2021/7/16, Fri.

教育に目を向ける最初のステップは、自分たちの生活の異質性、自分自身からの疎外状態、必要であると公言しているものの必然性のなさを観察することである。第二のステップは、人間の異質性そのものの真の必然性、外向性の機会をつかむことである。 (スタンリー・カベル/齋藤直子訳『センス・オブ・ウォールデン』(法政大学出版局、二〇〇五年)、六八頁)

 こうして『センス・オブ・ウォールデン』は、哲学のとらえ直しの著であり、そのことの意味が広義の教育――「変容」、「再生」、「覚醒」といった同著の主題の連関した意味での教育――と不可分である。さらには、このテキストを「読む」ことそれ自体が自己意識の覚醒と変容としての哲学の作業である。教育とはカベルにとって、まず、言語との関わりを媒体にした自己 [﹅2] 教育であり、その実存的課(end178)題は、自己喪失を起点とする自己発見――「世界の中で自分自身の位置を見いだすこと [﹅6] 」――である(同前、六六頁)。自分の位置の発見は、ウォールデン池の底の発見を比喩として語られるが、この発見は、確固たる底――自己の基盤、世界の基盤――からは出発しないし、究極的に固定した底も存在しない。「堅固な底は至るところにある。しかし、どうすればそれに向けて重みをもち、自信をもった結論に至ることができるのであろうか」(同前、九二―九三頁)。これに対するカベルの最初の答えは、「ことばにおいて重みを支え」、自らの重心を経験することである。次の答えは、そこから錨を引き上げ「航海に出ること」、発見し続けることである(同前、八八頁)。すなわち、受け入れることと向きを変えること――プラトンの洞窟の比喩にもみられる教育の原型のひとつ――である。これがソローのいう「根拠地」(point d'appui)をもつこと、「実在」の発見の意味である(同前、八七頁)。ここにおいて、ことばの洗礼、生活のエコノミー、外部性の達成という諸テーマは、生活の再発見、世界への「関心」の再発見と一体となった自己発見というテーマへと収斂してゆく(同前、一一九頁)。自己の救済は、言語の救済、生活の救済を必要とする。嘆き(mourning)を朝(morning)に変容するというソローの記述への言及に見られるように(Stanley Cavell, "The Politics of Interpretation (Politics as Opposed to What?). ", Themes Out of School: Effects and Causes. Chicago: The University of Chicago Press, 1984, p. 54)、そして『ウォールデン』に登場するオンドリの覚醒の鳴き声に象徴されるように、朝と「目覚め」を経験し続けること――「覚醒しつつある人々に対して、覚醒しつつ[語りかける](XVⅢ, 6)」ようになること(カベル、二〇〇五年、四三頁)――は日常性への回帰である。『センス・オブ・ウォールデン』は読むという行為を通じて「本質的な意味で学徒となる」ことを訴える(同前、五九頁)。これが、ことばとの関わりのなかで自己を発見し直す自己変容としての教育のプロセスであり、「子どもが成長するためには家族と親密さが必要であるが、大人が成長するには、異質(end179)性と変容、すなわち、誕生が必要である」(同前、七四頁)という、「大人の教育としての哲学」(Stanley Cavell, The Claim of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy. New York: Oxford University Press, 1981, p. 125)という主題である。子どもは母の言語の共同体へのイニシエーションを必要とする。そこを起点にして、母の言語から父の言語を生み出すという作業は、馴染み深さの内から異質性を経験する変容のプロセス [﹅4] に他ならない。究極的完全性を固定しないエマソンの完成主義を予見するように、大人のための教育は終わることのない自己完成のプロセスである。「再生」は、キリストの再生のように一度限りのものではなく、いま、ここにおける「継続的な活動」である(カベル、二〇〇五年、六六頁)。「変容」はウォールデン池の鳥の羽毛の脱ぎ替えに比類する自然の「危機」の時であると同時に、言語を媒介にした人間としての [﹅6] 変容である(同前、五三―五四頁)。そして去ること、後に残すこと、遺すことというleavingの三つの含意は、教育がたゆみなき出立――己れからの出立、教師からの出立――のプロセスであることを示唆している。
