2021/7/24, Sat.

 ひとは、「大気」を吸い込み、日の「光」を浴び、さまざまな「風景」を目にし、それを愉しみながら生きている。より正確にいえば、それら「によって」(de)生きている。たんに呼吸することでさえ、大気を享受することである(cf. 154/216)。
 ひとは、しかし風の流れで大気を認識し、光のなかで〈もの〉のかたちを枠どることで、ある意味ではそれを構成 [﹅2] し、風景をみずからに表象 [﹅2] しているのではないか。そうもいわ(end20)れよう。だが、たとえそうであるとしても、世界を認識するためには、私はまず生きていなければならない。構成されたものであるはずの世界が、世界を表象するための条件、生の最下の条件をととのえている。「私が構成する世界が〈私〉を養い、私を浸しているのである」(136/190)。大気や光、世界の風景は、まずは「表象の対象」ではない。かえって、「われわれはそれらによって生きているのである」(Nous en vivons)(前出)。
 風や光や風景は「生の手段」でもなければ、「生の目的」でもない(同)。ひとは生きるために [﹅3] 呼吸をしているのではなく、呼吸をするために [﹅3] 生きているのでもない。私はただ、大気を吸い込み、そのこと、つまり〈息をすること〉によって [﹅4] 生きている。大気や光、水、風景は私の「享受」(jouissance)へと、つまりは「味覚」(113/158)へと供され、私の〈口〉に差しだされている。世界は私の「糧」(nourriture)であり、「糧を消費することが、生の糧である」(117/165)。世界を構成しようとする、たとえば超越論的現象学のくわだてが結局は「失敗」してしまうのは、世界が私の「糧」であるからである(cf. 157/220)。〈糧〉としての世界の受容こそが、比喩的にいえば、経験の原受動的な層をかたちづくっている。
 世界をたんに表象するとき、世界は私のうちにとりいれられる。そこでは「〈他〉が〈同〉を規定せず、〈他〉を規定するものはつねに〈同〉である」(130/182)。世界は私の外部に [﹅3] 存在するということ、世界は私とは〈他なるもの〉であること、つまり世界の「外部(end21)性」を、認識はけっきょくは否定する。認識され知られたかぎりでの世界は、認識と知の内部に [﹅3] 存在するからである。世界が提供するさまざまな「糧」によって生きている私は、これにたいして、世界の外部性を肯定する。それはしかも、「たんに世界を肯定することではなく、世界のうちで身体的に自己を定立することである」(133/187)。――身体はたしかに、「世界の中心 [﹅2] 」(ibid.)を指定する。知覚される世界は、身体を中心にひらけている。世界を認識する私は、世界に意味をあたえ、世界がそれにたいして立ちあらわれ、世界の意味がそこへと吸収される、つまり世界という〈他〉が〈同〉と化するような中心点である。だが、身体である私は、まず世界によって養われていなければならない。
 かくして、「裸形で貧しい身体」(le corps nu et indigent)が、なにものももたずに [﹅9] 、ただ身体だけをたずさえて世界に生まれ落ちた〈私〉が「いっさいの肯定に先だって、《外部性》を、構成されはしないものとして肯定している」(133 f./187 f.)。そのいみでは、「身体とは、いっさいの〈もの〉への《意味付与》という、意識へと帰属される特権への恒常的な異議申し立てなのである」(136/190)。純粋意識もまた身体のうちに受肉する。受肉した意識はもはや、無際限な意味づけの主体ではありえない。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、20~22; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 一一時ごろ離床。いつもどおりだ。きょうは陽射しが弱めで、窓外にひかりの色も薄く、どちらかといえば曇りと言って良い天気で、気温もそこまで高くなかった。