2021/7/20, Tue.

 レヴィナス自身は、倫理を「構築」しようとしたのではなく、たんにその意味を「探究」しようとしたにすぎないとしても [註10: E. Lévinas, Éthique ét Infini. Dialogues avec Philippe Nemo, Fayard 1982, p. 85.] 、レヴィナスの探究する倫理は、いやおうなく、(end9)〈もうひとつの倫理〉として特徴づけられることになる。その倫理は、「自己保存」を、あるいは「存在への傾動」(conatus essendi)そのものを問いただす〈倫理〉であるからである。ないしは、〈私〉が存在すること、存在しつづけることを、もはや「あたりまえ」のこととは見なさず、存在することのかなたへと超越することをさぐる倫理であるからである。それはやはり異様な倫理である。すくなくとも異貌の [﹅3] 倫理であるといわなければならないであろう。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、9~10; 第Ⅰ部 第一章「問題の設定 ――〈身〉のおきどころのなさの感覚から――」)



  • きょうも変わらず暑く、そのためか覚めても意識が重って起きられず、一一時へ。いつもどおり水場に行ってきてから瞑想。よろしい。炎天の窓外にはあいかわらず激しい蒸気のようなセミの音が拡散してつねにつづいている。気温は高く、すわっているだけでも肌着の裏の背や腹に水気が湧いてきておおわれるのをかんじる。一七分すわった。感覚がまとまって、このくらいでいいかなと満足するまでの時間がみじかくなってきている。
  • 急須と湯呑みを持ってうえへ。両親は買い物などに出かけていたが、台所で冷蔵庫をひらいて卵でも焼こうかとおもっていると帰ってきた。魚肉ソーセージを刻んで卵と焼くことに。さらに、冷凍の廉価がこま切れ肉があることが判明したので、それも追加した。丼の米に乗せて卓に移動、ほか、味噌を添えたキュウリなど。新聞を見ていくと、直木賞をとった佐藤究というひとが寄稿していて、ちゃんと読んでいないのだけれど、賞をとると作者はどんな人間なのかと記者などがこぞって調査をはじめ、素性とか経歴とかいろいろ聞かれるのだが、そういうときにミシェル・フーコーのことばをおもいだす、と言って引用していたので、直木賞をとって新聞にみずから文を載せ、そこでフーコーを引くとはなかなか攻めたひとじゃないかとおもった。引用の出典はたしかちくま学芸文庫フーコー・コレクションの5だったとおもうが、作家じしんの情報というのは、数人の非常に偉大な作家は例外としても、それ以外の大多数のものを読むときにはなんら役に立たない、みたいな内容で、じぶんもこの大多数にあてはまる、と筆者はしるしていた。直木賞をとった作品はたしか南米の麻薬組織とかスペインの侵略の歴史がからむようなはなしと聞いたおぼえがあるが、ラス・カサスだったかほかのひとだったか、侵略時代の文書記録も記事の後半で引かれており、なぜこの作品を書いたのかと聞かれれば、その理由は恐怖の一語以外にない、というような締め方をされていた。
  • ほか、一、二面と国際面に韓国の文在寅が訪日見送りを表明との報があったのでそのあたりもいくらか読んだ。内部関係者によるともともと文在寅じしんは訪日に乗り気だったのだが、在韓国日本大使館の相馬なんとかという総括大使が韓国の対日姿勢について「不適切な」表現の発言をしたとかで、この日の紙面にはその発言がどのような文言だったのかはどこにも記されていなかったので内容がわからないのだけれど、それが韓国内で報道されて日本への反感が一気にたかまり、やむなく取りやめとした、という経緯らしい。一八日までは順調に来ていたのに、その発言があって明けて一九日には空気が一変していた、というような関係者の言があった。もっとも、韓国側としてはもともと訪日をしたとしても実りはすくないだろうと見込んでいたらしい。実りというのは徴用工問題などでの成果ということだが、徴用工と慰安婦にかんしては譲歩は引き出せないだろうとわかっているので、対韓輸出管理の面でいくらかの改善や益を得られれば、徴用工問題に関心のつよい民心も多少は納得してくれるだろう、というつもりでいたところが、今回の件で頓挫したと。
  • とうぜんだがクソ暑い。最高気温はたぶん三五度くらいなのではないか。それで居間にはエアコンを入れざるをえない。ものを食べ終えて立ち上がり、背伸びをしながら窓外を見ると、外に風は多少あるようで樹々がふるふるうごめいており、白光をためて金属板へと磨き変えられた屋根が揺らぐ梢の枝葉の隙間にこまかくきらきら泡立っている。皿を洗い、風呂も。蓋が一部ぬるぬるしていたのでそれも擦っておいた。出ると緑茶をつくる。母親が(……)くんの動画を見せてきたが、スマートフォンを受け取って見てみると、車輪つきのちいさいボードみたいなものを引きながらエレベーターまえや外をてくてくうろついているもので、もうずいぶんよくあるくな、とおもった。ちょうど一歳半くらいだ。可愛らしい。
  • 英文記事を読むと一時半。そこから寝転がって、ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を書見。ユダヤ教だと死者を悼むカディシュという祈りの文句を唱えられるのは男性だけとされているらしい。三時ごろまで読んで、それからストレッチをした。ストレッチはやはり毎日おこないたい。非常にすっきりする。仮眠を通過したか、あるいは血管に水をとおしてからだのなかをすべて洗い流したかのようなすっきりぐあいだ。読書中のBGMはFISHMANS『Oh! Mountain』をながしていて、やはりFISHMANSと"感謝(驚)"は最高なのだが、そのまま『ORANGE』に移行しており、それを聞きながら種々の姿勢を取ってじっとしていればいいだけなので楽である。その後、きょうのことをここまで記していまは四時半をむかえるところ。