 最後に、カベルの「大人の教育としての哲学」のより具体的な含意として、市民性の教育と異文化理解について述べたい。この二つの「教育的意義」はカベルの思想、そしてソローのアメリカ哲学が、自己の内に閉ざされた思想ではなく、たんなる個人主義でもなく、外部性の達成、すなわち、「内から外へ」と広がり「共同体」を志向する「高度の自由論」であることを示す。カベルは『ウォールデン』が何よりも「政治教育、ポリスの構成品のための教育の書物である」と述べている。それは、「市民――人がともに構成員であるような人々――を『隣人』と認める」ものである(同前、一〇四頁)。しかしながら本稿における考察で明らかになったように、この「隣人性」は、同としての自の外に異なるものとして他を定位するものではなく、そうした見方の帰結として、内部を外部に開くという開放性(end180)を唱えるものでもない。むしろそうした発想の背後にある「同」と「異」の対峙関係そのものの境界線を引き直す試み、「同」の内に「異」を発見し続けてゆく作業である。そこには徹底した「単独性」(同前、六八頁)の承認が必要とされるのであり、この意味において市民性の教育は「孤立のための教育」である。ここをくぐりぬけることなくして、「共通の起源」(同前、一八九頁)を達成することはできず、内から外への回路も開けない。そして「私」と国家の関係を築くこともできない。これが「われわれがひとりである [﹅3] ということ、そして [﹅3] 決してひとりではないということ」というカベルの隣人性の思想が含意するものである(同前、九七―九八頁)。こうした市民性の教育は、「社会的包摂」の思想に民主主義の内側から警笛を発する「包摂なき市民性」の教育ともいえよう(Saito Naoko, "Citizenship without Inclusion: Religious Democracy after Dewey, Emerson, and Thoreau.", Journal of Speculative Philosophy, Vol. 18, No. 3, 2004: 203-215)。包摂されえない生活の過剰性を表明し続ける「市民の反抗」には、自己と母語、国家の関係を内側から批判的に問い直すプロセスが不可欠である。カベルは『センス・オブ・ウォールデン』をベトナム戦争の時代に、「内側からの民主主義批判」(Stanley Cavell, Conditions Handsome and Unhandsome: The Constitution of Emersonian Perfectionism. La Salle, Illinois: Open Court. 1990, p. 3)として執筆した。そうした批判の声の投影として、『ウォールデン』におけるソローのメキシコ戦争との関わりを「良心の認識論」として位置づける(カベル、二〇〇五年、一〇七頁)。内から外へを志向する解釈の政治学は、たんなる言語論、文学論ではなく、ことばの洗礼を通じた社会参加、政治参加への誘いである。
