2021/7/23, Fri.

 ひとにとって、さしあたり・たいていはあたえられている世界、私のまえにまずひらかれている世界は、デカルト的な物心二元論によって枠どられた、たんなる「延長」する〈もの〉の世界ではなく、近代科学が描きだす、客観化され数量化された対象の世界で(end16)もない。世界のなかで出会われる存在者は、〈目のまえに〉、手もとをはなれて「延長」する以前に、つまり客観的に計量可能なひろがりをもって存在するまえに、私の〈手もとに〉(zuhanden)存在している。ハンマーは、一定の質量を有する物体であるまえに、〈手ごろ〉な〈道具〉である。世界のうちの〈もの〉たちはまず延長物としてあたえられ、そののちに道具として使用されるのではない。〈もの〉はあらかじめ「実用物」(プラグマタ)として出会われ、「配慮的な交渉」(プラクシス)の相手として存在している。川は水車をまわし、日の光は路を照らし、ひとを暖める。自然物もまた、つねになにほどかは道具的な存在者である。世界は疎遠なものではない。世界はあらかじめ人間によって住み込まれ、〈もの〉たちはすでに使い込まれている。
 ことがらのこうした消息をあざやかに描きとったのは、だれよりもまずハイデガーであった。ハイデガーが分析してみせたように、ひとつの椅子には机が、椅子と机には部屋が、部屋には家屋が、そのつどの「道具全体性」としてあらわれ、そうした道具全体性に先だたれてはじめて、道具は道具として存在する。道具は、そこで「適所を - えさしめ」られている。――道具であるとは、なにかの「ためにある」(アリストテレス)ことである [註18: Cf. Aristoteles, De partibus animalium, 645 b 14. ] 。道具のうちにはすでに、あるものから他のものへの「指ししめし」(bedeuten)がやどっている。こうした指ししめしの全体が「有意義性」(Bedeutsamkeit)であり、この有意義性が、かくてハイデガーのまなざしのもとでは、「世界の構造 [註19: M. Heidegger, Sein und Zeit, 14. Aufl., Max Niemeyer 1977, S. 87. ] 」をかたちづ(end17)くることになる。
 ハイデガーにあってはこうして、たとえば「浴室のスイッチをおすことで、存在論的な問題が全面的に開示される [註20: E. Lévinas, Le temps et l'autre (1948), PUF 1991, p. 45. ] 」。だが、世界とのより始原的なかかわりを、ハイデガーは見のがしている。それは、ひとはハンマーを手にするまえに、呼吸し、飲みかつ食べなければならないということである。「ハイデガーの現存在は飢えをまったく知らない」(142/199)。ハンマーの手ごろさが確認されるに先だって、ひとは自然の贈与 [﹅5] を味わうことができなければならない。〈手〉もとにある世界は、そのまえに〈口〉にたいして差しだされている。ひとはたしかに〈手〉によって、また〈手もと〉にある道具をかいして世界にはたらきかける。だがそれ以前に、ひとは世界によって養われていなければならない。
 レヴィナスはいう。

 ひとりの〈私〉と一箇の世界とのあいだの具体的な関係から出発しなければならない。後者は、〈私〉にとって疎遠で敵対的なものなのであるから、とうぜん〈私〉を変容してゆくはずである。ところが、両者のあいだの真の本源的な関係、そこで〈私〉がまさしくとりわけて〈同〉としてあらわれる関係は、世界のもとで滞在すること [﹅6] として生起する(26/37)。(end18)