 狩猟の獲物として、庭の石造りの水盤縁に吊すようにして置かれた鴨と兎を見上げて未練たらしく匂いをかいでいる猟犬や、プルーストが書いている、食卓に積みあげられた桃を見上げている食い意地の張った犬のように、生命力にあふれて従順な、ある意味、無心な子供のような動物である犬は、ロペスの絵の中では、無意味で無駄な死を意味する慣用語の犬死にを体現しているようではないか。私たちとしては、カフカの『審判』の最後のシーンで殺されるヨーゼフ・Kが「犬のようだ!」と言い、恥辱だけが生き残るようにだと考えるラストの描写を思い出すことになる。この絵は、ただのリアリズムではなく、異様なのだ。と言うか、絵画のリアリズムという概念にそもそも「異様」は含まれているのかもしれない。本物そっくりに、そこにあるかのように描かれただまし絵的なたくらみとは異なる、もちろん存在論的な不安定な異様さ――。

     *

 シャルダンの小さな静物画に描かれた日常生活の豊かさは、果実や陶器、ガラス、銅やスズの金属のスプーンの豪華さに表われているのではなく(それらは見るからに中産階級的な簡素なものだ)、ガラスや金属の縁を微かに輝かせている柔らかな光にある。褐色の背景と部厚い板で出来た台所用の作業テーブルや配膳室のテーブルに食堂の食卓に出されるまでの間に置かれた食料には骨付きの羊肉も描かれているけれど、まだ肉として解体される以前の毛皮つきの死体である兎たちや鳥たち、彼等が飛んだり跳ねたりしていた生きものであったことを強く印象づける狩猟の道具である銃の火薬入れや獲物袋が一緒に描かれている。シャルダンの絵の中で野兎や野鳥は、確かに死んだ(殺された)自然であり、後脚の片方を青い紐で結ばれ、あるいは片方の脚を壁に釘で打たれて逆さまに吊されている兎は、なにか犠牲者のように見えるではないか。しかし、アントニオ・ロペスの台所のテーブルに置かれた皮をはがされた兎は、その特徴である長い耳を切りとられ、ごくありふれたフランス製の安価なガラスの耐熱性の皿の上にまるで身体を丸めて眠っている桃色の幼児というか胎児のようにも、子豚のようにも見え、焼かれる(ロースト)のを待っているのだ。
 絵画の中に描かれた18世紀のシャルダンの描いた台所の家具や道具類と20世紀のマドリード郊外に住むロペスの台所の家具や道具類を比べてみれば(もとより、台所ほど反・歴史=物語(ヒストリー)的な場所もないだろうし、台所はいつだって、彼の物語(ヒストリー)ではなく下働きの娘(シンデレラ)の物語がはじまる場所だ)、もちろん200年の時間がもたらす手作業で作られた工芸品としての美しさと、大量生産され大量消費されるスベスベと均一的になめらかに型抜きされた製品の凡庸で中性的な清潔さ、とでも言うべき違いがあきらかにあるだろう。シャルダン静物画には、同時代のフランドルやヴェネチアで描かれた、贅沢を大盤振舞いしたような、銀器や狩りの獲物の鳥や魚や山盛りの果物類の描かれた繁栄と生命の祝祭とでも言うべきものとは異質のものがすぐに見てとれるのだが、さらにそういったトロンプ=ルイユ的描写で描かれた艶やかな祝祭的静物画に、紋切型特有の厳粛さで描き加えられるおなじみの頭蓋骨が伝える「この世のはかなさ(ヴァニタス)」というお題目も登場しないのだ。

