2021/7/25, Sun.

 身体とは「〈私〉がそれによって生きざるをえない他性そのものを乗りこえてゆく」しかたである。身体である私は〈息をする〉ことで大気を摂取し、〈食べる〉ことで世界を同化してゆくからである。私は、私ではないものをそのときどきに身体へと摂りいれながら、〈私〉として生きている。私が身体であるとは、「他なるもの [﹅5] のうちで生きながら、私 [﹅] であること」(être moi tout en vivant dans l'autre)である。その意味では、「身体とは自己の所有そのものなのである」(121/169)。――身体が所有されているのではない [﹅2] (三・1)。(end26)私は、身体である [﹅3] ことにおいて、自己を [﹅3] 所有している。身体はしかも、〈他なるもの〉を内化 [﹅2] し、〈他なるもの〉ではなかったもの(かつてはそれがじぶんの一部であったもの)を外化 [﹅2] してゆく。私は息を吸い [﹅2] 、息を吐く [﹅2] 。そうした身体であることで、私は私でありつづけているのである。
 私は身体である [﹅3] 。私が身体であることは、しかも〈私〉にとって「偶然」ではない。延長する物体への魂の「挿入」という比喩はなにごとも説明しない。そこではむしろ「身体という延長に魂が挿入されていること」が解きあかされなければならなくなるからである(182/254 f.)。私はむしろ、あらかじめ・すでに私の身体である。私は身体であることによって欲求をもち、身体であることをつうじて欲求を充足させて、世界を享受する。私は世界によって養われながらも、世界を服従させる。世界は「欲求をもつ存在に従属する」(前出)。身体とはそのかぎりで、〈他なるもの〉における自己の所有にほかならない。
 それではしかし、私は身体であることをつうじ、また〈享受〉をかいして、世界を〈所有〉することになるのであろうか。世界はたしかに、自然の無償の贈与を提供している。私は、だが、贈られた世界をすでに領有 [﹅2] していることになるのだろうか。享受される世界は、すでに〈私のもの〉となっているのであろうか。これが問われなければならない。
 「享受する口や鼻、目や耳に」あたえられているとき、「対象は対象ではない」(97/137)。(end27)享受であるような「生とは、世界の糧を口いっぱいに囓りとり、豊穣さとしての世界に同意し、その始原的な本質を奔出させることである」(141/198)からだ、とレヴィナスはいう。享受においてあらわれる〈始原的なもの〉(élément; l'élémental)とはなんであろうか。そもそも、〈口〉へと差しだされるとき、〈もの〉はなぜ対象 [﹅2] たりえないのか。このことから考えてゆく必要がある。
 対象としての「〈もの〉はあるかたちを有する」(149/208)。〈もの〉は、特定の輪郭をもつことで、かたちを有する。〈もの〉の輪郭は〈もの〉と他の〈もの〉たちをへだて [﹅3] 、ひとは、輪郭においてその〈もの〉のかたちをとらえ、〈もの〉を見わけ [﹅2] る(三・4)。
 現に享受へと供されているもの、たとえばいま〈口〉のなかで咀嚼されているものは、その〈かたち〉をうしない、輪郭を喪失しつつある。享受するとは、享受する私と、享受されるものとのさかいめ [﹅4] を解消しつづけ、両者のへだて [﹅3] を不断に抹消してゆくことである。そもそも、享受される大気にはかたちがなく [﹅6] 、光そのものは輪郭を欠き [﹅5] 、水はいっさいを浸してゆくことで境界を曖昧にする [﹅8] 。〈始原的なもの〉とはとりあえず、水であり、大気であり、おしなべて不定形なものである。イオニアの哲学者たちがいっさいのアルケーとしてかたりだしたものにかかわるレヴィナスの思考のうちに、所有をめぐる第一の論点がある。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、26~28; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • 一一時ごろ覚醒。いつもどおり暑く、またくわえてなんとなくからだが重たるいようなかんじがあった。こごってもいたので、しばらく各所を揉みほぐす。こめかみや腰など。離床は一一時四〇分。水場に行ってきてから瞑想をした。相当に暑い。大気にふくまれている熱気が濃く、身のまわりでわだかまっている。しかも草がすれあう音も立たないからそとに風もないようすで、はいってくるものもなくて熱が停滞している。目をひらくとやはりちょうど一五分経って正午に達していた。
