりはしない。玄関を出ると、父親の車がなかった。母親もしごとに行っているので駐車場は空。あとで知ったが、父親は山梨に行ったらしい。近間の坂の脇あたりで業者がはいったのか車が二、三とまって草刈りをしており、機械の駆動音がひびいていた。いざ道に出ると、外気はおもっていたよりも暑くない。ところどころで暖気がしのびこんではいるが、風が道に沿ってすぎていけばかすかなさわやかさすらおぼえないでもない。しかしそれも公営住宅まえに来るまでのこと、そこに出るとあきらかに空気にふくまれた熱の量が増え、あたりが蒸し暑さにこもって閉じこめられたようになる。あしもとのアスファルトは変わらないはずだが、林がとぎれて家になったから樹々が熱を吸わないのか? などとおもっていたところ、これは単純に、白く閉ざされた空のむこうにボタン型の太陽があらわれていたからで、道の右手が林でなくなったので、(……)さんの宅の上空にうっすらとした白影が露出したのだ。十字路では下のほうから小学生の男子が三人、自転車を押して坂をのぼってきた。川にでも行っていたのか。坂道にはいれば沢の水音はまだそこそこの厚さをたもっており、ながれもはやそうで水が落ちる場所など勢いが良いけれど、さすがに低音はもはやおとろえている。右の壁の茂みのなかにヤマユリがひとつ、白地に毒々しいような斑点をつけたすがたをおおきくひらいているのを発見し、ヤマユリではないかとおもった。つづけて、去年も何度か日記にしるしたはずだとおもいだしたのだが、ヤマユリという固有名を書きつけた感触の記憶と一年前という時間的距離が相応せず、一年もまえなのか、もっとさいきんのような気がするな、とちょっと困惑が差した。坂の終わり付近では老いさびたような色の竹の葉がたくさん散らばっており、ほそながい舟みたいな見慣れたかたちの葉のまわりに、もっとちいさくてこまかい細片がおなじ色で無数に撒かれているのだが、あれも竹の葉なのだろうか。
  • 駅についても電車までけっこう余裕があったわけだが、そのわりにホームにはもう何人かひとがいて、ベンチも埋まっていたのでずいぶんはやいんだなとおもい、すわりたいんだがとこまりながら階段をのぼりかけたところで、数分待合室にいるかとおもいいたってひきかえした。最寄りで待合室をつかったことがまるでなかったので、その存在を失念していたのだ。なかにはいってベンチにつき、しばらく手帳にメモを取っていると、おおきな蚊が身のまわりをしずかに緩慢に浮遊するのだけれど、彼らはなぜか肌にとまってこず、とまるとしてもスラックスの生地のうえなどに限られていた。そろそろ電車が来るなというところで出てホームへ。先のほうにすすんでいると、カラスが翼をあまりうごかさずすーっとしずかななめらかさで宙を切って前方を横切った。いちど降りたカラスはまた飛んで線路沿いの道にある電柱の根元にうつったが、それとほぼ同時にもう一羽のカラスもべつの方向から渡ってきて、その電柱の脇の電線上にとまっていた。二羽のゆくえをみとどける間もなく、電車が入線してくる。
  • 移動して職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)帰路はまた徒歩を取った。駅前のコンビニの脇、裏にはいるところの角に地べたにすわりこんでいる者があり、見ればふたりでなにか地面に置いて飲むか食うかしていたようだが、うちのひとりがよく見えなかったがアジア系らしきひとで、何語なのかまったくわからない音調の言語をくりだしまくっていた。たぶん東南アジア方面のひとではなかったか。めのまえのあいてとはなしているというより、スマートフォンでビデオ通話していたような印象がのこっているのだが、さだかではない。わが町でもこういう情景が見られる時代になったか、とおもった。白人種は山に行くひとなど、そこそこ見るのだけれど、東南アジア系のひとはあまり見かける印象がないのだ。とはいえ、塾の生徒のなかにもそちら方面のハーフらしき子がときにいないでもないし、こちらが出歩かないから見ないだけでふつうにそのへんにいるのだろう。
  • この夜はあるいていてもおとといのように疲れはしなかった。ストレッチをしたからか? 空気は日中にくらべればむろんすずしいが、べつに快適ではなく、汗は湧く。裏道を行くあいだ人通りがまったくないわけではなく、のろのろやっているこちらを抜かしていくひともおりにいるものの、屋外なのでマスクは顎にずらして口と鼻を出している。そういえば文化施設裏にある一軒の庭木が香りをはなっていてキンモクセイをおもったのだが、キンモクセイは時季がちがう。キンモクセイといつも混同してしまうやつなんだったかなとおもったのだけれど、これはたぶん沈丁花だとおもう。ただ、このとき嗅いだこの庭木は沈丁花でもなく、おそらくクチナシではないか。暗かったのでわからないが、画像を見るになんとなくあんなかたちの花だった気がする。