 「世界のもとで滞在すること [﹅6] 」とは、レヴィナスにあってのちにみるように(三・2)、具体的には、「世界を我が家とみなして [﹅8] 、そこに実存しながら滞在し [﹅3] 、自己同定する [﹅6] こと」、つまり〈家〉のうちに住まうことである(ibid.)私は家に住まい、家としての世界に住み込む。世界はたしかに、私ではない [﹅2] ものとして、私にとって〈他なるもの〉であり、そのかぎりで「疎遠で敵対的なもの」である。だが、世界に住まいをもうけることで、私は世界に敵対するのではなく、世界を利用し、かえって世界のうちで安らっている。だから、そこでは「〈私〉がまさしくとりわけて〈同〉(le Même)としてあらわれる」。ここではしかし、ことがらの消息をよりさかのぼって、「ひとりの〈私〉と一箇の世界とのあいだの具体的な関係」を考えてゆく必要がある。「両者のあいだの真の本源的な関係」は、じつは〈住むこと〉以前に生起する。レヴィナスによれば、「享受」として、なんのいさおしも寄与もなく、世界をたんに享受することとして生起する。自然からの無償の贈与をうけいれることとして生起するのである(二・2)。贈与こそが始原的なものなのである(二・4)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、16~19; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 九時のアラームで離床。瞑想OK。きょうもこどもの声が窓外できこえていたが、きょうはただ、えーんえーんと泣いているようすで、なだめているのか叱っているのかわからないようなひびきのもうひとりの声も聞こえ、それも子どものようだったが姉か? きょうはそとにいるのではなく、家のなかからもれてつたわってくるようだった。
  • 新聞は一面でオリンピックの開始を報じている。ラーメンズの小林というひとが、演出担当がなにかを解任されたという記事もあった。過去にコントのなかでユダヤ人虐殺をネタにしていたらしい。ドイツやフランスだったら逮捕されていただろう。本人は、過去のじぶんのおろかな言葉選びを反省している、というようなコメントを出したらしい。たしか「言葉選び」ということばがえらばれていたはず。小山田圭吾の声明よりもいちおう具体性があるのではないか。運営委員会は、小山田のさいにはいったん在任させようとしながら世論の反発を受けてその後本人から辞任、というかたちにしたのにたいし、今回は責任主体としてすぐ解任させたようだ。
  • 政治面には、立憲民主党共産党の関係について述べた記事があった。立民の支持母体である連合は過去に共産党とはげしく対立してきた歴史があるらしく、野党共闘とは言いながらも立民は共産とちかづきすぎたくない。枝野や福山はあきらかにそうらしい。日米同盟や自衛隊を否定したり天皇制廃止を党是としている共産と組むと保守票が離れるというあたまもある(しかし、立民支持の「保守票」とは? そもそも、いまこの日本で「保守」とはなんなのか?)。しかしさきの都議選で一部、独断的な共産党との連携がみられたという。該当候補を叱ると、都議選の選対委員長だったかなにか、たしか手塚とあったか、そのひとの許可はえていると返され、福山哲郎がその手塚氏を、都議選のことだけでなくて衆院選全体のことをかんがえろと叱責することになったらしい。とはいえいっぽうで共産票は捨てがたくもあるわけである。共産党小選挙区で候補擁立をひかえて支援してくれれば、それだけで一選挙区二万だか四万だかは票がえられると書かれてあったとおもう。野党結集の題目もほしいというわけで、六月一五日の本会議で枝野代表は消費税を五パーセントへと一時的に減税するという案を提唱したというが、それが唐突で、根回しもなかったようで、内部からもそんな調子でボトムアップの政治などとよく言う、と冷ややかな声がきかれたらしい。枝野はさいきん、九七歳で存命の村山富市に会いにいって(広島だか山口だかそちらのほうだったはず)、先生が元気なうちにリベラルな政権を実現させます、と言ったらしいが果たして、という記事の終わり方だった。
  • この日はきのうにつづき友人三人と会合。三時まえに(……)に集合だったが、どうせあちらまで出るならたいそうひさしぶりに古本屋に行って散財しようとおもい、はやめに出た。道中のことは忘却。