 またカベルの思想は、共通性を達成する必須要件として「あなた自身の内に移民性を包容する」ことを求めるという意味で、ヌスバウムが提唱するような人類普遍の人間性を前提とする世界市民性の教育思想とは異なる(Martha C. Nussbaum, "Patriotism and Cosmopolitanism." For Love of Country? Edited by Joshua Cohen. Boston: Beacon Press Books. 1996)。むしろ、アメリカの移民の思想として、移民性を包容する土着性を希求する(カベル、二〇〇五年、一八六―一八七頁)。ソローとカベルが、「われわれはいまだ、『ともに生(end181)きること』(to get our living together)(Ⅰ, 100)をしておらず、全体ではなく、ひとつの共同体でもない」(同前、九六頁)と述べるとき、そこには、共生 [﹅2] 社会の創造において、ともに [﹅3] 生きるということ、隣人関係を築くことが、心地よさではなく異分子を抱えることの居心地の悪さを受容するものであるという含意がある。共同体を築くとは、「我が家」の内に他者のみならず自己、自文化との「無限の関係性」を築くこと、すなわち、近しいもののなかに疎遠なものを受け容れることである(同前、六七頁)。カベルがソローを通じて提唱する内から外への歩みは、デューイの生き方としての民主主義共同体の境界を内側から揺さぶる批判的機能を果たす。
 こうした市民性教育の思想は、異文化(未)理解の教育にも通ずる。カベルはハイデガーによる日本文化論に対して「ある文化は外部者にとって不明瞭であるが、その土地の人にとっては透明であるという[ハイデガーの]含意は信用できない」と述べる。これに対して「ソローのウォールデンについての本は全体として、翻訳の問題、言ってみればひとつの生活形式を別のものへと変身させることに他なら」ず(Stanley Cavell, "Walden in Tokyo.", Unpublished paper, 2005)、この置き換えのプロセスは「その土地」、自文化の内部で、内部から始まる。カベルによる哲学のとらえ直しが「人間存在をそれ自身に対して異質なものになす、あるいは、異質なものとして示すということが、哲学作品の本質的瞬間である」ということであるなら、哲学の作業は、自文化の内部に外部性を実現してゆく行為であり、自文化、自国語の内の翻訳不可能性を承認してゆくプロセスであるということになる。翻訳としての哲学は、「自らの文化の自己批判を準備するものであり、われわれが、自分自身の自己概念に対して盲目的にではなく、意図的に異質となるよう、生活の変化を準備させるものである」(ibid.)(……)
 (小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』(未來社、二〇〇六年)、178~182; 齋藤直子「教育としての哲学・哲学としての教育――カベルの『センス・オブ・ウォールデン』を読む」)



  • 九時くらいから覚めていたとおもうのだが、最終的にいつもどおり一一時の離床。ひさしぶりにあかるい陽の色が見られる日だった。立ち上がると洗面所にむかい、洗顔やうがいなどすませてからもどって瞑想。枕にすわるまえに脹脛の横をちょっと揉んでいると、そのときはあいまいに溶けていたベッド上の日なたが濃縮しはじめ、カーテンの裾のまるく波打つ影も色が集まるようにして映りだすのにおうじて、ひかりの色もくっきりとあたたまった。瞑想をはじめれば、熱のこもった空気が腕の肌にかんじられる。窓外では沢の、音というよりひびきにくわえてセミも持続する背景音をなし、ほそい排出口から蒸気が噴出するような声をあたりに撒いている。
  • わりと良いかんじですわれた。からだのうごきもほぼなくなって、精神も現在に据えられて思念がつかの間おちつくと、マジで無とか空みたいな、じぶんがなくなったような、わりとそういうかんじにはたしかになる。意識野からノイズが消えて明晰化された空間にそのまま世界がはいってきてそれだけになるというか。ただそれはべつに神秘的な体験ではないし、法悦とか快とか逆に苦とか、なにか特殊な感覚が起こるわけでもないし、感覚としてはむしろとりたててなにもない。ふつうの状態。ただつかの間じぶんが見えなくなって世界以外なにもなくなったかのような気がするという、それだけのことだ。