  • (……)さんのブログ、七月一八日分。二〇二〇年の記事からの引用がおもしろかった。

 (…)実際、分離というのはファンタスムを誕生させるものである。どういうことか。分離において、主体は〈他者〉の中に欠如を見出し、そこを自分の場所にして欠如を生めるのだと述べた。たとえば社会の中に手が足りない職務という欠如を見出してそこに就職し、社会の一員となるような形である。だが、就職したからと言って、本当に社会の一員になれたと言えるのだろうか。職があったとしても自分は役に立っているのか、みんなから受け入れられているのか、この会社の一員と言えるのか、という根本的な問いはつねにある。その会社を引っ張っていっているような立場にあっても、そもそもその会社を経営すること自体が社会参加と言えるのかという問いが生じる。むしろ社会の一員としてこの社会の欠如を埋めているという考え自体、幻想や空想に過ぎないのではないか。自分が死んでも、確かに周囲は一時的に動転するだろうが、しかし時間がたてば元通り社会は何事もなかったかのように回っていく。自分など、この世界には必要ないのではないか……。
 誰しも一度は憂鬱な気分の中でそんな考えに対峙したことがあるだろう。元気な時はそうは思わず、会社がおれを必要としているんだとポジティヴに思えるが、しかしそれは本来ファンタスムである。この「会社」を「家庭」や「サークル」などと置き換えても良いだろう。つまり〈他者〉の世界の中でひとつの場所を占めているのだという考え自体、ファンタスムでしかないのだ。そのことに気づいてしまい、馬鹿らしくなって会社やサークルを辞めたり離婚したりするような人もいる。このことが明らかにするのはつまり、ファンタスムというのは主体をひとつの場所や人などの対象に括りつけておく機能を持つということである。(…)
 このようにファンタスムとは分離の構造そのものであり、主体を〈他者〉の中のある点に留めておくための道具といえる。この点とは、ここまでは人間関係として述べたが、もっと敷衍して特定の価値観、信条、さらに性的嗜好などにも当てはまる。そしてこの点に留め置かれることによって、具体的な欲望が可能となる。欲望はファンタスムにおいて成り立ち、そして欲望の原因をなしているのが対象 a である。対象 a というのは〈他者〉における欠如を対象化して表すものだ。つまり欲望の根本には〈他者〉の欠如を自分で埋めるというファンタスムが働いているのである。
 (片岡一竹『新疾風怒濤精神分析用語事典』 p.123-124)

     *

 ラカンのファンタスム理論が明らかにするのはつまり、空想でないような現実は存在しないこと、あらゆる価値観や信条などはすべて構築されたもの(フィクション)であり、なんら自然のものではないということである。分離という存在の確立によって、ファンタスムという根源的フィクションが生じるのだ。価値観や信条はこのフィクションのなかで成り立つものでしかない。
(…)
(…)ここできちんと補足しておきたいのは、ファンタスムというのは「あらゆるもっともらしいことは単なる幻想でしかない」というニヒリズムを表すものではないということだ。むしろファンタスムについての考察が明らかにするのは、ファンタスムとは私たちが世界を理解し、世界に対して交渉するために欠くべからざる道具であるというポジティヴな性質である。ファンタスムというのは言葉のもっとも真正な意味において神話と言える。神話というのは原始部族が世界を理解するために作った「お話し」であり、この神話に依拠することによって彼らは、世界とは何か、自分たちはどこから来て何処へ行くのか、ということを理解するのだ。宗教はもっとも上手く構築されたファンタスムのひとつである。そうしたお話しによって私たちは「何でもありで、すべてが無意味」というニヒリスティックな状態から脱し、世界や人生を意味のあるものとして捉えることができる。ファンタスムとはニヒリズムから脱するための道具である。
 それは原始部族の話で、科学を手にした私たちはファンタスムから抜け出していると言えるだろうか。もちろんそんなことはない。先ほど話した恋愛や社会参加の例にも表れているように、私たちは今もなおファンタスムを用いてしか〈他者〉と交渉できない。
(…)
 ファンタスムはこうした語りえないもの(現実的なもの)を語りうるもの(想像的、象徴的なもの)であるかのように見せかけるヴェールである。人が死体を放置しておけないのは、そこでは死という現実的なものが剥き出しにされてしまっているからだ。それには葬儀や喪という形で象徴界想像界によって覆いを掛けなければならない。
 (片岡一竹『新疾風怒濤精神分析用語事典』 p.124-125)


ここを筆写しているあいだ、「ファンタスム」というのはやはり「物語」や「意味」とかなり近い概念なのだなと思った。この見立てに即していえば、「現実界(現実的なもの)」とは、結局、この世界を生きるこの生が、根本的には無意味であるという事実(の認識)だろう。主体は言語=他者の世界で主体化せざるをえない(疎外)。だが、その言語=他者の世界も、根本的には欠如を孕むもの(無意味)である(「大他者の大他者は存在しない」)。そこで主体はみずからの欠如と、言語=他者の世界の欠如を重ね合わせることで、空虚の充足を試みる。それが「ファンタスム」であり、「意味」であり、「物語」であるのだと、大雑把であるがひとまずそのように理解してみよう。

  • いま零時二〇分すぎ。この日三度目となる瞑想をおこなったのだが、瞑想とか坐禅とかの本質は、やはりただなにもしないというその一点だろうと再実感した。作為性とか操作性とか意思とか能動性とかを発生させない、というか、そもそもそれらが発生しないような無行動の停止領域にいつづける、ということ。それは世界にさらされることであり、もろもろの属性とか関係とかアイデンティティとかを一時休止して一個の存在性でしかなくなることであり、自由と自足のひとつの実現形態である。このときはわりとその無作為性に浸れたような気がした。一個の存在性が、その還元された存在性においてすべてと通底し、一個であったものが無限へと流出するかのように、あるいは無限から流入されるかのようにひろがり拡大すると、そこであたかも自己と世界が合一したかのような感覚が起こるのかもしれないが、そんなことにはなりたくない。ただ一個の自己が超越と同一化するなどという事態は神秘主義的宗教者にまかせておけば良いのであって、そんなおおげさな誇大妄想的な状態になどはいりたくない。あくまでただのひとつぶでありたい。
  • 瞑想しているあいだに、もう日付もかわってきょうは七月二一日かとおもい、七月二一日というと語呂合わせでオナニーの日だとくだらないことをおもったのだけれど、同時にこの日付ははてなブログの古いアカウントをつくった日でもある。なぜそれがわかるかというと、じぶんは種々のアカウントのパスワードを、それをつくった年月日と時間にすることがおおいからで、いまはもうブログをやっておらず(……)さんのブログを見るときにだけつかうアカウントが二〇一四年の七月二一日に作成されたのだ。七年前か、とおもった。ついで、じぶんが読み書きをはじめたのはそのまえの二〇一三年の一月だから八年半、しかし二〇一八年は鬱状態で死んでいたから実質七年半、と計算して、じぶんはまだ七年半しか読み書きをしていないのかとおもった。いぜんだったらたぶんもうそんなにつづけたのか、大したもんだ、とおもった気がするのだが、このときは、七年半じゃぜんぜんながくないな、という感覚になった。
  • 歯磨きをしつつ、またその後もあわせて2020/7/21, Tue.を読みかえし。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)を読んでおり、いくつかの部分に註釈めいたコメントを付していて、それがなかなか丁寧な手つきだ。内容としては目新しいことはなく、大しておもしろいものではないけれど、たとえば下の一段落のようなかんじで、このあたりのパラフレーズはけっこう丹念だとかんじる(この訳書にも影響されて、いかにもフランス現代思想チックに〈〉をもちいているのは鬱陶しいが)。