覚めると例のごとくこめかみや眼窩や喉や腹などを揉みほぐし、そうして水場へ。顔を洗ったりうがいをしたりしたのち、下腹部に溜まった小便をトイレに捨ててからもどって瞑想をおこなった。一一時一四分から。窓外のセミの声がだんだん厚く盛んになってきており、拡散して下地をなすアブラゼミのシートのなかにミンミンゼミのうねりも混ざっている。父親が畑で耕運機をうごかしているらしく、そのひびきもきこえていた。ひとつの機械の駆動音のなかに、三種くらいのひびきが混ざっている。目を開けるとちょうど一五分ほど経って一一時半。だいたい一五分でこのくらいでいいかなとかんじる身体になってきている。
  • 上階へ行き、ひとりの居間で食事。お好み焼きの亜種みたいなものがすこし余っていたので、それをおかずに米を食べる。あとはミョウガと卵の味噌汁。新聞は一面とその裏のさいごのページである三〇面をひとつながりにつかってオリンピックの開幕を大々的につたえている。三〇面に浅田次郎の言が載っていたのでなんとなく読んだのだが、浅田次郎ってこんなかんじの文を書くひとなんだ、とおもった。こういう意見とか感慨とかを述べるエッセイ的なものと小説とではまた違うだろうが。意外と古めかしいような調子で、「だのに」とか、「かにかくも」とか「加うるに」とか、そんな言い方が使われていた。「なのに」を「だのに」と言うひと、たぶんもうあまりいないでしょう。五一年生まれだからもう七〇歳だし、キャリアも長いわけだし文調は安定していてかたちもきちんと整っている。
  • ほか、ミャンマー国軍が拘束したひとびとを拷問しており、死者も出ているという報。目隠しをつけられて三日間くらい飲まず食わずでぶったたかれたりしたという証言が出ていた。水だけは懇願して何度か飲ませてもらえたらしい。女性への性的虐待の報告もあるよう。クーデター以降、いままでに六〇〇〇人以上のひとが拘束され、そのなかで五三〇〇人以上がまだ解放されていないと言われているらしい。マジで終わっている。いつになったら地球は第二次世界大戦と二〇世紀を過去のことにできるのか?
  • 食器を洗ってかたづけ、風呂も擦って洗い、例によって茶を用意して自室に帰った。ウェブを見ながら一服したのち、いつものように書見へ。日記を書かないとやばいし、書きたいという気持ちもあるのだが、やはりまず脚をほぐしてコンディションを調えたくなってしまう。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』をすすめた。メモに取ろうとおもう部分は多い。二時ごろで切って、洗濯物を取りこみに。このときには多少ベランダに日なたが生まれていたものの、やはり色は薄く、空には雲がひろがっていて水色のほうがすくないくらい。取りこんだタオルをたたんで洗面所にはこんでおき、バスタオルのうち一枚だけまだ水気が部分的にのこっているものがあったので、それはハンガーに吊るしなおして網戸にしたベランダとの境のところにかけておいた。風が通るだろうから、それで乾いてくれないか。
  • そうして自室に帰ってくると、きのう買った一八冊の書の一覧をつくって記録しておいた。「購入書籍」というノートをつくってそこに記してある。今年はもうはじまって半年以上も経つというのについこのあいだまでは一三冊しか買っておらず優秀だったのだが、これで一気に三一冊に増えてしまった。箱入りの本がけっこうあるので、いちいちなかみをとりだして出版年を確認したりする。また、どうでも良いのだけれど、リストにおける書名のならべかたをどういう順番にするかも意外と迷う。日本の著者と海外の著者でわけるのは確定しているのだけれど、いぜんはそれぞれ名字のあいうえお順でならべていたところ、今回は現代詩文庫とか全集とかがいくつかあるので、おなじくくりでわけてその範囲であいうえお順にしてみるか、となった。新書は新書で三つまとめてならべ、現代詩文庫は現代詩文庫で、というかんじ。
  • ここまで記すと三時一六分。