  • 上階へ。父親のマットを洗ったのであとで入れてくれと母親。食事はきのうのナスや肉のソテーののこりなど。それをおかずにして白米を口にはこびながら新聞を見る。南アフリカの暴動はつづいており、政府は軍を当初の一〇倍で二万五〇〇〇人派遣することを決めたと。南アフリカ軍の総数は七万五〇〇〇ほどらしいのでこれは相当なものとおもわれ、アパルトヘイト廃止後では最大の出動だという。住民による商店とかショッピングモールの略奪が起こっており、それはきのうの新聞にも写真付きで載っていて、スーパーマーケットみたいな店のまえにひとびとが詰めかけてなかの数人がカートに大きな荷物を乗せて逃げていくようなさまが映っていたが、住民のあいだで自警団結成のうごきがひろがったことで多少は抑えられているらしい。とはいえ、南アフリカ社会に根強くのこっている人種対立がこの騒動であらわになっているとのことで、たとえばインド系のひとと黒人とで悶着とか襲撃とかが起こっているらしい。
  • ほか、プーチンがロシア人とウクライナ人は歴史的に見て一体だと主張する論文を発表して、ウクライナ東部の親ロシア住民の取り込みを図っていると。ウクライナのゼレンスキー大統領というひとはロシアから距離を置いてどちらかというと新欧米路線らしく、両国住民の関係はプーチン氏のいう兄弟のようなものではない、と否定。また一三日にゼレンスキーはいまやロシアを越えてウクライナの最大の貿易相手となっているという中国の習近平と電話会談をしたが、そこで習近平ウクライナの独立と主権を支持するみたいなことを言ってロシアと一線を画したと。
  • ニュースの気象情報によれば、きょう梅雨明けだという。東京はここからあからさまな雨の日はしばらくなくなるようで、週間予報は太陽のマークが多く見えた。ただ西日本、九州四国あたりはきょうやあしたも大雨がつづくようで、災害の危険があると。食器を洗い、風呂に行って浴槽もこすり、出るときょうは飲み物をなにも持たずに帰室。Notionを準備して、きょうのことをここまでしるせばいまは一時まえである。きょうは四時まえに労働にむかわねばならない。また、明日は朝から昼まではたらいたあと、夜には会議でふたたび職場に出向かねばならず、猶予はわりとないのだが、心身はおちついていて焦りはない。一一日のながい記事をきのうかたづけられたからか?
  • それから書見。三宅誰男『双生』のつづき。238からはじめて、もうあとすこしで終わるところまで行った。あいだ、一時四〇分になってトイレに立ったついでに、上階のベランダのものをかたづけに行った。物干し用のラックというか柱で組まれた台みたいなものに乗せられた足拭きのたぐいや、柵にかけられ取りつけられているひろいマットをとりこむあいだ、雲は豊富ながらもそれがくずれずに晴れやかさをつづけている空の陽射しを肌に吸い、眼下の草木のあざやかにきわだった緑をちょっと見た。そうしてもどってまた書見をつづけ、二時半まえまで。
  • それからストレッチ。三〇分くらいかけて四種プラスアルファを二セットやり、三時を越えた。合蹠がやはりすごい。心身と意識がはっきりする。そうして出勤前の軽食へ。釜にのこったさいごの米を茶漬けにすることに。もうひとつ、母親が午前に炒めておいてくれたナス。茶漬けは永谷園の鮭のもので、相当にひさしぶりに食べたが塩気が舌に好かった。食いながら窓外をながめるといまは太陽が一時雲にまもられているらしく空気の色はしずまっており、風らしいものも生じず、ベランダにつづくガラス戸がひらきっぱなしになっているその脇で薄手の白いレースカーテンが裾をわずかに揺らがせるのみ、そのむこうで近間の屋根をはるかに越えて果てにちいさく覗いている山の高いほうにだけ日なたがかかって樹々のならびや山の織り成しとはべつの明暗の襞を生んでいる。茶漬けをかきこんで食べ終わるころになって風が来て、背後の東窓では隙間から流れこむものに押されてカーテンがつかの間ふわりと窓枠から身を離した。