それは措いておきつつ先に進むと、この段落のその後の記述(265~266)は、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう。だが問題は、生きて欲動的で悦楽的なわたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとするこの方法を、政治的装置が長いあいだ認めるかどうかということである」となっており、この箇所も一応わかるようなよくわからないような微妙な感じだ。上では「構造化」という語を「構造」を形成(生成?)する動きとして理解していたのだが、「もし、わたしが〈わたし自身の身体によって〉政治をうまく語ることができたとしたら、(言述の)構造のなかでももっとも平凡なものを構造化していることであろう。反復によって、いくぶんかの「テクスト」を生みだしていることであろう」という仮定を読むに、「平凡なもの」の「構造」を揺るがせ組み換えることで(いくぶんかの)「テクスト」に変換するような操作 - 働きのことを言っているのだろうかと思われる。意味論的に頑固に〈固まった〉「平凡な」政治的言説を、揺動をはらみつついくらかの拡散を志向する「テクスト」へと〈ほどいていく〉というようなことではないかと思うのだけれど、その後の文によればしかしその「テクスト」はどうやら外観上はもとの「平凡なもの」とあまり区別がつかない様態らしい。だからここからさらに換言すれば、「平凡」で「一般的」な、つまりわかりやすく、ひろく受け入れられ、反復 - 流通するような単一の〈雄々しい主張〉としての政治的言説のなかにひそかに差異をもちこみ(〈植えつけ〉)、部分的に縫い目の組成を組み替えることで単一性に回収されない潜在的複数性を忍びこませる、みたいな話ではないかなあと一応理解しているのだが、この考えをものすごく大雑把に飛躍しつつひらたく翻訳すると、要はいわゆるキャッチーな「物語」としての体裁を保ちつつも矮小化された「物語」に収まらない複雑さを実現するということではないか。「わたし自身の唯一の身体を戦闘的な平凡さのなかに隠しつつ、その平凡さから逃げようとする」方法というのはそんな感じでは? とひとまず捉えている。ここで「平凡さ」に「戦闘的な」という形容語がついているのがちょっと気になったもので、「戦闘的な」などという言葉はロラン・バルトにあまりにもそぐわない語なのだけれど、これはたぶん、単一の〈雄々しい(勇ましい)主張〉を押しつけるような言語形式に(基本的には)ならざるをえない政治的言説一般の様相を「戦闘的な」と言い表しているのではないか。

  • というか、いまスクロールして先のほうを見てみたところ、バルトの註釈はのちにもあったし、さらにこの日読みはじめたらしい『マクベス』も具体的な点をいちいちとりあげながら詳細にコメントしているようで、なんでこいつこんなにこまかく註釈してんの? とおもった。
  • 「この世界で何よりも驚愕するべきなのは、何かがかつてあり、そしていまもあるというその存在性の字義的な厚みそのものではないのか?」とのこと。
  • ロラン・バルトによるロラン・バルト』ではあと書中さいごの断章についてながながと読みをしめしているのだけれど、これは正直けっこうおもしろかった。なかなかよく読んでいるな、というかんじ。本文と、それについての考察を引いておく。

 「果てしなく続く衣服を身にまとっている女性を(もし可能なら)想像してみてほしい。その衣服はまさにモード雑誌に書かれていることすべてで織りなされているのである……」(『モードの体系』より)。このような想像は、意味分析のひとつの操作概念(「果てしなく続くテクスト」)を用いているだけであるから、見かけは理路整然としている。だがこの想像は、「全体性」という怪物(怪物としての「全体性」)を告発することをひそかに目ざしているのだ。「全体性」は、笑わせながらも恐怖をあたえる。暴力とおなじように、つねに〈グロテスク〉なのではないだろうか(それゆえ、カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができるのではないか)。
 べつの言述。今日、八月六日、田舎で。光り輝く一日の朝だ。太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き。何もつきまとってこない。欲望も攻撃も。仕事だけがそこにある。わたしの前に。一種の普遍的な存在のように。すべてが充実している。つまり「自然」とはこういうことなのだろうか。ほかのものが……ない、ということか。〈全体性〉ということなのか。
  一九七三年八月六日―一九七四年九月三日
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、273; 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」)