  • クソ暑かった。(……)の入り口付近にも正午をまわってまだまもない、粘るような暑さの旺盛な陽が射していて、それを背から受けて身に浸透させられながら汗をかきかき店外の一〇〇円棚を見たが、ここでは現代詩文庫を無造作に保持。安藤元雄、釋迢空、室生犀星、吉田一穂と、三人はよりむかしというか戦前のひと。釋迢空すなわち折口信夫が詩も書いていたのは知らなかった。和歌をやっていてそれ用のなまえなのは岩波文庫に歌集があるので知っていたが。ほか、明治記録文学全集みたいなものが一巻あって、なかを見ると横山源之助と、あと講談社文芸文庫にはいっていてすこしまえにはじめて知った田岡嶺雲の『数奇伝』も収録されていて一〇〇円だしちょっとほしかったのだが、全集は荷が重くなるからなあとひとまず見送った。中村元も参加しているアジアの仏教全集みたいなやつも二巻あって、ひとつは中国でもうひとつはインドで、これもほしかったが同様に見送り。
  • それで店内にはいって見分。まわったのは一時間強くらいか? ひさしぶりに来たので(……)さんにあいさつしたかったが不在だった。BGMが良くて、とちゅうで古き良き時代のソウルのいいところをまざまざとあらわしたメロウなソウルみたいなやつがかかったおぼえがある。購入品は以下の一八冊。一万三〇〇〇円強。いつもより詩がおおめになった。荷もだいぶ重くなったが、かさんだ原因のおおきなものは重くてでかい古典文学全集を三つ買ってしまったことである。したのものいがいに気になっておぼえているのは、ひとつはたしか石川学というなまえだった気がするが、東京大学出版会から出ていたバタイユ論で、これはなんだか良さそうな気がした(『ジョルジュ・バタイユ 行動の論理と文学』というやつだ。「第7回東京大学南原繁記念出版賞受賞作」とAmazonの紹介にあり、中島隆博の講評も載っている)。あともうひとつが、クリストフ・シャルルとかいう著者名だった気がするが、『知識人の誕生』というやつで、たぶんドレフュス事件を機に圧政とかに抵抗する者としての知識人像がどのように生まれて定着していったか、みたいな研究だとおもうのだけれど、これはいぜんに(……)くんかだれかに紹介されてそのときから興味を持っていたが、今回は見送り。やはりそう、クリストフ・シャルル/白鳥義彦訳『「知識人」の誕生 1880-1900』というやつだった。藤原書店。知識人論では平凡社ライブラリーから出ているサイードの『知識人とは何か』(という題だったとおもう)をかなりむかしに読んで、その後売ってしまったのだがもういちど読みたい気はするし、あとその本でも引かれていたようなおぼえがあるが、たしかジュリアン・バンダみたいななまえのひとが一九二〇年代か三〇年代あたりに知識人論の古典みたいなものを書いていたはず。『知識人の裏切り』というやつだった。宇京頼三訳で九〇年に未来社から出ている。宇京頼三というひとは、ロベール・アンテルムの『人間』の訳者だったはず(『人間』ではなくて『人類』だった。Wikipediaを見るに、第三帝国まわりでクソ重要そうな本ばかり訳している)。

大沼保昭/聞き手・江川紹子『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(中公新書2332、二〇一五年)
柳瀬尚紀『翻訳はいかにすべきか』(岩波新書(新赤版)652、二〇〇〇年)
渡辺靖『白人ナショナリズム アメリカを揺るがす「文化的反動」』(中公新書2591、二〇二〇年)
・日本マラマッド協会編『ホロコーストユダヤ系文学』(大阪教育図書、二〇〇〇年)
・『安藤元雄詩集』(思潮社/現代詩文庫79、一九八三年)
・『釋迢空詩集』(思潮社/現代詩文庫1002、一九七五年)
・『室生犀星詩集』(思潮社/現代詩文庫1035、一九八九年)
・『吉田一穂詩集』(思潮社/現代詩文庫1034、一九八九年)
田村隆一『詩集 1946~1976』(河出書房新社、一九七六年)
・田中裕・赤瀬信吾校注『新 日本古典文学体系11 新古今和歌集』(岩波書店、一九九二年)
・大谷篤藏・中村俊定 [しゅんじょう] 校注『日本古典文學体系45 芭蕉句集』(岩波書店、一九六二年)
・校注・訳: 松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集18 枕草子』(小学館、一九九七年)
・河島英昭訳『ウンガレッティ全詩集』(筑摩書房、一九八八年)
・クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』(平凡社ライブラリー357、二〇〇〇年)