  • 上階へ行って食事。カレーと、きのうの素麺のあまりを煮込んだもの。新聞は三面にタリバンの動向が報じられていた。タリバンの支配地域はアフガニスタン全土の五五パーセントまで増えており、地域によってアメとムチをつかいわけていると。北部クンドゥズ州のある町では住民の訴えを聞き入れて増税をとりやめたり、いままでの相場よりも高い報酬でなんだったか掃除かなにかの求人を出したり、住民に呼びかけて相談を受けつけたり、そういうサービスを提供するそぶりを見せているが、べつの町では女学校を焼き払ったり、女性の服装を規制したりして統制していると。女学校を焼くのはマジでゆるせん。知の機会と可能性をうばうたぐいの弾圧はマジでムカつく。しかもそれが女性にむけられたものであるだけに。タリバンを支持する国民は一割程度しかいないもよう。ただ、アフガニスタン国内にはアル・カーイダ系の戦闘員が五〇〇人残っていてタリバンは彼らと関係をたもっているらしく、アフガニスタンがふたたび「テロの温床」にならないかと各国は懸念している。ビン・ラディンのあとの世代のアル・カーイダ系の連中がタリバンの保護をもとめるのではないかとか、米国の撤退が勝利と喧伝されることで欧米にひそんでいる過激派を刺激しないかとか、危惧される可能性はいろいろあると。中露は基本的には傍観のかまえで、上海協力機構は、アフガニスタンの和平はアフガニスタン人同士の話し合いによってしか実現できない、と声明を出したらしい。だから、タリバンが勢力をとりもどしても介入しない、つまりタリバンの邪魔はしない、というわけだろう。タリバンの側でも、ロシアにたいしては国内の過激派は一掃すると言い、中国にたいしても新疆ウイグル自治区イスラーム主義者を支援することはないと明言し、テロリストが流入したり活発化したりするのではないかという両国の懸念にこたえている。
  • 体調がちょっと乱れていた。まず、鼻水が出る。これはここさいきんはなかったことだ。さらに、からだがやはりすこし熱かったりかたいようだったりして、ほんのすこし熱っぽいようなかんじがあった。それで、先日の外出でついにコロナウイルスにかかったか? とおもったが、二日三日で症状が出るのは潜伏期間が短い気がするし(かならず一週間とか潜伏するわけではないのだろうが)、咳はないし、単に寝冷えしただけともかんがえられる。なにかにかかっていたとして、コロナウイルスか風邪かの区別もつかない。いちおうその後、鼻水もなくなり、身体感覚はほぼ平常に復しているが。
  • いつもどおりの洗い物などすませて、茶をもって帰室。きょうは三時くらいまでだらだらしたはず。それからルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読みはじめた。あおむけで読みながら、踵でもって太腿をよく揉みほぐす。四時を過ぎて切り、ストレッチへ。Gil Evans Orchestra『Plays The Music Of Jimi Hendrix』をながしていた。ストレッチはあいかわらず、合蹠・前屈・胎児・コブラの四種を二セットを基本にやっている。ポーズを取ったままじっとして肉が伸びるのを待つだけだが、だんだん姿勢を取ったままながくとどまっていられるようになっている気がする。もうすこし肉体の基本状態がやわらかくなるよう、日々調えたい。
  • 五時で上階へ。アイロン掛けをおこなう。きょうもけっこうたくさんあった。そばの扇風機をつけてその風を受けながらやっていたが、そとで草取りかなにかやっていたらしい母親がはいってくると、おおきな声で暑さと疲労をうったえながら(ことばの内容は参ったという意味なのだが、声色や声量は参っているというよりむしろ活発である)エアコンをつけた。食事にはカレーがのこっているのでほかにそんなにいらないが、ゴーヤチャンプルーをつくることにしたもよう。アイロン掛けをすすめて六時ごろ終えると、きょうはまだ夕食にせず、下階へ。またしばらくなまけてからだを休めてしまった。
  • 七時半まえくらいで夕食へ。カレーや煮込み素麺の残りやゴーヤ炒めなど。新聞は先ほど読んだタリバンの記事の続きを読んだ。テレビは録画したものか、『推しの王子様』というドラマを映していた。きちんと見ていないのでストーリーもよくわからない。女性主人公が「推し」に似ている駄目な男を理想の王子様的男性へとそだてあげる、みたいな趣向のようだが。父親は炬燵テーブルでタブレットをつかってオリンピックを見ているもよう。新聞の「あすへの考」が国立情報学研究所所長・喜連川 [きつれがわ] 優というひとの寄稿だったのであとで読もうとおもって部屋にもってきた。あと、日曜版の「ニッポン絵ものがたり」のページも。真鍋博「にぎやかな未来」の紹介。星新一の挿絵などを描いていたひとらしい。
  • 食器を洗い、また緑茶をつくって帰室した。一服しながらウェブを見たあと、九時まえからきょうのことを記述。ここまで記していまは九時四三分である。二二日以降の日記をぜんぜん書いていないのに明日から毎日勤務になるのでやらないとやばいが、まあ気楽に気分のままにやれば良い。(……)くんへの返信も書きたい。
  • そういうわけで、(……)くんへのメールを作成。一〇時ごろまでひとまず。その後入浴に行って、出てきてからすこし足して完成。

(……)