  • この断章の第一段落においておそらく「全体性」は、やや両義的でありながらもどちらかと言えば否定のほうにかたむいた概念として評価されていると思う。そもそも何かを「全体性」として捉えるとき、その物事の範囲と(大きな)形は確定され、輪郭と境界線が(つまり内と外が)さだかに区切られなければならないはずだから、これは「終わり」とか「完結」とかと順当に結びつく概念であるはずだ。「全体性」は完結し、終わりをむかえて閉ざされている。したがってそれはもっとも大きなレベルでは形態的に停止しており、〈固まって〉いるわけで、バルトは〈固まって〉いるものが基本的に嫌いだから彼が「全体性」を否定的に捉えていたとしても何も不思議ではない。この箇所で述べられている「果てしなく続くテクスト」という「操作概念」はもちろん、終わりに到達せずに「果てしなく続く」わけだから、端的に「完結」や「停止」に抗うものであり、その概念が「全体性」の「告発」を(ひそかに)「目ざしている」というのはたぶんそういうことだろう。
  • ただそのあと、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」というのはどういうことなのかいまいち体感として理解できない。その次の、それは「暴力とおなじ」で「つねに〈グロテスク〉」であるという点はまだしもわかるような気がする。ある物事を「全体性」として捉え確定させる思考のうちには、何がしかの「暴力」が含まれているように感じられるからだ。それはたとえば、ひとつの事態の複雑性を通有的な「物語」へと俯瞰的に抽象化するようなときに起こることだろうし、よりひらたく言えば、あらゆる人種差別的な主義信条だって典型的にそうなのではないか。「全体性」を(そのひとつの形態として)いわゆる(出来合いの、お手軽な)「物語」という概念にもし翻訳できるのだとすれば、「全体性」が「笑わせながらも恐怖をあたえる」ということも納得が行くような気がする。「物語」はたしかに面白く、容易に理解可能で、楽しみを与えてくれるものではあるが、「物語」に依存しすぎてそれに取りこまれてしまった思考には毒のような要素が含まれることもままあるし、その悪影響を外部に撒き散らすことももちろん多く、有害な種類の「物語」が力を持ちすぎれば「恐怖」という言葉が誤りになるほどの惨状をくりひろげることは充分にありうるからだ。そのことは二〇世紀の(まさしく「全体主義」の)歴史が証明している。そのあとに括弧で付されていることだが、そうした「全体性」が「カーニバルの美学のなかでのみ、取りこむことができる」というのはやはりどういうことなのかまだよくわからない。まずもって「カーニバルの美学」とはいかなるものなのかこちらには何の知識もない。「倒錯」という言葉に集約されるような、日常的な秩序の一時的(例外的)逆転、というようなイメージくらいはあるけれど。
  • 後段に移る。『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のまさしく締めくくりである「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章においては、上にもろもろ書いてきた前段よりも、むしろこの後段のほうが重要な意味を持っているのではないかという感覚があるのだが、ただその「重要な意味」を完全に明確にとらえることはまだできていない。「今日、八月六日、田舎で」というはじまり方にせよ、それに続く短い名詞の連続にせよ、書き手の〈体感〉を述べている点にせよ、この段落の記述には日記的なおもむきがあるけれど、それによればこの文を書いた主体はこの夏の朝に、「何もつきまとってこない」という感覚を体験したらしい。「つきまとう」という語は〈粘り〉のイメージを呼び寄せるものだが、ロラン・バルトは〈固まる〉ことと同様に〈粘る〉ことが嫌いである。面倒臭いのでいま正確な典拠を探すことはしないけれど、彼は色々な箇所で〈粘る〉ことを否定的に扱っていたはずだ(そもそも、「粘る」ことと「固まる」こととは類同的な状態ではないか)。この朝、ロラン・バルトは、「欲望」の〈粘り〉も感じず、「攻撃」に「つきまと」われることもなかった(何かから「攻撃」の意味素を受け取ることもなかったし、自分のうちに「攻撃」的な心的要素を覚えることもなかった)。こういう状態は、彼がたびたび述べていた〈中性〉という概念があらわす意味の一例ではないかという気がするのだけれど、しかしそれはおそらく「無為」とは違う。なぜなら「わたしの前に」は「仕事」が、すなわち〈やるべきこと〉があるからだ。だからいわゆる「東洋」の仙人風のイメージを帯びた「無為」とは異なり、バルトは意味からも義務からも完全に解放されているわけではないと思うし、このときはむしろ「すべてが充実してい」た。「充実」という語は密に詰まった状態を意味するから、そこには「動き」がなく、事象や事物は〈固まって〉いるのではないかという気がするし、そのことはここの記述の表現形式にもあらわされているように感じられる。なぜなら、彼がこの夏の朝に「田舎」(おそらくユルトの別荘を指しているはずだ)で体験した具体的な事物は、すべて名詞として並べられているからである(「太陽、暑さ、花々、沈黙、静けさ、光の輝き」)。名詞とは言うまでもなく、(すくなくとも日本語においては)活用せず、形としてほぼ変化しない(〈固まって〉いる)言葉である。もちろん現実の事態としては「暑さ」には波があるし、「花々」はたぶん大気の流れに揺らいでいるだろうし、「静けさ」が一瞬も乱されないということはないだろうし、「光の輝き」は一定の状態にとどまりはしない。ただ、ここで記述されている状況は、意味論的には〈固まって〉いるのではないかということだ。それにもかかわらず、それは〈中性〉に通じる事態としてとらえられているように見えるし、この「八月六日」の朝におけるロラン・バルトはあきらかに肯定的な状態を体験しているように思われる(こちら個人の主観では、バルトはここでほとんど恍惚的な自足状態に入っているようにすら感じられる)。