・ジェルメーヌ・ティヨン著/ツヴェタン・トドロフ編/小野潮訳『ジェルメーヌ・ティヨン レジスタンス・強制収容所アルジェリア戦争を生きて』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス982、二〇一二年)
・浅利誠・荻野文隆編/フィリップ・ラクー=ラバルト・芥正彦・桑田禮彰 [のりあき] 『他者なき思想 ハイデガー問題と日本』(藤原書店、一九九六年)
・塚越敏訳『(普及版)ニーチェ全集15 書簡集Ⅰ』(理想社、一九八〇年)
・塚越敏・中島義生訳『(普及版)ニーチェ全集16 書簡集Ⅱ・詩集』(理想社、一九八〇年)

  • レジは女性店員。半分くらいをリュックサックに入れることにして、重いやつらを紙袋に入れてもらった。礼を言って退出。しかしリュックサックが重すぎるようにおもわれたので、ちょっと駅のほうにもどったところで、たしか不動産屋の脇だったが植込みの段の一部がへこんでいてそこに腰掛けられるみたいな場所があったので、その日蔭に避難し、荷物をおろしてまず(……)駅についたときに買っていた葡萄ジュースを飲んだ。それからリュックサックと紙袋の配分を調節。背負っていて安定するようにバッグのなかの書物のおさめかたも整理し、そうして駅へ。
  • それから(……)に移動して、待ち合わせの時間までいくらかあったのでホームのベンチについて手帳にメモを取っていた。そうしているとそばに女性がひとりやってきて、立ったまま身をかがめてベンチに足をついていたのかなんだかよく見なかったがベンチをささえにするようにしながらあれはなにをやっていたのかわからないが、なにか靴下をなおすかなにかしていたのか、しばらくそうしたあとにホームの端のほうにむかってあるいていき、見ればそのむこう、階段のてまえに静止して待ち受けている男性がいるからあのひとと待ち合わせなのだなと判じられた。真っ白なジーンズにぴたりとつつまれた脚がやたらとほそくてながい女性だった。
  • 時間になって改札へ。出てまもなく発見し合流。(……)の髪型が生真面目でわりと洒落たものになっていた。移動。三人は、細田守新作の『竜とそばかすの姫』を観てきたという。中村佳穂が声優で主役を演じているやつだろうと受けると、やっぱり知ってたみたいな反応が来る。このときだったかのちだったか、(……)に、どこで知ったのかと問われたので、読売新聞の夕刊にPOP STYLEという連載がときどきあって、そこで中村佳穂がとりあげられてはなしていた、とこたえた。主人公は気の弱いというかじぶんに自信がないおとなしい少女で、ただ歌が好きで、ネット上でアバターをもちいて歌姫としての自分を得る、みたいな大枠のストーリーだったはず。中村佳穂は新聞記事で、この少女のさいしょのセリフだったかなんだか、なにかひとことを、どういうニュアンスで言ったらいいかといろいろ試行錯誤してなんども練習した、とはなしていた。あと経歴もちょっと載っていたが、たしか美大だかなんだかわすれたがそちら方面の出身で、美大にすすんだときだかはいったあとだかに、美術方面をやるか音楽をやるかでまよって音楽に決定したとあったはず。だから音楽をはじめたのはわりと遅いといえば遅いというか、二〇歳くらいのころだったはずで、歌はおさないころから歌っていたらしいが、曲作りはさいしょから苦労せず自然に出てくるかんじでできたみたいなことを言っていた。
  • 移動中やその後に(……)の評を聞いたが、とにかくやはり音楽が充実していてそれで持続させて満足できる、みたいなことを言っていたはず。あと、主人公の少女まわりで合唱をする女性の数人みたいなひとびとがいるらしいのだけれど、この女性らの合唱が前衛的というかかなり攻めていて質が高く、もっと聞きたかったのに出番がすくなくてその点すこし残念だった、とのこと。(……)は、役所広司が声優として出演しているようなのだが、彼の声が正直あまり合っていないようにかんじられたといい、こういう、いわゆるアニメ声優ではない俳優が声優をつとめることについて、業界の事情などを(……)くんに聞いていた。