  • それから、七月一九日月曜日の記事をすすめた。本文を終えたところで四時くらいだった。読んだ本からのメモを取ってさっさと投稿するか、それか二〇日のほうにもすすみたいところではあったが、ふたたび臥位になって下半身をやわらげることに。エアコンを止めて窓をひらき、(……)さんのブログを読みつつ太腿などを揉んで血流をうながす。二二日分と二一日分を読んだ。後者の冒頭の、コンタルドカリガリス/小出浩之+西尾彰泰訳『妄想はなぜ必要か ラカン派の精神病臨床』の引用から部分的に抜粋: 「精神分析的診断は、主体の構造によって初めて可能ですから、まさに構造的な臨床と言えます。転移が起こったときから、分析家は主体のパロールによって実験的に展開された構造に取り込まれてしまうと考えることができます。分析家は主体の構造の中で自らの位置を知るのです。つまり、患者のパロールによって分析家が置かれた転移的な位置から、診断が確定されるのです」、「分析家が、第三者の位置に立って、主体の言葉によって作られた転移をよく考えれば、主体が何ものであるかということを語ることができるのではありません。分析家が転移によって患者の構造に取り込まれたときに、患者の言葉が分析家を位置づける場所が重要なのです。分析家にとって診断を下すということは、患者のパロールによって位置づけられる分析家の位置を知ることと同じことなのです。ですから、診断はひとつの治療に他なりません。診断を下すことと、治療の中で起こっていること——分析家はそこに取り込まれています——を知ることは同じことなのです」
  • また、藤本タツキという漫画家の新作、『ルックバック』についての話題が以下。すばらしい作品らしい。「表層批評みたいなものって、もしかすると、十二分に消費されまくった上で過去のものになるのではなく、ほとんどその価値が理解されないまま過去のものになってしまうのかもしれない」というのは、ほぼまちがいないだろうとじぶんはおもっている。(……)さんの言っている意味とはちょっとちがうかもしれないが、表層批評的な分析というか、単純に、(文字テクストであれば)ここにこう書かれてあってここにこう書かれてあって、という唯物論的精密さを発揮するひとがすくないのは、そういう、手作業的労働としての地道な読みが好まれないということと、言ってみれば科学的精神みたいなものが読み手の多くに欠けている、ということではないかとおもうが。批評とか研究とかをするのであれば、それはむしろベースとして前提化されていなければならないはず。とはいえ、個人的な感想とか考察とかをインターネットやその他の場に書くくらいだったら、いろいろ深読みしたり、感情を述べたり、作者の意図なり思いなりを想像したりしても、まあべつに良いとじぶんはおもっている。それは個々人の自由だろうし、そういうことはだれだってやるにはやるわけだし、著述家にしたってたとえばエッセイというかたちでそれをおもしろくやることもできる。ただ、そこに書かれてあることと、そこからじぶんがおもったりかんがえたりかんじたりしたことをあまり区別していないひとがおおいのだろうな、いう気はする。そして、そこはほんとうはもうすこしきちんと区別されたほうが良いのだとおもう。そこに書かれてはいないことをじぶんが想像したり推測したりしているということを自覚し、なおかつ(修辞上の要請からして致し方ない場合もあるだろうが)基本的にはそれらをきちんと想像や推測として記述するということだ。そこがけっこうごっちゃになっているというのはべつにいまにはじまったことではなく、たぶんむかしもそうだったはずで、すくなくとも七〇年代当時はそうだったはずで、だから蓮實重彦が彼の仕事をやり、それがインパクトを持ったわけだろう。そしてその仕事によって状況が改善したかというと、残念ながらそれがこころもとないところで、ここ数年はむしろ悪化しているようにも見える。そこに書かれていないことを自分勝手に都合よく、かつ無自覚に想像して、さらにそれを特権化してしまうという振舞いが、もろもろの作品に触れるときのみならずより広範な社会一般に蔓延すると、たとえば陰謀論とか歴史修正主義みたいな、目に見えないどこかの闇の奥ばかりを志向する風潮が高まるわけだろう。