  • そして、おそらくさらに注目するべき言葉は次の一文である。「つまり「自然」とはこういうことなのだろうか」と書き手は自問するのだが、「自然」という語はロラン・バルトが一貫して闘いつづけ抗いつづけてきた、彼の最大の敵とすら言えるほどの概念であるはずなのだ。正確に言えば彼が闘争してきたのは「自然らしさ」に対してであり、それはまた「擬 - 自然」(偽 - 自然?)であり、要するに本当はまったく「自然」ではないのに歴史的起源を隠蔽されてあたかも「自然」であるかのように(この世の一番最初からそこにそのようにあったかのように)受け容れられている物事の暴力性なのだが、その闘争の果てに彼は、「自然」などというものはない、すべては「文化」であり(人為であり)「言語活動」であるという立場に至っていたはずである。ところがそういう個体であるはずのロラン・バルトがここでは、まさしくその身体でもって「自然」を〈体感〉している(すくなくともその可能性をみずから考え、認識している)ように見える。だからこの最後の段落は、この書物のなかでもロラン・バルトの活動全体のなかで見てもかなり重要なものなのではないかと思うのだけれど、そこで「自然」はまた、「ほかのものが……ない、ということ」、すなわち〈全体性〉なのだろうか、とも問われている。「ほかのもの」が「ない」ということは事態がそれ以上進まないということであり、付け加えるものが何もないということであり、意味がそこから滑り出していかないということであり、したがって「終わり」であり「完結」であり「停止」である。だからそれは上で見てきた「全体性」とおなじものであるはずなのだが、しかしこの書物における最後の文ではその「全体性」が、〈全体性〉に変化しており、あきらかに前段とは違う意味を帯びた言葉に変質している。だからこそバルトはこの段落の冒頭で、まず最初に、「べつの言述」という注釈を明示したのではないか。
  • 「全体性という怪物(Le monstre de la totalité)」の断章前半において、「全体性」はどちらかと言えば否定的なニュアンスを与えられていたし、ロラン・バルトの活動を総体として見てもそうだろう。そして、「自然」の概念も同様なのだが、『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の最後にいたって書き手は、それまでみずからが否定的なものとしてとらえ、闘争してきた対象が、反対に自分が長いあいだユートピアとして称揚してきた(それどころか「闘争」における戦術として利用すらしてきた)〈中性〉という概念に通じる側面を持っているということを、身をもって(「身体」において)まさしく〈体感〉してしまっているように見える。もしそのように理解することができるとすれば、この最後の記述はいわゆる「回心」の体験(たとえばルターやアウグスティヌスをはじめ、宗教者の経歴によく出てくるあの「啓示」)を書いたものとして読むこともできるのかもしれない。
  • さらに問題含みと言うか意味深なのは、最後の行に示されたこの著作の執筆期間をあらわす数字である。この二種類の年月日が執筆期間を示しているのは確かなことで、なぜなら書中のべつの断章(「友人たち(Les amis)」)に、最後の断章が書かれた日付としてこの「一九七四年九月三日」が明言されているからだ(「不思議な力によって、この断章は、すべての断章のあとに最後に書かれたのだった。いわゆる献辞のように(一九七四年九月三日)」; 85)。だから「一九七三年八月六日」のほうも素直に執筆がはじまった日を指していると考えて良いと思うのだが、そのときすぐに気づくのは、「八月六日」という日付は上でその意味合いを検討した最後の段落に書きこまれている数字であり、したがってバルトに「回心」が起こったまさにその日だということである。厳密に言えばこの「八月六日」は、「一九七三年」ではなく「一九七四年」のその日だという可能性もあるのだが、そのような偶然を考えてもそれ以上何の思考にも繋がらないのでそちらの道筋についてはいまは措く。この「八月六日」が「一九七三年八月六日」なのだとしたら、「何もつきまとってこない」「光り輝く一日の朝」を体験したそのおなじ日にバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の執筆をはじめたということになる。ということは、断章中で「仕事だけがそこにある」と言われていた「仕事」というのは、この書物のことなのか? また、この「回心」の体験があったからこそバルトは『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を書き出したのか? などと根拠のない想像をたくましくしてしまうことも避けられないが、しかしいま手もとにある情報の範囲ではそれを確定させることはできないだろう。いずれにしてもこの「八月六日」と「一九七三年八月六日」の一致は意味深長であり、意味深長であるということはその意味を明晰に見通して汲み尽くすことができないということなのだが、こんな一致はなんだかどうもできすぎじゃないかなあという気もしてくるもので、そうすると最後に据えられた数字も本当に真正な執筆期間を示しているのかどうか疑わしくもなってきて、作中すくなくとも三箇所に書きこまれているこれらの数字は、バルトがこの書物をひとつの「作品」として(虚構的に)構築するにあたっての戦略の一環だったのではないかという可能性も浮かんでくるけれど、先にも述べたようにそれを事実として確定させることはできない。
  • そのあと『マクベス』を読んで気づいたことかんがえたことの記述が個々の部分に即してあったり、またバルトの文章への言及があったりするのだが、全体的にこの日はずいぶんよく読みよく書いているなという印象だ。分析や考察として鋭いというほどのものはないが、〈かたなし〉とか、〈接続から切断へ、分離から融解へ〉とか、定式化のことばえらびがなんかけっこう気がきいている気がするし、内容は措いても端々で文がうまくながれはしっているかんじがあって、なかなかよく書けているではないかとおもった。多少の印象を得たところをまとめて引く。