  • 帰り着くとしばらく休んで食事。夕刊の追悼抄にまた立花隆が出ていた。なにかのことについて文章だか本だかを書くなら、その一〇〇倍の情報をインプットしないと、と言っていたという。また、記者が、どれだけ勉強しても果てがなくて絶望的な気持ちになりませんかと訊いたところ、いや、大海の水をすべて飲み干そうとはおもいませんよ、ニュートンも、私は広大な砂浜でたまたまきれいな貝殻をひとつ見つけたにすぎないと言っていた、でも世界のひろさを知っているかどうかで、人間の成熟みたいなものがちがってくるんじゃないですかね、と語ったらしい。この言には同意する。みずからの矮小さを知ることが知性と思考の第一条件であり、それを受け入れることが倫理と行動の第一条件だとおもう。
  • レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
  • 176: 「ジョン・バージャーはいう、「存在は売り物ではない……それは与えられなければならず、買われるのではない」と」: John Berger, The Shape of a Pocket (London: Bloomsbury, 2001), p. 248.
  • 180~181: 「ハリマ・ビーガムはブリックレーンにおける都市の再開発を研究する中で、この大通りがエスニックフードや南アジアスタイルというエキゾチシズムを売り物にするベンガル系住民の商いの場所である一方、多くの若いアジア系住民がそこを白人のリクリエーションの場所だと認識していることを発見した [註14] 。ブリックレーンは、ベンガル系の男性は働くが白人は遊ぶ場所だと考えられている(end180)のだ。したがって、この場所に若いアジア系女性がいるということは、道徳的に問題があるとみなされる危険を孕む」: 註14: Halima Begum, 'Commodifying Multieultures: Urban Regeneration and the Politics of Space in Spitalfields', PhD dissertation, Queen Mary College, University of London, 2004, p. 179.
  • 181: 「つまり、彼女たちの人間性や主体性を否定することなく、ジェンダー的、人種的に意味づけられた風景として都市の複雑性を考えることがいかに可能なのかということだ」
  • 182: 「レンズがただ一方通行にまなざしていると考えるのは間違っていると私は思う。これらの写真の中の人々は見返している。彼ら/彼女らは私たちを見つめ返しているのだ。この意味でカメラは通りに面した窓のようである。窓の中から通りが見える反面、通りからも窓の中が見えるのだ。おそらく窓はレンズに少し似ているのだろう。私たちが都市を歩くときにはお互いの視線を避けるかもしれないが、これらの写真が示しているのは目と目による一種の承認である」
  • 184: 「写真を撮ることであれ人々の物語を収集することであれ、敬意を持ちながら耳を傾けることの価値こそ、社会学が必要としていることの一つだと私は思う。バリーのような人が耳を傾けられ、あるいは気づかれることは稀であり、ある意味でそれは特別なことである。同時にこの写真について確かなのは、それが被写体を英雄的な姿に描こうとしていないということだ」
  • 184: 「というのも、調査対象の人々がまさに彼ら/彼女らの生活が議論されているその社会学会の会場に出席することはめったにないからだ。「被写体」がそこにいることによって、彼ら/彼女らの表象が戯画化されることはできない雰囲気となった。その人々と写真とは善と悪の退屈な複合物であることを許された。つまり、きわめて人間的であることを許されたのである。それはそれで貴重な意味があったが、同時にバリーのような人々は、自分たちが認められ、真剣に受け止められていたのだと感じたのだ――それもおそらく初めて」
  • 185: 「これらの写真は、存在がレンズに対して遂行され提示されるような贈り物である。だからといって、参加者がカメラの前で自分の印象を作ることがごまかしだという意味ではない。なぜならすべての社会関係がそのようなものだからである」
  • 187: 「ペルーの詩人セサル・バジェホはある詩の中で次のように問うた――「私たちは毎秒のように死ななければならないのか?」と。もちろん、これらの写真に素描されている生は、日常の中で過ぎ去っていく幻の生である。日常の中で過ぎ去っていく生を記録したところで、それはつまらないものだといわれるか、バカにされてしまうかもしれない。だが実際には、それこそこのようなプロジェクトの倫理的価値が見いだされる部分なのではないかと私は思う。その写真は生者への碑銘のようなものなのだ」