2021/7/26, Mon.

 〈もの〉はつねにある背景のもとにある。もの [﹅2] が〈もの〉としてあらわれるために、つまり〈もの〉がそのかたちをあらわし、輪郭を浮き立たせるためには、背景としてのその地平が、あるいは「ある環境」(un milieu)が必要である。「〈始原的なもの〉と〈もの〉」と題された一節でレヴィナスは、つぎのようにかたっている。

 そこから〈もの〉が〈私〉に到来する起点となる環境には、相続人がいない。それは共有の基底あるいは領域であり、所有不可能で、本質的に《だれのものでもない》。すなわち、大地であり、海であり、光であり、都市である。いっさいの関係や所有は、所有不可能なもののただなかに位置している。所有不能なものは内含され包摂されることなく、内含し包摂する。われわれは、それを〈始原的なもの〉とよぶ(138/193)。

 ここには、「所有」をめぐるレヴィナスの基本的な視線の方向があらわれている。そのありようを、すこしだけていねいに描きだしてみよう。(end29)
 大気や「光」はだれのものでもありえない。「大地」や「海」も、ほんとうはだれのものでもない。大地にあらかじめ所有をへだて [﹅3] る境界が書き込まれているわけではなく、海にさかい [﹅3] が存在するわけでもない。大地にはほんらい「相続人」がおらず、入り江の潮はやがて大海にそそぐ。ひととひとをつなぎ、へだててきた海は「本質的に《だれのものでもない》」。「環境」は、「共有の基底あるいは領域」であって、「所有不可能」(non-possédable)なものである。
 「都市」ですら、考えてみればそうである。城塞にかこまれ、王権が支配する都市であっても、王がそのすみずみを支配し所有することは不可能である。そこではひとびとの暮らしが日々いとなまれ、ひとびとが絶えず往来し、王の支配と所有はつねに浸食されている。都市もまた、いっさいのいとなみがそのなかでかたちをあらわす光とおなじように、所有不可能なものである。光がそれを封じ込めようとする容器から漏れ出るように、水がどのような窪みにもみずからのかたちをあわせてゆくように、城塞や壁も、都市を完全に区画づけることはできない。むしろ、境界づけに由来する「いっさいの関係や所有は、所有不可能なもののただなかに位置している。所有不能なものは内含され包摂されることなく、内含し包摂する」のである。
 不定形で無際限なもの(ト・アペイロン)である水や光、大気や風を、ひとは所有し支配することができない。世界の始原(アルケー)を、ひとは手にすることができない。水(end30)は掌からこぼれ落ち、風は風のおもうままに吹くからである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、29~31; 第Ⅰ部 第2章「自然の贈与 ――始原的な世界を〈口〉であじわうこと――」)