  • 下階にもどって歯を磨き、仕事着に着替え。(……)そうして上階へ行き、ハンガーにのこっていたわずかなタオルや肌着をたたんでから出発。先日父親がケルヒャーの洗浄機をつかって掃除したため、家の前の土台的な地面やそれとひとつながりになっている駐車場が白くなっていた。道を行けばまえからながれは生まれるものの、やはり空気の熱に中和されあるいは濁らされているようでぬるさに寄った肌触りだが、まったく涼しくないわけでもない。公営住宅前まで来ると太陽が露出して日なたがひらいており、入れば瞳がまばゆくてなかなかものも見られず、(……)さんの宅の脇でたぶん本人だろうか草木の斜面にのぼってなにか叩いているひとがいたようなのだが、とても視認できなかった。ほとんど目を閉ざすくらいに細めながらひかりの領分を越えていき、樹々にかこまれてここはむろん陰った坂をのぼれば沢の水音がさすがにもう低音はふくまれていないがまた多少はやくなっていて、SやZのひびきでかろやかにおどり浮上するようだった。道々落ちている木の葉がずいぶん増えていたが、だいたいは土気色じみた生気ない薄色の裏面をさらしており、おもてが見えているものにしてもあまりあざやかではなかったようだ。出口ちかくまで来ると道は北向きだから頬やこめかみにむけて横から陽射しが投射されて粘り、からだに染み入っていくそれはさすがに暑く、坂をのぼってきたこともあって汗が湧き出る。
  • ホームへとつづく階段通路にも横からあかるみと熱がはいってきて避けようもなく、漬けられたからだがホームにはいるころにはだいぶべたついており、そこも北側は半分以上日なたが領して蔭は肩身せまく追いやられているのだが台上にかろうじてのこった避難所に立ち尽くして夏をやりすごす。正面の線路まわりには草があかるく、左右にながれゆくものを受けて、ちいさく生えており細長い葉がじぶんの重みでいくらかうなだれているものは小動物の尻尾のように縦にふわふわと撓み、かたちだけ見ればケイトウをおもわせるさまにまっすぐ伸び上がって林立しているものたちは左右にふるふる揺らいで、角度によってはところどころ白さをためていっそうあかるいその若緑たちがめのまえでかがやかしく海をなしている。
  • (……)
  • 帰路、ひさしぶりに月があった。すこしかすまされた半月。空はことさらにあかるいわけではないが雲がとぼしくなったからここのところ封じられていた暗い青みがうかがわれ、星もいくらか映り散っている。坂道をくだると下から風がふわふわと舞い上がるようにながれてきた。往路では沢のひびきのなかに低音はないと聞いたが、闇の刻になってみるとしずけさのなかに水音がおもいのほかふくらみきわだって、そうすれば低みに重さが宿っているのも聞き取られる。下の道に出て行くあいだ、周囲から色気のない虫の翅音がかわるがわる立って夏の夜の風情だが、空気がうごけばわりと涼しくてまだ熱帯夜というほどには季が深まっていない。(……)さんの宅の向かい、草の斜面の際に水の痕があり、ちょうどバケツを振って一杯分撒いたようなつつましいひろがりかただったので、たぶん打ち水をしたのではないか。
  • この日で『双生』の二周目を読み終わった。とにかく詩を読まなければやはり駄目だというこころになっているので、つぎはなにか詩を読もうとおもい、そうすると芸がないが岩田宏を読み返したい気持ちになって、『岩田宏詩集』(思潮社、一九六八年)をえらんだ。やはり「独裁」のさいごが良いのではないか。
  • 夜の記録は特にない。この日の往路帰路で見たものをさきに書いたはず。一二日月曜日の記事もしあげて投稿したらしい。
  • 三宅誰男『双生』(自主出版、二〇二一年)より。
  • 241: 「海鳥の足跡だけが句読点のように点々と打たれている吃りがちな海辺」
  • 8: 「冬なのか夏の日なのかもうおぼえてない/鉄橋の支え石に藻がからみついて//ぼくはあの雲母を取ってこなければ/紫いろのくちびるは帰らなければ」(「幼い恋」)
  • 9: 「やがて月の光が堤と丸石を走ると/ぼくらは雪道をトラックで出発した//つぎはぎだらけの楽器をかかえこみ/とかげの子供を空罐でゆすっても//ぼくの指はあたたまらなかったのだ」(「幼い恋」)
  • 9~10: 「それから襖や唐紙のなかで/ぼくらがひそかにラジオを操る//荒れ果てて美しい女の声 ほら(end9)/約束は木の葉 足跡は絶望だよ//こんな墓場の唄が遠くで始まれば/透きとおる雨に南風が溶けこむけれど」(「幼い恋」)
  • 13: 「ぼくらの胸から地平線まで/夜空にくろぐろとそびえ立つもの/ぼくに あのひとに ひとしく/売春婦の姿勢をえらばせるもの/あれはなに あれはなにか」(「土曜の夜のあいびきの唄」)
  • 15: 「宝石のように目も唇もなくして」(「独裁」)