くわえて修辞学的には、歴史修正主義者はみずからの著作を、その深い闇を切り裂いて隠されていた真実をあかるみにさらす光として提示している。というのは、いぜん、ハート出版だかどこだか、ああいうネット右翼的な言説の本ばかりを出している会社の広告が新聞の下部に載っていて(もちろんさいきんもおりにふれて載りつづけている)、そこにそういう文言がつかわれていたのだが。だから彼らは、イメージとしては言ってみれば「啓蒙」を標榜しているということになる。

(……)(……)さんから『ルックバック』が単行本化されるというニュースが送られてきたので、それについて少々雑談。ネット上の意見など見ていて思うのだが、映画であれば表層批評的に作品鑑賞することもできるだろうひとたちが、漫画になった途端いともたやすく深みの罠にからめとられてしまうのはどうしてなのか。仮にこの漫画を蓮實重彦が評することがあるとすれば、京アニには決して直截的に言及しないだろうし、表現者罪と罰みたいな抽象論には絶対触れないだろうに、割とみんなそのあたりに無節操に踏み込んでいくのだなという違和感をどうしても持ってしまう。こちらが初読時に印象に残ったのは、以前書いたとおり、ふきだしの使い方やコマの枠線の使い方であったり、描き文字の不在であったりしたのだが、そういう「技術」には触れられず、想像的に要約された「物語」ばかりが考察の対象になっている。もちろん表層批評をインストールした上での、一周した上での「物語」に対する言及であれば理解できるしこちらもどちらかというとじぶんをそういう立場に置いているのだが。表層批評みたいなものって、もしかすると、十二分に消費されまくった上で過去のものになるのではなく、ほとんどその価値が理解されないまま過去のものになってしまうのかもしれない。そしてそのこととSNSの勃興にはたぶん関係がある。すべてが想像的な意味として140字に要約されてしまう。

  • あと、千葉雅也の『動きすぎてはいけない』からの引用も。「ホーリスティックな発想における本来的かつ未来的な共同性への志向は、様々なエゴイズムで分断された世界から私たちを、いや、世界それ自体を解放せんとする一種の統制的理念であり、これは今日においても有効性を失ったわけではない。しかしながら、インターネットとグローバル経済が地球を覆い尽くしていき(接続過剰)、同時に、異なる信条が多方向に対立している(切断過剰)二一世紀の段階において、関係主義の世界観は、私たちを息苦しくさせるものでもある。哲学的に再検討されるべきは、接続/切断の範囲を調整するリアリズムであり、異なる有限性のあいだのネゴシエーションである」とあったのだけれど、ここのさいしょにある「ホーリスティックな発想における本来的かつ未来的な共同性への志向」というのは、このあいだ見たDavid ByrneおよびSpike Leeの『アメリカン・ユートピア』みたいなやつがそれにあたるのかな、とおもった。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 133: 「声をかけた相手、というよりどやしつけた相手を人間として追い立てながら、同時にその人をモノのように押さえつける憎悪に満ちたこの声を、わたしはその後もひきつづき聞かされることになる。そしてそのたびに縮みあがった。それは、はじめから相手を萎縮させ、感覚を麻痺させることだけに狙いを定めた調子だった。なにげない会話にどれほどの気くばりがふくまれているかに、たいていの人は気がつかない。怒ったり喧嘩したり、いや激怒しているときさえ、人は相手への気くばりを失っていないのだ。人は自分と対等の相手と喧嘩をする。わたしたちは敵でさえないのだった。アウシュヴィッツにおける権威的な身ぶりは、つねに収容者の人間としての存在を否定することに、存在する権利を剝奪することに向けられていた」