  • 飯屋は「(……)」というところ。スイス料理を食う。料理の説明がしるされた紙をもらってきたのでそれを見ながらつづると、一膳は、牛乳パンに、「レシュティ」という細切りのジャガイモかためて焼いたやつ、「ビュンドナーフライシュ」という牛の干し肉、穴のあいたエメンタールチーズに「ミューズリー」というシリアル的なもので構成されていた。あと、「セルヴェラサラダ」というソーセージサラダも載っているが、これがあったかどうか記憶が定かでない。なんらかの野菜かサラダ的なものはふくまれていた気がするのだが、このサラダではなかったような気もする。「ミューズリー」というのは、「羊飼いが食べていた伝統的な食事をヒントに、スイス人医師のビルヒャー・ベンナーが1900年頃にサナトリウムの患者向けに考案したシリアル食品」という説明が付されていて、「サナトリウム」などという単語を見るといかにも一九世紀末から二〇世紀初頭の雰囲気が香ってくるもので、カフカのことをおもいだした。あとトーマス・マンとかバルトとか。膳のほかにヤギのミルクをつかったというジェラートを注文。こちらはひとりでひとつ、ほかの三人はひとつを三等分して食す。コロナウイルス対策だろう、店の側があらかじめ三つにわけて出してくれた。
  • 用紙のべつの面にはスイスの地図および言語分布が描かれてあるが、フランス語圏、ドイツ語圏、イタリア語圏のほかに、ロマンシュ語圏というのも一部あって、ロマンス語ってなんだというのが話題になったがよくわからない。たしかロマンス語族みたいな区分があって、南欧のラテン系言語のくくりだった気がするのだが、だからイタリア語とかにわかれるまえの古いかたちの一言語なのでは? みたいなことを言うと、(……)もそんなかんじだったとおもう、と同意をかえしたが、真相は知らない。(……)
  • BGMはべつにスイス音楽だというわけではなく、スイスのラジオ局をかけているらしかったが、ジャンルもべつに統一されているわけではなく、メロウなソウルみたいな気持ちの良いやつがここでもかかったときがあったが、ほかには"Eye of the Tiger"とか、The Beatlesの"Lucy In The Sky With Diamonds"とかがながれていた。
  • 退店したあとは(……)のバッグを見に各所をまわるが、やつがピンとくる良いものは見つからない。移動中に、(……)がいぜん、ソ連映画特集みたいなものを見に行って、そこでタルコフスキーを見たというはなしが出たので、おお、と受けた。しかしやはり一般的な、ストーリーのある映画のテンポになれた身としては、眠くなるようだった、とのこと。なんかずっと風景みたいなやつなんでしょ? とたずねると、ぜんぜん動きのないカットがめちゃくちゃながくずっと映されて、そこでひとがよくわからないセリフをつぶやく、みたいな説明があったので、あ、でもセリフあるんだとおもった。まあいかにもアート映画、っていうかんじだろ、たるいだろ、とまとめたが、「たるい」(かったるい、退屈だ)というのはタルコフスキーのなまえにかけたわけではなく、口に出してからつまらん駄洒落ととられるおそれに気づいたのだが、そこはわざわざ言及せずに黙っておいた。ほか、タルコフスキーは『ソラリス』という映画も撮っているらしく、これはSF映画の古典みたいな位置づけをえているらしいが、そのなかで日本の首都高が映されるといい、それはタルコフスキーが日本に来たときに、ああいうかんじで都市のなかに高速道路が通っているのは海外ではめずらしいらしく、それにつよい印象をうけて映画に取り入れたらしい(その都市内高速道路はよく知らないがたぶん一九六四年の東京オリンピックのさいに建設されたもののはずで、先日(というのはこの二三日から見ると数日後だが)読んだwebちくまの蓮實重彦の時評みたいな記事では、それによって都市の景観が損なわれたことに若き蓮實重彦は激怒し、とりわけ生まれ育った六本木の交差点のながめが壊滅的に破壊されたことに怒り狂ったと記されてあった)。で、『ソラリス』というのはおぼえがあって、なんとかスタニスラフみたいななまえのSF作家が原作だろ、と言い、数年前に翻訳がたくさん出たときにTwitterで海外文学好きを標榜しているひとびとが盛り上がっていたのをおぼえている、とはなした。