上のバンクォーの発言からわかることはもうひとつある。彼にとっては魔女たちの「予言」(マクベスがこれから「コーダーの領主」になり、さらにいずれは「将来の国王」にもなるという予言)は明確に「いい知らせ」であり、「悪いこと」ではないということだ。したがってバンクォーは「いい」と「悪い」をさだかに区別し確定できるような精神性を持ち合わせているのだが、マクベスのほうはそうではない。なぜなら彼は魔女たちの「予言」が「いい」ことなのか「悪い」ことなのかしっかりとした判断をくだせず、バンクォーにとってはあきらかに「いい知らせ」であるものを「悪いこと」と混同して「おびえ」ているからだ。そのためにマクベスは〈動揺〉するのである。対してバンクォーは、魔女たちの言葉になど惑わされない堅固な〈不動性〉をその精神にそなえている(「おれはおまえたちの好意も求めず、おまえたちの憎悪も恐れぬ男だ」(19))。

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以上に述べてきたことを踏まえて、二五ページの段階までで理解できるマクベスの人物像をまとめておきたい。まず、彼は〈動揺〉する人間である。彼は外部からの影響を受けやすく(英単語を使うならばsusceptibleで)、魔女たちの言葉にやすやすと惑わされてしまうほど地に足がついていない。それを言い換えれば、彼の精神は確固とした形を構築していない非 - 定形な(もしくは不定形な)ものだということだ。そして、明確な「形がない」という性質はまた、魔女たちが去っていくときにあらわしたものでもあった(「形あると見えたものがふっと消えた、/息が風に溶けこむように」(21))。先の記述ではこちらはそれを〈非形象性〉という語に要約したけれど、その言葉を〈無形性〉と言い換えてみてもたぶん悪いことではないだろう。魔女たちに「形がない」のと同様に、マクベスの精神はまさしく〈かたなし〉であり、したがって彼はみずからの自我をさだかに固めて保つことができず、魔女たちの「予言」は至極容易にそのなかに侵入し、感染する。マクベスが登場の瞬間からすでに魔女的圏域にとらわれていることは、上にも触れたとおりである(「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18))。

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(……)『マクベス』のなかでは一般的な二元的秩序が逆転しているということになるのかもしれない。それはまさしく魔女的世界のありさまである。つまり、通常はつながっているはずの〈外面〉と〈内実〉を結ぶ回路が切り離されてしまうとともに、通常は截然と区切られているはずの「いい」「悪い」の境界も曖昧に崩れ去り、ふたつの領域は混ざり合って区別できなくなる、ということだ。したがって、魔女たちの秩序反転的な影響力はもしかするとマクベスのみならずこの劇世界の全体に浸透しているのかもしれず、もしそれが確かだとすればその倒錯的作用は、〈接続から切断へ、分離から融解へ〉という定式に要約できるだろう。