  • 風呂のなかでは湯船で停止して調身をはかる。きちんと停まることができれば、それが一〇秒であろうと価値のあることだ。藤田一照が『現代坐禅講義』のなかで、坐禅をしてなにかを得たり特殊な心身状態になったりすることに価値があるのではなく、時間やら義務やらなにやらに追われてつねにせわしない生活のなかでそれでもなにもせずただじっとすわるという時間を取れたことそれじたいに価値があるのです、みたいなことを言っていたが、それはそうだなとおもう。ひとにはあらゆる物事から離れて原子的に独立自存する時間としての自由が必要なのだ。その自由とは停止と無行動のことである。
  • ひとはたいていのばあい、なにかしらのながれのなかにいる。それは時間のながれであったり、社会のおおきなながれであったり、日々の生活のながれであったりいろいろあるわけだが、まずなによりも行為と行動のながれである。ひとはそれらのながれの、単にそのなかにいるというよりも、たいていのばあいはそれに呑まれており、かつ呑まれながされていることを意識しない。というか、それいがいのありかたや時間をあまり定かに体験しない。ふつうに過ごしていて、ながれのなかに埋没せずそこから浮かび上がり、ながされることに抵抗する、というよりは(完全にではないにしても)それと無関係になる時間の、いかにとぼしいことか。いま目の前にあるものたちをじぶんがいかに見ていないか、ひかりの色を見る時間が生のなかでどれだけあったか、風の音を聞いた経験がいかにすくないか、だれしもじぶんに問えばあきらかに実感するのではないか。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 157: 「わたしの知るかぎり、選別について書かれたどの報告も、最初の決定がくつがえされることはなかったと述べている。一方の側に送られて死を宣告された者がもう一方に行ったためしはないと。そうなのだ、わたしは例外なのだ」
  • 158: 「かのシモーヌ・ヴェイユは、文学にはたいてい疑いの目を向けた。文学では善はおおむね退屈で、悪はおおむね面白い、現実はまるっきりその逆なのに、とヴェイユは言った。(……)シモーヌ・ヴェイユは正しかった。わたしはそれをこのときの経験で知った。善は比較を絶していて、説明もできない。善はそれ自体よりほか原因をもたず、それ自体よりほか、なにものも望まないからだ」
  • 162: 「人間愛がもっともあり得ないものに思われ、人びとが歯をむき出しにし、すべてのしるしが自己保存の方向を示しながら、なお、ほんのささやかな真空が残されているドブネズミの穴の中に、自由は不意打ちとして出現し得る」
  • 164: 「女性収容所は、少なくともこの収容棟については政治囚に牛耳られていた。彼女たちは、ナチスが縫いつけた三角のきれが赤くて、ユダヤ人と同じ黄色でないことに鼻が高かった。(……)テレージエンシュタットで社会主義の核心としてわたしの心を射た人道的なすべての主張は、どこ吹く風だった。左、そこに心がある。ところがここの左翼の関心はただひとつ、自分が生き残ることだった。同胞にもあるいはいくばくか心を注いだかもしれない。だがユダヤ人はナチスにとって同様、最下等の存在だった」
  • 135: 「ひとつだけ注意をひいた言葉がある。「おまえら、もうテレージエンシュタットにいるわけじゃないよ」 まるで天国からやってきたと言わんばかりの口ぶりだった。あの人たち、わたしたちがアウシュヴィッツに来たばかりだから見下してるんだ、と呆然と思った。自分の立場がおぼつかなくなる。いまそこで喋っている人だって、同じ収容者ではないのか。わたしは番号に表される階級を学んだ。小さい番号の収容者は、ここに長くいるからほかの収容者よりも偉い。こんなところにいたい者はだれひとりないというのに。倒錯した世界」
  • 166: 「わたしは少しうぬぼれて、あそこを生きのびたのだ、アウシュヴィッツはわたしの死に場所にならず、アウシュヴィッツはわたしを捉まえておけなかった、と思ってもいいのかもしれない。けれど、自分の救命に自分が大きくあずかっていたと考えるのは、とんでもなく無意味だ。わたしが目にし、臭いを嗅ぎ、恐怖したあの場所、そしていま記念博物館としてのみ存在するあの場所に、わたしは属していない。あとにも先にも、一度だって属さなかった。あそこは保存にいそしむ人たちのための場所なのだ」
  • 167: 「しかも、これは、ここに書いている回想の問題でもある。わたしはいま、ガス室にもはや脅かされることなく、読者と共通の戦後世界のハッピーエンドに向かってまっしぐらなのだ。読者よ、あなたたちをそんなわわたしといっしょに喜ばせないためには、どうしたらいい?」
  • 168: 「読者がほっと胸をなで下ろすのを、どうやって阻もう? なぜなら、生きのびた人間がいたからといって、死者が助かるわけではないのだから」
  • 168: 「わたしたち生存者は、収容所で殺された人びとと共同体をなしていない。あなたたちがわたしたちと死者をいっしょくたにし、自分だけ暗い河の彼岸へ逃れるのは、はっきり言って間違っている」
  • 174: 「わたしたち双方にとって列車はひとつだった、彼のは外から見た列車、わたしのは中からの列車。そして風景はわたしたち双方に等しい。しかし等しいのは網膜にとってだけで、心情にしたがえば、わたしたちが見ているのはふたつの相いれない風景だった」