これはスタニスワフ・レムという名だった。ポーランド出身。書店で見かけてそこそこ気にはなっていた。国書刊行会から「レムコレクション」というのが出たのだ。沼野充義などが訳している。しかしWikipediaを見るに、「レムコレクション」は二〇〇三年か〇五年あたりから出ていて、こちらが知ったよりもずいぶんはやいなとおもったが、『短篇ベスト10』とか『主の変容病院・挑発』という巻が二〇一五年および一七年に出ているので、Twitterで話題になっていたのはこれだろう。これらが出るとともに、過去に訳されたシリーズもいっしょに書店で平積みされたということだろう。
  • 店をまわっているあいだは(……)とちょっとはなし。United Arrowsなどにもはいったのだが、まあこういうかんじのスタイルが好きでいままでずっとそれで来たけど、さいきんはもう飽きてきたな、とはなした。(……)の(……)でだいたい買っていたわけだが、ああいう駅ビルの範疇の品に飽きてきた、と。こういうかんじだというのがもうわかりきっていて新鮮味がないわけだ。ほんとうは街中でもっと小規模にやっている店とかにいって、ピンとくるやつを探りたい、それか古着屋がやっぱりいちばんおもしろいんだろうね、服が好きなひとにとっては、と。
  • その後、(……)をはなれて(……)家に行くために(……)に移動したのだが、家にむかうまえに駅前の(……)で鞄屋を見る。「(……)」という店。意外と洒落たものがある。(……)はやはり(……)で見たやつがいちばん良かったようでここでも買わなかったが、かわりにこちらが、POLOの小さなバッグを発見し、ピンときて、配色が良かったし、もともと二万の品が半額になってしかもそこからさらに三〇パーセント引きとされていたので、これふつうに買いだろとおもって購入を即決した。ビリジアン的な緑と黒と鈍くややくすんだ白が長方形として組み合わされたショルダーバッグで、札を見るに「USPA-1845G」というナンバーで、これ(https://item.rakuten.co.jp/sacs-bar/uspa-1845/(https://item.rakuten.co.jp/sacs-bar/uspa-1845/))の、左端が緑色になっている品。「オランダの画家、モンドリアンの抽象画にインスピレーションを受けた」などと記されてある。モンドリアンってオランダのひとだったのか。カンディンスキーにつらなるなまえなので、ロシアのイメージを持っていた。
  • (……)家ではだいたいエレキギターを借りていじるなど。似非ブルースならいくらでも弾いていられる。あと、こちらが尻を下ろすスペースとしてヨガマット的なものを引いてくれたので、他人の家だがストレッチをして下半身をやわらげるなど。夕食にはピザを取ってくれた。(……)を(……)に送るのだが、その文章の作成をいくらかこちらが担当する。文を書くとなるとやはりすこし熱中するというか、かたむきが生まれて、みなが到着したばかりのあたたかいピザをとりあげて食っているのにこちらは画面を見ながらキーボードに触れて文言をかんがえる。じきに(……)が替わってくれたので、それでようやく夕食にありつく。
  • 帰路と帰宅後は忘却。(……)くんが転職内定し、八月から九月の終わりまでだったか、めちゃくちゃ長く有給を取るという情報があったので、九月中にでもまた遊ぼうと。それか盆か。過去最高の感染者数を更新している現状、コロナウイルスがどうなるかわからないが、(……)家に行くくらいだったらそんなにリスクはないはず。それに、ワクチンも打つひとが増えているから、九月にはたぶんわりとおさまっているのではないか。しかし、オリンピック開催を強行してそのなかで感染者が過去最高となるのだから、不謹慎かもしれないけれどちょっと笑ってしまうようなお粗末な状況であり、ニュースで喋っているさまが映されたり、CMの合間にも登場して呼びかけをする政府の分科会の尾身茂会長の表情も悲痛になるわけだ。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 113~114: 「いつも感じることですけれど、死に瀕してしかじかのふるまいをするべきだった、と殺された人に要求するのは、生者の傲慢というものでしょう、英雄よろしく無益な抵抗をこころみてほしかった、殉教者よろしく平静でいてほしかったと思うのは、そう考えれば彼らの死がわたしたちにとって耐えやすくなるからです。彼らはわたしたちのために死んだんじゃない、わたしたちだって、ええ、彼らのために生きているわけじゃ(end113)ありません」