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三五ページではダンカンに先立って帰城したマクベスをむかえた夫人が、「あなたのお手紙を読んで、なにも知らない現在を/たちまち飛び越え、いまの私はもう未来のなかに/呼吸している思いです」と気持ちをはやらせているけれど、この部分に夫人とマクベスの類似点および相違点がともにあらわされているように思う。相違点については今日(七月二四日に)読み返していてあらためて考えたものであり、いまこの二一日の日記を書くにあたっては面倒臭いのでまだ触れないけれど、類似点というのはこの夫婦の二人とも〈想像者〉だということだ。両者ともいま目の前にない観念的な未来を積極的に志向する人間である。ここまで読んだところで、特に根拠はないけれどなんとなく、マクベスが恐れているのは未来そのものなのではないか? という思いつきが浮かんできた。簡潔に振り返っておくと、彼において恐怖の対象となるのは目の前の(すなわち現在の)現実ではなく、想像によって表象された未来である。二五ページに示されていたとおり、仮構的に時を超えた先で生み出された未来の想像は、すぐさま時の回廊を駆け戻って現在のマクベスの身に波及し、彼の心身を圧倒する(「心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが/生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで/その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか/存在しないように思われる」)。三九ページの台詞(「やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、/早くやってしまうにかぎる」)と読み合わせて、マクベスは想像によって生じた未来の不確定性そのものに耐えられず、それを恐怖し、事態を確定させることを志向するのではないか? とこちらは思ったのだが、これはしかしまだあまり確かな読みではない。ただこう考えたとき、二五ページの記述もそうだけれど、マクベスの心的性質は不安神経症の構造を明確に提示しているということは、不安障害患者だった自分にとってははっきりと理解できることである。不安神経症の患者にとってはまさしく、いま目の前にある現実よりもみずからが幻想的につくりだす架空の可能性のほうが恐ろしく感じられ、その想像上の恐怖が現実の世界を浸食し、その意味体系を完全に変容させてしまうのだ。具体的な例を挙げて説明すると、パニック障害の典型的な症状として電車に乗るのが怖くて仕方がなくなるというものがあるのだが、これはまず一度目の(原初的な)発作症状が発端となる。パニック障害の発作というのは、個々の症状としてはバリエーションがあるが、全般的に死を思わせるような苦しさとそれに伴う圧倒的な恐怖が主な特徴である。で、電車に乗ったときに発作が起こったという最初の体験がトラウマとなり、電車に乗るとまたあのような苦痛が起こるのではないかという予測(想像)によって心身が不安に占領され、そのあまり実際に電車に乗ることができなくなる、というのがよくあるパターンであり、こちらの身に起こったのもそういう事態だった。この予測的な恐怖のことを「予期不安」と呼び、それによって日常生活のさまざまな場面(電車、自動車、エレベーター、美容院、高所、買い物待ちの列、教室、食事処、面接、試験場などなど、この予期不安の対象はほとんどどこまでも拡大される可能性がある)で行動できなくなるというのがパニック障害という精神疾患の主な症状で、これを「広場恐怖」と言う。言うまでもなく予期不安の時点では、発作はまだ実際には起こっていないわけである。また、患者が多大な恐怖を覚える状況も、通常の人間にとっては何ら危険を感じさせることがないごくごく日常的な場面である。それにもかかわらず患者はそこに抗うことが非常に困難なほどの不安と恐怖を見出してしまうのだが、つまるところ彼ら彼女らの脳はみずからの想像によって意味論的体系を畸形化し、本来危険のないところにほとんど純粋無垢な(何も理由のない)危険を感じてしまうということだ。だから不安障害というものは、まさしく「意味という病」の一典型である。

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九九ページ、「斜めに(En écharpe)」の断章。冒頭に、「ひとつには、大まかな知的対象(映画、言語、社会など)について彼が言うことは、記憶しておく必要などないということである。論文(何か〈について〉の論考)など、粗大ごみのようなものだ」という断言があって、対象確定的な文章に対するこの手厳しさには笑う。二段落目では、「彼にとってもっとも必要であるように思われ、彼がつねに用いる概念(つねに一語に包摂されている)を、彼はけっして明確には述べない(けっして定義しない)」とロラン・バルト特有の態度が自述されており、これも彼における基本的な点としてたぶん押さえておくべきなのだろう。「〈テクスト〉のほうは、隠喩的にしか近づけない」と明言され、そのあとに〈テクスト〉を暗示するさまざまな比喩が列挙されているが、そのなかでは「故障したテレビの画面」が一番こちらの好みだ。命題によって定義するのではなく、比喩によって寓意的に表す(またひとつバルト的な用語を使えば、〈形象化する〉)という姿勢は、〈固まること〉に対する彼の忌避感とおそらく関わりがあるのだろう。すべての具体を包含するような総合的定義によって語の意味を記述し尽くして(その可能性・潜在性を汲み尽くして)完璧に形態化してしまうのではなく、具体的なイメージを並べることで余白を保持しながら語が〈ゆるやかに〉かたどられていくような語りを採用し、風通しの良いその隙間からひとつの比喩がまたひとつの比喩を招き生み出すようにして、語の意味が絶えず横滑り的に拡張されていくような事態が目指されているのではないか。だからこれは、哲学的(演繹的)な態度に抵抗する文学 - 小説的(帰納的)な姿勢だと言っても良いのかもしれない。

  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 14: 「ナチかそうでないかを区別するのは、そうそう簡単じゃなかったのよ。信念は固まっていなかったし、雰囲気は一定じゃなかった。今日のシンパは明日はもう敵かもしれないし、その逆だってあった、と」
  • 24: 「でも、死者はわたしたちに宿題を出しているのよ、違う? 死者は弔って克服してもらいたがっている」
  • 24: 「で、どうやって弔おう? 父の名前を呼ぶ、それがすべてだ」
  • 25: 「ユダヤの習慣では、子どもは死者の名前をもらう。(……)それでけっきょく、わたしたちは生まれた子に格別いわれのない英語名をつけた。ときどき、それが裏切りだったような思いに駆られる。わたしは本当に、孫のなかに父が生きつづけるのを拒むことによって、父に裏切られた仕返しをしているのかもしれない」
  • 29: 「記憶のなかの父は、歩きながらうやうやしく帽子を上げて挨拶している。ところが想像のなかの父は、新築の家いえが建ち並ぶ小路で自分が挨拶を送った人たちに、いや、そうでないにしても同じような人たちに殺されて、むごたらしく果てていく。そのあいだをつなぐものがない」
  • 29: 「幼年期の記憶に刻まれたイメージからは、なにも出てこない。美学者ゴンブリッチや哲学者ヴィトゲンシュタインが嬉々として論じた、アヒルの嘴にもウサギの耳にも見えるけれど、同時に両方には見えないあの絵のように、わたしは生きている父と死にかけた父それぞれに胸を締めつけられながら、ふたりの父を分離不可能なひとつの人格に統合することができない」