  • アラームでもって八時に離床。携帯をとめて寝床にもどる。睡眠がみじかいわりにそこまでからだが重くないようだった。とはいえ脚をほぐしながらしばらく休んで活力を待ち、八時半をまわって正式に起床。きのう感じた重たるさはもはやなく、からだの感覚は完全に平常にもどっている。部屋を出て洗面所へ。顔を洗い、うがいをするとともに個室に入って用を足し、もどって瞑想した。起きたときには曇っていて陽の色もなく、きょうは比較的涼しいなとおもったのだったが、このころには陽射しが出ていてやはり相応に暑い。午後二時半現在ではふたたび曇り気味になっているが。
  • 上階へ。母親はもうしごとに出たようで父親のみ。卵を焼いて米に乗せた。あとは即席のアオサの味噌汁。新聞は下部広告になっている『WILL』の記事名を見ていたので、本文記事をあまり読んでおらず、暴動が起こった南アフリカのその後をつたえるものをすこしだけ見たのみ。父親がながしているラジオ(伊集院光がだれかをまねいてオリンピックについてはなしていた)の音声に気を取られたこともある。『WILL』は櫻井よしこなどが中国の脅威を強調していたり、リベラル派によってつくられた世論に迎合してオリンピックを無観客にしたのは情けないみたいな記事名が見られたりしてあいかわらずだが、なかにNewsweek日本版に連載をもっている飯山陽の名があって、「弱い」パレスチナを「強い」イスラエルがいじめているというのは嘘、みたいなタイトルを掲げていたので、このひとってこういう方面のひとだったんだとおもった。
  • 食器を洗い、つづけていつものように風呂も洗う。出ると下階へ。九時半ごろだった。一〇時から通話だが、まだすこし間があるのでコンピューターをスツール椅子に乗せ、ベッド縁に腰掛けてNotionを準備したりウェブを見たり。そうして一〇時前に隣室へ。外のあかるさがはいるとモニターが見にくくなるのでカーテンを閉めておき、エアコンをつけてZOOMに接続。
  • (……)
  • (……)
  • 終えたのは一二時半。自室にもどり、ベッドに転がって脚を揉みながらしばらく書見。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける』である。眠りがすくないので、やはり多少眠いかんじはあった。通話中もあくびが何度か漏れたし。BGMにしたのはOscar Peterson, Joe Pass & Niels-Henning Orsted Pedersen『The Trio』。本はいま、クリスティアンシュタット(グロース=ローゼンの外郭収容所)のところをすすめている。クリューガーの書き方は、過去の出来事をそれだけでまとめて一気に語ってしまうのではなく、あいだにたびたび、それについておもうこととか、解釈とか、それにまつわるさいきんのエピソードとか、無理解な聞き手にたいする批判とか、いまの人間関係(主として母親とのもの)とかがさしはさまれる。一時半すぎくらいまで読んで、食事を取りにいくことに。エアコンを止めて階を上がり、まずベランダの洗濯物を入れた。このときも、かすかな日なたがベランダの床に映らないではなかったが、基本的には曇りの色合いだった。取りこんだタオルをすぐたたんで洗面所に運んでおき、それから食事。簡易の廉価なハンバーグがひとつあったので、それを皿にうつして電子レンジであたため、丼に米をよそっておくと、待つ合間はレンジの前で腕を伸ばしたりする。両手を軽く組んで、そのまま腕を背後に引っ張り伸ばすことで肩のうしろや肩甲骨のあたりをやわらげるやり方である。あとは組んだ両手を後頭部に当て、あたまを前にかたむけておさえながら左右の肘を多少内側に寄せるようにして、首のうしろの筋を伸ばすやりかたも。
  • わすれていたが、書見のあとにストレッチをしたのだった。眠いのでポーズを取ってじっとしているあいだも多少意識があいまいになるというか気づくとちいさな空白がさしはさまっているようなかんじだったが、ストレッチを通過することで眠気がわりと散った気がする。
  • ハンバーグ丼を部屋にもちかえり、ウェブをながめながら食事を取った。そのあときょうのことをここまで記して三時。きょうから毎日夕方から夜まで労働なので、猶予はちっともない。それでいて二二日以降の記事はあまり書けておらず、しかも二二日二三日は外出したから情報が多い。たいへんである。
  • しかし、まずふたたび瞑想。すわって目を閉じていると、やはりまだいくらか眠くなる。とはいえ、上体がぶれて姿勢にとどまっていられないほどの眠気ではない。眠くて意識がやや薄くなっても、ぐらつくことなく保たれているので、むしろすこし不思議なかんじ。外ではアブラゼミがジュワジュワと夏の大気を揚げていた。
  • やはりおのずと一五分ほどで切りになる。飯を食うのに使った丼と箸を上階に持っていき、食器乾燥機をかたづけてから洗ってそこに乗せておき、もどると二二日の日記を記す。
  • そういえば、きょうの新聞の一面はとうぜんながらオリンピックの報道で、日本勢は金メダルを四つ獲ったとかあった。たぶんいま合わせて五つなのか? 柔道の兄妹と、水泳のひとで、水泳のひとはじぶんでも「自己肯定感が低い」と言っていて、オリンピックに出るのも迷ったくらいで、メダルなど取れるはずがないとおもっていたので望外の喜び、というはなしだった。
  • 二二日の日記をすすめたのは四時過ぎくらいまでだった。そこからほんのすこしだけまた書見すると、歯磨き。そうして、外出前にとまたしても瞑想をおこなった。五時あたりまでだったか。今度は窓をあけず、エアコンの駆動音ばかりが聞こえるなかで。このときもやはり一五分くらいだったはず。そうして上階へ。下着や母親のパジャマなどもたたんでおき、マスクをつけて玄関を抜けた。階段を下りるとなにかの作業をしていた父親が家の横からあらわれたので、行ってくると告げ、ポストから夕刊を取るといいよと言って受け取ろうとするので渡して道をあるきはじめた。(……)さんの宅の手前で道の端に柑橘類の実がいくつもころがって道に沿ってならんだようになっており、路面にはそれがぐしゃぐしゃにつぶされてのち乾いて吐瀉物の跡のようになっているさまも見られる。そこの林に樹があっていくつも黄色い実がみのっているのだが、あれがなんの果実なのか知らない。すすむと(……)さんが家の横で車にシートをかけていたので、あちらが気づいたところでこんにちはとあいさつをおくる。これから、というのに肯定すると、暑いなかご苦労さまと来るので、さいきんもう暑いですよね、と受け、でもきょうはまだ曇ってるからね、とつづければ、風はないけどなあと返るので、そうなんすよと笑う。そうして別れたが、(……)さんの言ったとおり空気は停滞しており、坂道にはいって沢音がちかくなっても大気はわずか揺らぐのみで、ながれるというほどのものはない。空は曇りであきらかなひかりはないものの、草木に籠められた左の斜面の底にのぞく水の一部が箔を貼られたように白銀色に微光し緑の網のむこうでも容易に目にとらえられ、すぎれば樹冠がすこし途切れてひらいた空は隙間なく白ではあるけれどその雲の色が見えない夕陽のつやをたしかにおびている。
  • 最寄り駅につくとふたりすわったベンチのまんなかあたりにはいる。瞑目し、汗に濡れた肌のうえを空気が弱くすべっていくのをかんじる。丘のほうで鳴くセミのなかではカナカナがやはりきわだち、集団で鈴を振りつづけているようなひびきが暈をともないながら漏れつたわってくる。じきに電車が来たので乗車。席でひきつづき瞑目。むかいには大学生だか高校生だかそのくらいの男子らが四人連れ立って乗っていた。(……)に着いて降りるさい、そのうちのひとりがたぶん荷物を持ち上げたときだろうかべつのひとりの顔を誤って殴打してしまったらしく、かなりうろたえた高い声で、ごめん、めちゃくちゃ痛かったでしょ、マジでごめん、と謝っていた。
  • (……)
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 180: 「奴隷労働の本質は、従事している本人が労働の目的を欠くことにある」
  • 190: 「不正というものは、被害者当人の心境のいかんによって帳消しになるわけではない。わたしは九死に一生を得た。たしかにそれはそれですごいことだけれど、でも生き残ったからといって、亡霊からみなさんにお配りせよと袋一杯の借用証を持たされてきたわけではない。こんなことが通用するなら、つぎは加害者が被害者を赦してやる番になる。なぜって、被害者は、加害者に深刻な良心の苦痛をあたえたのだから」