  • 115~116: 「そして今年 またこの年も(end115)/わたしたちの断食をもってあなたがたの断食を尋ねる/だがだれが穴中のあなたがたを捜し出せよう? わたしたちは目が見えない!」(「ヨム・キプール」と題されたクリューガー作の詩)
  • 120~121: 「わたしは読む、子どもたちはポーランドのビャウィストクから来た、そこはガス室の情報が知れわたっていた。子どもたちは十月に五十三人のユダヤ人「保護者」とともにテレージエンシュタットから移送された。みんな外国へ行くと信じていたが、行き着いたのはアウシュヴィッツでの死だった。保護者のなかにカフカの有名な愛妹、オットラがいる。亡くなったカフカはまだ世界文学の仲間入りを果たしていなかったから、当時のオットラはまだ無名だったけれど。その年の夏、カフカの六十回目の誕生日がゲットーで祝われた。オットラはその祝いに参加した。テレージエンシュタットでは文化(end120)は価値をもっていた」
  • 124: 「遊んでいる子どもにまじって、わたしの亡霊たちが見える。たいそうくっきりした輪郭をして、ただ透きとおっている。幽霊に似つかわしい、幽霊のあるべき姿。生きている子どもたちは堅固で、大声を上げ、地に足をつけていた。わたしはほっとして立ち去った。テレージエンシュタットは収容所博物館にならなかった。それは人間が生活する町だった。一八四〇年代にザールの兵士たちの陰鬱な町だった町、一九四〇年代に人でごったがえすわたしの通過収容所だった町は、また居住性と習慣を取り戻していた」
  • 125: 「人を生きながらえさせたのは希望だと言われる。けれど本当のところは、希望は恐怖の裏返しだった。恐怖は舌の上の砂のように、血管の中の麻薬のように感じられ、強い感覚をもたらすから、人を生きながらえさせる。希望の原理ではなく恐怖の原理と呼ばなければならないところだろう」
  • 126: 「絶望には、ボロフスキーが希望の上位に置いた勇気をふるいおこさせる絶望のほかに、もうひとつ「ムーゼルマン」という現象に現れた無気力な絶望がある。ムーゼルマンとは、強制収容所において生存意欲をすっかり喪失し、自動人形さながらの反応しかできなくなった自閉症のような人びとをさしていた。その人びとはもはや救いようがないと言われた。ムーゼルマンになるともう長くない、と忠告を受けた」
  • 131: 「狭い空間で死の恐怖を味わったことがある人は、体験を手がかりに、わたしが述べたような移送にたいする理解の橋をもっている。わたしが自分の移送を手がかりにガス室での死をある意味で理解するのと同じように、いや、理解したつもりになっているのと同じように、いったい、人間の遭遇するさまざまな状態に思いを馳せるとは、知っている事柄から認識できる事柄、似ていると認め得る事柄を導き出すこと以外のなんだというのだろう。比較なしには立ちいかないのだ」
  • 132: 「信じられないかもしれないけれど、アメリカ人のなかには、あなたたちの防空壕の体験を食事どきに持ち出すことを途方もない悪夢のように思っている人すらいる。ひょっとしたらあなたたちの家庭にさえ、もうそういう子どもが出てきているかもしれない。わたしはあのころ、戦争が終わったらわたしは面白くて大切な話しをしなければならなくなるんだ、と思い暮らしていた。ところが人は耳を傾けたがらなかった。たとえ聞くにしても、その態度はどこかぎくしゃくしていて、対話の相手に向きあうのでなく、不愉快なおつとめをしぶしぶ引き受ける者の気配があった。どうかすると嫌悪感にひっくり返りそうな、一種の畏敬の念があった。畏敬の念にしろ、嫌悪感にしろ、いずれにしろこのふたつの感情は補いあう。なぜなら嫌悪の対象も畏敬の対象も、人はわが身から遠ざけるものだから」