  • 137: 「いまでもはっきり読める。A-3537。「A」はより大きな数字を示す。それ以前に大量の殺人があったことの略称だ。映画やテレビでよく語られるような「アウシュヴィッツ」の略称ではない。こうした不正確さにわたしは憤慨する。ひとつはそれが空想だからだ。空想なのに、事実に忠実であると言いつくろい、回想にけちをつけている。もうひとつは、誤った脈絡をでっちあげる傾向にともなう熱意は、ほんの些細なきっかけで嫌悪感にひっくり返るたぐいのものだからだ。不思議にSS(親衛隊)の腋の下も、ひとしく入れ墨で飾られていた。栄誉と恥辱に同じものがほどこされていた」
  • 137~138: 「この入れ墨とともに、わたしの胸中に新しいものが目覚めた。陥っている状況の異常さ、そう、なんとも恐ろしい凄さが痛烈に意識に飛びこんできたのだ。喜びさえ感じたほどだった。いまこそ、証言に値するなにかを体験したんだ(……)わたしが迫害されたってことは、これでもうだれに(end137)も否定できない、迫害された人はいやでも尊重されるわ(……)。母の従弟ハンスの話を家族が固唾をのんで聞いたように、収容所番号をつけたわたしの話が真剣にうけとめられないはずはない――要するに、底の底まで蔑まれているという体験に、いみじくもその体験が名誉をもたらしてくれるかもしれないという一筋の未来を見つけたのだった」
  • 139~140: 「以前からそうだったが、今度も、(end139)リーゼルは彼女なりのやりかたでわたしを「啓蒙」した。殺害の内情を知っていた。父親が特務班だったのだ。父親は死体の処理を手伝っていた。リーゼルは下町っ子がセックスの話をしゃあしゃあとするのと同じ要領で、微に入り細を穿つように、死の話を平然と物語った。無意識の挑発と堕落への誘惑がひそんでいるところも、セックスの話そっくりだった」
  • 141: 「なにしろわたしはしじゅう喉が渇いていた。炎天下にえんえんとつづく点呼はとりわけこたえた。「あなたたち子どもは、アウシュヴィッツでなにをしていたの?」 このあいだ、だれかに訊ねられた。「遊んだ?」 遊んだって! わたしたちは点呼に立っていた。ビルケナウでわたしは点呼に立って、喉が渇いて、死の恐怖を味わっていた。それがすべてだ。それで十分すぎた」
  • 141~142: 「ビルケナウの中央ヨーロッパ人たち。ある女性の高校正教諭が、アウシュヴィッツに来て煙と炎を上げている煙突を目にするや、目にもあきらかなそれをありえないと一蹴して、一席ぶった。なぜならいまは二十世紀です、そしてここは中央ヨーロッパ、つまり文明世界の心臓部です。バカバカしい(end141)と思ったのを、いまも今日のように憶えている。彼女が大量殺人を信じようとしなかったからではなかった [﹅6] 。信じられないのは無理もない、この事態にはたしかに納得のいく説明はつかなかったのだから。(ユダヤ人皆殺しは、いったいなんのため?)」
  • 144: 「シーンその三。看守がひとり、鉄条網の向こうで、杖の先にパンを突き刺して散歩していた。なんという思いつき。自分がパンを泥まみれにする権力をもっていることを、飢えた者に見せつけようというのだ。ただ、わたしは空腹に慣れっこになってしまっていて、空腹とアウシュヴィッツをとくに結びつけては考えない。アウシュヴィッツにおける身体の記憶は(点呼の)暑さ、(収容所に充満する煙の)臭気、そしてなにより喉の渇きだ」
  • 145: 「老女がふたり、喧嘩をしていた。収容棟の入り口でののしりあっている。やせ衰えた手がしきりに動くのが見える。そこへブロック長かだれか、三人目の女性が現れ、ふたりの頭をつかんでガツンと打ちあわせる。あきらかに権限をもっているらしいその女性の情け容赦のなさは、自分の頭に一撃を食らったようなショックだった。途方もない驚愕だった。人間扱いというものがまったくなかった。あとになってから、あんなに驚いたのはバカだったし、あさはかだった、あれ以上にいやなことはいくつもあったのに、と考えた。いままた逆に、当時のショックはいたって正しかったと思いなおしている」